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【定義】

 ̄深い真理とは、言語では表現できないこと。
法要を広く説くに曰く、至道無難唯嫌揀択と言ふより、言語道断非古来今と説く。実に是れ内外なく中間なし。何をか択び何をか捨てん。 『伝光録』第30章

言葉では言い表せないほどに酷いこと。
浴店にて、五條衣と俗服と内裙と一度に脱で打かさねて、裸形にて湯よりあがりてその上に坐ぜし僧を見る。言語道断なり。 面山瑞方『釈氏法衣訓』「凡例」

8斥佞任聾世ど修擦覆い曚匹卜派なこと。

【内容】

道元禅師は、本来「言語道断」が、言葉では言い表せない真理を示す語として用いられていることを批判して、次のように提唱される。
堂奥にいらざる児孫、おほく摩竭掩室?を無言説の証拠とせり。いま邪党おもはくは、掩室坐夏仏意は、それ言説をもちいるはことごとく実にあらず、善巧方便なり、至理は言語道断し、心行処滅なり、このゆえに、無言・無心は至理にかなふべし、有言・有念は非理なり、このゆえに、掩室坐夏九旬のあひだ、人跡を断絶せるなり、とのみいひ、いふなり。これらのともがらのいふところ、おほきに世尊の仏意に孤負せり。いはゆる、もし言語道断、心行処滅を論ぜば、一切の治生産業、みな言語道断し、心行処滅なり。言語道断とは、一切の言語をいふ、心行処滅とは、一切の心行をいふ。いはんや、この因縁、もとより無言をたふとびんためにはあらず。通身ひとへに泥水し入草して、説法度人、いまだのがれず、転法拯物、いまだのがれざるのみなり。もし児孫と称するともがら、坐夏九旬を、無言説なり、といはば、還吾九旬坐夏来、といふべし。 『正法眼蔵』「安居」巻

このように、いたずらに仏祖の諸行を、非言語として捉えることを批判して、道元禅師は「言語道断」を、「一切の言語をいふ」と解釈された。ここからも、曹洞宗では、いたずらに言語的表現を否定する見解を破する傾向にあることを知るべきである。
法に取ては、三昧に入て、仏境界に安住し、舌、上の腭を支えて、言語道断なるを黙と云ふ。 面山瑞方禅師『黙照銘聞解

面山禅師は上記の通り、黙照の黙の道理を説明する際に「言語道断」を用いた。

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