日本曹洞宗に関するwikiです。人名・書名・寺院名・思想・行持等々を簡潔に示しています。日本曹洞宗に関する情報をお求めの方は、まず当wikiからどうぞ。

【定義】

.汽鵐好リット語のnirvana。煩悩の迷いの火を吹き消した状態のこと。仏教に於ける修行上の究極目標であり、インド思想では解脱を究極の目的にするけれども、仏教では解脱とともに涅槃の語を用いて、修行実践の目的を明示した。または泥洹とも訳す。
ただ、生死すなはち涅槃、とこころえて、生死としていとふべきもなく、涅槃としてねがふべきもなし。このとき、はじめて生死をはなるる分あり。 『正法眼蔵』「生死」巻

▲縫襯凜 璽覆貌ること。
死ぬこと、般涅槃

【内容】

古い意味としては、煩悩の火が吹き消された安らぎの状態を指し、悟りの境地も指す。いわゆる貪瞋癡の三毒を止滅した状態が涅槃の第一義であり、更に煩悩の林から出ることを意味した。また、生命の火が吹き消された、入滅入寂なども涅槃という。

釈尊の入滅について、生存中に涅槃を得ている者が、その肉体の束縛をも離れることを無余涅槃といい、生存中に煩悩の除滅は実現しても肉体の束縛がある涅槃を有余涅槃というようになった。

特に大乗仏教では、無住処涅槃?などの語が用いられた。これは、生死の世界に留まることなく、更に涅槃の世界にも入らない状態をいい、生死煩悩の迷いの世界にも、悟りの世界にも入らない状態を1つの涅槃と見なす。これはつまり、もし自分だけが悟りの境地に入ったとしても、衆生を救済できず、一方で煩悩に把われたままであれば、やはり衆生を救うことは出来ないという発想を元とする。自ら自身は悟りの境地を体験しつつ、その悟れる世界に留まらず、悩み多い衆生が住む生死の世界に活動することを菩薩の行の理想とした。

中国仏教では、僧肇の『肇論』「涅槃無名論」にて涅槃の語を説明し、無為や滅度の語を当てた。無為というのは、中国古来の老荘思想の「道」の思想に因んで考えられるものだが、その発想は未だに根強く、本来の涅槃の観点とは異なるとして、批判する傾向もある。なお、道元禅師は以下のように定義される。
涅槃生死是空華。涅槃といふは、阿耨多羅三藐三菩提なり。 『正法眼蔵』「空華」巻

さらに、道元禅師行持道環を主張したが、その内容は発心修行菩提・涅槃である。
仏祖大道、かならず無上の行持あり、道環して断絶せず、発心・修行・菩提・涅槃、しばらくの間隙あらず、行持道環なり。 『正法眼蔵』「行持(上)」巻

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

角川書店『ねこ禅』



かわいい猫の写真とやさしく解説された禅語のコラボ本。【『ねこ禅』角川書店】からどうぞ。

管理人/副管理人のみ編集できます