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【定義】

總持寺2世峨山韶碩禅師法嗣で、總持寺8世の大徹宗令禅師のこと。

生没年:元弘3年(1333)〜応永15年(1408)
出身地:肥前(熊本県)または大隅(鹿児島県)

【内容】

大徹禅師は、若くして出家し、筑前妙楽寺の無方宗応に就いて得度、後に總持寺の峨山禅師に参じて、悟りを開いた。その因縁は「芭蕉拄杖話?」であった。

後に自ら總持寺の住持(8世)となり、退董する頃にはその道誉が世に聞こえ、美濃非益(現在の岐阜県)の入道、高峰霊妙庵主が妙応教寺を改めて禅寺にした際に開山に請している。大徹禅師は、峨山禅師を勧請開山として、自らは2世として入った。越中新川郡の檀越は、立川寺(現在の立山寺)を創建し、同寺には自らが開山として入った。また、康暦年中(1379〜1381)には、檀越が護国寺を開くと、法嗣である竺山得仙が住持として入ったが、竺山は大徹を勧請開山に請している。

また、總持寺塔頭である五院が創建されるときには、峨山五哲の一人として、自ら伝法庵開基し、總持寺輪住制確立に貢献した。

応永15年(一説には応永12年)1月25日、立山寺にて示寂世寿76歳、僧臘59歳。法嗣は30人以上、受戒結縁の衆は数知れずと伝えている。

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