12月24日、それはクリスマスイブ。
今年は丁度日曜日ということもあり、例年以上の賑わいを街では見せている。
高級レストランやホテルは全て予約でいっぱいだし、ケーキ屋さんもおもちゃ屋さんも大繁盛だ。
さすがにこの日ばかりは世の中のお父さんもちょっと一杯ひっかけていこうなどとは思わず、
定時で仕事を切り上げていそいそと帰路へとつくことになる。

 さて、中村リョーコのマンションでも、ささやかながらではあるがクリスマスパーティが開かれようとしている。
お祭り好きイベント好きの彼女が、こんな絶好の機会をみすみす逃すような真似をするはずがない。
それに何より、明日は彼女の誕生日でもあるのだ。
「よっしゃ、メリー・クリトリ〜ス!」
「しょっぱなからやめて下さい」
 リョーコのマンションに集まったのは、部屋の主であるリョーコ以外では、
濱中アイ、天野ミサキ、的山リンコ、そして帰国中である若田部アヤナといった面子だ。
小久保マサヒコは家庭の事情で遅刻、豊田セイジは風邪をひいて欠席となっている。
親戚が家に来ていて身動きが取りにくいマサヒコはともかく、セイジの風邪は多分に偽りのニオイがするが、
リョーコはあえてセイジを強引に引っ張ってくるようなことはしなかった。
本当に風邪ならうつされると困るわけだし、無理に呼んだとしてもアイやミサキたちが絡みにくかろうと思ったのだ。
おそらく、数日後にセイジはこってりと絞られることだろう、いろいろな意味で。
「よし、まずは乾杯といきましょう」
 リョーコはそう言うと、大きなシャンパンのボトルを取り出した。
さすがにここはホストクラブでもF1の表彰台でもないので、シャカシャカ振ってボーンと開けるなどということはしない。
いや、と言うより出来ない。
何故なら、すでに栓が開いているからだ。
無類の酒好きのリョーコが、皆が集まる前に一人でちびちびと飲んじゃっていたのだ。
「え、でもノンアルコールじゃないんでしょ?」
「お姉様と濱中先生以外は未成年なんですけど」
 ミサキとアヤナが優等生発言を飛ばすが、そんなものを聞き入れるリョーコではないわけで。
「なーに言ってるのよ、私はこの部屋の主、主の命令は絶対、よって日本の法律は無効、というわけで飲め」
「三段論法にすらなってませんけど」
「うっさいわね、リンコを見なさいよ。準備万端じゃない」
 リョーコの言う通り、リンコはニコニコ顔でグラスを両手で持ち、シャンパンが注がれるのを今か今かと待っていた。
もし彼女に尻尾がついていたとしたら、左右にパタパタと振られていたことであろう。
「ちょっと、リンちゃん」
「えへへ」
 ミサキは咎めるような目つきをしたが、リンコはまったく意に解さない。
と言うより、全然気にしていない。
「いいんじゃないかなあ、だってクリスマスなんだし」
「そんなの理由にならないわ。濱中先生も何か言ってあげて下さい」
「本当はダメだけど、今日くらいならいいんじゃない?」
「ええ?」
 アヤナの振りを、あっさりと流してしまうアイ。
この辺りの鷹揚さはさすがとしか言いようがない。
「はいはい、年長者二人が許可したんだから問題なし! ほりゃ、カンパーイ!」

 こうして、クリスマスパーティが始まった。
波乱のクリスマスパーティが。


「ところでミサキ、マサとはどこまで進んだ?」
 リョーコがこの質問をしたのは、パーティが始まってから一時間程経った頃だった。
「……マサちゃんと、ですか」
「そうそう」
 小久保マサヒコと天野ミサキがつきあっているということは、当然この場にいる皆が知っている。
中学卒業を前後に、二人は幼馴染からも卒業し、晴れて恋人同士になったのだ。
「あー、私も知りたーい」
 リンコがシャンパンのグラスを片手にひょいと手を挙げる。
その頬はすでにアルコールのせいでリンゴのように真っ赤になっている。
いや、リンコだけではない。
リョーコを除く全員が顔を赤く染めている。
「……私も知りたいわね」
「私も」
 リンコに同意を示すアヤナとアイだったが、これがもし素面なら、違った言葉を口にしたことだろう。
「ほーら、皆聞きたがってるわよ」
 ニヤリ、と笑ってミサキを促すリョーコ。
「ふふふ、ほらほらほら」
 実は、この流れは全てリョーコの策略である。
マサヒコが遅れてくると知った時から、仕掛けようと企んでいたのだ。
アルコールを利用してエロ方面にスムーズに話を持っていく、その技術に関してはリョーコは一級クラス。
それに突っ込みマスターのマサヒコがいない以上、ミッションの難易度はさらに下がろうというものだ。
「わかりました、話してあげます」
 正座になり、背筋をしゃんと伸ばすミサキだったが、目の方は完全に据わっている。
「じゃ、まずは初体験から話してくれるかしら?」
 心の中でガッツポーズを取りながら、リョーコはミサキのコップに泡が出る琥珀色の液体を注ぎ込んだ。
それを、ミサキはコクコクと息継ぎもせずに一気飲みする。
「ぷはぁ……」
「いい飲みっぷりじゃない」
「……もう一杯いたらけますか」
「はいはい」
 リョーコはミサキだけでなく、アイ、リンコ、アヤナのコップにもビールを注いで回った。
二十分程前にシャンパンのボトルが空になってから、リョーコはこうして皆にビールを飲ませていたのだ。
無論、彼女の策謀―――マサヒコとの進展具合をミサキ自身に告白させる―――を成功させるために。
「……マサちゃんに始めて抱かれたのは、暑い暑い真夏の日のことでした」
 ミサキはついに語り始めた。
酒で滑らかになった舌を動かして。


  ……私は、この日ある予感がしていた。
 今日は特別な日になる、と。
 そして、実際その通りになった。
 私は、マサちゃんに始めて抱かれたのだ。
 窓の外ではミンミンとうるさいくらいにセミが鳴いている、とっても暑い夏の日のことだった。
  その日、私とマサちゃんは、私の部屋で夏休みの課題に一緒に取り組んでいた。
 マサちゃんがわからないところを私に聞き、私がそれを教えるという形で進んでいった。
 確かに私の通う聖光女学院は進学校だし、マサちゃんの英稜高校よりは『上級』と世間一般では認知されている。
 でも、両校のレベルにジャガイモのヨウ素デンプン反応とディラック方程式ほどの開きがあるわけじゃない。
 だいたい、同じ高校一年生なのだから。
  午前中は現代文、昼食後は英語に取り組んだ。
 そうそう、この日の昼食は私が作ったの。
 インスタントラーメンなんかじゃなく、ちゃんとしたのを。
 そう、スパゲッティを茹でて一緒に食べたんだ。
 ……ミートソースはパックのやつを使ったんだけどね。
  英語も一段落ついて、私達はお茶にするこにした。
 お母さんが買ってきたケーキと、紅茶で。
 たわいもない話をしているうちに、私がどれくらい前からマサちゃんのことを好きだったかって話になった。
 この話、実は告白の直後にもしたことがある。
 つまり、この話をするのは二度目だった。
 私は、小さい時からずっとマサちゃんが好きで、
 幼稚園に通い始めた頃には、もう将来はマサちゃんのお嫁さんになるって決めてた。
 マサちゃんとおままごとで遊んだりしてる最中に、何度か「いつかマサちゃんのお嫁さんになるんだ!」って言った覚えがある。
 だけど、マサちゃんはそれを知らないって言うんだ。
 それは俺じゃなくてお前のお父さんだったじゃないか、って。
  ……まあ、そんなことで口げんかなんかしないんだけど、
 あまりにマサちゃんが「俺じゃない、お前の父さんと結婚するって言ってた」って言い張るもんだから、ちょっと悔しくなっちゃった。
 それで「ひどいよマサちゃん、私はずっと、ずっとマサちゃんのことが好きだったんだから……」って涙目で訴えてみたの。
 そうしたら、マサちゃんが急に真剣な顔になって、「ごめんな」と言ってぎゅっと抱き締めてくれた。
 そのまま二人で抱き合っているうちに、キスがしたくなって、私は目を閉じて……。


「……甘い甘い口づけを交わしました。ちょっと大胆な気持ちになった私はマサちゃんの膝の上にのり……」
 ミサキの話は続く。
羞恥心の堤防は完全に決壊してしまったようで、紡ぐ言葉に躊躇いがない。
それどころか、若干の陶酔を感じているらしく、蕩けた瞳には薄い悦楽の膜がかかっているように見える。
「耳をマサちゃんの胸に押しつけました。ひっく。マサちゃんの心臓の音が私の身体に火を着けたかのように……」
 記憶を言語に変換する能力は見事なものだが、
思考力そのものはアルコールのせいでかなりコントロールが危なくなっている。
ドラマのナレーションのように重々しい喋り方をしたかと思うと、ノロケるような砕けた口調にもなったりする。
時々、舌が空回りするのか、発音があやしくなる時もある。
「マサちゃんの手が私の腰にまわされました。瞬間、私は思いました。ああ、勝負下着穿いててよかったと……」
 最早、誰もミサキを止めようとしない。
アイもアヤナもリンコも、食い入るような表情でミサキの話に聞き入っている。
一人、リョーコだけが余裕の表情で、皆のコップに酒を注いで回ったりしている。
「『ミサキ……』『マサちゃん……』ああ、ついにこの日が来たのれす。ひっく、私のハジメテを奉げる日が……」
 ミサキの話は、続く。

                 ◆                     ◆

 さらに一時間が経った。
時計の針は午後八時を少し回ったところだ。
ここまで、ミサキはほぼノンストップでマサヒコとの情事の中身を喋り続けている。
初体験のこと、初めてマサヒコの部屋でセックスしたときのこと、
口でしてあげた時のこと、手でしてあげた時のこと、胸でしてあげたかったけど出来なくて悔しかったこと……。
交際を始めてまだ半年であり、セックスの絶対回数は少ないものの、
投稿系雑誌のページを軽く十枚は埋められるくらいの内容の濃さはあるだろうか。
初心者好きの人にはたまらないものがあることだろう。
「……うーん」
 ビールを喉に流し込みながら、リョーコは眉根を寄せた。
酒を飲ませてガードを下げ、ミサキに色々と告白させて楽しむという当初の目論見はほぼ成功している。
しかし、その内容があまりにもスイートであるがために、超ベタ純愛嗜好ではない彼女にとってみると、苛立ちも感じるのだ。
「……うぃっく。こうして初ラブホテルも大満足できたのです」
 アイたちはやはり、言葉を挟もうとはしない。
口を開くのは、酒を飲む時だけだ。
「さて、次で最後ですぅ。昨日の夜の話をしたいと思いまれす。ひっく」
 リョーコは手酌でビールを飲みながら思った。
こうなったら、最後まで喋らせるしかないな、と。


  ……明日はクリスマスパーティがあって、二人きりになることは出来ない。
 恋人同士でクリスマス・イブを過ごすというのにとても憧れがあったので、ちょっと残念。
 でも皆とワイワイ過ごすのもそれはそれで楽しいものだから、仕方ない。
 だーけど、やっぱり『二人だけのクリスマス』を体感したかった私は、マサちゃんに電話をかけて呼び出した。
 幸いと言っていいのか、家には私だけしかいない。
  「マーサちゃん!」と言って、扉を開けたばかりのマサちゃんに私は飛びついた
 背中に腕を回して、ぎゅっと抱き締めると、服越しにマサちゃんの体温がじんわりと伝わってきて気持ちいい。
 ずーっと感じていたい温もりってこういうのを言うのかもしれない。
  マサちゃんはちょっとびっくりしたような表情になっていた。
 まあ、確かにいきなりだったかなって思いはあるけど、誰も見てるわけじゃないからいいかな、なんて。
 うふふ、あの時のマサちゃんの顔ったら……。 


「……」
 リョーコはヒョイと立つと、キッチンへと向かった。まだ、とっておきの赤ワインが残っている。
背後では、ミサキの独演会が途切れることなく続いている。
話の内容が少し誇張気味になってきているのを、彼女は薄々感じてはいたが、
敢えて口に出そうとは思っていない。
ここまで来たら、ミサキには好きに喋ってもらったほうがいい。


  ……マサちゃんは私を軽々と抱えると、私の部屋のベッドへと連れていった。
 その逞しい腕の中で、これから起こることに私の胸は早鐘を打つかのように揺れていました。
  私を、まるで壊れ物を扱うかのようにそっとベッドに降ろすマサちゃん。
 こんなところにも、彼の愛を感じて、もう、何て言うか凄く幸せでした。
 「ミサキ……」「マサちゃん……」
 まずスタートは口づけから。常識よね。
 そしてマサちゃんは私の上着のボタンに指をかけると、ひとつずつ外していったの。
 ボタンが外れていく度に、心も一緒に露わになっていくようで、すごい解放感。
 「あっ……」と思わず私は低く声をあげてしまった。
 マサちゃんの繊細な指が、私のスカートの中に潜り込んできたから。
 指先が、トントン、トントンと私の一番敏感な部分を何度もノックしてきて、
 お腹の奥から熱い、とっても熱い何かがじわっと湧き出してくるような……。 


 ぐぐぐ、とアイ、アヤナ、リンコの三人は身を乗り出した。
昨日という最新の話のせいか、内容がとても生々しく思えたのだ。
コロコロ変わる口調が逆に、彼女らの興味を引き立たせてもいる。
「……ふーん」
 無論、経験豊富なリョーコは前のめりになぞならなかった。
セイジやその他の男との過去を語れと言われたら、もっともっと凄まじい話が彼女には出来る。
身を乗り出すどころか、引いてしまうような話が。


  ……私とマサちゃんは完全に生まれたままの姿になった。
 マサちゃんが私の全身に、キスの雨を降らしてくる。
 そのひとつひとつが、肌を通り越して脳の奥までズキュンズキュンと響いてきて、それだけでイってしまいそうなっちゃった。
 マサちゃんは腕を動かして、私の脚を大きく開かせた。
 もちろん、拒むことなんてしない。
 そしてマサちゃんは、私の秘部に顔を近づけたかと思うと、熱いお湯を冷ますかのようにふうふうと吹いてきた。
 自分でも、陰毛が揺れるのがわかった。
 次の瞬間、私は全身を強張らせた。
 マサちゃんがかぶりついてきたのだ。
 ぢゅるぢゅう、とってもいやらしい音が部屋に響く。
 もう、物凄く気持ちいい。これ以上気持ちのいいことなんてザラに無いと思えるくらい。
  舌だけでなく、指でもたっぷりと責められて私はベッドの上でくねくねとのたうった。
 新調したばかりのシーツが、私のいやらしいお露とマサちゃんの唾液、そして二人の汗で汚れていく。
 あそこだけじゃない、胸も、脇も、背中も、首筋も……マサちゃんの攻撃は留まることを知らない。
 別の場所を責める度に、私の精神は陥落して、快楽の海に堕ちて行く……。 


 何か下手なエロ小説みたいになってきたな、とリョーコは思った。
だがやはり、それを音声にするつもりはない。
彼女がやったことと言えば、自分と、そしてミサキのグラスにワインを注いだことぐらいだ。


  ……マサちゃんは私をゴロリと私をうつ伏せにすると、耳に顔を近づけてきて、
 「いくよ」って小さく囁いた。無論、嫌も否もない。私はこくりと頷いた。
  マサちゃんは私の腰を掴むと、持ち上げた。
 私は、お尻をマサちゃんに突き出すような格好になった。
 とっても恥ずかしいけど、でも、とっても気持ちいい。
 身体の奥の奥まで覗かれたような気分で。
 この格好、つまりバックだけど、本当はあまり好きじゃない。
 何故なら、マサちゃんの顔が見れないから。
 後ろからよりは、前から向き合って繋がるほうがいい。
 キスも出来るしね……。


 リョーコはすっかりふにゃふにゃになってしまったフライドポテトを摘み上げると、ポイッと口に中へと放り込んだ。
ミサキの話は、経験と知識がごっちゃになってしまっているようだった。
もしかすると、聖光の友達から聞いた体験話も混じっているかもしれない。
リョーコ自身、女子高のそういった方面の会話のエゲツナサは身をもって知っている。
もっとも、彼女の場合は聞き手ではなく発信源であったが。


  ……マサちゃんは休もうとしなかった。
 ひたすら、ただひたすらに私の身体を蹂躙していく。
 パン、パンと身体がぶつかりあう音が部屋中に響く。
 私の喘ぎ声がかき消されてしまうくらいに。
 「ミサキ、どこに出してほしい?」とマサちゃんが聞いてきた。
 私は喉の奥から、搾り出すように「中にちょうだい……」と答えた。
 大胆なことを言ったな、と後から思ったけど、実はこの時、マサちゃんはゴムをつけてたの。
 だから中には出せないんだよね。
  マサちゃんは当然、ゴムをつけてるのがわかってるから、私の要求には応えてくれなかった。
 「かけるよ……」とだけ呟いて、今まで以上の勢いで腰を突きこんできた。
 私はもう、何も考えられなかった。
 考えられるはずがない。
 あの快楽の渦の中で、まともな思考力を保つことなんて出来ない。
  やがて、山の頂が来た。
 私は全身に、静電気が走るのを覚えた。
 それがどれくらいキモチイイかって、言葉で表現するのは不可能だと思う。
 そして次に、氷漬けにされたかのように、すうっと身体が冷えていくのがわかった。
 私は、闇に放り出された。
  私は目覚めた。
 どれくらい気を失っていたかわからないけど、長くても多分一分くらいだと思う。
 私は何時の間にか仰向けにされていた。
 顎と頬、乳房の上辺りに、熱湯をかけられたみたいな熱さを感じた。
 その部分を、力の入らない腕を何とか動かして、指で辿ってみた。
 ネバッとした何かが、指に絡みついた。
 それを、天井の蛍光灯にかざしてみた。
 白い液体がこびりついた指の間から、ぼんやりとだけど、マサちゃんが優しい微笑みをしているのがわかった……。


「……で、私とマサちゃんは身体を清めるために一緒にシャワーを浴びたの」
 ぷは、と熱い息を吐いて、ミサキは舌をとめた。
手にしたグラスに口を近づけ、中に満たされている赤い液体を喉に流し込む。
「ふぃぃ……、はい、おしまいれす」
 たっぷり一時間半、ミサキの独演会は終わった。


「……天野さん」
「ふう?」
 ミサキの話が終わってから、しばらくは誰も口を開かなかった。
その中で、最初に口火を切ったのは若田部アヤナだった。
「天野さんは、しあわせ?」
 アヤナの頭が前後左右にフラフラと揺れている。
リョーコとアイを除いた未成年組では、一番アルコールを摂取しているのが彼女だ。
「もろちん、あやや、もちろん」
 ミサキは即答した。
「そう……じゃあ、小久保君をちょうらい」
「はあ?」
 突然のアヤナの言葉に、ミサキは「何を言いやがる」といった感じで背筋を伸ばした。
黙って聞いていたリョーコも、さすがにこのアヤナの台詞には驚いた。
「だーめ、マサちゃんは私のなの。ひっく」
「ずるいわ天野さん、天野さんだけしあわせなんてずるい」
「ずるくないよぅ。だってマサちゃんは私の彼氏なんだもん」
「だから、小久保君を私の彼氏にちょうらい」
「にゃ、にゃにおう」
 鼻先をぶつけんばかりの距離で、正対するミサキとアヤナ。
どこか、虎対竜を思わせる構図である。
 リョーコは、ビリビリとポテトチップスの袋を開け、中から一枚取り出して口に運んだ。
ミサキとアヤナは、袋を破る音に反応せず、視線を送ろうともしなかった。
「だって天野さんは小久保君を充分に堪能したでしょ」
「堪能、ってそんなの話がおかしいじゃない、理由が変じゃない」
「私も小久保君を堪能したいの、ひっく」
「ダメェ、ダメダメ、ダメー! マサちゃんは私のなんらから!」
「ちょうだい! ちょうだい! ちょうらいちょうらいちょうらい!」
 ポリポリとポテトチップスをかじりながら、リョーコは思った。
アルコールによって精神の堤防が崩れたのは、どうもミサキだけではなかったようだ、と。
 前々から、アヤナは時折マサヒコを意識するような言動をしていたが、
やはりというか何というか、心の底では好意を持っていたらしい。
本人が気づいていたかどうかはともかくとして、だが。
それが、アルコールとミサキの大胆告白によって、心の奥底から浮上してきたのだろう。
「マサちゃんは絶対、ぜーったいあげなーい!」
「天野さんのケチ! ずるい!」
「えへへ、ねぇ二人とも〜」
 と、虎と竜の間にウサギが割って入ってきた。
的山リンコというウサギが。
「えへへ、この三人の中で、一番小久保君と一緒にいる時間が長いのは誰でしょ〜」
「そんなの決まってるじゃないリンちゃん、私に決まっへる、ひっく」
「ぶっぶー、答は私、的山リンコでーすぅ。だって、同じ学校で同じクラスだもーん。ひっく」
 リンコの顔はミサキとアヤナに比べても、かなり赤い。
どうも、リンコはあまりお酒に強くないらしい。
「えへへー、だからミサキちゃん、小久保君は私にちょーらい」
「なん、な、な」
「ダメェ! 小久保君は私が貰ってアメリカに持って帰るぅ! ひっく」
 ミサキのトークショーから一転、虎対竜対ウサギのトリプルスレットマッチの場と化すリョーコの部屋。
リング、もとい部屋の主のリョーコとしては、いささかの計算違いを認めざるを得ないかった。
ミサキにマサヒコとの進展具合を喋らせて、それを楽しむつもりでいたところが、
随分とアルコールという薬が効きすぎたようで、アヤナとリンコにまで心の奥底を開帳させてしまった。
「えへへー、小久保君がクリトリスプレゼントだぁ〜」
「ぜーったいダメーッ! マサちゃんは、マサちゃんは私のなんらからーっ!」
「天野さんがくれないって言うんなら、奪ってやるぅ!」


「やれやれ、こりゃまいったわ」
 ぎゃあぎゃあと激論を戦わせる三人をグラス越しに覗いて、リョーコはふぅと息をついた。
とにかく、このままでは収拾がつきそうにない。
「いずれ酔いと疲れでやめるだろうけど、その前にどうにかして止めないと取っ組み合いになるかもしれないわね」
 リョーコは三人から視線を外し、まずテレビの上の時計に、そして次に玄関の方へと顔を向けた。
八時四十五分、そろそろ、それを止め得る男がやってくる頃合だ。
いや、あの男なら、このタイミングを外すはずがない。
本人が望むと望まざるとに関わらず。

 ……そうリョーコが考えた瞬間、玄関のチャイムが鳴った。

「遅れてすいません、従妹が放してくれなかったもんで……」
 チャイムの音、一秒、ドアがガチャリと開く音、一秒、そして言い訳の言葉。
「さすが、期待通り」
 リョーコは口の中で小さく呟く。
そして、赤ワインのボトルを傾け、グラスにトクトクと注いでいく。
もうすでに、彼女の目の前に、三人の姿はない。
「ぎゃああああああ……」
 玄関から聞こえてくる、少年の悲鳴。
「恋人は散々苦労す、ってか。そう言えばアイ、アンタは黙ったままだけど、マサのことどう思ってるの?」
 リョーコは傍らで、ずっと口を結んだままの後輩に話しかけた。
と、アイの顔がぐらりと動き、リョーコの肩に落ちてきた。
「あらら……」
 リョーコの耳に、すぅすぅと規則正しい寝息の音が届いてくる。
「成る程、そりゃずっと黙ったままなわけだわ」
 果たして、どの辺りから眠りの園に落ちたのだろうか。
リョーコもまったく気づかなかった。
冷静にミサキを観察していたようで、実際は結構のめり込んでいたのかもしれない。

「うわぁぁぁ……ちょっと待ってくれ皆、じ、事情を説明してくれぇ……」
 玄関から、また少年の悲鳴。
「もろびとこぞりて迎えまつれ、久しく待ちにしマサは来ませり、か」
 リョーコはドアに向かって、ワインが入ったグラスを掲げた。
いずれ、マサヒコがこの騒動を収めるだろうが、それまでは傍観するつもりでいる。
ミサキ、アヤナ、リンコの暴走を、彼は酒のせいだと片付けるだろう。
三人も、翌日以降に記憶が無ければそれでよし、あったらあったで、胸の内に封印することになるはずだ。
特に、アヤナとリンコは。
「いや……」
 ゆっくりとリョーコは赤ワインを飲み干していく。
もしかしたら、開き直って本当にマサヒコをミサキから奪い取りにいく可能性もある。
そうなればそうなったで、またリョーコにとっては楽しみの種が増えることになる。

「落ち着けっミサキ、若田部、的山っ、う、うわわ、だ、抱きつくなぁ!」
 リョーコは赤ワインを、全て喉の奥へと流し込んだ。
そして、空になったグラスを、人差し指でチーン、と弾いた。
「……メリー・苦しみます。マサ」

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