セルレディカの崩御に際して、彼女が禅譲を打診されたのではないかという逸話が存在し、世に出回る多数の戯曲もその意見を支持している。
しかし、一部にはエル自身が
セルレディカ帝崩御後を見越した布石を何ら打っていない点などを理由に、禅譲劇の存在そのものを否定する意見も存在し、本書の執筆に際して重要な参考文献となっている「
アレシア戦国記」も、禅譲劇の存在を懐疑的に捉えている。
同書の代表執筆者
(=エヴェリーナ・ミュンスター)は後の述懐で、「
セルレディカから託されたのは皇帝ではなく摂政の位であり、
ルディ・フォン・ラグライナが即位するまでの一時的な繋ぎ役だったのではないか」との考えを示していたが、この意見は本人も認める通り憶測の域を出ないものであり、「
アレシア戦国記」にも採用されなかった。
摂政役や皇位を打診されていたとしたら、エルがそれを辞退した理由は何なのかを考察する必要がある。
「
アレシア戦国記」など複数の歴史書が伝えるところによると、
セリーナ・フォン・ラグライナは
セルレディカ帝が崩御する以前から複数の貴族・高級将校と水面下で接触するなど、自らの派閥を形成する動きを見せていたとされ、当然エルもこの動きは察知していたはずである。
もしかしたら彼女は思考を進め、
セルレディカ帝崩御直後に
セリーナがクーデター(またはそれに近い政治的行動)を起こすことを予見していたかもしれない。
エルの政治的な庇護者は
セルレディカ帝のみであり、自らの派閥というものを一切有していなかった(強いて挙げるならば、
キリカ・ラングレーなど一部の官僚に限られる)状況下においては、クーデターを起こされることは自らの「政治的な死」のみならず「生物学的な死」ともほぼ同義語となる。
セルレディカ帝の後継者問題に対する姿勢と
セリーナとその派閥の動きから、エル・ローレライナは混迷する帝国の将来をある程度予見し、自らの力ではこの将来を変えられないことを悟り、自ら政治の表舞台から身を引いたのではないかと考えることも可能なのである。
その一方で、
セリーナとその周辺が怪しい動きを見せなかったとしても、エルは
セルレディカ帝の崩御と共に姿を消すつもりだったという指摘が存在する。
エル自身は
ラグライナ帝国という組織ではなく
セルレディカ帝という個人に対して忠誠を誓う存在であり、
ルディと
セリーナがエルの私的な忠誠の対象であったことを示す資料は確認されていないというのがその根拠である。
また、エルの才覚と謀略の数々は
セルレディカ帝の存在があればこそ輝いたものであり、
セルレディカ帝崩御後のエルはその才覚と内縁の妻という特殊な地位故に、その存在自体が帝国にとって重大な不安定要因となった。
それ故に、帝国から自ら姿を消したのではないかという学説もある。
どちらの説も興味深い意見であるが、有力な反対意見が提示されており、彼女の失踪劇を説明する決定的な説とは言い難い。
私
(=エドワード・ブランフォード)自身、本当に禅譲(または摂政就任)の打診があったのかどうか、確たる自信を持っているわけではない。
また、彼女がどのような意図を持って帝国から姿を消したのか、過去の歴史家と同じく、その理由を正確に把握できずにいる。
ただ、歴史家の多くはその理由を憶測しつつも、エルが
ラグライナ帝国から姿を消したことを「責任放棄」などの言葉で非難していない。
「エル・ローレライナはセルレディカ・フォン・ラグライナの影としての役割を完璧に果たし、時宜を得て歴史の表舞台から自ら姿を消した」多くの歴史学者は、エルのことをこのように評価しているのである。
私自身もこの意見に同意したい。
(ラグライナ帝国興亡記、エル・ローレライナ評伝より抜粋)