萩村スズは夢を見ている。
 夢の中ですら頭脳明晰なスズは、これが夢であると気付いていた。
 視点がいつもよりも高いから。
 制服の胸がいつもよりもきつく、下をみるとしっかりとした胸のふくらみが視界の隅を覆っているから。

 そして、スズのすぐ横にはタカトシがいる。
 タカトシと腕を組みながら、スズは歩いている。

 何度か夢に見たことがある光景。
 胸も背もちゃんと成長した自分が、津田タカトシと一緒に下校しながらデートしている夢。

 スズはそれが夢だとわかっている。
 でも、しばらくその夢に浸っていたいと思っている。
 タカトシの肩のちょっと下までの身長がある嬉しさ。
 ほんのちょっとだけ首を上向きにするだけでタカトシの顔を見る事ができる幸せ。
 夢の中で、スズは幸福だった。
 自分が、ちょっとだけ背伸びをするだけで津田の肩に抱きつくことができていた。
「津田…」
 びっくりするくらい甘い声でスズはタカトシに囁く。

「萩村」
 そう口にするタカトシは、スズのあごを指先でつまむと、その唇を触れさせる。

 暖かくて、優しくて、温かい。
 スズには実際にはキスした経験がないからリアルかどうか判らない。
 でも、そんな胸が甘くなるようなのがキスだとスズの夢は告げている。

 スズの胸の中の心臓がドキドキと高鳴る。
 タカトシの匂いを嗅いでいるだけでスズは気持ちよくなってしまう。

「津田…つだっ」
 スズの視界にはタカトシの顔しか見えない。

 タカトシの手のひらが、肩に食い込んでくる。
 スズの腰の中が甘く熱を帯びていく。
 タカトシの顔がスズの視界いっぱいに広がる。



「津田…」








 スズは目を開けた。
 そこはスズの部屋。ベッドの上にいる自分。
 カーテンの間から差し込んでいる朝日。
「…夢…」

 萩村スズはそう独り言をいう。
「そうよね、夢よね」

 まだ胸がドキドキしている。タカトシの腕の力強さ。タカトシの筋肉質な胸。タカトシの汗臭いけど不快じゃない匂い。
 でもその頬は真っ赤に染まっている。
 汗ばんだ首筋に色素の薄い髪が張り付いている。

「夢…だからっ」

 スズは幸福そうなその笑みをムリに噛み殺すと、パジャマを脱いで制服に着替える。



 黒のストッキングを履いている途中、すこしだけよろけたスズは机の上の本を落としてしまう。
「あ」
 ちゃんと履いてからスズはその本を拾う。
 表紙には
『高校生のための大学留学ガイド』
 とある。

 津田タカトシと出会うまでは決めていた自分の将来。
 ソルボンヌかハーバードか。オクスブリッジというのもありかな。
 海外の大学に進学し、外見や背丈で判断されないような世界に行こう。

 そう考えていた。
 津田タカトシという少年と出会い、彼のことをよく知るまでは。

 スズは夢の内容を思い出してしまう。
「ナニよ…」
 髪をゴムで留めながら、スズは頬が勝手にほころんでしまうのを止められない。
 夢の中で自分の名前を囁いてくれたタカトシの声を思い出すと、いつだって完璧な天才少女の表情は不思議と柔らかくなってしまう。

 スズは時々想像する。
 タカトシが自分のことを好きだといってくれる情景を。
「萩村のことが好きなんだ」
 と真剣な顔で、真っ直ぐに告白してくれるタカトシの顔を想像するだけで胸の奥がキュンとなってしまう。

 早熟で天才の癖に、萩村スズは今まで生まれてきてから一度もこんな感情にとらわれたことがなかった。

 タカトシに女の子として見られたい。
 タカトシに、好きだって言ってほしい。
 あの力強い腕にぎゅっと抱かれたい。
 タカトシの筋肉質な胸板に顔を埋めながら、その鼓動を感じたい。
 タカトシにキスされたい。
 何度も何度もキスされながら、痛いくらいにきつく抱きしめられたい。

 萩村スズはそういう願望を心の一番奥に感じていた。

 しかしIQ180の天才であるだけに、萩村スズの現実認識は正確だ。
 だから津田タカトシの性的嗜好対象がどのようなものか、よく知っている。
 津田タカトシが、女性らしいふくよかな容姿に性的関心があるという事を。
 アリア先輩の胸を良く見ていることを知っている。
 シノ会長に声を掛けられたときに見せる嬉しそうな顔を良く覚えている。
 スズはいつもタカトシを見ているから、判る。判ってしまった。
 津田タカトシという少年は、スズの事を性的な目では全然見ていないってことを。

 スズの表情が、一瞬で歪む。
 まるで苦いものを無理矢理飲み込まされているような辛そうな表情を浮かべる。
 パン、とスズはそんな自分の頬を叩くと、いつもの勝気で冷静な表情を取り戻す。
 好きな相手に顧みられないという、少女にとってはなによりも辛い痛苦を意志の力で振り払うと、今日もスズは
タカトシと一緒に登校すべく早めの朝食へと向かった。

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