四月初旬、すなわち新年度。
年明けとはまた違った趣きはあるが、心機一転という四文字熟語がふさわしい頃あいだ。
この時期、改まったその心を優しく包み込んでくれる花がある。
そう、桜だ。
地域によって開花の遅い早いはあれど、四月、日本列島はこの花によって鮮やかに彩られる。
「いい天気で良かったな」
「ほんとだね」
 小久保マサヒコと天野ミサキの二人は、東が丘公園の一角にいた。
ここも桜の木が多く、本咲きのちょっと手前ながら、日曜日ということもあってたくさんの花見客が訪れていた。
「っと、ここだな」
「うん、そうみたい」
 マサヒコとミサキが足を運んだのは、公園の最奥、ちょっと小高い丘になっている場所。
ここにはポツンと、まだ若い桜の木が一本ある。
東が丘公園の桜は中央の噴水周りと入口付近に集中しており、他はぽつりぽつりといった程度。
公園の隅はただでさえ人の足が入りにくい上に、桜そのものも小さいのが一本だけとあって、所謂穴場的なところになっていた。
「成る程……確かに小さい桜だな」
「うん、でも誰もいないね」
「ああ、中村先生の情報は正しかったんだな」
「早速シート敷く?」
「そうだな」
 マサヒコとミサキは、二人で公園にデートに来たわけではない。
二人にしてみればやや残念ではあったが、召集をかけたのが中村リョーコとあっては仕方ないと言えた。
花見にしろ何処に遊びに行くにしろ、見知った顔で動く時は基本的にリョーコが呼びかけ人になるのが常となっている。
もっとも、責任者はアイなりミサキなりになってしまうことが多いのであるが。
「皆はどれくらいかかるって?」
「さあ……コンビニに寄るって言ってたから、まだ二十分くらいかかるんじゃないかな」
 マサヒコとミサキは、この四月で高校三年生になった。
中学を卒業し、マサヒコはアイと、そして的山リンコはリョーコと、教え子と家庭教師の関係を解消した。
さて、そこで疎遠になってしまったかと言うと、さにあらず。
銀行員というお堅い職に就いたリョーコであったが、
これがもう休みとなるとピポパと携帯でアイと教え子連に連絡を取り、無理矢理集めては遊びに出るという、
結局前とほとんど変わらない関係を続けることになった。
両親の仕事の事情でアメリカに移住していたアヤナが一年後帰国すると、
さらに加速がかかり、一か月に二度三度もいつもの面子で出かける、という状況なのだった。
「お弁当、まだ広げるのは早いかな?」
「若田部と濱中先生も作ってくるんだろ? みんなが来てからでいいんじゃないか」
「あ、う、うん。そうだね」
 ちょっとしゅんとするミサキ。
ミサキもお弁当を作ってきており、マサヒコにぜひとも上げた腕前を褒められたかったのだ。
場所取りで先行し、二人だけになれた時間だからこそ、少しでもマサヒコにアピールしたいミサキなのだった。
こういった乙女心にマサヒコがもう少し敏感であれば、二人は中学卒業よりも前につきあうことが出来ていたであろう。

「桜の幹の側に寄せるか、シート」
「うん、ちょっと坂になってるしね」
 高校入学直前、ミサキから告白する形で二人は恋人同士になった。
その後、着実に愛を積み重ねては来ているが、
今日のように休日はリョーコの強制召集が入ることがあるので、
二人きりでデートする機会がちょっとないのが寂しいところだった。
まあ、休みの日以外でべったりなので、贅沢と言えば贅沢ではあるが。
「とりあえず、お茶だけくれるかな」
「あ、うん」
 シートの上に腰を下ろすと、マサヒコはお茶を要求した。
それを受けて、ミサキは水筒からコポコポとお茶を二つの紙コップに注ぐ。
もちろん、ひとつは自分のだ。
「あ」
「おっ」
 その時、ふわりと風が吹き、頭上からピンク色の花びらが二人に数枚落ちてきた。
そして、それぞれのコップに一枚ずつ、花びらが零れてお茶に浮く。
「……中村先生じゃないけど、こういうのはお酒の方が風情ってやつがあるのかな」
「さあ、どうだろう」
「ふふ……マサちゃん、乾杯しよ」
「ん? あ、ああ」
 紙コップなので、チーンという澄んだ音はしなかった。
これも風情が無いと言えば無いわけだが、さすがにかさ張るグラスを持ってくるわけにもいかないので、仕方のないところであろうか。
「ふふっ」
「……」
 そっと、ミサキはマサヒコの右肩にもたれかかるように身を寄せた。
マサヒコは照れを隠すように茶をすすりながら、それを受ける。
「うふふ……」
「……ははっ」
 目を合わせ、穏やかに微笑むマサヒコとミサキ。
二人の頬は、頭の上で揺れる桜と同じように、ほんのりと色づいていた。


「……と、いうわけでー。さぁて、どのタイミングで出ていったらいいもんかしらねえ、アイ?」
「私としてはもう少し様子を見てからの方が」
「構いません、今すぐ行きましょう!」
「アヤナちゃん、怒ってるの?」
「お、怒ってないわ!」
 さて、マサヒコとミサキがいる隅の桜から離れること二十メートル。
これもあともう少し日にちが経てば燃え咲くであろうツツジの植え込みの陰に、
後続部隊の中村リョーコ、濱中アイ、若田部アヤナ、的山リンコの四人が潜んでいる。
で、何をしているのかというと。
「あ、お茶を注ぎ直したみたいね」
 ご丁寧に、紙コップの底を抜いてそれを目にあて、望遠鏡の代わりにするリョーコ。
彼女の上着の右ポッケにはデジカメが入っており、
それの望遠機能を使えばいいのだが、どうやら彼女はそれに気付いていない様子である。

「ミサキちゃん、何か手慣れてません?」
「酒じゃないから色気がないけど、ふふん、生意気にそれっぽいじゃないの」
「お姉さま、濱中先生、行きましょう早く!」
「やっぱりアヤナちゃん、怒ってるよう」
 時間的距離にしておよそ二十分、マサヒコとミサキから遅れているはずの四人だったが、
実は目的のコンビニよりも手前に別の商店を発見、そちらで買い物を済ませたので、かなり短縮が出来たのだ。
そして、公園の入り口で先行する二人の背中を捕捉したものの、
リョーコの悪戯心がここで発動、「このまま合流せずに二人の様子を伺いましょ」となったというわけだ。
自身の過去から純愛というものにいささか心穏やかでいられないリョーコであるが、
そこはそれ、マサヒコとミサキは実に彼女にとって楽しい『観察対象』でもあるのだ。
「あ、ちょっと風が出てきましたね、先輩」
「そうね、って、おおっ!? マサヒコがミサキの肩を掴んだ! これはもしかして……!」
「な、な、風紀が乱れてるわっ! わ、私はもう行きます!」
「わわ、待ってアヤナちゃん!」
 弁当やら飲み物やらを傍らに置き、植え込みでキャアキャア騒ぐ若い女性のグループ。
距離からしてマサヒコたちには聞こえてはいないが、
それでもこの植え込みの背後は公園の遊歩道がある。
「と、思ったら何だ、肩についたゴミか何かを払ってやっただけか」
「い、いくら二人が恋人同士でも、公園でキスはしないんじゃないですか?」
「甘いわアイ、公園て行ったらキスどころかアオカンと相場が決まってるのよ」
「今、お昼なんですけど」
「時間は関係ない」
「ひ、ひ、卑猥で淫猥で乱れてます、あの二人がそんな気を起こさないよう、一刻も早く割り込んで……!」
「アヤナちゃあん、何か顔が桜よりピンク色になってる」
 何をやっとるんじゃいな、と疑惑の視線を四人に投げかける、遊歩道を行く掃除婦と犬を散歩させている老人。
しかし、そんなことはまったく感知せず、ひたすらマサヒコとミサキをデバガメする四人なのだった。


「遅いなあ……みんな」
「私は、もうちょっと遅れてくれた方がいいなあ」
「まあ、な」
「ふふ、マサちゃん……」
 覗かれているとも知らず、マサヒコとミサキはすっかり恋人モードに突入中。
桜の幹を背もたれ代わりにして、互いに肩を寄せ合い、桜の花を鑑賞している。
「キレイだね……」
「そうだな……」
 春の優しい風が、二人の上に目の前に、薄桃色の花びらを降り注がせる。
まるで、ライスシャワーのように―――


 F   I   N

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