萩村スズは高校二年生である。
例え身長が小学生並みでも、昼寝が日課でも、クマさんパンツでも、高校二年なのだ。
IQは180、五ヶ国語ペラペラの超才女で、私立桜才学園の生徒会では会計を務めている。
そう、繰り返すが、彼女は高校二年なのである。
立派な。
「……」
 彼女は常に強気である。
自身の小柄な身体に対するコンプレックスがそうさせている面はあるが、実際、持ち前の性格でもあるだろう。
「…………」
 しかし、そんな彼女にも、大きな弱点がある。
「かいだん……階段」
 それは何かと言うと。
「……怪談」

 ホラー関係に滅茶苦茶弱いのであった。

 ◆ ◆ ◆

 先日、スズの両親は結婚記念日ということで、二人で旅行に出かけた。
その間、同級で友人の三葉ムツミ、轟ネネが泊まりに来てくれたのだが、
ムツミがその際に借りてきたホラーDVDの影響が、未だにスズの心に残り続けていた。

『邪音』

 それが、そのDVDのタイトルだった。
キャッチコピーに、「陰毛さえ総毛立つ快感」「ちぢれ毛もよだつ恐怖の絶頂」などとあったが、
スズからしてみれば実にたまったものではなかった。
流石はジャパニーズ・ホラーの到達点の一つ―――などと、冷静に評価出来るわけもなく、
視聴中は全身が鳥肌立ちまくりで、もし彼女の背丈があと数センチ高くて、
炬燵に半身を潜り込ませていなければ、確実にムツミとネネにその怯えを気取られていたであろうことは間違いなかった。
まあ、鑑賞後にしれっと冗談を言ってスズを震えあがらせた辺り、ネネはわかっていた節はあるのだが。
「ふ……私は何を」
 躊躇っているのか、とスズは首を振った。
今、彼女の目の前には、上の階へと続く階段がある。
「段の数が増えるなど」
 『邪音』の中盤にあった、主人公が屋敷の階段を昇るシーンが、スズの脳内で繰り返し再生される。
ステップは12段しかないはずなのに、主人公が足を動かした回数は、それより多かった。
つまり、12段ではなかったのだ。
「……有り得るはずがないわ」
 こういう時、記憶力が高いと妙に損をするもので、
お泊り会から数日経つのだが、それ以来、階段の上り下りをする度に、
どうしても心の中で段を数えてしまうスズなのであった。
「1、2、3……4、5……」
 今日はクラブ活動の全休日なので、放課後の校内にはほとんど人が残っていない。
廊下に差し込む夕暮れの赤い光は、何処か血の色を想像させ、それもまた、スズの心を粟立たせるのに十分だった。
だが、部活の予算録を取りに資料室に行く為には、ここを必ず昇らねばならない。
活動報告会議が間近に控えている今、会計の仕事は必ず片付けておく必要がある。

「6、7……や、やっぱり津田と一緒に来たら良かったかしら」
 思わず、弱音をスズは口に出した。
が、いやそれでは駄目だ、とすぐに思い直した。
人間、誰かに頼りきりでは成長などない。
例え虚勢であっても、意地とプライドは保つべき時には保たなくてはならない。
一人で立ち向かわなければ、弱点を克服することは出来ないのだ。
「10……11、12……13!?」
 スズは昇りきった。
そして、固まった。
13段とはおかしい。
この階段は、12段のはず。
入学して以来、何度も昇降を行ってきた階段だ、間違えるわけがない。
「か、か、か、数え間違いに決まってるわ」
 膝から下の力が抜けていくのを、スズは必死に耐えた。
そして、繰り返し、数え間違いだと自分に言い聞かせた。
「うぐっ!?」
 踊り場にある窓の向こう側、不気味に赤く光る太陽が、一瞬スズの視界から消えた。
カラスが何匹か、窓の外を横切ったのだ。
(こ、こ、怖くなんかないんだから……!)
 膝下だけではなく、腕から、肩から、どんどんと力が抜けていくのが、スズにはわかった。
だが、ここは学校だ。
逃げ込むめる部屋も、そして布団もない。
時は夕方、人影は無し。
腰を抜かしてヘタりこんでしまうわけにはいかなかった。
(つ……津田ぁ……!)
 半ば無意識ではあったが、心の中で、スズはとある男子の名を呼んだ。
スズのクラスメイトで、生徒会で共に自治活動に勤しむ間柄である、津田タカトシの名を。
タカトシは、スズにとっては、学園で最も親しい異性の友人になる。
(あのバカ……何で一緒にいてくれないのよ……!)
 心中で愚痴るスズだが、これは別にタカトシが悪いわけではない。
寧ろ、スズの方から「手伝おうか」と同行を申し出たタカトシに「いいわ」と断ったのだから、
これは完全に八つ当たりと言えるだろう。
(振り向いて確認しなきゃ、数え間違いだって確認しなきゃ)
 スズは必死に勇気を奮い起した。
だが、実行することがどうしても出来なかった。
『邪音』では、主人公が階段に違和感をその直後に、怨霊に襲われることになっていた。
後ろを振り返って、段を数えて、もし本当に13段あったらどうするのか。
そして、そこに怨霊がいたら―――

「萩村?」
「きゃ、あああああああああああああ!」

 不意に、背後からの声。
スズは飛びあがった。
冗談ではなく、自分の身長程。

 ◆ ◆ ◆

「まったくもう! 何で、何で驚かせるのよ!」
「いや、驚かすつもりはなかったんだが」
 スズは両手に資料を抱えて、生徒会室へと足を進めていた。
隣には、同じく資料で手がふさがっている津田タカトシがいる。
「普通ならとっくに戻ってきているはずなのに、なかなか萩村が帰ってこなかったから」
 踊り場でスズに後ろから声をかけたのは、タカトシだった。
彼自身が今語ったように、一向に帰ってくる気配の無いスズが気になって、後を追ってきたというわけだった。
「だとしても、いきなりはないでしょ」
「そう言われてもなあ」
 スズがホラー関係に弱いのは、タカトシは十分に理解している。
が、あの場面でスズの心中を察しろというのは、エスパーでもない限り難しい話である。
タカトシからしてみれば、直立不動で固まっているスズに、単に声をかけたに過ぎない。
「最初からついてきてくれれば良かったのよ」
「いや、別にイランって断ったのは萩村の方だろうに」
「それでもよ!」
 タカトシはお泊り会でのDVDの件を知らない。
スズの口から直に、またはムツミかネネからその様子を教えられていれば、気を働かせて、スズが断ったとしてもついて行っていたであろう。
事情を知っていれば、それくらいの心遣いは出来る男である。
「しかし、何がそんなに怖かったんだ? あの階段」
「段が13―――い、いや、もういいのよ、もう」
「13?」
「だから、もういいんだってば! ほら、急ぐわよ。暗くなる前にこれをロッカーに片づけないと」
「あ、ああ」
 スズは足を速めた。
夕焼けの色がかなり薄れ、廊下に伸びる二人の影もかなりぼんやりしてきている。
のんびりし過ぎていると、下校するのがさらに遅れてしまうのは間違いない。
スズとしては、とっとと用件を終わらせて、未だに心に残る不気味さを振り払ってしまいたかった。
物理的に段数が増えるわけないのだから、数え間違いなのは確実である。
が、恐怖とは、そういう事実とはまた別の軸にあるのだった。

「……津田」
「ん?」
 だが、生徒会室の手前で、スズは足を止めた。
そして、真横にいるタカトシに、顔を向けずに言った。
恐怖に動転していたが、ここに来て、ようやく彼女に冷静な思考が戻ってきていた。
そして、言うべきこと、言わなければならないことがあるのに、ようやく気付いた。
「……ありがと」
 心配して追ってきてくれたタカトシに対する礼を。
声に出して改めて、照れと感謝が、漣のようにゆっくりと恐怖心を覆っていくのが、スズにはわかった。
「ありがと」
 スズはもう一度、礼を繰り返した。
正確にはもう一つ、特別な感情がスズの胸の奥にある。
しかし、スズ自身は未だのその存在を、ハッキリと自覚は出来ていない。
 タカトシの方を向かなかったのは、もしかすると自分が頬を染めているのでは、と思ったからだが、
幸いと言うべきか何と言うべきか、タカトシの方は、実際に朱が差しているスズのその頬には気づかなかった。
「どういたしまして、萩村」
「ふん、津田のバカ……」
 落日の最後の明りが、その色を溶かしてしまっていたために―――。




 後日、桜才学園七不思議の一つに『恐怖の13階段』というものがあるのをスズは知ることになるのだが―――それはまた、別の話。


 F I N

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