そろそろ梅雨にも入ろうかという6月初頭。
新しい職場、学校にも慣れてくるころだ。
我らが小久保マサヒコも五月病に陥ることなく新しい生活をエンジョイしていた。
ただ……。
マサヒコは勉強の手を止めて部屋を見まわす。
「……広いよな」
つい何ヶ月か前まではちゃぶ台を囲んで、大勢でわいわいと勉強をしていたのだ。
しかし、今は一人だ。
少しだけ、ホントに少しだけの寂しさ。
「ちゃぶ台で勉強するのが癖になっちゃったしな」
寂寥感をごまかすようにそう言って苦笑する。
立派な勉強机には悪いがこちらのほうがはかどるようになってしまっていた。
「……やれやれ」
そう言って再び勉強に戻ろうとして、
「ふぇ〜〜ん! マサヒコく〜ん!!」
半泣きで部屋に飛びこんできた人物によって中断を余儀なくされた。
珍入者は契約が切れた今もたびたび小久保家へとやって来る元家庭教師濱中アイだ。
彼女の様子にマサヒコはやれやれと、ため息をつく。
「……今度はどうしました、先生」
「また内定貰えなかったよ〜……」
そう言ってスーツ姿のアイはマサヒコにすがりつく。
「うわ〜ん。このままじゃミートになっちゃうよ〜」
「ニートです、先生。ミートじゃ王子のお付ですよ」
鋭い突っ込みも健在だ。
「マサヒコく〜ん、内定貰えそうな会社知らない?」
「知るわけ無いじゃないですか。大丈夫ですよ。今は景気も上向いてるし」
「ううう……でも私特に資格とか持ってるわけじゃないし、要領悪いし」
ついでに天然ですしね、と心の中で付け加えるチョイ黒なマサヒコ。
「この先きっとどこからも内定貰えないんだ」
ハラハラ涙するアイにかけるマサヒコの言葉は。
「……で、俺になんて言って欲しいんですか?」
「え?」
アイは顔を上げ、マサヒコを見る。
いつに無く厳しい表情をアイに向け、マサヒコは言葉を続ける。
「出来るか出来ないか、それは本人の気持ち次第ですよ。だから手放しで頑張れとは言いません。
その重圧には先生自身が背負って打ち勝っていくしかないんですから」
マサヒコはそう言って目を閉じ、
「……けど、支えることは出来ますから」
そう言う。
「もし重圧に耐えられなくなりそうな時は相談に乗りますから……って、これ昔先生に…ってあれ?」
さっきまで目の前にいたはずのアイの姿が無い。
「せ、先生?」
きょろきょろと見まわすと、ベッドがこんもりと盛り上がっている。
「……な、なにしてんすか?」
「マサヒコ君……酷い」
こんもり盛り上がった布団の中からややこもった声が返ってきた。
「酷いって……前先生に言われたことですよ?」
「それでもだよぉ……女の子は繊細で、デリケートなんだよ? もっと優しいこと言ってよ」
「……」
マサヒコ絶句。

いや、繊細とデリケートは同じ意味じゃ……と突っ込まなかっただけましかもしれない。
まあなにはともあれ、どうやら失言だったようだとマサヒコは気づいた。
なるほど、確かにもうちょっと優しい言い方があったかもしれないとちょっと反省。
いや、ホントはマサヒコに非はまったく無いのだがとにかく反省。
「その……すいませんでした」
「……ふんっだ!」
まずい、完全に拗ねた。
ふんっだ!ってのはすんごくかわいかったけど拗ねられるのは困る。
とっても困る。
「まいったなぁ……」
と、マサヒコが頭を抱えていると。
「お茶持ってきたわよ〜。あ、それと。今から買い物行くんだけど……あれ? アイちゃんは?」
母、登場。
マサヒコがベッドの上を指差すのを見て母の目がすわる。
「なにをした? こら?」
「いや、ちょっと失言を……それより、なんか用?」
「あ、そうそう」
ポンと手を打つ。
「今から買い物に行くから夕食と明日の朝食のリクエスト聞いておこうと思ってね。なにかある?」
マサヒコがなにか言うより早く、
「……はんばーぐ」
布団の中から声がした。
「既製品のでいい? それとも手作りしよっか?」
「……お母さんの手作りしたやつおいしいので手作りで。大きいのを二つ」
「りょーかい」
「……あと、目玉焼きとチーズ乗せてください。大根おろしもあると素敵です」
「はいはい」
「……朝食はさばの塩焼きと出汁巻き卵とナスの浅漬け食べたいです。汁が豚汁だとハッピーです」
「OKOK。じゃ行って来るわ」
「あ、行ってらっしゃい……つーか息子にはリクエストを聞かんのか、母よ」
やりやれとため息。
まあ扱いがひどいのは今に始まったことではないので気にしないけど。
「先生、母さんがお菓子持ってきてくれましたから、食べませんか?」
布団に話し掛けるが返事がない。
まだまだご立腹中の模様。
「ポッキーですよ」
ポリポリといい音を立てて一本食べる。
モゾッと布団が反応した。
「おいしいですよ」
もう一本食べる。

モゾモゾッと布団が反応。
ちょっと面白い。
が、ここで笑ってしまってはいけない。
そんなことしたら布団の主はまたへそを曲げてしまう。
「ほら、先生。一緒に食べませんか?」
「……」
ひょこんと、アイはちょびっとだけ顔を出す。
その姿が妙に子供っぽいというか小動物っぽいというか。
ひっくるめてとても愛らしかったので、マサヒコはつい破顔してしまった。
「!!?」
その笑顔をどう取ったか、アイは頬を膨らませて無言で引っ込んでしまった。
……しまった。
警戒心を持たせてしまった。
「……やれやれ」
やむを得ずマサヒコはポッキーを一本手に取り、
「せんせ〜……おいしいですよ〜」
布団の中に入れたらば。
ふにょんと、とてもとても柔らかいものが手に当たった。
「ふわっ! マ、マサヒコ君のエッチ!」
「すっすいません!」
どこを触ったのやら。
まあ予想はつくわな。
「ほ、ほら先生! ポッキーですよ」
気を取りなおして、マサヒコはアイの顔があるだろうあたりでポッキーを左右に振る。
すると、パクっと咥えられた感触が伝わり。
カリコリカリコリと食べられていき、最終的に。
ガリ!
「いてぇ! 先生! それは俺の指です!」
マサヒコが痛みに叫ぶと、
「……」
はむはむはむ
「って! なに甘噛してんすか!?」
「……おかわり」
「はいはい」
苦笑してお代わりのポッキーを左手で差し出す。
右手は人質ならぬ指質に取られてるからね。
そんなことをお菓子が無くなるまで続ける。
「これで最後ですから、食べ終わったら出てきてくださいね」
「……」
「先生」
食べ終わっても布団の中に引きこもったままのアイ。
やれやれとマサヒコは苦笑する。

「それで、お姫様は他に何をお望みですか?」
そう言うとアイが布団をめくり、自分の横をぽんぽんと叩く。
「えっと……そこに横になれと?」
「うん」
「はあ。じゃあちょっと失礼しますよ…っと」
アイの隣に横たわる。
「で、何が目的何すか?」
「……」
「先生?」
アイは顔を赤くしてしばらく躊躇っていたようだが、やがてポツリとつぶやく。
「マサヒコ君」
「はい?」
「……ぎゅってして」
ちょっと潤んだ目での哀願。
マサヒコはすぐさまアイをぎゅっと抱きしめる。
「これでいいですか?」
「えへへ……うん♪」
猫のようにマサヒコの胸に頬を摺り寄せる。
「猫みたいですよ、先生」
「にゃーん♪ アイ猫だにゃん♪」
にゃんにゃん言い出したアイのあごの下をおもしろ半分でくすぐる。
「うひゃ! くすぐったいよぉ」
「おかしいな? 猫なら「ごろごろ」ノドを鳴らして喜んでくれるのに」
オノマトペをつけるなら「きゃっきゃっ」あるいは「わいわい」もしくは「うきゃうきゃ」といったところか。
二人ベッドの上、布団の中ではしゃぎまわった。
しばらくしてから、
「先生」
「ん?」
「さっきも言いましたけど、支えることは出来ますから。
頼ってください。愚痴でもなんでも言ってください。甘えてください」
「マサヒコ君……」
アイは感動した様子で、けれど。
「でも……私年上なのに……」
「歳は関係ないですよ。誰だって弱気になる時はありますから。
俺はそのときちょっと手を出すだけですから。
3年間、ずっと俺のことを支えつづけてくれた先生へのほんの少しのお礼ってとこですから」
そう言って、改めて正面からアイを見る。
「先生のおかげで、先生を支えることができるまでに成長できましたから。
だから……遠慮しないでください」
「……」
言葉は要らなかった。
言葉はなかった。
マサヒコにぎゅっと抱きつく。
マサヒコも抱き返してくれた。
「……ひどいんだよ。ちょっと言葉尻捉えて」
「そうですね」
「揚げ足とって、セクハラみたいなことも言われて……」
「大変でしたね」
「大変だったんだよ」
「ええ。わかりますよ」
「うぅ……ぐす……ふぇぇ……」
よしよしと、労わるにアイの背中に手を回し、ぽんぽんとリズムを取って背中を叩いてやる。
「うぅぅ……マサヒコくぅん……」
「大丈夫ですよ。先生のよさをわかってくれるところは必ず見つかりますから。大丈夫です。
焦らずいきましょう。大丈夫、大丈夫です」
何度も何度も慰めの言葉を口にする。
大丈夫、大丈夫だ……と。
やがて。
穏やかな寝息が聞こえてくる。
それでもマサヒコはその体勢を変えることなく、アイを抱きしめつづける。
夢の中でのアイを守りつづけるかのごとく。
いや。
せめて夢の中のアイを守りつづけるかのごとく。
「いい夢を」
アイの目に浮かんだ涙を拭って。
柔らかく、力強くアイを抱きしめ続けた。


END

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