『ヒロキとカルナのコスチュームプレイ・その2.5(番外編)』

「フン、フン……♪」
 とあるマンションとある部屋のとあるキッチン、
そこで一人の若奥様が鼻歌を口ずさみながら、クツクツといい感じに煮えているシチューをかきまわしていた。
「ヒロキさん、まだかな」
 彼女は元アイドル。
人気ユニットだったトリプルブッキングのメンバーの一人。
名前はカルナ、如月―――いや、井戸田カルナ。

 カルナはこの年の春、大学を卒業した。
在学中に業界から引退し、トリプルブッキングのマネージャーである井戸田ヒロキと同棲を始めたのだが、
無事卒業を迎えて、晴れてヒロキと正式に結ばれたというわけだ。
人気アイドルとそのマネージャーの恋ということでマスコミも一時騒いだが、
今ではもうそれを追いかける人間もほとんどいない。
この業界の時の移ろいは早く、既にカルナは「過去の人」扱い。
ただ、カルナとヒロキにとってはその方がありがたい。
昔は昔、今は今。
カルナにとってアイドルはもう過ぎ去った時の中、
現在の彼女は、井戸田カルナという一人の幸せな新妻なのだから。
「ただいまー」
「あ……」
 カルナはコンロの火を止めると、
スリッパをパタパタと音たたせて玄関へと向かった。
愛する夫を出迎えるために。
「おかえりなさい、ヒロキさん」
「ただいま、カルナちゃん」
 苗字ではなく名で呼ぶのも慣れた。
まだ、「あなた」という呼称はいささか照れくさいので使っていないが、
もう少し時が経って夫婦というものに慣れてきたら、そう呼ぶことになるのかもしれない。
一方、ヒロキも未だカルナをちゃんづけで呼ぶ。
これもいずれ、変わることであろう。
「良かった、早く帰れたんですね」
「う、うん」
 カルナが引退、TBが解散したとはいえ、メンバーの飯田シホと有銘ユーリはアイドルを続けている。
そして、ヒロキは引き続きシホのマネージャーとしてレイ・プリンセス事務所で働く身。
TB時代以上に売れっ子になったシホのため、連日遅くまで仕事にその身を打ち込んでいる。
カルナにしてみれば、二人だけの時間が短くなるのが残念ではあったが、
アイドルとそのマネージャーの仕事の大変さも知っているので、我慢出来ないという程ではなかった。
何より一所懸命に働くヒロキはとても男として頼もしいと思っている。
何事にも手を抜けないそんなヒロキを、カルナは好きになったのだから。

「今日はシチューを作ってみたんですけど、おいしく出来たと思います」
「えーとその、ちょっと話が」
「あ、ネクタイ外しますね」
「あ? え、うん」
 カルナはヒロキの首元へと腕を伸ばした。
ネクタイを解くのも、今ではスムーズに出来るようになった。
「ヒロキさん……」
「ん、ん?」
「何だか、疲れてます?」
「え?」
 ヒロキはほとんどの場合笑顔で帰ってくる。
そうでないのは相当に疲れている時で、一か月に何回かそういうことがある。
「また、シホが問題を起こしたんですか?」
「あ、え、いや、そうじゃなくて」
「あんまり根を詰めないで下さいね……ヒロキさん」
「え」
「身体だけは大事にして下さい」
「はあ」
「ヒロキさんに何かあったら、私は……」
「カ、カルナちゃん?」
「ヒロキさん……ん、んっ……」
「え、あ、ん……んっ」
 ネクタイを解いたところで、カルナはスリッパのまま玄関に降り、くいっと爪先立ちになった。
ヒロキの肩をきゅっと抱きしめ、そしてさらにヒロキの唇に自分の唇を重ねる。
「ん……か、カルナちゃ……?」
「は、ぁ……これで、元気……ちょっと出ました?」
 帰宅早々、新妻のおかえりなさいのキス。
普通の旦那なら、これを喜ばないはずがない。
疲労も一気に回復、下半身を滾らせてそのままベッドインとなってもおかしくないところだ。
「え、えーとね、カルナちゃん、その、あのね」
「え?」
 が、ヒロキはポリポリと頬を指でかいて、目をキョロキョロさせるのみ。
まるで、居心地が悪いかのように。
「どうかしたんですか?」
「あー、その、ね……」
 苦笑めいた表情のヒロキ。
そんな夫を見て、カルナが首を傾げたその瞬間。
「おーおーおー、熱いねーっ」
「ふーん、カルナちゃんってこうやってお兄ちゃんをいっつもお出迎えしてるんだね」
 ヒロキの背後から、二つの女性の声。
それは、カルナが良くしっている人間のものだった。
「え、え、え?」
「いや、はははは。その……こういうこと」
 ヒロキは身体をすっと横にずらした。
カルナの視界に、声の主の姿が飛び込んでくる。

「シ、シホ? ユーリ?」
「はーい、今超絶テクに売れっ子のアイドル、飯田シホだよーん」
「シホちゃん、テクはいらないね、テクは」
「ヒ、ヒロキさん、こ、これは?」
「いや、だからね……」
 驚きでわなわなと身体を震わせるカルナに、ヒロキは説明を始めた。
 ……本日最後の仕事は、来週にあるシホのグラビア撮影の打ち合わせ。
正確には打ち合わせの打ち合わせで、ヒロキとシホの二人だけで済むような簡単のものだった。
三十分もあれば終わるのだが、使おうと思っていた会議室が社長のレイコ関係の別の会議で急遽使用不可に。
それなら別の部屋で、と移動してみたらそっちは今度映画に出る小池マイの打ち合わせ、
ならばならば事務室で、とドアを開ければそこは会計関係で戦場と化しており、三瀬エリコが必死の形相でパソコンとにらめっこ。
それならトイレでしよっか、というシホのボケをスルーして、ヒロキは事務所の外へ。
顔が売れまくっているシホだから、マクド○ルドやファミレスになんぞ行けはしない。
ラブホならファンに囲まれないよ、というシホの再びのボケをスルーして、ヒロキが選んだ場所とは……。
「ここだった、と」
「……」
「ゴ、ゴメン。連絡しようと思ったんだけど、バタバタしてて」
「ユーリは……」
「え?」
「なら、ユーリは何でいるんですか?」
「それは、えーと」
「はーい、単にくっついてきただけだよー」
 ヒロキとシホが事務所を出たその時、ユーリと彼女のマネージャーの小田が戻ってきた。
小田はそのままエリコの手伝いに入り、流れでユーリの自宅への送りはヒロキの役目になったという次第。
「で、聞いたら今日はユーリちゃん、両親が旅行中で家にいないっていうから」
「お兄ちゃんについていったら、カルナちゃんの手料理が食べられるなーって思って」
「ふっふっふ、実は私もカルナがどんな料理を作ってるか確かめてみたくて……スッポン鍋とかマムシの血が入ったジュースとか」
 ニコニコのシホとユーリを前にして、カルナはへなへなと床に座りこんだ。
予想外の訪問、そこまでは別にいい。
事務所の部屋が埋まって打ち合わせが出来なくなったこと、そこでここを選んだこと、
ユーリをヒロキが送らねばならなかったこと、そういった諸々はまぁ頭の中で咀嚼して飲み下せる。
問題があるとすれば。
「見たのね……?」
「んー? 何の話かなー、カルナ?」
「えへへへへへ」
 ヒロキへのお帰りなさいのキス。
そしてその前の、甘えんぼのような台詞。
「いやあ、いいもん見れたいいもん見れた」
「凄いね、本当にカルナちゃんはお兄ちゃんのことを愛してるんだね」
「デジカメ持ってたらなー、バッチリ撮って週刊誌にでも」
「あ、私ケータイのカメラで撮ったよ」
「ナイスだユーリ!」

 ガクリ、とカルナは首を前に折った。
眼鏡がズルッと鼻の先に落ちかかる。
「う、うううう」
 とんでもないところを見られた、というショックがカルナの背中をチクチクと突き刺す。
ヒロキにしか見せたことのない妻としての「井戸田カルナ」を、
よりにもよってシホとユーリの二人にばっちり収められてしまった。
通常の二倍、いや三倍の、絶望にすら似た恥ずかしさだ。
「悪い、カルナちゃん……俺がちゃんと電話一本入れてれば」
「ヒロキさぁん……ううう」
 ほとんど涙目のカルナ。
そんな妻にヒロキが出来ることと言えば。
「ゴメン、本当にゴメン」
 謝ることだけだった、ひたすらに。

「この分だと二人の愛の結晶を拝むのも近いうちかねー」
「男の子かな、女の子かな?」
「うううう……は、恥ずかしい……」
「ゴメン、カルナちゃん」
 キッチンのシチューは、ゆっくりと冷めつつあった―――


  F    I    N

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