日立造船

基本情報

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会社名日立造船株式会社 http://www.hitachizosen.co.jp/
株式情報http://company.nikkei.co.jp/index.cfm?scode=7004&b...
本社所在地〒559-8559 大阪府大阪市住之江区南港北1丁目7番89号
英語名Hitachi Zosen Corporation co,Ltd.
種類株式会社
市場情報東証1部 7004 大証1部 7004
設立1934年5月29日
代表者古川実
資本金454億2200万円(2006年10月31日現在)
主要株主日立製作所


個別情報

関係する人物 E.H.ハンター(創業者)
日本を代表する元造船会社。2002年にNKK(当時、現・JFEエンジニアリング)との合弁で両社の船舶・海洋部門を切り離して統合した持分法適用会社のユニバーサル造船を設立したことで本社から造船を手放し、2006年には子会社の内海造船の株式を売却したことにともなって2007年度決算からは連結決算においても造船事業が無くなる見通しである。

沿革

1881年(明治14年) イギリス人実業家・E.H.ハンターにより、「大阪鐵工所」(Osaka Iron Works)として創業。
1900年(明治33年) 桜島工場(大阪市此花区)が操業開始。
1907年(明治40年) 日本初の洋式捕鯨船「第二捕鯨丸」を建造。
1908年(明治41年) 日本初のタンカー「虎丸」を建造。
1911年(明治44年) 因島工場(広島県尾道市)が操業開始。
1914年(大正3年) 「株式会社大阪鐵工所」に改組。代表者は、E.H.ハンターの子である範多竜太郎。
1927年(昭和2年) 堂島大橋(大阪市)を建設。
1930年(昭和5年) 日本郵船向け氷川丸型貨客船「平安丸」を建造。
1934年(昭和9年) 5月29日 現在の日立造船となる存続会社にあたる「株式会社日本産業大阪鐵工所」が新たに発足。7月1日に株式会社大阪鐵工所は日本産業に吸収されて解散。8月1日に日本産業大阪鐵工所は「株式会社大阪鐵工所」に改称。
1936年(昭和11年) 3月23日 大阪鐵工所の全株式を日立製作所が取得し、同社の傘下に入る。
1943年(昭和18年) 3月11日 「主力を造船に注ぐため従来の名称ではあらゆる部面で不完全であり、また日立系の旗幟を明確にする」という理由から、商号を「日立造船株式会社」に変更。9月に向島工場(広島県尾道市)が操業開始。
1946年(昭和21年) 12月7日 財閥解体の第2次指定に該当。日立製作所グループから離脱させられることになる。
1965年(昭和40年) 東洋運搬機(現在のTCM)に資本参加。(ただし、その後2003年に日立建機ローダ(日立建機の子会社)へ持株を譲渡し、現在は資本参加していない。)堺工場(大阪府堺市)が操業開始。
1966年(昭和41年) 桜島工場の造船事業を廃止。機械工場に特化。
1971年(昭和46年) 舞鶴工場(京都府舞鶴市)が発足。
1973年(昭和48年) 有明工場(熊本県長洲町)が操業開始。
1995年(平成7年) 桜島工場閉鎖を発表。跡地に2001年、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)が開業。
2002年(平成14年) 10月1日 創業以来の中心事業であった造船事業を切り離し、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)と共同で設立した会社「ユニバーサル造船」にその事業を移管。同日、長らく使用していた「OIW」(前述した「Osaka Iron Works」の略)の文字を組み合わせた社章の使用を廃止し、新たに「Hitz」(ヒッツ)を社章として導入。将来的に「Hitz株式会社」に社名変更する予定があるといわれている。
2006年(平成18年) 3月28日 情報システム系の子会社、日立造船情報システムの全株式をNTTデータに売却。
2007年03月10日(土) 21:42:05 Modified by ID:T4uR3bhGyQ




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