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【定義】

曹洞宗太祖瑩山紹瑾大和尚開山とする神奈川県横浜市鶴見区にある日本曹洞宗大本山山号は諸嶽山(しょがくさん)。元々は石川県輪島市門前町(旧・鳳至郡門前町)にあったが明治末期に起きた火災を起因にして現在地に移転した。石川には總持寺祖院が再建された。また、「総持寺」と表記されることがあるが、最近では旧字体の「總持寺」と表記するように勧められている。

【歴史】

元々は行基菩薩開創で、諸嶽寺観音堂と称していたが、時の寺主である定賢律師が、元亨元年(1321)4月18日に霊夢を感じて、永光寺に住していた瑩山禅師を拝請して寺を譲った。そこで、瑩山禅師は諸嶽山總持寺と改めた(總持寺の寺号は陀羅尼の訳語であるが、由来は總持寺を譲られる霊夢を記した『瑞夢記』中の法語「總持の一門、八字に開く」である)。

さらに同年、南朝の後醍醐天皇から10種類の御下問(『十種勅問』)があったため、瑩山禅師が報答し、結果、その意旨に契ったため、翌年には勅宣を賜り官寺に列せられて、紫衣出世の道場になったという。しかし、これは真偽不明の伝承でもある。

正中元年(1324)7月には、瑩山禅師は寺を弟子の峨山韶碩禅師に譲り、自らは永光寺に帰った。そして、翌年の8月15日に示寂した。

なお、瑩山禅師は弟子の明峰素哲禅師を自らが建てた寺などの僧録として後事を託したが、總持寺だけは峨山禅師の法系がその後護持することとなった。峨山禅師は42年間もの長期にわたって住持の職にあって、その初期の立ち上げに大きく貢献している。

さらに、峨山禅師には、特に勝れた法嗣が25名(28人とも)いたとされているが、この中でも太源?宗真・通幻寂霊・無端祖環・大徹宗令・実峰?良秀の五老僧が主導的な立場となって、その後の總持寺運営に尽力した。そのために峨山五哲と称された。また、峨山五哲はそれぞれ總持寺の境内地に普蔵院妙高庵洞川庵伝法庵如意庵という塔頭を建てて「五院」となした。その後、總持寺の住持は、この五院住持が輪番で登る(輪住制)こととなり、全国各地に作られたこれら五院の末寺、及びその系統の寺院は輪番地として、五院に入る資格を得た。

この輪住制度は、明治3年(1870)まで続いたが、以降は独住寺院となって、旃崖奕堂禅師を一世とした。さらに明治8年(1875)には五院を總持寺に統合し、その末寺は總持寺の直末として再編成された。

その後、明治31年(1898)4月13日火災にあって、殿堂伽藍が灰燼に帰した。そのため、時代の趨勢にしたがって、より都市部に近い場所に寺を遷すことが模索され、明治40年(1907)の3月9日には移転の許可を得て、移転した。現地に来て、明治43年(1910)8月12日に入仏式を挙げ、44年(1911)11月5日には遷祖式を行っている。11月には現在でもご移転の法要が執り行われ、先年には萬燈供養で行われた。

なお、元々の石川県の土地には、總持寺祖院が再建された。

【伽藍配置】

總持寺式と呼ばれる伽藍配置がされる。法堂として大祖堂を中心に、その西側に仏殿僧堂が並ぶ。大祖堂の東には庫院が置かれ、さらにその北には方丈としての紫雲台などが配置される。

【お問い合わせ先】

公式ホームページ
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【總持寺直末について】

總持寺には、直末三十六門が存在している。これは、總持寺2世となった峨山韶碩禅師の直弟子が開創した末寺を指す。しかし、無底良韶禅師開山の陸奥正法寺は本来独立した本山であり、總持寺よりも早く瑩山禅師によって開創された能登永光寺は寺格的に總持寺の兄に当たるが、この両寺は江戸時代に總持寺直末とされた。

・陸奥 正法寺 無底良韶
・陸奥 永徳寺? 道叟道愛
・陸奥 音声寺 竺源超西
・陸奥 長谷寺 竺源超西
・陸奥 龍穏院 月泉?良印
・陸奥 示現寺 源翁?心昭
・陸奥 常在院 源翁心昭
・出羽 補陀寺 月泉良印
・出羽 最禅寺 源翁心昭
・出羽 正法寺 源翁心昭
・出羽 永泉寺 源翁心昭
・出羽 向川寺 大徹宗令
・出羽 安養寺 無着?妙融
・下野 泉渓寺 源翁心昭
・下総 総寧寺 通幻寂霊
・能登 永光寺 瑩山紹瑾
・越中 自得寺 無際純証
・越中 立山寺 大徹宗令
・越前 竜泉寺 通幻寂霊
・信濃 霊松寺 実峰?良秀
・美濃 妙応寺 大徹宗令
・近江 総寧寺 通幻寂霊
・丹波 永沢寺 通幻寂霊
・摂津 護国寺 大徹宗令(廃寺?)
・伊勢 正法寺 実峰良秀
・伊勢 建福寺 竺堂?了源
・備中 永祥寺 実峰良秀
・美作 化生寺 源翁心昭
・伯耆 退休寺 源翁心昭
・伯耆 総泉寺 実峰良秀
・石見 龍雲寺 無端祖環
・豊後 泉福寺? 無着?妙融
・肥前 玉林寺 無着妙融
・肥前 医王寺 無着妙融
・薩摩 皇徳寺 無外?円照(廃寺

なお、先の繰り返しになるが、ここから永光寺と陸奥正法寺を単に直末として、美作瑞景寺(実峰?良秀)と日向太平寺(無着妙融・廃寺)を加えて三十六門とする見解もある。

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