「じゃあカナミちゃんは結構ブラコンだったりするんだ?」
「えへへ、そうですねッ♪だってウチのお兄ちゃん、カッコイイんですよ!」
「ふ〜〜ん、ちょっと写真とかあるかな?」
「ありますけど………井戸田さん、大丈夫ですか?」
「あ、由田さん、お分かりだと思いますがカナミちゃんのお兄さんは一般の高校生なので」
「ええ、写真を掲載するようなマネはしませんよ」
「ならOKですね」
「じゃ、はい!」
「なるほど〜〜。さすがにカナミちゃんのお兄さん、イケメンさんだね」
「そうなんです!カッコイイだけじゃなくて、優しくて、たくましくて、ちょっとおっちょこちょいで。可愛いんです!」
「はは、やっぱり子供の頃とかはお兄さんと結婚したいとか思ってた?」
「はい!今でも理想の男性はお兄ちゃんです!」
「あはは、結構どころじゃなくて本当にブラコンなんだね、カナミちゃんって」
「や、やだあ!恥ずかしいですよ、由田さんたら!」
(しかしまあ、良くやるよ、カナミちゃん)
目の前の城島カナミとインタビュアーのやりとりを、井戸田ヒロキは内心苦笑しつつ見ていた。
そこは、都内某所のスタジオ。レイ・プリンセス事務所所属の新人アイドルとして活動中のカナミは、
某週刊誌での短いグラビア撮影終了後にインタビューを受けていた。
(これで妹萌え層はつかめるしな。それに由田さんもカナミちゃんを気に入ってるみたいだし)
手練れのインタビュアーであり辛口ライターとしても知られる由田が
アイドルや女優とガチンコで対談するというのがこのコーナーの目玉であり、
彼の舌鋒の鋭さは今をときめくグラビアアイドルや人気女優に対しても手加減が無く、
過去の対談ではあまりの過激な内容に事務所側からNGを出されたこともしばしばだったという。
(カナミちゃんの頭の良さは分ってたから安心はしてたけど………)
彼女の頭の回転の良さや少女期特有の瑞々しい可愛らしさについては以前から認めていたが、
アイドルとして必要不可欠な「華」とでもいうべき輝きが最近ますます増してきたと、
マネージャーであるヒロキですらも感じているところだった。
「うん、じゃ今日はこんなところで。ご苦労様でした、カナミちゃん」
「はい!今日はありがとうございました、由田さん!」
満面の笑顔でカナミがお礼を言うと、由田に向かって手を差し出す。
少々照れくさそうに彼も手を伸ばし、ふたりはその場でしっかりと手を握った。
「えへへ、手、冷たいんですね、由田さん!」
「え?そ、そうかな?」
「でも手の冷たい人は心があったかいって言いますから、由田さんもそうなんですね!」
「…………参ったな」
(ありゃ〜〜由田さん、すっかり)
辛辣なインタビュアーであるはずの由田が苦笑しているのを見て、ヒロキも同じく苦笑していた。
今回のインタビューは、完全にカナミの一本勝ちのようだ。
「おつか、井戸田ちゃん」
「あ、お疲れ様です!石嶺さん」
気づかぬ間に副編集長であり現場の責任者である石嶺もインタビューを見ていたようだ。
慌てて、ヒロキは頭を下げる。
「カナミちゃんって井戸田ちゃんがスカウトしたんだって?良い素材を見つけたね〜〜。伸びるよ、あの子は」
「ありがとうございます。そうは言ってもスカウトできたのは偶然なんですけどね」
「?スカウトなんて、たいてい偶然じゃないの?」
「いえ、実は最初はカナミちゃんの友達の子をスカウトしようとしたんですけど、断られちゃって。
そのときに一緒にいたカナミちゃんが代りに話を聞いても良いよって言ってくれたんですよ」
「ふ〜〜〜ん、そんなことがあったのかい?」
「わ!よ、由田さん、今日はありがとうございました!」
石嶺と話し込んでいるうち、いつの間にか由田も側に来ていた。驚きつつ、また頭を下げるヒロキ。
「いや、こちらこそ。でも良い子だね、カナミちゃん」
「え、ええ。最近やっと露出も多くなってきまして」
「実は今回はヨシちゃんのご指名だったんだけど、すっかりヨシちゃんもカナミちゃんに首ったけみたいだね」
「え?そ、そうだったんですか?」
「そうなんだよ、だって最近ずっとカナミちゃんに会いたいって言いまくってたもんね、ヨシちゃん」
§
「コラ、バラすなって、石ちゃん。全く、アンタにかかると俺がストーカーみたいじゃないか。
実はね、この前封切りされた『死神の精力』に出てたよね、カナミちゃん?
あれを見て、すごく光るものを感じてね。一回会ってみたいと思ってたんだ」
「あ、あの映画ですか?でもカナミちゃん、そんなに」
「うん、確かに出番は少なかったけどね。でもなんていうかな、短い時間でもすごく存在感があるっていうか。
そう感じたのは俺だけじゃなかったみたいで、映画関係の仲間内でもカナミちゃんは評判みたいだよ」
「そうなんですか………って、俺が言っちゃマネージャー失格ですよね」
「あはは、ヨシちゃんの仲間うちでは、ってことだから話半分で聞いておかないとダメだよ、井戸田ちゃん。
なにせこの人の周りは筋金入りのヒネクレ者ばっかりだからね」
「そういうお前もだろ、石ちゃん」
「あたたたた。でもあの映画のカナミちゃん、ヨシちゃんの言うとおり光ってたよ。それは俺も認めるけどね」
「ま、あの映画自体、結構デキが良かったってのもあるんだろうけどな。主役の金玉タケシも良かったしね」
石嶺と由田のふたりの間では、映画談義に花が咲いていた。
適当に話を合わせつつ、ヒロキは別のことを考えていた。
(そんなに評判が良かったのか、カナミちゃん)
確かに映画の撮影現場でも監督からカナミの飲み込みの良さを評価されたことはあった。
そうは言っても彼女はまだまだ新人であり、ほんの脇役程度の出演でしかなかったはずだ。
にもかかわらず、業界でも評判の目利きである石嶺と由田から注目されるということは、
それだけカナミの存在が際だっていたということなのだろう。
(今は完全にアイドルとしての売り出しだけど、こっから女優業にシフトするのも手だよな?)
レッスンを受けさせるとカナミはなかなか器用な女の子で、歌も踊りもかなりのレベルでこなすことができた。
それだけに、これからの方向性については社長とも再度話し合う必要があると、ヒロキは思っていた。
「それに性格も良さそうだよね、彼女」
「え?そ、そうですか」
「ほら、あっち」
考え事をしていただけにちょっと不意打ち気味になってしまったヒロキは、由田が目線を送る先を見る。
そこには、スタッフの輪の中で談笑しているカナミの姿があった。
「最近は新人の子でも撮影がハケるとさっさと帰っちゃう子が多いんだけどさ、
カナミちゃん、すごく良い感じじゃない」
「あの子、ウチのスタッフにも評判が良いよ。男のスタッフだけじゃなく、女のスタッフにも」
「あ〜〜〜、カナミちゃんって人なつっこいですからね」
「それだけじゃなくて、なんて言うかな………周りの人間を惹きつけるものを持ってるよ、彼女は」
「あはは、やっぱりお気に入りじゃない、ヨシちゃんたら。大事に育てないとダメだよ?井戸田ちゃん」
「は、はい!」
業界の大先輩からお褒めの言葉を頂き、ヒロキは喜びと同時に緊張も感じていた。
それだけ、カナミが注目されているということに他ならないからだ。
「井戸田さ〜〜〜ん、これからみんなでちょっとゴハン食べませんか?って話しになってるんですけど」
「次のスケジュールがあるからダメだよ。すいませんね、由田さん、石嶺さん」
「はは、売り出し中の子は仕方が無いよ」
「そうそう。じゃ、またよろしくね、井戸田ちゃん」
「え〜〜〜〜」
「え〜〜じゃないだろ。それじゃ、皆さんすいませんがこれで」
「はい、じゃ、おつか。またね?カナミちゃん」
「お疲れ様でした!次は絶対ゴハン食べにいきましょうね!」
「あははは、カナミちゃんにはかなわないな………」
カナミの人なつっこく明るい性格のおかげで、現場の空気は和やかなまま終わりを迎えた。
慌ただしくスタッフへの挨拶を終えると、事務所の車にカナミを乗せて走り出す。
「ねえねえ、ヒロ君?確か今日はこれで終わりじゃなかったっけ?
それにヒロ君はこれからシホちゃんのお仕事で、帰りは小田さんが送ってくれるんじゃなかったの?」
「あ、ゴメン、まだ話してなかったよね。実は今日、ヤングギンギンのグラビアで
小池マイちゃんを予定してたんだけど、ホラ、彼女しばらく風邪引いてて調子悪かったろ?
とうとう今日ダウンしちゃったみたいでさ。それで悪いけど代役にカナミちゃんを出して欲しいって
小田さんから連絡を貰ったんだ。申し訳ないけど、お願いできるかな?」
「あ、そうだったんだ?私は全然OKだよ!こういうのもチャンスだもんね、小池さんには悪いけど」
「そう言ってくれると助かるよ。急な話で悪いね」
§
(ま、なんだかんだ言って、下ネタ以外はカナミちゃんって性格良いんだよな)
この世界、突発事故のような事態は案外多い。他事務所のマネージャー仲間の話を聞いても、
芸能界の水に浸りきっていない子の場合は突然の仕事を嫌がることも少なくないようだが―――
TBの三人にせよ、カナミにせよ、むしろ積極的に仕事に挑もうとしているのは、
ヒロキにとっても事務所にとっても有難い話ではあった。
(そういった意味では恵まれてるんだよな、俺も)
「ねえねえ、で、ヒロ君?水着とかあるの?」
「ん?うん、一応全部用意しておくって話だったけど?」
「そっか〜〜、じゃあ、そのためにヒロ君さっきゴハンを断ってくれたんだね?
食べた後でお腹出ちゃってたら水着はダメだもんね」
「ま、単純に時間がなかったってのもあるけどね」
「貧乳でおまけにお腹ぽっこりじゃね〜〜〜」
「…………そこまで言ってない」
カナミの察しの良さは確かに有難いのだが、最後を下ネタで落そうとするのはなかなか慣れないな、
とヒロキは思いながらハンドルを切る。少しだけ、渋滞しつつあるのを気にしていた。

「…………悪いな、井戸田」
「あ、間に合いました?小田さん」
「……………」
強面の先輩マネージャー・小田が無言でこくり、と頷く。
なんとか指定のスタジオに時間ギリギリで間に合ったヒロキは、
大慌てでカナミを控え室に送った後、ようやく彼に会うことができたのだった。
「マイちゃんは?」
「しばらくドラマ撮影やグラビア撮影で過密スケジュール気味だったからな。
今日も本人は責任を感じて無理をしてでも現場に出ようとしていたんだが………
なんとか言い聞かせて、休ませることにした。全て、俺の責任だ」
「い、いえ、そんな!」
普段は無口な小田だが、言葉通り責任を感じているのかいつになく多弁だった。
それが逆に、ヒロキには痛々しくすら感じられていた。
「ちょうど良くカナミちゃんのスケジュールも空いていましたし、本人もやる気満々です。
今はマイちゃんの体調が回復することだけを考えましょうよ」
「………すまん」
短く言うと、小田は辛そうな表情でヒロキに頭を下げる。
先輩の誠意に、ヒロキは胸が熱くなるのを感じていた。
「小田さんも辛いと思いますが、気持ちを切り替えて下さい。これからカナミちゃんが来るんですから」
「………そうだな」
「お疲れ様です!小田さん」
「………今日はお願いするよ、カナミちゃん」
ジャストのタイミングで、メイクを終えて水着に着替えたカナミが登場してきた。
「じゃ、カナミちゃん、撮影入ります!お願いします!」
「あ、はい!よろしくお願いします!」
それまで停滞していた撮影現場が、カナミの登場によってようやく急スピードで動き始めた。
「はい、じゃ、カナミちゃん、こっちに笑顔!」
「カナミちゃん、軽く肘をつけて!」
「うん、そこで立って一回転して!」
カメラマンの矢継ぎ早の指示にも、笑顔で応えるカナミ。
(カナミちゃん………良いよ、すごく)
カナミにとってみれば今日ふたつめの現場であり、疲れがないはずがない。
にもかかわらず、彼女はそうしたところを微塵もみせずに最高の表情を振りまいていた。
「…………井戸田、それでカナミちゃん、なんて言ってた?」
「代役は全然OKだし、むしろチャンスだって言ったましたよ。マイちゃんに悪いとも言ってましたけど」
「そうか…………良い子で助かったな」
「ええ。生意気を言うようですけど、マネージャーってのはタレントを助けてタレントに助けられるもんだと、
教えられたような気分ですよ」
「そうだな。本当に」
§
ヒロキと小田のふたりはじっとカナミを見つめている。水着やセーラー服姿、それにメイド服等、
衣装を次々と着こなしながら、カナミはポーズをとっていく。
「はい、おつかれ!カナミちゃん、ありがとう!良かったよ〜〜〜」
「お疲れ様です!今日は小池さんの代役でしたけど、ありがとうございました!」
「いや〜〜〜、助かったよ。マイちゃんが病気だって聞いたときはどうなることかと思ったけど」
「心配ですよね………しばらく小池さん、無理してたみたいだから」
「うん、でもその代りに人気急上昇中のアイドルと仕事ができたわけだから、こっちとしちゃラッキーだったよ」
「いえ、もしなにかありましたら、またよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしく!」
最初こそマイの不在のためかピリピリとしていた撮影現場だったが、
カナミの明るいキャラクターのおかげかいつの間にか和やかな空気になっていた。
「ふう。良かったですね、小田さん」
「ああ。カナミちゃんには本当に……助けられたな。もちろん井戸田にも」
ようやく、小田の表情にも(無表情なため親しい人間以外には分りにくいのだが)安堵の色が浮かんできた。
意識しないうちにヒロキも緊張していたのだろう。思わず、ふう、と気が抜けたような息を吐いた。
「おつかれさまでした〜〜〜〜!井戸田さん、小田さん!」
「お疲れ!カナミちゃん、良かったよ!」
「…………悪かったね、カナミちゃん」
「私は、大丈夫ですけど。あの、小田さん?小池さんは」
「今は病院に行ってる。点滴を受けてるけど、風邪と過労が重なったってところだ。
本人の体力の回復を待つしかないが…………」
「………そうなんですか」
「小田さんは、これからマイちゃんのところへ?」
「そうしようと思ってる。社長は営業だし、三瀬はお前の代りにシホの仕事に向かったから手が放せないしな」
「他に今日はマイちゃんの仕事関係は大丈夫なんですか?」
「なんとかな。各方面にお詫びの連絡をいれなくちゃならんだろうが」
「それ、今から事務所に帰って俺がやりますよ」
「…………しかし、そこまでお前に迷惑をかけるわけには」
「お願いします。やらせて下さい!」
「小田さん、私もなにかできることがあれば」
「…………すまない、井戸田。すまない、カナミちゃん」
カナミとヒロキに深々と小田が頭を下げる。ふたりは、少し照れくさそうにしていたが、
すぐに小田から仕事の内容などを引き継ぎ、急いで車へと戻った。
「悪いね、カナミちゃん。今日は夕方には終れるつもりだったんだけど」
「良いんですよ。帰ってアキちゃんとお兄ちゃんのエッチの邪魔をしたくないし」
「………『エッチの』は要らないよね」
「ええ〜〜〜、でも今頃絶対ズッコンバッコン」
「……………社長にも、今日の仕事の分は給料に上乗せしてあげられるよう頼んでおくから」
現場でも小田の前でもカナミはヒロキのことを「井戸田さん」と呼び、下ネタも完全に封殺していた。
しかし車の中などふたりだけの空間になると、途端に下ネタ好きの本性を全開にしてきた。
それは性格に裏表があるとかではなく、純粋に構ってくれる人間を選んでじゃれてくるような感じなのだが。
(だからと言って、なぁ)
売り出し中のアイドルとして、それはそれで困りものだとヒロキは思っていた。
そんなこんなでようやく事務所に着くとヒロキは鍵を開け、カナミと手分けをして電話をかけまくった。
「あ、はい。レイ・プリンセスの井戸田です。今回は本当に、ええ?あ、はい。
このまま順調にいけば近いうちに仕事にも復帰できますから」
「レイ・プリンセスの城島です!今回は小池先輩がすいませんでした!」
アドレス帳の上から順に電話をかけ、謝罪し続けるヒロキとカナミ。
電話をかけ終えて残務を終えると、既に8時近くになろうとしていた。
「ふぅ〜〜〜、やっと終わったね、ヒロ君!」
「ありがとう、本当にすまなかったね、カナミちゃん」
「でもメールだけじゃダメだったんですか?」
「小田さんもメールではお詫びしてたんだけどさ、でもこういうのはやっぱり電話で謝るのが礼儀だから」
「ふ〜〜〜ん、そのあたりけっこう古風ですよね、芸能界って」
「古風って……あはは、でもそうかな」
§
カナミの言葉を聞いてちょっと苦笑したヒロキだったが、彼も安心して気が抜けたのだろう、
う〜〜〜ん、と伸びをした後にふう、とひとつ、大きな溜息をついた。
「じゃ、もう大丈夫だと思うから送っていくよ、カナミちゃん」
「ね、ヒロ君?ご褒美ほしいな、私」
「ご褒美?さっきも言ったけど、今回の分は給料に上乗せしておくように社長に言っておくから」
「えへへ、違うの。ね、ゴハン連れてって?」
「え?でも、シンジ君が」
「さっきメールしておいたの。今日はゴハン食べて帰るからって。
お兄ちゃんもアキちゃんと二人っきりの方が良いだろうし。ね、連れてってよ〜〜」
「え〜〜〜っと、でもまだ俺は」
"♯♭♪"
そのとき、ちょうど。ヒロキの携帯からメールの着信音が響いた。
「あ、ちょっと待ってね?」

『 from 社長 sub 今日は色々ご苦労さん。
マイのことはさっき小田から話を聞いた。大変だったけど、とりあえず今日はお終いにしとこう。
私からも出来る限り各方面にお詫びしておいたから、明日改めて事務所で打合せをする。
三瀬にも連絡したんで、もう帰って良いよ。私も含めて全員直帰するんで、鍵だけよろしく」

「………社長らしいっていうか」
携帯の画面を見ながら苦笑するヒロキ。今回はマイが無理をして倒れてしまったが、
基本的に疲れたときは無理せず休めというのがレイコの方針である。
ハードワークを強要することが多いこの業界ではむしろ異端と言った方が良いのだが、
今回ばかりはレイコの気遣いがヒロキにはありがたかった。
(だからこそ小田さんもあれだけマイちゃんのことで落ち込んでたんだろうけど)
「ヒロ君?」
「あ、ゴメン。うん、そうだね、じゃ今日のお礼にゴハンごちそうするよ。何系が良いかな?」
「わ〜〜〜〜い♪私、疲れたときはがっつり食べれるのが良いな!」
「ん、分った。それじゃ事務所の電気落すから先に行っててくれるかな?」
「は〜〜〜い!」
今日一日の疲れも見せず笑顔で部屋を出て行ったカナミの若さを少しだけ眩しく感じながら、
ヒロキは事務所の後片づけをし、施錠してセコムをセットしてから駐車場に向かった。
「それじゃ行こうか、カナミちゃん」
「うん!」
最近はほとんどヒロキの通勤兼用となっている事務所の車にカナミを乗せて走り出す。
「カナミちゃんの家にいく途中でさ、美味しいステーキハウスがあるんだけど、そこで良いかな?」
「わ〜〜い、にくにっく♪お肉♪」
(ま、こういう姿を見るとまだまだ子供だよな、カナミちゃんも)
無邪気にはしゃぐカナミを見て、そんなことを思うヒロキ。ほどなく車は目当ての店に着いた。
そこは、アメリカ郊外のダイナーを思い起こさせるようなステーキショップだった。
「カナミちゃんは今売り出し中だから、一応ね?」
「うん!」
ベースボールキャップにメガネをかけ、軽く変装してから車を降りるカナミ。
ヒロキもすぐその後に続き、ふたりは店の中に入っていった。

「えっと、じゃあ俺はペッパーステーキとライス、それとコーヒーで。カナミちゃんは?」
「う〜〜〜んと、ミディアムサイズステーキにライスと、あと一緒にシーフードサラダ食べない?ヒロ君」
「ん、良いね。じゃそれでお願いします」
ヒロキがウェイトレスに注文した後、カナミはもの珍しそうに店内をキョロキョロと見渡していた。
「ここ、来たことないんだ?」
「だってちょっと高そうだし。ヒロ君は結構来てるの?」
「うん、最近はちょくちょくね。意外に値段もそんなに高くないし、
夜遅くまでやっててドリンク類も豊富だから、打合せとかでも使ってるんだよね」
「でも車がないと来にくい感じじゃないですか?」
「あ〜〜〜、それはあるかもね。俺も初めは気付かなかったし」
§
「お待ち遠様でした」
「わ〜〜〜、美味しそう!」
ぱちぱち、とプレートの上で肉汁が弾ける様子を見て歓喜の声を上げるカナミ。
注文した品がテーブルに並ぶと、ふたりはそそくさとそれを胃袋に納めていった。
「でも、もぐ。心配ですよね、小池さん」
「うん、だけどしばらく彼女、ドラマにグラビアに出ずっぱりだったからね。
むしろ今回はからだを休める良い機会だと思ってくれると良いんだけど」
「私、誤解してましたよ、小池さんのこと。あんなに頑張り屋さんだと思いませんでした」
「女の子には人気がないけど、マイちゃんってすごい努力家だよ。
新人の頃は演技も歌もダンスも全然だったらしいんだけど、今じゃどれもかなりのレベルだしね」
「それに責任感も強いですよね。先週あたりから調子悪そうだったのに、絶対休まなかったし」
「うん。でもそこらあたりは本人も分ってるだろうけど、やっぱり無理しちゃダメだよね」
「でも私、小池さんの気持ちも分るんです。現場にいくとみんな私たちのことを
すごく大切にしてくれるじゃないですか?だからつい頑張り過ぎちゃうっていうか」
「う〜〜〜ん、そう思ってもらえるのは俺たちマネージャーとしてはありがたいんだけどさ。
でも、やっぱりからだは大事にして欲しいよ」
ステーキを食べながら、ふたりはとりとめもない会話を続ける。
(こんな風にゆっくりカナミちゃんと話したコトって、最近あんまなかったよな)
思えば最近は忙しすぎてカナミの話を聞けていなかったとヒロキは反省したりしていた。
「もぐ。でもホントに美味しいですね、ココ」
「でしょ?今度シンジ君も誘ってみんなで来ようか?」
「え〜〜〜〜、でも良いんですか?」
「はは、だっていつもシンジ君にはお世話になってるからね」
「意地悪言っても良い?ヒロ君」
「?なに」
「アキちゃんが一緒でも、大丈夫?」
「!………それは、まあ、大丈夫だけど」
「ふふッ、冗談ですよッ♪」
「………ちょっと、カナミちゃん?」
「あはは、ヒロ君ってばか〜〜わいい♪」
言うなればアキのスカウト失敗のおかげでカナミという人材を獲得できたわけだが、
今もなおアキに会うと少々複雑な思いになってしまうのは、
自分の心の中にまだ彼女に対する未練が残っているからだと、ヒロキも自覚はしていた。
(未練、か…………俺ってやっぱ女々しいのかな)
ヒロキとしては認めたくないが、もうひとつ自覚していたことがあった。
それは、アキに対する未練の中にはほのかな恋愛感情が混じっていた、ということだった。
「あ、ゴメンなさい、怒っちゃった?ヒロ君」
「ん………いや。そこまで子供じゃないよ」
思いを巡らせて沈黙したヒロキの顔を、心配そうにカナミがのぞきこんできた。
(多分………いや、間違いないよな。カナミちゃんって、結構鋭いし)
自分のそういう感情は、とうの昔にカナミに見破られているのだろうとヒロキは思い、苦笑しながら口を開く。
「だけど今日久しぶりに会って思ったけど、矢野さんすごく幸せそうだったし、キレイになったよね?」
「あ、そうですよね。やっぱセックスすると女の子ってキレイになるのかな?」
「………それ、迷信だから」
いつもどおり下ネタで落すカナミになぜか安心しつつ、ヒロキはツッコミを入れる。
「でも恋をするとキレイになるってのは本当ですよね。アキちゃん、最近すごく可愛いもん」
「それはさ、やっぱり相手の目を意識してオシャレしたり、色々気を使うようになるからじゃないかな?」
「あ〜〜〜あ、いいな〜〜〜、アキちゃん。私もキレイになりた〜〜〜い」
「カナミちゃんは今でも十分可愛いよ。今日会った由田さんや石嶺さんも言ってたし」
「えへへ、私って年上受けするのかな?現場でもオジサン世代の人が可愛がってくれるんですよ」
「どうだろう?この前あった握手会は普通に若い男の子ばっかりだったじゃん」
「そう言えばそうだったかも。でも私のファンの人ってすごくマトモな人ばっかりですよね?
シホちゃんやカルナちゃんに聞くと危なそうな人もたまにいるって話なのに」
「それは………マイちゃんやTBくらいメジャーになると少しばかりアレなファンも多くなってくるのは確かだけど」
「う〜〜〜ん、私はまだまだってことですね」
§
「いや、そういう意味じゃ」
と言いつつ、実はファンの傾向を見ながらヒロキには気付いていたことがあった。
世間一般では『城島カナミ』は優等生的なタレントのイメージが先行しており、
年齢層が上の―――言ってみればカナミの親世代の層からも好感を得ているようだということを。
(確かにカナミちゃんって下ネタさえ言わなきゃウチの子の嫁に、って感じだよな。
家事は万能だし、明るいし、人懐っこいし。そのあたり狙って朝の連ドラとかオファーできないかな?)
いかにもマネージャー的なことを考えてしまうヒロキだが、
カナミは彼の思案顔を別な意味で受け止めてしまったらしく。
「悩まないでよ、ヒロ君!私、頑張るから!もっともっと!」
「い、いや別に悩んでないよ。カナミちゃんは今でも頑張ってるって」
「ううん、絶対今より頑張るからね!」
(ま、こういう前向きなところもカナミちゃんの魅力なんだけどさ)
力強く言い切るカナミの表情を見て、改めてそう思うヒロキ。
「じゃ、頑張るためにはしっかり食べようね?シーフードサラダもどうぞ」
「はい!いただきます!」
ちょっとふざけたような笑顔で、シーフードサラダを食べるふたり。知らない人間が見ればそれは、
仲の良い兄妹のような。少しだけ年の離れた、恋人同士のような親密な空気だった。
「じゃそろそろ行こうか?カナミちゃん」
「うん、ヒロ君!」
並んだ料理を全て平らげた後、カナミがトイレに立って帰ってきたタイミングでふたりは店を後にした。
「ふう〜〜、しかし久しぶりにこんな食べたかな、俺も」
「えへへ、私も♪」
しばらく満腹感による、のんびりとした空気が車内を支配していたが――――
「ヒロ君!」
「ん、なに?」
「ちょっとだけ、ドラマのセリフ合せに付き合ってくれないかな?」
「いや、でも今日はもう遅いしさ」
「次の収録来週だもん。ねえ、お願い!お兄ちゃんにはさっきメールしておいたから」
「え〜〜〜っと、それは」
「お・ね・が・い!」
「…………しょうがないなあ。でも場所とかどうする?事務所に戻る?」
「ありがとう、ヒロ君!場所ならね、いいところ知ってるんだ、私」
「でもそこ、近いの?あんまり遠いのは」
「うん、車ならすぐだから!」
カナミの少々強引な願いを、渋々ながら引き受けたヒロキは彼女の指示通り車を走らせる。

やがてふたりが着いたのは、人気の全くない、山林公園の一角だった。
「へえ〜〜〜、小笠原町にこんなとこがあったんだね」
「へへ、びっくりしたでしょ?お天気の良い日は町が見渡せて、最高なんだから」
「うん、今でも夜景がキレイだよね」
「夏場なんかはアオカンの人気スポットらしいんだけど」
「…………どこで君はそういう情報を」
「それはナイショ♪じゃ、セリフ合せお願いね、ヒロ君。はい!」
「あ、ああ」
呆れかえるヒロキをなぜか満足そうに眺めた後、カナミが台本を渡してきた。
それを受け取ると、ヒロキは外灯の薄い明りに文字を照らしながら目を通してゆく。
「え〜〜〜っと、ちょっと素人には難しいけど」
「大丈夫、ヒロ君はただ読んでくれればいいから」
「ん。じゃ、『そうですか、あなたのお姉様がここで亡くなられたわけですね』」
「結構上手じゃん、ヒロ君。『はい。あの頃私はまだ小学生でしたから、突然のことに驚いてしまって』」
「『お察し致します。しかし逆に幼い頃だからこそ、鮮烈な記憶として残っているということはありませんか?』」
「『い、いえ………それは』」
ひとたび役作りに入ってしまえばカナミはあっという間に集中し、朗々とその役を演じ始めた。
ヒロキもそんな彼女に引き込まれるように、必死でセリフを追ってゆく。
そして、気付いた頃にはそれなりの時間が過ぎてしまっていた。
§
「わ、もう十時近いよ、カナミちゃん」
「あ、ホントだね」
「さすがにもう帰らないと。乗って」
「うん!」
カナミを車に乗せ、ヒロキは発車しようとシフトレバーに手を伸ばそうとしたが―――
「?どうしたの、カナミちゃん」
その手の甲に、柔らかくカナミが手を被せてきた。少しだけ驚くヒロキだが、彼女は囁くようなちいさな声で。
「今日はありがとうね、ヒロ君」
「いや、今日は逆にこっちがお礼を言わなきゃいけないくらいだよ。急な仕事ばっかり頼んじゃったし」
「ううん、全然だよ。なんだかパワーをもらっちゃったから!
それよりね、ヒロ君………私、恋しちゃったみたいなんだ」
「え?ま、まさか気になる人とかできたわけ?それ、事務所的には」
「ダメなの?」
「そりゃそうだよ!その人に告られたとか、そういう状態なわけ?それとももうお付き合いしてるとか?」
「ううん。まだ、私の片思い」
「なら、まあ………いや、でもちょっとどうなの?君にもプライバシーがあるわけだから、
答えたくなければそれ以上は俺も聞く気はないけど、その」
「ふふふ、そういうところ、ヒロ君らしいよね」
「からかわないでって。今はそれどころじゃないよ!まさかその相手って、同業者さん?」
「………片思いの相手はね………」
「!?瑤─」
"ちゅ"
悪戯っぽく微笑むと―――カナミが、身を乗り出して頬にキスをしてきた。
驚くヒロキだが、彼女は少しだけ顔を赤くして、恥ずかしそうな表情で。
「………好きになっちゃったんだ、ヒロ君のこと」
「ちょ、ちょっとカナミちゃん?」
「ね、ダメ?私、本当に好きなの」
「ダメっていうか、いや、やっぱりその。気持ちは嬉しいけどさ、でも。え?えええ?」
「えへ、あのね、ヒロ君いつも優しいし、頼りになるし、でもちょっとドジで、年上なのに可愛くて。
なんだか、お兄ちゃんにちょっと似てて………ずっと前から、良いなって思ってたの」
「だけど君はアイドルであって、俺は君のマネージャーなんだよ?やっぱりそれは、マズイって」
「それは分ってるの。ね、ヒロ君?私、このお仕事好きだよ?
今日みたいな大変なこともいっぱいあるけど、でもすごくやりがいがあると思う」
微笑みながら、カナミはヒロキに語りかける。それは、混じりけのない、純粋な、美しい笑顔で。
(………やっぱり、可愛いな、カナミちゃん………)
突然の緊急事態に混乱するヒロキだったが、そのときはただ、そう思っていた。
「でもね。もしヒロ君が私のことを見守っていてくれなかったら、こんなに頑張れないの。
今日、そのことにはっきり気付いたの。私はヒロ君が好きだから頑張れるって、そう思ったから」
ふわ、とカナミが頭を預けてきた。
「か、カナミちゃん?」
「ヒロ君がずっと側にいてくれて………恋人になってくれたら、私、もっと頑張れるんだけどな」
「でも…………俺」
「ダメ?ねえ、もしかしてヒロ君、まだアキちゃんのこと」
「違うよ。本当は………俺、怖いんだ」
「…………社長が?」
「いや。…………もしかしたら矢野さんに聞いてるかもしれないけど、
俺、昔酷い失恋しちゃってさ。それ以来、ちょっと恋愛に臆病になっちゃってるんだ」
「ちょっとだけ、アキちゃんに聞いた。そんなに好きだったの?その人のこと」
「うん。でも別れたときは、そこまで好きだったなんて思わなかった。突然だったし、
それまではずっと上手くいっているって思ってたから。でも………ダメだったんだ。
思っていたよりも全然、俺はあの人のことが好きだった。そのことに、あの人がいなくなってから気付いたんだ」
(あ…………そう言えばカナミちゃんって、少し)
ふと、ヒロキは思った。目の前にいる少女に、かつて愛した人の面影があることを。
(アイさんも………明るくて、笑顔が可愛くて、ちょっととぼけたところがあって………)
思い出していた。アイと過ごした日々を。それは、ヒロキにとってかけがえのない幸せな時間だった。
§

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