「遅れてわりい、若井!」
「あ、マサヒコ!早速でわりいけど、飲み物の方入ってくれるか?」
「OK、すぐ入る」
戻る早々エプロンをつけ、マサヒコはカーテンで仕切られた厨房スペース右のドリンクコーナーに入った。
和田君と休憩に入ったときは多少客足が鈍り始めていた『喫茶2-A』だが、
再び多くの客が集まり始めていた。まだ2時半を少し過ぎたくらいにもかかわらず、
既にお品書きの半分近いメニューにはマジックで×印が引かれていた。
「小久保!ゴメン、一番テーブルにアイスティーなんだけど、二つ!」
「おう、柴原。これ終わったらすぐだから待っててくれ」
吹っ切れたような表情で、マサヒコは作業に没頭していた。
とにかく、体を動かしたくて仕方が無い自分が、いた。
(答えなんて……出ないですよ、先生。オレは、どっちも選べないかもしれない。だけど)
マサヒコは、思っていた。それでも、結論は、出さなければならない。ならば―――
「マサヒコ?」
「あ、和田、三番テーブルのホットティー、もうすぐ」
声をかけてきた和田君にそう答えるマサヒコだったが。
和田君はなにやら思わせぶりな表情をすると、肘でマサヒコの脇腹を小さく突いてきた。
「………?和田?」
友人の行動に戸惑うマサヒコだが、彼はそのまま顎をしゃくり、
厨房スペースからのぞくことの出来る教室の入り口を示して見せた。
「?………!あ!」
そう、そこには―――――栗色の髪をした、あの少女が立っていた。
「あ、ミサキちゃ〜〜ん!来てくれたんだねっ!」
「お〜〜っす、ミサキ〜〜〜!」
ミサキを見つけた、柴原さんとリンコが嬉しそうな表情で駆け寄る。
「あっは〜〜、柴っちにリンちゃん、久しぶり〜〜!」
輪になって再会を喜ぶ柴原さん・リンコ・ミサキ。
(あ!若田部は!?)
慌ててアヤナの姿を探すマサヒコだが、すぐに和田君が小声で囁いた。
「安心しろ、マサヒコ。音楽室のあたりでキョロキョロしてたミサキちゃんを俺が先に見つけたから、
先回りして若田部さんには井口さんらと一緒に休憩入ってもらった。多分校内だろうけど」
「………悪い、和田」
友人の機転に感謝するマサヒコだが、和田君は端正な横顔を少し歪め、更に続ける。
「それでもあと少しすれば戻ってくると思う。どうする、マサヒコ?
とりあえず、ミサキちゃんとお前はここから抜け出した方が」
「で、でもオレ、さっき休憩入ったばっかだし」
「いや、逆に抜けるならこのタイミングしかないと思う。今なら客足もちょっと少なくなってきてるし。な、だから」
「ほ〜〜い♪こ・く・ぼ♪彼女が来ったよ〜〜ん♪」
「………ご、ゴメン。マサちゃん……来ちゃった」
「いや、その。別に良いんだけどさ、ミサキ」
「………??」
柴原さん&リンコのコンビがミサキの背を押すようにして厨房スペースに入ってきた―――の、だが。
マサヒコとミサキは、ひどく固い表情だった。首を傾げる柴原さんと、そして。
(あれが………小久保君の、彼女……)
(口惜しいけど………可愛い………)
本日のマサヒコの奮闘ぶりに、か〜〜なりマサヒコ萌え状態になっていた女子陣だが、
初めて実物のミサキを見て、複雑な気持ちになる子も多いわけで。おまけに。
「噂のミサキちゃんか、あれ」
「マジで可愛いじゃねえかぁぁぁ!マサヒコの奴ぅぅぅ!!!!」
こちらもまたミサキ初見となる男性陣の心の中では、醜い嫉妬が渦を巻いているわけで。
「マサヒコ、やべえぞ。良いからこっから抜け出せ」
「で、でも」
「あと少しすれば、広永や村田も帰ってくるはずだし、俺に任せろ。分ったな?」
そう言うと、くるり、とマサヒコに背を向け、和田君がみんなに聞こえるような大声で言った。
「お〜〜し!じゃ、おふたりさんには我が英稜祭をじっくりと見てもらおうか。だべ?柴原さん?」


「?……!あ、そうね、和田君!じゃ、ミサキと小久保、ふたりでいろいろ回ってきなよッ!!」
「で、でも悪いよ、柴っち」
「うふふ、良いのッ♪たまには夫婦水入らずでゆっくりしてきなって♪」
「夫婦水入らずって、あのな、柴原」
「ほ〜〜〜ら、小久保もさっさと行きなさい。たまには彼女孝行しないと」
「たまには、って現場を見たんかいお前は」
「いいから!早く早く!」
ニヤニヤと笑いながら、マサヒコとミサキの手を無理矢理引っ張る柴原さんだったが―――しかし。
絶妙のタイミングでそこに割り込んでくる、天然娘がひとり。
「ね〜〜〜ね〜〜ぇ、じゃあ〜〜、私たちも一緒に行って良い?」
「ダ〜〜メよ、リンちゃん。ふたりを水入らずにしてあげないと。
それに、私とリンちゃんが一緒に抜けたら、ウェイトレスが足りなく」
「ちがうの〜〜〜ぉ。柴ちゃんと私じゃなくて〜〜〜」
「…………あの、し、柴原さん、悪いんすけど」
「?」
リンコの後ろからちょっと気まずそうに顔を出したのは、クラス一のお調子者こと、杉内君だ。
「その………俺ら、あの」
「わたしも〜〜〜杉内君と一緒にいろいろ回りたい〜〜♪えへへっ♪」
「え?て、てことは?」
「あの…………その、柴原さん、実はリンコちゃんと俺」
「昨日ね〜〜、杉内君から告白されて、わたしたち、付き合うことになったんだ♪えへへへ♪」
「な!?」
「!%αええ?」
「?え※ええ凸え?!!!!!」
いっせいに、どよめく教室内―――ま、そりゃそうだ。そして、当の本人達はと言えば。
リンコはいつもどおりのほにゃ〜〜〜、とした笑顔で。
一方の杉内君は照れくさそうな、しかしこれまた満面のニヤケ顔である。
「す、杉内ィ!!!ててててて、テメェ!!!!」
「え〜〜、嘘〜〜!!!!!リンちゃん、いつの間に!!!」
「ま、マジっすかァッァァァァァァァァ!!!!」
「?あ、じゃあもしかして、杉内?昨日、マジで告ったの?」
「………はい。あの、柴原さんのオカゲです」
「??私の?」
「昨日の帰り道、告れなかったらへタレだとか言ってたじゃないっすか?
アレで俺、ケツ叩かれたっつーか。ホントは俺、一年の頃からリンコちゃんに惚れてたんだけど。
見てるだけで満足だとか、自分に言い聞かせたりしてた感じで。でもそれって結局逃げだって、
柴原さんに言われて気付いたんすよ。このままじゃダメだって、思ったんすわ。
後悔したくねーって。思い出にしたくねーって思って、ダメモトで、当たって砕けろで、告ったら」
「OKだったんだ?」
「な、なにが良かったんだよ、こんなアホの!!!」
「だって杉内君って、一緒にいて楽しいんだもん♪いつも私を笑わせてくれるし。
それに、杉内君と結婚したら、杉内リンコになるんだよ〜〜♪それって可愛くない?」
「!!!けけけけ、けっこん!!!」
「そんな、早まらないでくれーーー!!!!!!!!!!!!!的山さん!!!」
「やだぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!俺の、リンコちゃんがぁぁぁぁ!!!」
「てゆーか、杉内リンコってそんな可愛いか?」
絶叫するリンコファンの男性陣と、リンコの天然ぶりに改めて呆れかえる女性陣―――そして。
リンコの言葉を聞いて、完璧に舞い上がった杉内君は、
「リンコちゃん!!!」
周囲の敵意、困惑、etcとにかくそれらをあっさりと無視して。リンコの両手をしっかりと、握った。
「俺は、こんな、こんな奴だけど。リンコちゃんが、ずっと好きだった!
だから、約束します!俺は、君をこれからも、ずっと。生きる限り、死ぬまで、好きでいる。
それだけは、約束する!ごめんなさい!神様よりも、大好きです!だから」
「えへっへ〜〜♪私も、好きだよ、杉内く〜〜ん」
「………………」

盛り上がるリンコ&杉内君の天然アホカップル。あっけにとられる2-Aの生徒達だが―――。
「マサヒコ、今のうちだ」
「え?」
「抜け出せ。さっきも言ったけど、そろそろ若田部さんたち、帰ってくる」
「でも」
「クラスの奴らが気を取られてる、今が最後のチャンスだ。今抜け出せば、誰も気が付かねーべ?
あとは柴原さんと俺でいくらでもなんとかするから。行け」
言い終えると和田君は指先でマサヒコの脇腹を、ぱちん、と軽く弾いた。
「………悪い、和田」
和田君の友情に思わず頭を下げるマサヒコだが、和田君はどことなく決まり悪そうな顔で。
「んっとにな。俺、こんなキャラじゃねーのに。このツケは高くつくぞ?」
「本当、悪いな、和田」
分っていた。クールを気取っているが、本当の和田君は、底なしのお人好しなのだ。
そんな自分を誤魔化すために皮肉屋を装っていることも、マサヒコには分っていた。
「ミサキ………行くぞ」
「?ま、マサちゃん?」
マサヒコはミサキの手をとると、急いで教室から抜け出した。
和田君の予想通り、ふたりの行動に気付くものは誰一人おらず―――
まだなおも、リンコ&杉内君の記者会見が続いていた。
「ああああ、あのとき、俺がリンコちゃんに告白してたら!!!」
「リンちゃん、おめっと〜〜♪」
「今だから言う。リンコちゃん、俺、君が好きです!!!」
「お、俺も!!」
「ダメだよぉ〜〜、わたしは、もう杉内君のものなんだから〜〜♪」
「すすすすす、杉内のモノををををををををを!Qt●3Σ□βk!!!!!!!!!!!!!」
飛び交う怒号と、驚愕と、笑い。それを背に、マサヒコとミサキは手をつないで、廊下を走る。
「マサちゃん………ゴメンね。わたし………」
「謝んなよ、ミサキ」
「…………え?」
「ゴメンな。謝らなきゃいけないのは、オレの方だ」
マサヒコは、思っていた。
(本当なら招待しなきゃダメだったんだ、ミサキを。オレの彼女は、ミサキ以外、いないんだから)
マサヒコは、思っていた。自分の横にいるべきひとは、誰かなのかを。いて欲しいひとは、誰かなのを。
「「………」」
ふたりは、無言で、駆ける。それぞれの、思いを抱きながら。

屋上に、着いた。幸いそこには、誰もいなかった。
「ミサキ」
「なに?マサちゃん」
「オレ………ごめんな」
頭を垂れるマサヒコを、ミサキが見返してくる。
それはそれまでの為すがままの彼女とは違う、強い、意志的な視線だった。
「………なんで、謝るの?」
「言えなかった。若田部に。俺には、ミサキがいるって。言えなかった。それで、オレ」
「知らないよね、マサちゃんは」
「え?」
「私が、マサちゃんのことを、すごく好きだってことを」
「?………それは」
かつて、似たセリフを彼女から聞いた記憶が蘇る。
「私は、好きなの。マサちゃんのことを。好きで、好きで、ずっと好きだったの」
「オレだって、ミサキのことを」
「好きだって、言いたいんでしょう?」
「う、うん」
「私だって、分ってるよ?マサちゃんも、私のことを、好きでいてくれてることは。でもね、マサちゃん?
私は、本当に。気持ち悪いくらい、あなたを、好きなの。…………本当に、好きだから」


ミサキが、笑う。それは、湧き水がさらさらと零れるような、透明な笑みだった。
そしてひどく儚くて、寂しげな、笑顔だった。この子は、こんな笑顔をする子だったろうか―――
ふと、マサヒコはそんなことを思った。
「別れて、あげる。あなたの……もう、負担にならないから。重石に、なりたくないから」
「!!!み、ミサキ!そ、そんな」
「ダメだよ、マサちゃん。せっかく、私の方から振ってあげたんだから」
「違うんだ、ミサキ。オレは」
「ふふッ。私ね、マサちゃん?結構モテるんだよ?」
「…………」
また、思い出していた。アヤナが、ミサキと酷く似た言葉を、言っていたことを。
度重なるデジャヴに、ただ混乱するマサヒコ。
「だから、すぐに良い人見つけちゃうよ。きっと、あなたは、後悔する。
私と別れたことを、後悔する。きっと、そうなるんだから。………じゃあね、マサちゃん」
「ミサキ!!」
(ダメだ………止めなきゃ。オレは、お前を、失いたくないって、そう、言わなきゃ)
そう思うマサヒコだが、両脚は凍ったように、動かなかった。
舌先がひりひりとして、言葉を発することも、できなかった。
「さよなら、マサちゃん。私の……大切な、ひと。大好き、だったよ」
ミサキは、そう言ってまた笑う。その笑顔は、マサヒコが初めて見る、笑顔。
(ずっと、小さな頃から、一緒だった。オレと、ミサキは。なのに………)
知らない顔をした少女が、いなくなろうとしていた。後ろも、振り返らずに。
「ミサキィィィィィィ!!!!!!!」
喉が張り裂けるかのような絶叫するマサヒコだが―――既に、彼女は、いなかった。
消えるように、去っていった。
「あ…………あ」
膝を折って、その場に座り込んだ。体中の血液が、逆流するような錯覚。
耳の奥から、なにか音が響いたような、気がした。マサヒコは、その場で蹲って―――
そして。崩れ落ちるように。

「…………?マサヒコ?」
和田君は、教室へと入ってくる友人の姿を認めて声をかけた。
彼をひとまず送り出してから、まだ30分ほどしかたっていないことを、腕時計で確認する。
(…………?)
おかしい。―――既に和田君は、マサヒコの異変に気付いていた。
「大丈夫か、マサヒコ?なにかあったか?」
「あ、和田?なんでもないよ。悪かったな」
口調は、いつものマサヒコだった。感情的になっているようにも、呆然としているようにも、見えない。
しかし和田君は、どこか。マサヒコが、どこかおかしいという感覚から、抜け出せずにいた。
「お〜〜い、マサヒコ?戻ってきたんなら、入ってくれーー!!」
「………うん、すぐに入るから、広永」
喫茶2-Aの盛況は、まだ続いていた。いや、むしろ英稜祭終了に刻々と近づいている、
その時間を惜しむかのように………最後の熱狂とも言える、賑わいを、見せていた。
(…………?)
どうにも気がかりな和田君だが、すぐに厨房へと入ったマサヒコは普段と変わりなく、
むしろテキパキと仕事をこなしてすらいた。しかしそんな彼の様子を見ていても、
和田君には釈然としないものが残っていた。それは。
外見だけマサヒコに似た全くの別人がそこにいるような。小さな歯車が、狂ってしまったかのような。
微妙だが、どうしても消えない、錯覚だった。
「あ………お帰り、小久保君」
「…………ああ、若田部」
ぎこちなく、挨拶するアヤナと、それに淡々と答えるマサヒコ。
ぞくり、と和田君は背中に冷たいものが、走ったような気がした。
なぜなら―――ふたりのことを心配して横目で見た瞬間、気付いたのだ。
マサヒコの目が、今までに見たことがないくらい。酷く悲しげで、冷たかったことを。
(マサヒコ………)


和田君は、嫌な予感に襲われていた。それは、なぜか。確信にも似た、感情だった。

「はい、井口さん、このアイスコーヒーがラスト・オーダーです!!!」
「おっしゃぁ、完売だぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」
どよめく『喫茶2-A』。そして、それとほぼ同時に。
【ピンポン、パン、ポ〜〜ン】
『英稜祭は、まもなく終了します。恒例のラストイベント、<希望の灯>が行われます!
実行委員の皆様は、生徒会室前に集まって下さい!』
「おおおお、終わったぜ!!」
「お疲れ、みんな!!!」
「は〜〜い、みんな!!それじゃ、バンザイ三唱といきますか?」
「いいね、柴原さん!」
「じゃ、今日頑張ったのはみんなだけど………ここは、実行委員のアヤナと小久保で良いかな?」
「「「「「異議なし!」」」」」
柴原さんがあっさりと場を仕切り、壇上へと押し出されるふたり。
「えっと………俺らで、いいの?」
「な〜〜に、言ってるの、アンタらが音頭を取らないと、ここは納まらないでしょうが!」
「「「「アッ、ヤッ、ナッ!!!マッ!サッ!ヒッ!コッ!」」」」
囃し立てる周囲をふたりでちょっと恥ずかしそうに見たあと―――
「それじゃ………いいか?若田部」
「ウン、小久保君」
「「ばんざ〜〜〜い!!ばんざ〜〜〜い!!!ばんざ〜〜〜い!!!!」」
アヤナ&マサヒコのバンザイ三唱に、狂喜乱舞で答えるクラスの面々。
三唱後、隣り合った同士で握手をしたり、中には感極まったのか泣き出している者すらいた。
中村&アイの年長コンビも、ニコニコとそんなクラスの熱気を見つめていた。
「…………柴原?場を白けさせないうちに、オレたち行くぜ?あとはお願いして良いか?」
「あ、そうだよね?さっき実行委員呼ばれてたし」
「ゴメンね、柴原さん。ファイヤーストームでね?」
「ほいほい。あとは私らに任せて、いってらっさい、アヤナ」
柴原さんが快諾し、マサヒコとアヤナはそそくさと教室を後にする。
「は、濱中さん!あの、良かったらこれから俺らと」
「ずりいぞ、出し抜くな、湯上谷!濱中さん!お願いします!俺らと打ち上げに」
「ついでにメアドなんかを」
「打ち上げなら全然OKだけど、え〜〜?メアド?」
「教える必要なんか無いっす!死ね、大野!」
ドサクサ紛れのうちにというか、アイはいつの間にか男子生徒達に囲まれてしまっていた。
―――しかし、そうした熱狂の中から一歩身を引いていた人物が、いた。
そう、教室を去っていくふたりの後ろ姿を逃がさずに見つめていたのは、やはり、中村だった。
「柴原さん、だったっけ?」
「あ、今日は一日、本当にありがとうございました。中村先生」
中村が声をかけると、ぺこり、と柴原さんがお辞儀をする。が、中村は苦笑混じりに答えた。
「もう先生でもなんでも無いって。ただのOL。ねえ?あなたなら、頼めると思うんだけど………」
「??え?」
耳打ちする中村と、目を白黒させる柴原さん。そんな密談が行われているとも知らないふたりは―――

「本当は、柴原みたいなのが実行委員になれば良かったんだよな」
「ふふ、でも柴原さんって女バレでも頼られてるみたいだし。
ウチのクラス専任ってわけにもいかなかったんでしょ?最後に帰ってきてくれただけでも感謝しないと」
「ん、まあな。実際アイツって人当たりが良いだけじゃなくて面倒見も良いし」
「それだけじゃないよ?交渉力とか事務処理能力も抜群なんだから、柴原さんって」
「はは、しかしまぁ…………お疲れだったな、若田部」
「うん………小久保君」
アヤナはマサヒコの横顔を見つめた。実は彼女にも和田君と同じく、拭い去れない違和感があった。
それは、マサヒコが帰ってきてからずっと、抱いていた思いだった。

さきほどからの会話も、特に不自然な内容ではないし、引っかかるところもなかった。
それでも、アヤナにはどうしても。上っ面だけの、会話にしか思えなかった。
マサヒコが―――なにか。なにかを、隠しているような―――そんな気がして。
「………若田部?例の手紙って、生徒会室でもらえるのかな?」
「………あ。う、うん。そうだって、副会長の那須野さんが言ってた」
「ふぅん………そっか」
少し不意を突かれてしまったアヤナだが、マサヒコは彼女の様子を気にする様子も無かった。
やがて、生徒会室の前に着いた。既にそこでは各クラスの実行委員が、
英稜祭が終わろうとする最後の興奮に身を浸して賑やかに雑談を交わしていた。
「お、若田部さんお疲れ!2-A、すごかったみたいじゃん!」
「あ、那須野先輩。そうですね、おかげさまで完売でしたけど」
「いや、マジで2年の中ではダントツの売り上げみたいよ?頑張ったね〜〜」
「ありがとうございます。クラス全員、頑張りましたから。あの、ウチのクラスの手紙は?」
「ああ、悪い悪い。えっと、2-Aは、うん、これだね。はは、ところで若田部さんはなにをお願いしたの?
なんて聞いてみたりして。受験とか?イロコイ関係とか?」
そう言いながら那須野はちょっとねっとりとした視線をアヤナに送ってきた。
心の中で苦笑しながら、アヤナは副会長からひとまとめにされた手紙を受け取る。
「ふふ、面白味がないですけど、『英稜祭が上手くいきますように』って。それだけですよ」
「へえ〜〜、偉いねえ」
まだなにか言いたそうな副会長に軽く、しかし満面の(作り)笑顔でお辞儀をすると、
その場の会話を打ち切ってアヤナはマサヒコの元に戻って手紙の束を手渡した。
「はい、男子の分。でもなんだか、ドキドキするね。これから、最後のファイヤーストームなんだよね?」
「そうか。去年いなかったから若田部は初めてなんだよな」
「ウン。盛り上がるんだよね?」
「ま、英稜祭のハイライトだからな」
英稜祭のラストを飾るのは、<希望の灯>と題されたファイヤーストームに、
あらかじめ生徒が願い事を書いた手紙をくべて燃やすというイベントなのだった。手紙が勢いよく燃え、
火の粉となってファイヤーストームの頂点まで届くと願いが叶うという、学園伝説が残っており―――
特に恋愛関係では毎年かなりの高確率でカップルが誕生するとも言われていた。
「はい、それでは実行委員の皆さん?そろそろ後夜祭に向かいますから、
ファイヤーストームの前で円になって並んでいて下さい!」
生徒会長が皆の雑談に負けじと声を張り上げ、実行委員の面々は陽気にグランドへと向かう。
その中に―――マサヒコと、アヤナもいた。
「…………小久保君は」
「ん?」
「願い事、なんて書いたの?」
「………なんだったけな?」
「もう。忘れちゃうようなことなの?」
「ん、だってけっこう前のことだしさ。
「………私は」
「若田部?言わない方が良いよ」
「え?」
「願い事ってさ、願をかける前に人に言っちゃうと叶わないんだって。だから今は言わない方が良いよ」
「………う、ウン」
思いもかけず、マサヒコの表情は真剣なものだった。なぜか、アヤナはそれ以上深く追及することができず。
ふたりは、それから黙ったまま。グランドへと、足を運ぶのだった。

「…………はい、それじゃ1-Eの実行委員、野口さんと下柳君!お願いします!!」
「「はい!!」」
一年生最後の実行委員が、手紙の束をファイヤーストームにくべようとしていた。
興奮によるものだけでなく、ふたりの顔は炎に照らされて、真っ赤に映えていた。
"パチッ………ジジジジ!!"
手紙の束に、火が燃え移る。元々は白かったはずの手紙の束はすぐに黒々とした塊となり、
それは火の粉となって宙を舞う。ファイヤーストームを囲んでいる英稜生たちは、
皆じっとその様子を見つめ………そしてそれぞれの願い事を、心の中で呟く。


「続いて、二年生にいきます!2-Aの実行委員、小久保君と若田部さん!」
「「………はい!」」
アヤナとマサヒコのふたりが、手紙の束を持って前へと出る。
ファイヤーストームの根元にそれらを置くと、熱波からのがれるように、ふたりは後退り、
そしてマサヒコが鉄の棒で手紙の束をファイヤーストームの中へと押し込んだ。
"ジ………パチ、パチッ、ジジジジ"
燃えさかる炎、そして―――手紙の束は、炎の中で黒い羽となり、
赤く照らされたファイヤーストームの周りを駆け上るように飛翔して夜の闇へと吸いこまれていく。
最後の仕事を終えたふたりは、それぞれの願いを祈っていたであろう、2-Aの生徒達の元へと戻る。
「お疲れ!マサヒコ!」
「お疲れさま〜〜、若田部さん!」
ハイタッチでマサヒコを迎える男子生徒、アヤナに抱きつくようにして喜び合う女性陣。
ふたりは、しばらくそんな同級生たちと喜びを分かち合っていたが………
「………小久保?コレ終わったら、行ってきな」
「え?」
「決着。アヤナと、まだつけてないんでしょ?あの子に屋上に行くように、言っておいたから」
「!!し、柴原?」
それまでは皆と一緒に騒ぎの中にいた柴原さんだったが―――
少し落ち着いた頃を見計らったようにマサヒコの隣にくると、耳元で囁いた。
「いいから、行ってきな?今日のアンタらの様子見て、気付かないわけないでしょうに」
「………柴原、お前」
「中村さんに、言われたんだ。和田君の態度もヘンだったし、色々追及したわけ。
和田君もなかなか口を割らなかったけど、なんとか聞き出してね。
しかし、不器用だよね、小久保も………アヤナも」
「……………」
黙りこくるマサヒコだが、柴原さんは彼の腕を取って続ける。
「行ってきな?良いよ、後は。これは、中村さんと和田君と、私の、おせっかいだから」
はっとしてマサヒコは柴原さんを見つめた。ほとんど同じ言葉を、今日アイから聞いた記憶が蘇る。
柴原さんは、真剣な眼差しでマサヒコを見つめ返した後―――にっこりと、笑って頷いた。
(柴原…………)
ふと、視線を感じて振り返ると――――和田君の、心配そうな顔があった。
また視線を感じて、その方向を見る。そこには、マサヒコに微笑みかけるアイの顔。
そしてその側でちょっと決まり悪そうに横を向く、中村の顔。
(中村先生……………濱中先生………和田)
こんなにも、自分を助け、気にかけてくれる人がいる。そう思うと、マサヒコは恥ずかしさに襲われた。
ミサキに去られて、少しだけ自虐的になっていた自分を、小さなものだと思った。
「ありがとう、柴原。行ってくるよ、オレ」
笑顔のまま、無言で頷く柴原さん。そして、マサヒコは駆けた。

屋上につくと、アヤナはじっと炎の柱を見つめていた。パチパチと燃え盛る炎の粉に照らされて、
彼女の端整な顔はむしろ、美しさよりも儚さを感じさせるかのようだった。
「………小久保君」
現れたマサヒコの姿を認めると、思い出したように、アヤナが言った。
無言で、彼女の横に立つ。アヤナは、何も言わずに眼下のファイヤーストームを見つめていた。
マサヒコも、無言でいた。ふたりは、しばらくそうしていた。無言で、炎を見つめていた。
「…………振られちゃったよ」
どれだけの時間が過ぎたのか―――ようやく、マサヒコが小声で言った。
「え?」
「今日、ミサキが遊びに来てたんだ。それで………オレ、アイツに謝ろうと思って。
ここに連れてきて、謝ろうと思って。でも、振られちゃったんだ」
「………それって」
「オレ、バカだよな。若田部」
「?」
「分かんなかったんだ。でも、結局、二兎を追っちゃったんだ。お前と………ミサキを。
ふたりを、傷つけたくないって思ってたはずなのに。結局、お前らふたりともに、最低な思いをさせて」

「……………」
アヤナはマサヒコの横顔をまた、見た。思いのほか、その表情は固くもなく、
また、自傷的でも、自暴自棄になっているようでもなかった。
先ほどまでのどこか冷えた感じもせず、無表情でもない―――静謐で、穏やかな横顔だった。
(私は………違う。そう、望んだんじゃない。違うけど…………)
「……………」
思わずアヤナは、隣にいる、マサヒコの指に自分の指を絡めていた。
マサヒコもそれを拒むこともなく受け入れて―――ふたりは、ただ無言で炎を見つめていた。
やがて、全てのクラスの手紙がファイヤーストームにくべられて、後夜祭は終わった。
屋上から見下ろすと、たくさんの生徒達の感情が、歓喜の輪でひとつになっているのが、分った。
「終わったんだね………」
「ああ」
ふたりは、最後の手紙の束が燃え尽きるまで、ずっと炎を見つめていた。
終わったのは、後夜祭なのか。それともミサキとマサヒコの関係のことなのか。
それとも違う、なにか別のことなのか。アヤナの呟きが、どれを指しているのかマサヒコには分らなかった。
どれでもあるようで、どれとも異なるような気がしていた。しばらくそうしていて、ふっとアヤナを見ると―――
「……………若田部?」
「…………」
アヤナは、泣いていた。大粒の涙をボロボロと零して。
「なんで………泣いてるんだ?」
「分らない………分らないけど」
頭を振るアヤナ。じっと、マサヒコはその泣き顔を見つめていた。不思議な、泣き顔だった。
皺ひとつ寄せず、顔を歪めもせず。無表情のままアヤナの目から頬へと涙が伝い、線になる。
やはり、アヤナはキレイだと思っていた。それはどこか、清新で涼しげな色香さえ漂う泣き顔だった。
(…………オレは)
きゅっと、アヤナが絡めた指に力をこめてくる。マサヒコも、少しだけ強く握り返す。
ただ泣き続けるアヤナと、それを見つめるマサヒコ。ふたりは、そのままずっと立ちつくしていた―――

「…………若田部?」
どれくらい泣き続けていたのだろう?
枯れることのない泉のように涙を流していたアヤナの瞳から、いつの間にか涙が途切れていた。
「ゴメンね………小久保君」
ずっとその様子を見つめていたマサヒコが声をかけると、少しだけ渇いた声で、アヤナが答えた。
「もう、大丈夫、か?」
「私………私ね、本当に天野さんと、あなたのふたりが、羨ましかった。
でも、言い訳なんかじゃなく、昔の私はあなたたちの仲を裂こうなんて、思ってなかった。
今なら言えるの。私はあなたのことも、天野さんのことも、好きだったの。ふたりとも、
私にとって大事な友達だって思ってたのに。なのに、なんで、こうなっちゃったんだろう………」
「………オレも、そう思ってたよ」
「え?」
「お前とミサキは、なんだかんだで友達だって思ってたから。だから、なんで………こうなったんだろうな?」
「…………こくぼ、くん………」
アヤナとマサヒコは、そうして見つめ合う。不思議なくらい、ふたりはお互いの考えていることが分った。

マサヒコは、ミサキという、大切な恋人を失った。

アヤナは、ミサキという、大切な友人を失った。

ふたりは、ただ、そのことだけを考えていた。哀しみだとか、切なさだとか、そんな感情ではなく。
ふたりは、ただ、そのことだけを思っていた。

「…………」
「…………」
また、無言に戻ると。ふたりは、ファイヤーストームが消えようとしているのを見つめていた。
消えかけているのは、炎のはずだった。分っていた、はずだった。

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