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Ghost of Tsushima

 元寇に伴い蒙古に占領された対馬を舞台にしたアクションゲームです。プレイヤーは主人公の侍・境井仁を操って、オープンワールドで再現された対馬を開放すべく東奔西走します。ジャンルはまあ、よくある剣戟アクションですね。全体的なクオリティは、文句なしに高いです。ロード時間の短さにはびっくりします。色々なゲームのいいとこどりをしたごった煮感は拭いきれず、飛び抜けた強みがあるわけでもありませんが、探索・収集・戦闘というオープンワールドゲームのツボはしっかりと押さえていると思います。戦闘は、私は最近のアサクリに非常に似ていると思いました。ガード・パリィ・回避という昨今の剣戟アクションゲームには標準装備されているシステムは全部採用しています。弓矢その他での遠距離攻撃や、ステルスアクションもできます。少し鈍重なカメラワークや敵のロックオンができないことが不満点に挙げられることがあるようですが、私はそんなに気になりませんでした。まあ、やってることは最初から最後まで敵との斬り合いでしかないんですが、プレイ内容がずっと変わらないのはほとんどのオープンワールドゲームに共通の問題点なので、取り立てて糾弾すべきような点ではないと思います。
 ストーリーは、なかなかちゃんとしたものがあります。本作を開発したのはアメリカの会社なのですが、昔の洋ゲーみたいに日本が変に描かれているということもありません。時代考証はちゃんとされています。台詞回しになんとも形容のし難い微妙な違和感を覚える瞬間もありますが、許容範囲でしょう(おそらく、最初は英語で書いた脚本を日本語訳しているものと思われます。「日本語のネイティブの脚本家が書いたらここでそんな台詞は言わせないだろうなあ……(あるいは、そんな言い方はさせないだろうなあ……)」と感じさせられる瞬間が頻繁にあります)。それから、女性の容姿は、なんというかとても現実的なので悪しからず。
 悪く言うとオール83点のゲームですが、良く言ってもオール83点のゲームです。オープンワールドの黎明期に本作が出ていたら大絶賛されていたでしょうが、今やこんなもんだとこんな評価しか受けられないんですねえ。怖いですねえ。

※本作は発売直後にプチ炎上したようです。炎上に与した人たちの言い分はちょっと調べましたが、何が言いたいのかよく分かりませんでした。
 「文化盗用」だという声があるようですが、文化盗用が問題になるのは特定の集団の文化が他の集団に歪められて使用される場合です。少なくとも本作では日本の描写がいい加減だということはないので、「歪められる」という問題は起きていないと思います。そりゃあ完全な史実ではないですが、フィクションではその手の改変は日常茶飯事です。少なくとも一般人には違和感がないように作られています。あのゲームの時代考証の甘さを指摘できるのはごく一部の専門家に限られるでしょう。そのうえ本作で再現されているのは遠い昔の文化なので、「現存している特定の文化が歪められて使用される結果その存続が危うくなる」という問題もそもそも生じません。昔の文化なぞは全人類にとっての知的公共財だと思います。いくらでも、いじってくれていいでしょう。
 もちろん、モンゴル軍は作中ずうっと残忍な敵役を務めており、主人公サイドから「獣」だの「鬼畜」だのと罵られ続けるので、モンゴルの人はこのゲームをやると不快な気分になると思います。モンゴルの人々が必要以上に残忍に描かれている面は否定できません。そういう意味では、本作にも適切でない事実の歪曲があるとは思います。ただ、人間を敵にしたゲームを作る以上、敵サイドに大なり小なりアイデンティティを持っている人たちがそのゲームを楽しめないのは当たり前のことです。そういうゲームは「敵サイドの人たちには売れない」ということでしかないと思います。敵サイドのお気持ちにも配慮しだすと人間が敵として登場するゲームも映画も一切作れなくなるので、そこはもう許容してもらうしかないと思います。「トムとジェリー」はネコ好きに配慮していないからダメなんですか? 
 逆に言うと、我々日本人も、日本人が敵役扱いされているゲームの発売自体は受け容れないといけません。他者に寛容を強いるからには、自分も寛容でないと聞く耳をもってもらえません。例えば、いずれ韓国で文禄・慶長の役を題材にした本作類似のゲームが作られるかもしれません(実は、もうあるのかもしれません。よく知りません。すみません)。そこで日本人が必要以上に残忍に描かれていたとしても、作っている方も日本で売れることは期待していないでしょうから、文句を言ってはいけません。歴史が全人類の知的公共財だというのは、そういう意味です。

※2020.11.11追記
 発売後しばらくしてから、「冥人奇譚」というオンライン協力プレイモードが追加トロフィーとともに実装されました。
 一応1人でもできますが、難易度は全体的に高めなので、効率よく進めていこうと思ったらオンラインプレイが必須になります。他人とできるだけ関わりたくない私は、オンラインプレイをすることにものすごく精神的な抵抗があるのですが、トロファー根性がすっかり染みついてしまったのでトロコンのためだけにこのモードもやり続けています。
 特にこの冥人奇譚の中でも遅れて実装された「大禍」というモードは、フレンドとの4人協力プレイ以外を受け付けていません。1人でもプレイを始めることはできますが、道中のギミックの処理にあたっては4人が必要になるので、クリアができません。また、他のモードでできる野良でのクイックマッチも不可能です。つまり、PS4のシステムを通してフレンドを作り、そのフレンドを招待して4人パーティーを作ってから、このモードに挑む必要があります。
 何が嫌かって、後腐れがありそうなことなのです。これは、私が友人関係を持つことを忌避する一番の理由です。大禍をクリアして以降何もなければいいのですが、もしかしたらオフ会とかに誘われるかもしれません。釣りやフットサルに誘われるかもしれません。私はオフ会にも参加したくないですし、釣りもフットサルもやりたくありません。そんな時間があれば1人でゲームをしていたいです。画面の向こうのゲーマーとは、一緒にツシマをやるだけのツフレでいたいのです。ただ、誘いを断るのにもものすごくエネルギーを使います。誘いの回数が多くなればなるほど、断りに要するエネルギーも大きくなっていくことでしょう。そういうことで煩わしさを感じるぐらいなら、最初から一切の関係を持ちたくないのです。オフ会や釣りやフットサルなんてのは「後腐れ」の最たるものです。
 とはいえ、普段やらないようなことをやるから起きるのが笑いです。それはこれまでの経験で重々承知しています。普段やらないオンラインプレイをやったからこそ、この文章も書けているのです。投稿ネタになるかもしれないので、思い切ってみるのが意識の高い人の行動なんでしょう。思い切ってみたら、存外楽しいかもしれません。でも、楽しくないかもしれないんですよ。そして、1回行ってしまったら相手からの誘いは確実に激しくなりますよ。こういう時の連中はナンパ師のように狡猾になりますからね。こちらの隙を見逃しはしません。そういうリスクが大きい以上、回避的な行動に徹するのが最も合理的になってしまっています。
 PS4ゲーマーは大なり小なりこの手の社交性のなさを抱えている気もするので、私と一緒に本作をやった方々は、私みたいに単なるツフレ以上の関係を望まない人たちばかりであることを期待して、今日も奇譚の荒野に飛び出しています。トロフィー欲しさにもう大禍もやってしまいました。私のPS4フレンドはどんどん増えています。アメリカの方もいます。いつフットサルの誘いが来るかと思うと寝る前が毎日怖いです。

※2021.9.4追記
 Director's Cutも購入しました。追加トロフィーがあったからです。
 PS5版にアップグレードしたのですが、PS5版のトロフィーがPS4版とは別扱いでした。ひょっとしてまた冥人奇譚のやり直しなのかと狼狽しましたが、PS4版のセーブデータを移行したらほとんどのトロフィーはそれだけで自動的に解除されました。私は、この技を使って二度手間を防ぐために、本編の追加エピソードである「壹岐之譚」をPS4でやりました。PS5版は結局ほとんど触っていません。まあ、1100円で楽にプラチナが1つ増えたんだと思うようにしましょう。
 セーブデータの移行だけでは解除されなかったトロフィーも2つありました。1つは本編のトロフィーの「写真家」(プラチナの獲得に必要)で、もう1つは今回の追加オンライントロフィーの「痛みなくして勝利なし」です。両者とも解除にそんなに手間はかかりません。

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