「今日で、卒業か……なんだか三年間あっという間だったな……」
城島シンジは桜吹雪の舞う中、感慨深げに呟いた。

卒業式も終わり、クラスの友人達とも再会を約束して教室を後にしたところである。
このまま母校を去っていく、そのつもりだったのだが―――ふと思いついたシンジは、
風紀委員として除草や害虫駆除等、あれこれと手をかけてきた花壇にきていたのだった。
体育館裏の花壇の周りには桜の木々が十本ほど植えられており、
満開を過ぎた桜はシンジたちの卒業を祝うように最後の花を散らせていた。
(はは………よく小宮山先生に、木を大切にしろって言われたっけ……特に、この木……)
シンジが歩み寄ったそこには、ひときわ大きな桜の木があった。
(ウチの高校ができたときに植えられたって言う木なんだよな……)
なんとなく去りがたくその古木の表面に手をやって撫でるシンジだが、
手のひらから、なにか人の手で刻み込まれたような感触が伝わってきた。
「………?」
指で何度かなぞると、そこには確かに彫刻刀かなにかで彫られたあとがあった。
不思議に思って、目をこらすと―――

ぼ    っ    木

(…………………………………………………)
確かに、そう刻まれていた。
(……小宮山先生か、カナミか、マナカちゃんか、それともカズヤがノリでやっちまったか……)
すらすらと、犯人候補を頭に思い浮かべるシンジ。
(最後の最後まで、アイツらだきゃあ………)
厳粛な気分をぶち壊しにされて溜息をついた、そのときだった。
「せせせせせ、せんぱいッ!!!!!」
「?………はい?」
後ろを振り向くと、そこには顔を赤くしてブルブルと震えている少女がいた。
「あ、あの。わ、私ッ!一年の、かか、叶ミホと言いますッ!あ、怪しいものでは、ありません!」
(いや、十分怪しいんだけど……)
「えっと、君確か、よく小宮山先生と一緒にいる子だよね?」
「!おおお、覚えていてくれたんですか!」
「うん……そりゃ、まあ………信号待ちしてたときに股間触られたりとか、
文化祭のときにいきなり『ヌいてあげます』って言われたりとか、
階段の上から落ちてきて下にいた俺が怪我してしばらくエライ目にあったりとか、
突然エロ小説をプレゼントされたりだとか、『千円で私を買いません?』って言われたりとか……」
「!!!!!!!!!!!!!」
「心配しなくても、君が変な子だなんて思ってないよ。
どうせ小宮山先生やマリア先生あたりが妙なことを吹き込んだんだろう?」
さすがに鋭いシンジだが、彼女達のアドバイスを実行するミホもどうかと思う。
「あ……あの、その……」
一方、ミホはしどろもどろになっていたが―――
(ダメ……今日を逃したら、絶対ダメよ……)
最後のチャンスと開き直った分、いつもより回復は早い。
「あの、せ、先輩!い、色々と……変なことをしたり、言ったりしてすいませんでしたッ!」
「だから、いいよ別に……もう、最後だし」
「…………最後だから、先輩……最後に、ひとつ……聞いて欲しいんです」
「?」
「私……先輩のことが、好きでした!一年間、あなただけを見てました!
あ、あの……もしよろしかったら、つ、付き合って下さい!」
(言えた……最後に、言えた……頑張ったよ、私)
やっと自分の想いをシンジに伝えることができて、思わず涙ぐんでしまうミホだが。
「………………………へ?」
完全に不意打ち状態のシンジは、ポカンと口を開け……彼女を、ただ見つめていた。
「あの……先輩?」
§


「あ、ああ、ご、ゴメン……」
ミホの言葉にようやく正気に戻ったシンジは、自分を心配そうに見つめている少女を見た。
顔立ちは、少し幼い感じがした。大きな瞳に比べて鼻と口はごく小振りで、
猫系の小顔にちんまりとおさまっていた。不安げな表情のせいか、道に迷った子猫のような……
どこか男の保護欲を刺激するような、そんな美少女だった。
(……そりゃ、俺だって願ってもない話なんだけど……)
「あのさ、叶……さん?」
「は、はい!」
「いきなり好きだって言われて、俺、ビックリしてる。一応聞いておくけど、
小宮山先生やマリア先生の仕組んだドッキリとかじゃないよね?」
「ち、違います!」
「はは、ゴメン………ありがとう、すごくその……嬉しいよ」
「……それで……先輩、お返事は……」
不安げに、ミホがシンジを見上げる。
「いや……俺としても、喜んでよろしくお願いします、って言いたいところなんだけど……」
「…………?」
「ひとつ、聞いておきたいんだ。君、なんで俺を好きになってくれたの?
先輩って言ってもさ、俺、部活に入ってなかったし。委員会でも一緒になったことないよね?
もし同じ中学とかだったら悪いんだけど、君の記憶がないんだよね。
それにまさかとは思うけど、一目惚れされるほど顔に自信もないし」
「!い、いえ、先輩は、素敵です!」
「……ってやっぱり一目惚れなの?」
「………覚えてないんですね……」
「?」
「私が……この高校に入学したときです。先輩、私を……助けてくれたんです」
「??」
「髪の色のことで、緒方先生に叱られてたときに、先輩が助けてくれたんです」
「………?あ!もしかして!」

「全く、入学早々こんな色に髪を染めてくるとは……」
「違うんです!せ、先生、私、地毛で……」
「ふん、ごまかされんぞ。入試のときはお前、黒髪だっただろうが。
私が試験監督のときに筆記用具をぶちまけてオロオロしてたから、覚えていたんだ」
「ほ、本当なんです!信じて下さい。実は……」
「聞く耳持たんわ!いくらこの高校が自由な校風だからと言って、
お前みたいなチャラチャラした奴を野放しにすると……」
「緒方先生〜〜それくらいにしておきましょうよ。彼女、泣いてるじゃないですか?」
「な、なんだ、城島!貴様、風紀委員の癖して校則違反を見逃すのかッ!」
「いえね、先生?確かに校則でも染めるのは禁止、とありますけど。
地毛の場合はなにも規定がありませんし、彼女の言うとおりなら校則違反にあたらないかと……」
「ふん。だからコイツは入試のときには……」
(小声で)「それより緒方先生……マズイですよ?」
「?な、なにがだッ!」
(小声で)「ホラ、先週、先生一年の矢野さんの髪の色のことで指導してたでしょう?
そのとき、泣きじゃくる彼女にパンツを下ろさせて下の毛と比べたっていう噂が……」
「!%‘&“+ああああ、あれはお前の妹がッ!!!!!」
「噂ってのは怖いですね〜〜、今日の風紀委員でもそれが話題で出まして。
いえ、俺は事実と違うって言ったんですよ?でも風紀委員の担任が例の小宮山先生でしょう?
にや〜〜〜って笑って、『その噂、私に任せてくれないかしら?』って言ってたんですけど……」
「※★☆@!!!!!なにいいいいいいいいいいいいい!!!!!!」
「それで小宮山先生、そのまま職員室に向かったんですが、今ならまだ間に合うかと………」
「!!!!わ、分った。すまん、城島!!!!!!!!!!!!!」
「あ〜〜あ、緒方先生すげえスピード……廊下は走るなって普段言ってるくせに……」
「………あの………」
§


「ん?ああ……はは、緒方先生ってさ、ウチの高校にしては珍しくお堅い先生なんだよね。
入学早々嫌な思いをしたかもしれないけど、気にしないでね?」
「は、はい!ありがとうございました!」
「はは、別にいいけど……にしても君、染めるなら二学期にすれば緒方先生だって……」
「!ち、違うんです。嘘じゃなくて、本当にこっちが地毛なんです!
……私の中学、校則が厳しくて。地毛なのに無理矢理黒に染めさせられてたんですけど、
小笠原高校は自由な高校だって聞いてたから、思い切って染めるの止めて……」
「へえ、本当に地毛なんだ……キレイだね、君の髪」
「!………あ……」
「!ご、ゴメン。あんまりキレイなんでつい、触っちゃった。セクハラだよね、ゴメン!」
「……い、いえ……あの……」
「お〜〜〜い、シンジ〜〜〜!!!早く行こうぜ〜〜!」
「ああ、わりいカズヤ……じゃ、ゴメンね〜〜」
「あ…………せん……ぱい……」

「そう言えば………あのとき……」
こくり、とミホが頷いて熱っぽい視線をシンジに向ける。
「私……あのときから、ずっと……ずっと、先輩のこと、素敵だなって思って」
「あ、あのね、叶さん?そうは言っても君、俺のことそれ以外は良く知らないだろう?」
「いいえ!知っています!」
強く……妙に自信ありげに頭を振るミホ。しかしシンジはその様子になぜか嫌な予感が。
「優しくて、たくましくて、笑顔が素敵で、妹思いの妹フェチで、アナル好きで、
右手が恋人で、メイドやナースのコスプレが大好物!そうですよね!」
―――そして、予感は的中した。
「………出来たら『妹思い』以降は君の記憶から削除して欲しいんだけど……」
「だ、大丈夫です!先輩!わ、私、小宮山先生とマリア先生から、
先輩の理想の女の子に近づくために、数々の特訓を受けてきました!
ですので、妹プレーも、コスプレも、せ、先輩が望むなら、お、お尻の穴も……OKです!」
「……叶さん、お願いだから、大きな声で言わないで………」
さすがに泣きそうになったシンジは両手を合わせ、拝むようにミホに言った。
「……………あの……叶さん?」
「はははは、はいッ!」
「ちょっと戸惑いもあるけど、正直すごく嬉しいよ。でも、俺、君のことよく知らないんだ。だから……」
「………私じゃ、ダメなんですね。私みたいなつまらない普通の女じゃ……わかりまし」
「違うよ。今話していても、どうも君の中で俺っていう人間が誤解されまくっている気がするし、
それをまあ、修正したいっていうか。それに君、自分で思ってるよりすごく面白い子だし。
なんていうか……俺も君のことを、もっと知りたいし、俺のことも、もっと良く知って欲しいっていうか」
「!!そ、それってもしかして………」
「だから……俺で良かったら、付き合ってくれない?」
「!!!!!ははははははは、はいッ!」
完全に舞い上がり、喜びのあまりその場でぶっ倒れそうなミホだが、
シンジはにっこりと微笑むと彼女の赤みがかった髪に手をやって優しく、撫でた。
「…そう言えば、覚えてたよ。すごく……すごく、髪のキレイな子がいたなあって」
「!…………先輩…………」
涙ぐみながら、うっとりとシンジの行為に身を任せるミホ。
ふたりは、そして………どちらともなく、体を寄せて、抱き合っていた。
「……叶さん、あのさ、俺、浪人しちゃったから時間だけはあるんだよね」
「で、できたらミホって、名前で呼んで下さい!」
「う、うん。なんでね、ミホちゃん?君の都合の良い日にでも、デートに行こうか?」
「!!!は、はい、よろしくお願いします!あの、ナースとメイドのコスプレの用意は!」
「……………しなくていい」
「でででではッ、避妊具の用意はッ!」
「………それも、しなくていい」
しかし、この子の中での自分像というのはどうなっているのか………
当分は誤解を解くのに時間がかかりそうだな、と先が思いやられるシンジであった。
§


「……少し早く来過ぎちゃったかな?」
シンジは駅前のターミナルで欠伸をひとつかみ殺した後、一人ごちた。
ミホからの告白を受け、ふたりが付き合うようになってから一週間が過ぎた。
予備校生になり時間を持て余していたシンジはその間、
毎日のように彼女とメールや携帯で連絡を取り合っていた。
ミホはメールだけでなく直接シンジと会いたかったらしいのだが、
浪人生という立場とカナミの目もあってズルズルと会い続けるのがなんとなく気まずかったため、
ようやく今日がふたりの初デートとなったわけである。
(う〜〜ん、しかしこんなカッコで良かったのかな?)
普段服装にさほど凝る方ではないシンジだが、
今日は自分なりに気合いを入れてデート服を着てきたつもりだった。
(それで今日は映画を見て……そんでメシ食って、あとはブラリとショッピングして……)
なにせシンジにとっても人生初デートである。ミホを待つ時間、
不安になりながら頭の中でデートの予行演習を繰り返すのであった。
(一応財布の中身ももう一回……ん?)
出かける前に一度チェックしたはずの財布の中に、小さな白い紙の包みが入っていた。
とてつもなく嫌な予感がしたシンジがそれを恐る恐る取り出すと、
(………カナミの野郎…………)
予想通り、それはコンドームだった。包みの中には――
「おにいちゃん、頑張って!GOGO大人の階段!GOGO童貞喪失!」
文面に似合わない、カナミの可愛い文字が踊っていた。
(確か今年からミホちゃんとカナミ、同じクラスなんだよな〜〜。
妙なことを吹き込まれてなきゃいいけど……そう言えば、おととい矢野ちゃんからも……)
ミホとシンジの交際はあっという間にカナミたちの知るところとなった。
そして二年になってミホとカナミとアキは同じクラスになり、マナカとショーコは別のクラスになった。
カナミはふたりの交際を祝福し、ミホともすぐにうち解けて友人になった。
元々社交的なアキもミホと仲良くなった(彼女から受けた痴女行為は忘れてしまったらしい)。
――そこまでは、良かった。
「お兄さん!何とかして下さい!ツッコミ疲れで死にそうです、私!」
問題は――シンジの携帯にアキからの泣き言メールが凄まじい勢いで入ってくるようになった、
ということである。

「ミホちゃん!お兄ちゃんのアナル好きは筋金入りなんだから、これで毎日鍛えて!」
「!でででも、カナミちゃん!こんな太いの……私……私……」
「初心者には厳しいかもしれないけど、でもこれも試練だと思って……もし本当に無理なら、
ショーコちゃんが極細タイプのバイブを持ってるはずだから借りてこようか?」
「授業中なに話しとんじゃお前ら―――!!!!!!」

アキが言うには――マナカとカナミは似たタイプのため、対処法もほぼ同じ。
ショーコの場合はマナカナコンビのボケに乗っかってくることはあったとしても、
基本的に彼との変態行為についてのボケが多いため、彼女個人にツッコめば良かった。
しかし、ミホの場合はシンジのことを知りたいという純粋な恋心が暴走したうえで
カナミのエロボケに真剣にのってくるため、手に負えないらしい。
(アキちゃんには迷惑かけるけど………)
それでも彼女がいる限りはカナミがミホを焚きつけるのも少しはマシになるだろう、
とシンジはのんびりと思っていた。
(それにしても……ミホちゃん遅いな………)
「せ、先輩!」
「ん?あ、ああ……ミホちゃん、おはよ……」
「お、おはようございます!すいません、遅れてしまって!」
「はは……いいんだよ、俺もついたばっかだし」
一応待ち男の決まり文句を言うシンジだが、視線はミホに釘付けだった。
(へえ…………ミホちゃんって……)
私服でミホと会うのは、初めてだった。制服姿のときの彼女もなかなかの美少女ぶりだったのだが。
「………先輩?なにか変ですか、私?」
§


ピンク色の浅いパンプス、そしてそれに合わせた淡いピンク色のスカート。
白地のインナーと、その上に光沢のある黒のキャミ。
両手でバッグ持っている彼女の姿は、可憐そのものだった。
「い、いや……改めてさ、思ったんだけど……」
「?」
「ミホちゃんってキレイな子なんだなあって思って……見とれちゃったんだ、ゴメン」
「!や、やだ、先輩!」
お互い顔を赤くしてうつむくふたり。初々しい姿ではある。
「ゴメンね、変なこと言っちゃって……じゃ、行こうか?」
「あ……はい!」
ふたりは――少しぎこちなく微笑みあうと、並んで歩き始めた。
「今日はさ……映画でも見に行こうかと思うんだけど、ミホちゃんは好みのジャンルとか、ある?」
「は、はい!えっと……ら、ラブストーリーとか好きです!あと楽しいのとか……」
「あ〜じゃあちょうど良いかな?実は割引券貰ったんだ。
『ノッティングヒルマンの恋人』って言うラブストーリーらしいんだけど」
「わあ!それ見たかったんです、私!」
「はは……そんな、無理に合わせてくれなくても……」
「ホントに見たかったんですよ!私、主演のヒュー・ブライアントのファンで……」
「あ〜〜タレ目で福山雅治似の俳優だよね?そっか、ミホちゃんああいうタイプが好みなんだ?」
「!ちち、違います!だって……あのひと、先輩にちょっと似てるから……」
「似てないよ〜〜、ま、誉めてくれたんならありがとう」
「…………そういうところが、似てるんですよ」
「?どういうところ?」
「………もういいです!」
(親切で優しくてちょっとマヌケで……モテるのにドンカン……先輩そのもじゃないですか)
そう思って、ミホはちょっと怒ったような表情になってしまっていた。
シンジは彼女の様子を不思議そうに眺めた後……
“ぎゅ……”
「え?……先輩?」
不意に、彼女の手を握った。驚いてその場で固まってしまうミホ。
「ね、ミホちゃん?」
「は、はい」
「せっかくのふたりの初デートなんだしさ、楽しい時間を過ごしたいんだよね。
君のそういう怒った顔もそれはそれで可愛いんだけど。俺は………できたら、
君の笑った顔や楽しそうな顔を見ていたいんだよね。だから……そんな顔しないでよ?」
「先輩………」
ミホは、ただ嬉しかった。
(こんなに……幸せでいいの?)
初めて出会って恋に落ちたときから、シンジと恋人になることを夢見ていた。
それが現実のものとなっても、心の中ではどこか懐疑的だった。
(先輩は……モテるから)
シンジの周りには、常にと言って良いほど女の子がいた。それも、美少女達が。
(私は……アキちゃんみたいにスタイル良くないし、マナカちゃんみたいに美人じゃないし、
カオルちゃんみたいに可愛くないし、今岡先輩みたいに明るくてかっこいいわけじゃないし、
ケイ先輩みたいにキレイでおしとやかじゃないし……)
そんなことを思って自己嫌悪に陥ってしまうことさえ、あった。
それでも、シンジはミホの告白に答えてくれて、こうして隣にいてくれる。
ようやくシンジと恋人同士になったということを実感して―――ミホは、最高に幸福だった。
「ミホちゃん?」
幸せのあまり、ボ〜〜ッとしていたミホの顔を不思議そうにシンジがのぞきこむ。
「!あ!あのッ、すいません、先輩!」
「はは……別に謝らなくてもいいんだけど。でもなんだかミホちゃんってさ、
俺に話しかけられるといっつも慌ててるよね?まだ俺と話すの緊張する?」
「………緊張、しますよ。だって……」
「?」
§


「……ずっと……ずっと、先輩のことが大好きだったんですよ、私。だから……」
そう言ったまま、頬を染めて黙り込んでしまうミホ。
シンジは微笑みながらそんな彼女を見つめると、手を強く握って、言った。
「ミホちゃんにそんなに好きでいてもらったのは、すごく嬉しいよ。
だから……そのお礼に、俺も君のことをたくさん知りたいし、
これから楽しい時間をいっぱい過ごしたいって思う。今日はそのスタートってことで、いいかな?」
「はい。あの……私も、嬉しいです、先輩」
まだふたりの間でぎこちなさが消えたわけではないが、不自然さはなくなっていた。
映画館までの道を、手をつないだままふたりは、歩いた。
(やっぱり先輩って背が高い……それに、おっきくてあったかい手……)
(ミホちゃんっていい匂いだな……香水とかつけてんのかな?)
ふたりともなんとなく気恥ずかしいような、くすぐったいような思いを抱いていた。

「はい、先輩、ポテトです」
「あ〜〜、そんな気を使わなくても良かったのに」
「いえ、ホントは私が食べたかったんです」
そう言って、ミホがぺろりとピンク色の舌を出した。
(可愛いな……ミホちゃんは、やっぱりこういう顔が似合うよ……)
恋人の無邪気な仕草に見とれてしまうシンジ。映画館はじきに暗くなり、上映となった。

『ボクも……君のことは、好きだよ。でも……ボクと君とは、住む世界が……』
『逃げないで。私も、ただの女なの。ただの、恋する、女』

映画は、偶然知り合うことになった人気女優と小さな本屋を営む冴えない男との、
身分違いの恋愛をコミカルに描くラブストーリーだった。
最初こそ、ほの暗い映画館の中で隣の席にシンジがいるというシチュエーションに
ガチガチに緊張していたミホだったが、次第に映画のストーリーにのめり込んでいった。
(あ……ダメ。諦めちゃ、ダメ。絶対、恋は実るんだから)
主人公ふたりに感情移入しまくってうっすらと涙さえ浮かべてしまうミホ。
そしてシンジは……映画よりも、隣の彼女の表情ばかりが気になってしまっていた。
(しかし……ミホちゃんって、感情が豊かっていうか、のめり込むタイプっていうか……)
ストーリーの起承転結に合わせてくるくると変わる、ミホの表情。
涙ぐんだり、笑ったり、怒ったり、喜んだり……
そのたびに、彼女の少し赤みのかかった髪がふわふわと揺れていた。
シンジは、そんな彼女の様子をただ飽かずに見つめていた。

「ハッピーエンドで良かったですよね、先輩!」
「ん?ああ、そだね」
映画の内容そっちのけでミホを見ていたシンジは、生返事をするしかなかった。
「恋は、実るんですよね、やっぱり。思い続けていれば……きっと」
切なげな表情で見上げるミホの表情に、シンジはなぜか慌ててしまうのだった。
「えっと……ねえミホちゃん?そろそろ12時だしさ、飯食わない?」
「あ、はい!私も、ご飯食べたいです」

「ふわ〜〜、しかし、辛いね、タイラーメンって……」
「?先輩、知らないで注文したんですか?」
「うん。ラーメンは好きだから頼んでみたけど……こりゃ日本のラーメンとは別物だね」
シンジがランチの店に選んだのは、洒落た感じのアジアンカフェだった。
ラーメン好きのシンジはタイラーメンを、ミホはドネルケバブとココナッツジュースを注文した。
「うっは〜〜、汗止まらないよ……美味しいんだけど、こりゃすごいな」
「あ、あの先輩?ならココナッツジュース飲みます?冷えてて、お、美味しいですよッ!」
「?ああ、ならありがたく……」
(……先輩が私の口をつけたストローでジュースを……間接キス……)
いつもどおり、乙女心暴走中のミホ。
「ああ、生き返ったよ……?ねえ、ミホちゃんのその……ケバブだっけ?それも美味しそうだね」
§


「!なら、これもい、いかがですか?先輩!」
「いいの?ミホちゃん?」
「はい!あの……その代り、先輩のタイラーメンを頂いて良いですか?」
「ああ、交換しようか?」
互いの食べ物を交換するふたり。
(先輩の……タイラーメン……先輩の……食べたタイラーメン……)
乙女心炸裂中のミホは、夢中になってタイラーメンを口に入れていた。
「?ミホちゃん辛いの好きなんだ?」
「!!い、いえッ!その……」
がっつくミホを見て面白そうに聞くシンジだが、
(…………私が本当に好きなのは、タイラーメンじゃなくて先輩なんです。
でも……私、ちょっと食べ方汚かったかも……)
と、思いながらミホは顔を赤らめてしまうのだった。
「はは、でも美味しそうに食べる女の子は好きだよ、俺。
うん、初めて食べるけど美味しいね、このケバブって」
「!あ、おおお、美味しいですよねッ!ちょっとお肉の匂いにクセがありますけど……」
「多分羊の肉だろうけど……ハンバーガーみたいな感じだね」
もしゃもしゃとドネルケバブを頬張るシンジの様子を、ミホは夢見心地で眺めていた。
(先輩が私の口をつけたドネルケバブを食べてる………)
―――懲りない乙女心、引き続き妄想中。
その後もふたりは噛み合っているようないないような会話を続け、店を後にした。
「んっと、ミホちゃんなにか欲しいものとかある?」
「え?」
「実はさ、俺バイト代出たばっかなんだよね。あんま高いのは無理だけど………
初デートのお祝いになんかプレゼントしたいっつーか」
「!そそそ、そんなッ!い、いいですよ!」
「うん、良いんだね?じゃ、OKってことで」
悪戯っぽくそう言うと、シンジは少し強引にミホの手を引いて町を歩いた。
ミホは――慌てながらも、シンジの行為にうっとりと身を任せていた。
(やっぱり、男の人はリードしてくれた方が………良いかも)
結構ポイント稼いでるみたいです、シンジ君。

「どう?ミホちゃん、こんな感じのアクセサリーは?」
「えっと……あの……」
「あ、気に入らない?」
「お似合いですよ。彼女さん、色が白くて鎖骨がキレイだから、
これくらい大きめで主張する感じのブローチの方が……」
(彼女さん………他の人が見てもそう思うんだ……)
この状況で見れば、おそらくほとんどの人間がそう思うはずなのだが……
店員のセリフに、ミホは恍惚の表情を浮かべていた。正直、ちょっと危ない。
「う〜〜ん、でももう少し抑えめの感じが良いかもですね、じゃこっち……」
女の子のショッピングに付き合うのを嫌がる男は多いが、
カナミの買い物に付き合うのに慣れているせいかシンジも意外にノリが良かった。
面倒くさがることもなく、むしろ喜々としてミホへのプレゼントとなるアクセサリーを選んでいた。
「あ……あの、先輩からのプレゼントならなんでも嬉しいんですけど……
私、こっちの方がデザインとか好きかもです……」
「なるほど、こっちかあ……うん、これも良いよ。上品な感じで……」
いつの間にか、ミホ自身も自然と自分の好みを口にするようになり、
シンジとの会話もずっと滑らかなものになっていた。
その後も何軒かアクセサリー・ショップや雑貨店などをまわるうち、
ふたりはずっとうち解けた雰囲気になっていた。

「本当に……ありがとうございます、嬉しいです、先輩」
「はは、なんていうか……初めてのデートなんだしさ、それっぽいことを俺もしてみたかったっつーか」
ちょっと照れ気味の笑顔を浮かべるシンジだが、そんな表情もミホにとってはたまらないわけで。
§


「あ、でももう7時近いね。ミホちゃんの家って、門限とかある?」
「は、はい。あの……一応、8時前くらいって決まってます……」
「ふ〜〜ん、結構早いね。じゃ、そろそろ帰ろうか?」
「あ……あの、せ、先輩?」
「なに?ミホちゃん」
「えっと……私、行きたいところがあるんですけど……」
「?どこ?」
「公園なんですけど……ここから歩いてすぐ近くなんです。
ドラマで撮影されたこともあるっていうすごくキレイな公園で、それで……
あの、もう少し私、先輩とお話したいから……」
「うん、良いよ?じゃ、行こうか?」
恥ずかしそうなミホの手を握りながら、シンジが微笑む。
(うん、やっぱり最初はこういう健全なデートだよな。
……なんか一瞬小宮山先生の顔が見えて妙な予感がしたんだけど)
嫌な予感が外れ、安心するシンジだが―――

(しかし………ネーミングもストレートだけど、こりゃあ……)
ふたりがついたのは、『えきまえの公園』というヒネリもへったくれもない名前の公園だった。
名前だけなら、笑い話で済ますことが出来るのだが。
「ん……ッ、あッ……セイジ……」
「だ、だからリョーコ、こんなとこでそれは俺の立場上……」
「なによ……私に逆らう気?犬のクセに……」
ふたりの正面のベンチでは、髪の長い女とスーツ姿で一見勤め人風の男が
なにやら揉めながらも激しいキスを繰り返していた。
しかも彼女たちだけでは、ない。斜め向こうでもなにやら切なげな吐息が漏れ聞こえているし、
シンジたちの座るベンチの後ろでも、なにやらガサゴソと衣擦れする音が聞こえていた。
「あ……あの……み、ミホちゃん?」
気まずくなったシンジはミホに声をかけるが、彼女は顔を伏せて一言も発さないままだ。
(まさか夕方はこんな場所になるとは思わなかったからミホちゃんも気まずいんだろうな……)
「好きっ!!」
(!………おい、まさか……)
「好きなの、タケシの○×▲がっっ!!あああすご〜〜〜〜い!!」
(………始めやがったよ、後ろの連中……)
「あ、あのさ、ミホちゃん、そろそろ帰ろ………」
さすがに居たたまれなくなったシンジは強引にミホの手を取って席を立とうとしたが……
“ぎゅッ……”
「み、ミホちゃん?」
それを制するように、ミホが抱き付いてきた。
「先輩………」
「ちち、ちょっと?ミホちゃん?」
うるうると濡れた瞳でシンジを上目遣いで見るミホ。
ただでさえ男の保護欲を刺激しまくるタイプである彼女の行為に、
上目遣いフェチのシンジの理性は崩壊寸前だった。
「あの……私、私……ずっと先輩と恋人になりたいって……そう、思ってました。
それで……キスしてもらうなら……この公園だって、決めてたんです。だから……」
そう言って、ミホは目を閉じてピンク色に潤んだ唇をすぼめて突き出した。
「ミホちゃん………」
可愛い、と思った。今日一日一緒にいて、シンジは楽しかったし、
こんなに自分を純粋に好きでいてくれるミホのことを愛おしく思っていた。
ただ―――ミホが、自分と話すときにいまだ緊張が解けないままなのが少し不満だった。
(映画館で見せてくれたみたいな、ああいうミホちゃんの方が可愛いよ、絶対)
本当のミホは、表情も感情も豊かで、もっと可愛い少女のはずだとシンジは気付いていた。
それだけに、自分の目の前で硬い表情になるのが納得できないのだった。
「ねえ、ミホちゃん?キスの前に、お願いしても良いかな?」
「は、はい!なんですか?」
§

恋わずらい 後編

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