「ねーねー、聞いた聞いた?」
 朝一番、レイ・プリンセス事務所に飛び込むなり、
おはようの言葉もなく、飯田シホは早口でまくしたてた。
「聞いたって、何が?」
 有銘ユーリがシホに問い返す。
その横で、如月カルナも「?」といった感じに首を傾げる。
「元アフタヌーン娘。の久慈ちゃんがデキちゃった婚てやつ!」
 ちなみに、現在は午前九時半。
今日は仕事の打ち合わせで事務所に集合になっているのだが、その待ち合わせ時間は九時である。
つまり、シホは堂々遅刻をしてきたわけだが、これはもう日常茶飯事になっていたりなんかする。
共同生活中は、時間や約束にうるさいカルナが取り仕切るため、シホだけが遅れて登場するということはない。
だが基本的に共同生活を営むのはレコーディングやコンサートなど大きな仕事の前だけで、
通常はそれぞれの家に帰っているため、ユーリとカルナの二人が事務所でシホ待ち、という状況が度々ある。
「あ、朝のワイドショーでやってたねー」
「相手は確か若手俳優だったわね」
「そうそう、えーと、ミラクルマンコ、スモの主役の人」
「中途半端なところで言葉を切るな」
 ユーリとカルナも慣れてきたもので、噛み癖はともかく、遅刻に対してはいちいち突っ込まない。
年長者であるカルナはシホが時間を間違える度に注意をしてきたのだが、
シホがマイペースで一向に反省の態度を見せないので、半ば諦め、
問題さえ起こさなければいい、と最近では思い始めている。
「……シホちゃん、自分の荷物は自分で持っていけよ」
「あ、ごめーん」
「謝るくらいなら最初から……って、ちゃんと二人にも謝ったか、遅刻のこと」
「うーい、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでしたー」
「……真摯さが感じられんな」
 シホに遅れること数分、TBのマネージャーである井戸田ヒロキが事務所に入ってきた。
彼は別に、遅刻してきたわけではない。
寝坊したシホを車で迎えに行き、その車を駐車場に停めに行っていたため、最後に顔を出すことになったのだ。
「はい、皆おはようさん」
 柏木レイコが、コーヒーのカップを片手に、四人の前に現れた。
今日の打ち合わせは、彼女と事務の三瀬エリコを含めた合計六人で行うことになっている。
「あ、しゃちょー! 遅れてすみませんでしたー」
「はいはい、次から注意するように。内輪の打ち合わせだからいいけど、仕事だったら大目玉よ」
「はい、申し訳ありませーん」
 シホもさすがに、レイコには素直に頭を下げる。
この辺り、案外この娘は要領がいい。
「で、、しゃちょーは知ってます? 久慈ちゃんのこと」
「当然知ってるわよ、同じギョーカイのことだもの」
「デキちゃった婚ってことは、当然ヤルことヤッてたってことですよね、久慈ちゃん」
「そりゃあ、ヤラなきゃデキないからね」
 レイコはカップをテーブルの上に置くと、タバコを取り出して火をつけた。
「多分今頃、あっちの事務所はてんてこまいでしょうね。会見は開かなきゃならないし、スケジュールは見直さなければならないし」
「あ、そうか、そーですね」
「……でも、人ごとじゃないわよ。アナタたちも注意しなさいよ」
「えっ?」
「前々から言ってるでしょ、アイドルは夢を売る仕事なの。そっち系のアクシデントはご法度なんだからね」
 砕けた口調から一転、真剣な表情でシホたちに語るレイコ。
彼女の言う通り、今回のデキちゃった婚報告は、言ってみれば完全に事故そのもの。
ファンや関係者にしてみると、晴天の霹靂以外のナニモノでもない。
「自由に恋愛や結婚出来ないってのは不自由でもあるけど、芸能界はそういうところなのよ」
「はーい」
「はぁい」
「……わかりました」
 頷く三人。
少なくとも、彼女たちは今のところ、そちら系のアクシデントとはまったくの無縁である。
何しろ、相手がいないのだから。
712 名前: ピンキリ ◆UsBfe3iKus [sage] 投稿日: 2007/05/12(土) 01:54:29 ID:p+UVR/uk
「特にカルナは注意しなさい、恋愛云々以前に、アナタくらいの歳になると色々と男に目をつけられやすいから」
「はい」
「ユーリとシホも油断してちゃダメよ、このギョーカイはアブない趣味のオジさんがわんさといるんだし」
「はい、ロリコンオジサンってやつですね?」
「……社長、何で私はユーリとひとくくりなんですか?」
 何となく、納得出来ない表情になるシホだったが、
実際まだ彼女は中学生で、尚且つ体格もグラマーではない(ユーリが言うところの「熟れてない身体」)ため、
十分に特殊性癖者の対象内である。
「さ、おしゃべりもここまで。先に会議室に行ってなさい。私と三瀬は資料持って後から行くから」
「はーいっ」
「よし、じゃ、行こうか」
 ヒロキに先導されて、三人は会議室へと入っていく。
「……」
 彼女たちの背中を、タバコを吹かしつつ、見つめるレイコ。
「……あの年頃は、すぐに大きくなるわね」
「え、何か言いましたか、社長?」
 資料を両手に抱えた三瀬エリコがレイコの側を通りかかり、その呟きを耳に止め、問いかける。
「いいえ、別に」
「はあ」
「で、資料は揃ったの?」
「あ、は、はい、今プリントアウトしているので最後です」
「そう」

 レイコはふと、思った。
TBに関しては、一番身近にアクシデントの素がいるのではないか。
マネージャーの井戸田ヒロキ。
彼が将来、TBの三人のうちの誰かと「いい関係」になる可能性は、下手をすれば余所の俳優や歌手以上にあるかもしれない、と。
アイドルとマネージャーの恋愛については、事あるごとにレイコがヒロキに釘を刺した。
ヒロキ自身も好みは巨乳のお姉さんと言ってはばからない。
だがしかし、どう転ぶかわからないのが、人の感情だ。
「……ほとんど勢いで彼をマネージャーに任命したけど、もしかしたら爆弾の近くでマッチを擦るようなもんだったかな」
 レイコは、ほう、と煙を吐き出すと、タバコを灰皿に押しつけた。
「ま、どうなるかは出た賽の目次第、か。『申し訳ありませんでしたー』で済むようなレベルだったらいいんだけど」
 まったく、タバコの火のように、この種のアクシデントは簡単に揉み消せはしない。

「三瀬、まだ?」
「は、はい、今終わりました!」
「よろしい」
 レイコは立ち上がると、コップを手に取り、冷めきったコーヒーを喉の奥に流し込んだ。
「じゃ、とっとと打ち合わせをするとしましょうか」
 
 レイコとエリコは、資料を手に、四人が待つ会議室の扉を開ける。
二人の背後、机の上の灰皿から、完全に消えなかったタバコの煙がすぅとあがり、天井へと細く昇っていく―――。

    F  I  N

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