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<1.貴音そして春香>

キーンコーンカーンコーン。

ここは聖765エンジェル学園。小中高一貫教育の女子校で、高校は外部受験もあり。
近隣ではよく知られた伝統あるお嬢様学校である。

その高等部校舎のとある一角にある小さな部屋。
元は倉庫代わりに使われていた空き部屋だったが、今は物理部の部室として使われている。

時はちょうどお昼の休み時間に入ったところ。
やってきたのは3年の秋月律子。物理部の部長にして唯一の部員でもある。
部屋の鍵を開けて入り、隅の机に置いてあった電気ポットに水を入れてコンセントを差す。
ちなみにこの電気ポットは、彼女が近所の電器屋の閉店セールにて格安で購入してきたもの。
この部室内で最もよく働く電化製品として重宝されている。

しばらくすると。ガラッ。
早速、このお湯目当ての誰かが来た模様。

「もう来ていましたか」

入ってきたのは長身で銀髪の、何やらミステリアスな雰囲気がしなくもない少女。
彼女は同じく3年の四条貴音、律子以外で最もこの部室に出入りする人物である。

「さっきの授業がちょっと早めに終わったから。お湯はもう沸いてるわよ」
「それは重畳」

彼女が嬉しそうに鞄から取り出したのは一個のカップラーメン。

「本日は、寿がきやの『尾道ラーメン』にしてみました。これはなかなかに美味なのですよ」
「よく毎日ラーメンで飽きないわね」
「尾道はらあめん好きにとっては聖地の一つ。是非一度は訪れてみたいものです」
「人の話聞きなさいよ」

律子自身の昼食は通学途中にコンビニで買った菓子パンに、学校の自販機の紙パックジュース。
それでもここを訪れる人のためにお湯を沸かしておく辺り、律儀というか何というか。

ダダダダダッ。ガラ。

「はぁ、はぁ。こんにちは。お邪魔してもいいですか?」

続いて、やや遠慮がちに戸を開けたのは、頭のリボンがトレードマークの1年生、天海春香。
全力疾走してきたため息を切らせ、少し恥ずかしそうに入口から顔を覗かせている。

「どうぞ。ていうか、いちいち断らなくたっていいわよ」
「えへへ。図々しいって思われたらやだな〜って」
「今さらそんなこと思わないから」

嬉しそうにスススススッとやってきて律子の隣に座り、持参したお弁当を広げる。

「春香はいつもお弁当ね。自分で作ってるの?」
「はい、一応。でも自分で作るのは玉子焼きとかウィンナーくらいで、
 ちゃんとしたおかずはお母さんが作ってくれてるのを詰めるだけですけど」
「それでも毎日ちゃんと作ってくるのは偉いわね」
「り、律子さんは、たまにはお弁当食べてみたいな〜とか、ないですか?」
「思わないでもないけど、私はその分寝たい方ね」
「あ、じゃあじゃあ、誰かが作ってきたら、食べます?」
「え?ああ、まあ、あれば食べると思うけど」

そこへ、ガラリ。
こう立て続けに人がやってくるのは、この部屋では珍しいことではない。


<2.千早>

「律子、あずさ先生は来てないかしら?」
「あ、千早ちゃんだ」
「……突っ込みたいことは山ほどあるんだけど、とりあえず。何故窓から入ってくる?」

ヌッと窓から進入してきたのは、これも1年の如月千早。
あずさ先生というのは、保健教諭の三浦あずさのことである。

「また姿が見当たらないから、もしかして屋上かしらと行ってみたのだけど、
 探してる間に誰かに鍵を閉められてしまったみたいで。
 それで真下にこの部屋があったことを思い出して、雨樋を伝って降りてきたの」

聖765エンジェル学園は生徒の自主性を尊重した自由な校風で知られているので、
雨樋を滑り降りている者がいても特に咎めたりはしない。いいのかそれで。

「あんた確かこの間は天井から出てきたわよね……いつか二次遭難するわよ。
 今日はまだ来てないわね。そもそも、なんであずさ先生を探しててここに来るのよ」
「だって結構な確率でここにいるし」
「はぁ……。向こうはいい大人なんだから、放っておきなさいよ」
「でも、今日はせっかく先生の分もお弁当を作ってきたのに……」
「千早ちゃん愛妻弁当作ってきたんだ。ラブラブだね〜うらやましいな〜」
「そそそ、そんなのじゃないのよ!?ただ、たまにはいいかしらと思って」
「はいはい、ごちそうさま」

3人が話をしている横では、貴音が恍惚の表情でラーメンを味わっている。

『RRRRRR〜♪』

千早の携帯電話が鳴る。

「もしもし?ああ、真?うん、そうなの?分かったわ。
 すぐ行くから、悪いけど見張っててもらえるかしら?うん、お願い。じゃ」

ピッと携帯を切って、

「真が西の渡り廊下で見かけて確保してくれたらしいから、行ってくるわ」
「はいはい、いってらっしゃい」
「がんばってね〜千早ちゃん」

何を頑張るのか、っと突っ込みたかったがやめておいた。
あずさは一般人の想像を絶する方向音痴で、毎日のように行方不明になる。
彼女をいろんな意味で慕っている千早は、その度に校内を探し回り、
最近では『あずさ先生の居場所は如月千早に聞け』が生徒の常識となっている。


<3.ふたたび春香と貴音>

その後は闖入者もなく和やかに食事の時間を過ごす3人。そして。
キーンコーン。キーンコーン。

「あ、予鈴だ。私、そろそろ行きますね」
「そう」
「あの、あの」
「ん?」
「今日の放課後は、律子さんここにいますか?」
「そのつもりだけど?」
「えっと、じゃあまた、放課後に来ますね」
「ああ、うん。じゃあまた後で」

タタタタタッと小走りに部屋を出て、戸口で振り返ってペコリとお辞儀をして、
引き戸が閉まるとダダダダダッと勢いよい足音が響いて消えた。
春香の教室はこの物理部部室からは少し距離があり、
昼休みの始めと終わりに廊下を爆走する姿は昼の風物詩となっている。

「そろそろ、気付いてあげてもよいのでは?」

いつの間にかラーメンを食べ終わり、感想をノートに綴っていた貴音が口を開く。

「何のことかしらね」
「うら若き乙女の純情を弄ぶなど、あなたの柄ではありませんよ」
「私だってうら若き乙女なんだけど」
「律子殿が拾ってきたのですから、責任持って可愛がらなくては」
「拾ったとは人聞き悪いわね。
 入学式当日に新入生が階段から転がり落ちてきたら、誰だって助けるわよ」
「これまで次々拾った結果が、今のこの部屋なのは確かでしょう?」
「そもそもの始まりは、ラーメン屋探してた貴音に道を聞かれたことだったけどね」

そう、直接的にせよ間接的にせよ、皆何かしら困っているところを律子に助けられたのがきっかけで、
部員でもないのにこの部室に出入りするようになったのだ。

「それはともかく。
 人づてに聞いたところでは、天海春香はクラスに仲の良い友人が沢山いるとか。
 にもかかわらず、昼休みにせっせとここに通ってくる意味が分からないほど、
 律子殿が鈍いとも思えませんが」
「分かってるからこそ、ね……。
 あんな可愛くていい子、私なんかよりもっといい人がいくらでもいるでしょうに」
「ふむ。つまり、情が移ってから心変わりされるのが怖くて踏み切れないと」
「挑発してくれるわね」

言葉とは裏腹に、眼鏡の奥にある律子の瞳はいつもの強気な光が消えている。

「全く、素直ではありませんね。恋人がいるというのは、実に良いものですのに」
「今度はノロケ?」
「そう取ってもらっても一向に構いませんよ。
 今日の放課後もソーキそばを一緒に食べに行きますし。
 故郷の味に響が喜んでくれるかと想像するだけで胸が高鳴ります」
「あーはいはい。ソーキそばでもチャンプルーでも好きに食べてイチャイチャしてくれば」
「真面目な話、心変わりなど、律子殿がしない限り天海春香もしないでしょう。
 『硬派銀次郎』の銀ちゃんとデカレグさんのようなものです」
「いや、例えがよく分かんないんだけど」
「たまには、少しばかり勇気を出してみてもいいのでは?……おや、そろそろ戻りませんと」
「私は次自習だから、ここにいるわ」
「教室に行きもしないとは、なかなか不良ですね。そうそう、今月の会報を差し上げます。では」

律子に一枚の紙を渡して、貴音は出て行った。
言い忘れていたが、貴音はラーメン同好会の会長を務めている。
同好会とは言っても実質貴音が一人でラーメンを食べ歩いているだけなのだが、
月に一回会報を作っては無差別に配っている。

「今時ガリ版刷りって……」

律子が『麺妖新聞』と題されたその会報を脱力しつつ眺めていると。


<4.鈴木>

キーンコーンカーンコーン。ガランッ。

「メガネー!!」

昼休みの終了を告げるチャイムとともに威勢良く入ってきたのは、
ツインテールにそばかすが特徴的な、3年鈴木彩音。
律子とは家が近所で幼稚園からの腐れ縁、現在も同じクラスで、
物理部と同じ階に部室を構える『パソコン部』の部長でもある。
今年新入部員として入ってきた、とある一年生をやけに尊敬しており、
後輩なのに『センパイ』と呼んで崇拝している。

「メガネ言うなって何万回言えば分かるのよ、鈴木」
「そんなことはどうでもいいデス!あと鈴木って言うな!
 ウチの部室の前にメガネ一味が落ちてたから届けに来てやったデス。感謝しなサイ」

ズルズルと、中等部の制服を着た金髪の少女を律子の前まで引きずって来る。
しかし少女は完全に熟睡していて全く起きる気配がない。

「コイツ保護するのこれで6回目デスよ!全くいい加減にしやがれデス!!」
「一味ってこの子別に部員じゃないんだけど……まあいいわ。とりあえずありがと」
「廊下で寝るなってちゃんと言い聞かせときなサイ!猫じゃないんデスから!」

一方的にまくし立てて、鈴木はパソコン部の部室に戻っていった。
彼女も教室に行く気はないらしい。


<5.美希>

「ちょっと美希、起きなさい」

まだ床に転がって熟睡している少女、中等部2年星井美希の頬をぺちぺちと叩く。

「ううーん……あふぅ。あれ、律子、さん?」
「あんた、また廊下で力尽きて寝てたのよ。
 せめてうちの部室にたどり着くまでは我慢しなさいって、いつも言ってるでしょうが」
「うー?……そういえば、保健室で寝るつもりだった気がするの。
 でもなんか千早さんとあずさがイチャイチャしてたから、
 空気読んで律子のとこで寝ようと思ってから、記憶がないの」
「それが本当なら真剣に病気を疑うレベルよ……。あと”さん”を忘れてる」
「むー。律子、さん」
「とりあえずもう授業は始まっちゃったから、ここにいさせてあげる。次は行きなさいよ」
「ありがとうなの!」
「ところであんた、大丈夫なの?」

インスタントコーヒーを入れた紙コップに、電気ポットからお湯を注ぎながら、律子が尋ねる。

「何が?」
「真の追っかけにいちゃもんつけられたそうじゃない。真、心配してたわよ。
 美希に直接聞いてもはっきり言ってくれないって」

菊地真というのは先ほどあずさを見つけて千早に連絡してきた人物で、2年生。
そして、美希の恋人でもあるのだが、ボーイッシュな外見のためなのか、
高等部中等部全域に大勢のファンがいる。
中には少し行き過ぎた行動に出るような、熱狂的な生徒もいるらしい。

「大したことないから大丈夫なの」
「ごまかしてもだーめ。あんた、嘘つく時はアホ毛が揺れるんだから」
「そうなの!?」

美希が慌てて頭を押さえる。

「ぷっ。くくくくっ」
「!! ヒドいの!律子こそ嘘つきなの!」
「ごめんごめん。まあそれはともかく。何があったの?」

コーヒーの紙コップを美希に渡す。
美希は勝手知ったるという感じで、机に備えてあるマリームと砂糖を入れながら話を続ける。
ちなみにこれらの消耗品は、雀の涙ほどの部費で調達している。
しかし実質の利用者が多いため消費は結構早く、自分の小遣いから出して買ったりもする。
また機嫌次第では、居合わせた者(主に貴音)から徴収することもある。

「……クラスにね、真クンのファンがいるの」
「うん」
「でね、この間、『あなた、真様の何なんですの!!』っていきなり怒ってきたから、
 彼女だよって言ったの」
「それで?」
「そしたら、なんか余計に怒って色々言ってきて。
 ミキ、なんでそんなに怒ってるのか分かんなかったから、まあいいやってすぐ忘れたの。
 でも次の日、ミキの机に手紙が入ってて、開けたら『真様と別れろ』って書いてあって、
 一緒にカミソリも入ってたの」
「ちょっと!それ、立派な脅迫じゃない!ご両親や先生には言ったの?」
「ううん。真クンも知らない。だから律子も、内緒にしてね?」
「ダメよそんなの。放っておいてエスカレートしたら大事になるわよ」
「だって、真クンは優しいから、ファンの子がそんなことしてるって知ったら悲しむもん。
 真クン、ファンの子が押しかけてきても失礼なことしても、絶対怒らないんだよ?
 怒れないし、怒りたくないんだと思う。だから、ミキのこと知ったらきっと困るよ」

律子は険しい顔で、自分用のマグカップにコーヒーを作る。
ついさっきまでは、軽く美希に話を聞いたら後は自習の課題をやるつもりだった。
しかし予想以上に深刻な事態に、予定はとりあえず後回しに決めた。

「嫌がらせは、その手紙だけ?」
「……」
「ねえ、頼むから正直に言って?本当に心配なのよ」
「ミキの物がゴミ箱に捨てられてたり、ノートに落書きされてたこともあった」

律子は深く溜息をついた。
これは、典型的ないじめの手口ではないか。

「美希、やっぱり黙ってるのは賛成できないわ。そんなの、人として許される行為じゃないもの。
 なんなら私がついていってあげるから」
「……って」
「ん?何?」
「ビッチって。ノートに、落書き。あと、汚いとか、死ね、とか」

――泣いている?
俯いているため長い髪に隠れて顔は見えないが、気配で分かった。

派手な外見とフリーダムな性格のため誤解されやすいが、美希は素直で純粋な子だ。
それはこの部室に集まる者なら誰でも知っている。
そんな美希に、悪意をぶつけて傷つけるような行為は、絶対に許せない。
こんなにも傷ついて泣いているのに。
律子の胸に、沸々と怒りが沸き上がってきた。

「分かった。美希、何とか方法を考えるわ。あんたが安心して学校に来られるように」
「でも、律子、さん」
「心配しなくていいから。とりあえず、クラスにいたくない時はここに来ていいわ。
 合い鍵あげるから。現状被害に遭ってるんだもの、まず逃げることが先決よ。
 それから――」

律子が頭の中で忙しく対策を練り始めたその時。

ガラガラ。入口の戸が開いた。

<6.真>

「ああ、律子。良かった、いてくれて。美希、来てる?」

入ってきたのは真だった。
部としてはほとんど活動してない割に人の出入りが多いこの部屋だが、
さすがに授業時間中に人が来ることはめったにないので、律子は少し驚いた。

「来てるけど……。真、授業は?」
「うん。ちょっと、大事な用があって」

真が近づいてくると、美希は反射的に律子の陰に隠れる。

「美希?怖がらなくていいから。顔、見せてくれないかな?」

真が言葉をかけると、おずおずと顔を出す。
そんな美希を、真は優しく抱きしめて言った。

「ごめんね。美希が辛い思いをしてたのに、気づいてあげられなくて」
「真クン?」
「本当にごめん。それに、ボクがはっきりした態度を取らないから、
 美希をこんな目に遭わせてしまったのかもしれない」
「真クン、ミキは」
「実はこの2、3日、友達に協力してもらって、美希のクラスのこと調べてたんだ」
「!!」
「それで、美希がどんな嫌がらせを受けてたか、誰がそれをやったのかということが分かった。
 だから今日の昼休みからさっきまで、その子たちと話をしてたんだ」
「えっ……」
「美希はボクにとってとても大切な人だから、傷つけるようなことをしたら許さないと、
 はっきり言ったよ。
 そしてもう二度と美希に手出しはしないと、約束してもらった。
 それで、後々引きずらないためにもきちんと謝ってもらおうと思って、
 今廊下に待たせてるんだ。
 美希、顔合わせるの嫌かもしれないけど、聞いてやってもらえるかな?」
「う、うん」

まだ半信半疑な様子の美希と真は連れだって部屋の外に出て行き、
しばらくしてからまた二人で戻ってきた。

「どうだった?」
「うん、ちゃんと謝ってもらったよ。
 すぐに元通りとはいかないかもしれないけど、これ以上美希に何かすることはないと思う」
「はぁーっ。いや、それなら良かったわ。正直どうしたもんかと思ってたから」
「律子にも心配かけちゃったね。ごめん」
「まあ解決したんなら、それでいいけど。良かったわね、美希」
「うん!」

美希は部屋に入ってきた時からずっと真の腕にしがみついている。

「真クン、ありがとうね。今日の真クン、すっごく素敵だった。
 ミキ、今までも好きすぎてどうしようってカンジだったのに、もっともっと好きになっちゃった」
「へへ。もう一人で悩んじゃダメだよ?困ったことがあったら何でもボクに言って」
「うん。あ、じゃあ、早速一つ、いい?」
「いいよ。何?」
「あのね、ミキと一緒にいる時は、ミキだけを見てほしいな……ってダメかな?
 ファンの子が来て、ずっと真クンとお話してると、ちょっとヤ、かな」
「うん、分かった。気をつけるよ」
「あとね、あと、一日一回はチューしてほしいな」
「ストーップ!!!こらバカップル、そっから先はよそでやってくれない?」
「あ、ご、ごめん律子」
「ごめんなさいなの」

さっきまでとは打って変わって美希がすっかり明るい表情なのは律子も嬉しいが、
このままキスしかねない甘々ムードに、たまらず割り込んだ。

「じゃあ屋上でも行こうか」
「はいなの」
「律子、今日は本当にありがとう。今度、何かお礼するよ」
「律子、ありがとうなの!」
「はいはい、とっとと行きなさい」

腕を組んで二人が出て行くと、律子はまた深く溜息をついて机に突っ伏した。

「”さん”を付けなさいってのよ……」

さっきの、イチャイチャトークの残像がまだ頭に残っている。

「正直、うらやましい……」

思わず呟きが漏れた。


<7.春香>

放課後、律子は部室に戻ってまだ片づいていない自習の課題の続きをやっていた。

基本的に勉強はなるべく学校で済ませるようにしている。
それで家では何をしているかというと、純愛小説や少女漫画を読み耽っているとは、
口が裂けても言えない秘密である。

「りーつこさん?」

振り向くと、また春香が戸口から顔を覗かせていた。

「ああ、春香。そんなとこに立ってないで、入ってきたら?」

スススススッとやってきた春香は、後ろ手に何か持っている。

「あの、あの」
「ん?」
「さっき、調理実習でカップケーキ作ったんです。それで、よかったら、一緒に食べませんか?」

手に持っていた紙袋を遠慮がちに見せる。

「いいの?」
「いいんです、ていうか、食べてもらえたら嬉しいな〜って」
「じゃあ、ありがたく頂くわ。コーヒーでいい?」
「はいっ」

インスタントコーヒーを淹れると、春香が紙袋からカップケーキを2つ、取り出した。
この部屋には毎日のように来ているのに、春香は未だに律子と二人きりになると、
少し緊張しているような様子を見せる。
その理由には、貴音に指摘される間でもなく、思い当たる節があった。
ただそれを確信に変える勇気がなかったのは、悔しいが貴音の言う通りだと思った。

「うん、おいしいじゃない」
「本当ですか?」
「ほんとほんと。私も1年の時作ったけど、こんなにおいしくなかった気がする」
「律子さんに、褒めてもらっちゃった。えへ、えへへ」
「春香、料理上手いのね」
「じょじょ、上手かどうかは怪しいですけど、お料理とかお菓子作りは、好きですよ」
「へえ。もっと食べてみたいわね、春香が作ったの」
「ほ、本当ですか!?」

ほんの少しだけ、勇気を出してみた。

「本当よ。これだけおいしいケーキが作れるんだから、他のもおいしそう」
「じゃあじゃあじゃあ、あの、お弁当とか、どうですか?」
「作ってくれるの?」
「作ります!作りますとも!是非ぜひ、食べてください!
 ……ツイデニ、ワタシヲ タベテクレチャッテモ イインデスヨ? トカナントカイッチャッタリシテ!!」
「え?ごめん、なんか最後の方よく聞こえなかったんだけど」
「いえいえ、何でもないです。あの、律子さんの好きなもの作りますから、教えてください」
「あら、リクエストしちゃっていいの?じゃあね……」

今日はこれが精一杯。
でも次はまた一歩、踏み出してみようかな。
嬉しそうに律子の好みを聞く春香を見て、そんな風に思ったある日の夕暮れ。

おしまい。

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