COSCA 第二章 登用 // トリエラ、クラエス、ジャン、ロレンツォ、ヘンリエッタ
    // HamDemon著(USA) // 訳143 // オリジナル設定
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COSCA 第二章 登用


 褐色の肌と碧眼が特徴的なブロンドの美少女が、寮の自室にこっそり忍び込もうとしていた。二段ベッドの上段に横たわる、眠れる恐怖を目覚めさせてはならないのだ。緊張しながら耳を澄まし、何も聞こえないことを確認する――そこである可能性に気付き、彼女は混乱した。忘れてたけど、あの子って鼾かくんだっけ? いや…… そんなはずないな……

 彼女はだるさの残る義肢をそろりそろり動かし、革ブーツのぶ厚い踵が物音を立てないよう努めた。ありがたいことに、今日の彼女のいでたちは、黒いシルク地のミニスカートとそれに合わせた長袖のシャツ――いつものメンズじみたスーツよりもだいぶ脱ぎ着しやすい。息を潜め、耳の内側で警鐘を鳴らす心音とともに歩みを進め、集中力を研ぎ澄ましながら、厳しい訓練の日々に思いを馳せた――今、この瞬間のために自分は、すべての努力を注ぎ込んできたのだと。決して失敗が許されないのは今なのだ。そう、失敗は決して許されない……

「トリエラ」 ふいに、最も恐れていた怨嗟の響きが、地獄の底ならぬベッドの上段から降ってきた。ちっともユーモアを感じさせない鋭利な声音は、まごうことなき疲労と憤怒に満ちている。「入るならさっさと入って。ついでに、明かりをつけてくれる?」

 トリエラは飛び上がり、子犬の鳴き声にも似た悲鳴を上げた。「ね…… 眠くないの?」 口ごもりながらも気を取り直し、彼女は蛍光灯のスイッチを入れた。愛するクマのぬいぐるみたちと、ジャンルも厚さもばらばらな無数の本に埋め尽くされた馴染みの我が家が、人工的な明かるさの元で、トリエラの帰還を歓迎してくれていた。

「あなたに起こされるまでは眠かったけど。せっかく目も覚めたし、お喋りでもしない? あなたが時差ぼけに苦しんでいなくて、気分も悪くなければの話だけどね」

「ああ、それは大丈夫」と、トリエラは答えた。起きぬけなのにずいぶん一気に畳み掛けるなぁ、などと考えつつ。

「じゃ、話くらいできるわね」 クラエスが眠たげな目を擦り、ベッドに座り直して眼鏡をかけた。肩口から零れる漆黒の髪が、彼女が反り返って伸びをするにつれ、まっすぐな束になって華奢な背中に放り出される。

「えーと……」 トリエラが時計を覗き見つつ呟く。「夜中の1時だけど、その話って今しなきゃだめ?」

「聞かれたくないことでもあるの?」と、クラエスはかまをかけつつ、「怪しいわ。ずいぶんナポリで楽しんできたみたいね」

 トリエラは一瞬顔を赤らめたが、すぐに表情を押し殺そうと、鷹揚さを装って誤魔化した。「まあね、誘拐されそうになったことを”楽しんだ”っていうなら、間違ってないかな」

「そう。たぶん、こんな話をするには早朝すぎるのかしら」 クラエスは失点を稼いだことを認め、親愛を込めて、下手な応戦で無理矢理ふんぞり返ってみせる友人を見つめた。「本当は依存症の発作のことを聞きたかったのよ。大丈夫だった?」

 トリエラの防御が途端に崩壊した。腰に当てられていた腕が力なく垂れ、その表情には、誤魔化しのきかない不安の色がありありと浮かび始めた。「実は、そのことなんだけどさ……」






 ジャン・クローチェとロレンツォ作戦二課長はお互いの横に並び、病室を模した部屋のベッドに横たわる双子の少女を見下ろしていた。彼女たちは新しく機械の体を与えられ、安らかに眠りながら目覚めの時を待っている。マジックミラー越しの監視部屋にいる二人の男は、喫緊の苦境を打破する策を煮詰めるのにひたすら梃子摺っていた。

「この二人の担当官は間違いなく死んだんだな?」 ロレンツォがジャンに確認を取った。

「確かです」 この上なく冷淡な、感情の篭らない返事が返ってきた。「二人の担当官が採用面接後に酒を飲みに出かけたことは確認済みです。目撃者の証言では、彼らは高速道路でレース勝負に及び、片方がトラックに突っ込んで、大規模な横転事故に巻き込まれたとのことです。二人とも即死でした」

「一体どこでそんな馬鹿どもを見つけてきたんだ?」 ロレンツォが苛々と、怒りに震えるこめかみを揉み解しながら呻いた。

「正直に申し上げますと課長、最近我々作戦二課が、義体担当官の選抜における審査基準を下げていたことは事実です。熱心すぎる技術部の科学者たちが、我々が担当官候補を見つける速さを遥かに凌駕するペースで義体の数を増やしているためです」

「技術の進歩のためには仕方のないことだ、ジャン。実際、二期生たちは能力的に申し分ないし、開発の効率もいい。加えてあの寿命の長さだ、もっと二期生に投資すべきだと私は考えている。近い将来、一期生が全員いなくなった時のことも考慮に入れてな」

 ジャンが微かに表情を強張らせたが、それ以外の反応は見せなかった。「やはり担当官選びには細心の注意を払い、最善の人選と見極められたエージェントのみ起用する必要があります。どんなに義体の能力が優れていても、無能と組んだら役立たずに他なりません」

「それに異論はない」 ロレンツォは深々と嘆息した。「少なくとも、この双子はまだ条件付けが済んでいない。代わりの担当官を見つけてきて着任させるのは問題ないだろう。不幸中の幸いだったな」

「少し待たせることになるでしょうね」と、ジャンは警告をからめ、「スカウトとその後の徹底した審査には特に、莫大な時間と労力が必要になりますから。しかしながら、この仕事を続けられる人間を探すためには、それも必要なプロセスかと」

「トーニはどうした?」

「もちろんマルコーの有能ぶりは我々皆の知るところです。が、彼は今長期休暇中で不在です。彼にはアンジェリカの死から立ち直る時間が必要なので」

 ロレンツォが少しだけ興味を引かれたように笑い、ジャンに向き直った。「おまえがそんな気遣いをするとは、可笑しなことがあるものだな。確か自分の弟には、道具に愛着を持ちすぎだとか何とか言ってなかったか?」

 ジャンは完璧な冷静さと素直さをもって答えた。「昔の話ですよ。あれから考え直したことがいくつかあるので」

「それについては言及せんよ」 二人は作戦二課の課長室に入った。ロレンツォが自分の席に座ったとき、デスクの上に見覚えのない資料フォルダがあることに気がついた。表紙には何の見出しもついていないが、黒い丸印がついた付箋が途中のページに挟まっている。早くそこだけ読めと言わんばかりに。

「あの双子の素体は、とあるマフィアのボスの娘です」 ジャンの紡ぎ出す単語の一つ一つが、彼の苦慮を示唆していた。「彼女たちをここに置くことはイコール、不慮の事態への余計な懸念に繋がります。死んだ担当官たちはなぜ、二人を整形しなかったのですか?」

 ロレンツォはうんざりしながらジャンの用意した資料をめくった。「そのままの外見で連れ歩けば、アクセサリーか何かにでもなると思ったんじゃないのか。低脳どもの考えそうなことではある。しかし彼女らは生前、自分の家から一歩も外に出たことがなかったとある。見かけたことのある人間は少ないだろうな」

「それでも」 ジャンが付け加えた。「このバルダザーレという男が、公社が望まない方向に首を突っ込んでくる可能性があります。その場合は――」

「その場合は、この双子に、本人たちの知り得ないところで、復讐の機会が与えられたということになるな。素体の素性については何も問題ない。ジャン、当面の問題は担当官だ。トーニに続けて、もっとどんどん候補を絞っていけ」

「さっきも申し上げた通り」と、ジャンは改めた。「目にかなう担当官を探すのは時間のかかる作業になります。もともと課員の少ない部署ですし、かといってこのまま、義体たちを昏睡状態のままにしておくわけにもいきません」

「他の義体の担当官に臨時の代理を務めさせるのは?」

「あまりいい方法とは言えませんね。臨時の担当官と双子の関係が不必要に強まってしまう可能性があります。避けられる条件付けのリセットはやらないに越したことはありません」

 ロレンツォは指でデスクをこつこつ叩き、考え込んだ。苦悩した。完全に行き詰っていた。恒久的な専属担当官が見つかるまでの短くない間、誰も訓練を仕込まなければ、双子に無駄な時間を過ごさせる羽目になる。今までに世話を焼いた経験のある者ならば、或いは使えなくもないだろうか――例えば、プリシッラ――彼女なら、至高の喜びをもって担当官の仕事を引き受けようとするだろう。しかしだ、と、ロレンツォは慎重に考え直した。情報分析官であるプリシッラの周囲でデスクワークの環境に曝すのは、戦うために生まれた義体たちに与える第一印象としてあまりにも好ましくない。必要なのは現場の職員だ。実際に手を汚せる者だ。スムーズに戦場の景色を覚えさせてやれる先導者だ。それならば多分……

 ロレンツォは、もう何回目か分からない溜息を腹の底から吐き出した。他に選択肢はなさそうだった。自分の脳裏にこんなアイディアがよぎってしまったことを心底後悔しながら、彼は眼鏡を外し、疲れ果てた目を擦った。そして、この苦肉の策に説得力を持たせるため極力厳格に、ジャンに向かって質問を投げかけた。「義体の中で一番優秀なのは誰だ?」






 背後で蠢く影の存在にトリエラが気付く前に、クラエスが三人前の熱い紅茶とお手製のレモンティー・ケーキを用意してくれた。人形のように小柄で愛らしいヘンリエッタが、これ至上の幸せといわんばかりに、渡されたティーカップに滔々たる量の砂糖を放り込んでいた。夜中の一時半にベッドから出たばかりとは思えないくらい元気な少女。彼女は、大きな瞳をめいっぱい開いてきらきらと輝かせている……

「ちょっと待って!」 トリエラが今更のように驚愕してヘンリエッタに叫んだ。「いつ来たの? っていうか、なんで起きてるのよ?」

 ヘンリエッタがいつもの無垢な笑顔で、可愛らしく答えた。「お手洗いに起きたんだけど、その時にクラエスたちの部屋に明かりが見えたの」

「髪まで梳かしてきたのね。用意が…… 周到だわ」 クラエスさえ若干たじろいでいた。

 熱烈に頷くヘンリエッタ。「うん。寝癖をつけたまま皆に会いたくなかったの。トリエラがこんなにきれいな格好をしてる時は特に」

「あー…… まあいいや。ありがとエッタ! ほら、クラエスの紅茶ケーキ食べてみなよ。これって新しく編み出したレシピなんだって!」

「ねえちょっと…… 気が変わるの早すぎでしょ」 クラエスが納得できずに、横目でトリエラを睨み付けた。

 ヘンリエッタはお構いなしに、ケーキを楽しみ始めた。「トリエラ、ナポリはどうだった?」

「ナポリは、えーと…… そうだな…… なんていうか……」
 トリエラの頭の中でその時、真剣なディベートが始まった――ヘンリエッタに真実を告げるべきか否かの。真実とは、トリエラ自身の命が尽きかけていることだ。残された運命は、か細い灯のように儚く消えゆくのを静かに待つか、敵前に身を投げ出して激しく燃え尽きるかの選択しかない。受け入れたこととはいえ、知らず歯軋りが鳴る。

 クラエスはそんな親友の心労に気付いていた。数年の共同生活を経て彼女は、トリエラの胸中の葛藤から漏れ出る微かなヒントを見極めることができるようになっていた。例えば、僅かばかりだけ現れる表情の変化。逸らされる目線。テーブルの下で硬く握り締められた、震える拳。トリエラはちっとも顔色を変えずに自身のストレスを隠すことができるが、それでもこの敏いルームメイトを騙すことはできない――敢えてクラエスは表面上の不干渉を貫いていたが。その代わり彼女は、調子だけ冷淡を装ってお茶を口に運びつつ、さりげなく見守った。ヘンリエッタの闖入によって邪魔されたトリエラが、再び葛藤を露呈し、もう一度自分から悩みを告白する気になるのを、興味深く待っていた。

 唐突に、トリエラの表情が明るく反転した。彼女が微笑んだ。「ナポリはすっごく楽しかったよ! 実はね…… はじめてキスしちゃった」

 ヘンリエッタがまず息を呑んで固まり、次いで驚愕に打ちのめされ、瞬間後には興奮の悲鳴を上げて、トリエラを質問攻めにし始めた。糖分と感嘆を燃料に突っ走り始めたヘンリエッタはまさに怒涛だ。

 一方クラエスは、確かにこのニュースに驚きを覚えたものの――彼女には珍しく、滑稽なほど口をぽかんと開け、目を皿のように丸くし、持ち上げたティーカップからお茶を知らずのうちに全部夜着にぶちまけたりして、彼女一流の平静を完全に失ってはみたものの――それでもなお、心の底では失望を禁じえなかった。あなたがそう望むのなら仕方がないわ、トリエラ。まあ、また話す気になってくれるまで、待つしかないか……






「彼女をどう思う、ジャン?」 ロレンツォはいまだに後悔していた。ここまで下手を極める苦肉の策があっただろうか――知らず、語気が荒くなる。

 ジャンが答える――ロレンツォと同じくらい懐疑的に、しかしながら、この選択だけが彼らに残された唯一の手段であるとも確信しながら。「公社全体を見回しても、彼女ほど輝かしい実績を持った職員はいません。彼女は責任感があり、面倒見がよく、義体の中では最も成熟した視野の持ち主です」

「聞こえはいい。だが…… 二期生の中から選ぶべきではないのか?」 ロレンツォが疑問を投げかけた。本当は、今していることのすべてが疑問になっていた。

「申し上げますが、課長」 ジャンが反論した。「ほとんどの義体が持つ問題点ではありますが、特に二期生の振る舞いは、よくも悪くも年相応です。彼女は違います」

「随分熱心に肩を持つじゃないか」 ロレンツォは釘を刺した。

「彼女が義体でさえなかったら、私は正式な課員として仕事をオファーするでしょう」

「そこまで言うなら買い被りじゃないな。その自信は揺らがんのだな?」

「能力は言わずもがな、この試みの候補者として、まさに彼女はベストな選択だといえます」

「そうか」 課長は熟考した。熟考しても何も変わらなかったので、決断した。「分かった…… 早速、その試みとやらを始めるぞ」

「一つだけお知らせすることが」 ジャンの発する警告。

「何だ?」

「アンジェリカの例からすると、義体は寿命が迫るにつれ劣化していきます。医師は、トリエラにもまた、死期が迫っていると予測しています」

「本当なのか?」

「彼女に現れたいくつかの症状のことで、ヒルシャーからも報告を受けています」

 疲労の限界に達し、ロレンツォは椅子の背に力なくもたれかかった。そういえば、ここ何日か寝ていなかった――「そうだとしても」――眠い――「適任に変わりない。加えて、これは我々全員にとって興味深い実験にもなる。採用だ」

「了解しました」 ジャンが嘆息した。異論はなかった。僅かな間を置いたあと、ついにその鉄面皮の奥から、疲労が声になって僅かに流れ出した。「トリエラには明日、私から伝えます」




COSCA 第三章 就職面接




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