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『蜜月』





 ――蜜月という言葉について最近よく考える。
 元は“honeymoon”の訳語なのだそうだ。
 しかし、なぜ“蜜”と“月”なのだろう。そう思って調べたところ、蜜のように甘美に満ちた生活と、
満月のようにすぐに欠けてしまうことをかけた戯言的造語だとする説があった。
 こんなに美しく、甘い単語でありながら、関係の終わりを示唆しているような言葉なのだろうか。
 だから、私と美希の関係を、“蜜月”と称するのはきっと間違いなのだと思う。

 朝。どこからか小鳥の鳴く声が聞こえ、私は目を覚ました。
「ん……ふ、ぁあ……」
 とてつもなく眠くて、とてつもなくだるい。それもそうだろう。何故なら――
「……ふにゃ、えへへ、……りつこ……」
 深夜まで、隣に眠る美希と愛し合っていたわけなのだから。
 一糸まとわぬ姿で眠る美希は、ごろりと私のほうへと寝返りを打った。風邪を引かないように、私は
毛布を彼女の肩までかける。
「ん……」
 自然とこちらの頬が緩むような、それは幸せそうな寝顔だった。一体どんな夢を見ているのだろう、
微笑みながら静かに寝息をたてている。
 私は美希の髪を撫でた。さらさらした茶髪は窓から差し込む光をはじいて、まぶしく輝いていた。
 髪を梳くたび、猫のように体をくねらせながら、美希は寝息を漏らす。
「……り……つこ……」
 また、美希が寝言で私の名前を呼んだ。夢の中でも一緒にいてくれているのだろうか。そうだとしたら、
とても嬉しい。
 服も着ないで美希の寝顔を見つめていると、私のお腹が鳴いた。体が栄養を求めているらしい。
 私はキングサイズのベッドから起きだし、脱ぎ散らかされた服を身につけた。まったく、自分でも呆れて
しまうほどに服が散乱している。昨日の激しい情事が思い返され、少し赤面する。あー、なんだか恥ずかしい
ことやってたなぁ、私。
 服を着終えて、寝室から出る――前に。
「今日はオフよ。だからごゆっくり、ダーリン」
 いまだ眠る恋人の頬に、私はそっとおはようのキスをした。

 私がプロデュースするアイドル、星井美希は全国ツアーを行っていた。昨日が最終公演。
 ツアーは大成功、総てを無事に終えて、ようやく私たちは束の間の休暇をとることができた。
 朝の九時。いつもなら朝寝坊な時刻だが、今日はまったく気にする必要はない。慌ただしい日々もまぁ嫌い
ではないのだが、やはりオフはゆったりとできていい。
 私と美希は同じマンションの一室に暮らしている。半分同棲のようなものだ。
 私のプロデューサー業が軌道に乗ってきた頃に、ぽんと買った一室だ。そして、美希と付き合いだしてから
は彼女が毎日部屋に来るようになり、今ではもういない日がないくらいになっている。

 シャワーを浴びて、寝癖を直し、いつも通りのお下げを作る。
 それからキッチンへ向かい、簡単な朝食を二人分作った。コーヒーのかぐわしい香りが部屋中を包み込む。
 ……その香りにつられたのだろうか、
「ん……おはよ、りつこ〜」
 美希が寝室から出てきた。下着もつけずにだらしなく上着だけ羽織っている。爆発でもしたみたいに髪の毛は
ぼさぼさだ。
「おはよう、美希。いつもよりは早いわね」
 この前のオフは――確か正午起きだっただろうか。それに比べれば随分と早い。
「むー……いじわる。今日こそ、律子の寝顔を見るって思ったのに」
 美希はぷっくりと頬を膨らませた。ああ、そういえばそんなことを言っていた。
 曰く、“律子ばっかり早起きで、ミキの寝顔を見てズルイ。だから律子も見せて”。
 ……ずるいというか、それはただ単に美希が寝坊するのが悪いと思う。
「はいはい。次はがんばってね」
「むむむ……いいもん、目覚まし時計とかたっくさん買ってくるの!」
「それじゃ私も起きちゃうから意味ないと思うわ」
「うっ……じゃ、じゃあ、先に律子が起きたら、美希を起こして! それでまた眠るといいの!」
「訳分からないわよ、もう」
 くすくすと笑う。美希はいまだ不満そうだ。
「もう、いじわる」
 美希が私へと近づく。
「……でも、すき」
 怒っていたと思ったら急に笑みを浮かべて、……そっと私へ口づけをしてきた。
 ちゅっ、とただ唇に唇を押しつけるだけの軽いキス。
「んー、おはようのキス。おはよう、ハニー」
「はい、おはよう、ダーリン」
 美希は私の首に腕を回し、私も彼女の腰を抱きしめ、もう一度お互いの顔を近づけて――
「――あ」
「?」
 美希がぴたりと顔を止める。
「……ミキ、朝起きたばっかりだから……口、くさいかも」
「そう? 別に私は感じないけど」
「ううん、この前テレビで見たの。朝の口は菌が繁殖してすごい汚いんだって!」
 あぁ、その話なら私も知っている。知っているけど、別に美希だから気にしなかっただけだ。
「うう、このままキスしたらお嫁に行けなくなっちゃうの! ちょっと待ってて!」
 誰の嫁に行くのよ、誰の。などと突っ込む暇もなく、美希はぱっと私から離れて、洗面所に駆け込んだ。
すぐに恐ろしいスピードで歯磨きをする音が聞こえてきた。
 一分も経っただろうか。
「えへへ、お待たせ!」
 頬をうっすらと上気させた美希が戻ってきて、再び私の首に手を回して――
 本当に歯磨きだけしかしていないのだろう、寝癖もその寝ぼけ眼もまだ直ってないままに、
 私に、歯磨き粉味の唇を押しつけてきた。
 ――キスより大切なこと、もっといっぱいあるでしょうに。
 そう思いながらも、何よりもキスを優先する美希が愛しくてたまらなくて、私は黙って彼女に舌を差し込んだ。

 私たちの今の関係を、一体なんて言葉で表したらいいんだろう?
 美希の温もりを感じながら、私はたまに考える。
 朝食を食べ終わったあと、私たちはぼんやりテレビを見ていた。ソファに美希と座った状態で。
 美希は私とぴったり密着し、腕に絡みついてきている。押しつけられた美希の胸を通して、かすかに心臓の
鼓動を感じた。
「あんまり面白い番組やってないわねー」
 今は休日ではなく平日だ。私たちはどうも休日の取り方が不規則になってしまう。平日の昼間はどこも暗い
ニュースばかりで、あまり見ていて楽しくはない。
「どこか行く? 買い物とか」
「んー。めんどくさいの。疲れてるし」
 美希が言うことにはおおむね同意する。自分で言いながらも、私も出かける気はあまりなかったりする。
「それに、外じゃあんまり律子といちゃいちゃできないの」
「……え、あれでいちゃいちゃしてないつもりだったの?」
 前のオフに、一緒に買い物に行ったことを思い出す。人目を憚らずに私をハニーと呼ぶわ、腕を絡めるわ、
抱きつくわで恥ずかしかった。
「だって、律子がキスしちゃダメっていうから」
 美希の“いちゃいちゃする”の定義は、キスできるか否かなんだろうか。
「ダメに決まってるわよ、もう。TPOってものがあるんだから」
 目の前でカップルがキスしたらあまりいい気分はしないと思う。しかも私たちは女同士、周囲から好意的な
目では見られまい。
「家、その……PTAがないから、出かけないほうがミキはいいって思うな」
「TPO、ね」
 なんというか、引きこもりの発想だ、それは。
「だから、ハニー」
「……ん」
「思い切りいちゃいちゃしようよ、ね?」
 小首をかしげ、蠱惑的な眼差しで美希は私を覗き込んだ。
 ああ、もう。そんな目をされたらどうにかなってしまう。
 なんとか理性を総動員させて、私は目線を外しながら苦笑した。
「爛れた生活ね、本当に」
「お金もかからないし、お腹いっぱいになれるし。すごく、エコだと思うな」
 ……それはエコーの範疇に入るんだろうか?
 あとお腹いっぱいってどういう意味なんだろうか、
 そう尋ねる前に、美希の顔が1ミリ前にまで接近してきていた。
「ん……」
 唇を奪われる。彼女の舌が私へ差し込まれ、甘い唾液を注いでくる。
 抵抗する間もなく、そしてその気もなくなり、私は彼女を受け入れた。
 美希はぴったりと私の体に密着しながら、キスをしていた。彼女の柔らかい肌と温もりを、香りを、私は
全身で感じていた。
 彼女のピンク色の唇は果実のようにみずみずしい。でも、その果実を搾って出てくる果汁は、麻薬だ。
飲み込んだ瞬間頭を痺れさせ、もっと激しく、もっと多くと求めさせる禁断の味。
 気づけば私は、口の周りを唾液でべとべとにしながら、美希と自分の舌を絡ませ合っていた。
「は、……ん、……はぁ、ん……」
 漏れる吐息が私のものなのか美希のものなのか分からない。美希との境界線が曖昧になってゆく。既に一つに
なっているのではないかと、そんな錯覚さえする。
 何度美希の唇を求めただろうか。
 顎が疲れるまでキスをし、ようやく私たちは顔を離した。二人の間を、唾液の糸がつたう。
「あは、おなか、いっぱい」
 美希は頬を朱に染めながら、小さく微笑んだ。
「…………」
 ああ、ずるい。とてもずるい。その顔が、かわいくて、とてもいとしい。美希の麻薬で汚染された私の脳は、
それ以外の言葉しか浮かんでこない。
「……なんだか私も、お腹すいてきちゃった」
「え? ……きゃあっ!」
 ソファに美希を押し倒した。
 そのまま、食いちぎらんばかりに激しくキスをした。
 満腹になるまでは、しばらく時間がかかりそうだった。

 ……“いちゃいちゃ”はその後数時間にも及び、気づけば日が傾くまでになっていた。
「不健康にもほどがあるわね……」
「ある意味とっても健康的だと思うけど」
 私と美希は、少し照れながら苦笑した。
 二人で一緒にシャワーを浴びて、しわくちゃになった服を着替える。
 と……今度は本当にお腹がすいてきた。そういえば夢中になりすぎて昼食もとっていない。
「買い物に行きましょ。冷蔵庫にもうあんまりないし」
「分かったのー」
 二人で外に出た。

 近所のスーパーで食材をたくさん買い込んで、私たちは家路についた。
 一人で持てば重いものも、二人で持てばそうでもない。ビニール袋の取っ手を、片方ずつ持って、私たちは
歩いていた。
「綺麗な夕日ね」
 ぼんやりと、燃える夕日を見ながら呟く。なんだか一日があっという間に終わってしまって、今夕日が出て
いることが体内時計で実感できていない。でも、そんな状況でも夕日は綺麗だ。
 かぁかぁとカラスが鳴く。夕日に向かって飛んでゆく。あのカラスも家に帰るのだろうか。
「しあわせ」
「?」
 美希がぽつりと呟いた。彼女は私を向いて、微笑んだ。
「しあわせだね、ハニー」
 そうね、と返したかった。
 でも、そんな言葉だけでは言い表せないと思って、私は笑って頷くだけにした。
 いつも通りの帰り道。学校帰りの小学生が笑いながら道を駆けてゆく。自転車を漕ぐ主婦。携帯電話で会話して
いるサラリーマン。
 夕日のオレンジが包み込むのは、そんないつも通りの優しい風景だ。
 それなのに、どうしてこんなに美しく見えるのだろう。
 分からない。分からなくて、意味もなく叫びたかった。
 もどかしいこの気持ちを、何かにして伝えたかった。
 だから、歌った。
「よーるのー、ちゅうしゃじょーうでー、あなたはーなにもーいーわーなーいままー」
「……り、律子、突然どうしたの」
「なんとなく、歌いたくなってね」
「いきなり“relations”なんて……ひょっとして美希のこと嫌いになった?」
 ……そういえばそうだった。アレって失恋の歌だったっけ。
 じゃあ“思い出をありがとう”――って、これも別れたあとの歌じゃないか。
「誰よ、美希にこんな歌を唄わせたプロデューサーは」
「じー」
 睨まれた。
 ……だってあの頃は、美希とこんな関係になるなんて思ってなかったから。
「どうせ歌うなら、あれ歌ってよ律子〜」
「あれって?」
「ミキの新曲」
「え、えぇ……」
 あの新曲は美希の可愛らしさを前面に出そうとして発注した曲だ。それを私が歌うのは気持ち悪くないだろうか。
「ほーらー、このままだと律子とミキの仲がどんどん冷めていっちゃうの! 律子の歌で愛を取り戻すの!」
 何を言いたいんだか分からなかったが、結局その勢いに押し切られてしまった。
「だ、だいすきはぁ〜にぃ〜いちごみた〜いにぃ〜」
 ああ、もう、恥ずかしい。誰だこんな歌を発注したプロデューサーは。
 ……まぁ、美希が喜んでくれたのでよしとしよう。
 ヤケクソ気味に歌ったけど、少しは私の気持ちが美希に届いてくれただろうか?

 夕食はおにぎりのフルコースだった。
 どういうことかというと、まず軽く塩を振っただけのおにぎりを何個も用意する。そして、ご飯に合いそうな
おかずをたくさんテーブルに並べる。
 それをおにぎりと一緒に食べるという、システムとしては手巻き寿司のような感じだ。
 初めてフルコースを食べたときは面食らったものだが、慣れてみればいつもの食事と大して変わらない気が
してきた。おにぎりの状態だから、ついついたくさん食べてしまうことが難点といえば難点だ。
 二人でぺろりと総て平らげた。うう、体重計に乗るのが怖い。

 一日が終わろうとしていた。
 二人でぼーっとテレビを見て、一緒にお風呂に入って、それから明日からのスケジュールを簡単に確認して――
 眠気がやってきた。
 まったく、理不尽なものだと思う。今日はほとんど外に出ず、美希と一緒にいただけなのに、どうして人間は
眠くなってしまうのだろう。
 眠くさえならなければ、長い夜を美希と一緒に過ごせるのに。
 だからそんな眠気を吹き飛ばそうと。
「美希」
「……ハニー。そうじゃない、でしょ?」
「そうね、ダーリン」
 ベッドの上に二人で座って、見つめ合った。
 月明かりが寝室に差し込む。美希を純白に照らす。
 私はそっと、美希に口づけた。優しく、目を閉じて。
 美希も、私に体を預けた。
 二人だけの寝室に、二人だけの息が響いた。

「みつげつ?」
 ……また、何時間ほど愛し合っただろうか。お風呂に入ったあとなのに汗だくで、体は疲労しきっていた。
 美希は私にぴったりと体をくっつけながら、そう聞き返す。
「そう、蜜月。ハチミツの蜜に、月って書いて蜜月」
「それがどうかしたの?」
「んーん、ただ、今の私たちのこと、なんて言えばいいのかなってふと思って」
 私は美希の髪を撫でた。そのたび、くすぐったそうに美希は体をよじる。
「らぶらぶ、っていうよりは、なんか甘くていい響きだね。その“みつげつ”って」
「そうね。でも――」
 私は話した。蜜月の意味とその由来を。
「――そんなわけだから。どうしたものかなって」
 けれど。美希はけろりとした表情で、
「いいんじゃない? それで」
 そう言った。
「どうして?」
「だって――月は、欠けたってもう一生戻ってこないわけじゃないの」
「……ぁ」
 そういえば、そうだった。
「満月じゃなくたって、月は月だよ。少し欠けてても、ずっと見守ってくれてるの。ハニーみたいに」
「……そうね」
「あ。ハニーってハチミツのことで……ハニーの名字は“秋月”だから、あは、ぴったりなの!」
 美希の言葉で、私は気づいた。
「ハニーは、美希の、“蜜月”だね!」

 ……違うわ、美希。
 あなたが“蜜”よ。
 ごてごてして、乾いてた月に、潤いを教えてくれた“蜜”。
 私はただの月。でも、あなたといればとても素敵な“蜜月”になれる。

 なんだ。
 ただ、それだけの話。

「ダーリン」
「なぁに?」
 私はまっすぐ目を見て、言った。
「好き。大好き」
「……うん。ミキも、ハニーのことだいすき」
 お互いに見つめ合って、微笑み合って、キスをした。

 そんな、蜜月の日のこと。



作者:百合13スレ345

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