最終更新:ID:BnR2Wm8y6g 2008年06月08日(日) 12:18:18履歴
トリキンの仕事は、駆け出しにしてはそれなりに順調にすすんでいった。
と言っても、いきなり難しい仕事は出来ないので、もっぱら写真撮影などだ。
演技力のあるユーリは今すぐにでもCMに起用出来そうだったが、それはあまり意味が無い。
元々栄光プロにいた頃はCMに出演しており、アイドルに転向するために
彼女は栄光プロからの紹介でレイ・プリンセスに来たのだ。
露出を増やす以外に、今更CM出演の仕事を続けさせるメリットは無かった。
その露出面に関しても、今のところは雑誌の撮影などの仕事で問題は無い。
営業活動は、地道だが着実にすすんでいる。
トリキンは小・中・高のユニットとして、一部では認知されてきている。
この間雑誌のグラビアにメイド服姿で掲載された事が、特定のファンの心をくすぐったらしい。
既に某巨大電子掲示板では、彼女達を主役にした官能小説を書く、コアなファンまでいるそうな。
気分の良い事ではないが、これも認知度が高まる事の弊害だ。飲み込まねばなるまい。
ただ一つ、厄介な問題があった。
飯田シホである。
彼女は喋る時、あまりにもかみ過ぎる。これは矯正せねばなるまい。
しかも彼女は、少々卑猥なところがある。まだ13歳だというのに、どこであんな知識を仕入れてくるのか。
彼女より年上の如月カルナには問題は無いだろうが、有銘ユーリに悪影響が現れてはまずい。
普段のかみ癖も手伝って、無自覚に下ネタを口走る事が少なくない。
これでは、仮に将来彼女らが曲を出したりしても、Mステにも出られない。
紅白も危険だ。中居正弘に迷惑をかけ、さだまさしには苦笑いされ、
美川憲一だけが妙に喜んで、収拾がつかなくなるだろう。
24時間テレビなどもってのほかだ。和田アキ子に殴られかねない。
ある日の仕事帰り、井戸田はそんな事を考えながら、トリキン達を車で家まで送っていた。
三人はバラバラに集まった女の子達であり、事務所から自宅は離れている。
毎回毎回電車で通勤させるわけにもいかないし、そのためにマネージャーがいるのだ。
助手席には飯田シホが座っている。後部座席に如月カルナと有銘ユーリ。
正直、何故飯田シホが助手席に座っているのか、井戸田には理解出来ない。
別に悪いというわけではない。
ただ、仮にも助手席なのだから、最年長のカルナか、逆に子供のユーリが座るのが普通ではなかろうか。
第一、送り迎えをするドライバーの立場からすれば、助手席に座るのは、一番最後に車を降りていく者が望ましい。
でなければ、最後の者が後部座席に残っていたりすると、会話がしにくいからだ。運転席から後部座席へは、思った以上に声が通りにくい。
そしてこのメンツの場合、井戸田を除いて最後に車を降りるのは、如月カルナ。
にも関わらず、何故か毎回当たり前のようにシホが自分の隣に座っている。
まぁ、ある意味後ろの二人は、積極的に前の席に座るようなタイプではないが、
ただでさえ無口で無愛想なカルナと、毎日前後に分かれて座らねばならないという空気の痛さを、
シホが少しでも理解してくれる日は、恐らく一生こないだろう。
赤信号につかまった。
ここの信号は、人通りの多い目抜き通りにあるため、なかなか青にかわらない。
手持ち無沙汰になるため、愛煙家なら思わずタバコに手が伸びてしまいそうな程だ。
しかし井戸田は、女の子達に気を遣って、胸ポケットのタバコを我慢した。
それよりは、喋っている方が気が紛れるし、彼女達への若干のサービスにもなろう。
「仕事には慣れてきたかい?みんな」
ユーリに対しては愚問だったかもしれないなと、言った後で気付いた。
しかしユーリは「皆さん親切に指導してくれますから、お仕事が楽しいです」と答えた。
仕事が楽しいとは珍しい。普通小学生ぐらいの年齢だと、アイドルに憧れさえしても、現実にこの仕事を続けていると、やめたくなるものだ。
かの稲垣吾郎も、小さい頃「僕本当は歌のレッスンしたくないんだ」と、ある女優にこぼしていたらしい。
思っていた通り、ユーリは芯の強い女の子だ。大事に育てねばなるまい。
芯の強い子ほど、一人で何でも背負ってしまおうとする。そのくせ他人には「一人で背負うのは駄目だよ」と言う。
そうやって背負わなくて良い心労を余計にいろいろ背負うのが、このテのタイプだ。健気な反面、周囲からすれば逆に困る。
ガス抜きさせたり甘えさせたりするのは、マネージャーである自分の役目だろう。
「それはそうと、こないだのグラビア撮影は何だったの?」シホが言ってきた。
「何……って、不満だったかい?」
「水着着用だと思ってたんだもん。せっかく私のナイスバディを全国に売り出すチャンスだったのに」
「カルナちゃんは兎も角、君は中学生だし、ユーリちゃんはまだ小学生だ。
学校の授業で水着を着るのは構わないし、プールや海に行くのも全然OK。ただし、水着姿をグラビア雑誌に載せるのは良くない」
「悪いっての?」
「というより、まだ早いよ。君達は、そういう色気なんかよりも、もっと子供らしい純朴さを全面に押し出すべきだ」
「……あんた、マジでロリコン?」
最初に出会った時も、彼女にはそう勘違いされたな、そう言えば。井戸田は思わず笑いそうになった。
「君達ぐらいの年齢じゃまだわからないだろうけどね、子供が色気を演出しようとするのはむしろ逆効果なんだ。
最近の中学生は髪の毛染めたり、メイクしたりして、まるで女子高生みたいな格好をしたがるけど、それは大人から見るとチグハグでね。
せっかく本来備わっている、『中学生という人間』としての魅力を、台無しにしてしまっている」
カルナが口を挟んだ。
「それ、何となくわかるような気がします。中学生からすれば、高校生も自分達も、
お洒落してしまえばあまり変わらないように思い込んでしまうけど
自分が高校生になった今ならわかります。
今思えば、中学生の頃から髪染めたり、変にアクセサリーつけたりするんじゃなかったかな」
相変わらずしかめっ面だったが、自分と意見が合致した事に、井戸田は安心した。
「まぁそういう点では、シホちゃんもユーリちゃんも、髪染めたり、変に飾ったメイクしたりしない、自然な顔だからね。
カルナちゃんも、ナチュラルメイクが似合ってるし。評価出来るよ、みんなのセンスは」
まだ信号は青に変わらない。
退屈そうに窓の外をキョロキョロ眺めまわしていたシホが、思い立ったように口を開いた。
「私、まだまだ子供って事……?」
その響きに、少しだけヤキモチのような複雑な感情が見え隠れしていた事に、井戸田とカルナは気付いた。
ユーリも何となく空気は察知しているようだ。
程なくして、それはヤキモチというより、大人の女性に対する羨望なのではないか、と井戸田は思った。
「背伸びをする必要は無いよ。今は今のシホちゃんが、俺は良いと思ってる。
注文をつけるなら、かみ癖はなおした方が良いかな?」
「大丈夫だよ、シホちゃん。ボイストレーニングしてれば、発声も滑舌も必ず良くなるから」
だがシホは、二人の言葉があまり耳に届いていないようだった。
中学生と言えば最も多感な時期である。大人が言い訳の塊に見えてしまう。
誰にでも性格上の些細な欠点は備わっているが、それが殊更許せないのが思春期というものだ。
シホにとって井戸田のフォローは、大人の都合の良い常套句に聞こえた。
勿論井戸田にそんなつもりはなく、シホより年上のカルナはその事をわかっている。
しかしシホの中は当分納得しそうにない事も、カルナには予感できていた。
背伸びをしている本人には、得てして背伸びをしているという自覚が無い事が多い。
ましてシホは、早く大人になりたいという気持ちは本来それほど強くない。
今が、自分という人間を確立する重要な過渡期である事も、一応理解はしている。
しかし経験の浅い子供には、どうすれば自分が確立された状態にあると言えるのかがわからない。
故に単純明快な言葉に自分を置き換えたがる。
「明るい」「暗い」「ポジティブ」「ネガティブ」「大人っぽい」「子供っぽい」「色っぽい」etc...
人間とはそれほど単純でなく、普段明るい人間でも、一人の時には暗くなる事だってある。
人生を楽観的に構えている人間が、夜には死への不安に漠然ととらわれたりもする。
臆病でありながら無頓着で怖いもの知らずという、一見相反する要素を内面に調和させる者もいる。
中学生がいくら子供とは言え、そのぐらいの事は誰でも頭ではわかってはいる。
しかし、何らかの単語に形容する以外に、アイデンlティティを語る術を知らない。
そして自分の理想とする「言葉」に当てはまる事が出来るようにと、背伸びをしてしまう事が、中学生には往々にしてある。
今のシホは、ちょうどその状態だった。
この状態では、大人が何を言おうが通用しない。
同年代の男子や女子と比べて、自分が下ネタを好む傾向にある事に自覚はあった。
さて、ではそれをどのような単語に置き換えれば良い?
スケベ?変態?耳年増?或いはセクシャル?
勿論、そのどれにも当てはまらない。
今シホは中学生だから、性的な物事を好んで洒落として使うのは、確かに同年代の中では珍しいかもしれない。
だが初体験を済ませてしまえば、誰だって下ネタに対する抵抗が薄くなる。
大学生ぐらいになれば、下ネタは日常会話の一種だ。珍しくも何ともないし、アイデンティティにも然程のウェイトは占めない。
シホの場合、それに順応するのが早すぎただけに過ぎない。
だがシホ自身はそうは思っていない。そしてそれを『自分の性向』として、過剰に受け止めたがる。
……自分にセクシャルな魅力が備わっているとは、さすがに思わない。
だが少なくともスケベや変態よりは聞こえが良い。
元々性的な物事に対する抵抗は少ない方だ。色仕掛けが自分に似合うとも思わないが、試してみる価値はある。
シホはたっぷり1分は考え込んだ後、そう結論づけた。
信号はまだ赤のままだ。横断歩道を、未だゾロゾロと人の波が流れていく。
この波はまだあと1分は途切れない。
シホは運転席に座る井戸田の足に手を伸ばした。
「なっ、ちょっ、何してんのシホちゃん!」
「男の人って、太もも触られるのに弱いんでしょ?」
後部座席のカルナは、相変わらずのしかめっ面のままで、呆れた風にため息をもらした。
ユーリはよく状況がわかっていないらしく、ただの悪ふざけを思って特に気にとめようとしない。
だが井戸田はそうはいかない。
仮にも女の子が、二人後部座席に座っている目の前で、こんな悪ふざけをされては困る。
「あっ……あのねぇ、シホちゃん。運転中にそんな事されると、事故っちゃうよ?」
「今止まってるから良いじゃん」
顔は笑っていたが、シホはシホなりに、ある程度の覚悟をきめて接触してきている事が、そのぎこちない笑顔からわかった。
「インコーだーインコーだー。23歳にもなって、中学生に太もも触られたぐらいでドギマギしてんじゃねーっつの」
だが、本当にドギマギしているのはシホの方だった。
井戸田はシホの手をとって、ゆっくりと足から離した。
「今度からそういう事しちゃ駄目だよ。君より小さい子供だって乗ってるんだから。第一……」
「私も子供だけど……?」
「確かにそうだけど、中学生だろ?大人と子供の中間ってところさ」
嘘だ。これはよくある誤魔化しに過ぎない。
中学生とは、ただ多感なだけで、実際には完璧に子供だ。
そもそも社会人から見れば大学生でも子供に思えるし、年季のはいったサラリーマンからは新入社員だって子供に見える。
ましてや中学生など、子供中の子供だ。余程の人生を歩んでいない限り、中学生ごときの精神年齢などたかが知れている。
井戸田もその事はわかっていた。わかっていて誤魔化す自分の姿勢は、理想的とは言えない。
少なくとも自分がシホぐらいの年齢の頃は、もっともなりたくない大人の一種だったに違いなかった。
今ではもう、その感覚も覚えてはいないが。
井戸田に手を握られたシホは急に無口になってしまった。
普段よく喋る子だけに、一際不安にさせられる。
シホの、何か触れてはいけない心のどこかに、自分は触れてしまったのではないかと、井戸田は焦った。
自分がシホの手を握った事が、シホが無口になった事の原因だと気付くのには、それから20秒程かかった。
思えば自分も、中学生の頃は女の子と、指一本でも触れるだけでドキドキしたもんだっけ。
いつからこんなに枯れてしまったんだろうな、と心の中で呟き、ため息を軽くこぼした。
或いは、今の自分もやはり、社長や小田さんから見ればまだまだ幼い子供なのかもしれないが。
信号が青に変わった。
井戸田はアクセルを踏んだ。
シホが黙ってしまったせいで、後ろの二人も口を閉ざしてしまった。
うかつに言葉を発せる雰囲気ではないし、仮に発しても、誰も何も答えないかもしれない。
気晴らしにラジオでもかけようかと井戸田は思ったが、その空気を破ったのは、あろう事かシホ本人だった。
「ねぇ、これ今何kmぐらい出てんの……?」
「え?あ、あぁ、メーターは40を指してる。まぁこの混み具合なら仕方ないさ」
「それって遅い方なの?」
「う〜ん、まぁ早くはないね」
「じゃあ普通?」
「いやぁ……どう言えば良いのかな。ちょうど時速40kmっていうのは微妙なラインでね。
一般道の制限速度としはもっとも多い数値なんだよ。
ただ、大抵の車は、実際は制限速度よりも10km程大目にスピードを出すからね」
「じゃあやっぱり遅いの?」
「う〜ん……感覚的なものだから説明しにくいんだよね。シホちゃんも車を運転するようになったらわかるよ」
シホは数秒黙っていたが、やがて小さな声で言葉を返した。
「私、車運転しない。免許いらない」
「へぇ、何で?まぁ女性は免許持ってない人も、確かに多いけど……」
「だって、マネージャーがどこでも連れてってくれるでしょ?」
「僕に出来るのは、仕事の送り迎えだけさ。
まぁプライベートでも、友人としてどこかに一緒に遊びに行ったりはするかもしれないけどね。その程度さ」
「……だったらプライベートでもずっと一緒にいたら良いわけじゃん?」
シホのその言葉は、冗談半分、本気半分といった風だった。
どこまで意味を理解して言っているのかわからなかった。
腕組したまま窓外に目を向けていたカルナが、シホの中途半端に重い言葉に反応して、前を見た。
バックミラーには、困惑気味の井戸田の目が映っている。シホの表情は角度的に見えない。
ユーリはあまり言葉の重さをわかっていないのか、特に興味を示さなかった。
せいぜい「シホちゃんは井戸田さんおお嫁さんになりたいのかなぁ」ぐらいにしか受け取らなかった。
付き合うとか付き合わないという概念は働かなかった。
話題を切り替えよと、井戸田は喋った。
「ところで、何で車のスピードなんか気にしたの?ひょっとして気分でも……」
シホは首を横に振った。
「ううん、違う。ただ……聞いた事があるだけ」
「……何を?」
次の瞬間、シホはいつものようにイタズラっぽい笑みで、井戸田に答えた。
「車が時速80kmくらいで走ってると、女性は濡れちゃうらしいよ?」
全員ポカンとした。
カルナは、所詮シホはシホかと、露骨なため息をついた。
ユーリは、女性が濡れるという言葉の意味がわからないらしい。シャワーか何かを想像しているようだ。
「いやいや、これ本当だよ?何か車の振動が良いカンジらしくってさぁ」
井戸田はバックミラー越しに目で、無言でカルナに助けを求めた。
カルナは不承不承、井戸田の代わりにシホに話しかけた。
「聞いた事はあるわよ。物体には固有振動数ってのがあって、車と女性は、その波長が合うらしいわね」
「そ、そうなの?」と井戸田。
「80km/hから100km/hのスピードで走行する車の座席が、女性にとって一番波長があうんだとか……
アンタがそんな事知ってるとは思わなかったけど」
井戸田からしてみれば、カルナがそんな事知ってる方が驚きだ。女子高生とは案外恐ろしい。
「ま、まぁ時速80kmなんて、高速道路にでも乗らない限りはなかなか出ない数字だけどね」
これ以上この話題は続けたくないとばかりに、井戸田が締めくくった。
「じゃあさ、一つお願いがあるんだけど」
シホは井戸田の方に向き直った。
「いつか、私を乗せて100キロ出してよ」
「……ぇえ?」
その言葉の深い意味を、井戸田は心の中で探ろうとした。
私を濡らして、とでも言っているもだろうか?しかしシホがそこまで考えてるとは思えない……。
何とも意味深でありながら、その実大した意味のなさそうな微妙な言葉に、井戸田は結局切り返せなかった。
翌日。
授業を終えたシホは、自宅で井戸田の迎えを待っていた。
程なくして井戸田から連絡がきた。
「あと10分ぐらいでそっちに着くよ」
シホは受話器越しににんまり笑うと、例のごとくイタズラっぽく言い返した。
「早く『迎え』に来てよね」
終わり
と言っても、いきなり難しい仕事は出来ないので、もっぱら写真撮影などだ。
演技力のあるユーリは今すぐにでもCMに起用出来そうだったが、それはあまり意味が無い。
元々栄光プロにいた頃はCMに出演しており、アイドルに転向するために
彼女は栄光プロからの紹介でレイ・プリンセスに来たのだ。
露出を増やす以外に、今更CM出演の仕事を続けさせるメリットは無かった。
その露出面に関しても、今のところは雑誌の撮影などの仕事で問題は無い。
営業活動は、地道だが着実にすすんでいる。
トリキンは小・中・高のユニットとして、一部では認知されてきている。
この間雑誌のグラビアにメイド服姿で掲載された事が、特定のファンの心をくすぐったらしい。
既に某巨大電子掲示板では、彼女達を主役にした官能小説を書く、コアなファンまでいるそうな。
気分の良い事ではないが、これも認知度が高まる事の弊害だ。飲み込まねばなるまい。
ただ一つ、厄介な問題があった。
飯田シホである。
彼女は喋る時、あまりにもかみ過ぎる。これは矯正せねばなるまい。
しかも彼女は、少々卑猥なところがある。まだ13歳だというのに、どこであんな知識を仕入れてくるのか。
彼女より年上の如月カルナには問題は無いだろうが、有銘ユーリに悪影響が現れてはまずい。
普段のかみ癖も手伝って、無自覚に下ネタを口走る事が少なくない。
これでは、仮に将来彼女らが曲を出したりしても、Mステにも出られない。
紅白も危険だ。中居正弘に迷惑をかけ、さだまさしには苦笑いされ、
美川憲一だけが妙に喜んで、収拾がつかなくなるだろう。
24時間テレビなどもってのほかだ。和田アキ子に殴られかねない。
ある日の仕事帰り、井戸田はそんな事を考えながら、トリキン達を車で家まで送っていた。
三人はバラバラに集まった女の子達であり、事務所から自宅は離れている。
毎回毎回電車で通勤させるわけにもいかないし、そのためにマネージャーがいるのだ。
助手席には飯田シホが座っている。後部座席に如月カルナと有銘ユーリ。
正直、何故飯田シホが助手席に座っているのか、井戸田には理解出来ない。
別に悪いというわけではない。
ただ、仮にも助手席なのだから、最年長のカルナか、逆に子供のユーリが座るのが普通ではなかろうか。
第一、送り迎えをするドライバーの立場からすれば、助手席に座るのは、一番最後に車を降りていく者が望ましい。
でなければ、最後の者が後部座席に残っていたりすると、会話がしにくいからだ。運転席から後部座席へは、思った以上に声が通りにくい。
そしてこのメンツの場合、井戸田を除いて最後に車を降りるのは、如月カルナ。
にも関わらず、何故か毎回当たり前のようにシホが自分の隣に座っている。
まぁ、ある意味後ろの二人は、積極的に前の席に座るようなタイプではないが、
ただでさえ無口で無愛想なカルナと、毎日前後に分かれて座らねばならないという空気の痛さを、
シホが少しでも理解してくれる日は、恐らく一生こないだろう。
赤信号につかまった。
ここの信号は、人通りの多い目抜き通りにあるため、なかなか青にかわらない。
手持ち無沙汰になるため、愛煙家なら思わずタバコに手が伸びてしまいそうな程だ。
しかし井戸田は、女の子達に気を遣って、胸ポケットのタバコを我慢した。
それよりは、喋っている方が気が紛れるし、彼女達への若干のサービスにもなろう。
「仕事には慣れてきたかい?みんな」
ユーリに対しては愚問だったかもしれないなと、言った後で気付いた。
しかしユーリは「皆さん親切に指導してくれますから、お仕事が楽しいです」と答えた。
仕事が楽しいとは珍しい。普通小学生ぐらいの年齢だと、アイドルに憧れさえしても、現実にこの仕事を続けていると、やめたくなるものだ。
かの稲垣吾郎も、小さい頃「僕本当は歌のレッスンしたくないんだ」と、ある女優にこぼしていたらしい。
思っていた通り、ユーリは芯の強い女の子だ。大事に育てねばなるまい。
芯の強い子ほど、一人で何でも背負ってしまおうとする。そのくせ他人には「一人で背負うのは駄目だよ」と言う。
そうやって背負わなくて良い心労を余計にいろいろ背負うのが、このテのタイプだ。健気な反面、周囲からすれば逆に困る。
ガス抜きさせたり甘えさせたりするのは、マネージャーである自分の役目だろう。
「それはそうと、こないだのグラビア撮影は何だったの?」シホが言ってきた。
「何……って、不満だったかい?」
「水着着用だと思ってたんだもん。せっかく私のナイスバディを全国に売り出すチャンスだったのに」
「カルナちゃんは兎も角、君は中学生だし、ユーリちゃんはまだ小学生だ。
学校の授業で水着を着るのは構わないし、プールや海に行くのも全然OK。ただし、水着姿をグラビア雑誌に載せるのは良くない」
「悪いっての?」
「というより、まだ早いよ。君達は、そういう色気なんかよりも、もっと子供らしい純朴さを全面に押し出すべきだ」
「……あんた、マジでロリコン?」
最初に出会った時も、彼女にはそう勘違いされたな、そう言えば。井戸田は思わず笑いそうになった。
「君達ぐらいの年齢じゃまだわからないだろうけどね、子供が色気を演出しようとするのはむしろ逆効果なんだ。
最近の中学生は髪の毛染めたり、メイクしたりして、まるで女子高生みたいな格好をしたがるけど、それは大人から見るとチグハグでね。
せっかく本来備わっている、『中学生という人間』としての魅力を、台無しにしてしまっている」
カルナが口を挟んだ。
「それ、何となくわかるような気がします。中学生からすれば、高校生も自分達も、
お洒落してしまえばあまり変わらないように思い込んでしまうけど
自分が高校生になった今ならわかります。
今思えば、中学生の頃から髪染めたり、変にアクセサリーつけたりするんじゃなかったかな」
相変わらずしかめっ面だったが、自分と意見が合致した事に、井戸田は安心した。
「まぁそういう点では、シホちゃんもユーリちゃんも、髪染めたり、変に飾ったメイクしたりしない、自然な顔だからね。
カルナちゃんも、ナチュラルメイクが似合ってるし。評価出来るよ、みんなのセンスは」
まだ信号は青に変わらない。
退屈そうに窓の外をキョロキョロ眺めまわしていたシホが、思い立ったように口を開いた。
「私、まだまだ子供って事……?」
その響きに、少しだけヤキモチのような複雑な感情が見え隠れしていた事に、井戸田とカルナは気付いた。
ユーリも何となく空気は察知しているようだ。
程なくして、それはヤキモチというより、大人の女性に対する羨望なのではないか、と井戸田は思った。
「背伸びをする必要は無いよ。今は今のシホちゃんが、俺は良いと思ってる。
注文をつけるなら、かみ癖はなおした方が良いかな?」
「大丈夫だよ、シホちゃん。ボイストレーニングしてれば、発声も滑舌も必ず良くなるから」
だがシホは、二人の言葉があまり耳に届いていないようだった。
中学生と言えば最も多感な時期である。大人が言い訳の塊に見えてしまう。
誰にでも性格上の些細な欠点は備わっているが、それが殊更許せないのが思春期というものだ。
シホにとって井戸田のフォローは、大人の都合の良い常套句に聞こえた。
勿論井戸田にそんなつもりはなく、シホより年上のカルナはその事をわかっている。
しかしシホの中は当分納得しそうにない事も、カルナには予感できていた。
背伸びをしている本人には、得てして背伸びをしているという自覚が無い事が多い。
ましてシホは、早く大人になりたいという気持ちは本来それほど強くない。
今が、自分という人間を確立する重要な過渡期である事も、一応理解はしている。
しかし経験の浅い子供には、どうすれば自分が確立された状態にあると言えるのかがわからない。
故に単純明快な言葉に自分を置き換えたがる。
「明るい」「暗い」「ポジティブ」「ネガティブ」「大人っぽい」「子供っぽい」「色っぽい」etc...
人間とはそれほど単純でなく、普段明るい人間でも、一人の時には暗くなる事だってある。
人生を楽観的に構えている人間が、夜には死への不安に漠然ととらわれたりもする。
臆病でありながら無頓着で怖いもの知らずという、一見相反する要素を内面に調和させる者もいる。
中学生がいくら子供とは言え、そのぐらいの事は誰でも頭ではわかってはいる。
しかし、何らかの単語に形容する以外に、アイデンlティティを語る術を知らない。
そして自分の理想とする「言葉」に当てはまる事が出来るようにと、背伸びをしてしまう事が、中学生には往々にしてある。
今のシホは、ちょうどその状態だった。
この状態では、大人が何を言おうが通用しない。
同年代の男子や女子と比べて、自分が下ネタを好む傾向にある事に自覚はあった。
さて、ではそれをどのような単語に置き換えれば良い?
スケベ?変態?耳年増?或いはセクシャル?
勿論、そのどれにも当てはまらない。
今シホは中学生だから、性的な物事を好んで洒落として使うのは、確かに同年代の中では珍しいかもしれない。
だが初体験を済ませてしまえば、誰だって下ネタに対する抵抗が薄くなる。
大学生ぐらいになれば、下ネタは日常会話の一種だ。珍しくも何ともないし、アイデンティティにも然程のウェイトは占めない。
シホの場合、それに順応するのが早すぎただけに過ぎない。
だがシホ自身はそうは思っていない。そしてそれを『自分の性向』として、過剰に受け止めたがる。
……自分にセクシャルな魅力が備わっているとは、さすがに思わない。
だが少なくともスケベや変態よりは聞こえが良い。
元々性的な物事に対する抵抗は少ない方だ。色仕掛けが自分に似合うとも思わないが、試してみる価値はある。
シホはたっぷり1分は考え込んだ後、そう結論づけた。
信号はまだ赤のままだ。横断歩道を、未だゾロゾロと人の波が流れていく。
この波はまだあと1分は途切れない。
シホは運転席に座る井戸田の足に手を伸ばした。
「なっ、ちょっ、何してんのシホちゃん!」
「男の人って、太もも触られるのに弱いんでしょ?」
後部座席のカルナは、相変わらずのしかめっ面のままで、呆れた風にため息をもらした。
ユーリはよく状況がわかっていないらしく、ただの悪ふざけを思って特に気にとめようとしない。
だが井戸田はそうはいかない。
仮にも女の子が、二人後部座席に座っている目の前で、こんな悪ふざけをされては困る。
「あっ……あのねぇ、シホちゃん。運転中にそんな事されると、事故っちゃうよ?」
「今止まってるから良いじゃん」
顔は笑っていたが、シホはシホなりに、ある程度の覚悟をきめて接触してきている事が、そのぎこちない笑顔からわかった。
「インコーだーインコーだー。23歳にもなって、中学生に太もも触られたぐらいでドギマギしてんじゃねーっつの」
だが、本当にドギマギしているのはシホの方だった。
井戸田はシホの手をとって、ゆっくりと足から離した。
「今度からそういう事しちゃ駄目だよ。君より小さい子供だって乗ってるんだから。第一……」
「私も子供だけど……?」
「確かにそうだけど、中学生だろ?大人と子供の中間ってところさ」
嘘だ。これはよくある誤魔化しに過ぎない。
中学生とは、ただ多感なだけで、実際には完璧に子供だ。
そもそも社会人から見れば大学生でも子供に思えるし、年季のはいったサラリーマンからは新入社員だって子供に見える。
ましてや中学生など、子供中の子供だ。余程の人生を歩んでいない限り、中学生ごときの精神年齢などたかが知れている。
井戸田もその事はわかっていた。わかっていて誤魔化す自分の姿勢は、理想的とは言えない。
少なくとも自分がシホぐらいの年齢の頃は、もっともなりたくない大人の一種だったに違いなかった。
今ではもう、その感覚も覚えてはいないが。
井戸田に手を握られたシホは急に無口になってしまった。
普段よく喋る子だけに、一際不安にさせられる。
シホの、何か触れてはいけない心のどこかに、自分は触れてしまったのではないかと、井戸田は焦った。
自分がシホの手を握った事が、シホが無口になった事の原因だと気付くのには、それから20秒程かかった。
思えば自分も、中学生の頃は女の子と、指一本でも触れるだけでドキドキしたもんだっけ。
いつからこんなに枯れてしまったんだろうな、と心の中で呟き、ため息を軽くこぼした。
或いは、今の自分もやはり、社長や小田さんから見ればまだまだ幼い子供なのかもしれないが。
信号が青に変わった。
井戸田はアクセルを踏んだ。
シホが黙ってしまったせいで、後ろの二人も口を閉ざしてしまった。
うかつに言葉を発せる雰囲気ではないし、仮に発しても、誰も何も答えないかもしれない。
気晴らしにラジオでもかけようかと井戸田は思ったが、その空気を破ったのは、あろう事かシホ本人だった。
「ねぇ、これ今何kmぐらい出てんの……?」
「え?あ、あぁ、メーターは40を指してる。まぁこの混み具合なら仕方ないさ」
「それって遅い方なの?」
「う〜ん、まぁ早くはないね」
「じゃあ普通?」
「いやぁ……どう言えば良いのかな。ちょうど時速40kmっていうのは微妙なラインでね。
一般道の制限速度としはもっとも多い数値なんだよ。
ただ、大抵の車は、実際は制限速度よりも10km程大目にスピードを出すからね」
「じゃあやっぱり遅いの?」
「う〜ん……感覚的なものだから説明しにくいんだよね。シホちゃんも車を運転するようになったらわかるよ」
シホは数秒黙っていたが、やがて小さな声で言葉を返した。
「私、車運転しない。免許いらない」
「へぇ、何で?まぁ女性は免許持ってない人も、確かに多いけど……」
「だって、マネージャーがどこでも連れてってくれるでしょ?」
「僕に出来るのは、仕事の送り迎えだけさ。
まぁプライベートでも、友人としてどこかに一緒に遊びに行ったりはするかもしれないけどね。その程度さ」
「……だったらプライベートでもずっと一緒にいたら良いわけじゃん?」
シホのその言葉は、冗談半分、本気半分といった風だった。
どこまで意味を理解して言っているのかわからなかった。
腕組したまま窓外に目を向けていたカルナが、シホの中途半端に重い言葉に反応して、前を見た。
バックミラーには、困惑気味の井戸田の目が映っている。シホの表情は角度的に見えない。
ユーリはあまり言葉の重さをわかっていないのか、特に興味を示さなかった。
せいぜい「シホちゃんは井戸田さんおお嫁さんになりたいのかなぁ」ぐらいにしか受け取らなかった。
付き合うとか付き合わないという概念は働かなかった。
話題を切り替えよと、井戸田は喋った。
「ところで、何で車のスピードなんか気にしたの?ひょっとして気分でも……」
シホは首を横に振った。
「ううん、違う。ただ……聞いた事があるだけ」
「……何を?」
次の瞬間、シホはいつものようにイタズラっぽい笑みで、井戸田に答えた。
「車が時速80kmくらいで走ってると、女性は濡れちゃうらしいよ?」
全員ポカンとした。
カルナは、所詮シホはシホかと、露骨なため息をついた。
ユーリは、女性が濡れるという言葉の意味がわからないらしい。シャワーか何かを想像しているようだ。
「いやいや、これ本当だよ?何か車の振動が良いカンジらしくってさぁ」
井戸田はバックミラー越しに目で、無言でカルナに助けを求めた。
カルナは不承不承、井戸田の代わりにシホに話しかけた。
「聞いた事はあるわよ。物体には固有振動数ってのがあって、車と女性は、その波長が合うらしいわね」
「そ、そうなの?」と井戸田。
「80km/hから100km/hのスピードで走行する車の座席が、女性にとって一番波長があうんだとか……
アンタがそんな事知ってるとは思わなかったけど」
井戸田からしてみれば、カルナがそんな事知ってる方が驚きだ。女子高生とは案外恐ろしい。
「ま、まぁ時速80kmなんて、高速道路にでも乗らない限りはなかなか出ない数字だけどね」
これ以上この話題は続けたくないとばかりに、井戸田が締めくくった。
「じゃあさ、一つお願いがあるんだけど」
シホは井戸田の方に向き直った。
「いつか、私を乗せて100キロ出してよ」
「……ぇえ?」
その言葉の深い意味を、井戸田は心の中で探ろうとした。
私を濡らして、とでも言っているもだろうか?しかしシホがそこまで考えてるとは思えない……。
何とも意味深でありながら、その実大した意味のなさそうな微妙な言葉に、井戸田は結局切り返せなかった。
翌日。
授業を終えたシホは、自宅で井戸田の迎えを待っていた。
程なくして井戸田から連絡がきた。
「あと10分ぐらいでそっちに着くよ」
シホは受話器越しににんまり笑うと、例のごとくイタズラっぽく言い返した。
「早く『迎え』に来てよね」
終わり
コメントをかく