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【定義】

仏陀の眼(眼睛)のこと。
釈迦牟尼仏仏面礼拝したてまつり、釈迦牟尼仏の仏眼をわがまなこにうつしたてまつり、わがまなこを仏眼にうつしたてまつりし、仏眼睛なり、仏面目なり。 『正法眼蔵』「面授」巻

なお、『正法眼蔵』「唯仏与仏」巻には、「仏の眼」に関する詳しい説示が見られる。
又、尽大地は、是毘盧のひとつのまなこなり、とは、仏は、ひとつのまなこといへる、かならずしも人のまなこのやうにあらんずる、とはおもはざれ。人にも目こそは二もあれ、まなこを云ときは、人眼、とばかりいひて、二とも三ともいはぬなり。教をまなぶものの、仏眼、といひ、法眼、といひ、天眼、などいふも、めにてあり、とはならはぬなり。目のやうにあらんとしれるをば、はかなきといふ。今は、ただ仏けの眼こひとつにて、尽大地ありける、ときくべし。千眼もあれ、万のまなこもあれ、まづしばらく尽大地が、そのなかのひとつにてあるとなり。かくおほかるなかに、ひとつぞ、と云も、とがなし。又、仏にはただまなこはひとつのみあり、としるもあやまらず。まなこは、さまざまあるべきぞかし。三あるもあり、千眼あるもあり、八万四千ありと云事もあれば、まなこの、かくの如くなりとききて、耳をおどろかさざるべし。 「唯仏与仏」巻

なお、本巻では「尽大地は、是毘盧のひとつのまなこなり」についての議論から、仏眼などに展開しているが、おそらくは中国の禅語録(雪峰義存の語とする場合も)などで散見される「尽大地是沙門一隻眼」を敷衍したものかと思われる。

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