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 2017年12月28日放映の「人生逆転バトル カイジ」を見た。

 番組自体は、『カイジ』という漫画作品を原作にしたバラエティである。
 『カイジ』は、主人公の伊藤開司(カイジ)を始めとするギャンブル狂いで借金まみれの社会不適合者たちが、時に命をも賭けた大勝負に挑んでいくギャンブル漫画である。この番組は、まさにその『カイジ』に出てくるような危険でスリリングなゲームを、実際に現実世界にいるギャンブル狂いや多重債務者にやってみせようというコンセプトである。

 このようなとんがったコンセプトだったため、放映前からたびたびネット上でも話題になっていた。原作の方の『カイジ』に出てくるギャンブルは、前述の通り金の代わりに目や耳や指を賭けたり、負けたら死んだりするようなバイオレントな内容のものである。それをそのまんま今の地上波でやったら、BPOどころの騒ぎではないだろう。先鋭的な番組作りで知られる藤井健太郎氏が演出を手掛けているということとも相俟って、どこまで攻めた内容になるのかが着目されていた。

 とはいえ筆者はそんなに期待はしていなかった。どうせカイジのギャンブルの危険さを再現することはできないだろうと踏んでいたからである。そして、蓋を開けてみれば番組はほぼこの予想通りに進行したと言っていい。

 出場者がまず挑んだゲームは、「鉄骨渡り」である。これが、ゲームの中では一番見てて(いい意味で)ハラハラした。鉄骨渡りは原作にも登場するゲームであるが、ルール自体は単純で、高所に渡してある細い鉄骨を一番早く渡り切った者が勝者になる。
 番組が用意した会場も、下は奈落のように真っ暗で見えず、鉄骨自体もかなり揺れる代物で、足を震わせながらゆっくりと渡っていく出場者たちは(いい意味で)スリリングだった。

 次のゲームは、番組オリジナルのものだった。
 最初の鉄骨渡りを突破して5人に絞られた出場者は、自分以外には分からないような形で赤もしくは青のカードを渡される。1時間が経過した後に、多数派のカードを持っていた者がこのステージを突破するというルールである。自分のカードは主催者の側に申し出て交換することも可能であるが、制限時間の経過後に全員のカードの色が赤または青で揃ってしまった場合は、延長戦となる。
 これ以上細かいルールの説明は省略するが、このゲームで大事なのは、当然ながらいかにして自分以外の人間のカードの色を把握するか、にある。例えば自分が青で自分以外の出場者が赤であれば、交換しなければ負けてしまう。そして、その状況が把握できなければ、交換をしようという発想にすら到達できない。対して自分の色はできるだけ相手に知られない方がいい。知られたら、少数派が自分のカードを交換してしまい、勝てるはずだった状況をひっくり返されてしまうかもしれない。
 そのため、原作で言ったら限定ジャンケンやEカードのような相手の心理の読み合いが鍵を握るゲームである。そして、この手のゲームが得意なのは、臆面もなく嘘をつけるサイコパス気質の人間である。サイコパス気質の人間の発言は、嘘か本当かを図りにくい。そのためこの手の人間は自分のカードの色も相手から読まれにくいのである。
 そして、こういう嘘つきが嘘とも本当とも分からぬことを立て板に水のように吹聴して場を引っ掻き回すから、見ている方としてもおもしろくなるのである。原作の限定ジャンケンがおもしろかったのも、根っからのペテン師である船井が嘘をついてカイジを含めた周りを騙したからだろう。
 しかし、今回の出場者はみんな借金があるだけの普通の人であり、このような嘘つきがいなかったため、見ていておもしろい仕上がりにはなっていなかった。出場者の一人の山根が冒頭に嘘をついてゲームを動かそうとしていたが、山根の言動は終始どこか芝居がかっていてヘタクソだったため(おそらく本人は自然体で動いているので、自然体で動くとあんな感じになっちゃう人なのである)、プロの詐欺師の流暢な口上はお目にかかれなかった。だからゲームも他の4人が山根を落とすために結託して以降動きがなくなってしまい、嘘や心理の読み合いみたいな原作の醍醐味は発揮されていなかった。

 最後のゲームはこれまた番組オリジナルの、人間双六であった。一番最初に上がった人が勝ちであり、人生ゲームよろしくマスごとに色々なことが起きる双六になっていた。
 これに挑んだのは最後まで残った4人の出場者だったが、うち3人は一般人で、残りの1人が伊藤こう大というカイジのモノマネをする芸人だった。伊藤は流石に芸人なので、何か起こるたびにバラエティ用の大袈裟なリアクション(「嘘でしょ!?」「うわ〜」などと言って驚くとか、頭を抱えるとか、膝をつくとか)をやってくれるのだが、終始ヘタクソでうるさかった印象である。他の3人は一般人なのでリアクションも薄く、原作に見られたような相手とのせめぎ合いや罵り合いみたいなものはほとんど見られなかった。
 この4人は、この最後のゲームの前に数日間地下で共同生活をさせられていたので、そこである程度仲良くなってしまったのがマジの諍いが見られなかった原因だろう(現に伊藤が番組の最後に、収録終了後に4人でLINEグループを作ったと話していた)。地下での共同生活も原作再現ではあるのだが、あれは出場者どうしの仲を良くして真剣勝負を妨げるという弊害があるので、良くなかったのではないだろうか。

 全体を振り返ると、出場者の大部分が一般人(いわゆる、「素人」)であるという弊害がもろに出ていたという印象しかない。芸人は3人いたが、全員そんなに売れていないうえに伊藤以外は早々に脱落してしまっていたので、この状況を跳ね返せるほどのものではなかった。
 一般人は、一般人なので、素でテレビに出る。リアクションも、素のものしか出てこない。むしろ素のリアクションを引き出すのが作り手の狙いだったのかもしれないが、肝心のゲームの内容がぬるいので、終始薄めのリアクションしか出てこない。前述の通り、鉄骨渡りは一番マシだったが、実際に足を踏み外して下に落ちた出場者も特にケガをしている様子もなく再登場していたので、さすがに何らかの安全対策はしていたのだろう。ゲームの内容がぬるいから、一般人の出場者はヘラヘラとゲームをやってしまう。原作に出てくるような極限状況に追い詰められた人間の恐怖や狼狽、それを避けるための狂騒や敵との醜い争いは、出てこないのである。ゲームがぬるいので、彼らは頭を使うときもあまり粘らず、すぐ結論を出してしまう。原作でカイジがやっていたような相手の裏の裏の裏の裏まで読もうとする真剣さや、そこから出てくるおもしろさは、ない(そもそもあれをやろうとするとかなりの地頭の良さが必要になってくるので、一般人にそこまでのことを期待するのはそれこそ賭けになってしまう)。この点が端的に表れていたのが、鉄骨渡りで脱落した8人の中から1人だけ救済する者を勝者の4人が選ぶシーンである。ここで選ばれたのが伊藤だったのだが、その理由が「芸人で、テレビ映えするから」というものに過ぎなかった。4人は、勝つために考え抜いた人選をしていなかったのである。これらの点を糊塗するためにナレーションやテロップ(原作の写植風のデザインだった)で出場者のリアクションがすごいものであるかのように盛んに喧伝されるが、針小棒大もいいところなので白けるだけである。

 考えてみれば、原作は漫画というフィクションなので、その登場人物は作者の都合のいいように動いてくれる(=作品を盛り上げるように真に迫った言動をしてくれる)「演者」なのである。一般人がその代わりにならないのは当たり前のことだろう。
 他方で、じゃあ一般人に素でそのようなリアクションをしてもらうために原作並みに危険なゲームをさせればいいというわけでもない。そもそもそんな危険なゲームは地上波ではできないだろうし、仮に万一実現できたとしても今度は危険すぎて視聴者も見ていられないだろう。原作の『カイジ』を楽しく読めるのも、読者はあれがフィクションだと分かっているからのはずである。現実に死人が出るような命の取り合いをさせても、怖くて見ていられないか、引いてしまうかのどちらかだろう。
 つまり、企画の段階からしてこの番組は進むも地獄戻るも地獄の状態だったと考えざるを得ない。二度目をやるなら、かなりの覚悟が必要である。

 この番組を瞥見した我が父の第一声は「ついにドラマだけじゃなくてバラエティも漫画から原作を持ってくるようになったか」というものだった。凡百のドラマのように漫然と人気漫画の御利益にあやかろうと思っただけだったから、こんななんともつかない出来になってしまったのだとはあまり考えたくない。もっと具体的な企画意図はあったと思うので、なんとか、してほしい。

<追伸>
 ナレーションをカイジのアニメ版の立木文彦にやってもらうとか、利根川役の人間を映画版で利根川を演じた香川照之にやってもらうといったことは誰しも考えたと思うが、実現できなかったのは何らかの大人の事情があったからだと思われる。そもそも、カイジの漫画版の映像は出てきていたが、アニメや映画の映像は全く出てきていなかった。

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