【その名を継ぐ者】 //ヒルシャー、プリシッラ、オリジナルキャラクタ
        // 【】 // Cont,OC,Serious,Death // 2010/06/29



【その名を継ぐ者】


    ヴィクトル、出かけるの?
 ダブルのスーツを身に着けた男に、キッチンから声がかけられた。
    ああ、彼女に会いにね。
 そう、とだけ返事をしそれ以上何も聞かないでくれる配偶者の気遣いに感謝しながら、
今日はあの子を連れて行くよ、と告げる。
 ヴィクトリア、おいで。リビングに向けて呼びかければ、はあい、とくまのぬいぐるみを
抱えた幼い少女が、父親と同じ暗褐色の髪を揺らしながら男の元へ駆け寄った。
 ファタ(おとうさん)、おでかけ?と首を傾げて少女は問いかける。
    ああ。今日はローマに行こう。


  五共和国派との戦いが終息し、社会福祉公社は対テロ組織としてのその役目を終えた。
組織の解体はその始まりと同じように秘密裏に進められ、カモフラージュであった障害者への
支援事業だけが社会福祉公社の業務として残された。
子供を使った政府の暗殺組織の噂は都市伝説のひとつとして酒場の冗談にまぎれ、
いずれは忘れ去られていくだろう。
    あ、ヒルシャーさんっ。お久しぶりです〜。
    やあ、プリシッラ。
 数年前まで男の同僚であったその女性は、その後児童福祉のための資格を取り、
同じ建物の中でかつてとは全く異なる仕事に就いている。もっとも彼女の適性は、本来
今の仕事の方にこそ向いていたのだろう。花束を持った男の足元にちょこんと佇む
幼い少女の姿を見つけると、早速持ち前の明るさを発揮する。
    おおお?見たことのないお姫様がいるよ?いや〜ん、可愛いっ!ひょっとして
ヒルシャーさんの娘さんですかあ?
    ああ。ヴィクトリアだ。
 お父さんのお名前をもらったんだ〜、いいねえ。しゃがみこんで子供と目線を合わせ
屈託なく話しかける女性に、男はふっと寂しげな微笑を浮かべた。
    プリシッラに御挨拶をしなさい   “ トリア ”
 一瞬、プリシッラが小さく目を見開く。
はじめまして。おあいできてうれしいです。やや舌足らずな口調で生真面目な挨拶をする
少女に、女性は複雑な思いを抱きながらも、やさしく微笑んだ。
    ……トリアちゃんかぁ。はじめまして、愛の堕天使・プリシッラです。
 女性の微笑みにつられて、少女もはにかみながらもニカッと少年のような笑顔を見せる。
少女の柔らかな髪を撫でながらプリシッラは男を見上げた。
    ヒルシャーさん…『彼女』に会いに来たんでしょう? 私、今ちょうど休憩時間ですから
戻ってくるまでトリアちゃんと遊んでましょうか。
    ありがとう。だが遠慮するよ。   今日はこの子を彼女に会わせに来たんだ。
    そうですか……。
 男の言葉に、プリシッラは少女の頭をもう一度撫でると、それじゃあまたねと立ち上がった。
またね、と手を振る幼い娘に、男は長身を軽くかがめるようにして手をつなぐ。

 かつて毎日のように歩いた公社の敷地を、あの頃よりもゆっくりとした歩調で進んでゆく。
初めて見る景色に興味津々で見回しながら幼子もそれについてゆく。
 やがて男は公社の外れにあるちいさな建造物にたどり着いた。
 その建造物は様々な用途を経てきたこの建物の始まりが、修道院であったことを示していた。
父親に手を引かれはしゃいでいた少女も厳粛な雰囲気に気付いたのか、心なしか緊張した
様子で父親にたずねる。
    ファタ…ここ、なあに。
         お墓だよ。
    …おはか?
 男は幼子に花束を持たせるとその体を抱き上げ、霊廟の扉を開けた。
 少女が父親の言葉の意味を理解するにはまだ幼すぎたが、それでも生者の喧騒から
切り離されたその空気を感じ取ったのだろう。花束をしっかりと胸に抱え、神妙な表情で
おとなしく父親の腕の中に納まっている。
 天井まで続くような高さの死者のチェストには彼らの安らぎを願って美しい彫刻が施されて
いる。男はその中のひとつに手を触れ、ささやくように言った。
       ここに、お前のお姉さんが眠っているんだよ。
 おねえさん?父親の言葉に首をかしげ、幼い少女は共同墓地に掲げられた数多くの
プレートのひとつを見上げる。
 簡素なプレートには、生年は不明のまま没年と名前だけが刻まれていた。
    おまえの名前は父さんと……お姉さんから、もらったんだ。
 父親は幼い娘にそう言った。
 かつて常に傍らにあった少女の姿を男は想う。
トリエラ。君の名前を受け継いだこの子は、幸せに見えるかい?
短すぎた君との時間の中で、僕はとても良き父親にはなれなかった。
けれど君と築いてきたことを、君と築けなかったことを、自分はこの子に伝えたいと思っている。
最後まで懸命に生きた君が僕に残してくれたものを、決して無駄にしないように。 

 トリア、お姉さんにお花をあげよう。促されて床に下ろされた少女は、大事に抱えていた花束を
そっとチェストの前に置いた。膝を着き、両手を組んで頭をたれる父親の姿を真似て、ちいさな手を組む。
 やがて立ち上がったふたつの人影はまた手をつなぎ、死者の眠る部屋を後にした。
去り際、男はもう一度かすかに光るプレートをを見つめ、そして静かに扉を閉めた。
 
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 2010,06,29,








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こんな未来もあったかもしれない…

0
Posted by  2012年12月19日(水) 02:26:08 返信

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