ホワイトデー。
バレンタインのお返しをする日。
そして、男が「オトコを見せる」日である。


「ヒロくーん、今日は何の日だか知ってるー?」
「今日……?」
 シホの言葉に、ヒロキは少し首を捻った。
今日はテレビの撮影も雑誌のインタビューもないし、イベント出演の予定も入っていない。
「えーと……」
 ヒロキはカレンダーを見た。
そして、今日の日にちを確認し、そこで改めて気づいた。
「ああ、ホワイトデーか」
「そうそう、ホワイトデー」
 何かを期待するかのような表情で、シホがヒロキの顔を覗きこむ。
その顔と、わざわざ今日という日の意味を聞くという行為からして、
魂胆はミエミエであるが、この辺りのわかりやすさが、飯田シホというアイドルの魅力でもある。
「で、ヒロ君は何をお返ししてくれるの?」
「お返し、ねえ……」
 今から一ヶ月前のバレンタインデー、シホがヒロキに渡したのは、
コンビニで売られている一枚百円ちょっとのありふれた板チョコだった。
「……マク○ナルドのセットくらいなら」
「ぶーっ、何よそれー」
 一転、ふくれっ面になるシホ。
「アイドルからチョコを貰ったんだよ、ばばーんとお返しするのがオトコってもんじゃないの?」
「ばばーん?」
「都心が見渡せる高層ビル最上階のフレンチレストランで高級ディナーとか、ブランドもののバッグとか」
「義理の板チョコに何でそこまでせにゃならん」
「義理とかチョコの値段とか関係ない、アイドルから貰ったってところに絶大な価値があるの」
 シホは両腕を腰にあて、自信満々に言い切る。
成る程、確かに現役アイドルの手渡しチョコレートともなると、それなりに価値はつく。
だが、そうは言ってもヒロキとシホはマネージャーとその担当アイドルでしかなく、別に恋人関係でもなんでもないわけだし、
ホワイトデー三倍返しの法則(どこの誰が言い出したのやら)に則っても、
義理の板チョコ一枚に高級ディナーやらブランドバッグはあまりに高価過ぎる。
「お兄ちゃん、私にも私にも」
「……私も確かあげましたよね」
「二人まで、そんな」
 ユーリがヒロキに渡したのは、例によって股間が元気になるチョコレートであり、
カルナは一応ゴ○ィバのチョコなんぞをくれたわけだが、そのほとんどをシホに食べられてしまった。
やはり、高級ディナーやブランドものを返すには程遠いバレンタインチョコである。

「あ、私もあげたじゃん」
「私も」
「そーいや私も」
「……急に顔を出さないで下さいよ、皆も」
 社長の柏木レイコ、事務の三瀬エリコ、そしてTBの先輩にあたる小池マイが続いてひょひょいと立候補(?)。
「私たちもホワイトデーのお返しを受ける権利があるわよね」
「社長まで威張って言わないで下さい」
 レイコがヒロキのあげたのは、営業回りに配ったチョコの残りであり、
小池マイのチョコもドラマの撮影先で配ったものの残り。
唯一、三瀬エリコだけが手作りチョコだったが、こちらは事務所全員に配られた義理チョコ。
エリコの手作りチョコはともかく、営業贈答品と外面確保のために配られたチョコの余りにお返しを要求されては、
ヒロキとしてもたまったものではない。
「カンベンして下さいよ、ホント」
「あーら、ここはオトコの株を上げるために太っ腹なところを見せておきなさいよ」
「そうそうヒロティー、オトコは細かいこと言わないの」
「お兄ちゃん、お返しお返しー」
「……三倍返しとまでは言いません、二倍返しで手をうちます」
「ね? 皆こう言ってるじゃん。ドピュッとホワイトデーでホーシュツドロドロにしちゃいなよ!」
 自分勝手な理由を口々に、ヒロキに迫るレイ・プリンセス芸能事務所の女性陣。
三瀬エリコですら、モノ欲しそうな瞳をウルウルと輝かせてヒロキを見つめている。
「わ……わかった、わかりましたよ!」
 ついに音をあげるヒロキ。
多勢に無勢、さすがに敵いようが無いと悟ったわけだが、これは正しい判断だと言えよう。
「あとで何かお返ししますから、許して下さい!」
 ここで下手に逆らえば、後々さらにトンデモない要求を突きつけられかねない。
「ホントー? ヒロ君」
「あ、ああ」
「約束だよ、約束っ!」
「はいはい……」
 シホに無理矢理小指を引っ張られ、ヒロキは強引に指きりげんまんをさせられた。
脅迫紛いのことをしておいて約束もクソも無いだろう、という言葉を、ヒロキは喉の奥でぐっと飲み込む。
「やれやれ……とにかく、出かけてくるから話は帰ってからしよう」
「え、今からどっか行くの?」
「今度のグラビア撮影の件で、少し向こうさんと話を詰める必要があるんだよ」
「とか言って、そのまま逃げないよね」
「……逃げないよ」
 風貌こそキンパツロンゲでチャラチャラしているように見えるが、ヒロキは実のところ、
かなり仕事に対しては真面目である。
小さい仕事にも手を抜かず、TBのバックアップを無難に果たしている。
逆に言えば、隠れてズルをするだけの要領の良さがないわけであり、
その点を、レイコやシホに「オトコとして大物感が無い」と指摘されることがある。
もっとも、彼女らはヒロキが変にスケールが大きければ、
それならそれで「いい加減だ、目立ち過ぎだ」と怒るだろうが。
「約束だからね、お返し! ドピュッとだからね!」
「……」
 シホ、ユーリ、カルナ、そしてレイコにエリコにマイ。
彼女らに見送られ、ヒロキは事務所のドアを開けた。
背中に突き刺さる期待の眼差しと、自分の溜め息の大きさを感じながら。

                 ◆                     ◆

 収穫はあった。
ヒロキは充足感を胸に、事務所への帰路についていた。
撮影内容について、向こうのカメラマンとやや意見の食い違いがあったが、
最終的にはヒロキの言い分を聞いてもらえることになったのだ。
カメラマンは「ティーンズの青い色っぽさ」を前面に押し出したかったようだが、ヒロキは納得出来なかった。
TBの現状と掲載雑誌の読者層を考えて、もう少しソフトにしてもらえるようにと短時間ながら必死に交渉、
そしてそれが見事実ったわけだ。
「ただいまー」
 事務所に戻った彼の鼻に、かぐわしい香りが漂ってきた。
食欲をソソる、いい匂いが。
「……な、何だ?」
「あっ、ヒロ君お帰り〜」
「……シ、シホちゃん?」
 ヒロキは驚いた。
シホの頬が、真っ赤に染まっていたからだ。
明らかにそれは、アルコールによるものだった。
「ちょ、どうしたんだよ!」
「んん〜、ごちゅそうさま」
「ご、ごちそうさま?」
 しがみついてくるシホを引き摺りつつ、社長室の中へとヒロキは突入した。
「……」
 で、絶句。
ヒロキの眼前に広がるのは、机に散乱した空の皿、床に転がるワインの空き瓶。
「こ、これは……」
「おお、お帰り井戸田」
「しゃ、社長!」
 大きくはだけられた胸元、そして妖しく光る唇。
実に色っぽい格好のレイコだが、ヒロキは構わずに問いただしにかかる。
「ど、どうしたんですか、これ!」
「あー、ホワイトデーよホワイトデー」
「ホ、ホワイトデー!?」
「そう。で、ごちそうさま」
「な、ご、ごちそうさまって……」
 ここでヒロキは、唐突に思い出した。
先日、TBが出演したテレビ番組の内容を。
最近話題に上っている料理店を、タレントが突撃取材するという流れで、
TBの担当はケータリングをやっていることで評判の高いフレンチレストランだった。

「ま、まさか」
「はい、これ」
「うえぃ?」
 レイコが差し出した紙を、ヒロキは反射的に受け取った。
「領収書」
「りょ、りょうしゅうしょ?」
 そこに書かれていた店名、それこそ、まさにそのフレンチレストランのもの。
そして、その下に書かれている名前と、金額を見て、ヒロキは仰天した。
「は、はわわわわわわわ!」
 ヒロキはへたりこんだ。
自分の名前と、一ヶ月分の給料に匹敵する額のケータリング代が、
ボールペンによってハッキリと書き込まれている。
「やっほ〜、ヒロティー♪」
「うふふ、うふふふふふっ」
 領収書を手に、膝立ちで硬直するヒロキ。
そんな彼に、背後からマイとエリコがしなだれかかる。
「おいしーフレンチとおいしーワイン、ごちそーさま」
「うふふふ、ふふふふふ、ふふふふ」
 二人とも頬が朱に火照っており、相当に酔っ払っているのは一目瞭然である。
「やー、ヒロティーもサイコーね! よっ、太っ腹!」
「うふふふ、うふふふふ、ふふふふ」
「ヒロくん、ヒロくん、ヒロくぅーん」
 シホはヒロキにしがみついたままで、まるで仔猫のように喉を鳴らしながら、その胸に頬を摺り寄せている。
マイはヒロキの頭を抱えて自分の胸に押し付け、
エリコはエリコでヒロキの右肩に頭を預けてひたすらうふふと笑うのみ。
「……」
 美人と美少女に密着され、男なら歓喜のあまり泣いてもおかしくない図であるが、
ヒロキの目から零れ落ちる涙は、喜びのそれではない。
「やあ、いいホワイトデーになったわね」
 ワインが満たされたグラスを掲げて微笑むレイコ、その背後では、
ユーリとカルナが抱き合うようにしてソファーで眠っている。
「ヒロティー、ごちそーさまーっ!」
「うふふふ、うふふふふ、ふふふふふふっ」
「ヒーロくん、ヒロくーん、ヒーロくぅーん♪」
「シホは一杯だけだし、ユーリとカルナは飲んでないから、ま、安心してちょうだい」

 ヒロキは動かない。
真っ白に燃え尽きたかのように。
あまりに大きなショックを受けた時、人はしばらくの間、衝撃で体を動かすことが出来なくなるというが、
今のヒロキは、まさにそれだ。
「……」
 と、小田が社長室へと入ってきた。
その手には、フォークと、料理が盛られた皿がある。
ヒロキの姿を確認すると、小田は皿とフォークを机の上に置き、
ヒロキに向かって手を合わせ、小さく一礼した。
ご愁傷様、いや、いただきますという風に。


 ホワイトデー。
バレンタインのお返しをする日。
そして、男が「オトコを見せる日」である―――多分。


   F   I   N

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