年が改まると、気持ちも改まる。
旧年十二月三十一日から新年一月一日に日付が移ったとて、時の流れ自体は確かに普段と変わりはしない。
だが、実際は外見も内面もほとんど、いやまったく変わっていないにせよ、
それでも心の中にある思いはちょっとだけ前に進んだような気がするものだ。
そう、ちょっとだけでも。

「明けましておめでとう、ミサキ」
「マサちゃん、明けましておめでとう」
 小久保マサヒコと天野ミサキは、東が丘神社へと来ていた。
時はまさに深夜0時過ぎ、テレビではどこも芸能人が『あけましておめでとう!』と視聴者に向けて笑いかけている頃である。
「……やっぱり寒いね、夜だから」
「おいおい、年が変わったその瞬間に初詣しようって言いだしたの、ミサキの方じゃないか」
「それはそうなんだけど」
 真夜中、新年になるタイミングの初詣は、マサヒコと記念の時を二人だけで迎えたいというミサキのささやかな希望が発端だった。
真冬でもあるゆえ、マサヒコは最初少し躊躇ったのだが、結局はミサキのお願いに応えることにした。
初詣というものは一年に一度だけ。
そういう記念モノの行事である上に、彼女と一緒となれば、寒いの何だのを優先させて断るわけにはいかない。
「しかし、やっぱり他にも人がいるんだね」
「……考えてることは同じなんだな」
 大きな神社ではないので、もしかすると自分たちだけかもしれないという予想が二人にはあったが、それはあっさりぽんと外れた。
数組、若い男女が手を繋いで、先にお参りにやってきていたのだ。
こういう手合いが毎年いるのであろう、神社側も察したもので、入り口と境内をライトアップなんかしている。
「ね、マサちゃん、お賽銭はいくら入れた?」
「五円」
「ちょっとケチじゃない?」
「いいんだよ、こういうのは金額の多寡じゃないんだから」
 まだまだ親からお小遣いをもらっている学生の身、五百円だって惜しいものである。
一万円札を惜し気もなく放り込むような人もいることはいるが、少なくともマサヒコはそれには当てはまらない。
「……じゃあ、さ」
「うん?」
「何を、お願いしたの?」
 鳥居の下を潜りながら、ミサキはマサヒコに訪ねた。
「ミサキは?」
「マサちゃんが答えてくれたら、教えてあげる」
「何だよ、それ」
 マサヒコは緩くなってずり落ちそうになったマフラーを巻き直した。
ちなみにこのマフラー、ミサキのお手製である。
クリスマスプレゼント用にミサキが用意したものだが、
何せこの手の技術が心意気になかなか追いついてくれない彼女のこと、
手直しの連続となり、クリスマスから遅れること三日経ってのプレゼントとなってしまったシロモノだ。
模様がちょっとズレてしまっているが、まあこの辺りは双方の許容範囲内ということで。
「……今年一年、無事に過ごせるように」
「それだけ?」
「えーと、あとは受験生にもなることだから、大学の。そっちの方もお願いしたかな」
「ふーん……」
 ミサキは俯いた。
マサヒコのお願い事は、順当と言えば順当なものである。
それに対しては、文句のつけようはない。
しかし、一抹の寂しさが胸にホロリと零れおちるのも事実。
勝手な我儘と自覚していても、やはり甘い答えを望んでしまう。
「……それと、もう一つあるけどな」
「え?」
「ミサキと、ずっと一緒にいられるように……って」
「マサ、ちゃん……!」

 ミサキはマサヒコの顔をまじまじと見た。
頬に幾分朱が差しているのがわかったが、それが照れによるものなのか、寒さによるものなのかまでは判断出来なかった。
一方のマサヒコにしてみれば、これはもちろんそれなりに気をきかせたつもりである。
以前のマサヒコならばミサキの心情を読み切れなかっただろうが、今は違う。
成長しているのである、彼も。
「マサちゃん、マサちゃん、私もね、私も、マサちゃんと……ずっと……」
「ミサキ……」
 胸にぽふりと顔を埋めてきたミサキを、マサヒコは優しく抱きとめた。
そのままの体勢で、素早く周囲を見回し、人影が無いのを確認する。
幸い、先程までいた他のカップルは、寒さに耐えかねたかそそくさと帰ってしまっている。
今更人目を、という気持ちもマサヒコの中にないではなかったが、
やはりそこはそれ、言葉以上の触れ合いになってくると、恥ずかしさを覚えてしまうというものである。
「あ……マサちゃん」
 マサヒコはミサキの肩を抱き寄せ、石灯籠の裏へと連れていった。
そして、少し屈むと、ミサキの唇にそっと自分の唇を重ねた。
「あ……む……」
「ん、ん……」
 ミサキは驚いたように目を見開いたが、それも一瞬、すぐに瞳にトロンと靄がかかる。
「ふ、う」
「は、あ」
 十数秒、互いの唇を感じあった後、マサヒコとミサキはゆっくりと、そしてやや名残惜しそうに顔を離した。
唾液の橋が一条、冬の空気の中に薄く弧を描き、プツリと切れる。
「……改めて、新年あけましておめでとう。ミサキ」
「うん……マサちゃん」
 ミサキは再び、キスを求めて目を閉じた。
しかも、次は舌を要求するかのように、やや口を開いて。
「ミサキ……」
 マサヒコもミサキの意図を察し、目を閉じ、顔を寄せた。
二人の唇が、舌が、新年二度目の交歓を―――

「ハーッピー! ニュー! イヤー!」
「ふわああ!」
「どわああ!」
 不意に横あいから声をかけられ、マサヒコとミサキはアメリカザリガニのように後方に跳び退った。
さて、ゆうに1メートル半は跳んだだろうか。
「うふふふ、お二人さん。神聖なる場所でフラチな行為はいただけないわねえ」
「な、中村先生!?」
 そう、横槍を突っ込んだのは他の誰でもない、現いつつば銀行東が丘支店勤務、
元東栄大学学生で的山リンコの家庭教師、中村リョーコだった。
「はーい、全員しゅうごーう」
「え? え? え?」
 呆然とするマサヒコとミサキの前に、茂みの中からガサゴソと三人の女性が出てくる。
「み、み、みんな?」
「やっほー、あけましておめでとーっ」
「……おめでとう」
「え、えーと、あけましておめでとう、マサヒコ君にミサキちゃん」
 的山リンコ、若田アヤナ、濱中アイ。
いずれも、マサヒコとミサキにとって、今更説明の必要がないくらいに関係深い人物である。
リンコはオーバーを着ているというより着られているといった感じにモコモコな格好で、ニコニコと笑っている。
アヤナはどこか不機嫌そうな表情でマサヒコを睨みつけており、アイはアイでどこか申し訳なさそうに微笑んでいる。
「ど、ど、どうしてここに?」
「うふふふ、私の情報収集能力をしゃぶりまわさないで、いやさナメないでもらいたいものだわね」
「あのね、小久保君の家に行ったら、おばさんが『もうミサキちゃんと東が丘神社に行ったわよ』って教えてくれたの」
 ボケるリョーコの横で、リンコがマサヒコの質問に答える。
何のことはない、マサヒコとミサキが出た後に、二人を誘いにリョーコたちが小久保家にやってきたというわけだった。
リョーコもリョーコで深夜の初詣を画策していたわけだが、
事前にマサヒコとミサキに連絡を入れなかったのは、さて二人の行動を見越していたためか、
それともいつもの出たとこ勝負の思いつきか。

「い、いつから?」
「ん? いつから見てたかって? ぶっちゃけアンタらが賽銭入れる前から後ろでツケてた」
「ど、どうして声をかけてくれなかったんですか!」
「そりゃーアンタ、おもしろいモノが観察出来そうだったから」
 リョーコはケタケタと笑いながら、ストラップを指にかけて携帯電話をくるくると回してみせた。
おそらく、携帯のカメラでキスの瞬間をバッチリ収めたのであろう。
こういうところは本当に抜け目のないリョーコである。
「で、アンタらどうする?」
「ど、どうするって?」
「このまま姫はじめするなら、近くのラブホテルの割引券あげるけど?」
「行きません!」
「え、じゃあまさかここですんの?」
「しません!」
 リョーコの言葉に大声で噛みつくミサキ。
この神社が高台になければ、さぞ周囲の民家に迷惑になったことであろう。
「中村先生、人が悪いですよ……」
「ふふふ、油断したわね、マサ」
 溜息をつきつつ、マサヒコは頭を左右に振った。
いくら何でも、これを油断の一言で片づけられては彼も立つ瀬がない。
誰がリョーコのような行動を読めるというのだろうか。
そこまで気を回すのは、正直不可能というものである。

「さあて、見るモン見たし、それじゃあ私らもお参り済ませるとしましょうか」
「はーい、って、何でアヤナちゃん怒ってるの?」
「お、怒ってなんかいないわよ」
「ゴメンね、二人とも。ちょっと待っててね、すぐ戻ってくるから」
「うう、うううっ、うううう〜」
「……泣くなミサキ、まだ一年は始まったばっかしなんだから」
 年が改まると、気持ちも改まる。
旧年十二月三十一日から新年一月一日に日付が移ったとて、時の流れ自体は確かに普段と変わりはしない。
だが、実際は外見も内面もほとんど、いやまったく変わっていないにせよ、
それでも心の中にある思いはちょっとだけ前に進んだような気がするものだ。
そう、ちょっとだけ、前に―――


   F   I   N

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