忘却からの帰還〜Intelligent Design - 創造論ネタ
創造論ネタ

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若い地球の創造論の基本たる創世記に書かれた「6日間の創造」だが、これを事実の描写だとすると、問題がそれなりにある。たとえば、第4日の太陽創造前に昼と夜があり、アダムとイブと動物の創造順序が創世記1章と2章で違っている。
また、創造に伴う論点として、"Appearance of Age"がある。これは、神が被造物を見かけの上で歴史を経ているかのように創造したというもの。アダムが創造された時、間違いなく、彼は成人として創造され、歩き、話し、庭の世話をできたはず。

これを推し進めると、地球も宇宙も6000歳なのに6000光年より彼方が見えるのは経路上の光線も創造されたからということになる。世界は創造されたというより、偽造されたという方が適切になる。それに耐えられる創造論者は少なく、いかにApearance of Ageを回避するかがアイデアの出しどころになっている。
とともに、「創造行為=自然界への神の超自然的介入」なので、「創造が終るがない=神は自然界に介入しない=エネルギー保存」ということになる。そして、あらゆる現象は、すべて自然現象として、現在知られている物理法則に反しないように起きなければならない。ノアの洪水もまた例外ではない。
多くの創造論者は氷河期を否定しない。ただし、その時代が、6000歳という地球の年齢にあったものにして、原因をノアの洪水にする。
ノアの洪水は史実だと主張しつつも、創造論者たちはノアの箱舟の残骸が残っているとは考えていない。「ノアの箱舟の発見」が商売になるので、詐欺が繰り返されてきたたため、「ノアの箱舟の発見」ネタにのってしまうと、結果的に自分たちの信用を損ねることになるというのが動機だろう。また、聖書の記すアララトと、現在のトルコのアララトが同一ではなく、アララト山に箱舟の残骸はないと合理的に主張できるというのも別の理由。
ところで、この「ノアの洪水」は創造終了後に起きている。そのことが、若い地球の創造論に大きな問題を起こす。それは、現在の地球の多様な動物種が、ノアの箱舟搭載の動物たちの子孫でなければならないことだ。「急速に種形成が進んで、現在の多様な種を生み出した」と考える以外に逃げ道がない。そこで、「自然選択による種形成」は創造論の本質だと言いだす。
そのメカニズムは通常の進化論を大加速したもの。その勢いで種形成が進むなら、数億年もかからずに、たいがいの生物が進化できてしまいそうだ。そこで、創造論者たちは進化不可能な壁を設置する。それが種類(kind)で、種類境界を越える変化はありえないと主張する。
特に重要な壁は現生人類と類人猿の間である。ただ、あらゆる創造論者たちは現生人類と類人猿の間に越えられない壁があるという点で完全に意見は一致しているが、その壁の位置については合意がない。
逆にノアの洪水前に存在して、現在は存在しない動物の扱いも問題となる。若い地球の創造論では恐竜も創造されたことになっている。これについて、ノアの箱舟に搭乗させなかったが、させたが洪水後に滅亡したかの、いずれかの説明をとるしかない。搭乗させなかったとするとその理由が必要だが、聖書に根拠となりそうな記述がない。そこで、今では、恐竜絶滅説が必要となっている。

しかし、これらの主張の多くは、創造論者たちの間でコンセンサスに到達できていない。何故、6000光年より彼方の星が見えるのか? ノアの洪水の水はどこから来て、どこへ行ったのか? 6000年という短い歴史であるにもかかわらず、ストーリーを描けていない。威勢よく進化論を攻撃しつつも、振り返った時の自ら無様さを、Dr. Andrew Snellingは語る。


聖書の記述がすべて事実であると主張することで生じる問題


丸一日にわたり太陽を中天にとどめたヨシュア記の記述。これを自然現象として実現する方法を見出せない創造論者たちは、奇跡=超越的神の自然界への介入=エネルギー非保存を主張するしかなくなっている。
子供がハゲのエリシャにむかって「ハゲハゲ」言ったら、熊に殺されたというエピソード。やったことに対して、罰が残酷すぎるが、「ハゲに向かって、ハゲハゲ言うな」というだけの寓話なら何の問題もない。しかし、史実とするなら、神は残虐過ぎる。そこで、その残虐さを正当化する解釈を、創造論者たちは試みる。
平板地球の上の天蓋に貼り付いた星が落ちてくるとしか読めないヨハネ黙示録6章だが、それをなんとか尤もらしく読もうという創造論者たち。
聖書で、人間の言葉をしゃべった動物は、エデンの園のヘビ(創世記)とバラムのロバ(民数記22章)の2匹だけである。創造論では、もちろん、これらは歴史上の事実。

"若い地球の創造論"における未解決問題のひとつに「カンガルー問題」がある。これは、「ノアの洪水のときに箱舟にいたはずのカンガルーが現在はオーストラリアにしかいないのは何故か」あるいは「どうやってアララト山からオーストラリアに移動したのか」という問題である。

聖書の預言

後付け設定で、旧約聖書で預言されていたことにする新約聖書。しかし、うまくいかず、出典のない預言や、ノストラダムスの予言と同様の強引な解釈をしたり...
そして、イエスの再臨がすぐあると思っていた新約聖書執筆者たちだが、それから2000年近い時が流れてもイエスは再臨しない。
出典の存在しない聖書の引用の有名な例は、ヤコブの手紙4章5節:
それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、 もっと豊かな恵みをくださる。」それで、こう書かれています。「神は、高慢な者を敵とし、/謙遜な者には恵みをお与えになる。」
「イエスがこういった」であれば、福音書に記述がなくても、直接聞いたと言い抜けることが可能。しかし、これは「こう書かれています」となっていて、言い逃れられない。



創造論の歴史

「地球も宇宙も6000歳」という"若い地球の創造論"の歴史は浅い。

1800年代前半には、地質学の発展により地球6000歳という主張は死滅していた。そして、科学にあわせて聖書を解釈しなおすコンコーディズムという動きが起きていた。しかし、Seventh-Day AdventistのEllen Whiteは、1890年に出版した本で、現在の"若い地球の創造論"につながる記述をしている。そして、Seventh-Day Adventistの信者であり、アマチュアの地質学者だったGeorge McCready Price (1870-1963)はインスパイヤされて、"The New Geology"を1923年に執筆した。ここから洪水地質学(Flood Geology)という名の創造論が始まった。
とはいえ、その広がりは限定的であり、1925年のScope Monkey Trialの頃は、まだ創造論を支持する人々の多くは、地球の年齢を6000歳などとは考えていなかった。

"若い地球の創造論"が米国の福音主義キリスト教徒たちに広まるのは、1961年の"The Genesis Flood"の出版からである。

聖書と動物

聖書にいない動物たち
聖書に登場する動物でしゃべるのはロバとヘビ
動物についての正しくない聖書の記述

ネフィリムとウォッチャー:
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