帝国の竜神様 異伝 ゼラニウムの物語 その一

 この投下は設定は帝国の竜神様ですが、やっている事は火葬戦記ではなくファンタジーノベルな話です。
 話を優先したので本編設定やネタ提供と微妙に違う所がありますが気にしないでください。
 本編でも閑話でもない異伝としてお楽しみいただければと思っています。
 最後に、ネタ提供した六六九さんに感謝を。


 この(人間)世界は勇者によって守られている。
 だが、勇者の力は竜より人に使われ人間をも殺してしまう。
 それを竜に脅かされる我らにとって愚かと言い切れるのか?
                             ――魔術師学園のある導師のため息より――


 イッソスのとある酒場。
 その酒場は冒険者の集う冒険者の宿の一階にあった。
 己の野心と無謀さを混ぜた熱気の中で、その歌はただ静かに彼らの耳に音を運んでいた。

「♪誰が私を知っているの? 誰が私を愛しているの?
  私はずっとここにいるのに 誰一人として私を知ろうともしない・・・・・・」

 テーブルを退けただけのステージで緋色のドレスを着た女が少ない常連を相手に歌っていた。
 腰のあたりまで伸びる髪はワルツを踊るように揺れ、女の着ける豪華な装飾品と露出度の激しいドレスは冒険者を扇情的に挑発しつつ歌声で魅了していた。
 他の席で騒いでいた連中もその歌声に捕らわれ、やがて酒場は彼女の歌声で包まれる。
 熱気を沈めた優しく静かな歌声が酒場を、人々の耳にしみこんでゆく。

「♪素顔の私を誰が知っているの? 本当の姿を何故見せようとしないの?
  何かを隠して 誰かをだまして 愛して 私は人になってゆく・・・・・・」

 女の視線がふと常連の一人と合い、女は優しそうに微笑む。
 優しく微笑む女の視線を神堂辰馬元大尉は照れくさそうに意識的にずらした。
 真新しい皮の鎧の下はここにいる冒険者連中が着ている皮服より上品な生地でできているのだろう。見た目で軽そうで涼しそうだった。
 血に汚れていないのだろう。見たことも無い鋼の剣は彼の椅子の横に何気に立てかけられている。
 この剣がここの冒険者連中が噂している黄金郷の剣――刀――という事を知っているのは持ち主である彼一人だけ。
 この風変わりな新顔を新米ではないと周りの冒険者はその雰囲気で感じていた。
 その雰囲気は修羅場をくぐってきた――人を殺した――男の雰囲気だった。

「♪私はあなたを知っていた 私はあなたを愛していた
  だから私はあなたを忘れようとした 私はあなたを不幸にしかできないから」

 彼女の歌に合わせるように吟遊詩人達が絃の音を絡める。
 絡み合う音の愛撫は優しく、そして愛しそうに啼き声をあげて、その音の為に両手を天井に掲げた彼女は愛しそうに、そして寂しそうに笑った。 

「♪だけど私は あなたを愛する事しかできない・・・・・・」

 その姿は自分の命を捧げるようにも、子を思う母にも、恋人を信じる女にも見えた。

「♪あなたを信じていいの? あなたを愛していいの?
  あなたが私を愛してくれるのならば 私はあなたに永遠をあげる・・・・・・」

 何かを信じるように祈り歌う彼女の歌声に誰も心が癒されていた。
 魔法の媒介たるマナが常に満ちているこの世界は、強い意思が魔法という奇跡を起す。
 この酒場を魅了してみせたその笑みと歌声を魔法と言うのだろうか?
 魔法が無い世界から来た彼にその問いの答えは見つけられるわけが無かった。
 だが、辰馬もその魅了にかかり、彼女の祈りを受け止めたい、抱きしめたいと思った。

「♪幸せにしてね 私を 
  幸せにするわ あなたを
  幸せになるわ 明日は・・・・・・」

 歌い終わった女に対して酒場の全員からの惜しみない拍手が注がれるが、辰馬はただじっと彼女を見つめていた。
 その視線の先に、彼女を一夜の妻としようと望む男達に妖艶な笑みを振りまいているのが映っていた。
 とんとんとつつかれる指。
 気配を消しつつ、殺意の無いそれは辰馬がここで待っていた相手でもあった。
「凄いものだな。
 俺の後ろを取るなんて」
 戦場で修羅場をくぐっていると背後の気配に鋭敏になるものだが、それを何も感じさせなかったあたりいい拾い物だと思う。
「一応本業なんで。
 まぁ、あんたとあんたの金主に忠義は尽くすつもり。
 買われた金の分ぐらいはね」
 猫耳の盗賊娘はにやりと笑って男の対面に座る。
 彼女の名前はベル。首輪の鈴が名の由来という猫耳族の少女。
 立場上、辰馬の飼い猫になっている少女(みかけは)だ。
「またたびエールちょうだい!
 冷えたやつ。こいつのおごりで」
 椅子に座り、受け取ったまたたびビールをぐっと一気飲み。
 肩までの黒髪から生える猫耳がぴくぴく振るえ、あっというまに顔が赤くなる。
「……いい性格してやがるな。
 だから、博打にはめられて奴隷として売られるんだろうに」
「う」
 尻尾までぴくりと震えた彼女を眺めて、報復を終えた辰馬はにやりと笑ってまたたびビールをもう一杯頼みベルの前に置く。
「飲め。
 これぐらいの金は払えるぐらいは俺も金持ちだ」
(大陸での、あの窮乏が信じられないほどな)
 この世界から見て黄金郷と呼ばれる国の民である辰馬は、この世界で望めば大体のものが手に入る立場にいた。
 辰馬や名ばかりの黄金郷の国にとって、この異世界はまさに黄金卿だった。
 帝国から持ち込んだ全ての物が金銀に変わる。
 かくして、黄金郷の国は、竜に黒長耳族という情報を抑えて交易を開始する。
 そして、その交易の金銀で買い取った黒長耳族と獣耳族は竜の庇護下の元で、名ばかりの黄金郷を文字通りの豊かな地に変えてくれるだろう。
「で、あの歌姫は誰だ?」
 目線でベルに歌姫の事を尋ねた辰馬に、ベルはおやという顔でその問いに答えた。
「『歌妃(かひ)』アニス。名前の由来はまんまね。
 けど、長年このイッソスに君臨し、あんたの国が買い取った『千夜一夜』ディアドラ去りし後の最高位の娼婦よ。
 一夜の値段が千夜に値するという、ディアドラと同じだけの金がいるイッソスの闇に咲く大輪の花。
 まぁ、あんたが望むなら段取りつけていいけど?」
 称号持ちの高級娼婦は顧客層が貴族・政府要人・大商人と国の中枢またはそれに類する者達ゆえに、下手すると貴族並の生活を送っている。
 なお、帝国がベルを買い取った金額はアニスの一夜より安い。
「ふん。
 その気も無いくせに。しっぽが発情しているぞ」
 辰馬は椅子に座るベルの尻尾を見る。
 ふりふりと揺れる尻尾が獲物を狙うように揺れているのが見えていた。
「あはっ♪ばれたぁ〜
 あとでたっぷり奉仕してあ・げ・る。
 私、お仕事がんばったんだから、今夜は朝まで……ね♪」
 盗賊兼娼婦というベルが掘り出し物という評価しか与えられないのは当然マイナス評価もあるからである。
 第一に猫耳族特有の気まぐれさ。  
 第二に相手などお構い無しの淫乱な所。
 第三に人ではない猫耳族そのものの理由で。
「だったら先に仕事を片付けよう。
 勇者の話だ」
 その声に艶っぽい笑みを浮かべていたベルも真顔に戻り、ゆっくりと口を開く。
「ギルド内部でつてを頼って調べたけど、勇者の話は聞かなかった。
 公式ではカッパドキア共和国は勇者を保有していないわ」

 この異世界の人類は、竜を頂点とする異種族と激しく生存競争を繰り広げ、それに勝利してきた。
 その人類最強の武器が勇者と呼ばれる100万人に一人と言われる魔法適正を持った大魔法使いである。
 そして、人類の優位が固まりつつある昨今、その勇者の力は竜よりも同じ人に向けられる事が多くなっていった。
 文字通り一騎当千の働きをする勇者を持つ国こそ、この世界における大国の証。
 それゆえ、人類国家同士の争いは勇者同士の決戦でその勝敗が決まり、だからこそ勇者情報の秘蔵の為に何処の国も信じられないぐらい諜報力が高い。
 なお、その諜報に便利な手駒として使い捨てられ続けてきたのが、黒長耳族であり獣耳族だったりする。
 表むきは帝国イッソス商館駐在員として着任していた辰馬の任務は、冒険者になりすましてこの国の情報を集める事である。
 その中で、竜をも調伏しうる勇者の情報は最優先で入手せよと厳命されていた。
「公式ではってどういう事だ?」
「この国で盗賊ギルドの力が及ばない場所が二ヶ所あるわ。
 一つはここの太守であるイッソス家。
 もう一つは……」
「カッパドキア魔術協会」
 イッソス家は共和国発足時の議長を排出し、代々イッソスの太守を世襲で統治していた家柄である。
 イッソス家とその血族が支配する街はカッパドキア共和国全都市の三分の一近くを占め、国家間では王族扱いを受けている。
 その為、街の名前であるかの家の事は敬意を持って「イッソス太守家」もしくは「太守家」と呼ぶのが通例となっている。
 そんな太守家の抱える防諜組織は実質的にカッパドキア共和国防諜組織と同義語に近い。
 もう一つのカッパドキア魔術協会は西方世界における魔術師の保護を目的とした魔術師の為の協会で、中央世界全土に影響力を持つ魔術師学園とは比べるべくもないが、西方世界の魔術協会では最大規模を誇る。
 カッパドキア共和国国内は当然、西方世界北大陸において魔術協会員ならば何処にでも行け職に困る事がないと言われるほど優遇されている。
 もちろん、勇者が大魔法使いである以上一番怪しい事この上ないがその防諜は強固で、表に出た場合西方世界の魔術師のかなりを敵に回す可能性があった。
 帝国はここに交易に来ているのであって、太守家や魔術協会、ひいてはカッパドキア共和国に喧嘩を売りに来たわけではないので荒事はさける必要がある。
 辰馬がそんな事を物思いにふけっていると、顔につまみの緑豆が飛んでくる。
「痛っ!
 人が考え事しているのに何にやってやがるんだおまえは……」
 本気で怒っているのにまたたびエールを飲んでそっぽを向くベルは知らん顔。 
 説明途中でベルの言葉を辰馬が先取りしたので、いじけているらしい。
「共和国と言っても、カッパドキアはイッソス及び、イッソス太守家の分家連中が殖民都市を設立したのが母体だ。
 太守家とそのとりまき、それ以外で内部が分かれている。
 で、先のトローイア戦争でただ一人の勇者は相打ち。それ以降この国に勇者はいないだっけ?」
 とりあえず、いじけるベルを無視して話を進める。
 ベルとて本気でいじけているわけではないので、機嫌を直して改めて口を開く。
「そう。けど、かつてカッパドキアがイッソスとその取り巻き連中だけの時に既に勇者を持っていたし、殲滅されたトローイアにも勇者はいた。
 太守家の奥領地なんて潜りたくないわ。命がいくらあっても足りやしない」
 実にわざとらしく身震いをするベルだが、その瞳は酔っているにもかかわらず脅えの色を隠していなかった。
「イッソスに盗賊ギルドがあっても、『裏の表』暴力や盗賊や売春で商売しているから許されているだけ。
 『裏の裏』国や世界の危機なんて話、何が出てくるかわかりゃしない。
 ただでさえ、ギルドの長が二人も連続で殺されたのは太守家か魔術協会が手を回したって皆言っているんだから」
 勇者を中心とする国家中枢に対する信じられないほどの防諜体制は、代わりに国家の治安維持力を削がざるを得ないほどの人・物・金を注いで成り立っていた。  
 その結果、盗賊ギルドは治安維持機関として各国に認められ、各国の盗賊ギルドが連携を始めた現在では広域治安維持機構として国家すらその影響力を無視できなかった。
 とはいえ、それは勇者という切り札を持つ国家の黙認によって成り立っているからであって、イッソスの盗賊ギルドに起こった長の変死は先の二勢力からの警告とギルドの連中は考えたのだった。
「で、魔術協会については一つ気になる話があるのよ。
 連中が勇者を持っているかどうかは別にして、勇者保持に動かないのは別の理由があるんじゃないかって」 
 ベルは辰馬に酔ったふりをして抱きつく。
 声を落として耳元で彼女が囁く姿は傍から見れば閨に誘うようにも見えただろう。
「別の理由?」
 軽く頷く。そこから先は生まれたままの姿で閨の寝物語となるのだろう。
 色っぽく、男の唇を奪いながら彼女はこの場での最後の言葉を口にした。
「100年ほど昔の勇者『狂艶の公女』と呼ばれたゼラニウムの魔道書よ」
 二階にある二人の部屋に上がる時、アニスの視線が辰馬に向けられていた事に気づくものはいなかった。


 繰り返すが、人類国家同士の争いは勇者による決戦で勝負が決まる。
 では、人間以外の異種族、しかも決定的なまでに関係がこじれているような連中を相手にした場合は。
 たとえば、帝国が竜州と呼ぶ虚無の平原の化け物たち。
 たとえば、古から人類と対決し続けた竜の眷属達。
 たとえば、古に人から生み出されながらその手を逃れて育った奴隷種達。
 答えは殲滅戦。
 文字通り誰一人逃す事無く滅ぼし、もしくは奴隷としてきたのだった。
 そんな戦場に勇者は当然のように投入され、その力で人を殺し、その身に多くの血を浴びた。
 100年ほど昔、末路は不明だが『狂艶の公女』と呼ばれたゼラニウムは西方世界において活躍し、彼女以上にその身に血を浴びた勇者はいないと言われている。
 妖艶な魔女で人の死体の上で返り血を浴びても妖艶に微笑んでいた事がその称号の由来だという。
 伝承ではその生涯においてついに竜とは刃を交える事無く、眷属や奴隷種に対する殲滅戦でその名を轟かせた勇者。
 そんな伝説の名前が世に出るのは20年程前に行われたトローイア殲滅戦においてである。
 イッソスとトローイアの戦争だったこの戦で双方の勇者が相打ちとなり、双方とも大国としての地位を失ったと思われたその時に起こったトローイア落城とその住民の殲滅。
 人口10万を数えたトローイアは一夜にして滅び、生き残った者は全て殺されるか奴隷として売られ、捕らえられたトローイアの王妃と王女はイッソス将兵全ての慰み者として使われた果てに、辱めを受けたあられもない姿のまま石化されイッソスの大灯台に今も飾られているという。
 この蛮族相手としか思えない殲滅戦において、各国の使者にカッパドキア共和国はただこう答えたという。
「今の我が国に勇者はいない。
 だが、『狂艶の公女』ゼラニウムの魔道書の力によってトローイアを落としたのだ」
 と。
 宿の二階の安っぽい寝室は夜の闇と汗、淫らな匂いに包まれて、裸の男女が下の酒場での話の続きをしていた。
 互いに吐く息は荒いが運動後の爽快感とゆるやかな眠気を振り払うかのように辰馬は口を開く。
「10万の住民を殲滅する魔道書か……
 とんでもない大物が出てきたな」
 その魔道書が帝国にあれば、大陸の戦は負けることがなかっただろうに。
 ため息をついて私物である己の軍刀に目を向け、己の手を見つめる。
 有段者であり、刀を持っていたがためにそれを本来の用途――人を殺す――で使った事が未だ辰馬の闇となっている。
 今でも夢に見る刀で人を切った感触。
 銃とは違いその浴びた血が忘れなれない、肉を切る抵抗が忘れられない。
 大陸での戦争で敵味方多くの死を見たし、死に追いやってきた。
 だが、この刀で人を切った時に残った血の臭い、手の重さ、死を生み出した嫌悪感と相手に死を与えているという快楽を知ってしまった辰馬にとって、本土に彼の居場所など無かった。
 辰馬は自分が人として超えてはいけない何かを失ったと自覚していた。
 だから自ら志願してこの異世界に来ている。
 己の狂気を満たす、人の死という餌はこの地にいくらでもあった。
 ベルの腹の上で寝そべり、その双丘の膨らみに顔を埋めたまま辰馬は嬉しそうな笑みを浮かべるが、ベルには辰馬が浮かべる狂気の笑みは夜の闇で見えない。
「こっちではそこそこ有名な話よ。
 問題は本当にそんなものがあるかどうかだと思うわ」
 辰馬と唇を重ね、愛の言葉を囁くようにベルは続きを話す。
「何だそれは?」
 我に戻り、ベルの胸を揉んで喜ばせながらベルにその先を促す。
「もぉ、話せないわよ……んっ。
『ゼラニウムの魔道書の力でやった』というのがカモフラージュで、本当は隠していた勇者で滅ぼしたって事」
 つまり、ゼラニウムの魔道書そのものが欺瞞にすぎず、勇者を隠す事によって諸国の介入を防いだという事だ。
 絡めていた舌を離して辰馬はひとまず考えるのをやめた。
「……追っかけてみるか」
 そのまま辰馬はベルの唇を奪い、そこから先は二人とも言葉を発するのをやめた。



帝国の竜神様 異伝 ゼラニウムの物語 その二
2010年10月07日(木) 19:00:44 Modified by nadesikononakanohito




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