「しっかし…おめーは幸せもんだよなぁ、小久保ぉ」
「…なにがだよ」
「だって天野に若田部に的山に…おまけに女子大生のお姉さまが家庭教師なんだべ?」
修学旅行の夜、定番ともいえる、「好きなコは誰だ」大会になり、
同室の男子に集中砲火を浴びる小久保マサヒコであった。
「…いや、あのさ、マジで、お前らの思うほど楽しい生活でもないんだけど…」
「じゃあさ、小久保は誰が一番イイのよ?それさ、他の男子のラブ話にも影響するかもよ?」
「?どういう意味だよ?」
「だ・か・ら。あの三人、結構人気あるって話っすよ」
「…どうせ、若田部とか天野なんだろ、人気あるのって」
「あー、甘いなあ、小久保は」
「ん?違うの?」
「的山って学年の中でもかなりの人気なんだぜ?」
「…マジ?」
「大マジ。天野や若田部も人気なくはねーけど。なんかさ、天野って気分に波ありそーだし…。
若田部は性格キッツそーだし。的山ってさ、誰にでもニコニコしてるし…癒し系な感じじゃん」
「…なのか?でも若田部や天野、散々な言われようだな。ふたりともイイトコあんだけどな」
「うあ、出ましたよ、モテ男のヨユー」
「だからそんなんじゃねーって」
“ガラッ”
「こうらぁ〜お前ら、まだ起きてるのかあ!」
“シ〜〜〜ン”
これまた定番ともいえる、体育教師の見回りにより、雨夜の品定めは幕を閉じたのであった。
が、このときの会話は、マサヒコの心に、今まで意識したことのない思いを残していた。
(…的山の奴…そんなに人気あったのか…)

(的山…確かにメガネ外すと可愛いかも…癒し系とか思わないけど…話しやすいしな…)
今まで、ミサキやアヤナや―下手をしたら、アイや中村以上に―異性として、
ほとんど意識することのなかったリンコの存在が、マサヒコの心を掻き乱していた。

そんな修学旅行の日の夜から、数日後のマサヒコ邸―。既に家庭教師の
合同教室と化したマサヒコの部屋で、リンコとマサヒコはアイと中村の到着を待っていた。
「こんにちはぁー、マサヒコ君、リンちゃん」
「あ、アイ先生、じゃ、今日もお願いします…あれ?中村先生は?」
「あー、先輩ね、二日よ…じゃなくて、か、風邪引いちゃったみたいなんだって」
「え?そうなんですかあ?…じゃあ、今日のあたしの授業は…」
「安心して!今日はふたり分、あたしが面倒見るから」
(でも先生、それって的山の分、タダ働きってことじゃ…)
そう思いつつ、何故か嬉しそうに張り切っているアイの顔を見ると、
何も言えないマサヒコであった。こうして3人での授業ははじまった。
「んー、そうね、リンちゃん、ここの数式の展開は、もう少しシンプルに考えたほうがいいかな?」
「そうですね、あたし、焦るとついゴチャゴチャ書いちゃう癖が…」
授業も順調に進み、熱心なアイの指導が続いていたのだが…。
“♪♪♯”
アイの携帯が、突然けたたましいメロディを鳴らして会話が中断されたのだった。
「あっ!先輩だ!ゴメンね、マサヒコ君、リンちゃん、ちょ、ちょっと待ってね…」
慌ててバッグから携帯を取り出し、後ろを向いて中村と会話しだすアイ。
(小声で)「…なぁ…的山…今の着メロって…」
(同じく小声で)「ウン…確か、映画の『ジョーズ』のテーマ曲だよね…」
顔を見合わせ、苦笑する二人。そんな生徒たちの会話も知らず、
アイは中村と会話を続けていた。

「あーっ、ホントにゴメン、先輩、頭が痛くて死にそうだから、とにかく今すぐ来てくれって」
「中村先生、ホントに大丈夫なんですかぁ?」
(いや、だからアイツのは二日酔いで自業自得なんだって…気付けよ、的山…)
真剣に心配しているリンコをよそに、心の中でクールにツッコミを入れるマサヒコ。
「うん…後は演習だけだから、授業終わりにしてイイかな?この3問は宿題ってことで」
「ああ、俺は構いませんけど…」
「あたしも別に…でも、先生、あたしもお見舞いに行ったほうが…」
「え?い、いいのよ。お、教え子にうつしちゃったら、大変だもん…じゃ、あたしはこれで…」
あたふたと出てゆくアイ。あまりの展開の速さに、呆然とそれを見送るマサヒコとリンコであった。
「…ねぇ、小久保君…この3問、ふたりでちょっとやってみようか?」
「ああ…そだな。なんか中途半端だしな…」
少々尻切れトンボに終わった授業のためか、勉強を再開する二人。
“カリカリ…カリ…”
さきほどは、アイと中村がいつか来るだろう、という待ちの状態だったためか、
特にリンコのことを意識することのなかったマサヒコだが―。
実はこのとき、母親がいつもどおりカラオケのためにいないこの家で、
リンコとふたりっきりだという事実に気づいて内心少し戸惑っていたのだった。
(的山…広いオデコが、ちょっと可愛いかも…それに…色、白いんだな…)
ついつい目の前の少女を意識してしまい、何度も視線を向けてしまうマサヒコ。
「?ねえ、小久保君?あたしの顔、なんか付いてる?」
「!?イヤ、ゴメン…な、なんでもない…」
(やっべー…俺…そんなに…ジロジロ見てたのかな?)
チラチラと盗み見るようにリンコの顔を見ていたことを少し反省するマサヒコ。
「的山…俺、だいたい終わったからトイレ行ってくるわ」
「あ…ウン」

問題に夢中になって取り組んでいるリンコを後にして、マサヒコは1階へと向かった。
(そういや…。今日は休憩なしで勉強してたんだな…。あとでお茶ぐらい出してあげないと…)
珍しく休憩も脱線もない(まあ最後は悪かったが)授業だったことに気づいたマサヒコは、
用を足した後、リンコへのお詫びの思いもこめてお茶を淹れた。
「お〜い、的山ぁ。お茶、入ったぞ。ドア、開けてくれー」
「は〜い。やったー、小久保君、今日はケーキの日だー」
無邪気に喜ぶリンコの姿を見て、マサヒコは、
(ゴメンな…的山…さっきは変な目で見て…)
と、反省しきりになるのであった。が、そんな彼の気持ちを知るはずもないリンコは、
「アイ先生と中村先生には悪いけど、今日は一人ケーキ二個ずつだね、わ〜い!」
と、余程嬉しいのか、ご満悦の表情でぱくぱくとケーキを食べている。
(中村なら…的山の口端の生クリームをアレに見立てて…ってイカン、俺も相当奴の毒牙に…)
そんなリンコの様子を見ながら心の中でひとりボケツッコミをするマサヒコ。
「あっ…」
が、リンコが突然小さな声をあげたことにより、その思考は中断されたのだった。
「ん?どうした、的山?」
「あッ!あの…どうもしないんだけど…小久保君、ご、ゴメン、あたしトイレ!」
普段のおっとりしとした彼女の様子にも似合わず、バタバタと慌てた様子で
部屋を後にするリンコ。一人残されたマサヒコはしばし呆然としていたのだが…。
(…的山…やっぱり…怒ってる?俺が…ジロジロ…イヤらしい目で見てたから?)
と、自分を責めるのだった。帰ってきたリンコは、心なしかぐったりとして顔色も少し悪い。
いくら普段鈍いマサヒコでも、彼女のそうした変化に気づかないはずもなく、
気遣ってリンコに最近のゲームの話題などを振ってみたりするのだが、
「ウン…」
と、彼女は気のない返事を繰り返すばかりである。

(…怒ってる…やっぱり、的山…怒ってる…)
そう思いこんだマサヒコは、場の雰囲気に耐えられなくなって、叫ぶように言った。
「あ…あの、ゴメン!的山、お、怒ってるんだよな?」
「?小久保君?何が?」
「…い、イヤ…俺さ、さっきから…的山のコト…ジロジロ見てたから…」
「?ジロジロ見てたの?」
「う…そ、それで…うっとおしい目で、的山のことを見てたかなって…」
「?うっとおしい目で見てたの?」
なんとも、噛み合わない会話が続く。
「そ、それでさ、的山…怒っちゃったんだろ?それで…そんなに…不機嫌そうに…」
「え?あ、これは違うの…小久保君…」
そう言って顔を赤らめるリンコだが、焦燥感に駆られたマサヒコはその様子にも気づかない。
「ホンット、ゴメンな、的山。俺、無神経で…」
「だ、だからそれは…」
「イヤ…許してくれないよな、俺が悪いんだから…」
「だ、だから、違うのッ!小久保君!」
今度は、リンコが叫ぶように言った。
「ま?的山?」
「あ、あのね、小久保君…だから…」
下を向き、耳たぶまで真っ赤にしてしばしモジモジとしていたリンコだが、
諦めたように顔を上げ、マサヒコの隣に移動すると
─この部屋には、マサヒコとリンコのふたりしかいないので、そんな必要は無いのだが─
小さな声で、マサヒコに耳打ちした。
「小久保君、…今日、あたし、あの日なの…」
「?あの日って…」

「だ、だから…女の子の日なのッ!」
「あ…」
今度はマサヒコが赤面する番だった。
「…………」
さっき以上に気まずい空気の流れるマサヒコの部屋。
「で…でもさ、あたし…初めてコレになったのも小久保君の部屋だったし…。
な、なにか、奇遇っていうか…その、あるんだね、こういうこと」
雰囲気を変えようと無理に明るく話すリンコだったが、マサヒコには完全に逆効果であった。
(女の子のこういうのって…精神的な部分がおっきいって前に保健の授業で言ってたし…。
そうだよ、やっぱり…的山だって…ストレスを感じたから…こんなことに…)
完全に自分のせいだと思いこんでしまったマサヒコ。
「あ…あのさ…的山?何か、して欲しいこと、ない?」
「え?小久保君、なんで?」
「お、女の人ってさ、そういうとき、ツラいんだろ?だ、だからさ、何かできないかと思ってさ」
「小久保君…」
天然天然と言われても、リンコとて女の子である。男の子にこんな風に優しくされれば、
嬉しくないはずがない。まして、普段は冷静なマサヒコが、ぎこちないながらも見せる
優しさに、リンコの心には今までに感じたことのない感情が生まれはじめていた。
「あ…あのさ、小久保君。じゃあ、お願いしてもイイかな?」
「う、うん、何でも言ってくれ」
「あのね…背中さすってもらっても…いい?」
「え??あ…そ、その…そのくらいで良ければ…」
おずおずとした手つきで、リンコの背中に手を回すマサヒコ。
「んっ…」
その感触に、リンコは思わず小さな声を上げてしまっていた。

「あ…ゴメン、的山、力入れすぎ?痛かった?」
「う、ううん大丈夫。気持ちいいよ…」
「じゃ、じゃあ、このまま続けるよ」
セリフだけ抜き出すと、かなり卑猥な会話が続いているのだが…。
当のマサヒコは、至ってマジメに、
(こ…これは、医療行為(?)なんだ…)
と、訳のわからないことを考えながらリンコの背をさすり続けていた。
「くふっ…」
そのマサヒコの真剣な表情に、思わず小さな笑いを漏らしてしまうリンコ。
「的山?くすぐったい?」
「ううん…違うの。なんだか…嬉しくて」
「?」
(小久保君の手…おっきくて…あったかい…)
中学生男子としては小柄な方に入るマサヒコだが、やはり女子のそれとは違う、
手のひらの堅さや大きさにちいさな感動を覚えているリンコ。しかも彼女にとって、
父親以外の異性にこんな風に触れられるのは生まれて初めてのことである。
まだ恋とも呼べない、淡く幼い好意だったが─、リンコの心は少しづつ、たかぶりはじめていた。
「あ、あの…小久保君、他のところも、さすってもらってイイ?」
「え?ああ、いいけど…」
「あの…お、おなかも、さすってくれるかな?」
「え?」
さすがに場所が場所だけに、躊躇してしまうマサヒコだったが…。
「ダメ?」
と、先程からの行為によって少し目を潤ませたリンコに見つめられてしまえば、
そんな躊躇などあっさりとふっとんでしまうのだった。

(ま…的山…な、なんかいつになく、いろっぽい…)
「い、いや…その、いいんだけど…それで…的山が楽になるんだったら…」
「ありがとう、小久保君。あのね、こういうときはね、あっためるといいんだって」
「わ、わかった」
さっき以上に、おずおずと─というよりほとんど震える手で、リンコの腹部に手をのせると─
“ふわ…”
(的山…柔らかい…)
マサヒコはリンコの体の柔らかな感触に、心の中で思わず感嘆の声をあげた。
「ふみゅう…」
くすぐったさと、嬉しさと、心地よさと…その全てがいりまじったような…、
そんな幸せな気持ちになったリンコは、思わず子猫のような声をあげた。
(可愛い…)
体を小さく丸め、目を閉じたまま身を任せている少女の姿に、
さすがの朴念仁のマサヒコといえども心が揺らいでいた。
(触れていたい…的山に…)
一方、リンコも…。
(小久保君に…さわって欲しい…もっと…)
ふたりは、同じ思いを抱きながら、黙々とその行為を続けていた。
しばらくしたあと、マサヒコはふと思いついたように口を開いた。
「…的山…女の人ってさ、大変だよな」
「?小久保君、どういう意味?」
「いや…赤ちゃん生むためとはいえさ、毎月…こんな風にしんどい思いをするんだろ?
なんかさ、俺、男だからよくわかんねーけど…。偉いよな、女の人って」
「小久保君…」
リンコはマサヒコの言葉の率直さに感動を覚えていた。

「小久保君ってさ…優しいよね、いつも」
「?そんなこともねーだろ」
「ううん。だってね、クラスの男子でひどい人なんて、体調悪い女の子に『お前、生理か?』
なんて言ってくる人もいるんだよ?体育の時間休んでるだけでからかってくる人だって…」
「そ、そんな奴はバカだ」
普段冷静なマサヒコにしては珍しく義憤にかられているようだ。その様子を見て、リンコは…。
「ねぇ…小久保君」
「?どうした、的山」
「あたし…赤ちゃん、生んでみたい…」
「?いや、そりゃ将来結婚すれば…」
「ううん。あの…こ、小久保君の赤ちゃんを、生んでみたいの…」
「え?お、おいそれって…」
天然爆弾が、あらぬ方向に爆発してしまった。思わず手を動かすのを止め、
リンコを見つめてしまうマサヒコ。リンコはさらに顔を赤くして、マサヒコを見つめかえす。
「…………」
お互いに、次に言うべきことを知りつつも─ふたりとも、何も言えないまま時間が過ぎていった。
“ピンポ〜ン”
「あ…だ、誰だろ?アイ先生、もしかして戻ってきたのかな?」
呼び鈴の音に、緊張感から解かれて思わずはじかれたように腰を浮かすマサヒコ。
リンコはそんなマサヒコの様子に、残念そうな…物足りなさそうな…
なんとも言えない表情を浮かべていたが、気を取り直したように、
「あ、じゃあさ、あたしもそろそろ帰るね。なんだか長居しちゃったし…」
と、少し寂しげな微笑みを浮かべて、立ち上がった。
ぎこちない動きのまま、部屋をあとにして、階段を下りるふたり。

「あ…あのさ、的山、送っていこうか?最近ここらも物騒だし…」
「え?う、ウン。じゃあ…お願いします」
まだ心の中に芽生えた恋心を、自覚したとは言い難いリンコであるが、それでもマサヒコに
優しくされて嬉しいことに変わりはない。前をゆくその後ろ姿を、じっと見つめていた。
“ガチャ”
「あ、小久保君、これ、おすそわけのイチゴなんだけど…」
「あ?天野?」
「あれ?あーリンちゃん、そう言えば今日は家庭教師の日だったねー」
ミサキにしてみれば日常の風景であり、笑顔でマサヒコたちに話しかけたのだが…。
今日に限っては、ふたりの様子が明らかにおかしい。どことなくそわそわとしており、
マサヒコはバツの悪そうな表情を浮かべ、リンコは何故か顔を赤くしている。
「…ねえ、何か、あったの?」
「え?なななな、なにがだよ?」
こういうときの勘は鋭いミサキ。マサヒコは露骨にうろたえてしまっていた。
「…だから、何か、あったの?今日は先生たち、いないの?」
「い、イヤその…」
「あ、じゃあ、小久保君、あたしはこれで…」
場の雰囲気を察し、急いで帰ろうとするリンコ。マサヒコも、ホッとしたように
「あ、ああ。まま、また明日な、的山」
と、リンコを送り出した。が、ミサキの表情は剣呑なままで、追及の手を緩めてくれそうにない。
しばらくは釈明に努めなければマサヒコが開放されることは難しそうである。
そんなマサヒコとミサキのやりとりを、遠ざかる後ろ姿で聞きながら─
(今度は、きちんと送ってってね、小久保君)
くすり、と悪戯っぽい笑みを浮かべてリンコは呟くのだった。

END

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