禁じられた恋愛。
それは、恋に恋するお年頃な思春期の少年少女が憧れるシチュエーション。
憧れるのは何故か。
無論、身を以て体験した事がないからである。
ならば身を以て体験した者達は何を考えるか。
まず、何故禁じられるのか。そしてこの世の不条理を一通り呪った次に考えるのは、禁じられた中で如何に恋愛をするか。
選択肢は二つ。
周りに隠れながら、それでも継続困難な関係を続けるか。もしくは……禁じられぬ恋に逃げるか。

  *

実に寒々しい夜の町中。まだあちらこちらに残る車の排ガスで汚れた積雪が街灯に照らされている。
道ばたに転がっている、解け切らなかった雪の塊を踏み潰しながら、津田タカトシはファーコートに首を埋めて早足で歩いていた。
この寒い中、何故出掛けなければならないのだろうか。
思い出した津田は、溜め息を漏らした。
元々海外出張の多い両親なのだが、だからと言って言い忘れても良い理由にはならない。
生徒会の仕事を終えてクタクタで帰宅。妹共に両親の帰宅を待つ。
なかなか帰ってこないので連絡を入れる。
ごめん、出張だって言うの、忘れてた。
え、じゃあ夕飯は?
コトミと適当な物食べてて。
出前でも頼むかと思ったのだが、明日の朝食も用意しなければならないのに冷蔵庫は空っぽ。
買い出しのじゃんけんはコトミの勝利。嬉々としてこたつむりとなったコトミを恨めしげに見つめつつ、津田は運命を呪った。

「はぁ……」

漏れる吐息も白い。なにせもう十二月も半ばだ。
世間ではそろそろクリスマスクリスマスと騒ぎ立てるし、日に日に生徒会長天草シノの落ち着きが無くなっていく様子には、流石に苦笑してしまった。
会長は、本当に行事とか好きなんだな。
生徒会に入ったばかりの頃の印象ではもっと固い人間だと思っていたのに、ふたを開ければ下ネタ大好きで子供っぽい、世話の焼ける上司だった。
本気で叱られるととても怖いのは相変わらずだが、概ね津田にとって天草は好意的人物だった。
むしろ、津田の中で今一番好意的なのは、他の誰でもない天草かもしれない。
容姿端麗、才色兼備、人面桃花。男として、いやそれ以前に人間として、そんな彼女に惹かれない人間なんて、果たしているんだろうか。
側で一年間接してきた津田は、それを多分誰より良く知っている。
天草は、憧れるのに最適な人間だ。憧れがいがある、凄い人なのだ。その隣に立てるのが誇らしいと思えるくらいに。
最近は、天草と付き合う上で必要になる『的確なツッコミスキル』を身につける切っ掛けになった妹のコトミに少々感謝しているほどだ。
好きな人は誰か、と問われれば……その場のノリ次第では「会長ですかね」と答えてしまうかもしれない。
津田の中で、天草はそんな位置づけにあった。

「……案外近いんだな」

単に考え事をしていたからか、それとも憧れている人の事を考えていたからか。
夕飯の食材を求めて向かっていた商店街までの距離は案外近く、いつの間にか津田は入り口で門を眺めていた。
近所のスーパーとの競合を有利にするためだろう、既に商店街の街路樹にはクリスマスの飾り付けが成されていて、あちらこちらにまるでこじつけたような『クリスマスセール!』の張り紙が見受けられる。
夜の七時を回っているのに案外と通行人が多いのは、みな蛾のように明かりに吸い寄せられているからなのだろうか。
かくいう自分もクリスマスと言う明かりに寄ってきた蛾と言ってもあながち間違っていない。
財布の中身を確認する。
夕飯調達分、それとは他に……生徒会のメンバーへのクリスマスプレゼントの代金がしっかり分別されている。
ものの次いで……と言うと身も蓋もないが、一緒にプレゼントとして相応しいものが見つかれば、と言う期待もそこそこある。
以前会長から別にプレゼントを貰ったように、今度は自分も会長に別にプレゼントを用意しておこうか。



少し胸が躍る自分を否定できずに商店街を見て回っていると、

「いらっしゃいませー」

衝撃的なものがケーキ屋の前に立っていた。
赤いミニスカサンタのコスプレと言うのは雑誌とかネットとかパーティとか、そんな場所だけの存在だと考えていた。
だと言うのに、何でこんな所でそんな寒々しい格好をしているのだろうか。

魚見さんは。

「あら、津田さん。こんなところで」
「ホント、こんなところで。そんな格好で。寒くないんですか?」

事もなげに無表情で語りかけてくる魚見。
津田の視線が足に集中している事に気がついた魚見は、表情を崩さぬまま「ご心配なさらず」言った。

「これは道行く少年たちの目線の高さに合わせてスカート丈を短くしている訳ではありません」
「んなこと聞いてませんが」

確かに小さい子たちの目にはそれなりに毒な格好だとは津田も思ったが。
魚見も冗談のつもりだったらしく(表情に変化が少なくて確信はないが)、「ストッキング履いてますし」少し口角を上げた。

「ここで何をしているんですか?」
「アルバイトを。クリスマスまでの短期と言うことなので」

手にした看板には『ケーキ大特価』の文字が踊っている。どうにも商店街独特の古臭さが抜けない文面だ。
クリスマスまでは精々あと五日間。なるほど、かなり短期間のバイトである。

「わざわざこんなとこまで来て……遠いでしょう?」
「あまり近場ではやりたくないですから、都合が良いです」

知り合いには見られたくないのだろうか。
顔が少し赤いのは寒さのせいだけではないのかもしれない。

「看板を手に立っているだけのアルバイトで、少々やりがいにかけますが」
「楽なのは良いと思いますけどね。寒そうだケド」
「と言う訳で津田さん。生徒会メンバーとのクリスマスパーティに、ケーキはいかがでしょうか?」

しれっとケーキを勧められるが、今年も七条家の別荘でクリスマスパーティだ。
七条家専属メイド出島さんお手製のケーキが待っている事を考えると、わざわざ買っていく意味は薄い。
その旨を伝えると、魚見は少し口を尖らせた。

「そちらの生徒会はとても仲が良いようですね」
「……と、言いますと?」
「ウチの役員たちは、皆予定がバラバラで……恋人と過ごす方も多いようです」

英稜高校は共学だし、恋愛禁止などと言う桜才学園のような結滞な校則もない。
学生たちは自由に恋愛を謳歌できる環境にあって、津田は今はそれが少し羨ましく思えた。

「残念な事に、今年のクリスマスを境に、我が生徒会の処女も恐らく私だけになるでしょう」
「憶測でものを言うな」
「苛烈なツッコミ……なるほど津田さんは処女でなければダメな人ですか」
「憶測でものを言うな」
「ならば残された選択肢は……津田さんは女の人がダメなひ」
「以下略」



ツッコミながら思う。魚見さんと長々と話したのは初めてではないか、と。
淡々とボケ続ける魚見は、天草とはまた違った意味で扱いに困る。
ツッコミの止めどころが良く分からないので延々と続けていると、やがて魚見が肩を落とした。
彼女が明確に落ち込んでいる様を見るのは勿論津田は初めてだが、何だか少し収まりが良く見えた。
落ち込んだ姿が様になっている、と言うのは何とも失礼な気がしたが、本当にそう見えてしまったのだから仕方がない。

「私はクリスマスイブの夜もここでケーキを売っていますので、是非遠きにありて私を思ふて下さい」
「……そんなに金欠なんですか?」
「…………」

魚見は答えず、目を伏せる。予定がないからバイトで埋めた、と言うことだろうか。
高校生活最後のクリスマスがそれでは、流石に少し不憫過ぎる。

「魚見さん、オレ達の方に来ます?」
「まぁ、オレ達の棒なんて、そんな大胆な」
「盛大に聞き間違えたな。……そうじゃなくてクリスマスパーティの方です」

七条家の別荘は津田家よりも広いような、もう別荘にしておくのが勿体ないくらい豪奢な施設である。
妹のコトミも勝手に付いてくる算段を立てている事だし、今更一人増えたところで文句は出ないだろう。
津田は一応魚見を気遣ってそう言ったのだが、魚見は酷く驚いたように少し目を見開いた。

「……私が行ったらご迷惑ではありませんか?」
「いえ、そんな事はありませんよ」
「ですが……」

渋る魚見。多分行きたいのは山々なのだろうが、不安がそれ以上に大きいのだろう。
知り合って間もない面子と、泊まりがけのパーティ。少々内気気味らしい魚見が怖じ気づくのも無理はない。

「でも会長とは……天草会長とは仲良いじゃないですか」
「……それはそうですけれど」
「萩村も七条先輩も歓迎してくれるって、保証します」
「生徒会のメンバーだけでの集まりに私が加わる訳にも……」
「問題ありませんよ。ウチの妹は無関係だけど着いてきますから」

逃げ道を見る見るうちに塞がれてしまった魚見。
困ったように肩を窄めて、そして言い放った一言が。

「私もそちらの皆さんと竿姉妹になる日が来てしまったのですね……」
「そういうパーティじゃねえから」

何はともあれ、魚見の七条家主催クリスマスパーティへの参加が決定した。

  *

津田の言う通り、魚見は歓迎された。
元々波長の合う天草は勿論、七条が寛容しない場面など津田は見た事がなかったし、萩村も少々戸惑いはあったようだが、純粋に喜んでいる。コトミも下ネタトークで早速突っかかりにいった。
ツッコミの機会が増えてしまった分だけ津田が若干割を食う形になったのだが、それでも宴は概ね順調に進んだ。

「さて、ではプレゼント交換と行こうか」

天草の号令に従って、各々包装されたプレゼントボックスを手に取る。



相変わらず超巨大なプレゼントボックスを自分の隣に立たせている七条が一番目を引くが、大事なのはそこではない。
この時点で、津田の懸念は最高調にまで達しようとしていた。
と言うより、半ば確信、そして懇願に近い。

(どうか、萩村か七条先輩のプレゼントが当たりますように!)

恐らく萩村も同じことを考えている。明かりを消す直前、祈るように目を瞑って両手を組んでいるのを見てしまったから。
それは何故か。
一、天草の箱、魚見の箱、コトミの箱。全てサイズ、形状共にほぼ同じ。
二、津田はコトミが嬉々としてインターネットでエグイ形のバイブを購入しているのを目撃している。
三、コトミは家のリビングで堂々とそれに包装紙を巻いていた。
点を線で繋ぐと、何が見えてくるか。
つまり、そういう事だ。

(プレゼントの半分がバイブってどういう事だよ)

心の中でそうツッコむ津田は、既に用途不明の震える謎の箱(未開封)を前年貰っている訳だし、今年も使う予定のない性器具を持って帰るのは勘弁である。
……だが、現実は非情だった。
プレゼント交換が終わって再び明かりを点灯した時、萩村の手と津田の手にはそれぞれ、コトミの箱と魚見の箱が乗っかっていた。
萩村でそのサイズは使えるんだろうか、と一瞬でも考えてしまった事を、津田は激しく後悔し、自己嫌悪した。

「あら、津田さんが私の棒を握っている」
「もうバラしてるし」

魚見が目を細めて楽しそうに笑っているその様を見ていると、なんだかそれ以上突っ込む気は起きなかった。

  *

プレゼント交換も一頻り落ち着いた後。津田は天草を密かにラウンジの片隅に呼び出した。
天草も半ば訳知り顔で着いてきたのには少々がっかりしたが、津田はめげずにまずは一言。

「会長、今年一年、迷惑ばかりかけてしまって、本当にすみませんでした」
「いや、津田も最近は良くやってくれている。来年の生徒会は安心して君に任せられるよ」

天草から認められている。自然に笑顔が零れ落ちた。
子供みたいに単純だと自覚しているが、喜びは隠すものじゃない。

「それで、そのお世話になったお礼……と言うことで、会長にこれを……」

天草は、今から一年前に津田から送られたペンダントを結構気に入ってくれているらしく、今日もまた首から下げている。
津田が用意したのはそのペンダントに合うように自分なりに選んだ小振りの、磁石で付けるイヤリングだった。

「会長、ゴテゴテ飾るのは好きじゃないかもしれませんケド……すみません、オレにはそれくらいしか思いつかなくて」
「いや、嬉しいぞ。これがピアスなら叱り飛ばしていたところだがな」

言いながら、早速耳に付けてみる天草。
重量による違和感も気にならないものを、と気を遣って選んだのが甲を奏したのか、天草は今回のプレゼントも気に入ってくれたようだ。
零れる笑みを見て、津田は安堵の溜め息を吐き出した。

「そういえば、ピアスって処女膜にも開けられるんだろうか。いずれもっと大きな穴が空く場所だが」
「その疑問には答えたくありません」



雰囲気もへったくれもないのは、会長なら仕方ないと津田は諦める事にした。

「実は、私からもプレゼントがあるぞ」

天草は今年も個人的なプレゼントを用意してくれていたらしく、結局二人でプレゼント交換をすることになった。
だが、津田はまたしても嫌な予感を覚える。今年も震える謎の箱(未開封)を二つ、小脇に抱えて帰宅する事になるのでは。
津田の心配をよそに、天草は実に嬉々として小さな細い箱を取り出す。

「今年は、去年と少し趣を変えてみたんだ」
「変えたのは趣だけですか?」
「流石に二つは必要ないと思ったからな、残念ながら中身は普通だ」
「いや、全然残念じゃないですケド」

その場で開けて見てみると、中に入っていたのは万年筆であった。

「それは私が一年生の時、先輩の生徒会長から受け取ったのと同じ万年筆でな。歴代の会長は、次期会長にこうして万年筆を渡してきたらしい」
「……そうなんですか」
「まあ、伝統と言うか、習わしと言うか……味気ないもので済まないな」
「そんな、こんな高そうなものを頂いてしまって……」
「それほど高い物でもないぞ。だから、どこに突っ込んでも構わんぞ。君はいつもツッコんでばかりだしな」
「ツッコミはするケド突っ込んではいねえよ!」

まさか会長は受け取った万年筆をそうやって突っ込むのに使ったのだろうか。
想像はできるだけしないように、と思ってみても妄想と言うのはあっという間に広がっていくもので。
津田は頭を下げる振りをして、少しだけ赤くなった顔を俯けた。

「と、とにかくありがとうございました。大切に使います」
「うむ。そうしてくれ」

天草は満足げに頷くと、さっさとパーティの会場に戻っていってしまった。
津田は、自分の手に残っている万年筆を眺める。
次期会長。つまり、天草に認められたと言うこと。それ自体は、とても嬉しい。
次期会長。つまり、天草は卒業してしまうと言うこと。当然の事実なのに、とても辛い。
もう少し彼女の側で、学ぶべき事があると津田は思う。それ以上に、単に彼女の側に居たいと思う自分もいる。
あと数ヶ月足らずで、天草は居なくなる。
迷う暇はない。
だが、怖い。

校内恋愛禁止。

そんなたった六文字にして最大の強敵が桜才学園には存在する。
天草だって知っているし、彼女はその校則を遵守するに違いない。
厳密な縛りがどの程度なのか、ハッキリとは名文化されていない。それが逆に不安を駆り立てる。
節度を弁えた付き合いなら良し、と言うのは、どの程度まで許されるのだろう。
迂闊な行動をして、取り返しのつかない事が起きてしまわないだろうか。
天草に幻滅されてしまうのではないか。
それ以前に、たとえ告白なんかしても、果たして自分は男としてみられているのかどうかさえ怪しい気がする。
どうしようもなく怖い。
一歩を踏み出すのに迷う暇などない事は分かっている。
分かっていても、踏み出せるわけではない。
胸の中に激しく渦巻く葛藤。結論が出るものなら、とっくに出ている。



懊悩としていると、突然横槍が入ってきた。

「津田さん、顔色が悪いようですが」

平坦な声の主は、魚見だった。
見ていたのだろうか。尋ねると「二人で出ていったので、行儀が悪いとは思いましたが出歯亀を」と返ってきた。

「津田さんは、天草さんが好きなんですか?」

答えに窮したのは言うまでもない。だがこの場合答えないのは、肯定を意味するわけで。
魚見は少しだけ頬を赤く染めた。

「……羨ましいですね」

そう一言だけ呟いた。一体どこに羨む要素があるのだろうか。
津田が口を開こうとすると、魚見が手でそれを制した。

「今のは、告白の絶好のチャンスだと思いましたが」
「…………」
「校内恋愛禁止。そのお話は天草さんから窺っています」

ならば告白しない理由は分かるはずだ。津田は何も言わずに、思案顔の魚見を眺めるばかりだ。

「卒業と同時に告白、と言うのも中々ロマンティックではありますね」
「……オレは別に」
「ですが……校内恋愛というものは普通、卒業と同時に終わるもの。
 天草さんが受験する国立大との距離を考えると……」
「止めてくれませんか?」

津田は顔を顰めた。そんな事は重々承知している。
もしも天草が卒業後も近場の大学に進学すると言うのなら、と夢想したことだって何度もある。
だがまさか、自分がそんな我が儘を唱えたところで何も変わりはしない。変わってはいけない。
所詮、天草は自分には手の届かない天上人でしかない。
そのような事実を、他人に突きつけられるのは非常に腹立たしかった。

「津田さん」
「……なんですか」
「実は、私からも個人的なクリスマスプレゼントがあります」

誘ってくれたお礼です、と称した魚見は、津田に一歩近付いた。
天草より少し低い身長。左右に垂れたお下げ髪。ちょっと無表情だけど、澄んだ瞳。
傍目で見ても麗しく、近寄るともっと綺麗に見える。それは、本当に美しい人だけだ。

「目を瞑って下さい。そして、勃起した時と同じように身を屈めて下さい」
「その例え要らなくない?」

ツッコミを入れながらも指示に従う津田。視界が閉ざされて鋭敏になった感覚。ふと、瞼の上に何かが触れた。
魚見の唇だと言うことを知ったのは、目を開けてすぐの事だった。
すぐ目の前に、魚見の瑞々しい小振りの唇が三日月型に歪んでいるのが見える。津田は心臓を跳ねさせた。
そんな場所に、と言うよりも女性にキスされたのは初めてだった。



「今はそれで精一杯です」

自分からキスしたくせに、魚見は顔を真っ赤にして俯き、蚊の鳴くような声で囁いた。
津田は目を点にしつつ、何か言うべきなのかを混乱気味な頭で必死に考えている。

「今日はお招き頂き、本当にありがとうございました。良い想い出になりました」
「……はぁ」
「ですが、津田さん」

背を向けた魚見は、一度だけ背中越しにこちらを振り向いて、意図の読めない微笑みを浮かべた。

「『良い想い出』止まりとは、考えていませんから」

津田は、少し背筋に寒いものを感じた。

  *

その翌日、津田は魚見とアドレスと番号を交換した。
魚見からは、三日に一回くらいメールが届いた。内容は、他愛のないもの。
学校生活の話、生徒会の話、友人の話、芸能関係の話とか……本当に、特筆することのない雑談。
その対話の中で、特に良く話題に上がるのは天草の事だった。
ただし、その話題に触れるのは大抵魚見からである。

「その後、天草さんとはどうですか?」
「別に、どうも」

この話になると、津田はメールを律儀に返すのも億劫になる。
わざわざ叶わぬ想いについて無駄に言及を重ねられるのは、正直少し迷惑だった。
普段はさっさと終わる話題だ。しかしその日の魚見は少し粘った。

「そろそろ行動を起こさないと、時間がないと思いますよ」
「そもそも、会長と付き合いたいとか、そういう風に思ってはいません」

ただ、憧れているだけ。尊敬しているだけ。目標にしているだけ。
天草の卒業が刻一刻と迫る中、津田はそう割り切ろうと必死に言い聞かせ、自分を守ろうとしていた。
なのに魚見は、そこを抉ろうとする。意図が掴めない。

「校内恋愛は禁止ですからね」
「それは関係ありません」

嘘だった。
今でも思う。この校則さえなければ、と。もう少し天草に素直に自分をアピール出来ただろうし、もしかしたら今年のクリスマス辺り、二人で過ごすような事も考えられたかもしれない。
違う学校だったら良かったのかな、いやいや、それじゃ会長に会う機会がないし。

「校内以外の恋愛は禁止されていませんよね」

魚見は、まるで津田の心の動きを読んでいるかのように、的確な先回りをする。
それとも、或いはそんな意図なんてないのかもしれない。
携帯電話の画面の向こう側の魚見の顔は、今どんな表情をしているのだろうか。
魚見は、それにさえ先回りをする。



玄関のチャイムが鳴った。ドアを開ける。門の前に、薄く微笑んでいるお下げの少女が立っている。

「きちゃった」

まるで突然恋人の家にやってきたかのようなトーンでそう言い放った、魚見だった。

  *

寒い中遠かったでしょう、と社交辞令を言いながら、津田は茶と常備している茶菓子を出した。
かじかんだ赤い手を湯呑みで暖める魚見は、茶を一口啜って軽い溜め息をついた。

「遠いですね。津田さんが英稜を選ばなかった理由が少し分かりました」
「どうしたんですか、今日」

答えずに部屋を見回した魚見。
会話が続かず、魚見の茶を啜る音だけが虚しく響く。
津田は先程のメールの意図を聞きたかった。校内以外の恋愛。今まで特に意識した事はなかった。
魚見さんは、意識しているとでもいうのだろうか。
他校の校則を。そしてそれ以上に、もしかしたらオレの事を。

「さっき、メールで言っていましたよね。天草さんと付き合いたいとは思っていないと」
「…………はい」
「では」

魚見はそこで言葉を切った。
表情は相変わらず、読み取れない。彼女は、目の色が本当に変わらない。だから、浮かぶ表情が全て嘘に見える。
タップリ十秒は黙り込んだだろうか。それでもやがて魚見は顔を上げる。

「私では、どうですか」

言った。言われた。
言ってしまった。言われてしまった。
もっと軽く言えると思っていた。もっと軽く言われると思っていた。
冗談めかせると思っていた。冗談みたいに言ってくると思っていた。
なのに何故。
どうして、こうなったのだろう。

「魚見さん……」
「私では、天草会長の代わりは役者不足でしょうか」

後には引き返せない。堰を切ったように、魚見は言う。
立ち上がり、津田に寄り、ぐいと顔を近くに寄せる。
目が少し潤んでいる。困惑顔の津田は、その目に自分の動揺を見た。
真っ直ぐな好意だった。近しい女の子は居ても、ストレートに好意を伝えられたのは、初めてだった。

「私は、津田さんに誘ってもらえて、本当に嬉しかった」

クリスマスパーティの話だと、思い当たった。瞼の上にキスをされた事も、思い出した。
当時は、これが精一杯と言っていた。今は、違うのだろうか。

「私となら、忍ばないお付き合いが出来るはずです」



魚見は真剣だった。今は少しだけ、目の色が違った。

「やっぱり、私ではダメでしょうか……」

涙が零れそうになっている。津田はやはり、困るばかりだ。
彼女は実に魅力的だと思う。たまにあるぶっ飛んだ発言も、全然許容の範囲内にある。
だが、津田は魚見の事を良く知らない。それに、天草への憧憬は、まだ心の中で恋と尊敬の境界線上から動かずにいる。
断ろうと口を開きかけた。
やはり、魚見は先回りをする。口を塞がれた。
魚見の口で。
目が合った。感情は、また闇の彼方に見えなくなった。

「ならば、強行手段をとります」

魚見の声のトーンが変わった。人格が変わったのかと、津田は本気で思ってしまった。
目を開けながら、そして唇を触れ合わせながら、あぁこの人は本当に良く分からない、と津田は心の底でごちた。

  *

全体重を一気に預けられると、女の力でも男を押し倒すのは簡単である。
津田はフローリングに背中を叩き付けられた。だが、鈍い痛みよりも、唇の甘美な味と胸に乗った魚見の体の柔らかさのほうが遥かに気がかりになった。
女の子との密着は、津田には割と良くある事だった。
だが、ここまで張りつめた空気でのしかかられた事は、かつてない。
唇が痛くなるまで、魚見は貪った。押し返す事は出来たはずなのに、津田はしなかった。
ただ呆然としていただけだったのかもしれないし、既に蜘蛛の網に引っかかったバッタだったのかもしれない。

「ファーストキスだったら、ごめんなさい」

魚見は一度顔を離し、小さく笑った。
そして、まるで子犬のように津田の頬を舐める。瞼を舐める。額を舐める。
犬のマーキングのようだ、と思った。自分の物だと主張するかのような、拙い行為だ。

「う、魚見さん……!」
「止めません」

魚見はハッキリと言った。

「私は、もう昔とは違うんです」

自分に言い聞かせるようにそう呟く。
魚見の過去を、津田は知らない。だが、酷く内向きな性格をしていたと自分で語っていた事はある。
そしてそんな自分を変える為に、生徒会長になったのだと。

「天草さんに憧れる気持ちは、私にも分かります」

魚見の手が、津田の首筋、胸、腹、腰を伝って、やがて下半身の中心で停止する。
少し大きくなっていた。魚見は安心したのか、目を少し細めた。

「私も、彼女のようになりたいと思いました」

他人に左右されない強靭な意志を持ち、自己を貫くだけの能力を持ち、誰からも頼られる人望を持ち。



魚見にとって、理想的な生徒会長像だった。津田と同じく、魚見も彼女を目標にしていた。

「津田さんが天草さんを好いていても、構いません」

ズボンのジッパーが下ろされた。トランクスの中に突っ込まれた手が、蠕動する。
冷たくて細くて、しっとりとした指先に、津田の分身はすぐに反応した。

「私は、今こうして、自分のやりたい事をしている。自分が変われたと、実感出来ている」

下半身は本当に別の生き物だ、と津田は痛切に感じた。
他人に触れられると言う、初めての、そして強烈な衝撃。
自制心など働く訳もなく、激しく屹立して当然と言えただろう。

「間違っている、変だ、と後ろ指を刺される事を恐れずに、真っ直ぐ立っていられる」

魚見は、セーターを一枚脱いだ。
その下に来ていたTシャツも、するりと躊躇いなく脱いだ。
ブラの向こうにある胸は、大きくはないが、小振りと言うに相応しい、丸い形をしている。
スカートはいつの間にか、しわくちゃになって部屋の片隅に投げ捨てられていた。

「それだけで、満足です」

自分の股を少し弄りながら、魚見は勝利を確信したような笑みを浮かべた。
紛れもなく、その笑みは邪悪だった。
邪悪な魔女に籠絡されたのだろう、と津田は確信した。

「緊張して、あまり濡れませんでした……」

ショーツを片足だけ脱いだ魚見は、津田の上に跨がった。
さあいざと腰を落とそうと試みている。だが、上手くいかない。
津田は、もう十割中十割の勃起。入らないのは、魚見の側の問題だった。
元々小さい膣口。少量の分泌液。ましてや処女。最初から騎乗位は、難易度が高過ぎる。
先っぽを入れようと試みても、痛覚が邪魔をする。
ここに来て、障害が。
なすがままにされていた津田も、ようやく気がついた。魚見が、二進も三進もいかない状況だと言うことに。

(どうしよう……)

魚見の気持ちは、素直に嬉しいと思った。なんだか無茶苦茶ではあるが、彼女の心に触れる事が出来たのは、やはり良い事だと信じたかった。
それに応える義理は、津田にはない。しかし、津田はまだ天草のように確固たる自己の信念は、ない。
もう、どうにでもなれ。そう思うのは普通なのだが、津田は少し自分が嫌になった。

「魚見さん」

津田は体を起こす。魚見はビクリと大きく体をすくませた。
両手で肩を抱いて、泣きそうな顔を堪えて、まるで叱られるのが分かっている幼子のようだ。
きっと、かなり無理をしたんだろう。
自分を変える、と言うのは二年三年の短い月日で出来るような、容易いことではない。
生徒会長になる以前の彼女は、もしかしたらこんな弱々しい女の子だったのだろうか。
津田は新発見に喜びを見出しながら、魚見を優しく仰向けに寝かせた。
目を白黒させる魚見を尻目に、津田は瞬く間に覚悟を決めた。



魚見の細く括れた腰を軽く抱えて、自分の腰を宛てがう。
魚見の顔が激痛に歪んだ。しかし、彼女は歯を食いしばって、耐えている。
止めて、とか痛い、とか、言えたはずなのに、彼女は耐えている。
津田は、それを肯定と見なした。
自分自身も痛いが、表情に出さないように、淡々と前に進もうとする。
魚見の背がのけ反った。白い喉が天を仰ぐ。片手は覆い被さる津田の背中に爪を深々と食い込ませ、もう片方の手はカーペットの毛を毟っている。
前に進む度に魚見はのたうち回った。津田の背に無数の傷跡を残し、床に叩き付けている手は、少し青あざが浮かび始めている。
全てが収まるまでものの十数秒だったが、既に魚見は満身創痍の様相だった。

「……痛くない工夫は、ないのでしょうか」

この期に及んでも魚見は止めるとは言い出さない。
津田にも止める理由はない。
だが、せめて痛みが和らげばいい。AVと会長との日常会話で得た知識が精々の津田は、魚見を安心させるために唇を落とした。
先程の仕返しをするように、顔中を優しく啄む。
くすぐったそうにして魚見は押し戻そうとするが、それは受け入れてもらえず、魚見は津田に負けない位ベタベタになった。
背中に手を回し、もたつきながらもホックを外して、ブラジャーを投げ捨てる。
露になった、尖った乳房を撫で回すと、こちらは中々効果覿面で、繋がっている下半身が少し蠢くのを感じた。
津田は追い討ちに、まるで子供を寝かしつけるように、魚見の背中を一定の間隔で小さく上下に撫で回す。
絹でも触っているような、きめ細かい肌を滑る指。指が心地いいと感じるとは、津田はまさか思っていなかった。

「ちょっと……っ」

今度は先程とは違う意味で、魚見は体を恥ずかしそうに捩った。
魚見は力が抜ける。津田は、力が入る。
戻る動きが先程よりスムーズになった。
先程とは段違いに湿っていた。入る動きも、滑らかになった。
津田は、遠慮を失った。元よりそんなつもりはなかった。迫ってきたのは魚見なのだから。
魚見もきっと、そんな同情めいた遠慮は欲しがらないだろう。勝手ながらそう決めつけて、津田は腰を動かす。
魚見は声を上げなかった。痛みの声も、或いは漏れたかもしれない快楽の声も。
何も感じていないわけではない。のけ反った喉は何度も上下しているし、幽かに黄色い声が聞こえている。
必死で両手で口を押さえて、声を漏らさないように我慢しているのだ。
その手を払いのけようかとも思ったが、津田はそれをしない。
飽くまで自分は、彼女のやりたい事をやらせているだけなのだから。ならば、彼女のやりたいようにやるべきなのだ。
事は静かに続いた。聞こえるのは二人分の荒い息遣いと、肉が小さくぶつかりあう音だけ。
まるで犬の性交である。

「んぅ!」

終わり際になって、息苦しさに我慢出来なくなった魚見が小さく声を上げた。
津田はそれを燃料に、最後のスパートをかけた。
そして、二人の交わりは終焉した。

  *

魚見は、しばらく痛みのあまり体を動かす事が出来なかった。
よくよく見れば頬には涙の痕がくっきり残っている。津田は申し訳ない気持ちで一杯になっていた。
うつ伏せに寝転がって汗だくの体を横たえる魚見は、下手をすればそのまま眠ってしまいそうなくらい、薄い目をしていた。

「服、着ましょう。風邪引きます」
「着せて下さい」



本気の声だった。いつの間にか遥か彼方に吹き飛んでいたショーツとブラジャーを拾い上げ、乱れ飛んでいたスカートとシャツを魚見の背中に落とした。
下着の着せ方なぞ、津田に分かる訳がない。ショーツはともかく、ブラジャーなんて特に。

「……毛布持ってきます」
「お願いします」

声の調子はいつも通り。甘えた声も出さないし、辛そうでもない。
本当に今の今までセックスをしていた相手なのだろうか。津田はそんな疑問さえ浮かんだ。
毛布は自分ので良いか、とふと今自分達は家のリビングのカーペットと言う酷い場所で事に及んでいた事に気がつき、誰も帰ってこないで良かったと胸を撫で下ろした。

「津田さん、ありがとうございました」

背中越しの声がかかった。魚見はなんとか体を起こしていた。津田に背を向けた姿勢のまま、彼女はこちらを向こうとしない。
裸の、染み一つない背中が美しく悩ましい曲線を描いている。途端に恥ずかしさが沸き上がって、津田はすぐに前に視線を戻した。

「お礼に、一つ朗報があります」
「……なんでしょうか」
「つい先日、天草さんから御相談を受けました。恥ずかしそうに、ですが真剣な顔で」

魚見の声は少し震えている気がした。泣いているのかもしれない。
でも、きっと自分はその涙を拭いに行ってはいけない。津田は自制した。

「遠距離恋愛は成立するのだろうか、と聞かれました」
「…………」
「応援していますよ、津田さん」

肩越しに振り向いた魚見は、とても儚い笑顔を浮かべていた。
今まで見た彼女の表情の中で、一番薄っぺらく、そして温かい微笑み。
津田は、それを真っ直ぐに見る事は出来ず、すぐに踵を返して自室へと急いだ。

このページへのコメント

切ない……
後ろめたい……
だがそれがいい……
(´・ω・`)

こういうの好きです
(´∀`)
原作さながらのツッコミ入れるやり取りとかも面白いし、キャラの違和感もあまりなくて、真剣に読み耽ってしまいました
A^−^;

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Posted by しがない 2012年10月11日(木) 00:15:10 返信

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