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【定義】

本来は100年生きられるはずだった釈尊が、敢えて80歳で入滅されたのは、残りの20年の寿命を、後代の仏弟子達に回向したためだ、という見解のこと。なお、この回向により、後代の仏弟子達は、飢餓等の災厄に見舞われずに修行出来ると信じられた。「二十年の遺恩」「二十年の仏寿を分かつ」などとも表現される。
況やまた仏、二十年の福分を以て末法の我等に施す。是に因て天下の叢林人天供養不絶。 『正法眼蔵随聞記』巻2

【内容】

なお、道元禅師はこの教えを繰り返し門人に示され、以下のようにも示されている。
然れば出家人は、学仏の力によりて食分も尽くべからず、白毫の一相、二十年の遺恩、歴劫に受用すとも尽くべきにあらず。行道を専にして、衣食を求むべきにあらざるなり。 『正法眼蔵随聞記』巻1

更に以下の表現も見られる。
大師釈尊、猶お二十年の仏寿を分かちて、末世の吾等を蔭う。其の意、如何。唯だ父母の心を垂れたるのみ。如来、全く果を求むべからず、亦た富を求むべからず。 『典座教訓

それから、この説の典拠だが、以下の一節などが知られている。
『雑心』云く、「第五寿の分を捨つるとは、百年の寿の二十を一分と為す。故に五分有り。仏、魔王の啓請に答えて、二十年を捨てて唯だ八十を留むるのみ。故に云く、第五寿の分を捨つ」と。 吉蔵『法華義疏』巻1「序品第一」

ただし、この一節のみでは、まだその寿を回向したという話にはなっていない。
世尊二十年の遺蔭、児孫を蓋覆す。白毫光の一分の功徳受用して尽きず。 『禅苑清規』巻8「亀鏡文

そして、おそらくは道元禅師が参照されたのは、以上の一節であろうと思われる(『典座教訓』で同文を引用するため)。

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