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その日は765プロのみんなで海に行くことになっていた、はずだった。
こつこつ自分で貯金して買った水着が濡れてもないのにしょぼくれている、ような気がした。
一目見て気に入ったやつだった。

「……お前もシャバに出たかっただろうに」

さきほど見た、妹である亜美の小憎たらしい顔が目蓋に浮かぶ。
私とそっくりの可愛らしい顔。けれど、今はただイライラの対象でしかない。

「うえええい! どうして! こんな時! 風邪なんてひくんだよ! うみ! うみ! うみ! ・・・うううっ」

自分の馬鹿でかい声が熱のある頭に響く。慌てたような足音。しまった、と真美が思った瞬間に、

「ど、どうしたの!? 真美ちゃん?!」

唯一部屋に残っていたゆきぴょんが血相を変えてやってきた。

「な、なんでもっ…ごほっごほっ!」

喉からせり上がってくる激しい咳の衝動に思わずむせる。

「なんでもなくないよ……せっかく海に来れたのに寂しいよね……待ってるだけって言うのも」

「別にさびしくごほっごほっごほっ……なんかごほっごほっ……なごっほ」

気管が絡み合うような咳が止まず、うまく喋れない。

「それに、私といてもつまらないでしょ。
何か遊ぶものでもあればいいんだけど、でも、風邪だから普通に寝てないとダメだしね」

「こほっ…そんなことないよー。ゆきぴょんがいてくれて嬉しいっていうか、なんていうかごめんよーゆきぴょん」

「そんなっ、謝らないで。私も、足くじいちゃってて泳げなかったから……。
それに、真美ちゃんを看病する方が大事だと思う……」

ゆきぴょんが真っ直ぐにこちらを見て優しく微笑む。優しいゆきぴょん。
舞台稽古でやっちゃった足が痛いはずなのに、真美が叫んだせいで走ってこさせちゃった。

「真美ちゃんは、……なんだろ、妹みたいに可愛いから、お世話できて楽しいよ」

「え、あ、うんっありがと……真美も楽しいよゆきぴょん」

妹。変なの。いつもは私がお姉ちゃんなのに。風邪を引いたのだって自己管理ができてなかったからで。
千早お姉ちゃんじゃないけど、その辺の責任ってやつはわかってるつもりだったんだけど。

ゆきぴょんは仕事仲間で、友達で、一応先輩。これでも高校生。17歳。
真美より4つも上なんだ。そう、年上なんだ。

「……ゆ、ゆきおねえちゃ……」

言って、自分の言葉に顔が熱くなるのを感じた。

「え? ごめん、真美ちゃん、よく聞こえなくて……」

亜美。夏風邪は馬鹿が引くって言うけど、今、相当きてるかもしんないよ。お姉ちゃんは。

「あ……え、えっと、背中が」

「うん?」

「あの、真美の背中がですね、悪寒が走ると言いますか……すごく冷っこいのです……真美、もうダメかもしんない!
後、五回瞬きしたら死ぬかもしんにゃい! うぐぐぐっ!」

「えええ!? た、大変! って、言ってるそばからもう三回目の瞬き、四、五回目あああ!? ……あ、生きてる」

「嘘だよ。ゆきぴょんはおもしろいなー……こほっ」

ゆきぴょんは口を開けたまま、少し間をおいて、

「……えっと、わかってた、よ?」

しどろもどろに答えていた。
これでも私よりお姉さん。可笑しくてなんだか笑ってしまった。
大人しいゆきぴょんがこちらをちょっとだけ睨んでる。からかうんじゃありませんって感じで。

「でも、寒いのはほんとなの……お風呂入りたいけど、良くないって言うし、タオルか何かあったよね」

そう言って、私は立ち上がろうとして優しくベッドへと押し戻される。

「汗かいて冷えちゃってるよね。ごめん気づかなくて。待ってて」

ふっとお風呂場に消えていく。シャワーの音がした。数分してゆきぴょんが戻ってくる。

「夏だけど、暖いタオルの方がいいよね」

えー冷たいほうが気持ちいのに! なーんて、はるるんになら言ってしまいそうだけど。
きっと、はるるんはそのまま押し通るんだろう。

「ありがとう、ゆきぴょん」 

ゆきぴょんはどうだろう。
きっと、謝ってから冷たいタオルも用意してくれるんじゃないだろうか。
期待してるわけじゃないけど、期待してるのかも。

腕まくりされたゆきぴょんの白い細い腕が私の体をゆっくりと起こす。
先程から騒いでしまったためか、熱に浮かされていた頭が朝よりずっと重たい気がした。
それから、少しだけ目眩を覚えたけど、ゆきぴょんには言わないでおいた。

彼女は私の服のボタンへと手をかける。急いで止めた。

「わわ! いいよ、ゆきぴょん。自分でするから。もう、ゆきぴょんのエッチ!」

からかうようにそう言った。
気恥しさも多少はあったけど、そこまでゆきぴょんに頼むのもはばかられた。
ゆきぴょんは手を止めて、真っ赤になっていた。

「ち、違うよ! そんなつもりないよ……もう、からかわないでよ真美ちゃん」

どういうつもりなの? とまたからかおうとして、私はゆきぴょんの手をどかせようとした。

「あ……」

ゆきぴょんの重心が崩されたのがわかった。
少し前かがみだった姿勢から目で追えるくらいゆっくりとこちらに向かってくる。
そう言えば、片足をひねっていたんだった。

私の視界が天井から目の前いっぱいにゆきぴょんになるまで一瞬だった。
ゆきぴょんの膨らみが私の大平原の上に鎮座する。くっ。

「ごめんね、真美ちゃん」

ゆきぴょんが申し訳なさそうに眉を垂れ下げ、すぐにどこうとした。
私も、少し重たかったのでそうしてくれるのが助かったわけで、

「真美ちゃん?」

「え……と?」

何がそうさせたのか、私は離れる彼女にしがみついていた。

「ええ、ど、どうしたの?」

離れるのが嫌だなって、そう思った瞬間、勝手に手が伸びていた。
優しい彼女が、耳元で不思議そうな声を出す。

「えっと、重たくない?」

無理に抗うことはせず、そう聞いてくる。私は音も無く首を縦に振った。

「それなら……」

いいのか、悪いのか。よくわからないところで歯切れ悪くゆきぴょんは言葉を止める。
汗も拭いてない体で抱きついて、正直気持ち悪い。
ゆきぴょんもそう思ってたら嫌だな。それに、何より熱い。
冷房は体に悪いからつけるなって、兄ちゃんに言われてるけど。
こんなに暑いんだから逆におかしくなっちゃう気がする。

だから、仕方ないんじゃないの。


って自分に言い聞かせみて、ゆきぴょんも自分もお互い黙りあいこしていることに気がつく。



「あの、さ」

「なあに?」

「ゆ、ゆきほおねえちゃん」

「うん…………ふえ? え? え? ……いま、な、なんて」

「うあ、えっと、よ、呼んで見たかっただけ! それだけ! うん!」

私はそこで漸くゆきぴょんを拘束している腕を解いた。しかし、彼女は体を起こさない。

「……そっか」

「ゆきぴょん?」

「なんだか照れるね……真美ちゃん」

ゆきぴょんの顔は見ることはできない。先程から、熱かったり寒かったり大変でそんな暇もない。
別にゆきぴょんの反応を面白がっていたかったわけじゃなくて。


ただ、優しい匂いに包まれていたくて、きっと私はそんなことを言ってしまったんだ。





「春香、部屋に入りづらいわ」
「うん、改めて取りにこよ。千早ちゃん」

続く

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