鏡の前で私は、最後のチェックを行う。
髪は整っているか?
服装に乱れはないか?
ルージュはちゃんとひけているか?
よし、おかしいところは無い。
携帯も持った。
財布も持った。
その他、細々とした物もしっかりバッグの中に入れる。
彼からプレゼントとして貰ったネックレスを首にかけ、準備完了。
オッケー、忘れ物は無い。
しかし、念には念をいれよ、だ。
部屋を出る前に、もう一度頭の中で再度確認を行う。
あ・・・。
やっぱり、アレ、要るかな・・・。
うん、要る・・・かもしれない。
タンスの二番目の引き出しを開ける。
所謂、コトの後に必要になる替えの下着。
出来るだけ可愛らしいモノを選ぶ。
何か、ちょっとだけ恥ずかしい。

さて―――これで、本当に用意万端、抜かり無し。
時計を見ると、針はデートの待ち合わせ時間の丁度20分前を指している。
これは、急がないとちょっと間に合わないかもしれない。
私は階段を、ドタドタと音がしないギリギリのスピードで駆け降りる。
玄関で靴を履くと、扉を開け、奥に居る母さんに声をかける。
「いってきまーす、ちょっと遅くなるかもしれなーい」
いってらっしゃいの返事は扉の向こう。
遅れるわけにはいかない。何せ、今日は久しぶりの、マサちゃんとのデートなのだから―――。

駅前の時計台が見えてくる。時計の表示は、待ち合わせの時間を既に5分程オーバーしている。
一刻も早く、その下で待っている彼のところへ行きたいのだが、
赤信号が最後の関門となって立ちはだかる。
しかし、乱れた息を整えるのには丁度いいかもしれない。
遅れそうになったので走ってきましたゼェゼェハーハー、
という姿を見せるのは、ちょっと嫌だ(遅れた自分が悪いのだけれど)。
バッグからハンカチを取り出すと、額とうなじに滲んだ汗を拭き取る。
信号が青に変わり、一斉に人が動き出す。
その中を、はやる気持ちを抑え、駆け足寸前の速さで歩く。
横断歩道を渡りきると、目的地は目と鼻の先。
居た。
ぼーっとした表情で、宙を見つめながら立っている。
彼の姿を見た瞬間、自制が効かなくなる。駆け足寸前、が駆け足そのものになってしまう。
彼もどうやらこちらに気がついた様だ。よう、という感じに手を挙げる。
あと10歩、あと5歩、あと3歩、到着!
「マサちゃん、待った?」
「いいや、別に・・・と言いたいところだけど、早めに来たからな。20分位待ったよ」
待ち合わせに女を待たせる男は最低、とはよく言うが、逆もまた然り。
ここは素直に謝るのが上策。だけど少し策を弄したいのも、また女心というもの。
「ゴメン・・・久しぶりのデートだったから、つい準備に気合を入れ過ぎちゃって・・・」
「ふうん・・・」
彼の視線を感じる。頭のてっぺんから足の先まで。
「その服、結構似合ってるな」
よし!と心の中でガッツポーズ。出遅れ分を取り戻すことに成功したようだ。
彼が―――マサちゃんがニコリと笑って、私に右手を差し出してくる。
「それじゃ、行こうか」

私は頷くと、マサちゃんの掌に、自分の掌を重ねた。

お互いの家が10mも離れていないのだから、
わざわざ待ち合わせをする必要など無いのかもしれないが、
待ち合わせはデートというものの必要欠くべからざる形式のひとつであり、避けて通ることは出来ない(?)。
今日は行き先は決まっていない。色々二人で考えながら過ごす時間が、また楽しくて嬉しい。

道中はお互いに近況報告を行う。
毎日顔はあわせなくても、電話でいっぱい話しているのだから、報告も何も無いのだが、
『直にお喋りをする』という行為こそが大切なのだ。
「若田部から手紙が来たんだって?」
「うん、元気にやってるみたい。友達もたくさん出来たって」
彼女は今、オーストラリアに居る。
若田部さんも私と同じ、聖光女学院に進学した。
そして二学期の始まりに、成績優秀者として半年間の交換留学の一年生代表に選ばれたのだ。
「的山と昨日駅で会ったよ。それにして、聖光の制服似合ってないな、アイツ」
そう、リンちゃんも聖光女学院に合格した。
本人曰く、中村先生に直前で教えてもらったヤマカンが全て当たった、とのことだが、
入学試験全科目でそれぞれ自己採点でオール95点以上というのは尋常ではない。
言っちゃなんだが、宝くじの一等当選券を道端で偶然拾ったようなもんだと思う。
「先生たちも忙しいらしいし・・・。でも、一度みんなで会える席を設けないとな」
中村先生は大学卒業後、英学グループが新しく開いた塾に講師として就職した。
リンちゃんを始めとして、受け持っていた教え子がことごとく上位の進学校に受かったとあって、
直々に英学グループから声がかかったらしい。指導力は兎も角、塾の風紀が乱れないか心配になってしまう。
アイ先生は大学の卒業論文に忙殺されているようだ。
それでも、家庭教師のアルバイトは辞めずに続けている。もしかすると、アイ先生も英学で仕事に就くかもしれない。
二人とは定期的に連絡は取っているものの、それぞれの都合もあって、
顔をあわせてゆっくり話をすることがなかなか出来ないのが残念なところだ。

お喋りをしている間、私はずっとマサちゃんの顔を見上げている。
私と同じ位の身長だったのだが、中学三年の夏休みが過ぎた辺りから段々と離されていった。
今ではアイ先生よりも1、2cmは大きいだろうか?
顔も随分と大人っぽくなった。
中性的な目鼻立ちはそのままに、男らしい凛々しさが上乗せされてグッと格好良くなった・・・と思う。
惚れた者の欲目では無いはずだ。
多分だけど。

私がマサちゃんに告白したのは、中学校の卒業式の時だった。
近くて、そして遠い、幼馴染という関係。
気負わず、臆せず、普通に仲良く話せる関係。
その居心地が良いばかりに、また、それを壊してしまうのが怖いばかりに、
マサちゃんへ自分の気持ちを打ち明けられないまま、中学の三年間を過ごしてきた。
もし進学先が同じ高校なら、臆病なまま、それまでの関係を続けることを選んだかもしれない。
しかし、私は聖光女学院へ、マサちゃんは別の高校へとそれぞれ進路が決まっていた。
4月からは別々の生活が始まり、日中に顔をあわせることは、全く無くなる。
その事実が重く圧し掛かり、私はもう気持ちを覆い隠しておくことが出来なくなった。

後で思い返してみるに、あれは果たして告白と呼べる代物だったのかどうなのか。
学校の校門で、生徒や父兄がたくさんいる中で、
涙を流した女の子が、男の子の胸倉を掴んで振り回し、
聞き取りづらい泣き声で「好き、好きだよお」と叫んでいる―――というのは、間違いなく告白の場面には見えない。
男の子の答えが、「お、オレも好きだから、は、離せ苦しい死ぬ助けてうげぼぐがぎ」
だったのだから、もうまるっきり脅迫だ。
本当は、体育館の裏に呼び出して、静かに想いを伝えようと考えていたのだけど・・・。
確実に言えるのは、「中学も卒業したし、大人の入り口に立ったってことで取り敢えずコレで景気つけなさい」と、
事の直前に渡された薄い小麦色の苦い液体に全ての原因がある、ということだけだ。

・・・本当、よく恋人同士になれたものだと思う。
広い世界中探しても、こんなやり方で付き合い始めるカップルというのは、そうあるものでは無かろう。

アクセサリーショップ、アミューズメントセンター、喫茶店、映画館。
通り一遍のプログラムかもしれないが、楽しいものは楽しい。
気がつけば、西の空が薄っすらと赤くなっている。
「今日はおもしろかったね、ありがとう、マサちゃん」
「そうか、天野が喜んでくれて、オレも嬉しいよ」
天野―――まだ、マサちゃんは私のことをそう呼ぶ。
名前を呼んで欲しい、と何度も口を酸っぱくして言ったのだが、気恥ずかしいとか何とかで、なかなか呼んでくれない。
まあ、まだ別にいいかな、と思う。付き合い続けて、もっと二人の距離が縮まれば、自然と呼び方も変わるだろう。

肩を並べて、商店街の中を歩く。
商店街を抜けると、横断歩道に出る。信号は赤。
家へ帰るためには、横断歩道の向こうのバス亭へ行かなければならない。見ると、丁度バスが停まっている。
信号が青に変わる。走れば、まだバスに間に合うかもしれない。
だけど、マサちゃんは動かない。私の掌を握る力が、少し強くなる。
「・・・天野」
マサちゃんが私の顔を見る。私もマサちゃんの顔を見返す。お互い、言葉は無い。
向こうに渡る人、こちらに来る人。
動いていないのは、私たち二人だけ。
信号がまた、赤になる。
バスが音を立てて、私たちの前を通り過ぎてゆく。

「ふう・・・」
商店街の少し外れにある、それほど大きくも無いラブホテル。
その一室で、私はシャワーを浴びている。
マサちゃんの部屋でもやったし、私の部屋でもやったけど、
やっぱりホテルだけは慣れないなあ、と思う。
何だか奇妙に落ち着かない。知らない部屋だから、というのが原因なのだろうか。

愛する人に初めてを奉げるという、人生で最大級のイベント、所謂初セックス。
それをを体験したのは、つい4ヶ月程前、ゴールデンウィークの頃のことだ。場所は私の部屋。
当然ながらお互いに経験が全く無く、何をどうしたものやら手探り状態で、
雑誌やビデオから得た知識を総動員してどうにかこうにか事を成したは良いものの、
「やっぱり痛かった」「とにかく恥ずかしい」の二つの印象に脳を占領されてしまい、
何だか非常に勿体無い気分になったものだ。
確かに、マサちゃんを直に肌で感じたし、本当に恋人になれた気がして嬉しかったのは事実だが、
二人とも必死で、何かこう、蕩けるような、痺れるような、甘いような、
そんなロマンチックさに欠けていたのが残念だった。
後で中村先生から、「初めてでそんな贅沢抜かすとは言語道断!」と思いっきり怒られたけれど。

バスタオルだけを身に纏い、ベッドへと向かう。
マサちゃんが服を着たまま腰掛けている。
「マサちゃん、シャワっむぅぐっ」
シャワー空いたよ、と続けようとしたが、突然のキスで唇を塞がれ、声が音になって出ていかない。
「ぷはっ」
唇が解放される。
だけど、文句を言う暇もなく、身体を抱え上げられる。
ふわりとした浮遊感、そして背中に当たる柔らかいベッドの感触。
「ちょ、ちょっとマサちゃむっ、むむ・・・」
またしてもキスの攻撃。ちょっと、あまりにも一方的過ぎる。
しかし、抵抗しようにも、口は塞がれ身体は圧し掛かられ、文字通り手足も出ない。
「ぷふう」
たっぷり2分間は口内を蹂躙された。その間呼吸が上手く出来なかったので、少し苦しい。
「はぁはぁ、マサちゃん、ひどいよ・・・」
「ゴ、ゴメン。その、あの・・・その格好見たら、押さえが効かなくなったっつーか、我慢しきれなかったっつーか・・・」
申し訳無さそうな、切なそうな表情で私に謝るマサちゃん。
「天野がキ、キレイだと思って、つい乱暴にしちまった・・・ホント、ゴメン」

・・・・・・・・・。
反則だ。
そんな表情でそんなコト言われたら、怒ることが出来ない。
逆に・・・愛しくなってしまう。
「ムッ」
今度はこちらからキスをする。さっきのお返しだ。
すぐに唇を離し、頬にもう一度軽くキス。
「いいよ・・・」
「・・・えっ?」
「マサちゃんのしたいように、していいよ」
我ながら結構な発言だと思う。こういう特殊状況下でも十分に恥ずかしい。
マサちゃんの顔が真っ赤になる。多分、私も同じだろう。
「天野・・・」
「マサちゃん・・・」
最初と二度目はマサちゃんからの一方的なキスだった。
三度目は私からの一方的なキスだった。
そして、四度目。
それは、お互いが顔を寄せ合っての、恋人同士の自然なキス。
マサちゃんの手が、バスタオルへと伸びる。
そして、ゆっくり、ゆっくりと取り外していく。
改めて私は気がつく。
マサちゃん、シャワー浴びてないし、服だって脱いでない。
やっぱりこれって不公平かもしれない。
・・・でも、ま、いいか。

「んっ・・・くうっ・・・はぁ・・・っ」
マサちゃんの手が、私の胸を包むように揉む。
乳首が時々掌で擦れて、その度に背骨に電流に似たショックが流れる。
グッと顔を上げて、自分の胸元を見てみる。
私の胸の大きさからいくと、掴まれているというより、添えられているといった感じだ。
若田部さん位とは言わないけれど、やっぱりもう少し大きさが欲しい。
バストアップ体操は今でも続けているが、効果はあまり、というか全く出ていない。
溺れる者は藁、では無いが、もしかしてとか万が一とか思うと止めるに止められないところが悲しい。
「ん・・・ああ・・・ん?」
ふと、マサちゃんが手の動きを止め、私の顔を見る。どうしたというのだろうか?
「これくらいでいいよ」
「えっ?」
「これくらいの大きさの方が、オレは好きだよ」
・・・前言(前考)撤回、今の大きさのままでいい。
バストアップ体操も明日でヤメよう。巨乳がどうした、関係無い。

時間をかけて、マサちゃんは私の身体を隅々まで愛撫していく。
結構マサちゃん、ネチっこい。
だけど、いちいちそれに「ああん」「い、いい・・・」と反応してしまう私は、元来淫らな性質なのだろうか。
それとも、相手が愛する人だからこそなのだろうか。
・・・両方、という気もする。
まあ、考える必要は無い。ここは感じていればいい。

身体がだるい。
しかし、心地よいだるさだ。
指と舌で一回づつ、イカされてしまった。
マサちゃんは私の股間から顔をムクリと上げると、起き上がり、私の肩に手を回して跪かせる。
そして、ズボンとトランクスと脱ぐ。
目の前には、マサちゃんの、十分な硬さになった、アレが反り返っている。
どうして欲しいかは、マサちゃんは言わない。
私も聞かない。
そんなことする必要無い。
私はゆっくりと、マサちゃんを口内に含んだ。

マサちゃんが感じられるように、唇を、舌を、口全体を使って奉仕する。
奉仕、って何だか卑猥過ぎる表現だが、他に思いつかない。
舌技に関しては他人と比べたことが無いので(当たり前だが)、己の技量がいかほどのものかはわからない。
ただ、マサちゃんが気持ちよくなってくれればいい、とだけ思って、舌を動かす。
「天野・・・」
ポン、と頭に手が置かれる。
それが、何の合図かは、よくわかっている。
これも、いちいち聞く必要なんて無い。

マサちゃんは絶対にゴムを着けて挿入する。
「例え中で出さなくても、生でヤる以上は妊娠の可能性があるわ。まだお互い高校生なんだし、
それにミサキちゃんに負担をかけたくないのなら、必ず着けなさい」
と中村先生に言われたらしい。ちょっと寂しい気もするが、十分に納得出来る。
「あっ、あっ、ああっ!」
マサちゃんが私を責め立てる。
最初の頃に比べると、さすがに痛みはもうそれ程感じない。
「あ、あ、マ、マサちゃあん!」
「天野、天野・・・ミサキ!」
身体が上へ上へと持ち上げられる感覚。
しかし浮遊感とは違う。同時に墜落しているような感じもする。
無重力空間に放り出されたような、とでも言えば良いだろうか。
「あ、ああ、あ・・・?」
マサちゃんが不意に腰の動きを止める。今度は何だろう?
「ミサキ・・・上になってくれないか」
上、ということは、もしかして、騎乗位というヤツだろうか?
「え・・・ああっ!」
私の返答を待たずに、マサちゃんは私の腰に手を回し、
グイッと体を反らして体勢を変えてしまう。
「ひ、ひどいよマサちゃん。まだ私いいなんて言ってない」
「ゴ、ゴメン。でも・・・やってみたくて」
ああ、またその表情。もう何も反論出来ない。
「それでさ・・・」
「え?」
まだ、何か?
「動いて、欲しい」
・・・これが、以前はEDとか言われてた人間の台詞だろうか。
思わず溜め息が出てしまう。

ホテルから出ると、もう陽は完全に落ちていた。
もういい加減夕食の頃合いだが、何か食べたいという気は起きてこない。
手を繋ぎ、二人とも無言のまま、バス亭へ向かう道を歩く。
セックスした後って、どうしてこう口数が減ってしまうのだろう。
虚脱感からか、充足感からか。それともまた別の理由か。
「ねえ、マサちゃん・・・次はいつデートする?」
「ん・・・ああ、ミサキの都合の良い日でいいよ」
「んー、そうね・・・って、あれ?」
今、マサちゃんは私の名前を呼んだ?
「マ、マサちゃん・・・今、私のこと、天野じゃなくってミサキって呼んだ?」
「え、あれ・・・あ、ホントだ。ミサキって言ったような気がする」
私も、マサちゃんも気がつかないうちに、呼び方の問題は解決してしまっていた。
あ、今、物凄く嬉しい。ホント嬉しい。
「ねぇマサちゃん、もう一回名前で呼んで」
「え、何で?」
「いいから!」
「あーもう、わかったよ。・・・ミサキ!ほら、これでいいか?」
「もう一回!」
「何なんだよ、一体!」
私は指を解くと、改めてマサちゃんの腕にしがみつく。
「うわわ、ほ、本当に何なんだ!?急に!」
「いいから、ほら、もう一回呼んでよ!」

知り合ってから十数年、好意を持ってから数年、付き合ってから半年、
まだまだ私とマサちゃんの間には、いろんな壁が立っている。
それを一枚一枚潰して、一歩一歩距離を縮めて、本当の恋人関係へと近づいてゆこう。
そう、今日の呼び方の問題のように、気づかないうちに差が詰まっていることもある。
先は長い。けど短い。
「ほら、もういっかーい!」
「い、いい加減にしろーっ、ミサキーッ!」

         F     I     N

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