当wikiは、高橋維新がこれまでに書いた/描いたものを格納する場です。

トップページ
随想集 22.
随想集 24.

テレビ尺

 漫画家とか表現者とか色々なことは言っていますが、私が一番なってみたいのは、芸人です。テレビに、出たいのです。私の芸の諸々は、言葉や絵の部分も含めて、芸人になってこそ一番活きると、今のところは思っています。
 こういうことを言うと、「テレビなら、弁護士としても出られる」と仰る方がたまにいます。それはその通りですが、弁護士としてテレビに出るのは、真っ平御免であります。
 弁護士としてテレビに出るってどういうことでしょうか。大事件の記者会見とかはまた毛色が違うだろうから別に考えると、情報番組で事件や法律についてコメントするのでしょうか。法律バラエティで自分の見解を述べるのでしょうか。そういう形でテレビに出ている弁護士はよくいます。でも、そんなんでテレビに出るのは絶対に嫌です。

 だって、バカみたいじゃないですかwwww

 これには、テレビの構造的な問題があります。
 テレビには、テレビの尺があります。一つの番組は、長くても数時間です。その中で、色々なことをやる必要があります。弁護士に与えられる時間は、ものの数分です。これは弁護士に限らず、テレビに出ている人全ての持ち時間が、タレントも含めて、ものの数分なのです。テレビに出ている何十人という人で数時間を分け合うのですから、そうならざるを得ないのです。
 その短時間の中でおもしろいことを言うにはどうするか。印象に残るにはどうするか。一つは、自分の言うことをより過激に、より極端にしていくということです。

「日本人の中には、アメリカ人より賢い人がいます」

 これは当たり前です。何も面白くない主張です。日本人の中で利口な人とアメリカ人の中でバカな人を連れてきて頭の良さを比べれば、日本人の方が賢くなるでしょう。こんなことを言っただけでは、視聴者の印象に残れません。そしてそれはスタッフの印象にも残らないということであり、「また使ってもらわないと仕事がなくなる」タレントにとっては、死活問題です。
 じゃあどうするか。この主張を過激に、極端にしていきましょう。

「日本人はアメリカ人より賢い」
「全ての日本人は、アメリカ人より賢い。日本で一番バカな人がアメリカで一番利口な人より賢いから」

 ほら、途端にオーディエンスの耳目を集める主張になりました。なぜ耳目を集めるかと言えば、既に述べた通り過激で極端だからです。一回聞いただけでは、「本当か?」「本当だとしたら何故か?」という塩梅で、聴衆の興味を引くからです。

 テレビで、短時間で視聴者に興味を持ってもらうために、安易にこの手の極端な言説に走る例は、枚挙に暇がありません。
「男の中には女より家事が得意な人もいる」→「男は女より生物として優れている」
「マクドナルドは今回の問題を反省して再発防止に取り組んだ方がいい」→「マクドナルドはつぶれてしまえ」
「僕小さい頃ディズニーとかジブリとかドラえもんとかは見てましたけど、今はアニメをほとんど見なくなりましたね」→「俺アニメって一切見たことねえ」
「いや、野球は普段見るわけじゃないけど、打って1周すれば1点入るってことぐらい知ってるよ」→「1塁って右? 左?」

 あまりに極端で笑える、というレベルならまだいいです。それは単なるボケになりますから。
 ところがこういった極端な言説をあたかも「正しい」という体で述べられると、つまり「ファニー」ではなく「インタレスティング」の領域に侵入してくると、途端に問題が生じます。だって、極端な言説は、大抵間違いですから。主張の過激さやおもしろさと、正確さは、悲しいかな綺麗なトレードオフの関係にあります。
 「俺アニメって一切見たことねえ」なんて嘘に決まってるじゃないですか。お前はディズニーもジブリもドラえもんもルパンも見たことがないのかと。「俺マックって1回も行ったことねえ」も絶対に嘘ですよ。1回も行ったことないわけがないじゃないですか。
 だから、弁護士としては、こういう極端な言説で聴衆の興味を引くということはできないわけです。曲がりなりにも弁護士である以上、嘘はつけないですから。結局、できるだけ正確に物事を言うように気を付けると、当たり障りのない、毒にも薬にもならないことしか言えないわけです。官僚の答弁みたいになってしまうのです。「9条を即刻廃止せよ」とはなかなか言えず、「時流や国際情勢の変化に合わせて予断なく憲法の条項を見直していくことは法律家として当然の使命であり、それ以上でもそれ以下でもない」ぐらいのことしか言えないわけです(逆に言えば、政治的信条等から「9条を即刻廃止せよ」と声高に叫べる弁護士は、テレビの世界では重宝されることでしょう)。
 こういう正確な主張でも、おもしろくすることはできます。正確な主張は、過激な主張と違って、結論そのものがおもしろいのではなく、結論が導き出される「過程」がおもしろいものです。ただそれをしゃべるには、当然大学の講義レベルの持ち時間が必要になります。100分×1クールです。筆者は、嘘だと分かっている過激な主張を(ボケではなく)真面目に言うということはできないし、何よりこういう長い話も好きなことは好きなので、機会があれば常に聞いてもらいたいのですが、テレビの尺では到底できないことです。やるなら、違うメディアでやるべきなのです。じゃあテレビに出る必要はないじゃないかと言われるとその通りですが、私は非常に俗っぽくて旧来からの権威に弱いので、テレビにも出たいのです。
 じゃあどうするか。結局、「間違っていると分かっていながらわざと過激なことを言ってボケる」ということしかないわけです。こうしないと、筆者が志向するおもしろさと正しさの両立は不可能です。それはつまり、芸人です。だから私は、テレビに出るなら、弁護士としてではなく、芸人として出たいのです。それには、この弁護士という肩書がムチャクチャ邪魔くさいのですが。
 ただもう一つ思い付くのは、それこそNスペみたいな大学の講義レベルのドキュメンタリーを本気でやるということですけどね。最近視聴者は過激な主張ばかりのバラエティに飽きてきている気がしますから。
 あれ、結構真面目なテレビ論になった気がしますが、どうでしょう。


トップページ
随想集 22.
随想集 24.

管理人/副管理人のみ編集できます