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【定義】

道心ともいい、阿耨多羅三藐三菩提心の略。基本的な意味としては、さとりへ向かう心、さとりを得ようという志、修行に入るための出発点になる。その心を発すことを、発菩提心という。
大乗仏教では、利他行を強調することから、菩提心といえば、自未得度先度他の心を発すことであるとされる。この利他行の実践を通じて、菩薩はさとりへと進む。
発心とは、はじめて自未得度先度他の心をおこすなり、これを、初発菩提心、といふ。この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸仏にあふたてまつり、供養したてまつるに、見仏聞法し、さらに菩提心をおこす、雪上加霜なり。 12巻本系統『正法眼蔵』「発菩提心」巻

あらゆる功徳が成立するために、根本の場所となる心のこと。

【内容】

道元禅師は、菩提心について幾つかの定義を示しているが、若い時期に書かれた文献で最もよく知られているのは『学道用心集』第1則であろう。
右、菩提心、多名一心なり。龍樹祖師日く、唯、世間の生滅無常を観じる心を、亦、菩提心と名づく。

また、特に菩提心を発すことについては、『正法眼蔵』「身心学道」「発無上心」「発菩提心」巻などで説かれているが、その中で、菩提心は慮知心をもって発すべきだとされている。
このなかに、菩提心をおこすこと、かならず慮知心をもちいる。菩提天竺の音、ここには、道、といふ。質多は天竺の音、ここには、慮知心、といふ。この慮知心にあらざれば、菩提心をおこすことあたはず。この慮知心を、即菩提心とするにはあらず、この慮知心をもて、菩提心をおこすなり。菩提心をおこす、といふは、おのれいまだわたらざるさきに、一切衆生をわたさん、と発願し、いとなむなり。 12巻本系統『正法眼蔵』「発菩提心」巻

なお、ここからすれば、「発菩提心」というのは、「菩提心を発そう」と、意図的に願うことから始まるが、その想い自体が菩提心になることはないということになる。この説示が、発菩提心の難解さを示す好例であるといえよう。そして、建長2年(1250)春の頃に行われたと推定される上堂でも、菩提心のあり方について説法されている。
無上菩提は、自の為に非ず、他の為に非ず、名の為に非ず、利の為に非ず。然而、一向無上菩提を専求して精進不退なる、是れを発菩提心と名づく。既に此の心、現前することを得て、尚、菩提の為に、菩提を求めざれば、此れは是れ、真実の菩提心なり。如し、此の心無くば、豈に、学道と為せんや。当山の兄弟、一向に菩提心を専求して、応に懈廃すべからず。如し、未だ菩提心を得ざる者は、須らく、先代の仏仏祖祖に祈願すべし。又、須らく、所修の善業を以て、菩提心に廻向して願求すべきなり。 『永平広録』巻5-377上堂

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