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【定義】

現在の日本曹洞宗では暁天坐禅が終わった後に、「搭袈裟偈」を唱えて袈裟を着ける。その本文は以下の通り。
大哉解脱服、無相福田衣、披奉如来教、広度諸衆生(だいさいげだっぷく、むそうふくでんえ、ひぶにょらいきょう、こうどしょしゅじょう)。 『正法眼蔵』「伝衣」巻

【内容】

この偈であるが、道元禅師が示した本文は、極めて特殊である。それ以前の中国の律宗関係文献や清規で用いられていたのは以下の通りである。
大哉解脱服、無相福田衣、披奉如戒行、広度諸衆生。 『四分律刪繁補闕行事鈔』「巻下一 沙弥別行篇第二十八」

特に、3句目が「披奉如戒行」になっていることにご注意願いたい。道元禅師の用いた偈文は「如来の教え」であったが、『行事鈔』は、「戒行の如し」とある。さらに、以下の例もある。
大哉解脱服、無相福田衣、披奉如来戒、広度諸衆生。 『禅苑清規』「巻9 沙弥受戒文」

これは道元禅師も参照している『禅苑清規』という中国禅宗で成立した清規であるが、ここでは3句目が「如来の戒」となっている。先に挙げた道元禅師の文章にやや近づいているのであるがやや違ってもいる。したがって、道元禅師はこの偈について「伝衣」巻などでは、『阿含経』などにある「頂戴袈裟文」と呼んでいるが、その「頂戴袈裟文」という呼び方は『勅修百丈清規』など(ただし、道元禅師ご自身は同清規は見ていない)で示されている「善哉解脱服、無相福田衣、我今頂戴受、世世常得披、唵悉陀那娑婆訶」のことであると思われる。それから、天台宗の出家得度の作法に、何を用いていたかにもよるが、もし恵心僧都源信作の作法を使った場合、途中でこの「頂戴袈裟文」を読誦するため、ここで知っていた可能性もある。ただ、それも宗門の現行偈文とは違う。つまり、今回紹介した偈文は現時点で出典が不明である。なお、臨済宗の『諸回向清規』巻4には、「袈裟偈(亡者披袈裟則可喝此偈)」が収録されているが、そちらでは以下の通りである。
善戒解脱服。無相福田衣。我今頂戴受。世世常得披。

こちらも、1句目などに独自性が見られるものである。

【搭袈裟法】

さて、先に示した「搭袈裟偈」を唱えて袈裟を着ける方法について、ほぼ同一のものを『正法眼蔵』「伝衣」巻と、「袈裟功徳」巻にて明らかにしておられるので、以下に挙げる。
予、在宋のそのかみ、長連床功夫せしとき、斉肩隣単をみるに、毎暁の開静のとき、袈裟をささげて頂上に安置し、合掌恭敬して、一偈を黙誦す。ときに予、未曾見のおもひをなし、歓喜みにあまり、感涙ひそかにおちて衣襟をうるほす。その旨趣は、そのかみ阿含経を披閲せしとき、頂戴袈裟文をみるといへども、その儀則いまだあきらめず、不分暁なり。いまはまのあたりみる、歓喜随喜し、ひそかにおもはく、あはれむべし、郷土にありしには、おしふる師匠なし、かたる善友にあはず。いくばくかいたづらにすぐる光陰をおしまざる、かなしまざらめやは。いまこれを見聞す、宿善よろこぶべし。 「伝衣」巻

道元禅師が、中国で修行中、たまたま隣に坐っていた僧侶が毎朝の暁天坐禅が終わるときに、袈裟を掲げて頭上に安置し、そして合掌しながら偈を唱えていた様子を窺うことが出来る。基本的に、現在の日本曹洞宗が行っている搭袈裟法は『弁道法』の作法にしたがっており、内容は同じ。また、具体的な袈裟の扱いについては、以下のような指摘がある。
偏袒右肩、これ常途の法なり。通両肩搭の法あり、如来および耆年老宿の儀なり。両肩を通ず、といふとも、胸臆をあらはすときあり、胸臆をおほふときあり。通両肩搭は、六十条衣以上の大袈裟のときなり。搭袈裟のとき、両端ともに左臂肩にかさねかくるなり。前頭は左端のうヘにかけて、臂外にたれたり。大袈裟のとき、前頭を左肩より通して、背後にいだし、たれたり。このほか種種の著袈裟の法あり、久参咨問すべし。 『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻

いわゆる、通肩法と、偏袒右肩とが示されているが、この方法を見てみると、おそらくは七条衣の搭袈裟法について、前頭が臂の外に垂れているという表現などから、今でいうところの「總持寺式」という状況に近いことが分かる。大袈裟については、今の「如法衣」と言われる着け方に近い。ただ、他にも様々な方法があるため、現代の宗門で着けているような方法なども許容されるのであろう。

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