「ただいま〜〜〜、若田部」
「遅かったのね、今日も」
本当は。
違うことを言いたかったのに。今日も、私は不機嫌そうな声でそう答えた。
「今日リョーコさんが店に来てさ。あの人ザルだろ?オマケに部屋にまで付き合わされてさ、参った参った」
「・・・・・酒臭い」
「わりいな、ずっとリョーコさんと飲んでたからさ」
「ちょっと待ってて」
「うん」
私の言うとおり素直に小久保君はソファの上に座った。確かに、酒臭かった。
それより怖いのは、彼のその酒臭い息すら懐かしく感じてしまう自分だ。
「はい、水」
「わりいな、若田部・・・・あ〜〜、うま」
こくッ、こくッ
真っ白な、小久保君の喉仏が水を飲みこんで一定のリズムで動く。
官能的ですらあるその動きを無意識のうちに凝視している自分に気付いて、慌てて目を伏せる。
「なにか、食べてきた?」
心の動きを悟られないように、問いかける。
でも全てを彼に見抜かれているような不安が、ずっと消えない。
「店で少し。あとリョーコさんとこで蜜柑をふたつもらったくらいかな」
「お味噌汁なら少し、残ってる」
「やった!食べて良い?」
「すぐに温め直すわ」
「うん」
そそくさと席を立ち、キッチンで電磁調理器のスイッチをひねる。
お鍋を温め、中を軽くかきまぜながら、思う。
嘘だ。
小久保君が来る日だから、お味噌汁を作っておいたんだ。
昆布と煮干しでキチンと出汁をとって、お味噌も白味噌と八丁味噌を合わせた、特別のお味噌汁。
具材だって、一週間前から散々悩んでシンプルに若布と大根と豆腐にしたんだ。
それも、無農薬野菜で国産の一番良い材料を。さっきの水だって、私が選んで選び抜いた銘水だ。
そんなことで彼の気持ちを引止めようとする自分の心の浅ましさを見抜かれそうで、
私は彼の顔を見ていられなくなったんだ。
(ほんとうは・・・・・久しぶりだから、ずっと顔を見ていたいのに)
私の心の声が、自分自身を責める。たった一週間だ。それなのに、久しぶりだなんて思っている自分が。
「良い匂いだね、若田部」
「!や、やだ、突然後ろに立たないでよ!」
驚いた私は、そう言って彼の足を蹴ろうとしたけど、ひらり、と小久保君はそれをかわした。
「だって俺、何度も声をかけたのにお前無反応だったから」
「夜も遅いし、ボーーーーっとしてたのかもね」
嘘だ。
ずっと、考え事をしていたからだ。それも、小久保君のことを。
咄嗟に誤魔化すためについた嘘だけど、彼は平気な顔をしていた。ああ、こんな顔ですら。
「ホラ、味噌汁焦げちゃうから」
「あ」
耳元で小久保君に囁くように言われて、全身から力が抜けていくのが分った。
彼はおたまを握っていた私の右手を握ると、そのまま一緒にお鍋の中のお味噌汁を掻き混ぜはじめた。
「やめ、て・・・・・・小久保君、これくらい、わたし、だけで」
「良いから。一緒につくろ?若田部」
彼は私の性感帯が耳の裏だということを知っている。
だからそれ以上、完全に力が抜けるまで強く息を吹きかけたりはしない。
私のからだに小さな欲望の火を灯けて、むしろ不満が残るくらいに・・・・
絶妙のタイミングで息を吐いたり、指先に触れたり、そしてからだをくっつけてきたりする。
一緒にお味噌汁の中身を掻き混ぜるうち、もう、彼の酒臭さは気にならなくなっていた。
とく・・・・・
Φ
(!)
はっきり、分った。私のそこから、淫らな液が漏れ出てきたのを。
「もう良い感じじゃね?若田部」
「!そ、そうね、小久保君」
「じゃ、向こうに」
「え、ええ」
下半身に残る奇妙な期待感と気怠い快楽の重みを引きずったまま、
私はお鍋をテーブルに置いてお椀にお味噌汁を盛りつけた。
「いつも旨そうだよな〜〜、若田部の料理は」
「お世辞要らない。それに料理なんて大げさなものじゃ」
「あ、そうだよな。旨そうじゃなくて旨いんだもんな。じゃ、いただきます!」
私の憎まれ口を軽くいなすと、小久保君は美味しそうにお味噌汁を食べ始めた。
男の子らしくがっついているように見えるけど、彼の食べ方や飲み方は決して下品にならない。
箸使いも綺麗だし、音もほとんどたてない。ずっと見ていても、全然不快にならないくらいだ。
でもそれは多分、彼のことを良く観察しないと気付かないことだろう。
「どったの、若田部?」
「・・・・別に」
「ふ〜〜ん。しかし旨いな、若田部の味噌汁は」
本当は。
ホストなんていうバイトだとお酒をたくさん飲むだろうから。
小久保君のからだのことを考えて、お酒の酔い覚ましにはお味噌汁が良いって本で読んだから。
彼のことばかりを一週間考えていて・・・・違う。一週間だけじゃない。
私は、ずっと、四六時中、寝ても覚めても。彼のことばかり考えていたから。
お金くらい、私がなんとかするから、ホストなんてバイトはやめて欲しくて。
それと天野さんや濱中先生や的山さんとも切れて欲しくて。
でもそんな言葉を口に出してしまうのは、私のプライドが。
「ごちそうさま〜〜若田部」
「!あ、お、お粗末様でした」
「美味しかったよ!若田部。マジ染みるわ〜〜〜」
笑顔で、小久保君が私を見る。
美味しいと言われて、だらしなく顔が崩れそうになる自分を慌てて抑え込む。
ああ、でもこの顔・・・・・この顔が見たくて。そうじゃない。この顔だけじゃない。
私は小久保君の表情、全部が欲しくて・・・・・
「食器くらい俺が洗うから、待っててね?若田部」
「!い、いいのよ、それくらい、私が」
「いいっていいって。じゃ」
お鍋とお椀を持つと、小久保君がキッチンに消えていった。茫然と、背中を見送る。
(べ、べつに、いいわよね?それくらいしてもらっても)
無理矢理自分に言い聞かせようとするけど、
水の流れる音と食器を洗う音を聞くうちにどんどん不安になってくる。
今日は、どんな女の子と会ってきたの?
お姉様のところで、なにをしてきたの?
今日は、お味噌汁を食べただけで帰るつもりなの?
もう私に、興味がないの?
頭の中が、小久保君への質問でいっぱいになる。
言いたいことは山ほどあるはずなのに、どれも聞けない。聞けるはずがない。
シンクの音が止んで、静かになる。その束の間の静寂が、私をまた不安にする。
もしかしたら。
小久保君は、もうあそこにいないのかも。私の態度がウザくて、なにも言わずに帰ったのかも。
不安は恐怖へと代り、それは私の心を埋め尽くす。
いてもたってもいられなくなった私は、キッチンに向かっていた。
「?若田部」
小久保君は・・・・・タオルで、丁寧に食器を拭いていた。それだけだった。
へなへなと、からだ中から力が抜けそうになった自分をなんとか支えて、言った。
「あ、あのね。ちょっと遅いな、って思ったんで手伝おうかなって」
Φ
「そんな遅かった?ゴメンな」
にっこりと小久保君が微笑む。壁にかかっている時計を見た。5分も経っていなかった。
全然遅くなんかない。私が、勝手にひとりで、不安に駆られただけだ。
多分それが分っていても、彼はなにも言わずにこうして微笑むのだろう。
「もう・・・・終わったみたいね」
「うん」
動揺している自分を隠すために、見たままのことを言う。きっとその動揺もとっくに彼にバレているのだろう。
私だって、それくらいもう分っている。それでも変わらず、小久保君は微笑んでいる。
「ねえ?若田部?」
「な、なに?」
「今日は俺、帰ろうか?お前、疲れてるみたいだし、俺も酒臭いし」
「!!!ち、違うの、全然、疲れてなんてないから!」
見栄も外聞もなく、私は叫ぶように言った。さっきまでプライドだの言っていた自分はどこへ行ったのだろう。
「ふ〜〜ん、じゃ、いいの?」
「う、うん。あの・・・・・・・定期的にあれをすると、お肌の張りも良くなるし、
それに体調も良くなるって、アメリカの研究で」
「マジで?ははは、しかしアメリカ人ってのは変なことを研究するもんだよな」
嘘だ。
強引に、そんな嘘をついた。確かにどこかでそんな論文を読んだような気がするけど、
多分三流のゴシップ記事まがいの研究だったはずだ。
そんな嘘をついてまで小久保君を引止めようとする自分に嫌悪感を抱くけど、
それ以上に、私には彼が必要だった。
「じゃ、行こうか?若田部?」
「・・・・うん」
それが当たり前のように小久保君が私の腰に手を回してきて、からだを密着させてきた。
耳の後ろの匂いを嗅がれると同時に彼のなま温かい息が私の耳朶を犯してきて、
さっき濡れた私のそこが、また疼くのを感じた。
「良い匂いだね、若田部。こんな夜遅くでも」
「意地悪」
感情を隠せなくなった私は、拗ねたように言う。
もしかしたら、私は彼にそうからかわれるのを期待していたのかも知れない。
いくら薄くても、こんな夜遅くにメイクを落とさず、薫りを身に纏う理由なんてひとつしかない。
「冗談だよ」
「待ってた」
「うん」
「キスして」
「うん」
ちゅ
そのキスは、やっぱりお酒の匂いがした。でもその匂いは、私を淫らな気分に誘う。
ちゅ
「ん!ん・・・・・」
そのまま、小久保君が私の耳元に舌先を這わせてきた。一気に全身から力が抜けていくのを感じた。
「だっこ」
耐えきれなくなった私は、小久保君にからだを任せてそうねだる。
いつものように彼は私を軽々と持ち上げてベッドに連れていくと、投げ落した。
ちゅ ちゅ ちゅ
すぐに衣服をぬがされて下着姿にされると、執拗なくらい、からだ中にキスをされる。
容赦なく責めてくる小久保君の唇と舌先で、全身が犯されている気分になる。
でも、私は知っている。強く吸っているようだけど、彼のキスは決して次の日まで残らない。
きっと小久保君は、それを知りながらキスをしている。
本当は。
他の人に、見られても良いから。彼のキスの跡を、からだにつけて欲しいくらいなのに。
小久保君の痕跡を、残して欲しいのに。でも、まだそれを彼にお願いしたことはない。
「若田部ってさ」
「な、なによ」
Φ
突然キスを止めると、小久保君が私をじっと見つめてきた。
なにを言われるのか、期待と不安でいっぱいになりながら次の言葉を待つ。
「我慢してるよね」
「・・・・・別に、我慢なんて」
「俺といるときくらい、我慢しないで欲しいな」
嘘だ。
我慢している。それは全てあなたのせいだ。
あなたが私だけのものになれば、我慢なんてする必要はない。
そう思いながらも、やはりそれを口に出すことはできない。
その代り、また来週も、来月も。私は小久保君を待ち、卑しいくらいに彼を求めるのだろう。
ちゅ ちゅ
「ふ・・・う゛ん・・・・・・」
ブラを脱がすと、また小久保君がキスをしてきた。
薄くて少しだけ渇いた唇が、乳房に吸いついてくる。恥ずかしいくらい、大きくなった私の胸に。
小学生の頃から、それは私にとってコンプレックスだった。
それなのに私は、小久保君に口でそこを吸われて気持ち良くなってしまっている。
ぷちゅ
「う、んッう・・・・・」
乳首を吸われて、からだに電流が走ったみたいになる。
もっと、触って欲しい。もっと、吸って欲しい。もっと、舐めて欲しい。
頭の中が、淫らな欲望でいっぱいになっていく。小久保君に、して欲しいことでいっぱいになっていく。
「こくぼ・・・・くうん」
無意識のうちに小久保君の名前を呼ぶけど、彼はなにも答えない。
無言で。ただ無言で、私の胸やお腹や腋を舐め続ける。
ふと、小久保君のことが憎くてしかたがなくなった。間違いなく、私は彼を愛しているのに。
突然の野性に突き動かされ、発情した雌猫みたいな気分になった私は、彼の首筋に噛みつく。
がり
「若田部。ちょっとだけ、痛い」
「マーキングよ。どうせまた、どこかで他の女の子と会うんでしょうけど」
ああ、どうして。こんなに可愛くないことばかり言ってしまうんだろう。
「マーキングかぁ。ねえ、若田部?でもマーキングするってことは、
若田部は俺を自分のものだと思ってるってことなのかな?」
「・・・・・・知らない」
そうか、そういう解釈もできるのか。小久保君は時々鋭いことを言うから気が抜けない。
確かに一部の動物はテリトリーを主張する以外にも、自分の持ち物にマーキングするという話だから。
かり
「!き、きゃあ!なにするのよ!」
「おかえし」
肩を囓られた。鈍い痛みが走るけど、それとともに喜びの感情がわいてくる自分に戸惑う。
「もう!ノースリーブの服が着れなくなっちゃうじゃない」
その気持ちを隠すために、わざと大げさに抗議する。
「首に噛まれると、どんな服着てもモロバレなんだけど?」
「スカーフかバンダナでも巻けば?あとマフラーとか」
「西部劇か石田純一かって感じだな」
「石田純一ってそんなだった?中尾彬の間違いじゃない?」
他愛もない会話を続けていくうち、どちらともなくふたりしてくすくすと笑い合う。
ちゅ
微笑みながら、小久保君がキスを再開してきた。
さっきまでの性急なキスじゃない、唇と唇をゆっくり味わうような、大人のキス。
初めて彼と唇を重ねたときは、怖かった。長い、大人のキスをしたときも、怖かった。
彼にどうやって応えたらいいのか分るようになってきた頃も、やっぱり怖かった。
それだけで感じてしまっている自分が、とても淫らな女のように思えたから。
ちゅ
鎖骨に濡れた舌が這ってくる。私の、もうひとつの性感帯。
そしていつの頃からか私は、キスが怖くなくなっていた。

小久保君に、自分が十分すぎるくらい淫らな女であることを知らされたから。
「ん・・・・ふ」
舌先で、そこをつくようなキスをされる。ほっそりとした指先で乳首をきゅ、と摘まれる。
「あ!ん・・・」
大きな声を出しそうになるのを、寸前で堪える。確かに、私は我慢している。
「こ、く、ぼ、く・・・・・ん」
舐められ続け、責められ続けて、私の心が決壊しそうになる。
に、と小久保君が笑うと服を脱いで、私の太腿を押し開くとショーツの中に指先をあてがってきた。
「う、ん・・・・・ん」
繊細で欲深い私のそこはすぐに彼の鋭敏な愛撫に反応して、とろりと溶け出す。
そっと、彼のしやすいように腰を動かした。そこの毛が、指先に絡んで擦れるのが分った。
脚をひらいて両膝を軽く起こし、彼の指先をさらに深く迎える。
ぅ、くぷ・・・・
そこはもう完全に濡れきって、小久保君に蹂躙されるがままになっていた。
彼が与える刺激は、むしろ控えめなものだというのも私は知っている。
私が、ただ貪欲に彼を欲している。私が、彼を浅ましいほどに求めている。
つまりは、そういうことだ。
夢中になって彼の愛撫を受けながら、私は裸の小久保君を見つめる。
筋肉を誇示してはいないけど、きちんと鍛え上げられたのが分る腹筋。
無駄と緩みの無い滑らかな肌。見ているだけで淫らな気持ちに誘われる小さな乳首と胸板。
彼の肉体を見ながら愛撫をされていると、飢えた肉食動物に食べられているような気持ちになった。
快楽に身を委ねて高ぶる私の気持ちを見透かしたように、
小久保君がコンドームの包みを破ってそれをつける。
「若田部?」
「う、ん・・・・」
ぐ っぐ
「う・・・あ、はぁ、ああ」
小久保君が入ってくる。それを待ち焦がれたように、私は息を吐いた。
彼以外の人に抱かれたことなんてないから比べることなんてできないけど、すごく、大きく感じる。
彼に、からだをふたつに割られるような感覚。私自身が、分断されるような錯覚。
犯されている。
彼が入ってくるときのその感覚を、私は快楽とともに幾分滑稽な気持ちで受け入れていた。
恥ずかしい体勢で小久保君に犯されたり、色んな敏感なところを彼に開発されたりするうち、
そう感じることは、秘かな私の愉しみにもなっていった。
にちゃ ず  るぐ
彼のが、私の中を行き来する。私の中が、彼に巻きつく。
私の愛液が彼のにまみれて、いやらしい音が鳴る。小久保君が、奥深くまで浸入する。
「あ・・・・う、うぅ・・・・・」
無意識のうちに私は、悦びと恥じらいが入り混じった声で泣き始めていた。
「・・・・ん、あや、な・・・」
小久保君が、慎ましやかな歓喜の声をあげる。
「ん・・・は、ぁ。ま、さ、ひこ・・・・」
私も、彼を名前で呼んだ。別にふたりで決めたことでもないけれど、
いつからともなく私たちは交わりが最高潮に近くなるときだけ、名前を呼び合うようになっていた。
言葉にして確認したことはないけれど、それは多分、ふたりだけの秘密だった。
ぐ ずぶ ぬぶっ ずる
優しく、残酷に。小久保君が私の中を抉っていく。
私のからだは小久保君に犯されながら、漂い、溶けて、波に呑み込まれる。
「ん、あ、ああ。ん・・・・ま、まさひ、こぉ・・・あぁ!」
やがて私には臨界点が来て、全てが解き放たれた。白い閃光が、目の前で迸った。
からだ中に凍らされたタオルを押しつけられたように、冷えた電撃が走って、からだが震えた。
「アヤナ・・・・・あ!あ」
ぐい、と一回大きく突かれて、小久保君の動きが止まった。
ぐ、ぐ、と彼のが私の中であの小さな動きをすることで、彼も達して精を放っていることが分った。
疼いていた欲望が、私のからだのなかに閉じこめられるのを感じる。
Φ
「は・・・・ぁ。マサヒコ・・・・」
力が抜ける。とびきりぬるくて心地よい温泉に入っているような、緩やかな快感が私を包む。
終わった後の多幸感に浸かって私は、微睡みの中に落ちていった。

気がつくと、夜は明けていた。小鳥の囀りに朝の訪れを聞いて、私は目を覚ました。
「・・・・・小久保君?」
既に彼は、私の横にいなかった。時計を見る。午前9時。
(もうちょっと・・・・ゆっくりしていったって)
彼の不在に寂しさを感じるよりも先に、からだと心が疼くのを感じる。
そして情欲だけで彼を求めているかのような気持ちになった自分にまた、嫌悪感を抱いてしまう。
それは、いつものことなのに。私は、心に苦みを感じて。自分が、ただの肉欲の塊になったような気がして。
え?
自己嫌悪に囚われそうになっていた私は、鮮烈な匂いに襲われてようやく気づいた。
ベッドの周りは、百合の花で埋め尽くされていた。強い薫りに、呆然とする。
「・・・・・・?」
枕元にカードがあるのを見つけた。大きくて太い、彼らしい文字で書かれていた。

「Happy Birthday,Ayana あの頃から変わらずに。緑化委員マサヒコから委員長へ」

(憶えていてくれたんだ・・・・・・・)
私は―――喜びで、心がいっぱいになった。誕生日のことだけじゃない。
百合の花のことを彼が忘れていないということに、涙が出そうになっていた。
あれは、私たちが出会った頃。
殺風景だった教室に飾る花を欲しがった私のために、
彼が先生からもらってきてくれたのが、百合の花だった。
私が百合の花を好きだということをずっと、小久保君は憶えていてくれたんだ。
あのときのことを、忘れずにいてくれたんだ。
「ふ、ふふ、ふ・・・・やるじゃない。さすがは女誑しのマサヒコね」
心の底から、嬉しかった。それなのに。彼は、いないのに。私は、笑いながら憎まれ口を叩いていた。
全て、彼の計算の内だったのかもしれない。それでも私は、心に決めていた。
こんな歪んだ五角形の関係がいつまで続くのかなんて分らないけど、行けるところまで、行ってみよう。
彼の手のひらの上で、ピエロのようにくるくると踊ってみせよう。だって、私は小久保君が好きなのだから。
分っていた。
寂しがり屋で甘ったれのクセに頑固でプライドが闇雲に高い私は、実際のところものすごく面倒くさい女だ。
そういう自分を変えようともしたけど、全然変わらなかった。それは、中学生の頃からずっと。
そんな私の前に突然現れた小久保君は、私を嫌がりもせず、ウザがりもせず、全部受け入れてくれた。
あの頃から、私は彼に全て依存してしまっていたのだ。
もし私の横にいるのなら、小久保君がいい。手をつなぐのなら、小久保君がいい。
キスをするのも、セックスをするのも、やっぱり小久保君以外の人は考えられなかった。
小久保君が、私を変えてくれたから。人と一緒にいるってことは、居心地の良いことだって教えてくれたから。
(でも小久保君は・・・・・百合の花言葉を、知っているのかな?)
そんなことを思いながら私は、百合の薫りに包まれていた。

End

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