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ホテルの部屋は想像していたよりも狭かった。
 屋敷で使っていた物の半分ぐらいの大きさのベッド、こじんまりとした机と椅子。細長い部屋にはそれだけの家具でさえ窮屈に見える。
 清香はぼんやりとベッドに腰掛けると、そのまま、コテン、とベッドに横になった。
 …自分が何をしているのかわからない。本当だったら、自分は妹と一緒に河合という老人の家に行って、そこから実母が居るという実家に帰されるはずだった。
「なんで逃げたの… 私…?」
 清香は自問する。自分で自分の行動の意味がわからない。
 昼食にしようと河合が車を止め、河合と文が先んじて店に入ったとき、清香の目に母親に関するファイルが飛び込んできた。そして、バッグの中には三田から貰った百枚ほどの札束…
 気付いたときには、清香はファイルを掴んで走っていた。そして、そのまま目に付いたバスに飛び乗ると、たくさんの乗客に紛れて見事に逃げおおせてしまった。
「文ちゃん、心配しているかしら…?」
 バスの窓からは文の姿を見ることは出来なかったが、ほどなくして自分の携帯が文からの着信で鳴りっぱなしになった。取ろうにも取れず、清香は情けない気持ちで携帯の電源を切った。
 バスは終点のバス・ターミナルまで進み、そこで降りた清香は人ごみを避けるように駅前のシティホテルに飛び込んだのだった。
「これからどうしよう…」
 陰鬱な声で呟いた清香は、机の上に置いたファイルを目に留めた。のろのろとした動作で身を起こして机に座ると、ファイルの中身を取り出す。思えば、このファイルをじっくり読むのは初めてだ。
「深沢、か…」
 タイトルにも書かれたその苗字を言葉に出したが、清香は何の感慨も抱く事が出来ない。1ページ目から開いて読むと、そこには深沢未亜子という女性が家出をしたところからの歴史が綴ってあった。
「私たち、駆け落ちで生まれたのね…」
 順々に読んでいく。駆け落ちした事、子供が2人産まれた事、夫が死んだ事、そして、実家に連れ戻された事…
「あの人は、私のお祖母さんなんだ…」
 記憶の中にぼんやりとある、自分の手を引いて施設に預けた女性を清香は初めて知る事が出来た。だが、やはり何とも思わない。
 不思議な気持ちだった。読めば読むほどに、そのファイルは自分の出生をこれでもかと証明してくれる。本来ならば、拝んでも手に入れたい物のはずだ。
 なのに、清香にはそれが単なる情報としてしか伝わってこない。「ふ〜ん…」という酷くそっけない感想しか出てこない。
「薄情なのかしら、私…?」
 ファイルを最後まで読み終わって、清香はポツリと呟いた。
 このファイルはかなり最近のことまで調べ上げられていて、母親が自分たちのことを探し回っていることも記載されていたが、「見付からなくて良かった…」という感想しか出てこない。
「文が…」
 清香は呟く。
「文が居たから、居てくれたから… 私は頑張れた、頑張った… 頑張っちゃったんだよ、お母さん…」
 初めて口に出したその言葉に、やはり何の感慨も抱けず、清香は寂しそうにゆっくりと眼を閉じた。


「探しに行かないんですか…!?」
 三田から事情を聞いた瞳子は、そのまま三田に食って掛かった。三田は困った顔をすると、ゆっくりと首を振った。
「…今さら、どんな顔であの2人に会えというんです? 私には無理だ。清香のことは河合さんに任せましょう」
「そんな! 無責任過ぎやしませんか?」
「知れたことか…」
 虚脱した声で三田は呟いた。自分の手に余る事件が立て続けに起きて、彼はかなり参っていた。とにかく、今はウィスキーを飲んで何もかも忘れてしまいたい…
「清香には多少のお金を渡してあります。彼女は利発な娘だから、頭が冷えればきちんと連絡してくるでしょう… それに、母親の資料を持って行ったそうですから、個人で連絡をとるかもしれない…」
 それは、三田が自分に向けた言葉だった。言葉を重ね、楽観的に考える事で、無関心を必死に正当化しようとしていた。
 瞳子は敏感にそれを察した。だが、あえて三田を責めようとはしなかった。
「…敦さん、文ちゃんは直ぐに実家に帰るんですか?」
「いえ… 先方に連絡を取らなければなりませんから、しばらくは河合さんの家に滞在するはずです。ただ、そう長い間ではないでしょう」
「そうですか、わかりました」
 そこまで聞くと、瞳子はすっくと立ち上がって自分のバッグを肩に掛けた。
「…何をするつもりですか?」
「文ちゃんに会ってきます、確認したい事がありますから」
 瞳子のその言葉に、三田は驚いて首を振った。
「何を馬鹿な…! 文は貴女に危害を加えた本人なんですよ? それに、河合さんが許すはずが無い」
「当事者同士の話です。他人が口を挟むことではないと思います」
 やけに凛々しい声でそう宣言すると、瞳子はバッグから時刻表を取り出してしげしげと眺め始めた。
「…まだバスはあるし、特急もある… うん、今日中には着けるわね」
 納得するように頷いた瞳子に、三田はうんざりした声を掛けた。
「瞳子さん… これ以上引っ掻き回さないでください。貴女にその気は無いのだろうが、貴女の行動は周囲に迷惑を掛けているんです。どうか大人しくしていてください」
 三田にそう言われて瞳子は気まずそうに下を向いたが、やがて、きっ、と顔を上げると力強く言った。
「わかっています… でも、何とかしなきゃ、おさまらないんです」
 三田は両手を顔に当てて、軋むような唸り声を上げた。再び暴力的になりそうな自分を必死に抑えているのだ。
「……勝手にしやがれ、私は何が起ころうと知らん」
 歯と歯の間から息を吐くように三田が呟く。瞳子はそんな三田の様子に一瞬戸惑うような表情を見せたが、直ぐに思い直して深々と頭を下げると、「行ってきます!」という言葉を残してリビングから出て行った。
 一度も瞳子の方を向かずに、ドアの閉まる音で瞳子が出て行ったのを確認した三田は、苛立ちのあまりリビングの机を思いっきり蹴りつけた。
「クソ、もう終わった事なんだぞ… なにを頑張る、なぜ、頑張る…」
 どっかりとソファに腰を降ろした三田は、千々に乱れた心を落ち着かせようと深く深呼吸をしているうちに、いつしか自分がどこの選択肢を間違えたのか、一つ一つ数え始めていた…


「お腹、すいたな…」
 ベッドの上でまんじりともせずに居た清香が、ふと、そんなことを呟いた。
 そういえば、昼飯前に逃げ出したから、今朝以来、何も口にしていない。冷蔵庫にあったミネラルウォーターを飲んだから喉は渇いていないが、健康的な食生活を送ってきた清香にとって一食抜くのはかなりの苦痛だ。
「でも、今、外に出るのは…」
 ひょっとしたら、文や河合さんが外を走り回って自分を探しているかもしれない。そう考えると、外出するのは怖い。
 チラリと時計の針を見ると午後2時。まだ、逃げ出してから2時間程度しか経っていない。
「…そういえば、ルームサービスとかあるのかしら?」
 そのことに思い至って、清香が部屋の中に視線を走らせると、テレビの横にホテルの案内書が束になっているのを見付けた。
「ええと、ルームサービス、ルームサービス…」
 案内書を斜め読みしていくが、あいにくこのホテルにはルームサービスは無いようだった。
 しかし、案内書にはデリバリー・ピザのチラシも同封していて、どうやら部屋まで配達してくれるらしかった。
「ピザは太るんだけどな…」
 そう思いながらも、空腹には耐え兼ねない。注文を決めた清香は、部屋に備え付けの電話機を取り(携帯は文からの連絡が怖くて電源を落としてある)そこで、ハタと思い付く。
「そういえば、あのファイルには電話番号も載っていたんだっけ…」
 さっき読み終えたばかりのファイルには、母親の実家の電話番号も記載されていた。最近の調査なので、番号が変わっていることも無いだろう。
「掛けてみよう、かしら…」
 それは純粋な好奇心だった。何かを話したいとか、伝えたい気持ちがあるとか、そんなセンチメンタルな想いは無く、ただ、ひたすらに好奇心だけだった。
 持ち上げた受話器をいったん置き、ファイルを手元に手繰り寄せると、清香はそれを開いて目当ての電話番号を探し出した。丁寧な事に、勤め先、家の番号から、携帯番号まで載っている。
 清香は少しだけ逡巡するそぶりを見せたが、1回軽く息を吐くと、一つ一つゆっくりと電話のボタンをプッシュし始めた。

(何してるんだろ、私…)
 今さらになって胸がドキドキと鼓動を打ち始めた。それでも清香の指は自然と動き、ホテル外線含めて11桁の数字を打ち終えた。
 プルルルルルル… プルルルルルル…
 コールが1回、2回と回数を重ねていき、6回目を過ぎて清香が受話器を降ろそうとした時、出し抜けに、がちゃり、と音がして通信が繋がった。
「………!」
 やはり緊張していたらしい清香の背が、ピンと伸びる。また、これから先はノープランであった事にようやく気付き、冷や汗がだらだらと流れ始めた。
『はい、深沢です』
 電話口から意外と若い女性の声が流れ出た。ファイルには、母親は今年で36歳と書いてあった。そうすると、この電話口の女性が自分の母親なのだろうか?
『あの… どちらさまですか?』
 受話器を握り締めたまま何も話さない清香に、電話先の女性は怪訝そうな口調で誰何した。
(何か話さなきゃ… でも、何を話せばいいの?)
 清香の思考がぐるぐると回転する。緊張のあまり声を出す事も出来ない。
 そうこうしているうちに、電話先の声が苛々したものに変わっていった。
『何なんですか、イタズラ電話なら切りますよ!』
 その言葉に、清香は反射的に「あ、あの…!」と声を上げていた。
『…はい? どなたなんですか?』
「み、みあこ、さん、ですか…?」
 無理やり声を絞り出すと、電話口で女性――未亜子――が軽く息を飲むのがわかった。
『……そうですが、どちら様ですか?』
 あっさりと肯定したその言葉に、清香はまたも何も言えなくなってしまった。
(おかあ、さん、なんだ… この人は私のお母さんなんだ…)
 お母さん。その単語がぐるぐると清香の頭を駆け巡る。望んでなどは居ない、だが、それでも清香は胸の中に暖かい何かが灯るのを感じる。
『ふぅ… もう切りますよ。どこの誰だか知りませんけど、イタズ…』
 不意に電話口の声が止まった。電話先の母親の雰囲気が変わるのを感じる。
 …それは、肉親の勘なのだろうか。
『ねぇ… もしかして、清香?』
「…………っ!!」
 いきなりズバリと名前を呼ばれて、清香は驚いて息を飲んだ。
「あ、の…」
『清香、清香なんでしょう!?』
 何がそう確信させるのか、未亜子は必死に清香の名前を連呼した。清香はもう訳がわからなくなって、「あの、あの…」とおろおろと呟くばかりだ。
『ねぇ、もっと声を聞かせて頂戴! やっぱり生きていたのね! 文は、文は居ないの? お願い、もっと声を出して! お母さんに声を聞かせて!』
 切羽詰った未亜子の声に押されるように、清香はたまらず「お、お母さん…」と声に出して呟いてしまった。
『! やっぱり清香!? 今、どこに居るの? お母さん、直ぐに迎えに行くから!! ねぇ、場所を教えて!』
 次第に興奮していく母親の声に、清香はどんどんと冷静さを失っていった。
(だめ… もう無理…)
 これ以上母親の声を聞いていると、何かとんでもない事を口走りそうだ。
「ご、ごめんなさい!!」
『ま、待って!!』
 必死に止めようとする未亜子の声を振り切って、清香は叩きつけるように受話器を電話機に戻した。
 肩で荒い息を吐く。猛烈な喉の渇きを感じて、手元にあったペットボトルを一気に呷ってから、清香はようやく一心地ついた。
「…私は、なんて親不孝な娘なんだ…」
 ただ、それだけの事実が重く清香にのしかかった。

「こんにちは、最近お1人なんですね」
 姉妹も瞳子も屋敷から去って数日後。当たり前だが誰も食料品を補充してはくれなくなったので、三田は1年前と同じく1人でハローグッドに来店していた。
 いつもはさっさと買い物を済ませて帰るのだが、今日は珍しい事にサービスマネージャーが声を掛けてきた。
「ええ、まあ…」
 あまり深い事情を説明したくない三田は、言葉を濁して立ち去ろうとしたが、次の一言で身体が固まってしまった。
「あの2人、実家にでも帰っちゃったんですか?」
 ビクリ、と三田の身体が震えた。
 わざとらしく咳払いをすると、何でも無い風を装って三田が答える。
「失礼、勘違いをしておられるようですが、あの姉妹の実家はウチでして。姉が2人を残して…」
「ああ、そこら辺は清香ちゃんに聞きました」
「でしたら…」
「でも、嘘ですよね?」
 あまりにもあっさりと断言されて、三田は返す言葉が見付からず押し黙った。すると、サービスマネージャーは何を思ったのか驚いた表情を浮かべた。
「あのぉ…」
「…は?」
「もしかして、バレてないと思ってました?」
 何の事だ、と思考するよりも早く、それが三田と姉妹との関係だと三田は理解した。理解した途端、身体が硬直して眉根が寄る。
「あっ、すみません… 失礼しました、私はこれで…」
 明らかに『まずい事を言った…』という風の表情でサービスマネージャーが立ち去ろうとするのを、三田は慌てて「待ってください!」と呼び止めた。
「すみません、こちらも失礼なことを言うようですが… 何かお調べになりましたか?」
 姉妹の身元に関しては充分に偽装を施したはずだし、店内でも特に妖しい行動を取ったつもりの無い三田は、思わずそう尋ねてしまった。
「へ…? いえいえ! そんな失礼な事してませんよ!」
 客商売ならではの敏感さで、サービスマネージャーは慌てて首を振った。表情に失言に対する後悔がありありと浮かんでいる。
「では、なぜ…?」
 三田が眉根を寄せて唸るように呟く。
 本当なら、強引にも会話を打ち切って業務に戻りたかったが、どうにも三田の表情からは何かのっぴきならない事情を感じる。サービスマネージャーは軽くため息を吐くと、覚悟を決めて話し始めた。
「あー、特に証拠があったわけじゃないんですけど… 今年に入ってからぐらいから、明らかに清香ちゃんの態度が変わっていましたし、それでピンと来たんです」
「態度が、変わっていた…?」
 自分では特に気付いていなかった三田が尋ねた。確かに、年明けから清香の性格は大分変わったとは思うが、それが態度になって現れているとは思わない。
「はい、ぶっちゃけ言うと、恋する乙女の目、です」
「……は?」
 正直、三田にはさっぱりわからない。清香が何か妙な目付きをしていたのだろうか?
「こういうのは当事者にはわからないかもしれませんが、店内での行動全てに、何と言うか、『愛』を感じるんですよ、あの娘から、三田さんに向けての」
「愛…」
「はい、それに春過ぎぐらいからは、ラブラブなオーラがダダ漏れだったので、ああ、こりゃ普通の叔父・姪の関係じゃない、と思ったんです」
「………」
 もはや三田は絶句するしかない。今でも自分は冷めている方だと思っているから、彼女のセリフは信じがたかった。

「あのー、確認したいんですけど… 間違って、ませんよね…?」
 恐る恐るサービスマネージャーが尋ねる。つい調子に乗って余計な事を言ったが、仮にも相手は大株主なのだから、早くも後悔の波が襲ってきたのだ。
 その声にようやく硬直が解けた三田は、チラリとサービスマネージャーを見ると、大きくため息を吐き、「ええ、まあ…」と答えた。
「あ、あははは… いやー、何と言うか、昼ドラ展開と言うか… すみません…」
 もういい加減退散しようと、頭を下げてサービスマネージャーが立ち去ろうとすると、再び三田が「待ってください」と彼女を呼び止めた。
「まだ、なにか…?」
 泣きそうになりがら返事をする彼女に、三田は以外な質問をした。
「そんなに、幸せそうでしたか?」
「…は?」
「私たちがです。私と、清香と文が…」
 その声がとてつもなく真剣だったため、サービスマネージャーも真剣に答えた。
「はい、それはもう… 私は彼女たちが始めてこのお店に来たときも覚えています。それから比べたら、人間、ここまで幸せになれるもんだと感心しました。本当に、凄いと思います」
 その言葉に――彼にしては本当に珍しく――三田は柔らかい微笑みで返した。そして、サービスマネージャーに向き直ると軽く頭を下げる。
「ありがとうございます、あの2人を良く見ていて下さって。あなたの言葉で目が覚めました、どうも私は自信を失っていたようだ」
「は、はぁ…?」
 いきなり理解の外の話を聞かされ、サービスマネージャーは曖昧に頷いた。
「情けない事に、私は彼女たちを守るのではなく、捨てようとしていたらしい」
 なぜか三田は興奮しているらしく、声に熱っぽい響きが込められている。
「しかも、自分のエゴから始めた事に何の責任も取らずにです。何と情けない…」
 三田は悟った、自分は単に責任を取らずに居たかっただけなのだと。
 文の行為はきっかけに過ぎない。大事なのはその後なのだ。
「遅かれ早かれ、露見するのは目に見えていました。そう、貴女があっさり見破っていたように。しかし、状況に甘えていた私は、その事実に直面して安易な責任逃れをしてしまった。本当に情けない…」
 悔恨の念を込めて三田が呟く。
「もっと信じればよかった、あの娘たちとの絆を…」
「あ、あのー、何かあったんでしょうか…?」
 三田の話に全く着いて行けず、サービスマネージャーが尋ねた。どうにもヤバイ方向に話が進んでいる気がする。
「お察しの通り、あれは姪ではなく、私とは血のつながりの無い他人です」
「ま、まぁ、そうだろうとは…」
「ですが、今はその関係に感謝しなければならないようです。これまでに犯した行為に、責任を取ります」
 その言葉に、今度はサービスマネージャーが固まった。
「今は色々と回り道をしていますが、きっと連れ戻します。それでは…」
 妙に自信のある口調でそう言うと、三田は会釈をして立ち去った。心なしか足取りが軽い気がする。
 1人取り残されたサービスマネージャーは、三田が最後に残した言葉に絶句していた。
「え゛… そんな関係だったの…?」
 呆然と呟く。
「てっきり、ファザコンぎみの清い恋愛だと思ってた……」
 店長やファンクラブの面々が知ったら卒倒するな… と彼女は知ってしまった事実をしっかりと胸の内に仕舞いこんだ。


 夕暮れ、一軒家の玄関先に一台のタクシーが止まった。中から降りてきたのは瞳子だ。
 三田の屋敷から河合の家へ。バスと電車とタクシーとを乗り継いでやって来たおかげで、辺りはもう真っ暗になっている。
「………よし!」
 1つ気合を入れると、瞳子は押しなれたチャイムを思い切って押した。
 ジリジリジリジリ… と今時珍しいチャイムが鳴ると、数分の後に玄関のドアが開き河合が出てきた。
「ああ、やっぱり来たのかね… まあ、お上がんなさい…」
 力ない声で河合が言う。
 どうも清香失踪に関して責任を感じているようで、瞳子がこれまで見たことの位の落ち込み様だ。
「お邪魔します」
 勝手知ったる家だから遠慮なく上がると、ちらりと河合を見る。河合はひょいと肩を竦ませると、視線で居間を示した。瞳子は静かに頷くと、床を鳴らして居間に向かった。
 瞳子が居間に入ると、そこには力なく足を投げ出して座り、微動だにしない文が居た。その片手には携帯電話が握られていて、繰り返し何度も電話を掛けていたことが窺えた。
「…文、ちゃん」
 瞳子が躊躇いがちに声を掛けると、文の身体が、ビクッ、と痙攣して顔が瞳子を向いた。視界に瞳子が入ると、伏せがちだった両目が大きく開かれた。
「あ、あ、とうこ、さん…」
 明らかに狼狽した表情で文が呟く。瞳子もどう答えて良いかわからず突っ立っていると、文が沈黙に耐えかねるように涙を流し始めた。
「うっ、うっ、うっ…」
「ああ、な、泣かないで…!」
 瞳子は急いで文に駆け寄ると、膝を付いて文の頭を胸に抱き寄せた。
「ごめ、ヒック、ごめんな、さい…」
 しゃっくりを上げながら文が謝罪の言葉を口にした。
「ひどいことして… ごめんなさい…」
 元より瞳子はあまり気にしていなかったが、ちゃんと受け止めた方が文のためだと感じ、文の顔を正面に向けてしっかりと見詰めると、瞳子はゆっくりと頷いた。
「いけない事をしたって、ちゃんとわかっている?」
「…はい」
「もう2度としない?」
「…はい」
 瞳子の問いに、文は1つ1つ頷きながら答えた。
 瞳子はもう一度文を胸に抱くと、大きな声で「はぁぁぁぁ…」とため息を吐いた。慣れないことをしてどっと疲れてしまった。
「と、瞳子さん…?」
 突然ため息を吐いた瞳子に驚いて文が言うと、瞳子は「ハハ…」と乾いた笑みを漏らした。
「なんだか、初めてまともに会話した気がするね…」
「あ… ごめんない…」
「もう! なんで謝るの?」
 瞳子は笑って文の頭を、いーこいーこ、と撫ぜた。文の疲れきった身体には、その優しさが何より嬉しかった。


「あの、どうして会いにきてくれたんですか…?」
 ようやく落ち着いて2人してテーブルに座りなおすと、文が躊躇いがちに訊いた。
「うん… まずは、文ちゃんと仲直りしたかったから… 嫌われてなくてホッとしたわ」
「そ、それは! …それは、私だって」
 文が慌てて言う。思えば、瞳子のことはお邪魔虫としか捉えてなくて、実際に瞳子がどんな人なのかは全く頭に入っていなかった。優しく接してくれたことで、文は自然に心を開くことができたようだ。
「それと、ね…」
 瞳子は話を区切るように眼を泳がせると、いったん眼鏡を取って眼鏡拭きで綺麗に拭うと、改めて掛けなおして文を見た。
「それと、あなたたち姉妹がどんな1年を送ってきたか知りたいの」
「………!」
 文はびっくりして背筋を伸ばした。
 それは、同級生にも誰にも話していないことだ。姉妹と三田とだけの秘密。軽々しく話せるものではない。
「それは… ごめんなさい…」
 断るのを予想していたのか、瞳子は文の手を握ると「ねぇ、文ちゃん」と語りかけた。
「私ね、自分があなた達にどれだけ酷い事をしたのか、文ちゃんに襲われてようやくわかったの。だから、罪滅ぼしがしたい、清香ちゃんを探すのを手伝ってあげたいの。
 でも、私はあなた達のことをほとんど知らないから… ね、お願い?」
 瞳子は一生懸命言ったが、文の困った顔は崩れない。
「大丈夫。ここでの話しは全部ナイショにするから。河合さんに聞かれたって絶対に言わないわ」
 河合には事前に「2人きりで話をさせて下さい」と念入りに言ってある。初めは渋った河合だが、電話口での瞳子の迫力に押し切られてしまった。
「誰にも… 話さないでくれますか…?」
 ようやく、と言った風に文が口を開いた。文としても、誰かにぶちまけたい気持ちが常にあった。特に今は清香が居ないから、誰かに縋りたいという気持ちが強かった。
「うん、約束するわ」
 瞳子は真剣な顔付きで頷いた。そして、油断無く辺りを見回すと、突然居間のドアを開いた。
 ドアの外で、所在無さげに河合が立っていた。
 河合はバツの悪そうな顔を浮かべると、手に持ったジュースの缶を瞳子に押し付けて去って行った。
「…もう大丈夫かしら? そうね、念のためにおフロに行きましょう」
 真顔でそう言う瞳子がなぜか可笑しくて、文は、ようやく笑う事が出来た。

 ヴゥゥゥ… ヴゥゥゥ…
 パソコンの画面を真剣な表情で睨んでいた三田の耳に、携帯電話のバイブ音が響いた。柱時計をチラリと見やると、作業を開始してから4時間は経過している。
「…久しぶりに集中できたな」
 1人呟くと、三田は携帯電話を手に取った。着信番号は見慣れないものだった。
「まさか…な」
 ほんの少しの期待を込めて携帯電話を耳に当てると、流れ出たのは瞳子の声だった。
『もしもし、敦さんですか…? 瞳子です』
「…ああ、はい、そうです。この番号は河合さんから?」
『あ、はい…』
(ん…?)
 電話先の瞳子の声に何か強い違和感を感じる。なぜか緊張感が伝わってくるのだ。
「どうかしましたか? 文とは会えましたか?」
『はい… 仲直りできました。その、それで、色々と話し合えたんですが…』
 そこまで聞いて、三田は(ああ、なるほど…)と理解した。瞳子は事実を知ったのだ。
「つまり、色々とお聞きになったわけですね。あの姉妹がこの屋敷でどういう生活を送ってきたかを」
『…はい』
 三田は「ふぅ…」とため息を吐いた。ある程度予感はしていたから驚きは無い。
「では、さぞかし軽蔑なさったことでしょう?」
『そ、それは!』
 瞳子は一瞬口を濁したが、やがて諦めるように素直に答えた
『………はい、その通りです。汚らわしいと感じました。普通じゃありません…』
 瞳子の声は重く沈んでいる。文から聞いた話は、それぐらい瞳子の想像・理解の範疇を超えていた。
『敦さんがあの娘にした行為の“痕”も直に見ました。幼い娘の身体を、あんなふうに作り変えてしまうなんて… ショックでした…』
 三田は、恐らくこれから投げかけられるであろう罵声を予想して、心に覚悟を決めた。
 しかし、聞こえてきたのは意外な言葉だった。
『でも、でもですね… あの娘、幸せそうに笑うんです…』
 それは、いったいどんな感情なのだろうか。瞳子の声には、確かな敗北感が漂っていた。
『笑って、嬉しかったって言うんです… 最初は洗脳だと思いました。薬かなにかで強制的に従わせているのではないかと思いました。…でも、違いました。あの娘は本気で幸せそうでした…』
 言葉の長さとは裏腹に、瞳子の声がどんどんと力を失って行く。
『だから、気付きました… あれが敦さんの愛し方なんですね…』
 三田は肩の力を抜くと、「はい、そうです」と答えた。
「それに気付かせてくれたのは、清香でした。私はそれまで、単に自分の欲望を発散させているだけだと思っていました。
 しかし、彼女はそれを愛だと言ってくれました。そして清香と文は、私の行為の全てを受け止めてくれたんです。正直に言って、救われました…」
 三田は自分の正直な気持ちを告げた。そしてそれは、瞳子にとってトドメとなる言葉だった。
『そう、ですか… そうなんですね…』
 言い終えると、瞳子は電話先で深いため息を吐いた。
『では、三田さんにはやらなければならない事があると思います』
「はい、責任を取ります。他人に押し付ける形ではなくて、自分自身の手で」
 三田はきっぱりと言い切った。その言葉に安心したのか、瞳子はホッとした息を漏らした。
『河合のおじいちゃんは、明日にも文ちゃんを連れて行くつもりみたいですが、大丈夫ですか?』
「連絡先を教えたのは私です。文は母親に会いたい様子でしたから、しばらくは実家で暮らすのもいいでしょう」
『清香ちゃんは、どうします?』
「そちらはこちらで。ですが、まだ清香と会うつもりはありません」
『それは、どういう…』
 三田の言葉の意味を計りかねたのか、瞳子が押し黙った。
「瞳子さん、清香のことは私に任せていただけますか? あの娘も少し1人で悩んだ方が良いのかも知れません」
『そうなんですか?』
「断言は出来ません。しかし、気持ちを整理する時間が必要なはずです」
 言葉とは裏腹に、三田の声は自信に満ちていた。
『わかりました、三田さんを信じます』
「はい。…瞳子さん」
『なんでしょう?』
「全てが終わったら、また遊びに来てください。そして、来年はみんなで墓参りに行きましょう」
 数瞬の後、微笑むように柔らかい声が携帯電話から響いた。
『はい、喜んで…』


「お、おお、おおおおおおおおおおっ!!」
 轟音を上げて地方空港の滑走路に飛行機が着陸した。操縦者の腕があまり良くないのか、機体が2、3度バウンドするように上下する。
 飛行機に乗るのがこれが初めての文は、身体全体に響く衝撃に驚きの声を上げた。
「ゆ、ゆ、ゆ、揺れるんだねっ! 飛行機って!」
 内心の動揺を必死に抑えながら文が言うと、隣に座っている瞳子がクスリと笑みを漏らした。
「そりゃあ、ね。でも、今時そんなに飛行機で驚く娘も珍しいかも」
 機内アナウンスに従ってシートベルトを外すと、瞳子は席から立って頭上の収納棚から荷物を取り出した。
 河合宅で文と瞳子が再会してから3日が経過していた。その間に、河合は文の実家に連絡して、おおよその事情を説明していた。
 予想はしていたが、突然の連絡に文の実家は大騒ぎになったらしく、なかなか信じてはもらえなかった。
 だが、河合が持つ公的な身分を示したことでようやく信用してもらい、とりあえず顔を会わせようということで、文の実家のある地方都市まで行く事となった。
 本当は河合が付いて行く予定だったが、本来の仕事が忙しくて予定が合わず、そのため瞳子が立候補したのだった。
「だって、飛ぶし、揺れるし、沈むし…」
 文が口を尖らせて文句を言った。
 仲直りから数日しか経っていないが、その間ずっと行動を共にしていたため、2人はこれまでよりずっと仲良くなっていた。
「それが普通です。さ、降りよう」
「う、うん…」
 瞳子に促されて、文がぎこちなく頷いた。
 母親に会いたいという気持ちは強いのだが、突然の再会にかなり緊張しているようだ。
「も、もう着いてるかな…?」
「多分ね。飛行機に乗る前に電話したときは、これから飛行場に向かうって仰ってたけど、それだとずいぶん前に着いているんじゃないかしら?」
「えと、その、おかあさん、が…?」
「うん、そう」
 短く答えて瞳子は緊張をほぐすように文の頭を数度、ぽんぽん、と叩いた。
「緊張しなくても大丈夫よ。文のお母さん、ものすごく楽しみにしているみたいだから」
「そ、そうなんだ…」
 実のところ、文はまだ母親とは会話を交わしていない。何度か電話で話す機会は有ったのだが、恥ずかしさが先に立ち、どうしても会話をする事ができないのだ。
「始めは不安だと思うだろうけど、私も数日はご厄介になるつもりだから、元気出していこう! ね?」
 文は覚悟を決めたようにしっかりと頷いた。

 手荷物受取所で荷物を受け取ってエントランスをくぐると、到着ロビーは閑散としていた。
 それだけに、長時間待っていたのであろう、女性の姿はすぐに見つけることができた。
「あ、ちょっと文ちゃん…」
 ロビーに出た瞬間、やはり羞恥心が先にたったのか、文は瞳子の影に隠れるように後ろに回った。
 ロビーのソファに座っていた女性は、二人の姿に驚いて立ち上がったものの、文のその行動に機先を制されて立ちすくんだ。
 年恰好から見ても、あの女性が文の母親なのだろう。悄然と立ち尽くす母親の姿を見て、瞳子はかなり不憫に思った。これでは文が嫌がっているように思われても仕方がない。
「もう…」
 瞳子は少しだけ頬を膨らませると、文の両肩をつかんで強引に前に立たせた。
「と、瞳子おねえちゃん…」
「大丈夫だから…」
 瞳子はそう声を掛けると、促すように正面に立ち尽くす女性に会釈した。だが、女性は戸惑うように動かない。
 そんな様子に、文は気まずくなって視線を落とした。
「むう…!!」
 これでは埒が明かないと、瞳子は文の両脇に手を差し込んで、ひょい、と持ち上げた。
「え、ちょ、ちょっと…!」
「………」
 文の抗議を黙殺して、瞳子は女性の目の前まで文を運ぶと、強引に上を向かせた。
「はい!」
 瞳子の行動に双方とも大いに戸惑ったようだが、やがて女性が視線を文に定めると、2、3度深呼吸して「あの…」と声をかけた。
「ひゃ、ひゃい!」
 文はカチンコチンに緊張してしまい、思わず声が裏返ってしまった。
「文、ですか…?」
 女性が恐る恐る言った。文が震えながら頷くと、瞳子が「ほら、ちゃんと言う」と叱った。
「は、はい… 文です…」
「香田、文さん?」
「はい、香田文です…」
「………そう」
 呟くと、女性――深沢未亜子――は視線を落として顔を両手で覆った。その肩が小さく震えている。
「ええと…」
 文がどうしていいかわからず焦っていると、未亜子はやおら両手を広げて文をその胸に抱き締めた。
「あ……」
 驚いた文は身もだえしたが、なぜか不思議な充足感を感じて大人しくなった。
(何でだろう… 旦那さまとおんなじ感じ…)
 見上げる文の頬に水滴が落ちた。見れば未亜子が涙を流している。その涙がなんだかとても嬉しくて、だのにどうしてか心が苦しくて、文も、知らず知らずのうちに涙を流してた…


「飛行機で疲れたでしょう。とりあえずあがって休んでちょうだい」
 未亜子が運転する車で深沢邸に到着すると、文と瞳子は勧められた日本間に落ち着いた。
 まず驚いたのは深沢邸の広さだった。三田の屋敷も大概広いが、深沢邸もそれに匹敵するほどの広さだった。
 ただ、三田の屋敷と違って手入れが行き届いてないのか、部屋は小奇麗にしてあるが、庭の草木などはまったく手が入っておらず伸び放題になっており、歩いた廊下もぎしぎしと音がなった。
「ええと、お金持ち、なんだっけ…?」
 文が思わず瞳子に尋ねると、瞳子は「う〜ん…」と首を捻った。
「実を言うと、私もあんまり詳しく知らないの… 河合さんや三田さんは詳しい事知っているみたいだけど…」
 出発前に色々と河合から教えられはしたが、それも文たち母子が別れる経緯だけで、現在の未亜子の暮らしは何も聞いていなかった。
 そうやって2人で首を捻っていると、飲み物をもった未亜子がやってきた。
「ごめんなさい、何の準備も出来てなくて、お茶しかないのだけれど…」
 未亜子はカップに2つをテーブルに載せると、申し訳なさそうに笑った。
「い、いえ、お構いなく…!」
 文が思わずピンと背筋を伸ばして返事をした。いつの間にか正座をしている。
「ね、ねぇ、正座なんかしないで。ここはあなたの部屋なんだから…」
 未亜子が困ったように言うと、おずおずと文が足を崩した。そして、ゆっくりと部屋を見回した。
「文の、部屋…?」
 不思議そうに呟くと、未亜子が力強く頷いた。
「そうよ、必要なものがあったら言ってちょうだい」
「う、うん… でも、今まで使ってたものがあるから…」
 文が遠慮するように声を掛けると、未亜子は渋々といった感で頷いた。
「わかったわ。でも、これからはうちの娘なんだから、必要な物があったら遠慮なく言うのよ」
 未亜子が母親らしい落ち着いた声で言った。その優しい響きに、文の顔に小さい笑顔が浮かんだ。
「う、うん… お母さん…」
 意識して発した言葉だろうが、文の一言で未亜子はまたも感極まったようで、鼻をグスグス鳴らしながらしっかと文を抱きしめた。
「本当、夢じゃないのね…」
 しばらく抱擁を続けて、ようやくといった感じで文を離すと、未亜子は瞳子に向き直って深々と頭を下げた。
「本当に、娘を見つけてくださってありがとうございます! 何とお礼を言ってよいものか…」
「い、いいえ!」
 まさか、頭を下げられるとは思っていなかったので、瞳子は大いに慌てた。
「あ、文ちゃんを引き取ったのは私じゃありませんし… その… 恨んでらっしゃらないんですか?」
 未亜子には、三田が旅行中ニアミスした姉妹を隠匿した話が伝わっているはずだ。恨み言の一言ぐらいは言われるだろうと思っていた。
「…本音を言いますと、どうしてあの時に真実を明かしてくれなかったのかと、恨みもしました。しかし、こうして文が戻ってきてくれたのですから…」
 口調はしっかりとしていたが、未亜子の表情は沈んでいた。その原因に思い至って、瞳子は未亜子に頭を下げた。

「…清香ちゃんがここに居ないのは、こちらの不手際です。申し訳有りません」
 深々と頭を下げる瞳子に、未亜子はゆっくり首を振って答えた。
「いいえ… 文がこの家にいるのですから、姉の清香も遠からずこの家に来てくれる。きっとそうだと信じています。それに…」
 未亜子はいったん口篭もると、思い出すように言葉を連ねた。
「それにですね、数日前なんですが、清香からかもしれない電話があったんです」
 その言葉に、瞳子と文は驚いて顔を見合わせた。
「ほ、本当ですか!?」
「ええ、はっきりとそうだと確信したわけではありませんが、妙な無言電話があったんです」
 そう言って、未亜子は「お母さん」と言葉を残して切れた電話の事を話した。
「お姉ちゃんかも…」
 電話のあった日時を考えて文が呟いた。それはちょうど清香が失踪した日だ。
「まだ、電話は通じないの?」
 瞳子が尋ねると、文は、ふるふる、と首を振った。
「ずっと電源切れてる」
「そっか… それじゃ、どこかの公衆電話から掛けたのかもね…」
 瞳子が思い悩むように眉根を寄せた。誰かに似ている。
 しばらく無言の時が流れたが、瞳子が「あ、そうだ!」と声を上げた。
「あの、未亜子さん、厚かましいのは承知の上なんですが…」
「はい、なんでしょう?」
「文ちゃんが落ち着くまで、私もこちらにご厄介になってもいいでしょうか?」
 瞳子がそう言うと、未亜子はとてもとても複雑な表情になった。
「あ、やはりご迷惑でしたか…?」
「い、いえ、私は構わないんですが…」
 未亜子の口調がどうにも歯切れが悪い。
「その… 母が、ですね…」
 と、未亜子が言いかけた瞬間、部屋を区切る襖が勢い良く開かれて、ピシャリ、という音がした。
「え…?」
 文が驚いて振り返ると、そこには見事な白髪の老婆が立っていた…

 フロントからホテルの清算を求められて、清香はベッドに倒していた身体をのろのろと起こした。
 この数日はほとんど外出してない。食事はルームサービスで済ましていたし、数回着替えを買いにコンビニエンスストアに行ったきりだ。
 何もやる気が起きない。これまでの人生、こんな時間は一度も無かった。毎日、何かしら、やらなければならないことばかりで、何も出来ない時間などはなかった。
「お金…」
 ボーっとしたまま、ハンドバッグの中の封筒を確かめる。無造作につっこまれた札束は、数えてみたら100枚ほどあった。
 清香は何も考えずに部屋を出ると、エレベータに乗ってフロントに向かった。まだ若い20台前半らしいホテルマンに滞在の延長を告げると、ホテル従業員らしく柔和な笑顔で答えた。
「あ、香田さまですね。延長は大丈夫ですが、これまでの清算をお願いします。」
 ホテルマンは正面に向いているパソコンを操作した。
「では、合計で24,000円になります」
 ホテルマンが受け皿を清香に向けると、清香はハンドバックから封筒を取り出しすと、無造作にそこから紙幣を3枚抜き取って受け皿に置いた。その仕草にホテルマンは目を丸くした。
「あ、あの…」
「はい?」
 躊躇いがちに尋ねるホテルマンに、清香は首を傾げて返した。
「厚かましいかと思いますが、あまり大量の現金を持ち歩かないほうがよろしいですよ? よろしければフロントでお預かりしますが?」
 そう言われて、清香は急に不安になって封筒を、バッ、と胸に抱いた。
「あ、いえ…」
 あまりの清香の行動にホテルマンは苦笑して頭を掻いた。
「あ、すみません… そうですね、お願いします…」
 耳まで真っ赤にしながら、清香は少し悩んで紙幣を10枚抜き取って財布に入れた。
「それじゃ、これをお願いします…」
 おずおずと封筒を差し出すと、ホテルマンが「はい、確かに」としっかりと受け取り、セイフティボックスに入れて鍵を差し出した。
「どうぞ。鍵のスペアはありませんので、無くさないようにしてください」
 鍵を受け取ると清香は神妙に頷いて大事そうに服のポケットに仕舞った。
「ご旅行か、何かですか?」
「えと、はい…」
「お1人で?」
「はい…」
 違う話をされて清香は戸惑いながら頷いた。するとホテルマンが声を潜めて囁いた。
「あの、迷惑じゃなけりゃこの街を案内しましょうか? これから、俺、上がりなんですよ」
 突然親しげに話しかけられて、清香はびっくりして背筋を伸ばした。
「い、いえ、結構ですよ…」
 清香はようやく自分がナンパされていると気付いた。
「そう言わないで。じゃあ、せめて夕食ぐらい…」
「いえ! いいです! すいません、すいません!!」
 なにやら訳がわからなくなって清香は何度も頭を下げると、ばたばたとロビーからホテルの外へ逃げ出すように飛び出した。


「び、びっくりした…」
 最近では色々と声を掛けられることが多くなったといえ、ああもストレートにナンパされるのは流石に慣れていない。
「ふぅ、慌てて飛び出しちゃったけど…」
 1度、2度と深呼吸をして息を整える。慌てた心臓はまだ鼓動を打っているが、そのおかげで陰鬱だった気分が少し晴れた気がした。
「どうしようかな…」
 今ホテルに戻って、あのホテルマンと顔を合わせるのは気まずい。落ち着いて辺りを見渡すと、そこは駅前と言う事もあり人で溢れていた。
「折角だし、ちょっと散歩してみようかしら」
 この街は旅行の時に立ち寄った程度で、あまり詳しくは知らない。純粋な好奇心から、清香は少しぶらついてみようと思った。
 清香は近くのコンビニの化粧室に入ると、寝起きの顔をしっかりと整え、長い髪を綺麗に直した。
 今日の格好は夏らしい白いブラウスに膝までのスカートだ。地味ではないが、派手でも無く周囲に埋没する格好だと思えた。
「パンツも… 穿いてる」
 三田の庇護下ならいくらでも悪ノリできる清香だが、流石に今の状況ではノーパンで過ごす度胸はない。久々にブラジャーもしているので、違和感はバリバリだが。
「これなら、声を掛けられても大丈夫…」
 まさかの事態を考えて、清香は小さく頷くとコンビニを後にした。
 夏の日差しがアスファルトに照りつける街は、暑い。しばらく歩を進めた清香は、そのあまりの暑さに直ぐギブアップした。
「だ、だめだ… 暑いわ…」
 少し歩いただけなのに頭がくらくらする。良く見れば道行く人の大半は帽子を被っている。
「どこかに入らないと…」
 きょろきょろと辺りを見回す清香の目に、巨大な天蓋が目に付いた。この街名物のアーケードだ。
「あそこにしよう…」
 ふらふらと揺れながら清香がアーケードの中に入る。内部は勿論冷房が効いているわけではないが、陽射しが遮られている分、かなり過ごしやすい。
「すごい、人…」
 夏休みだからなのだろう、アーケードは若者でごった返していた。
 最初は身を屈めるようにこそこそと歩いていた清香だが、やはり年頃の女の子らしく、気になるファンシーショップや洋服店を見つけて回って行くうちに、次第に足取りも軽くなっていった。
「コレなんかどうです?」
 ためしに入った洋服店で洋服を勧められ、清香が試着室で着替えて出てくると、勧めた女性店員が目を丸くするのがわかった。
「すごい、何ていうか、よくお似合いですよ、お客様…」
 店員が勧めたのはへプラムのシャツとハーフパンツで、スレンダーな清香の体型によくマッチしていた。
 普段は身体の線があまり出ない服ばかりを着ているから(当然、文と対比されるのが嫌だからだ)、こういう服を着るのは新鮮だった。
 しかし、心配な点もある。
「けど、こういうカワイイ系の服は、私はあまり…」
「何言ってるんですか! お客様すごく可愛いですよ!」
 何故か興奮ぎみの女性店員が断言する。その迫力に押されながらも、清香は「そうかなぁ…」と首を傾げた。
「いえいえ、お客様美人系の顔してらっしゃいますが、カワイイ服もバッチリ似合いますよ。コレ、全然お世辞じゃないです」
 店員があまりにも熱っぽく語るから、清香のほうもまんざらでも無くなってきた。特に、この数日は自己嫌悪と躁鬱の繰り返しだったから、他人から褒められる事が素直に嬉しかった。
「じゃ、じゃあ、コレ、買っちゃおうかな…」
「ありがとうございます!」
 店員が深々とお辞儀してから電卓を叩き始める。いったんは服を脱ごうかと考えた清香だったが、面倒なのと服を気に入った事もあってそのまま着ていくことにした。
 会計を済ませると、店員がお店のポイントカードと一緒に色んな割引券を渡してきた。
「えっと…」
「コレ、このアーケードにあるお店の割引券です。エステとかヘアサロンが一緒になった店なんで、良かったらどうぞ」
 そう言われて自分の髪を摘まんでしげしげと眺めてみる。ホテルの小さな浴室では充分に手入れが出来ないせいか、心なしか乱れて見える。
「行ってみようかな…」
 気が大きくなっているのを自覚しながらも、清香はそう呟いて笑った。

「ありがとうございましたー!」
 担当してくれた美容師とエステシャンに見送られて、清香は上機嫌で店を後にした。
「えへ、えへへへ…」
 文が見たら心底仰天しそうなくらい緩みきった笑顔だ。三田の前でもここまで蕩けた顔は晒した事は無い。それぐらいにエステは気持ちよかったし、美容師は散々清香の黒髪を褒めちぎった。
「美人さん、美人さんかー」
 元々、ハローグッドでファンクラブが出来るほどの器量持ちな清香だが、自分でそれを自覚した事など一度も無い。
 しかし、モデル体型の身体を見たエステシャンは何度も何度もため息をついて「お客様、女優かモデルになったらどうです?」と言うし、美容師はかなりヤバイ目付きで頼んでもいないヘアセットをサービスでしてくれた。
 そこまで言われると流石に清香も悪い気はしないし、もしかしたら、自分は結構見れる顔をしているんじゃないかと(実際に美少女だ)思い始めていた。
「わあ、涼しい…」
 太陽は既に落ちていたが、それでもアーケード内は人で溢れている。人の発する熱気の間を吹き抜ける夜風を感じて、清香は爽快な開放感を感じた。
 現金なものだとは思うが、贅沢にお金を使ったことが充分な気分転換になったようだ。
「もうちょっと楽しもう」
 せっかくのいい気分なのだから、このままホテルに帰って引き篭もるのはもったいない気がする。まだ人通りの多いアーケードを眺めると、清香は人の流れに沿って歩き始めた。
「……見られてる?」
 歩き始めていくらも経たないが、いくつもの視線を感じる。ふと顔を巡らせると、ちょうど高校生ぐらいの男子と目が合った。視線が合ったのに気付くと、高校生は慌てたように目を反らした。
(えーと、えーと、おかしくはない、よね…?)
 さりげなく自分の格好を見直してから軽く頷く。とすると、やはりそういうことなのだろう、と清香は恐る恐る想像した。
(い、今ナンパされたら…)
 清香は三田や文には厳しく接することができるが、それは単に内弁慶なだけだ。基本的に他人には腰が低いし、押しにも弱い。前回ナンパされた時には三田が追い払ってくれたが、今は1人だ。断れる自信は無い。
(どうしよう…)
 頭の中では思考がぐるぐると混乱しているが、奇妙な高揚感があるのも清香は自覚していた。それがなんだかとても懐かしい感覚で、清香はふと既視感を感じた。
「え、と…」
 恥ずかしいような、けれどもとても嬉しいような、背徳感じみた感覚。ずいぶんと昔に感じていたような気がするが、どこで感じていたのだろうか…?
「これって… きゃっ!」
 物思いにふけって前を良く見ていなかったせいで、清香は横断歩道で信号待ちをしていた初老の男性の背中に思いっきり顔をぶつけてしまった。
(あっ…)
 ぶつかった瞬間に、ふわっ、と男性の匂いが鼻孔に飛び込む。その匂いを吸い込んだ途端、清香の心臓は、どくんどくん、と速さを増して早鐘を打ち始めた。
 初老の男性が訝しげに振り向くと、清香は、ハッ、としてペコペコと何度も頭を下げた。
「す、すみません…」
 謝る清香に興味を失ったのか、男性は「気をつけなさい」と一言残して前を向いた。清香はもう一度深々と頭を下げると、胸を押さえて顔を上げた。
(や、やだ…)
 身体が妙に熱い。昂揚感はさっきから感じていたが、それが一気に弾けた感じだ。頬が、かぁ、と上気し、指の先までぞくぞくとした刺激が走る。
(そうだ、この感覚…)
 閃く様に、清香はさっきから感じていた感覚を思い出した。
(初めて旦那さまにローターを入れられて、ハローグッドに行った時だ…)
 それは1年前の出来事。まだ蕾だった頃の自分が覚えた、初めての快楽。自分の中に、恐ろしいまでの快楽の素があると自覚したとき。
(そうだ… 私は変態だった…)
 改めて自覚した途端、周りの視線が牝の本性を刺激する。そっと下腹部を押さえると、子宮が疼くのをはっきりと感じる。
「あっ、嘘…!」
 清香は、自分の足首に何か液体が垂れるのを感じた。普通なら気付くはずも無いその感覚を、清香は経験的に知っていた。
 慌てて近くのコンビニに駆け込んでトイレに入ると、清香はハーフパンツをズリ下げてショーツのクロッチ部にそっと手を当てた。
「………」
 無言で当てた手を見る。清香はその手に着いた液体を見て、情けないような表情を浮かべた。
「あはは… ぐちょぐちょだ…」
 秘所から溢れた愛液は、ショーツだけでは吸い取ることが出来ず、数条の痕を残して足首に達していた。
 清香は無言でハーフパンツとショーツを脱ぐと、洋式便座に、ペタン、と腰を降ろした。
「ごめんなさい…」
 いったい誰に謝っているのかそう呟くと、清香は脱いだばかりのショーツを丸めて口に押し込んだ。愛液の生臭い匂いが頭を貫き、くらくらする。
 そうして、清香は片手をそろそろと股間へと伸ばした。
 震える手でクリトリスを掴むと、清香は虚ろな目で思いっきりそれを捻り上げた。
 清香の瞳に、極彩色の火花が散った。


 ――深沢邸、客間。
重苦しい雰囲気が立ち込める中、文と瞳子は背筋をピンと伸ばした正座の体勢で白髪の老婆と相対していた。
 深沢静、と自己紹介したその老婆が、深く勘繰ることも無くこの深沢邸の主だと、文と瞳子は確信した。何と言うか、雰囲気が有りすぎる。
「は、はじめまして… 各務瞳子と申します…」
 本当は文が初めに言うのが良かったのだろうが、この雰囲気の中では無理があると瞳子が率先して頭を下げた。
 老婆はゆっくり頷くと、「存じています」と短く答えて視線を文に移した。
 不意に射竦められた文が伸ばした背筋をさらに伸ばす。ひどく緊張して喉がカラカラだ。
「あ、の…」
 ようやくそれだけ絞りだすが、老婆は何も答えず、ただじっと文を見ている。
「は、は、はじめまして…」
 瞳子に習ってそう言うと、文は老婆が視界から外れるように思い切り頭を下げた。畳みをジッと見詰める文の耳に、老婆の軽くため息の音が聞こえた。
「何をそんなに緊張してるのか… はじめてじゃないよ。ちっちゃなあんたをおぶって歩いたこともあるんだ。ふん、ほんの少し前のことさね」
「え、え、えぇ?」
 流石に幼児の記憶は思い出せずに、頭を上げた文はさらに混乱した頭で呻いた。
「お母さん… 13年前はほんの少しじゃないですよ。それに文は2歳だったんですから、覚えているわけないですよ」
 未亜子が呆れたように口を挟んだ。言われた老婆は、キッ、と未亜子を睨みつけると「そんなことはわかってるよ!」と怒鳴った。
「で、姉はどうしたんだい。姉妹そろって来るのじゃなかったの?」
 どこか焦ったような早口で老婆が捲くし立てた。それを聞いて未亜子の表情が困ったように曇る。
「それも言っていたでしょう。少し手違いあって、清香は来れなくなったと…」
 本当ならば、こういう物言いは未亜子こそが辛いはずだ。そう感じた瞳子は申し訳なくなった。
「来ないなら、来ないと…」
 老婆な何やらぶつぶつと呟いた。
「何ですか、お母さん?」
「なんでも無いよ…」
 どちらかと言うと力弱い声で老婆が呟く。瞳子は(想像していた通りなんだけど、何か違うなぁ…)と違和感を感じた。
 と言うのも、瞳子は姉妹が施設に預けられたあらましを三田を通じて知っていたし、そうなれば当然この老婆は姉妹のことを嫌っているはずなのだ。
(でも、実家に引き取るのを決めたのはこのお婆さんだっていうし、本当の所はどうなんだろう?)
 瞳子がジッと考え込んでいると、文がツンツンと瞳子の足を突付いた。
「ん、なに?」
「瞳子お姉ちゃん、前…」
 ハッと気付いて前を向くと、老婆がしかめっ面で睨んでいる。(しまった…)と思うものの、何とかそれは顔に出さず、「な、なにか…?」と無理やり笑顔を作って尋ねた。
「あんた、いつまでおんなさるね?」
「あ、はい! お邪魔じゃなければ、文ちゃんの学校が始まるまではお付き合いしたいのですが…」
 予想外に先方から話を振ってくれて、瞳子は内心安堵しながら答えた。
「ふん… そんなに信用が無いかね…」
「い、いえ、そんなことは!」
 瞳子は慌てて手を振るが、老婆は「別に気にしちゃいないよ」とばっさり切り捨てると、外見に似合わぬ身軽さで立ち上がった。
「あたしゃ引っ込む。夕飯になったら呼んどくれ」
 そう言うと立ち去ろうとした。慌てて瞳子が言った。
「あの! それで、滞在の方は…?」
 ほとんど怒鳴るようにして言った瞳子をチラリと見ると、老婆は「未亜子が決める事だよ」とそっけなく返した。
「ええと… いいんですか?」
 いぶかしむ様な未亜子の問いに、老婆は面白く無さそうに頷くと、いまだ身を小さくしている文の方を向いた。
「それと、あんた…」
「は、はいっ!」
 またも文の背筋が伸びる。
「あー、いや、大したことじゃないよ… その、なんだ… よく帰ったね、おかえり」
 それだけ言うと、老婆はさっさと身を返して出て行ってしまった。残った3人は、そろってポカーンとした顔でしばらく固まっていた。

「広いお風呂…」
 はぁぁぁぁぁぁぁ… と心から緊張を解いて文が湯船に浸かった。それは一緒に入っている瞳子も同じ事で、散々に凝った肩を自分で揉み解しながら何度も、うんうん、と頷いた。
「三田さんのとこも大分広かったけど、ここはなんて言うか違うねぇ…」
 三田屋敷の浴室は近代改装してあったこともあって、広々として機能的なシステムバスといった風だったが、深沢邸のお風呂は今時珍しいタイル張りの浴槽で、シャワーすら付いていない。
 その代わり、浴室も浴槽もかなり大きく、ざっと5、6人は一緒に入っても不自由しない広さがある。
「でも、なんだか手が行き届いていない感じ…」
 文が少しボロがきてはげそうな浴室の壁をなぞって言った。これについても瞳子は同感で、今日一日屋敷を見て回った感想は、「広いが手入れが行き届いていない」といったものだった。
「お金持ちみたいだけど… 人は雇ってないのかなぁ?」
「う〜ん、どうだろ…?」
 瞳子の持つ庶民の感覚では、使用人を雇う家など想像がつかない。だが、よくよく考えると三田は女性2人を囲って生活していたのだから、あながち非現実的なものでもないと考え直した。
 そんな風に2人が1日の疲れを取っていると、洗面所のガラス戸に人影が写り、ややあって浴室への戸が開いた。
「…お邪魔していいかしら?」
 そこに立っていたのは未亜子だった。全裸になった未亜子の身体は、三田と同い年というだけあって、若い2人には無い成熟した女性の美しさを持っていた。
「あ、どうぞ…」
 瞳子が弛緩した身体を慌てて引き締めると、「楽にしてちょうだい」と未亜子が苦笑まじりに答えた。
 未亜子は浴槽の縁に座ると、掛かり湯を浴びてから、そっ、と浴槽に入った。文が無意識のうちに距離を取ろうとしたが、瞳子が文の背をそっと押して未亜子の側に寄せた。
「「あ…」」
 かなりの至近距離で母子が向き合い、2人は同時に声を上げて黙り込んだ。お互いに歩み寄ろうという気持ちを痛いほど感じるのだが、どうやったらいいのかが分からない。
(う〜〜)
 どうにかならないものかと、瞳子がヤキモキしていると、それまで泳ぎ回っていた未亜子の目が、ある一点で止まった。
「………立派なおっぱいねぇ」
 単純に驚愕と言うか感嘆と言うか、ありがたい物を見るような目付きで未亜子が言った。
「文はまだ15よね? どこからの遺伝なのかしら…?」
 興味心が緊張を解いたのか、未亜子が文のおっきいおっぱいを片手で持ち上げながら言った。その遠慮の無い行動に、文は「あはは…」と乾いた笑いを漏らした。流石にクスリで大きくしたとは言えない。
「1年くらい前から、急におっきくなり始めて…」
「急に大きくなったなら、痛かったでしょう? ハリがある内はしっかり揉んでおかなきゃだめよ」
 心配になったのか、未亜子が文のおっきいおっぱいをマッサージするように揉み始めた。
「あ、うん… その、お姉ちゃんがマッサージしてくれてたから…」
「そうなの? 清香も、大きいの?」
「お姉ちゃんは… その、文が吸い取っちゃったみたいで…」
 文は、何ともいえない表情でおっきいおっぱいを揉みしだく姉の顔を思い出した。
「そうなんだ… うん、ハリもない、良いおっぱいね。文はきっといいお母さんになれるわ」
 妙な太鼓判の押し方だが、確かに褒められて文は「あ、ありがとう、お母さん…」と素直にお礼を言う事が出来た。
 その言葉にまたも感極まったのか、未亜子はそっと文を胸に寄せるとしっかりと抱きしめた。
「ごめんね… 10年以上も放って置いてごめんね…」
 母の胸にしっかりと抱かれて、文は心の中の緊張が、すぅ、と解けていくのを感じた。
 やはり、頭では気にしてはいなくとも、心のどこかで自分たちを捨てた母への拒絶心があったのだと思う。
 だが、1年間自分たちを探しい苦労した事や、こうやってしっかりと抱きしめてくれる優しさを感じたら、そんなわだかまりも気にはならなくなった。
(お姉ちゃんも、意地張ってないで早く帰ってくればいいのに…)
 最初は姉の身を心配していた文だが、ここまで連絡が無いと流石に怒りも感じてしまう。姉がどういう気持ちなのかは分からないが、とにかく連絡だけでもほしいというのが正直な気持ちだった。
(お母さん、優しいよ…)
 どうにかしてこの心地よさを伝えたい。文は真剣にそう思った。

「おか… ええと、お婆ちゃんね。恥ずかしいけど、いつもあんな調子なの。驚いたでしょう?」
 お風呂上り。夏の夜風が涼しい縁側で、火照った肌を冷ましながら未亜子が言った。静ばあさんは夜が早いらしく、すでに就寝しているそうだ。
「うん、でも、おかえりって言ってくれたのは嬉しかった」
 風呂上りのアイスクリームを美味しそうに舐めながら文が答えた。向かいには瞳子が水割りウィスキーをちびちび飲んでいる。2人とも貸してもらった浴衣を着ていて、それがとても似合っている。
「お婆ちゃんもね… 深沢の家を守るためにずーっと気を張って生きてきたの。だから、最初はつんけんしてとっつき難いとは思うけれど、上手く付き合ってあげてね」
 未亜子が申し訳無さそうに言うのを、文は素直に頷いた。
「うん。 …あの、お母さん? うちは、その… お金持ちなの?」
 ずっと疑問に思っていたことを、文は思い切って尋ねてみた。未亜子は一瞬あっけに取られたような表情をしたが、直ぐに苦笑すると縁側の柱を見詰めて話し始めた。
「そうねぇ。お金持ち、だった… かな? うちはね、畳とか家具なんかの卸問屋をやっているの。けっこう昔からやっていて、昔はここいらの地主も兼ねていたらしいわ。
 ただ、おじいちゃん――私のおじいちゃん、文のひいおじいちゃんね――がかなり放蕩な人でね。孫の私が言うのもなんだけど、ろくでもない人だった」
 そう言うと、未亜子は本当に情けないような顔をした。
「おかげで、一代で家が傾いちゃって。そのおじいちゃんが死んだあとは、今のおばあちゃんが家を仕切ってなんとか持ち直したんだけど、たくさん持ってた土地は売っちゃったし、たくさんいた職人さんも半分以下になっちゃった…」
「職人さん?」
 耳慣れない言葉に、文が思わず聞き返した。
「そうよ。うちは製造もしているから、畳や家具を作る職人さんを囲ってるの。今は盆の終わりで居ないけど、ぼちぼち顔を見せに来ると思うわ。住み込んでいる子もいるし、仲良くしてね」
 文はとりあえず神妙に頷いた。職人さんとか言われても、あまり良くわからない。
「そうだ… これも文、知らないんじゃないかな。お父さん、文のお父さんもうちの職人さんだったのよ」
「え、そうなの!?」
 文は驚いて問い返した。駆け落ちのことは知っていたが、そこまで詳しい事情は知らなかった。
「うん、正確には職人見習いだけど。昔からうちに務めてくれている職人さんの1人息子。私とは歳も近いし、いつもうちに出入りしていたから、幼馴染のような感覚だったわ…」
 その人のことを語る未亜子の表情は辛そうだ。昔の記憶が蘇るのだろう。
「文のお父さんか…」
 文がポツリと呟く。父親の存在は常に霧に隠れたように曖昧だった。三田に父性を見出したこともあったが、それは直ぐに愛情に塗りつぶされていた。
「うん…」
 未亜子がしんみりと頷くと、文もはにかむように軽く笑った。
そんな2人の様子を見て、瞳子は(ああ、私の心配は杞憂だったんだなぁ…)と深く感じていた。
(むしろ野暮だったかも…)
 反省する事しきりだが、そうなると瞳子の中では問題は1つに絞られることになる。
(あとは、敦さんと清香ちゃんの問題ね…)
 いまだ連絡の取れない清香と、何をしているのかわからない三田のことを考えて、瞳子は心の中でため息を吐いた…

「はぁはぁ… うぅん…」
 夜。人ごみの途切れない繁華街で、今日も清香は目的も無く歩いていた。
 あの時コンビニで絶頂を迎えた後、清香はホテルに真っ直ぐ帰り狂ったようにオナニーを繰り返した。
 呆然と過ごしていた間に溜まった性欲が、一気に爆発したかのようだった。何度も迎える絶頂の中で、清香は自分の肉体に染み付いた淫蕩さを改めて思い知った。
「気持ち良いのに… ちゃんとイッたのに…」
 だが、何度絶頂に達しても清香の暗鬱とした気持ちが晴れることは無かった。むしろ、絶頂のたびに1人の惨めさが襲い掛かる。
 三田とのセックスではこんな事はなかった。性器に注がれる精液の生暖かさや、三田の体臭が、絶頂と共に充足感と安心感を与えてくれた。
「また、濡れてる…」
 周囲の人に気付かれないように、そっと内腿を拭うと、秘所から垂れる愛液がねっとりと指に絡みついた。
 あれ以来、下着も一切着けていない。屋敷に居たときと同じ様に、すぐに愛液で駄目になってしまうからだ。
「オナニーしなきゃ…」
 目に付いたコンビニに入ると、店員に声も掛けずトイレに篭り、ハンドバックからローターを取り出す。
 このローターは大量陳列が売りのディスカウントストアで買ったものだ。一般に売られている事に清香は驚いたが、気付いた時にはそこにある全種類のアイテムを買ってしまっていた。
 慣れた調子でローターに電池を入れると、ハンカチを丸めて口の中に詰め込み、震える手でローターをクリトリスに押し当てた。クリトリスを貫通しているピアスとローターとが接触し、カチリと乾いた音を立てる。
「ふぅ、ん…」
 しばらく、愛液を絡めるようにローターを動かした後、肥大したクリトリスを押しつぶすように力一杯ローターを押し付ける。
「ううん…! うぅ…」
 背骨にビリビリと電流が走り、清香は軽い絶頂を迎えた。鼻で大きく深呼吸をして息を落ち着かせると、空いた片手でローターのスイッチを押し上げる。
 ヴィィィィィィ…!
 羽音のような音を立ててローターが振動を始める。今度は脳髄に電流が走る。混濁した意識の中で清香はハンドバックを探ると、今度は長さ10cm、太さ3cm程度のディルドウを取り出し、ぐちゃぐちゃに濡れたヴァギナにいきなり突き刺した。
「はぁぁぁぁっ…!!」
 ハンカチを噛み締める事も出来ずに、清香は溜まらず声を上げた。腰がびくびくと震えて痙攣し、ヴァギナから大量の愛液が零れ落ちる。
「ふーっ、ふーっ、ふー…!」
 荒い呼吸を繰り返しながら、挿入したディルドゥを掴んでぐりぐりと動かす。強烈な快感が清香を襲い、思わず手にしたローターを床に落としてしまった。リノリウムの床にローターが高い音を立てて弾む。
(ま、まずい…!)
 微かに残った正気がこれ以上は危険だと告げる。清香は空いた手でクリトリスを掴むと、終わりにするために思いっきりそれを捻り上げた。
「うぅぅ………!!」
 歯を食いしばって何とか声が漏れるのを防ぐ。
 清香は襲い来る絶頂の中で、知らず涙を流した。

 ウェットティッシュで後始末をすると、清香は出来るだけなんでもない表情を装ってトイレを出た。
 店内にいたお客や店員の視線を感じるが気合を入れてそれを無視すると、清香は必要でもない生理用品を手にとってレジに向かった。
 それを見た面々が、少し気まずそうに顔を背ける。こうすれば、変に声を掛けられる事も無い。
「いらっしゃいませー」
 清香と同年代に見えるアルバイトが商品をスキャンして紙袋に入れる。代金を払おうと財布を開けて、清香は思わず「あ…」と声を上げた。
「何か?」
 アルバイトが怪訝そうな表情を見せる。清香は「いいえ、なんでもないです…」と答えると、代金を支払いそそくさとコンビニを後にした。
「…もう、なくなっちゃった…」
 店を出た清香は、暗い表情で呟く。
 今朝、ホテルのセーフティボックスから出したお札は、きれいに無くなっていた。
「馬鹿だわ、私…」
 暗い表情のまま呟く。
 ここ数日の清香は、過去の彼女からしたらありえない程の浪費を行っていた。
 服や装飾品、食事にイベント。気が紛れるならばと、少しでも気に留めたものには惜しみなく金をつぎこんだ。
 勿論、お金を使えば使うほどに終わりが近付いているのは分かっている。しかし、心の中にぽっかりと空いた穴を塞ぎたくて、清香は浪費を続けた。
「…帰ろう」
 お金が無くなったからには、ホテルに戻るしかない。ため息を吐いて来た道を戻ろうとすると、正面から知らない男に声を掛けられた。
「ねぇねぇ、お姉さん、何してんの?」
 二十歳前後の年恰好の、いかにも軽そうな男だった。こういう風に声を掛けられるのは初めてではない。街に繰り出し始めてからは、1日に4、5回はナンパに遭遇していた。
「いえ、急いでますから…」
 いつものように邪険に通り過ぎようとすると、男は「ちょっと待ってよ…」と清香の肩を掴んだ。
「や、ナンパじゃなくて。ちょっとさー、人集めてて。お姉さんに協力して貰えないかなー、なんて」
 おどけた調子で語る男を、清香は怪訝そうな顔で見詰めた。
 それを好機と見たのか、男は清香に顔を近づけると、口に手を当てて小声で話し掛けた。
「あのさ、お姉さんそーとーエッチでしょ?」
 ぎくり、と清香は心臓が止まるような気がした。だが、動揺を口には出さず、「違います…」とだけ言って立ち去ろうとした。
「バイト、バイトなんだ。割の良いバイト。バイト紹介しようと思って」
 立ち去ろうとした清香の足が、バイトという一言で止まった。脳裏に薄くなった財布が思い浮かぶ。
「お、脈アリ? もしかしてお金に困ってる? ならピッタリじゃん! 無茶苦茶稼げるよ〜」
 怪しいとは充分に感じているが、1度止まってしまった足は中々動き出さない。動きを止めた清香を、いよいよ脈が有ると感じた男は、馴れ馴れしく清香の腰に手を回して耳元に囁いた。
「まぁ、立ち話も何だし、マックおごるからさ、ちょっと入ろうよ…」
 近くのファストフード店を指差して促す男に、清香は躊躇いがちに頷くと、ゆっくりと歩き始めた。


 時間的に学生が多いのか、店内は異常に騒がしく、座る席を探すのも一苦労だった。
 注文した品を持って席に座ると、男は直ぐに携帯を取り出してどこらに電話を掛け始めた。
「あの…」
 不安に思った清香が声を掛けても、男は目も合わせようとせず話を続けている。話の端々を聞くに、男は上位の人間と話をしているようだ。
「あー、ほんじゃ、来るまで捕まえときますんでー」
 男は電話を切ると、おもむろにハンバーガーの包みを開けて食べ始めた。清香は途端に酷い不安に襲われて、今さらながら付いて来たことを後悔した。
「あの… すみません、私、あんまり時間が…」
「あー、すぐに人が来るから」
 勇気を振り絞って声を掛けたが、男は取り合おうとせずに食事を続けた。不安と恐怖心が最高潮に達する。どうにかしてこの場を去りたいと思うが、足も頭もまともに動いてくれない。
 しばらく、無言の時間が過ぎた。緊張のあまりどうにかなりそうな清香の目の前に、今までの男とは違う、スーツ姿の痩せ気味の男性が現れた。
「やぁ、どうも。お待たせしました…」
 男性は柔和な笑顔を浮かべて柔らかい口調で言った。
 男が口に含んだハンバーガーを急いで平らげると、慌てて立ち上がって席を譲った。
「チワス! 後、たのんます!」
「ああ、いいよ、戻んな」
 短く答えて男性が手をヒラヒラさせると、男は一礼して席から立ち去った。
「さて…」
 男性は椅子を引くと清香の正面に座り、ジッと清香を凝視した。
「あ、あの…」
 不安そうに清香が声を出すと、男性は無表情のまま言った。
「君、ハンバーガー嫌いなの?」
「え、いえ…」
「せっかくだから食べなよ、冷めちゃう」
「は、はい…」
 そう言われて、清香はハンバーガーの包みを開けて、もぐもぐ、と食べ始めた。ジャンクフードなど食べ慣れていないから、その濃い味付けにびっくりする。
「うん、じゃあ、仕事の話しようか。いつから入れる?」
 突然そう聞かれて、清香はフルフルと首を振る。
「いえ、まだアルバイトの内容を…」
 消え入りそうな声でそう言うと、男性が呆れたように苦笑する。
「ちょっと、ちょっと。内容も確認せずに着いて来たの? それって危機意識が無さ過ぎじゃない?」
「すみません…」
 うなだれて清香が言うと、男性は軽く肩を竦めると言った。
「やれやれ、外見はイイ感じのお姉ちゃんなのに、中身は初心なガキじゃん。アイツももちっと人見ろよなぁ…」
 男性は心底呆れているようだ。清香もその反応にホッとして、代わりに少しだけ好奇心が芽生えはじめた。
「あの、やっぱり、風俗、ですか…?」
「ん? そうだよ。今どき街引きなんてしないんだけど、オープン直後で女手が足りなくてね。でも、まぁ、君、処女だろ? そんなの雇うと色々面倒だから、もう帰っていいよ」
 清香と違って興味を無くしたらしい男性が、席を立とうとする。
 その瞬間、清香自身の驚いた事に、「待ってください!」と清香が声を掛けた。
「あん?」
「お話、続けてください。処女じゃ、ないです」
 一瞬、男性の顔がニヤリと歪んだかと思うと、「それじゃあ、一応…」と気の無いそぶりで男性が席に着いた。


 夜。ホテルの戻った清香は真新しい携帯を手にしてベッドに寝転がっていた。
 あの後のことは、断片的にしか覚えていない。
 仕事の内容がデリヘルであること。連絡用の携帯を持つこと。給料は日払いで払うこと、明日、『講習』を行うこと。
 そしえ、自分がそれら全てに頷いて、『働きます』と言ったこと。
「………風俗」
 堕ちるところまで堕ちた…という気分だ。もちろん、学も住所も無い自分が手っ取り早く稼ぐ方法は、コレしかないと思っている。だが、三田以外の男性に身体を許す事が、果たして自分に出来るのだろうか?
 相手の男性――店長らしい――は、清香のことをかなり気に入った様子で、「君ならすぐ売れっ娘になれるよ!」と、欲しくも無い太鼓判を押してくれた。
「……旦那さま、文ちゃん…」
 知らず知らずに声を出して呟く。そして暗鬱な気分になる。三田も文も顧みず逃げ出したくせに、その2人に縋りたいと願う自分が堪らなく嫌だ。
 それでも、もう自分は『働く』と返事をしてしまった。ホテルの住所も言ってしまったし、今さら退くことは出来ない。
 真新しい携帯を弄ぶうちに、ふとそれまで使っていた携帯のことを思い出した。文からの電話が怖くて電源を切ったまま、数週間放置している。
「壊れて、無いかしら…?」
 あまり機械の知識が無いから良くわからない。
「流石に、もう電話してこないわよね…?」
 恐る恐る電源ユニットをコンセントに挿し、携帯に接続した。しかし、それだけでは何も反応しない。少し悩んだ後、清香は電源ボタンを長押しして携帯を起動させた。
 真っ暗な画面に明るい灯が灯り、次第に見覚えのある待ち受け画面へと変化した。
「よかった、壊れてない…」
 ホッと一息付いていると、携帯からメールの着信音が鳴り響いた。
 一瞬、ビクリとした清香だが、すぐに、この数週間に送られたメールを受信している事だと理解した。それならば慌てる必要は無い。
「…やっぱり」
 予想していたが、文からのメールがぎっしり詰まっている。よくもまあ、これだけ打ったものだと思える量だ。
「もっと落ち着いたら、連絡できるかしら…?」
 全部を読むのは流石に億劫だから、プレビュー機能を使って流し読みしていく。その内、添付ファイルがあるメールに行き着いた。
「なんだろ…?」
 興味を持った清香は、ボタンを操作してそのメールを開いた。添付ファイルは画像ファイルだったらしく、ゆっくりと写真が表示される。
「これ……」
 画像には、文と瞳子と、そしてもう2人知らない女性が写っていた。場所は清香の知らない古い民家の前。
 ゆっくりと画面をスクロールし、件名を表示させると、そこには『お母さんとお祖母ちゃん』と書かれていた。
「お母さんとお祖母ちゃん…」
 ポツリと呟く。文が居るのに、その写真はひどく遠く感じられる。
 ああ、自分は帰る手段も資格も失ってしまったのだ、と思う。誰も、風俗嬢になった娘など会いたくないだろう。
「はは……」
 自嘲するような笑いが漏れた。メールを辿っていくと、数日前からなぜか文からのメールがプツリと絶えている。
 そこで初めて気が付いた。
「旦那さま…」
 三田からは、一件たりともメールは送られていなかった…

 翌日、真っ暗な気持ちを引きずったまま、清香は携帯で指定されたマンションへと向かった。
 全く気は進まないのだが、生真面目な彼女には約束を反故にはする発想は出てこなかった。
「ここ… かしら?」
 1階がコンビニエンスストアのありふれたビルだ。見上げると、ベランダに洗濯物が干してあって、とても風俗店が入っているとは思えない。
 清香はコンビニの前で立ち止まると、新しい携帯を取り出してお店へ電話を掛けた。相手は数コールの後、すぐに出た。
「あのう、昨日お話した…」
『あー、あんた… んー、来たんだ…』
 電話の相手は昨日の男性だったが、電話口の声はなにやら迷惑そうな響きがあった。
「えーと… これからどうすれば…」
『んー、もういいから、横のエレベータで上がってきて。6階の602号室ね』
 それだけ言うと、電話は唐突に切れてしまった。
「どうかしたのかしら…」
 不安そうに清香が呟く。昨日の印象では、妙に優しすぎるところがいかにも怪しかったが、応対は丁寧だったはずだ。
「とりあえず…」
 意を決してエレベータのスイッチを押す。1階に待機していたエレベータは直ぐに扉を開き、清香は急かされるようにしてエレベータに乗り込んだ。
「6階だったわよね…」
 不安からか独り言がやけに多い。6階のボタンを押してエレベータが動き出すと、清香は心臓が早鐘を打ち始めるのを感じた。
(だめだ、緊張する…)
 やっぱり、無理だと言って帰ろうか? しかし、ホテルに預けているお金も5万を切っている。このままでは直ぐに追い出されてしまう。
(覚悟を決めなきゃ…)
 エレベータが6階に到着し、扉が開くと、清香は勇気を奮い立たせるように「うん!」と大きく頷いた。
 出来るだけ平静を装った足取りで廊下を歩き、602号室を見つける。
 1度、大きな深呼吸をして、ぴんぽーん、と呼び鈴を鳴らした。
「…はい?」
 しばらくして、ドアが開くと20台後半ほどの女性が顔を出した。化粧もしていない、茫洋とした顔つきをしている。
「あ、あの…」
「ああ、あんたね。早く入って」
 女性は周囲に視線を走らせると、清香の腕を取って強引に室内に連れ込んだ。
「他の住民に見付かるとメンドーだからさぁ…」
 女性が愚痴るように言う。清香は、とうとう緊張が頂点に達して何も言えない。
「まぁ、いいや。てんちょー、来たよ」
 部屋の奥に声を掛けると、中から昨日の男性が顔を出した。拍子抜けする事に男性の格好はジャージとトレーナーで、出迎えに来た女性を併せて見ると、まるで普通の夫婦のように見える。
「どうも、お疲れさん。つか、君ってどーゆー人?」
 男性が頭をガシガシと掻きながら言った。
「は、はい…?」
「ん〜、まぁいっか」
 諦めたようにそう言うと、男性は清香を室内に案内した。そこはリビングのようで、ソファが1つテーブルが1つ有り、ソファには見覚えの無い強面の青年が座って漫画雑誌を読んでいる。
「…チワス」
 青年は清香と一瞬だけ視線を合わせると、それだけ言って再び雑誌に目を落とした。
「じゃ、『講習』ね… てか、まぁ…」
 口篭もるように黙ると、店長はまた頭をガシガシと掻いた。
「もう、いいや。その部屋入って。相手が居るから」
「え、と…?」
 昨日の話では、店長自ら『講習』を行うという説明だった。店長は首を傾げる清香の背中を押すと、「早く入って…」と強引に部屋の中に押し込んだ。
「ちょ、ちょっと…!」
 たたらを踏むようにして清香が室内に入る。部屋の中はかなり暗くて良く見えない。
 闇に慣れるように目を細めると、部屋の隅に大きなベッドが置いてあり、人が1人腰掛けているのが見える。それを確認して、清香は緊張のあまり突飛な行動にでた。
「は、初めましてッ!! 清香です、よろしくお願いします!!」
 大げさに腰を折って挨拶をする。ベッドの人物がかなり戸惑う雰囲気が伝わってきた。
「まぁ… 顔を上げろ…」
 苦笑する気配と共に、ベッドの人物が言った。その声を聞いて、清香は弾かれたように顔を上げた。
「そ、んな… まさか…」
 闇に目を凝らしてまじまじとその人物を見る。
「…元気そうで良かった」
「………旦那さま」
 清香が凝視した先には、三田は安堵した表情で座っていた。

「色々言いたい事はあるだろうが、とりあえずここを出るぞ」
 三田はベッドから立ち上がると、清香の頭にポンと手を置いて言った。
 清香は衝撃のあまり思考が停止しているらしく、反応が無い。
「どうした、どこか具合でも悪いのか?」
 多少、心配そうに尋ねる三田の声に、清香はあわてて、ぶんぶん、と首を振る。
 2人が部屋から出ると、居間に居た3人の視線が集中した。
「話、終わったッスか?」
 最初に話しかけてきたのは、ソファに座った強面の青年だった。
「いや、これからだ。とりあえず場所を変えようと思う。 …迷惑をかけたな。鮫島さんによろしく言っといてくれ」
「いえ、追加料金も頂きましたし、全然かまわないッス」
 そう言うと、青年は軽く頭を下げて部屋から出て行った。三田は残る2人に向き合うと、深々と頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「あー、いや… こっちとしちゃ、違約金は倍掛けで貰ったし、穴も埋めてもらったし… むしろありがたい位で…」
 店長が頭を掻きながら答える。女性は軽く方を竦めただけだ。
「では、失礼します」
 顔を上げると、三田は清香の背を押して部屋を出た。いまだ声も出ない清香もノロノロと後を付いて出た。
「…さて」
 ビルから出て、炎天下のアスファルトに立つと、三田は疲労の隠せぬ声で呟いた。そうして、清香をチラリと見ると、突然、清香がブルブルと震えだした。
「ど、どうした!?」
「わ、わた、わた、わたし… わたしは…」
 これまでの緊張と三田が現れた衝撃で、清香は完全に錯乱していた。考えがまとまらず、自分が立っているのか座っているのかもわからない。
 三田はすぐに清香の腕を掴むと、そのまま往来のど真ん中で清香を胸に抱きとめた。ふんわりと漂った三田の匂いが、清香の思考を正常に戻す。
「…あ」
「落ち着け。何も不安になる事は無い。全部丸く収まった」
 清香の頭と背中をさすりながら、三田はゆっくりと、はっきりと言った。三田を見上げた清香の瞳に、困惑の色が宿る。
「何、が… 何が、ですか…?」
「ちゃんと説明する。とりあえずホテルに戻るぞ」
 そう言うと、三田は清香を抱きかかえるようにして歩き始めた。清香は今更になってとんでもない事態になっていると気付いたが、どうにもできずに歩調を合わせて歩き始めた。

 ホテルの部屋は冷房が効いていて、火照った身体と頭を程よく冷やしてくれた。
 清香をベッドに座らせた三田は、勝手に冷蔵庫の中身を改めると、中に入っていたスポーツドリンクを取り出して清香に握らせた。
「ゆっくりでいいから飲め」
 清香は言われるがままに頷くと、おっかなびっくりプルトップを空けてスポーツドリンクを飲み始めた。相当に緊張して喉が渇いていたようで、あっという間に1缶飲み干してしまう。
 そうすると、再び正常な思考が戻ってきて、三田と2人同じ空間に居る事を否応無く意識してしまう。
「う、うぅ… も、も…」
「も?」
 三田がオウム返しに尋ねると、清香と突然ベッドの上に正座をして思いきり額をベッドに打ち付けた。ぽふっ、と軽い音がした。
「申し訳ありません!!!!」
 絶叫するように甲高い声で叫ぶ。思わず耳を押さえた三田が、苦い表情で清香を見る。
「私、私、自分勝手な事をして… 逃げたりなんかして… 親不孝もので… 皆に心配かけて… ううぅ…」
 謝罪の言葉を口にする毎に感情が昂ぶっていったのか、清香は嗚咽を漏らしながら大粒の涙を流しはじめた。
 三田は苦い表情をさらに眉根を寄せて苦くすると、「やれやれ…」と呟いて清香の隣に座り、優しく清香の身体を引き起こした。
「ひっく… ひっく…」
「お前は本当に良く出来た娘だなぁ…」
 しみじみと三田は呟くと、泣きじゃくる清香を再び胸に抱いた。
「ちゃんと理解出来ているのなら、私からはとやかく言わん。言わんから、文に叱ってもらえ。あいつは本当にお前の事を心配していたからな」
「文ちゃんに… ひっく… 会ったんですか…?」
 しゃっくり混じりに清香が尋ねる。三田はゆっくりと頷いた。
「つい、昨日まで一緒に居た。焦ったぞ。お前の行動が1日でも早かったら、説得が間に合わなかったところだ」
「説得…?」
 訳がわからず清香が呟く。三田はハンカチを取り出して涙で濡れた清香の顔を綺麗に拭くと、1回咳払いをしてから清香を真正面から見つめた。
「あ、あの…」
「清香」
「は、はいっ!」
 何時に無く真剣な三田の声に、清香は飛び上がって驚いた。
「私はお前を連れ戻す」
「え?」
「言っておくが、深沢さんの家にじゃない。私の家にだ」
「え、え…?」
 三田の言っている意味が良くわからず、清香はただ戸惑うばかりだ。

(旦那さま、何を言ってるの? 私は実家に行くんじゃないの…?)
 三田は反応の薄い清香を困ったように見つめると、気恥ずかしさを誤魔化すように咳払いをした。
「分からんか… いや、分かって欲しい。つまり、その、なんだ…」
 三田は一瞬だけ目を泳がせると、真剣な眼差しで清香を見つめた。
「2度目だ、3度目は言わんぞ。ずっと私のそばに居てくれ。一生、私が面倒を見る」
 三田は一息で言った。あまりの恥ずかしさに顔から火が出そうだ。
 だが、清香は大粒の涙を流すと、フルフル、と首を振った。
「だめです… だめですよ…」
「どうしてだ? そんなに、私と一緒になるのがいやか?」
「違います!」
 清香は叫んだ。ひどく、悲しい気分だ。三田の言葉は小躍りしたくなるくらい嬉しいのに、それを受け入れられない自分が悔しくて、悲しくて、嫌になる。
「私にそんな資格ありません… 一緒に居ると、旦那さまに迷惑が掛かります… きっと… きっと、噂になります。姪って言ってたのに、いつの間にか奥さんなるなんて… そんなの無いです…」
「そのことなら、すでに手遅れだから気にするな」
「…は?」
 あっけにとられた顔で、清香が呟く。
「ほとんどの人にばれていた様だ。皆、察した上で付き会ってくれていたらしい。頭が上がらんな…」
 自嘲するように三田が肩をすくめる。
「だから、周りの目は気にするな。むしろ、正々堂々と見せ付けたって良い」
「でも、でも…!」
 なおも言い募る清香が必死で頭を働かせる。
「あ、文ちゃんはどうです!? 私だけ、そんな…」
「それに付いては、本人からきちんと許可を貰った」
「え…?」
「ついでに言えば、お前の母親と祖母からも暫定だが許可を貰った」
「はい!?」
 顔しか知らない母と祖母の事を言われて、さらに清香はパニックを起こす。
「どういうことですか!?」
「娘を嫁に貰うんだ。親には挨拶に行くのは常識だ。それに、お前はまだ未成年だから親の許可も要るしな」
「…実家に、行ったんですか?」
 混乱した頭で必死になって言葉を探す。
「文と会ったのはお前の実家だ。そこで結婚の許可も、お前を屋敷に連れて帰ることも了承してもらった」
 いつの間にか外堀が埋まっていることに清香は呆然となった。連日連夜、自分の身の振り方に悩み続けていたのが馬鹿らしくなる。
「私の…」
「うん?」
 急に底冷えするような声で清香が呟いた。
「私の気持ちはどうなるんです…? 心変わりをしているかもしれません…」
「ふむ、そうだな…」
 三田は考え込むように黙り込んだが、おもむろに手を伸ばすと清香のスカートの中に手を潜り込ませた。
「きゃ!」
「うん、心変わりはしていないようだ」
 何かを確かめた三田が、すっ、と手を抜いた。清香は顔を真っ赤にしている。
 三田は軽く微笑むと、懐から手の平サイズの小箱を取り出した。
「あ…」
「ひょんなことで中身を見て、勇気が出た」
 そう言って、三田は小箱を開いて見せた。
 中には、何も入っていなかった。

「入れ忘れたわけではないだろう?」
 三田が尋ねると、清香は小さく頷いた。
「外せるわけ、ないです… 旦那さまから貰った大切なプレゼントなのに…」
 想いをかみしめるように清香が呟く。その表情からは、ようやく動揺が消えつつある。
「とある人に言われた。私とお前とが幸せそう、だと」
「クス… それ、ハローグッドのサービスマネージャーさんじゃないですか?」
 軽く笑って清香が尋ねると、三田は驚いた顔になった。
「よく、わかったな」
「私も経験ありますから」
 清香の答えに、三田は「そうか…」と答えて、空の小箱を見つめた。
「だが、それだけでは安心出来なかった。そんな時に、この小箱を開けた」
「どうして開けたんですか?」
 清香が尋ねると、三田は恥ずかしそうに笑った。
「笑うなよ… お前の匂いが欲しかった」
 三田がそう言うと、たまらず清香は「ぷっ!」と噴き出してしまった。
「おい…」
「だって… 旦那さまがそんな事するなんて…」
 だいぶツボに入ったらしく、清香は肩を震わせて笑い続けた。三田は「やれやれ…」とため息を吐くと、パコ、と小箱を閉じた。
「中身が空だと知って確信を持つことが出来た。お前は心変わりなどしていないし、早く迎えに行かなければならないと思った」
「その割には、遅かったですね」
 軽く拗ねるように清香が言う。
「色々と準備も有ったし、説得も一筋縄ではいかなかった」
「それは、実家での事ですか…?」
 清香が心配そうに尋ねると、三田は軽く笑って首を振った。
「まぁ、その話は後だ。今はもっと大事な話が有る」
 そう言うと、三田は懐から新しい小箱を取り出した。
「受け取ってくれ」
 清香の手に強引にその小箱を乗せる。清香が恐る恐る小箱を開けると、そこには、クリトリスのピアスに良く似た、しかし、明らかに形も大きさも違うリングが入っていた。
「こ、これ…」
「言っておくが、ピアスじゃないぞ」
 銀色に光るその指輪は、清香の薬指にぴったりのサイズだった。
「嵌めて見せてくれ」
 三田がそう言うと、清香は震える手をなんとか操って、左手の薬指に指輪を嵌めた。
「あは…」
 意識しなくても笑みがこぼれる。形容の出来ない多幸感が清香を包み、何度目かわからない涙がこぼれる。
「…旦那さま」
「なんだ?」
「私は、幸せになってもいいんでしょうか?」
 泣き笑いのその問いに、三田は眉根を寄せて答えた。
「奴隷の意思など関係ない」
 断固たる口調で告げる。
「私が、問答無用で幸せにしてやる」
 その瞬間、清香は三田に抱き付いて叫んだ。
「幸せにしてくださいっ!」

 ベッドの上に、清香が三田を押し倒す様にして倒れこむ。
 そのまま清香は三田にキスをすると、強引に舌を突っ込んで貪るように三田の咥内をねぶった。
「…ぷはっ、おい」
 やりすぎな位の清香の行為に驚いた三田が、口を離した後に困ったように言った。
「少しは丁寧にだな…」
「我慢出来ません!」
 三田の文句を一刀の元に切って捨てると、清香は三田の上に馬乗りになって後ろを向いた。そして三田の股間に顔を近づけると、焦る手つきでベルトを外して、ズボンとパンツを一気に下ろした。
「はぁ… 夢に見ました… 旦那さまのおちんちん…」
「好きにしてくれ…」
 大分、疲労もたまっている三田は好きにさせることにした。
 任された清香は「はい!」と頷くと、舌を伸ばして三田のペニスをペロペロと舐めはじめた。
「ぺろ、ぺろ… ちゅぱ…」
 顔を近づけると、三田のペニスの匂いが、ムワッ、と清香の鼻腔を直撃して、頭がくらくらする。
「ぢゅ… ああ、欲しかったんです…」
 完全に奴隷の目になってペニスを舐め上げる。三田のペニスが十分に勃起してきたのを確認すると、清香は大きく口を開けてペニスを咥内に咥えこんだ。
「ん… んぐ…」
 フェラチオは文が得意にしていたから、清香は喉奥まで咥える事に慣れてはいない。いつもなら、えずく喉を必死に抑えてのご奉仕だが、今日は苦しく無い。
(喉の奥… 当たってる…)
 喉奥の口蓋にペニスが入り込む。鼻の中に三田の陰毛が入ってきてチクチクするが、そういった刺激の全てが、清香の被征服欲をいっそうかきたてた。
(確か、こうやって…)
 文がやっていたのを見よう見まねで、猫のように喉を鳴らす。喉奥が細かな蠕動運動を始め、強烈な刺激をペニスに受けた三田が、おもわず「うっ…」と呻き声を上げた。
「…上手くなったな」
 ポツリと呟く三田を見上げてニコリと笑うと、清香は噛まないように十分注意してからディープスロートを始めた。
「じゅぶ、じゅぷ… じゅぱっ」
 一心不乱に頭を振ると、だんだんと頭がぼーっとしてくる。口の中を蹂躙するペニスが愛しくてたまらない。清香はどうしても手放す事の出来ない感情を思い知った。

「清香…」
 三田が清香の髪を撫ぜながら呟く。その意味を理解した清香は、ゆっくりとペニスを口から吐き出すと三田の上に馬乗りの体勢になった。
 引き千切るようにスカートを取ると、三田が久々に目にするショーツのクロッチ部を横にずらす。それまでショーツに堰き止められていた愛液が、重力に従ってたらたらとペニスに落ちる。
「淫乱な女だ…」
「はい… 私は淫乱で、おまんこでおちんちんを咥えることしか能の無い雌奴隷です… 卑しい奴隷に、旦那さまのおちんちんをお恵み下さい…」
 口調とは裏腹に幸せな表情をして清香が言うと、三田は了解するように、そっ、と清香の腰に両手を回した。
「ああ、いいぞ…」
「失礼します…」
 キスをするように、腰を屈めて亀頭とヴァギナを触れさせる。「ふう…」と軽く息を吐くと、清香は手を使わずにヴァギナと腰の動きだけでペニスを呑み込み始めた。それは、まるで蛇が獲物を丸呑みしている様だった。
「…ああっ!」
 ペニスを根元まで呑み込むと、軽い絶頂に達したらしい清香がおとがいを反らす。痛いほど勃起している胸の先端が細かく震える。三田が悪戯心でそれを指先で、ピンッ、と弾くと、それが呼び水となって清香の全身が震えだした。
「あぁぁぁ… はぁ…」
 かみしめる様に、長く、強い絶頂を味わうと、清香は、カクン、と身体を折って三田の胸元に倒れこんだ。
「旦那さま… イッちゃった…」
「どれだけイッても不感症にならんのは流石だな」
 少し微妙な三田の感想に「あは…」と軽く笑うと、清香は改めて身体を起こしてヴァギナに力を込めた。
「うっ…」
「今度はちゃんとご奉仕します… フェラチオじゃ文ちゃんに勝てないけど、ココなら誰にも負ける気は有りません…!」
 静かに宣言すると、清香はゆっくりと、大きく腰をグラインドさせ始めた。挿入が甘いと抜けそうなくらい大きな動きだが、清香が隙間無くぴっちりとヴァギナがペニスを咥え込んでるせいで、抜けるどころかすさまじい刺激が三田のペニスを襲った。
「おお…!」
 思わず漏らした声に気を良くしたのか、清香は少し腰を上げてペニスの根元を手で掴むと、「いきます…!」という声と共に腰を前後に激しく動かし始めた。
「うおっ!」
 まるでペニスを柔らかいヤスリで削られているようだ。ざらざらとした感触が敏感な亀頭を行き来し、一気に射精感が高まる。
「清香… そろそろ出すぞ…」
 三田が堪えるように声を出すと、清香は「はい!」と頷いて再び奥までペニスを銜えこんだ。
 しかし、腰を動かそうとした矢先、清香は口に両手を当てて「ああっ!」と声を上げた。
「ん、どうした?」
「あのあの…」
 動揺してちらちらと視線を外すと、清香は「お薬…」と呟く。
「最近、お薬、飲んでませんから… 膣内に出したら…」
 申し訳なさそうに言う清香に、三田は心底残念そうな声で答えた。
「なんだ… 私の子供を産んではくれないのか?」
「…………………!!」
 その瞬間、清香の目の色が変わった。無言で三田の腰を強く掴むと、それまでの動きがそよ風に思える激しさで腰を動かし始めた。
「お、おい…」
「出して! 旦那さま私の膣内に出してくださいッ! 当てて下さいッ!!」
 暴風のような勢いに抗しきれず、三田は「やれやれ…」と呟くと、耐えてきた精を解き放った。
「あっ… 出てる…」
 少しでも奥で射精されたいのか、腰をぴったりと密着させて固定する。そして、愛しそうに下腹部を撫ぜると、清香は再び腰を前後に動かし始めた。
「おい…」
「今日は孕むまで離しません…!」
 完全に目の色を変えた清香を見て、三田は自分の失言を心の底から後悔した。

「…夜か」
 気だるい疲労感と共に目を覚まして窓を見ると、外はすでにどっぷりと色を落としている。
 枕元の電子時計を見ると、時刻は午後7時。身を起こそうとすると、未だ結合を解かない清香が倒れこんでいて、なかなか思うように行かない。
「子供が出来る前に赤玉が出そうだな…」
 苦笑して清香を揺り動かすと、寝起きに弱いだけに、清香は数瞬ボーッとした表情で三田を見つめると、繋がったままの腰を再度振り始めた。
「こら、いい加減にしろ。セックスばかりして生きるつもりか?」
 少々乱暴に上から振り落とすと、清香が「きゃっ!」と悲鳴を上げてベッドに弾む。
「うぅ〜、酷いです、旦那さま…」
「お前のほうがよっぽど酷いぞ… 疲れているのに何度も相手をさせやがって…」
 ぶつくさ文句を言うと、落ち着くように「ふぅ!」とため息を吐き、三田は「シャワーと、そしてメシだ」と宣言した。

 ゆったりとシャワーを浴び、ホテル近くの飲食店で食欲を満たして部屋に戻ると、三田は「さて…」と呟いて話を切り出した。
「何から話そうか…?」
「そうですね…」
 落ち着いて、いつもの調子を取り戻した清香が顎に手を当てて考え込む。
「…わからないことだらけで、何を聞いていいのやら… よろしければ、旦那さまが好きなように話して頂けませんか?」
 逸ろうとする気持ちを努めて抑えて清香が尋ねると、三田は大きく頷いた。
「まず、お前だが、朝に話した通り私が貰った。依存は?」
「ありません!」
 きっぱりと清香は断言した、がすぐに不安そうな表情をする。
「…でも、色々と問題があるんじゃないですか? 実家とか、文ちゃんの傷害とか… それと、私が逃げた事とか…」
 いっぺんに落ち込んだ清香の髪を優しく撫ぜると、三田は優しい声で語りかけた。
「その辺の問題は解決したから心配するな。まず、文の傷害だが、瞳子さんは届け出を出さないそうだ。むしろ出さないでくれと頼まれたほどでな」
 傷害罪は親告罪ではない。本当は裏で色々と手を回したのだが、それは言わないでおいた。
「次にお前が逃げて皆に心配させた件だが… まぁ、それはお前が自分で頭を下げろ。心配した人全員にだ。できるな?」
 三田の言葉に、清香は神妙な顔で頷く。
「よし、では明日、お前の実家に行くぞ」
 予想はしていたが、この言葉に清香はかなり緊張した。写真でしか知らない母親や、顔も知らない祖母に会うのは、かなり勇気が居る。
 そんな様子を見た三田は、苦笑すると励ますように言った。
「まぁ、そんなに緊張するな。私も最初は物を投げられたが、とりあえずは納得してもらった。悪い人たちではない」
 その言葉で、清香は三田がすでに実家に行ったことを思い出した。
「あのぉ…」
「何だ?」
「私の実家って… どんなところでした?」
「ふむ…」
 三田は考え込むように頷くと、スッと清香と視線を合わせた。
「では、そこから話そう……」

 田舎道の国道を延々と走り続けて、三田はようやく目的の地名を標識に見ることが出来た。
「流石に車は無茶だったか…?」
 すでにハンドルを握ってから10時間以上経過している。途中で何回かは仮眠を取ったが、それでも抜けきれない疲労が三田の全身を覆っていた。
 移動に車しか使わないのは三田の悪癖の一つだ。別に飛行機や列車が嫌いと言うわけではないのだが、どうにも自分で運転していないと気が済まないのだ。
「いや、あと少しだ。がんばれ、三田敦…」
 呟くように活を入れると、三田は眠気を振り払ってアクセルを踏み込んだ。

 それから、峠を2つほど越えて、三田は事前に約束していた国道沿いのコンビニエンスストアに到着した。
 三田が車から降りると、店内で待っていた瞳子がすぐに三田に駆け寄った。
「お久しぶりです!」
「ええ、お元気でしたか?」
「はい、そりゃもう…」
 軽く挨拶を交わすと、三田に促されて、瞳子はすぐに車に乗り込んだ。
「では、案内します」
「よろしくお願いします」
 そう言いながら、瞳子が助手席からチラチラと三田の横顔を覗き見る。三田と顔を会わせるのは屋敷で別れて以来数週間ぶりだが、その時と比べると大分印象が変わったように思える。
「ん、どうかしましたか?」
「あ、いえ… 少しお痩せになったなぁ、と…」
 正直に見たままの感想を言うと、三田は軽く笑って答えた。
「食生活が悲惨なものになりましたからね。以前は一人で何でもこなしていたんですが、人間、楽を覚えてしまうと、なかなか元には戻れませんね」
 三田の言葉に頷きながら、瞳子は(三田さん、少し変わったかしら…?)と心の中で首を傾げていた。以前は慇懃さのあまり、少し冷たい印象を感じ話辛かったが、今は自然と会話をすることが出来る。
「良い環境のようですね」
 電話では何回か瞳子と話して近況は把握していたが、実際に元気そうな瞳子を見て、文にも問題がないことが類推できた。
「電話で聞くとおり、いいご家庭なんですね。元気な瞳子さんの声を聞いて安心しました」
 しかし、ホッとした口調で話す三田とは裏腹に、瞳子の声は多少沈んだものだった。
「あの〜… ご安心なさっているところに水を差すようですが…」
「はい?」
「もう少し覚悟を決めて行かれたほうがいいと思います…」
 その一言で、途端に三田の眉根がぎゅっと寄った。どうやら、ホッとした態度は空元気だったようだ。
「…やはり、歓迎されていませんか?」
「当たり前だと思います。私は文ちゃんを連れて行った絡みで親しくして頂いていますが、三田さんは、そのぅ…」
 言いにくそう瞳子は口篭ったが、三田に視線を投げられ、一気に言った。
「娘を強奪しに来るようなものですから…」
 三田は返事をしなかったが、態度で示すかのようにアクセルを踏み込んだ。


「遠いところをわざわざお越し頂き、ありがとうございます。ところで、いつお帰りでしょうか?」
 最初に受けた言葉がこれだった。
 玄関に迎えに出てくれた文との再会もそこそこに、三田は和室の応接間へと通され、そこで深沢邸の女主人と向き合っていた。
 応接間には、文も居なければ瞳子も居ない。三田は馴れない正座の姿勢で、正面に女性二人を見据えることになった。
「コホン、失礼… えー、先ずは私に謝罪をさせて下さい。その… 1月半ほど前の話になりますが、フェリー上で深沢さんとお会いした時に…」
「未亜子、この人とお知り合いかい?」
「いいえ、お母様。知りませんわ」
 なんとか言葉を繋ごうとした三田を、母子がばっさりと切り捨てた。三田の顔に脂汗が滲む。
「お怒りはごもっともです。私は人道にもとる行為をしてしまいました。それを否定することもいたしません。ですから、過ちを正すためにも、謝罪を受け入れて頂きたいのです。お願いします」
 言葉と共に三田は精一杯頭を下げた。
 しばらく、そのままで時間が過ぎた。そう簡単に許してはもらえないと覚悟をしてはいたが、それでもこの間は辛い。
(仕方がない、か… そりゃそうだ…)
ようやく、正面の2人が溜め息を吐く雰囲気が感じられると、若い声で「顔を上げてください」と声が掛かった。
 三田が顔を上げると、2人がバツが悪そうに顔を横に向けている。根は善人なのだと、三田は感じた。
「…フェリーで黙っていられたのには、正直怒りしかありません。ですが、結果的には娘たちを返して頂いたのですから、当方としても文句はありません。
 それに、施設がなくなって、姉妹がばらばらになるところを引き取って頂いたのには感謝しています」
 感情を抑えているのか、未亜子が淡々と言った。
「その話は…?」
「文から聞きました。文は大変そのことに恩を感じているようで、10回は聞かされました」
「そうですか…」
 三田は自分の頬が緩むのを感じた。おそらく、文は自分が来ることを知って必死にアピールしてくれていたのだろう。それが単純に嬉しい。
「随分と…」
 どこか羨むような口調で未亜子が呟く。
「随分とあの子に慕われていらっしゃるんですね…」
 それは、はっきりと嫉妬だとわかる言葉だった。当然だ、と三田は思う。1年間濃密な時間を過ごしたとはいえ、自分は赤の他人だ。実母からしてみれば、娘が赤の他人を良く言うのは複雑な気分なのだろう。
「文がこの家に来てから、あなたの話が出ない日はありませんでした。こんな言い方はしたくありませんが、あの娘にとってはあなたは父親のような存在だったようですね」
 未亜子の声は氷点下の冷たさだが、逆に三田はその言葉でどんどんと気持ちが浮ついてくるのを感じた。
「大したことはしていませんし、出来てもいません」
「謙遜はよしてください」
「いえ、本当にそうです。もし、深沢さんの目に文さんが立派に映るのならば、それは施設に居たときの教育が良かったからでしょう。面識は有りませんが、指導された方は立派な人物だったと聞いています」
「そうですか…」
 それきり、未亜子は黙った。三田は一つ深呼吸をすると、切り出す良いタイミングと口を開きかけた。
 しかし、三田が話すよりも先に、それまで黙っていた静ばあさんが口を開いた。
「頭を下げるのがあんたの目的かい? それならもう終わったろう。とっとと帰ってくれんかね?」
 機先を制されて三田は思わず鼻白んだ。やはり年の功は違う、と思わず河合の顔が浮かぶ。
「いえ、それは目的の一つです。まだ、あります」
「聞く気は無いね。これ以上、あんたに何の用がある? 引き取っている間の生活費でも要求する気かい?」
「そのつもりもありません」
 三田はここが勝負どころだと覚悟を決め、じっと2人を見つめた。
「今日は、お嬢さんを頂きに参りました」

「どうかなぁ…?」
「どうだろうねぇ…」
 三田を応接間へと通した後、文と瞳子は文の私室でまんじりと時間を過ごしていた。
「文のことは、もう旦那さまに話してるんだよね?」
「うん、そこは納得していたわ」
「じゃ、あとはお姉ちゃんか…」
 呟いてから少し頬を膨らませる。その仕草が可愛くて、瞳子は思わず文のほっぺたを突っついた。
「なによう!」
「妬けちゃう?」
 悪戯っぽい瞳子の問いに、文は「しょーがないもん」と答える。
「私は、あの時逃げる勇気無かったから…」
 清香が河合の車から居なくなった時のことを思い出す。あの時の姉は、まるで前々から決めていたかのように姿を消した。
「じゃ、あとは三田さん次第ね」
「驚くお母さんの顔がはっきり浮かぶよ…」
 ポツリと呟くと、文と瞳子は顔を合わせて「あはは…」と苦笑した。

 宣言した後、明らかに空気が変わった。
 未亜子の目が釣りあがり、嫌悪から怒りへと表情が変わった。
「…今、なんと?」
「お嬢さんを頂きたい、と申しました。有り体に言えば、結婚の許可を下さい」
 確実に一生の中で一番緊張している、と三田は感じた。背中に冷や汗が流れ落ち、じっとりと脂汗が浮かぶ。清香の顔が見たい。
「…確認しますが、それは清香の事で間違いありませんか?」
「はい、その通りです。清香さんを私に下さい」
 言いながら、再度頭を下げる。が、すぐに「頭なんか下げないで下さい!」と未亜子が怒鳴った。
「は…」
「あなた… あなた、何を…!」
 あまりの衝撃なためか、未亜子の口が回らない。
「何のつもりなんですか!? いえ、何がしたいんですか? 今は確かにこちらには居ませんが、清香もこちらに帰す約束だったでしょう?
 私は今でもあの娘が帰ってくるのを、今か今かと待っているんです。文も居るし、捜索はそちらでやるからと自重していますが、本当は今すぐにでも探しに行きたい気分なんですよ!!」
「はい、理解しております」
「理解? 理解ですって!?」
 未亜子は信じられない、と言う風に首を振る。
「理解してらっしゃるのなら、今すぐ出て行ってください! そして、一刻も早く清香を連れてきて下さい!」
「それはできません」
 三田はキッパリと断った。が、口の中がカラカラだ。清香の淹れたお茶が飲みたい。
「清香を連れてくるにしても、深沢さんの許可を頂いてからです」
「許可なんか出すもんですか!」
 未亜子もキッパリと言った。
「だいたい、常識で考えてください! 歳だって、あの娘は今年で、今年で…」
「今年17になりました」
「そう! 17歳です! 結婚とかどうこう言う歳では…」
 未亜子の声が急に沈んで小さくなった。自分が18で清香を産んだ事を思い出したのだ。
「ふん、まぁ、法律的には問題ないわな。ただ、ちーとばかり歳が離れているが…」
 それまで黙っていた静ばあさんが口を開いた。それに未亜子が慌てて同意する。
「そ、そうです! 三田さん、あなた今年でお幾つになるの!?」
「未亜子さんと同い年です」
「それじゃ、本当に親子ほども離れているじゃない! よくもまあ、そんな破廉恥な…」
 そこで、未亜子はハッと口をつぐんだ。とある可能性を思い立ったからだ。
「あなた… もしかして清香と、その…」
 未亜子の言わんとする事は、すぐに理解出来た。三田は聞かれたら正直に話そうと考えていた。
「はい、清香とは性交渉をもっていました」
「そん、な… はっ、まさか、文は、文は!」
「同じく、です」
 その瞬間、未亜子は床の間に飾ってあった花瓶を引っ掴んで、思いっきり力を込めて三田に放り投げた。花瓶は三田を外れて壁に当たったものの、中の水が掛かり三田はびしょ濡れになった。
「けだもの!」
「…仰る通りです」
 流石に動揺を隠せずに、震える声で三田が答える。
 仁王立ちして息を荒く吐く未亜子に、静ばあさんが「未亜子、座んなさい」とたしなめた。
 未亜子は言う通りに座ると、今度はさめざめと泣き出した。場の空気が嫌なものになった。
 静ばあさんが「はぁ…」とため息を吐くと、改めて三田の方を向いた。

「な、何の音かな…?」
 応接間の方で派手な音がした。未亜子の怒鳴り声も聞こえる。
「見に、行く…?」
 文と瞳子がお互いに顔を見合わせる。三田にも未亜子にも来ないで欲しいと言われていたが、流石に気になってしょうがない。
「ちょっとだけ…」
 文が人差し指と親指の隙間を、ちょこっとだけ開けながら言った。

「もう、お分かりでしょうが、あんたに孫はやれません。そりゃ、私も未亜子も孫の顔もわからないくらい極道な親です。でもね、だからこそ今からしっかり育てて行きたいという気持ちも強いんですよ」
 横で未亜子がうんうんと頷く。
「私も未亜子も、孫たちを捨てた事を散々後悔してきた。その罪滅ぼしも、させてくれんのですか?」
 静ばあさんの声には真摯な響きが伴っていた。なるほど、この老婆は極端な愛情を持っているのだな、と三田は考えた。
(私と同じか…)
 そう考えると、少し可笑しくて、これからの自分の行動にいくらかの余裕が出てきた。
「…そういった事情もひっくるめてお願いしております。深沢さん方にも清香は必要な存在でしょうが、それ以上に私にとってもあの娘は必要な存在なのです」
「おもちゃとしてかい?」
「いえ、人生のパートナーとしてです」
 そう言うと、三田は懐に手をやった。幸いな事に濡れていないようだ。
「もちろん、タダでとは申しません」
 スッ、と懐から分厚い封筒を取り出すと、三田はそれを2人の中央に置いた。
「結納金代わりです。お納め下さい」
 静ばあさんが訝しげに封筒の中身を確認して、ぎょっとした顔つきになった。
「これ、あんた…」
 てっきり札束かと思ったら、それは50枚綴りの小切手帳2冊だった。どの小切手にも深沢が取引する銀行の名前と、そして10,000,000の数字が刻印されている。
 しめて10億円。個人が持つにはとんでもない額の数字がそこには記載されていた。
「あんた、あんた…」
 静ばあさんは、ワナワナ、と震えて声を出せない。隣の未亜子も同様だ。
「お納め下さい」
 もう一度、三田が静かに言った。
「あんた! 金で孫を買おうって言うのかい!!」
「その通りです」
 静ばあさんは何か投げるものは無いかと、きょろきょろと辺りを探したが、すでに未亜子が花瓶を投げつけているので、歯軋りして三田を睨んだ。
「…あんた、けだものの上に人でなしだね。どうせ、ウチの事情も知った上での事なんだろう?」
「はい、存じております」
「はン! 存じてます、か!」
 顔も見たくないと、静ばあさんがそっぽを向く。
 三田の胃がキリキリと痛む。顔では平静を装っている三田だが、内心は逃げ出したいくらいに動揺している。
「決まりだ。あんたにゃ孫はやれない。金勘定だけで渡世しようなんて人間に、孫をやれるもんか!」
 最後通牒とばかりに静ばあさんが言い放った。
(ここが正念場だ…!)
 三田は、ぐっ、と腹に力を込めた。
「…しかし、私にはそれしかないのです」
 三田が力強く言った。
「元々、金儲けにしか能の無い人間です。あれこれと釈明の言葉を重ねても、清香への愛を説いても、それは私の本気を表すものではりません」
 清香の存在が欲しい、今こそ切実に三田はそう感じる。
「私の本気を表すのは、お金しかないんです。その10億は、私が10年以上かけて、こつこつと積み上げてきた物です。もちろん、その全てではありませんが…」
 そこで三田は一つ息を入れた。2人は黙って話を聞いている。
「ですが、私の半身といっても過言ではありません。願うるならば、単なるお金として見ないで下さい。私が、これほど清香を必要としているのだと、どうかご理解ください」
 ここで、三田は深々と頭を下げた。
「お願いします、どうか清香さんを私に下さい! 必ず、幸せにしてみせます!」
 いつも冷静でいる三田の、心からの懇願だった。

「………」
 襖を隔ててすぐ隣室で、文は三田の言葉を聞いていた。その顔が大きく歪んでいる。
「大丈夫?」
 小声で瞳子が尋ねる。文は歯を食いしばって「うんうん」と頷いた。
「あはは、お姉ちゃんの一人勝ちだね…」
 力なく笑う文を、瞳子がソッと文を抱き寄せた。
「こっちで、良い男見つけなさい」
「うん、ありがと…」
 瞳子も失恋が決定的となったのに、自分を慰めてくれるのが嬉しかった。
「さて、覗くのはこれぐらいにして、戻りましょうか」
「…そだね」
 2人は頷き合うと、ソッとその場を後にした。

「顔を上げてください」
 今度は早い時間で静ばあさんが言った。三田が顔を上げると、静ばあさんは小切手の詰まった封筒を三田に滑らせた。
「あんたの本気は良くわかった。しかし、こちらも『はい、そうですか』とは受け取れない。そうだね、未亜子?」
「…はい、清香の本心も聞きたいです」
 十分に落ち着いたのか、未亜子がしっかりとした声で言った。
「三田さん。あなたの気持ちは理解出来ました。清香を手放したくないという想いも。だから、私もあの娘の母親として考えたいと思います。
 そのために、一度あの娘を連れて帰っていただけませんか? そうして、あの娘の気持ちを聞いた上で、判断したいと思います」
 その言葉に、三田は大きく頷いた。
「はい、当然のご判断だと思います。清香はH市に居ますので、今日中に連れて帰るのは難しいですが、明日の夜には連れて参ります」
 その言葉に、静ばあさんが慌てて言った。
「ちょっと待った。あんた、もしかして今から行くつもりなのかい?」
「はい、このままトンボ帰りして、清香を連れて来ます」
「…まぁ、帰れといったのはうちらだが、今晩ぐらいはゆっくりしていきなさい。見たところ、だいぶ疲れているんだろう?」
 指摘されて、三田は情けなさそうに眉根を寄せた。確かに、このまま、またハンドルを握るのは億劫だ。
「それに、文が拗ねてしまいます。三田さんが来るのをとても楽しみにしていたんですから。…まぁ、本音を言えば、多少不安がありますが」
 その言葉はチクリと胸に刺さったが、三田は申し出に甘える事にした。
「わかりました。お言葉に甘えさせていただきます」
 三田がそう言うと、静ばあさんが大声で「文!」と呼んだ。
 程なくして、バタバタと音を立てて文が現れた。
「おばあちゃん、呼んだ?」
「この人の部屋の用意。あたしゃ疲れたから引っ込む」
 そう言うと、静ばあさんは億劫そうに立ち上がって応接間から出て行った。緊張が解けたように未亜子が「はぁーー…」とため息を吐く。
「お母さん…」
「文、おばあちゃんの言う通りにして。三田さん泊まっていかれるから。部屋はわかるわね」
「う、うん…」
 そう答えて、文は三田に「えへへ…」と笑いかけた。三田は思わず頭を撫ぜたい衝動に駆られたが、流石に実母を前にしてそれをする勇気は無い。
「こっち、です…」
 文も遠慮しているようで、はにかみながら、とてとて、と歩き始めた。
「あ、おい… では、一旦、失礼いたします」
 少々焦りながら、三田は未亜子に一礼すると、文の後を追って応接間を出て行った。
「……はぁ」
 残された未亜子が、盛大にため息を吐いた。
「ちょっと、ほんのちょっとだけど…」
 小さな声で呟く。
「ちょっとだけ… 羨ましいわ…」

「旦那さまっ!」
 三田を客間に通した途端、文は三田に抱き付いた。
 飛んできた文を軽々と受け止めて、三田は思う存分文を抱き締めた。
「元気にしていたか?」
「はい… お母さんもおばあちゃんも、とても優しいです」
「そうか…」
 面と向かってその言葉を聞いて、三田は心底ホッとした。杞憂だとは思っていたが、やはりちゃんと扱われているのか心配だったのだ。
「それと、瞳子さんにごめんなさいって言って、仲直りしました」
「うん、瞳子さんから聞いた。偉いぞ」
 さらに頭を撫ぜられて、文は嬉しそうに「えへへ…」と笑った。
「………」
 文は名残惜しそうに身体を離すと、散々躊躇ってから携帯電話を取り出した。
「ちょっと、ごめんなさい…」
 ペタン、と座って、パカリ、と携帯電話を開くと、猛然と打ち始める。なんとなく居心地が悪い三田は、先ほど濡れてしまった上着を脱ぐと、念のため持ってきたシャツに着替えた。
(誰とメールしているんだ?)
 メールは1回では済んでないらしく、文の指は止まる気配がない。
 ほどなくして、ようやく指を止めて携帯電話を仕舞うと、文は座っている三田と膝が突付き合う距離まで近付いて正座した。
「ん、どうした…?」
 見詰め合った文の目が、ひどく思いつめた風に感じる。三田の心が微かに粟立つ。
「…旦那さま、お願いがあります」
 深々と頭を下げる。
「私とお姉ちゃんと一緒に、逃げて下さい」

(何だ!? 何を… いや、当然なのか… 確かに、責任はある…)
 数瞬の間に三田の思考が稲妻のように駆け巡る。
 文の真意がわからない。事件前に清香から聞いた話や、最近の瞳子との電話で、文はこの家で暮らす事に前向きであると思っていた。
(しかし、そうだ… 文本人に確認したわけではない…)
 三田は己の浅はかさと身勝手さを悔いた。自分たちの事ばかり考えて、ある意味一番の被害者である文を蔑ろにしていた。
(逃げる… 出来ない事ではない…)
 自分の懐には10億の小切手がある。それに、自分の商売はパソコンとインターネットさえあればどこででも再開出来る自信はある。
(だが、それでは、また不義理を果たすことになる…!)
 あまりの葛藤に泣き出しそうだ。それも全て身から出た錆と考えれば、納得するしかない。
「あ、や…」
 絞りだすように声を出す。身を切るどころか、全身がすり潰される思いで三田は口を開いた。
「すま…」
「はい! 嘘です!!」
 三田が答えるより先に、文が勢い良く顔を上げて言った。そのあまりの元気な声に、三田は一瞬あっけに取られて、そして、かぁ、と頭に血がのぼった。
「お前! 何の、つもり、だ…」
 怒鳴りつけようとした三田の声が萎む。満面の笑みを浮かべる文の瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「文…」
「えへへ、これくらい、いいでしょ。ね?」
 涙がこぼれるのを必死に堪えて文が言う。
「旦那さま、お姉ちゃんを幸せにして下さい。文は大丈夫です。お母さんと、おばあちゃんと、この家でしっかり生きて行きます」
 涙をごしごしと拭って、文はしっかりと言った。釣られて三田が頷くくらい、力強い言葉だった。
「ああ、わかった。約束する」
「はい… で、でもですね、あのぅ…」
 途中、突然声色を変えて文が呟く。
「ん、何だ?」
「最後、最後なんです。もう、最後の機会なんです…」
「何だ、何の話だ?」
「最後に、今からデートしてくれませんか?」
 文のお願いに、三田は低く唸った。
 文の想いを考えれば、デートの1つや2つはしてやりたかった。だが、流石に今すぐは深沢家に対して体裁が悪い。
「文、会うのがこれで最後ではないんだし、また日を置いてから…」
「ううん、今日じゃないと… お姉ちゃんが来てからじゃ、遅いんです…」
 ここで、三田はようやく気が付いた。文は“おねだり”をしているのだ。
「だが、皆の目がある…」
「お母さんやおばあちゃんなら大丈夫。瞳子さんにアリバイ頼みました。上手くやってくれるそうです」
 手際の良さに三田は唸った。
 文は再び頭を下げると、既視感を感じさせる口調で言った。
「ケジメにします。旦那さま、マゾ犬の文に、最後の調教をしてください…」
 小さく丸まる可愛い奴隷に、三田は覚悟を決めるしかなかった。

「わ、わっ! 地下室とそっくりな部屋ですね!」
 深沢邸からこっそりと抜け出すと、文は前々から目星を漬けていたというファッションホテルに三田を案内した。
「…なんでこんな田舎にこういうホテルがあるんだ?」
 県道から少し外れたところにあったその建物は、外装からして金の掛かった作りをしており、文が当たり前のように選んだSMルームも、マニアの三田から見ても相当手の込んだ作りをしている。
「ここらへん、ドライブなんかのデートコースなんですよっ!」
 はっきりと舞い上がっているのを隠そうともせず、文は陽気に言った。カラ元気というわけでもなく、純粋に今からのプレイが楽しみなようだ。
「ま、あるものは使わせてもらうか…」
 室内の設備や道具をざっと点検した三田が、区切りをつけるようにベッドに腰掛けた。
「挨拶」
「はいっ!」
 対照的な声を交わした後、文は腰掛けた三田の足元に這いつくばって頭を垂れた。
「旦那さま… 卑しいマゾ犬の文です…」
 一度、口をつぐむ。
「文は、旦那さまに苛められるのが本当に好きでした。けつまんこも、おっきいおっぱいも、旦那さまが開発してくださった身体の全てが、文の宝です。でも、明日からは普通の女の子に戻ります。マゾ犬は、たまに思い出すかもしれないけど、今日でひとまずはお別れです」
 スッ、と視線を上げると、文はにっこりと自然な笑顔を見せた。
「旦那さま、最後の調教をお願いします」
 その愛らしさに、三田は思わず頭を撫ぜたくなった。だが、その衝動はぐっと堪えた。今は邪魔なだけだ。
「…挨拶の仕方を忘れたのか? 奴隷が挨拶の最中に顔を上げるな」
「す、すみません!」
 慌てて文が顔を下げて床に額を擦り付ける。
 三田は足を上げると、思い切り勢いをつけて文の頭を踏み潰した。
「がっ!」
 顔面を思い切り床に打ちつけ、鼻の奥にツンとした血の匂いが広がる。文の頭の中が一瞬真っ白になった。
「…お礼はどうした?」
 わずかにもがく文の頭を、さらにグリグリと踏みにじって三田が言う。口も押さえられた文が、苦労しながら「あ、ありがとう、ございます…」と呻くと、三田はようやく足をどけて文に立つように命じた。
「は、はい…」
 流石に踏みつけは強烈だったのか、一気に大人しくなった文が震えながら立ち上がる。2人の目が合うと、三田は間髪いれずに文の頬を張った。
 パシィィ! と鋭い音が室内に響く。
「はぅ! あ、ありがとうございます…」
「マゾ犬が服を着るな」
 その一言で、文は慌てて着ている服を脱いだ。身長、年齢に相応しくないおっきいおっぱいが、荒い息と共に揺れる。

「少し、躾をしなおす必要があるようだな。そこの壁に手を付いて尻を出せ」
 そう言われて、文はすぐに示された壁に手をついて、思いっきりお尻を突き出した。
 この体制では振り返ることを許されていない。三田が宣言でもしないかぎり、どんな責めがくるのかは文にはわからない。
(お尻、叩かれる… パドルかな、鞭かな… 旦那さまの平手がいいな…)
 恐怖と期待とがない交ぜになった頭で文が想像していると、背後から、ヒュン! と風きり音が鳴った。
(鞭かぁ… 実はあんまり痛くないんだよね、あれ…)
 半ば落胆していると、「いくぞ」と三田の声が掛かった。「お願いします…」と答えて、叩かれ易いようにさらにお尻を高々と上げると、ヒュン! という風きり音が鳴り、
 文の全身に激痛が走った。
「ぎゃあああ!!」
 打たれたのは尻なのか背中なのか。それすらも分からないほどの激痛が文を襲った。一瞬で頭が真っ白になり、身体を支える足がガクガクと震えだす。
「数を数えるのも忘れたか?」
「あ、い、いっかい…」
 条件反射のように文が答える。
 その答えに、不満そうに頷いた三田が、思い出したように言った。 
「この部屋の道具を揃えた人間は、SMの素人だな。あるいは競馬のファンかもしれんが。まさか本物の乗馬鞭が置いてあるとは思わなかったよ」
 そう言って、三田が手にしたものを文に見せる。それを見て、文の血の気が引いた。
 それは馬用の乗馬鞭だった。
 以前、三田に教わった事がある。プレイ用の鞭は殺傷力を抑えられていて安全だが、本物の乗馬鞭は基本的に馬用だから、人体には衝撃が強すぎる、と。
(え… 馬用…? 馬用の鞭で文は叩かれたの…?)
意識が混乱して良く分からない。だが、三田はそんな文をお構いなしに再び乗馬鞭を振るった。
 ビシィィ!!
「ぎゃああああ!!」
 今度ははっきりとお尻だと分かる。打擲の後、真っ白な文のお尻にはっきりとした赤い線が浮かぶ。
「数はどうした!」
「いや!、 いやぁぁ!!」
 頭をぶんぶんと振って文が叫ぶ。ここ最近はまったく感じることが無かった明確な『恐怖』が、文の心を支配していた。
「5回だ! 数えろ!」
「うぅ… に、にかい…」
「ようし、次だ!」
 再び、三田が乗馬鞭を振りかぶる。
 ビシィィ!!
「ひぃぃ!! さんかい、です… ああ、許してください…」
 文が涙ながらに懇願するが、三田は完全にそれを無視すると、機械的な動きで残り2発の打擲を打ち込んだ。
 ビシィィ!! ビシィィ!!
「あぅ! よんかい、ごかい、です…」
 息も絶え絶えに文は言うと、そのままがっくりと床に崩れ落ちた。そのお尻は、痛々しいほどに腫れ上がっている。
「よし、よく耐えたな、偉いぞ」
 三田が文の顔を上に向けて、強引にキスをする。痛みの中の優しい刺激を受けて、文は夢中になって三田の唇を吸った。
「ふぅん… ちゅぱ…」
 三田はキスをしたまま文をお姫様抱きすると、そのままベッドまで連れて行って、ゆっくりと降ろした。


「流石に効いただろう?」
「…痛かったです」
 拗ねた用に文が言う。三田は軽く笑うと、文にお尻を突き出すように命じた。
「どら、見せてみろ… なんだ、濡れてるじゃないか。お前、本当は嬉しかったんじゃないのか?」
 三田が文のヴァギナを指で掬うと、手にはヌラヌラと光る愛液が纏わり付いてきた。
「ホントに痛かったです! …でも、ちょっとだけ新鮮で良かったです…」
 ぷう、と文が頬を膨らませる。だが、三田が濡れた手で文のアナルを弄りだすと、途端に蕩けた表情に早変わりした。
「んぅ、はぁん…」
「締まりと感度は相変わらずだな… ん?」
 弄っている最中に何かに気付いた三田が、弄っていた手を引き抜いて文の鼻先に突き付けた。
「おい、準備が足りないみたいだぞ」
 そう言われて、文は恥ずかしそうに顔を伏せた。
「だ、だってぇ… お金は瞳子さんに預けちゃったから、浣腸なんて買えないし… そんなに上手い具合には出せないです…」
 屋敷では定期的に浣腸と洗腸を行い、常にアナルセックスに備えていた文だが、流石に深沢邸ではそういうわけには行かず、実を言うと軽い便秘に悩まされていた。
「浣腸は… 置いてないか。役に立たんSMルームだ。格好ばかり付けるからこうなる…」
 なにやら不満げにぶつぶつと呟く三田を見て、文は申し訳なさそうに言った。
「あの… 今からトイレに行って来て良いですか?」
「それできちんと出るならいいがな…」
 そう言うと、三田はふと思い付いたように顔を上げると、出し抜けに文のアナルに指を3本突っ込んだ。
「にゃん!」
「どうだ?」
 3本の指をぐりぐりと動かされて、じくじくと走る快楽に耐えながら、文が「な、何がですか?」と尋ねた。
「痛くないか?」
「だ、大丈夫ですけど… ひゃん!」
 文の答えを聞いて、入れた時のように指を引き抜くと、枕元のティッシュで指を拭きながら三田が言った。
「掴み出せ」
「え、えぇ?」
 よく意図が分からず、文が妙な声を上げる。
「便はかなり下まで降りているようだ。とりあえず、入り口で固まっているのを取れば自然と中身も出るだろう」
「あの、えと、というと…」
 だんだんと三田の言わんとしてる事を理解して、文の表情がこわばり始めた。
「私の手じゃ太すぎるからな。自分で手を突っ込んで掴み出せ。幸い、ローションは大量にあるようだ」
 そりゃーないぜー。と、文は心の中でツッコミを入れた。

「じゃ、始め、ます…」
 明らかに緊張した声で文が言う。
 ベッドの上に左病臥になった文は、大量のローションでヌラヌラと光る右手を肛門に押し当てた。
「まずは4本の指が入る事を確認しろ。本番はそれからだ」
(旦那さま、簡単に言うけどぉ…)
 屋敷で散々に拡張されてきたから、それ位は楽勝で入るとは分かっているが、その後を考えると流石に動きが鈍ってしまう。
「どうした? 私が掻き出してやろうか?」
「や、やります!」
 慌てて答えると、文は覚悟を決めて、先ずは3本の指を肛門に沈め始めた。
「はぁぁぁぁぁ……」
 大きく息を吐きながら3本指を根元まで突き刺す。普段、アナルオナニーをする時は指3本だから、これ位は余裕で入る。だが、今回はそれだけではない。
「………うし」
 3本指で十分にほぐしてから、文は一旦指を引き抜くと、今度は4本の指をまとめて団子状にして肛門に押し当てた。
「い、いきます…!」
「ああ」
 三田の短い返事を合図に、文は4本の指をゆっくりと肛門に沈め始めた。
「く、くぅ…」
 すぼめた指の先端は楽に入るが、根元に行くに従ってどんどん指は大きくなる。文は何度も深呼吸を繰り返して指を進めていった。
「うぅ… ど、どうですか?」
 いい加減、進むのが辛くなってから三田に声を掛ける。三田は挿入部を矯めつ眇めつ眺めると、短く「よし」と呟いた。
「十分だ。ゆっくりと親指をもぐり込ませて、後は呼吸に合わせて手首まで入れろ」
 すでに息荒く、脂汗を流し始めた文がコックリと頷く。苦労して親指を折り曲げると、捻じ込むようにして肛門に突っ込む。
「うぅ…」
 4本の指を入れているせいか、親指は難なく入った。
(…あぁ、あっさり…)
 悲しいような嬉しいような、よく形容出来ない感情で文は「はぁぁぁ…」と大きな溜め息を吐いた。後は押し進めるだけだ。
「じゃ、じゃあ、入れます」
 震える声で宣言して、肛門の力を緩めながら手首に力を込めると、ぬぽぉ、と間抜けな音がして文の手が肛門にもぐり込んだ。
「あ、はいった…」
 手首まで入って逆に余裕が出来たのか、以外に冷静な声で文が呟く。探るように三田を見上げると、三田は文の肛門をじっと見詰めてから頷いた。
「案外、楽に入ったな。普通、摘便というものは指2本で行うものだが、まぁ、いいだろ」
「えぇー…」
 口では文句を言いながらも、文は挿入が上手く行った達成感と、アナルの性感帯を直に触れる事で得られる怪しい快感を感じ始めていた。
(あ… すごい… お尻の中、あったかくて、ぐちゃぐちゃで、ざらざらで…」
 一度動き始めた手は止まらない。文が思い切って指をぐちゃぐちゃに動かすと、これまで感じた事の無い快感が文の脳髄を貫く。
「あったか?」
 三田が短く尋ねると、文は恥ずかしそうな表情をした後、コクンと頷いた。突っ込んだ手の先に、確かに固い感触があった。
「恥ずかしいです…」
 羞恥に顔を真っ赤に染めて呟くと、文は人差し指と中指で“モノ”を掻き取ると、そのまま掌に握り込んでゆっくりと手を引き始めた。
「子宮を圧迫しないように注意しろよ」
「はいぃ…」
 真剣に返事をして深呼吸を繰り返す。経験的に、入れるときよりも抜くときの方が危険だと分かっている。文は括約筋が緊張しないよう、全身を脱力させて右手を抜き取った。
「はぁ!」
 手を抜いた瞬間、どっと冷や汗が噴き出して荒く息を吐く。ぼんやりとした意識で右手を眼前に持っていると、それには茶褐色の排泄物がべっとりと付着している。
「あはははは… やっとでたぁ…」
 満足そうに笑った文だが、次の瞬間「はぅ!」と呻いて左手をお腹に当てた。
「だ、旦那さま…」
「塞いでいたのが無くなったんだ。そりゃ、催すだろう。行って来い。ついでに綺麗にもしてこい」
「は、はい…!」
 文は、コクコク、と頷くと妖しい足取りで化粧室に駆け込んだ。ほどなく、個室からは嬌声があがった。

「では、改めまして…」
 全部出して綺麗にした文が、ベッドに腰掛ける三田の足元で座礼した。
「ご奉仕してもよろしいでしょうか?」
 顔を上げずに文が尋ねると、三田は「ああ、いいぞ」と頷いた。その声に、文は勢いよく顔を上げて、ニコッ、と満面の笑みを浮かべた。
「はい! 失礼します…」
 丁寧な手付きで三田のズボンを降ろし、まだ力のない三田のペニスを取り出すと、直ぐには咥えずチロチロと舌先で舐め始めた。
「チロ、チロ、レロ…」
 顔を近づけると強烈なオスの匂いが飛び込んでくる。文は三田の匂いしか知らないが、この匂いは初めから好きだった。
(むわっとして、ツンとして、舐めると苦くて、しょっぱくて…)
 ああ、だから私は変態なんだなー、と身体で理解する。同時に、これでこの匂いともお別れだと思うと、抑えていた感情が溢れそうになる。
「うぅ… あぁむ、んぐ、んぐ… すん…」
 三田に覚られないように、大きくなり始めたペニスを咥え込んで鼻を啜る。
(だめだめ… 最後までちゃんと奴隷でいなきゃ…! 気持ちよくお別れするんだ…」
 そう覚悟を決めなおして、文はあらん限りの舌技を駆使して三田のペニスをしごき上げた。奉仕に熱中して、胸のもやもやを吹き飛ばそうとした。
 だが、それなのに、涙が止まらなくなった。
「ふぐぅ… ぐぅ、うぅ…」
 えずいた拍子に出たと言い訳できないぐらい、ぼたぼた、と涙が零れ落ちる。
 あれほど覚悟は決めていたはずなのに、未練を断つためにこんな事をしているのに、それでもこんな風に奉仕をすると、あの屋敷での想い出を思い出してしまう。
(馬鹿だ、私… こんな事すれば思い出すって分かっていたはずなのに…)
 情けなくて逃げ出したくなる。奉仕の口が止まり、文は口からペニスを吐き出そうとした。
「あ…」
 しかし、その前に三田が文の頭に優しく手を置いて文の動きを止めた。
「ふぐぅ〜…」
 涙を一杯貯めて目で、上目遣いに三田を見る。三田は滅多に見せない優しい表情をしていた。
「未練なんて、そうそう簡単に断てるものではない。どうしたって断てずに、時の自浄に任せなければならないこともある。
 文。お前との関係がまさにそうだ。私はお前の身体をそう簡単に忘れる事は出来ないだろう。それは、清香でも代わる事ができないものだ」
 文の表情が驚いたものに変わる。こんな話を三田がするとは思わなかった。
「お前の身体が欲しくて欲しくて、夜中に目を覚ますかもしれない。ひょっとしたら、清香を抱いている最中でもそう思うかもしれない。それ位、お前への執着は強いんだ。
 …だから、お前も割り切って開き直れ。考えてもどうしようもない事を無理に考えるな。今、この、瞬間をしっかり感じ合おう」
 三田が語り終えても、文はしばらく動かなかった。しかし、微かに微笑むその顔が、落ち着いた事を示していた。
「……んぐ、んぐぅ… じゅぱっ」
 文は再度喉奥までペニスを咥え込むと、口腔全体を使っての奉仕を再開した。
 そうして、完全にペニスが勃起すると「じゅぼ…」といやらしい音を立てて口から吐き出し、にっこりと微笑んだ。
「はい、旦那さま… 今日も、いっぱい文を可愛がってください…」
 その言葉に三田は頷き、文を軽々と抱えるとベッドの上にそっと降ろした。


「どっちに欲しい?」
 ベッドに降ろした文に三田がそう声を掛けると、文は四つん這いになってお尻を突き出した。
 そうして、両手を後ろに廻すと、器用に前と後ろの穴に指を突っ込んで、ぐぱぁ、と割りひらいた。
「けつまんこでも、おまんこでも… この穴は旦那さま専用の便所穴ですから、お好きな方に排泄なさってください」
 その回答に三田は軽く苦笑すると、「じゃあ、こっちからだ…」と躊躇無くヴァギナにペニスを突き入れた。
「はぁん… おまんこ、久しぶりですぅ…」
 屋敷に居たころからも、前穴は清香、後穴は文となんと無く決まっていたから、文が普通に挿入されるのは久しぶりだった。
「よく締まる… 食わず嫌いだったな、お前のここは…」
 膣の締まりを楽しむように三田が動きを止める。文は楽しんでもらえるよう、下半身に力を入れてペニスを締め上げた。だが、違う場所も動いたようだった。
「ククッ… 文の肛門がもの欲しそうにパクパク動いているぞ? そんなにこっちにも突っ込んで欲しいのか? ド変態が…」
 そう言って、三田は文のお尻に、ピシャリ! と平手打ちを打った。良い音がして、文のお尻が赤く染まる。
「やぁん… う〜、だって、おまんこ締めるとけつまんこも動いちゃうんです… あ〜あ、旦那さまにおちんぽ2つあったら、どっちもしごいてあげられるのに…」
「無茶を言うな…」
 呆れ声で三田は言うと、一旦ヴァギナからペニスを抜いて、アナルに再挿入した。
 さっきまで腕まで咥え込んでいた文のアナルは、まるで調整装置が付いているかのように三田のペニスにアジャストして締まり始めた。
「ああ… 旦那さま、緩くないですか? その、さっき拡げちゃったから…」
「大丈夫だ。しっかりと締めてくれて気持ちいいよ」
 三田がそう言うと、文は「よかったぁ…」と安心して、お尻を左右に振り始めた。
「じゃあ、いっぱい気持ちよくなってください。そして、気持ちよくなったら、文のけつまんこにザーメン注いでください…」
 文の言葉が言い終わらないうちに、三田は文の腰を両手で掴むと、猛然と腰を降り始めた。
「あぁ! はぁん!! すごい… すごいです…! 文のけつまんこが、ごりごり擦られてますっ!!」
 パン、パン、パン… と、三田の下腹部と文のお尻がぶつかる度に、拍手をするような音が鳴り、文のお尻が、ぷるぷる、と揺れる。
 さらに前を見てみると、おっきいおっぱいが千切れんばかりの勢いで前後に、ぶるんぶるん、と揺れていた。
「相変わらず、見事な乳だ…!」
 興奮してきた三田は、ペニスを挿入したまま文の身体を180度回転させ、正常位の体勢に移った。
 仰向けに向いているにもかかわらず、文のおっきいおっぱいは型崩れずにツンと天を向いている。普通なら左右に垂れるはずだ。
「胸筋のトレーニングは続けているようだな?」
「は、はい… 裏技で大きくなっちゃったし、維持する努力をしないとお姉ちゃんに悪いし…」
 文がそう言うと、三田は少し悩むそぶりを見せてからちょっとした事実を告白した。
「あー、文。今更言うのもどうかと思うが、あの豊胸剤はフェイクだ。実際に胸を大きくする効果なんかは無いんだ」
 文の目がぱちくりと瞬きして、次の瞬間、「えぇ〜〜!!」と文は大声を上げた。
「だ、だ、だ、だって、こんなに大きくなりましたよ!?」
「ああ、私もその結果には驚いた。プラシーボ効果というのは凄いものだな。まぁ、あれから清香や私に散々揉まれまくっていたから、大きくなったんだと思うぞ」
 三田がそう言って、文の乳首を、きゅっ、と摘んだ。「あぁん!」と文は反応して、少し困ったような顔をする。
「…このこと、お姉ちゃんには内緒ですよ? お姉ちゃん、隠れてこっそりとお薬塗ってたみたいですから」
「だろうな… 安心しろ、清香には言わない…!」
 そう言うと、三田は文の乳首を同時に口に含んだ。そうして、歯で両乳首をコリコリと甘噛みすると、文の嬌声が一段と大きくなる。
「あぁん!! 2ついっぺんに噛むなんて、卑怯です… そんなされたら、文、すぐにイッちゃいますぅ…!」
 三田はその訴えを無視すると、開いた両手で文の身体を折り曲げ、深く深くペニスをアナルに打ちつけた…!
「あっ、が…」
 直腸の最奥を突かれて、文はとうとう絶頂に達した。ベッドに投げたした両手がぎゅっとシーツを握り、三田のペニスが痛いほど食い締められる。
「うぅ、あぁ…」
「続けるぞ…!」
 文の状態などお構い無しに、三田は猛然と腰を振り始めた。第2の性器として開発されたアナルが思う様に蹂躙される。
「…ッ! …ッ!!」
 イッたばかりの文は、満足に息も吸うことが出来ず、さらに絶頂を重ねる。助けを求めるように両手をバタつかせるが、折り曲げられた状態では動きようが無い。
「ダ、メ… イキ、すぎて…!」
 縁日の金魚のように、文がパクパクと口を開いたり閉じたりする。それを見た三田が一旦動きを止めると、文ははっきりと見て分かる位にお腹を痙攣させて、低く長い唸り声を上げた。
「おぉぁぁぁあああああああ…………」
 まだイキ続けていると分かる、低い断末魔だった。
「こっちも、出すぞ…!」
 三田が我慢していた精を解き放つ。直腸の最奥に精液を流し込まれ、文はその暖かさに歓喜した。

「…満足したか?」
 備え付け冷蔵庫のミネラルウォーターで喉を潤して、三田は文に声を掛けた。
 最初の射精から数えて3回。最後には小便も肛門にくれてやって、ようやく文はギブアップした。
「…ひゃい」
 ごぽごぽと肛門から小便と精液と腸液とが混じった液体を吐き出しながら、文は力無く片手を上げた。
「はぁ」
 万感込めた風な溜め息を付くと、文は苦労して上体を起こした。そして、ベッドの上で正座をする。
「旦那さま、最後まで可愛がってくれてありがとうございました」
 ちょこんとお辞儀する。三田は改めて文を手放すのが惜しくなったが、かるく首を振ると文に応えた。
「ああ、お前も最後までよく奉仕してくれた。文は今までで最高の奴隷だ」
「…そうですか」
 なんだか複雑そうではあるが、それでも嬉しいらしく文は微笑んだ。
「さて、シャワーを浴びて帰るか… 瞳子さんにも連絡を入れた方がいいかな…?」
 そう言って、三田はジャケットから携帯電話を取り出した。しかし、開いた液晶画面を覗き込んで、妙な顔つきになる。
「…なんだ、至急連絡?」
 三田はすぐにとある番号に掛けて携帯を耳に当てた。ほどなくして出た相手と、2言、3言会話を交わして、「本当ですか…!?」と声を荒げた。
「なるほど、予想はしていましたが、意外と早かったようです… ええ、お金は倍掛けで積みます。速やかに収集をお願いします…
 はい、今から向かいます。明日の朝には到着出来ると思います… はい、では現地で」
 パタン、と携帯を折り畳むと、三田は「ふぅ」と溜め息を吐いた。
「どう、したんですか?」
 文が恐る恐る尋ねると、三田が困った顔をして言った。
「清香がな、どうも金に困ったみたいで、風俗に走ったらしい」
「…へえ」
 三田の言葉がよく呑み込めず、気の無い返事をした文だが、しだいに理解が追いつくと、「え、えぇぇ!!」と声を上げた。
「お、お姉ちゃん、風俗って…!?」
「デリヘルだそうだ。やれやれ、いつかはそうなると思ったが、こんなに早いとは思わなかったぞ」
 そうぼやくと、三田は文を促してテキパキとシャワーを浴びて居住まいを正した。
「深沢さんへの説明はお前に任せるぞ。私はこれから清香を迎えに行く」
「い、今からですか!?」
 三田の言葉に、文が驚いて尋ね返した。三田は数時間前まで長時間の運転をして来たばかりだ。とても体力が持つとは思えない。
「今からだ。私が行かないと処理できないし、私は車でしか移動しない。だから、今からでないと間に合わない。安心しろ、無事故無違反は私の美徳の一つだ」
「公序良俗には思いっきり違反していると思うけど…」
 ぶつぶつと呟く文を急かすと、三田は深呼吸をして車のキーを取った。


「…その後、文を実家に降ろして、その足でここまで来た。着いたのは今朝だ。なかなかに疲れたが、それなりの成果はあった。あとはお前を実家に連れて帰って… ん、どうした?」
 話を締めくくろうとして、三田は清香の目が据わっていることに気付いた。
「…全部、ばらしちゃったんですか?」
 一瞬、何の事かと考えてから、三田は姉妹との肉体関係のことだと気がついた。
「ん? ああ、そうだ。実家にも関係は知れたし、ついでに言えば瞳子さんにもだ。まぁ、具体的に何をした、などとは言っていないが」
「当然です!」
 突然清香が大声を上げて、三田は胡乱な顔つきになった。
「私はいくら既成事実が出来てもかまいませんが、文はこれからあの家で生活するんですよ? 変な風に意識されたら…」
 言うほどに心配になって来たらしく、清香の表情が段々と暗いものになっていく。
(いつまでも過保護なやつだな…)
 そう思うが、そんな風に文を心配する清香を嬉しくも思う。三田は真剣に考えて言った。
「私が言うのも何だが、こういう事は、隠すといらぬ邪推を招くものだ。一つ屋根の下で一緒に暮らすのなら、秘密は少ないほうが良い。そういった秘密も共有して呑み込むのが、家族というものなのだろう」
 その言葉に、清香は驚いた表情を浮かべる。
「あなたも、だいぶ変わりましたね…」
「お前たちのおかげだよ」
 そう言って、三田は立ち上がった。
「さて、とんぼ帰りになるが、実家に向かうぞ。向こうは首を長くして待っているからな」
 しかし、そんな三田の袖を掴むと、清香は強引に三田をベッドに座らせた。
「お、おい…」
「とりあえずは納得しましたが、まだまだ聞きたいことはたくさんあります。…その、風俗の事とか」
「ああ、それは…」
 実は三田が探す前に、姉妹の“卸元”である組織が清香を監視していた。
 元締めの鮫島に直接会って真意を確かめたのだが、あの奇怪な老人は「サービスじゃ、ぐふふ…」と怪しく笑うだけだった。
 また、清香は忘れているようだが、彼女を監視していたのは、1年前に姉妹を屋敷に連れてきた青年なのだ。
「…ま、正直に言えば聞かないで貰いたい。どうにも説明し難いし、お前もあまり良い思いはしないはずだ」
 三田の言葉に頷くと、清香ははっきりとした口調で言った。
「わかりました。では、実家に行くのは明日にしましょう」
「…首を長くしている、と言っただろう? 早く帰るぞ」
「いえ、あなたはかなり疲れています。仮眠したとはいえ、長時間の運転を続けてさせるわけにはいきません」
「私は大丈夫だ」
 多少、むっとした口調で三田が言う。だが、清香は頑として引こうとしない。
「駄目です! 私はこれからあなたの面倒を1から10まで見るんです。そう、決めたんです!」
 鼻息荒く清香が宣言する。その勢いに、三田は思わず頷いてしまった。
「それにですね…」
「…なんだ?」
 あきらめてベッドに座った三田が億劫に尋ねる。
「どーりで薄いはずです。文ちゃんに3回も出してたなんて…! 最後だから大目に見ますが、あなたが入れて注ぐ穴はココです!」
 ベッドの上でM字開脚のポーズを取って、清香は真剣そのものの表情で言った。
 三田はかなりの疲労感を覚えて深い深い溜め息を吐いたが、なぜか嫌な感じはしない。
 ただ、この可愛い嫁との生活は、きっと停滞や倦怠などとは無縁の生活を送るのだろうと、半ば確信することができた。

 それからはあっという間だった。
 実家に戻った清香は、文と仲直りし(元々ケンカはしていないが)、母親と祖母との面会も済ませた。だが清香は、以前に言っていた通り親離れを済ませていたせいか、最後まで未亜子と静に対して敬語を崩さなかった。
「…清香ちゃん、お風呂空いたけど」
「はい、頂きます」
 終始こんな調子で、流石に周囲は心配したが、文が上手くフォローをしてくれた。
「お母さん、お姉ちゃん遠慮してないだけだから、お母さんも遠慮しないでいいよ」
「そう、なの…? 嫌われてないかしら…?」
「うん、大丈夫。…でも、そろそろ帰さないと、本当に嫌われちゃうよ?」
 未亜子は、もっともっと親交を深めて清香の翻心を期待していたのだが、ここまで徹底されては清香の想いを認めるしかない。
 すでに文が新しい学校にも慣れた10月の終わり。ようやく、清香が屋敷に戻る日になった。
「やっぱり車なんですね…」
 深夜、高速を飛ばして迎えに来た三田の車を見て、清香は諦め混じりの溜め息を吐いた。
「性分だ、慣れてくれ」
「はいはい…」
 軽く返事をすると、清香は少し覚悟を決めて振り返った。振り返った先の戸口には、未亜子が所在無さげに立っている。
「お母さん、我が儘を聞いてくれてありがとうございます。お嫁に行って参ります」
「そう、そうね…」
 何度諦めても諦めきれないのだろう、未亜子は複雑そうな顔で頷いた。
「………」
 そんな母親を見て何を思ったのか、清香は未亜子に近づくと、そっと未亜子を抱擁した。
「お母さん、辛い思いをさせてごめんなさい。でも…」
「いいわ、清香…」
 未亜子も清香を抱き締め、言った。
「多分、お祖母ちゃんもこんな気持ちだったんだわ。逃げ出した私とは違って、あなたは立派よ… むこうで元気で、幸せな家庭を作ってね…」
 母子は、そうやってしばらく抱き合ってから、自然と離れた。
「さて、と…」
 咳払いをするように声をかけて、文が前に出た。何も言わず清香に抱きついて、ぎゅーっと抱きしめ合う。
「悪い男に引っかかっちゃ駄目よ。文ちゃんいやらしい身体してるんだから…」
「きちんとと選ぶし、卒業までは封印するから大丈夫だよ…」
 ぼそぼそと、他人に聞かれないように話し合う。清香が長く実家に居たのは、文が開発され尽くした身体をどう持て余すのか監視する意味もあったが、どうやら心配は無さそうだった。
「…じゃ、ね。“身体”には気をつけて」
「うん、お姉ちゃんも」
 あっさりと姉妹は離れると、手をひらひらさせて別れを済ませた。
「では、娘さんはお預かり…」
「返品されるんですか、私?」
 頭を下げて挨拶しかけた三田に、清香のツッコミが入った。三田はわざとらしく咳払いをすると、「幸せにします、返す気はありません」と顔を真っ赤にして答えた。
「それでは、また年末にでも2人でお伺いします…」
 2人で頭を下げて車に乗り込もうとした時、何かを思い出したらしい清香が「あ、そうだった…」と、文に駆け寄って耳打ちした。
「……だから」
「え、えぇぇーー!!」
 よほど驚くことなのか、聞いた瞬間、文が目を丸くして叫んだ。
「それじゃ、そういうことだから。さようなら、お嫁に行ってきます」
 にこやかな笑顔を残して清香は車に乗りこんだ、程なくしてエンジンが始動し、挨拶のクラクションと共に車がゆっくりと離れて行った。
「…行っちゃったわ、この歳で娘を送るなんてねぇ…」
 溜め息をついて母屋に引っ込もうとする未亜子の袖を、文が引いた。
「何、文ちゃん?」
「お母さん、その歳でおばあちゃん」
「……え?」
「文も、中学生でおばさん…」
「……え、えぇ?」
「作っちゃったんだって、子供…」
 未亜子はどんな顔をしていいか分からず、とりあえず「ふぅ…」と溜め息を吐いた。


           −幸福姉妹物語 完−




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