巴金『藍天使』

2006/05/25 研究ゼミ1

・藍天使(P.498-L.2)
原題「Der Blaue Engel」、邦題「嘆きの天使」。1930年、ドイツ。監督=ジョゼフ・フォン・スタンバーグ、原作=ハインリヒ・マン、出演=エミール・ヤニングス、マルレーネ・ディートリッヒ。
英語科を担当しているイマヌエル・ラート教授は、或る時受持ちの学生が取り落とした淫猥な絵葉書写真から、女買いをしている事実を知る。相手はキャバレーに出演している踊り子である。教授はその事実を確かめる為、生まれて初めてキャバレーなる場所の扉を開いた。案内されたのはローラという問題の踊り子の部屋である。教授の生真面目な態度に興味を覚えたのかローラはいろいろと歓待し、教授に訪れてきた目的を忘れさせたばかりでなく、言いようのない魅惑を感じさせた。翌日の夜も教授は校舎にいることが耐えられなくなり街に出た。次の日、教授が教室へ行くと、学生達が恋にはしゃぎ、黒板は落書でいっぱいだった為、学生達を怒鳴りつけたが、更に騒ぎ立てるだけだった。遂に校長が出てきて教授を連れて行ってしまった。
それから間もなくラート前教授がキャバレーの踊り子ローラと結婚したという噂を残し、彼らは巡業の旅に出が旅の日を重ねるうち、貯えの金も使い果たした教授は、妻の裸体写真を酒場で売り歩くほどにまで身を落として行った。2年3年と月日が経ち、巡業団の出し物もだんだん種が尽きて来た頃、団長は教授を道化師に変装させ、団長が得意とする手品の相手を勤めさせることを勧めた。ラートは一旦断ったが、ローラと二人で食っていかねばならぬことを考えた時、彼は承諾せずにはいられなかった。更にしばらくして、商売に抜け目のない団長はラートのこの浅ましい姿を種にしてたんまり儲けようと、昔ラートが教授をしていた町へ行くことを決めた。団長の思惑は当たり、客はぎっしり詰めかけ、ラートが道化師の姿をして舞台に出ると客は一斉にどっと笑った。その中に以前の教え子もいたことを考えるとラートの胸の中は煮え返るようであった。その頃、ローラはラートが舞台に出ているのをいいことに、かねてから情を通じていた一座の若い男と接吻を交わしていた。それを見た彼は突然舞台から降り、ローラへ恨めしそうな、悲しそうな一瞥を残して力なき足取りで何処かへ去ってしまった。その夜が明けて暁の色がほのぼのと町を染めかけた頃、花の先を黒々と塗っただぶだぶのカラーをつけたラートが、昔の中学校の英語教室で息絶えていた。

・雅斯宁(L.2)
Emil Jannings(エミール・ヤニングス)。1884〜1950。スイス、ロールシャッハに生まれる。1914年映画界に進出、数々の傑作に出演し、迫真の演技が評価され、ハリウッドへ。渡米後『The Way of All Flesh(肉体の道)』(1927)、『The Last Command(最後の命令)』(1928)の2作品で、1928年にアカデミー賞主演男優賞を獲得するが、同じ頃サイレントからトーキーへ変わったことで、訛りを持つ彼はドイツへ戻る。1930年公開の『Der Blaue Engel(嘆きの天使)』は彼の出演作品中最大のヒットとなるが、戦時中ナチ宣伝映画に協力したため、晩年は亡命者のような日々を送った。オーストリアで死去。

・歌舞伎座(L.5)
明治の演劇改良運動を受け、福地源一郎、千葉勝五郎の共同経営で、歌舞伎専用の劇場として東京都京橋区木挽町(現中央区銀座4丁目)に1989年開場。1914年、松竹の直営化、1949年に株式会社化する。
『嘆きの天使』は1935年2月1日〜26日に公演、9日から脚本改変。三代目坂東寿三郎、水谷八重子。観劇料は50銭〜3円80銭。同時期の他の演目は、『新世帯案内』、『仇討輪廻』、『女一代』。
(改定された脚本のラスト部分)劇では最後に教授が死んだ跡に学生が出てきて「アーメン」と祈りをささげさせ、教授に敬意を表させている。
・小松雄道(L.8)
全国大学教授連盟通報局長。歌舞伎座で『嘆きの天使』を公演する際、厳重な抗議をした。主著『教育制度刷新の大要』(1936)、『朝鮮佛教傳導史』(1938)、私立大学の沿革史として『日本大学興隆秘史』(1972)も残す。
・文部省(L.10)
現文部科学省。1871年9月2日、学術・教育を担当する官庁として設立。2001年)1月6日、中央省庁再編に伴い、学術・教育・学校等に関する行政機関だった旧文部省と、科学技術行政を総合的に推進する行政機関で旧総理府の外局だった旧科学技術庁とが統合した。
・警視庁(同-L.10)
東京都の警察行政をつかさどる官庁。長として警視総監を置き、管内には警察署をおく。
・阿門(P.499-L.3)
Amen(アーメン)。正教会では「アミン」。元来はヘブライ語で「確かに、本当に」の意の副詞。「自分を信頼に値するものとして示す、存続する;信ずる」という動詞形に由来する。誓い、呪い、予言、賛美などに応答しつつ、その内容に賛同するときに発する厳粛な定式表現。

・亨利・曼(L.4)
Luiz (Ludwig) Heinrich Mann(ハインリヒ・マン)。1871〜1950。ドイツ人作家で、トーマス・マンの兄。リューベックに生まれる。1893年、ミュンヘンに移り文学生活を開始。1905年、『Der Blaue Engel』の原作、『Professor Unrat(ウンラート教授)』を執筆。これはヴィルヘルム2世下の市民生活に批判を加えたものだが、このテーマは3部作《Der Kaiserrich(帝国)》(1914〜25)で、大規模に構成される。1950年東ドイツ芸術アカデミーの総裁に任ぜられたが、帰国直前カリフォルニアにて死亡。
・gymnasium(L.15)
Grundschule修了後大学入学までの(古典語必修の)9年制中等教育機関。
※大学は UniversitätまたはHochschule。
2006年06月16日(金) 01:09:17 Modified by rudoman2005




スマートフォン版で見る