マサヒコが、ペニスの先端を敏感な裂け目に触れさせる。ぴくん、とアヤナのからだが震えて強ばる。
既に先ほどから続けた愛撫で、そこは充分過ぎるくらい、潤い、柔らかくなっていた。
「少し……我慢してね?若田部」
「は……はい」
“ち……くち、ぷちちち……”
「あ……う……あ……」
開きかけた裂け目をなぞるように、ペニスの先端を挿し入れていく。
アヤナの口から、痛みと羞恥に耐える、喘ぎ声が漏れた。
(うわ……あったかい……若田部)
思ったよりもずっと滑らかに先端が入ったことに安心しながらも、
マサヒコは熱くぬかるんだアヤナの感触に、思わず溜息を吐いた。
「あ……はい……ったの?小久保君」
「まだ、先の方だけだけど……入ったよ。大丈夫?」
「少しだけ、痛いけど。でも……大丈夫」
「じゃ…………ちょっとずつ、深くしてもいい?」
「………うん」
“ぐ……ぐぅち……ずち……”
「あ!ああッ……う、うあッ!」
少しずつ、少しずつ、マサヒコはアヤナの奥へと侵入していった。
途中、少しだけ侵入を阻むような、固いなにかを感じた。
“ち……ち……ずるッ”
「う……ぅあん……あ、いた……痛ッ!ああ」
行く手を阻むそれを押し破ろうと何度か試みるが、
そのたびにアヤナの顔が苦痛に歪むのを見て、マサヒコは躊躇していた。
(えっと……ミサキのときは………)
過去の唯一の経験を思い出し、事態を打開しようとするが―――
“ぎゅッ”
突然、アヤナはマサヒコの背中に、引っ掻くように、爪先を立てた。
「?!で、イテ!」
「………嫌」
「??どうした?若田部?」
「他のこと考えちゃ………嫌。お願い。なにも考えないで。今は……ただ、私のことだけを……」
「………ゴメン」
素直に、マサヒコは謝った。そして、彼女の弱点である耳元に唇を寄せる。
「きゃ………」
「好きだよ、若田部」
「…………」
アヤナは、無言でマサヒコを見つめていた。マサヒコの表情に、嘘は無かった。
彼女には、分っていた。マサヒコが、憐れみや、同情でこんなことをする人間ではないことを。
彼女には、分っていた。マサヒコが、好きだから、分っていた。
さっき彼が躊躇したのは、自分を、大切に思ってくれているからだということを。
「お願い………来て。小久保君」
熱い息を吐いて、アヤナがマサヒコに懇願する。
(これ以上………若田部に)
痛みを、与えたくは、なかった。マサヒコが、無言で頷いて、一気に。
“ぢっつ……ずるぅ、ちくくくく……ぬッ、ずぷぅ!”
「あ!ああッ!!!あぁぁんッ!!んんッ!!」
ペニスを、奥へと突き立てていった。たまらず、アヤナは鋭い悲鳴を上げる。
狭くぬるぬるとした処女口を押し破るように、彼女の叫びをあえて無視して、深く、深くねじ込む。
ぷちり、となにかが裂けるような音を、マサヒコは聞いた気がした。
そして今までそれに堰き止められていた、熱いものが流れるのをマサヒコは感じた。
“ぬッ!ぬう、とろ………”
アヤナの中芯から愛液と破瓜の血が混じって、溢れるように滴り落ちてきた。
ひくつく膣の中の感触を味わいながら、マサヒコは背中に快楽の電流が走るのを感じた。
「あ………うぁ……いたい……ぁあ」
§
引きつったような悲鳴は、やがて短く、小さくなっていった。
痛みを耐えるアヤナのつぶらな瞳から、涙が零れる。
“ちゅッ”
「あ………」
マサヒコは、目尻から流れ出たアヤナの涙を舐めた。
その瞬間、ほんの少しだけ彼女のからだから力が抜ける。
(わかたべ……やらかいのに、かたくて……あったかくて)
入り口こそ苦しいくらいに狭かったアヤナの中芯だが、中から奥はすっぽりとペニスを包んでいた。
柔らかな襞肉が絡みつき、先端からは子宮にこつん、と当たる感触がした。
「あぅん、こくぼくん………熱い……あつくて、おっきい……」
生まれて初めて、男を受け入れた痛み。それが愛しいマサヒコであるという歓び。
自分の中に、確かにマサヒコのペニスがあるという熱さと違和感と痛みに、怯え、震えながら――
アヤナは、無意識のうちにそれをきゅいきゅい、と締めつけていた。
「う!う……あ、若田部……気持ちいいよ……すごい、よ……」
「あぁ……今……小久保君、私たち………つながってる?よね?」
「あ、ああ……一緒になってるよ。今……オレたち……」
「うン……小久保君、あついの……熱いよォ……はいって……つながって……あ」
「若田部………もっと、いい?」
「あ………あ、はい……来て。もっと……奥まで……」
“ぐぅ………ぬるぅ〜〜〜、くちゅぅう〜〜”
「あ!あ!はンああぁッ!」
マサヒコが、ゆっくりと、ゆっくりと、ピストン運動を開始する。
ぬるぬるとした襞がそのたびにペニスを擦り、締めつけてくる。
「あ……ン!あ……んァア!……くぅ……」
汗と涙に濡れたアヤナの表情は、やがて痛みから興奮へと変り、
ぎゅっ、とマサヒコに抱きついてきた。アヤナの豊かな乳房にマサヒコの顔がすっぽりと埋まる。
たっぷりと柔らかな感触を顔面いっぱいに感じながら、乳房の谷間にちろちろと舌を這わす。
「あ!やぁあ……ダメ……くすぐったぁい……」
アヤナが甲高い声で応える。マサヒコはそのまま、彼女の腰に手を回してより密着させて、
ぐいぐいと腰の動きを強く、激しくしていった。
“ぐちゅッ!ぱん!にゅちゅ、ぐ!ぐちッ!ぐちゅ”
「あ……あ!あ……うン!あ、はぁ!ん、やぁん」
バストに比べると信じられないほど細い腰を引き寄せ、深く、深くペニスを打ち込む。
アヤナは何度も痙攣するように震え、からだを撓らせる。
“ぐちゅッ!パンッ!くちゅ!ちゅぐッ!”
「ひゃん……!あ、ぃあッ、ひゃう!あはぁッ!ふぁ……ああ」
加速するマサヒコの動きにあわせ、アヤナの声も高く、澄んだものになっていく。
既にその表情は痛みに耐えるものから、とろん、と蕩けたものへと変わっていた。
唇が甘く戦慄き、吐息は艶やかで絞り出すような音へと昇華しようとしていた。
「あン!あッ!やだ……もう……あ……」
「若田部……ああ……いいよ。お前ン中……すごく、気持ち、イイ」
「あ……や!あ!わ、私も……私も……あッ!!でも……ダメ、私……」
アヤナは、高みへと―――昇りつめようと、していた。
擦られ、抉られ、埋められ、打ち込まれて――我を忘れ、喘ぎ声をあげて、からだを、揺らす。
“ぐちゅッ!ぷッ、ぱん!ぶぷッ!”
「あ!くぅ、ウん!あッ!あぁ――――ッ!!!」
(あぁ…………あ………あ……わたし……あ?ああ………)
マサヒコより一足先にアヤナは、生まれて初めて、達してしまっていた。
歓びと怯えとが混じり合った声を洩らして、啜り上げるように、泣いた。
“くきゅうううう………!!!”
「あ!若田部、いきなり、そんな!!!!」
マサヒコに縋りついて、激しく波打つアヤナの肉体。同時に膣奥がペニスを思いっきり締めつけた。
「あ………は、あああああン!」
マサヒコの言葉も耳に入らないアヤナは、忘我のままマサヒコの腰に脚を絡める。
“きゅう……きゅ、きゅうう……”
§
アヤナの中芯が、繰り返し、繰り返し収縮する。
ペニスだけでなく肉体の全てが包まれたまま、奥まで引っ張られるような錯覚を感じながら、
「あ……ああ……わか   たべ                                あ」
マサヒコは、熱く青い飛沫をアヤナの中で破裂させた。
“ぴゅ!どおぷ、どくッ!ぴゅぶッ!!”
「あ……ああ!熱い!熱いの、来てる!あぁン……小久保……くうん……はぁっぁあああ!」
透明な悲鳴を上げながら、アヤナは自分の奥まで精液が浴びせかけられたのを感じていた。
「あ……若田部……あ……ゴメン……オレ……あ……」
あまりの快楽に、危険を避けられなかったマサヒコはがっくりと肩を落しながら―――
ペニスを引き抜くことすらできず、何度も、何度も、最後まで。精を、アヤナの中に迸らせていた。
「いい……小久保君……謝らなくて……いいから」
「でも………」
「いいの……私が、望んだことだから。これは、私が思っていた……ことだから」
そう言って、アヤナは細い腕をマサヒコに巻き付けてきた。
マサヒコも、優しく彼女を抱き返した。からだとからだがぴったりと、くっつく。
肉体と肉体の間を、互いの体温と思いで、埋める。
ふたりは、言葉すら忘れ、そうしていた。ふたりは、ずっと―――ずっと、そのままでいた。
なにを話すでもなく、ただ、抱き合って―――そのままで、いた。

「………なんで」
ようやく、小さな声でアヤナが呟く。それが、自分の声なのか最初は分らないくらい、小さな声で。
「?どうしたの、若田部」
「ううん、なんでもない」
アヤナは、なぜ自分がマサヒコのことを好きになったのか、思い出していた。
それは、自覚したことさえないくらい自然な感情で、逆に思い出す必要もないようなことだった。
ふとした彼の仕草、彼の肉体、彼の表情を見るたびに、アヤナは安心できたのだ。
それは、マサヒコと自分が間違いなく同じ魂と同じ肉体でできているという、確信だった。
勝手な思いこみかもしれないが、いつもそう、アヤナは思っていたのだ。
ふと、なぜかひどく寂しい気持ちになって、アヤナは彼からからだを離し、シーツで顔を隠した。
「…………」
彼女の様子をじっと見つめていたマサヒコは、ぽん、とアヤナのつむじのあたりに手を乗せた。
アヤナはシーツから顔を出して彼の横顔を見あげた。マサヒコは、もうアヤナの方を見ていなかった。
ずっと、部屋の天井を見つめていた。優しげで、照れくさそうで、そしてどこか物憂げな―――
アヤナが、ずっと愛してきた、マサヒコの表情だった。
髭が薄くて睫毛の長い人だ、となぜか改めて思った。
手は、まだアヤナの頭のうえに置かれたままだった。
その手の温度は、やはり自分の温度と似て、少しだけ冷たくて、少しだけ温かかった。
ふたりの心の温度と同じく、似通った温度をしていたように、アヤナは感じられた。
「―――――」
突然、アヤナの双眸から涙が零れた。
彼女自身も、いつから泣き出してしまったのか分らないほど、唐突な涙だった。
しかし―――マサヒコは、全く慌てていなかった。むしろそれを予期していたかのように、
当然のように、アヤナを抱き寄せた。
(気が付かなければ………良かったのに……知らなければ……良かったのに)
マサヒコのことを知らなければ。マサヒコと出会わなければ。
なにより、彼のことを愛しているという、自分の感情に気付かなければ。
こんなに苦しむことは、なかったのかもしれない。
それは、親友であるミサキを裏切った事に対する後悔でも、贖罪でも、なかった。
もう、アヤナは知ってしまったのだ。マサヒコがいるということを。彼の肉体を。彼の魂を。
アヤナは、泣き続けながら、マサヒコに抱きついた。彼の体温を、もう一度感じようとして。
怖かった。アヤナはただ、怖かった。
ふたりのからだが離れてしまうときのことを想像するのが、怖かった。
「………手」
「え?」
「手を、つなごう、若田部」
§

「………うん」
ぎゅっ、と強く手を握った。手の温度よりも先に、彼の手のひらの汗を感じて、アヤナは驚いた。
なぜか、マサヒコは汗をあまりかかないような気がしていた。
しかし、その汗は、マサヒコのだけではなくて、アヤナの汗も混じったものだということに気付いた。
ふたりは、ひどく、たくさん、汗をかいていたのだ。夜の冷気が、少しだけその汗を冷やした。

マサヒコは、すやすやと寝息を立てているアヤナを見つめていた。
頬に涙の痕が残っていた。泣き腫らしたせいか、目元が少しだけはれぼったかった。
(……………オレは)
結局、アヤナと関係を持ってしまったことに、マサヒコは意外なほど冷静でいた。
アヤナを起こさないよう、慎重に、握っていた手をほどいた。
それでも、なんとなく彼女は手をほどかれたことに気付いているような気がしていた。
静かに、マサヒコはアヤナの髪の毛の匂いを、嗅いだ。
清潔で、ふわりとした香り。アヤナの香りと混じって、それはひどく華やかな薫りをしていた。
(………やっぱり香水?なのかな?)
化粧品について知識をほとんど持ち合わせていないマサヒコでも、
アヤナのその香りが高級なものであることは、分った。
押しつけがましくなく、それでいてきちんと香りを主張してきた。
アヤナの汗の匂いに混じって、肌に馴染んで、つけているということを感じさせなかった。
<「ねえ、マサちゃん?」>
<「なに?」>
<「私が―――マサちゃんのこと、すごく好きだってこと、知ってた?」>
なぜか、マサヒコは少し前に。アヤナが帰ってくる前に、ミサキとした会話を思い出していた。
ミサキは、幸せそうだった。満ち足りていて、楽しそうで、少しだけ、照れていた。
知ってるよ、とマサヒコは答えた。
<「嘘」>
<「こんなことで、嘘をついても仕方がないだろ?」>
<「ううん。そういうのじゃなくて。私はね………今、知ってることじゃなくて」>
それ以上なにかを言おうとして、ミサキは言葉をなおも探していたが、
結局諦めてマサヒコに抱きついてきた。
<「いいや。えへ……大好きだよ、マサちゃん」>
マサヒコの胸元で、くすぐるような吐息をかけながら、ミサキが囁く。
オレもだよ、そう言いながら、マサヒコはミサキのワンピースをめくって、ブラを脱がせた。
小さくて、可愛らしい蕾のようなミサキの胸に顔を埋める。
ミサキの肌からは、香水の匂いはしなかった。フレグランスか、シャンプーのような、控えめな匂い。
生まれたての乳飲み子が発するような、甘い匂いだった。
アヤナの肉体と匂いは大輪の薔薇を思い出させたが、
ミサキの香りとからだは、名もないが可憐に咲く、雑草のような花を思い起こさせた。
アヤナの匂いはマサヒコをひどく興奮させたが、ミサキの香りは温かく包んで安心させてくれた。
ミサキは、何度も声を出した。マサヒコのことを、好きだと言った。
アヤナも、声を出した。小さな叫び声のようなその声は、澄んだ、細くてきれいな声だった。
ふう、とマサヒコは息をついた。ふたりを比べていることに、罪の意識を抱いていた。
なにより、自分がひどく醒めた頭でそのことを考えていたことに、マサヒコは困惑していた。

ミサキ、と口の中で呟いた。何の感情もなく、ただ、ミサキ、と思った。
若田部、と思った。出来る限り単純に、ただ若田部、と心の中で呟いた。
(オレは―――)
冷たい人間なのだろうか、優柔不断な人間なのだろうか、それとも多情な人間なのだろうか、
そう、マサヒコは思った。どれでもありそうで、どれでもないような気がした。
ただ単に、自分はからっぽな、なんの中身もないだけの人間のような気がしていた。
(………先生)
唐突に、アイのことを思い出していた。なぜか、分らなかった。
アイは、マサヒコのことを、慰めてくれるだろうか?叱るだろうか?怒るだろうか?悲しむだろうか?
そんなことを思いながら、マサヒコは、ひたすらアイのことを、思い出していた。
(せんせい……先生。センセイ)
何度も、何度も。無意味なくらい、呟いていた。マサヒコは、虚空に向かって、ただ。


「は〜〜〜い、ご注文のチーズケーキとコーヒーです♪」
「はい、こちらご注文の蜜豆です!」
「マサヒコ君、抹茶ティー追加ね♪」
「はい、先生!」
英稜祭当日―――そこには再会を喜び合うヒマもなくフル回転で働く、
マサヒコ&アイ師弟コンビの姿があった。
「いらっしゃいませぇ♪こちらのお席にどうぞっ♪」
(小声で)「超萌えのメイドさんが2−Aにいるって聞いたけど……」
(小声で)「マジだったんだ……」
そして―――読者諸氏ならば未だ鮮烈に御記憶であろう。
アイは第71話で登場した、メイドコスプレ状態で来客に笑顔を振りまいていた。
「も〜〜〜う、アイ先生ったら人気独占状態じゃん」
「そう言いながらお前も結構人気じゃんか、柴原」
「そりゃ〜〜ね、こんだけの美人がウェイトレスで球児、じゃなくて給仕するわけだから」
「ほい柴原、三番テーブル注文のアイスコーヒー」
「無視?もう、相変わらずリンちゃん以外のボケには冷たいな、小久保〜〜〜」
「いらっしゃいませにゃん♪」
(猫耳萌え〜〜〜〜〜〜)
リンコの猫耳ウェイトレス姿に鼻の下を伸ばす、一部マニア達。
「……ところで、柴原。的山のあの姿とセリフには誰もツッこまないのか?」
「てゆ〜〜か、逆にリンちゃんならあれ以外無い感じじゃない?」
「積極的に認めたくは、ないけどな」
「小久保君、いいかな?あとアイスティーとミニホットケーキなんだけど」
「あ、ゴメン、井口さん。えと、湯上谷、アイスティーとミニホットケーキ追加いける?」
「了解!!!マサヒコ、これ五番テーブルにチーズケーキ」
マサヒコ達のクラスの出店、『喫茶2−A』はかくしてかなりの客を集めていた。
無論、アイ・アヤナ・リンコ・柴原さんといった美人ウェイトレスの存在も集客力の一因だったが、
アヤナ&柴原さんを筆頭とした女子陣が前日の準備段階から作り込んでいた、
ケーキ等軽食類の出来映えもすこぶる好評で、結果女子ウェイトレス・男子調理班ともに、
開店から手を休める暇もないという、やらしい、もとい嬉しい悲鳴をあげていた。
「マサヒコ、ミニホットケーキなんだけど、このままいくと品切れ間近だ!!」
「品切れしたらしょうがないから×マークをメニューに書くしかないよ、和田」
「悪い、マサヒコ。俺、これから山岳部の出店にいかんと」
「しょうがないな、広永。じゃ、そっちが終わったら、大急ぎで頼むな?」
「マサヒコく〜〜ん、三番テーブルにチーズケーキ2つ追加ね♪」
「あ、分りました、先生。佐々木?チーズケーキあと2ついける?」
「おう!余裕だ、マサヒコ!」
話の流れ上、ホールチーフのような役割となってしまっていたマサヒコは、
ここでも獅子奮迅の活躍を見せていた。
「はい、三番テーブルのチーズケーキです、先生」
「おいしそうな………ケーキだね……マサヒコ君(じゅるッ)」
「安心して下さい、濱中先生の分もキチンと取ってますから」
「わ〜〜〜い、ありがとう、アヤナちゃん♪マサヒコ君♪」
「はははは、相変わらずですねえ、先生」
「………なあ、マサヒコ?ちょっと良いか?」
「ん?なに?大野に湯上谷?あ、そっか。少し客入りも落ち着いてきたから、ローテで休憩に」
「………違う。あのな、濱中先生ってさ、お前の家庭教師だったんだよな?」
「?そうだよ。そう言っただろ?中一の頃から教えてもらってたって」
「これは、俺たちの総意……いや、天意だと思ってくれ、マサヒコ」
「は?」
「まず、濱中先生を連れてきてくれたこと、これはGJだ」
「ななな、なんだお前ら、気持ち悪い」
男子生徒全員から頭を撫でられて驚くマサヒコ。
「そして………あんな可愛い家庭教師と、三年間一緒にいたというお前の過去に、天誅だ」
“バキッ!” “ドスッ!” “グシャッ!”

「あぎッ!どひッ!のわッ!!」
そしてこのSSでは恒例となった感もあるが、またもフクロにされてしまうマサヒコであった。
「一応まだ店があるから半殺しで済ませとくけど」
「て言うか、俺的には1/3殺し程度なんだが」
「本当だったらこんなもんじゃないんだけどな」
(…………それは、ありがとう。有難くて涙が出てくるわ)
痛みを堪えながら、もう慣れたのか、それとも諦めたのか。とにかくマサヒコはそう思いつつ体を起こした。

「い、いやぁ、すいませんね、OGでもないのにウチの生徒の店を手伝ってもらって」
「うふふ〜〜♪良いんですよ。部外者なのに、こちらこそ勝手にお邪魔しちゃって」
「いえいえ、濱中さんは来年から教師になられるわけですし、私としても、その、
なんというか、同じ道を歩く濱中さんのような人に教師の先輩として協力したいと言いますか」
「ええ、先輩として教えて下さい、森脇先生♪」
(森脇先生、あんなこと言ってるぞ?)
(手伝ってもらうのをあんだけ渋ってたくせに、実物の濱中先生見たらアレだもんな)
生徒から思いっきり冷たい視線を浴びる副担任・森脇先生だが、
気付いているのかいないのかアイにデレデレの様子である。
「濱中さんは、母校に採用されたんですよね?桜才高校なら、名門じゃないですか」
「ええ。女子校だったんですが最近の少子化の影響もあって共学になったらしくて。
でもやっぱり圧倒的に女子が多いらしいんですけどね。今からちょっと心配で」
「は、はは。高校生の頃の濱中さんもさぞ………」
「あ〜〜〜〜ら、お久しぶりですね、森脇先生」
「※□@P!!!!!ななななな、中村?」
「あ!先輩、どうも……アレ?森脇先生とお知り合いなんですか?」
「あははははは、そうねぇ。あれはもう8年くらい前になりますかねえ?森脇先生」
「あ………うう゛………」
人差し指を頬に添えながら愉快そうに話す中村だが、
森脇先生は何故か滝の汗をかき、口をパクパクと開けて奇妙な呻き声を漏らしていた。
「懐かしいですねえ………あの頃は確か先生も新任で、野球部の副顧問でしたよね?
ウチの中学の野球部との合同練習で来られたときに、私を」
「あ!いかん、そそそそそそそ、そう言えば野球部の出店に行かないと!
わわ、悪いが私はここで!じゃ、じゃあな、中村、濱中さん」
そう言って席を立つと、森脇先生は脱兎のごとき勢いでその場から去っていった。
「?どうしたんですかね、森脇先生、突然」
「ま、美しい想い出とはいかないか…………どっちかと言えば古傷ってやつかしら」
「?」
「ん、いや、何でもないのよ。そんじゃアイ、私もウェイトレスに入るから、アンタは休憩しときな」
「はい!ありがとうございます、先輩!」
久しぶりの再会に嬉しそうなアイと、在りし日を思い浮かべて少し懐かしそうな顔の中村。
「あ!お姉様!」
「わ〜〜〜い、なかむら先生だ〜〜〜♪」
「お〜〜う、アヤナにリン、おつかれちゃ〜〜ん!」
「本当にすいません、お忙しいのにワガママ言って手伝ってもらって」
「んははは、良いのよ〜〜。休日出勤続きで代休も溜まってたし、
休み取って犬とストレス発散しようにも平日じゃ休めないとか犬は言いやがるし」
「?犬が?休みを取るんですか、せんせえ?」
「ま、細かいツッコミは無しにしといて。ホラ、お客さんよ?エプロン貸して」
「あ、はい!お姉様、どうぞ」

「…………一応確認しておくが………」
「あれが、的山さんの家庭教師で」
「良く一緒に勉強していたっていう、今は銀行員の中村先生なんだな?」
「………ああ、そうだ。オレも男だ、さあボコるならボコれ!!!」
「「「「マサヒコ」」」」
“ガシッ”

またも男子陣に囲まれ、ヤケクソ気味に開き直るマサヒコだが――
「もう、ここまでくれば」
「逆に尊敬します」
「あなたは、神だ」
(…………ちっとも嬉しくないのは、なんでだ?)
内心非常に複雑なマサヒコであった。
「あ、あの、小久保君、二番テーブルに、紅茶の追加なんだけど」
「お、おう、若田部」
それまでは、あまりの盛況ぶりに忙殺されていたアヤナとマサヒコだが、
少しだけ落ち着いて―――改めて向き合うと、やはりぎこちない空気になってしまっていた。
(オレは………昨日、若田部と………)
(私は………昨日、小久保君に)
昨日のことを思い出して、ほぼ同時に赤面してしまうふたり。
(夢、なんかじゃなかった………夢だったら、と思ったけど。でも、あれは………)
「マサヒコ?おい、マサヒコ?」
「!あ、ああ、ゴメン、若井」
「大丈夫か?なんか疲れてんじゃねーの?マサヒコ」
「ん……正直、ちょっとだけな」
「あ〜〜〜、和田とお前のふたり、朝からずっとだったもんな。
お客さんもちょっと少なくなってきたみたいだし、ふたりで休憩入れよ」
「いや、でも」
「いいじゃん、ありがたく休もうや、マサヒコ。お前もさっきローテで休もうかとか言ってたろ?
俺らから休まないと他の奴らも休みづらいだろうしさ」
「あ……そうだな、悪いな」
「いいっていいって。じゃあな、マサヒコ、和田」

「ふう、しかし繁盛するのはありがたいけど、結構キツイな、マサヒコ」
「あ?ああ、そうだな」
手にしていたコーヒーを口にした後、う〜〜ん、と小さな伸びをする和田君。
そんな彼の様子を、ちょっと固い表情でマサヒコは見ていた。
―――ふたりが休憩しているのは、アヤナが新庄先輩から告白を受けていた、例の空き地だった。
そこは文化祭の喧噪からひょっこり浮いて、秋の陽がぽかぽかとした日だまりをつくっていた。
忙しさから解放され、のんびりと休憩するはずのマサヒコ&和田君だったが。
こちらも昨日のことがあってか、少々ぎこちない空気になっていた。
(昨日………あのとき。和田はああ言ってたけど……それなのに、オレ)
「………なあ、マサヒコ?」
「なんだ?和田」
「昨日のアレさ、悪かったな」
「!いや、オレの方こそ」
「正直さ、お前に嫉妬してた部分もあったんだよな、俺」
「え?」
「お前ってなんでもソツがないっつーか、適当に浅く付き合うには良いんだけど、
なんつーの?なかなか本当のところどう思ってんのかわかんねー部分があって。
ま、杉内のアホみたいに分りやすすぎるのも考えもんなんだけどさ」
「……オレは、そんなこと」
「でも、若田部さんが来てから、お前、変わったよな?随分本音っぽいこと言うようになったし」
「そう………なのか?」
「自分じゃ気付いてないのかもしれないけど、若田部さんといるときのマサヒコって、
上手く言えないけど生のお前っていうかさ、本音っぽいんだよな」
「………自分じゃ、確かに良く分らないけど」
「もう俺は未練もないから、ヘンな感情無しで言うぞ?あの子が美人で、スタイルが良いとか、
帰国子女だとか、そういうのはいいから。お前は、若田部さんを、どう思ってんだ?」
「和田……俺………」
「お前と若田部さんって、互いに意識しながら遠慮してるっていうか。だから……なんかさ、
ちょっと言いたくなるんだよな。良いんじゃないか?マサヒコ。お前の、思うとおりにしたって」


「……………」
マサヒコは、喉元に鈍い刃物を突きつけられているような思いだった。
高校入学以来の付き合いだったが、クールで大人びた感じのする和田君とマサヒコは、
似たもの同士であるせいかウマが合い、なにかとつるんでは遊ぶ仲だった。
しかし今の和田君は、いきなり距離を縮めて直接的な言葉をマサヒコにぶつけてきていた。
それは―――マサヒコが初めて見る、和田君の顔だった。
この男の中にもこんな熱いものがあったのか、と戸惑うほどに。
「お前が、ミサキちゃんと若田部さんの間でなんか色々考えてるのは、俺でも分るよ。
でも、結局それもお前次第だろ?このままだと、若田部さんも、ミサキちゃんも、マサヒコも。
全員ダメになっちゃうんじゃないか?」
(…………和田、オレ、本当は……昨日、若田部と)
マサヒコは、全てを和田君に暴露してしまいたいという誘惑に駆られた。
和田君の言うとおり、アヤナとミサキとの間でどうにもならないことを知りながら、
ギリギリの綱引きをしている自分に―――マサヒコは、気付いた。
「ま、これも余計なお世話だったか……あはは、なに熱くなってんだかな、俺。
忘れてくれ、マサヒコ。忙しくて俺もどうにかなったんかね……」
「…………和田、あの……オレ」
「よし、そろそろ戻るかね。次休憩に入ってもらうのは湯上谷と佐々木ありにしとく?」
「う、うん」
話が中途半端に終わったことに、半ばホッとして、半ば落胆するマサヒコ。
ふう、と小さく溜息を一つ吐いて、和田君と共に立ち上がった。しかし。
「ふわ〜〜〜い、マサヒコ君、み〜〜つけた♪」
「あ、先生!………ってソレ」
「えへへ〜〜♪先輩が代りに入ってくれたから、休憩の間に、ね♪」 
口に綿アメをくわえ、左手にたこ焼き、右手にクレープ。
持てるだけの食料を持つメイドさんというのもなかなかシュールな風景だが、
非常にアイらしいと言えばアイらしい姿ではある。
「去年もそうだったけどクレープ超ウマ〜〜♪あ、マサヒコ君たちも休憩だったんだね。
えっと、和田君だったっけ?お疲れさま〜〜、流行ってるねえ、君たちのクラス」
「…………ども」
常識外れの食い意地を堂々と披露するアイに度肝を抜かれた様子の和田君は、
ようやく気付いたように小さな挨拶をした。しかしアイは困惑気味の彼などお構いなしに、
なおもパクパクと食べ物を胃袋に入れながらご満悦の表情だ。
「あのですね、人に話しかけといてものを食うのって結構失礼だと思いますよ?」
「あ、ごめ〜〜〜ん。たこ焼きも美味しかったから、つい。じゃ、和田君も食べる?」
「どこでどうなって『つい』になるのか分りませんし、なんで和田も食べることになるのかも分りません」
「い、いいってマサヒコ。じゃ、じゃあ有難くいただきますよ、濱中先生」
人に勧めておきながら、名残惜しげにジト〜〜〜っとたこ焼きを食べる和田君を見つめるアイ。
ちょっと居心地の悪そうな和田君だったが、あっさり目的を切り替えてクレープを平らげたアイは、
魔法のように後ろから鯛焼きと焼きそばを取り出して頬張り始めた。
(………まだ食うんかい。で、その食い合わせはどうなんですか?て言うかドラ○もんかあんたは)
数々のツッコミを頭に浮かべながら、口に出せずに諦め顔のマサヒコと、驚愕の表情の和田君。
素知らぬ顔のアイは、なおも獰猛な食欲を満たすのに夢中のご様子である。
「………なあ、マサヒコ?お前と濱中先生って、会うの久しぶりなんだよな?」
「?まあ、そういやそうか。オレも英稜祭や模擬試験とかで忙しかったし、
先生もしばらく就職活動とか自動車免許の試験とかで忙しかったみたいだし」
「ん、ならさ。も少し休んでいけよ。話したいこともあるだろうし」
「いや、でも和田」
「いいって。そろそろ広永や村田や山内も部の出店から戻ってくるし、なんとかなるだろ。じゃ」
「あ……和田、わりい」
悩めるマサヒコを残して去っていく和田君。アイはニコニコと食べ物を頬張ったまま、言った。
「ふ〜〜〜ん、意外に男の子の友達もいるし、頼りにされてるんだね、マサヒコ君」
「意外に、って」
「うふふ、ゴメン。だってマサヒコ君って中学の頃は女の子としか遊んでない感じだったから」
「あの頃だってそれなりに野郎とも遊んでたんですけどね」


「あ〜〜、そうだったの?」
「ま、いいですけど。しかしそのカッコ、トラウマだったはずじゃ?」
「だってコレ、マサヒコ君のリクエストでしょ?」
「?あの、オレそんなこと言った覚えは………?!あ!その話、どこから聞きました?まさか」
「先輩からなんだけど………あ!」
ふたりは顔を見合わせて、苦笑した。要するに、中村にハメられたということである。
「おかしいと思ってたんですよ。若田部はあんまそういう悪ノリするタイプじゃないし」
「私もマサヒコ君ってそんなメイド萌えだったっけ?なんて思ったんだけど。
あちゃあ〜〜〜、そっか〜〜。もしかして、マサヒコ君ちょっと引いてた?このカッコ」
「いや、そんなことありませんよ。実際大人気ですし、先生に良く似合って可愛いですよ」
「………///」
天然フェミ男・マサヒコの無防備な“可愛い”というセリフに苺のように頬を真っ赤にするアイ。
このふたりの関係は、やはり相変わらずのようだった。
しかし―――アイは突然マサヒコを真剣な表情で見つめると、口を開いた。
「ミサキちゃんが言ってたけど………ダメだよ、マサヒコ君」
「え?ミサキ………が?」
突然恋人の名がアイの口から発せられ、驚くマサヒコ。アイはそんな彼をじっと見つめている。
「どんな女の子とも、男の子とも、普通に接して、相手の良いところを素直に誉めることが出来るのは、
君のすごく良いところなんだけどね。でもそれってミサキちゃんには、すごく、すごく、心配なことなんだよ?」
「……………」
「私、ミサキちゃんに相談されてね、本当に困ったんだ。私は、君の良いところを知ってるから。
君のことを、誰よりも、知っているつもりでいたから。だから、困ったの」
「……………」
「ねえ、マサヒコ君?ミサキちゃんは、苦しんでるんだよ?
君のことを信じたいのに、信じられなくて。アヤナちゃんっていう親友に、裏切られて。だから」
「オレと、若田部は」
「良いから、聞いて。……マサヒコ君?君は、ずっと、みんなに優しかった。
でもね、優しさは、愛じゃないんだよ?それは、分ってる?」
「………先生、オレ」
「私は、君のことを本当の弟みたいに思ってるけど、それと同じくらい、
ミサキちゃんのことも大切な妹みたいに思ってるの。だからね、マサヒコ君?
君が、もしミサキちゃんのことを泣かせるようなことをするなら、絶対許さない。
君には、あの子のことを幸せにする、義務があるんだから」
アイの視線は、強いものだった。いつもの優しげで、朗らかなそれでは、なかった。
―――はっきりと、その視線は。刺すような、厳しさを含んでいた。
(オレは、やっぱり………先生のことも裏切ったのか。だから……)
マサヒコにとってアイは、どこか頼りなくて可愛い、お姉さん的な存在だった。
しかし今のアイの表情は、法廷で罪を告げる裁判官にも似た、粛然としたものだった。
「君が、ミサキちゃんとアヤナちゃんのふたりの間で揺れているってことくらい、私でも分る。
ふたりとも、すごく可愛くて、ふたりとも君のことを本当に好きだから。
それでも、君はいずれアヤナちゃんかミサキちゃんのどちらかを選ばなきゃいけない。
ねえ、そのときに、君はきちんと………別れを告げられる?選ばなかった相手に」
「…………」
「今は、答えを出せなくても良いよ。それでもこのままじゃいられないのは、
本当は君も分ってるんだよね?だから………マサヒコ君も、辛そうなんだってコトも分るの。
私は………ずっと、なにがあっても、マサヒコ君の味方だよ?でもね?」
一気に言い終えるとアイは―――ふう、と一息ついた後、じっとマサヒコを見つめた。
その目は、どこか、悲しげだった。その目は、どこか、優しげだった。その目は、どこか、寂しげだった。
「今の、マサヒコ君は私、好きじゃないよ。マサヒコ君は、いつも真剣だったじゃない。
悩んで、迷うことは、悪いことじゃないけど……でも、今の君は、ただ逃げてるだけにしか、見えない。
マサヒコ君は、目を逸らしてる。色んなことから。ミサキちゃんからも。アヤナちゃんからも。
私が好きだった、マサヒコ君は、そんな人じゃなかったよ」
「……………先生」
アイの言葉は、ひとつひとつ、マサヒコの胸に突き刺さっていた。分っていたのだ。分っていたのに。
(……先生の言うとおりだ。昨日、本当は若田部に、言わなきゃいけなかったんだ。なのに)


「以上、一個目のおせっかい。もう、良いよね?」
「え?」
「信じてるから」
「?」
「私は、君を、信じる。それしか、出来ないから。マサヒコ君なら、決断できるはずだよね?
たとえ、その結果が、悲しいものだったとしても。それが、君の決めたことだから。マサヒコ君?」
「………はい」
「行きなさい。3時になったら、ミサキちゃんが、来ることになってるから」
「!!え、ええ??」
「ふふ、これが、もうひとつのおせっかいだよ」
「で、でも」
「受け止めなさい。自分の、してきたことを。自分が、しなきゃいけないことを。マサヒコ君?」
「…………」
「行きなさい」
「………はい!」
叫ぶように、大きな声で、答えた。アイの気持ちを、しっかりと、受け止めた。
踵を返し、駆けるようにマサヒコは―――教室へと、戻る。
「………………」
「…………あれで、良かったの?アイ」
「!せ、先輩!」
遠ざかるマサヒコの背中を見つめていたアイだが、突然現れた中村に、驚いて目を見開いた。
「い、いったい、先輩いつから」
「ん?最初っからずっと」
「ずっと!?」
「ま、細かいことはいいからさ。あれで、アンタは本当に良かったの?」
「あれで……って、どういう意味ですか?」
「確かにマサの奴ちょっと沈んでる感じだったから、ハッパをかけるのはいいんだけどさ。
結局アンタの気持ちは、言ってないよね?あれで良かったのかな、って思っちゃったんだけど」
「………私の気持ちなら、さっきマサヒコ君に言ったとおりです」
「ふ〜〜〜ん。ま、アンタがそう言うならいいんだけどね」
冷めた目でアイを見つめる中村と、その視線に負けまいとするかのように見返すアイ。
ふたりは、なぜかしばらく無言のまま、見つめ合う。
「「……………」」
―――そして、先に行動を起こしたのは、中村の方だった。
大股でアイの前に歩み寄ると、ボリボリと頭をかいてから、大きく左右に腕を開いてみせる。
「ま、柄じゃ〜〜ないかもだけど………ほれ」
「…………」
アイは、なおも無言のままだ。しかし、彼女の表情は中村の行動を計りかねるものではなく――
むしろ、中村の意図を全て理解しながらも、それを必死で拒否するかのような表情だった。
「メンドクサイわねえ………」
そう言ってから、くすり、と小さく笑うと中村がアイを抱き寄せた。
ほとんど抵抗することもなく、彼女は長身の中村に抱かれる。
「ま、アンタとはそれなり〜〜に長い付き合いだしね。なんも、言わなくていいよ。
私は、なんとなくアンタをこうしてやりたくなった、だけだから。アンタも、もう我慢すんの、止しな」
「…………我慢なんて」
「いいから。しばらくこのままでいるからね、アイ?」
「……………」
肯うことも、拒むこともせずに、アイは中村の腕の中にいた。
―――やがて、アイの両肩は、少しずつ、少しずつ、震え始めた。
「………う……うぅ。うッ………」
アイの声は、嗚咽へと変わっていった。そんな彼女を、中村は無言で抱いていた。
「うッ、ううッ、う……うう、う………ぐすッ」
「……………馬鹿だねえ、アンタも。最後の最後まで、意地張っちゃって」
「うッ、う。ぐすッ。う、うう」
アイの頭を、優しく撫でる中村。アイはもう、子供のように泣きじゃくっていた。

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