当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

 2019年7月25日放映のアメトーークを見た。今回は「稲ちゃんカッコイイ芸人」というアインシュタインの稲田にフィーチャーした回だった。

 稲田といえば、名うてのブサイクである。ただタイトルは「稲ちゃんカッコイイ芸人」なので、雛壇の面々は稲ちゃんの内面のカッコよさを主に話していくということで番組が始まった。
 とはいえ、吉田や渡部アンガールズ田中をフィーチャーした時のように、表面上は「カッコイイ」と言いつつ内実では稲田本人をバカにしないと笑いにはつながらない。雛壇の芸人たちはそれを意識して話をしていたが、エピソードの1個1個が弱く、「ブサイクがそういうことをやっているのがおもしろい」というレベルのものばかりだった。結局稲田のブサイクに1回引っ掛けないと笑いが起きないのである。稲田のブサイクそのものを笑うエピソードも数々あったが、そっちの方がおもしろかったぐらいである。
 結局、稲田は顔さえ普通であれば内面も普通の人レベルの人間なのである。この番組が発掘した小沢やナダルみたいなヤバさはないので、稲田のエピソードだけ積み上げていっても大してハネないのである。稲田のおもしろさは「ブサイクであること」と「ブサイクなのに普通の人のような言動をすること」にあるのであるが、結局双方ともブサイクであることが前提になっているので、笑いの種類は同じになってしまう。すなわち、見ている方とすれば稲田のブサイクに飽きてしまえば笑えなくなってしまうのである。アントニーやデニス植野の「外人自虐」、濱田祐太郎の「目が見えない自虐」と同じ構造である。ネタが一種類だけだと、それを絞り尽くしてしまえば出じろがなくなってしまうのである。テレビに出続けるには、露出があるうちにブサイク自虐以外の芸があることをスタッフとお茶の間に身を以て知らしめないといけない。ただ今日の稲田は終盤の「正直言っていいですか」のクダリ以外ではほとんど素で対応しているように見えてしまった。そして彼の素はあくまで「普通の人」なので、それだけでは大しておもしろくないのである。ベタなやり方だと、バカにしてきた雛壇の面々と喧嘩をするというような笑いのとり方があるが、そういう「芸」を見せていくことが必要なのである。

 宮迫はまたも消されていたように見えたので、宮迫が絡んだことでおもしろくなったシーンが実はもっとあったのかもしれない。そういうシーンがあったのであれば、少なくとも現場にいたスタッフは見ていただろうから、また呼ばれるはずである。

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