紺碧の艦隊プライベートエデッション プロローグ

 紺碧の艦隊プライベートエデッション プロローグ

 彼は歌を口ずさんでいた。
 それは広く国民に知られた歌だった。歌詞からリズムとメロディを引き剥がすと次のような意味になる。

 海を行くなら水に漬かった屍
 山をゆくなら草むす屍(となっても)
 天皇のお傍らで死のう
 後悔はすまい

 つまり、『海ゆかば』だった。
 ニューギニア・ソロモン諸島において日本軍の陸海軍の将兵は皆、この歌のごとく熱帯のジャングルとサンゴ礁の海で屍を曝している。
 1943年4月18日。ブーゲンビル島上空、1式陸上攻撃機の機上。
 彼は流れ去る風景を眺めていた。
 レシプロエンジンの撒き散らす爆音は今や耳に染み付き、心地よい眠気さえ誘うほどだった。
 下界は一面の緑の海だった。ブーゲンビル島だった。
 この下で日本軍の将兵は飢えと疫病によって、戦う前から命を落としている。部下はその事実をなんとか糊塗し、彼に知られないようにしているらしかったが、無駄な努力だった。
 伊達や酔狂で聯合艦隊の司令長官はしているわけではない。独自の情報網によって、彼は戦況が最早取り返しのつかないところまで来ていることに気付いていた。
 おそらく、というよりはほぼ確実に、とおからず連合国軍(というよりは米軍)の攻勢をささえ切れなくなるのは明白だった。
 ソロモンにおいて消耗した戦力は彼には底の見えない巨大な空洞に思えた。
 誰もがそれをなんとか埋めようとしてあがいているが、シャベルで投げ込んだ僅かな砂礫は吸いこまれるように落ちていき、どこか途中で消えてしまい底にたどり着くことさえないようだった。
 特に航空戦力と船舶の消耗はもはや絶望的な有様だった。
 海軍がソロモンで失った艦艇、大きいものは戦艦霧島から小さいものは駆逐艦まで、とても補充が追いつくようなものではなかった。
輸送船やタンカーの被害は甚大で、補給計画の見通しはまるでつかなくなった。
 支那事変以来のベテランパイロットは殆ど戦死した。敵の攻撃は容赦なく、補充に送り込まれる未熟なパイロットはその日のうちに戦死していくほどだ。
 精強なラバウル航空隊は今や影も形もなく、搭乗員の墓場と言われる有様だった。そうした絶望的な戦況から自暴自棄になる搭乗員も多い。
 士気低下はどれだけ士官が拳を振り上げたところでもはやどうしようもないところまで達していた。
 戦況の見通しは暗い。
 誰も言い出さないのが不思議ほどだが、この戦争は不味いことになっている。
 いや、それさえも何らかの遠慮があった。
 全ての希望的観測を引き剥がし、現実から導き出される未来予想を端的に表現するならば、この戦争は負ける。間違いなく負ける。大日本帝国は敗戦する。
 敗戦。その恐るべき響き。何かも飲み込む空虚に心が凍えそうになる。それは暗黒そのものだった。
 彼はため息をついた。
 恐るべきことに聯合艦隊司令長官にして今年で60歳になる自分でさえ、敗戦についてその程度の感覚しかもっていないのだ。
 おそらく、国民の大部分は敗戦のもつ意味さえ理解できないだろう。その時がきて、やっとそれをその身を以って理解することになるのだ。
 その時何が起きるのか、彼には想像もつかなかった。
 つまり、自分の想像力はその程度のレベルでしかないということだった。
 そして、自分がその程度なら他の皆も同じ程度か、或いはそれ以下の構想も持っていないことは確実だった。
 彼は自分が人並み以上に頭が良いと思っていた。別にそのことを誇るつもりはない。
 しかし、馬鹿では聯合艦隊司令長官は務まらない。
 だから、その自分が考えても殆ど具体的な何かが思いつかない以上、他の誰もが敗戦という現実について何ら理解を持っていないと考えるべきだった。
 つまり、自分を含めて日本人は戦争の負け方を知らないのだ。
 対外戦争で大日本帝国は今まで一度も負けたことがなかった。
 薩英戦争のような例を除けば、明治維新以降の戦い、日清日露の戦役でも、日本は全て勝利を収めてきた。
 大日本帝国は戦争に勝つたびに領土を増やし、海外権益を得て大きく発展した。
 帝国主義は国是となり、戦争によって植民地を得ることが国家を発展させることと同一視された。
 そうして、日本は大陸に進出し、中国を植民地にしようとした。
 また、世界を支配する列強国も同じだった。
 列強国は世界に残った最後の植民地として中国を扱い、パイの取り合いに狂奔した。
 日本はその中で頭1つ抜けていた。満州国の建国によって、そのリードは不動のものになった。
 しかし、今となってはそれが果たして正しかったのか僅かに疑問が生じていた。
 日清か、日露か、そのどちらかの戦争に負けていれば、今日この日を迎えることはなかったのではないか?
 そんな疑念がこのところ付きまとって離れなかった。
 自分も参加して、指を2本失うことになった日露戦争に負けた方がよかったとは思わない。日露戦争に負けたら日本はロシア帝国の植民地になっている。
 しかし、その後のどこか小さな戦争に負けるか、或いは政治家が大きな間違いをしなければ、この戦争は避けられたのではないか。彼にはそう思えるのだ。
 例えば、満州事変がなければ、とか。2・26事件がなければ、とか。日独伊3国同盟を結ばなければ、とか。
 或いは、自分が内閣総理大臣に中途半端に希望を持たせるようなことを言わなければ、とか。
 最近の彼の小さな楽しみは、いつの段階ならこの破滅的な戦争を回避することができたか考えることだった。
 答えはまだ出ていない。出そうにもない。しかし、何かヒントを掴みかけることはある。
 それはこの国に残された最後の希望であるように思われた。しかし、彼の常識人として部分がそれを押し止め、掴み掛けたヒントは手から零れてしまう。
 それはさながら霧の中で道に迷うことに似ていた。或いは、星1つない暗黒の夜空から流れ星を探すような作業に近い。掴んだはずの希望は霧に霞み、見つけたはずの希望は瞬きした瞬間に消えてしまう。しかし、それはこの破滅的な戦争から祖国を救う、唯一の手立てであるような気がした。
 思考の迷路には終りがないように思えた。しかし、彼は迷路の中で迷っていられる時間がもう残されていないことにも気付いている。特に、ミッドウェーからこれまでの戦闘が彼に決断を要求していた。
 戦況は今や、彼にとって本当の、そして最も困難な闘いを始めることを強要していた。
 それはつまり、自分が。
「長官!」
 誰かの叫び声。
 考え事をしていた彼はやっと周りの慌しさに気がついた。
 エンジンの爆音は俄かに猛々しくなる。1式陸攻は身震いしながら加速した。パイロットは愛機の鈍いレスポンスに焦燥の汗を浮かべた。彼が愛機に要求しているのはより、より劇的な加速だった。世界最速のレシプロ機Me209のような加速だ。零戦程度の加速でも構わない。しかし、1式陸攻は速度記録機でもなければ、零戦でもなかった。鈍重な陸上攻撃機だった。
 それでもパイロットは機体を横滑りさせることで何とか敵の攻撃を逸らそうとした。
 さらに対空機銃が防御射撃を開始する。すぐさま狭い1式陸攻の機内はその射撃音で満たされた。幕僚達は俄かに始まった戦闘に右往左往する。落ち着いているのは彼1人だけだった。
 彼は冷静に状況の把握に努めていた。
 米軍の戦闘機は一部の例外を除いて航続能力が短い。このあたりでブーゲンビル島まで飛んでこられる戦闘機があるとしたら、それはおそらくP−38だろう。発進基地はガダルカナル島のヘンダーソン飛行場。しかし、航続能力の長いP−38でも、おそらくブーゲンビル島上空に留まっていられるのは15分ないし、20分が限度だろう。長大な航続能力をもつ零戦でさえ、ガダルカナル島上空に留まれるのは15分が限度なのだ。カタログスペックなら零戦はラバウルとガダルカナルと往復しておつりがくる航続能力があるはずだが、現実はそうだった。戦闘機動となればエンジンを全開にして戦うことになる。燃料消費は激しく、制限時間をオーバーすれば燃料不足で帰れなくなる。
 故に、P−38の最初の一撃を凌ぐことができればなんとかやり過ごすことができなくもないはずだった。
 もっとも、その一撃を凌ぐことがとてつもなく困難であることを無視すれば、だが。
 この時彼はまだ気付いていなかったが、彼の乗る1式陸上攻撃機を撃墜するために送り込まれたP−38は18機(その内の2機はエンジントラブルで引き返した)を数えていた。それは護衛の零戦の2倍の数だった。
 1式陸攻の防御装甲は軍用機としては疑問符を浮かべてしまうどころか、そんなものは存在しないので評価のしようがないほど低い。その反面、防御火力は定評があった。防御用に20mm機関砲を2丁も装備した中型爆撃機は世界広しといえども、1式陸攻しか存在しない。また、高高度飛行性能も高いので編隊を組んで高高度から水平爆撃を行なうのなら侮れない能力を発揮した。
 護衛の零戦隊が右往左往する中で、1式陸攻の機銃手は比較的冷静に弾幕を張ることが出来ていた。射界を確保できている機銃は全て火を噴き、敵機の予想進路に濃密な(彼らの主観では)弾幕を張った。
 しかし、真に残念なことは最終的に彼らの努力は全く無駄なものになってしまったことだ。
 零戦が追尾不可能な時速700km以上まで急降下で加速したP−38は彼らの努力をあざ笑うかのように1式陸攻に肉薄した。
 機首に集中装備されたM2重機関銃は火を噴く。
 1式陸攻はその長大な航続能力を達成するために主翼内部を水密構造としたインテグラルタンクを採用していた。つまり、レシプロ軍用機の中でもっとも被弾確率の高い主翼内部に爆発性のある可燃物を何ら防備も施さず満載していたのだ。下手をしたら歩兵のライフル銃にさえ撃墜されかねなかった。このために簡単に火達磨になって墜落することから米軍からはワンショットライターというありがたくない仇名をいただいている。
 ちなみにこの時、1式陸攻の残燃料はドラム缶でおよそ20本分ほどだった。
 P−38の攻撃の結果は劇的だった。
 主翼に被弾した直後に右主翼から火を噴出した1式陸攻は主翼を炎に染めてジャングルに向かって降下を開始した。2度と上昇する見込みのない降下だった。多くの場合、それは墜落と呼ばれる。
 1式陸攻の操縦手はそれでも最後までベストを尽くした。機体をなんとか水平にして不時着の態勢に持ち込もうとしたのだ。
 しかし、ジャングルの木々に触れた瞬間、機体はバランスを崩して横転した。1式陸攻は回転しつつ、炎と破壊をばら撒きながらジャングルの奥深くに飲み込まれた。
 彼の最後の記憶は、参謀達の血で染まった陸攻の機内の様子とガソリンの刺激臭、黒煙の匂い。そして、最後に着地の衝撃から自分を守るために肉の楯となろうとした陸攻の若い機銃手の顔だった。


 1943年4月18日午前7時53分。山本五十六海軍大将。戦死。




「そして、次に気がつくと私は装甲巡洋艦日進の医務室にいたわけです。私が目覚めたことに気がついた艦の軍医が具合はどうか?尋ねてきたので、私は『ここはラバウルなのか?』と尋ねたら、変な顔をされたものです。慌てて誤魔化しましたが、あとから何くれと気遣いをかけることになりました。頭がおかしくなったと思われたのかもしれません」
 山本五十六が妙に神妙な顔をしていうので『勉強会』の面々は大爆笑することになった。
 それを見て山本はホンの少し胸をなでおろした。
 あまりにも座の空気が暗かったからだ。
 もっとも、暗いのには暗いなりに理由がある。山本も内心は重苦しいものを抱えていた。しかし『勉強会』の創設者であり、同時に『勉強会』において最年長の自分が暗い顔をするわけにもいかなかった。自分を除けば『勉強会』のメンバーはみな20代程度の若者が大半だったからだ。もっとも、若いのは外見だけで中身の方は山本よりも年上の人間の方が多かったけれど。
「しかし、やはりこれは歴史の必然というべきなのでしょうか?」
 山本の冗談を聞いても暗い顔のままだった『文部大臣』が言った。
 彼は今だ学生だったが、その同人誌の発行などでその筋では名の知られるようになっている後の世でいうところのジョブナイル作家だった。
 ここで言う文部大臣というのは『仮想内閣』での『文部大臣』だった。山本は『勉強会』のメンバーで仮想の内閣を設立し、あらゆるシミュレーションモデルを検討し、対米開戦を阻止するシナリオを練ってきたのだ。
「あなたが前に言っていた歴史の自己修正作用という奴ですか」
「ええ、そのとおりです。だとすると、私は4年後に学徒出陣ということになってしまいますね」
 どこか自虐的な笑みを浮かべて『文部大臣』は言う。
 彼は1943年の学徒出陣で兵庫県加古郡の戦車第19連隊に入営し、その2年後に本土決戦のために第36軍戦車第1師団戦車第1連隊付小隊長として栃木に赴任して、そこで敗戦を迎えることになる。戦後に新聞記者となり、歴史小説で文学賞を次々に受賞、坂本龍馬や秋山好古を主人公とした小説で大ヒットを連発し、歴史小説の大家として歴史に名を残すことになる男だった。
 もっとも、山本としては彼のそうした文学的な才能よりも、その極端なまでに合理的な思考の方を高く評価していた。彼の冷静かつ合理的な思考こそ、今の大日本帝国に欠けているものだからだ。
 特に、ポーランドやオランダ、フランスを侵略したナチスドイツと手を組むような最悪の外交政策を採用した外務大臣は彼の耳垢を煎じて飲むべきだと山本は思った。
 1940年9月27日、日本は日独伊三国同盟を締結した。山本と『勉強会』のメンバーはこれを阻止しようと奔走したが、大勢を覆すことはできなかった。
 やはり、『文部大臣』が言う『歴史の自己修正作用』が存在するのかもしれない。山本は背中の冷たい汗を感じずにはいられなかった。
 『文部大臣』が言う『歴史の自己修正作用』はこれまでも『勉強会』の議題として度々遡上に昇ってきた話題だった。
 簡単に言ってしまえば、歴史には決まりきった運命のようなものがあり、人間が歴史修正しようとしてもどこかで元の歴史に戻ろうとする自律的な修正作用が働くので、最終的には結果は何も変わらないということだった。
 より端的に例題をつかって現すのならば、大阪から東京に行こうとする。大阪から東京に行くには歩いていってもいいし、汽車を使ってもいい、車で行くこともできる。しかし、東京から大阪へ向かうという最初の前提を覆すことはできない。よって、歩いていっても、汽車をつかっても、車をつかっても、いつかは必ず東京に辿りついてしまう。
 問題なのは、大日本帝国という国家が向かっているのは東京ではなく、『敗戦』というどうしようもない奈落であることだった。
『歴史の自己修正作用』が存在するならば、例え山本五十六がブーゲンビル島で死んだときから意識だけ過去に逆行し、日露戦争からこの方、対米戦争を回避するための努力を重ねてきたとしても、いつかは必ず対米戦争は勃発し、大日本帝国は『破滅』してしまうことになる。
「まだ、そうと決まったわけではない。諦めるのはいつだって早すぎるんだ」
 断固たる口調で言うのは、『総理大臣』だった。
「今まで山本長官が努力してきたおかげで、いろいろ史実とは違うことも起きてきている。歴史は必ず変えられる。諦めてはいかん。諦めたら、そこまでだ」
 訛りの残る標準語を話すのは、30年後の未来に内閣総理大臣に就任することになるとある青年だった。今はまだ一介の土木建築業者に過ぎないが、その行動力と豊富な知識量は山本も舌を巻くほどだった。戦後に「コンピューター付きブルドーザー」と呼ばれることになるこの青年は恐るべきことに小学校しか出ていない。しかし、彼が日本の歴史に残した足跡は自分の戦績などよりも遥かに巨大で重要だと山本は考えていた。少なくとも、山本の頭脳からは日本列島を丸ごと改造してしまおうといった発想は出てこない。
 もっとも、米国との航空機購入に絡む汚職事件やら、黒い噂が絶えない人物と言えなくもないが、そのあたりを山本は棚上げしていた。どうせ自分の死んだ後の話だからだ。事件が起きるのは30年後の話だ。山本が生きていれば100歳を越えている。そこまで自分が生きているとは思えないし、生きていたいと思わない。
「とはいえ、既に戦争が始まるのは時間の問題ですな」
 暗いのは『文部大臣』だけではなかった。『大蔵大臣』もだった。
「既に、日本は中国との戦争で経済的には負けたも同然ですから、史実どおりに対米開戦となれば財政は2年しかもたないでしょう」
 この『大蔵大臣』は逆行する前は大蔵官僚だった。定年まで無事に勤め上げ、定年前の1年間だけだが次官までに上り詰めたのだから手腕は相応のものがあった。とはいえ、『大蔵大臣』は『勉強会』の中ではどちらかといえば市井の人に近いポジションにいる。しかし、『総理大臣』や『文部大臣』のような巨大な業績こそないが、今まさに『大蔵省』の中で中堅クラスであることは大きな意味をもっていた。
『勉強会』の中で今、現時点において現実の政治や経済、軍事に影響力を持っている人間はあまりにも少なかったからだ。
 その点で『大蔵大臣』が今まさに大蔵省内部で重要な仕事を切り盛りするポジションにいることは大きな意味がある。彼が齎す内部情報は山本の持っている軍事関連の情報に並んで貴重なものだった。
「なまじっか、南京、武漢を易々と占領できしまったことが政府や軍部、国民を油断させてしまったと言えます。前線で分かりやすく軍がボロ負けしてくれればまだしも、表面上は勝っているから始末が悪い。財政の悪化というのは目には見えないものですからね。誰もその深刻さに気付いていない」
 『大蔵大臣』が言うことは正論だった。
 阻止することができなかった日中戦争は今や中華大陸全土に広がっていた。
 日本軍は首都南京を占領し、戦争に勝利したかのように見える。しかし、戦闘での勝利は戦争の勝利を意味しない。大陸派遣軍が必要とする膨大な軍事支出は日本の国家財政をどうしようもないレベルまで悪化させていた。
 これは山本にとっても頭痛の種だった。支那派遣艦隊が必要とする諸々の経費は海軍が本来必要としている艦隊拡張計画を制限しているからだ。
『大蔵大臣』の分析によれば、対米開戦から3年以内に講和できないと国家財政は完全に破綻し、全ての紙幣が紙切れになるとのことだった。事実、彼は大蔵官僚として敗戦後にハイパーインフレによって円が紙切れになるところ見ている。ハイパーインフレは膨大な国債を圧縮するために人為的に引き起こされたものではあったが、それによって円が紙切れになり、国民の預貯金は全てパーになったのだ。敗戦後の日本の国富は、明治維新の前、江戸時代のレベルまで後退した。
 日本は物理的にも経済的にも焦土と化してしまったのだ。
 今や、日本の国家財政はそういうレベルにまでおかしくなっている。『大蔵大臣』の顔色は『勉強会』のメンバーの中で一番暗いのはそういう理由があった。
「経済については、確かに確実に悪化しております。うちは軍需でなんとかなっていますが」
「そうだ。山本長官。うちの新型機が完成したので、今度ぜひ見に来てください」
「いや、今はそういう話じゃないだろ」
「そうなのか?」
「そうなのだ。少し静かにしてくれ」
 漫才のようなやり取りを見て山本は微かに気が軽くなるような気がした。
『勉強会』のメンバーの中では『総理大臣』と並んで気炎を上げているのが『軍需大臣』と『科学大臣』だった。
 戦後に、世界的な自動車メーカーを作り上げるこの2人は、逆行する前からコンビを組んでいたという珍しいケースだった。『軍需大臣』が主に経営を担当し、本来の創業者である『科学大臣』は技術者として新製品の開発に専念するなど徹底した分業制によって発展したその自動車メーカーは半世紀後には世界的な大企業になり、トヨタ自動車と日本の自動車生産を二分するほどになるという話だった。
 その話を聞いたとき、山本は心の底から喜んだものだった。
 山本にとって、自動車というのは一種の憧れの象徴だったからだ。
 今だ、車の運転が特殊技能である日本に住む山本にとって高校生ですら自動車を乗り回すアメリカの自動車と自動車社会は手の届かないものの象徴だった。彼らの話では日本の自動車は世界中に輸出され、一流のブランドとして認知されていると言う。
 現在、『軍需大臣』と『科学大臣』は逆行前の知識と経験を活かし、株式と為替取引で財をなし、それを元手に不況で倒産した企業を買収して財閥に比肩する企業体『東亜重工』を作り上げていた。工作機械からトラックや乗用車、船外機、汎用動力機械、航空機まであらゆる工業製品を製造する総合的な重工業メーカーである。この種の複合的、総合的な重工業メーカーは今まで三菱重工の独壇場だったが、東亜重工が軍需の受注も大量に引き受けるようになり、財閥系企業である三菱と激しくシェアを競い合っている。政治力なら財閥系の三菱が圧倒的に優位だったが、世界の20年先を行くと言わしめる『東亜重工』の技術力に連戦連敗を続けていた。
『勉強会』の活動資金、工作資金の半分は彼らの持つ膨大なパテントから出ていた。
 そして、彼ら二人は『勉強会』の最古参のメンバーでもある。
『勉強会』は当初、山本と『軍需大臣』、『科学大臣』の3人で始まったものだった。
 山本が日露戦争の装甲巡洋艦日進まで逆行した後、破滅的な対米戦争を回避するために秘密結社を作ることを考えた。自分1人の力ではとてもではないが、大日本帝国という巨大なシステムの軌道修正を図ることは不可能だったからだ。各方面で、なしうる限りの努力を図ってきたが、実際にはそうだった。1人の男が拳を振り下ろすだけで何もかも決まるような時代はとうの昔に過ぎ去り、巨大な官僚機構と様々な組織、人間の思惑が大日本帝国という巨大なシステムを動かしているのだ。そのシステムのルールの中でゲームに勝ち残らなければ大日本帝国を自らの理想とする方角へ動かすことはできない。
 そして、そのゲームに勝ち残るには仲間が必要だった。
 山本は半生をかけて自分と同じように未来から逆行してきた人間を探してきた。それが、12名の『勉強会』のメンバーだった。
 特に、自分が死んだ1943年以降の歴史を知っている仲間の存在は多くの示唆を山本に与えてくれた。
 例えば、自分が戦死した理由についてもだ。
「あとは日米交渉に最後の望みをかけるしかないが、外務省はやはり暗号が解読されていないと思っているのかな」
「そのようですな」
『情報大臣』は山本の問いかけにこともなげに答えた。
「海軍の暗号も同じなんだろうね」
「史実と同じです。何も変わりありません。といっても、彼らが解読しているのは旧暗号だけです。新暗号まで解かれている兆候はありません」
『情報大臣』は陸軍特務機関出身の正真正銘のスパイだった。逆行する前は、義烈空挺隊の一員として沖縄に突入し散華したという苛烈な経歴の持ち主で、ゲリラ戦の教育まで受けた本物のプロフェッショナルだ。荒っぽい仕事も厭わないが、それ故に冷静である。
 現在は退役して『勉強会』独自の諜報組織を立ち上げて情報収集と各種工作に当たっていた。特に北米地域でのスペイン人を利用した諜報作戦で大きな成果を上げており、未来情報を合わせて『勉強会』の尖兵のようなポジションにあった。
「海軍D暗号はごぞんじのとおり、米軍に解読され山本長官を暗殺計画やミッドウェー海戦、その後の帝国海軍の連戦連敗の一因になった暗号ですが、我々は『科学大臣』の協力を得て、新暗号の実用化に成功しています」
 海軍D暗号は極めて精緻な機械式暗号機だったが、1940年の半ばには英米によって解読されてしまったことを山本は『勉強会』のメンバーから知らされていた。
 それに対抗するために、山本は新暗号の開発を東亜重工に依頼していた。その試作型が既に実用段階に入っていた。
「RSA方式だったかな、概要は聞いていたが30年後の未来の暗号技術が実用化できるとは思わなかった」
「別段、RSA方式は未来の技術ではありません。素因数分解の困難さは40年代でも認識されています。モジュラー算術と素因数分解の組み合わせたアルゴリズムの開発には手こずりましたが、問題はそれを高速で実行できる計算機がなかったことです」
 RAS式の公開鍵暗号は桁数の大きな合成数の素因数分解の困難さを暗号の強度として利用し、暗号化鍵の配送問題を解決した画期的な暗号方式だったが、その利用には鍵生成アルゴリズム、暗号化アルゴリズム、復号アルゴリズムの3種の計算を高速でこなすことができる計算機が必要だった。
 結局、専用の電子機械式アナログコンピューターの開発に一苦労し、ようやく今年に入って3台だけが海軍に納入されたばかりだった。
 海軍はあまりにも高価なそれの採用に及び腰で、制式化にはほど遠い。情報関係者でさえ、現用の機械式暗号は絶対に破られないので新暗号は不用と言い出す始末だった。
「しばらくは、現用の暗号を使い続けるのが得策だからいいものの、いずれは新暗号への全面的な切り替えが必要になるな」
 山本としては、現用の暗号が破られていることを逆利用して米軍を罠にはめる構想を練っていた。
 もちろん、一度しか利用できない罠だろうが、そのチャンスを最大限に活用できれば米軍に大打撃を与えることも可能と思えた。
「こうした会合が開けるのは、あと何回でしょうか?」
 『文部大臣』は学生ということだけあって、自由時間が取れるので会合には毎回必ず参加していたが、山本や『軍需大臣』『科学大臣』は難しくなっていた。
「あと、1回か、2回か。開戦となればそれぞれが現場で出来る限りのことをするしかない。もちろん、連絡は可能な限り取り合うつもりだが」
「『外務大臣』と『陸軍大臣』はもうおそらく会合に参加できる機会はないだろうな」
 『総理大臣』は残念そうに言った。
「今が『外務大臣』の正念場だ。彼がどれだけのユダヤ人を救えるかで、我々の計画も変化してくる」
『外務大臣』は今リトアニアで政府と外務省とナチスドイツを敵に回して死闘を演じている。彼は逆行するまえにも同じことをしたが、今度はそれをさらに大規模かつ計画的に実行するつもりでリトアニアに旅立ったのだ。
 彼は『エクソダス計画』が終了後もそのまま欧州に残って、対独、対英、対ソの情報戦争の尖兵として終戦まで欧州に留まることになっている。
「生きていれば、会えるだろう」
 山本は呟くように言った。
 最悪の場合、彼はナチスドイツかソ連に暗殺される可能性もあった。
 山本は海軍の特務機関から腕利きを護衛として派遣しているが、どこまで守りきれるかは未知数だった。
 欧州はあまりにも遠い。
 そして、『陸軍大臣』は『外務大臣』を援護するために満州にいる。欧州から脱出してきたユダヤ人を収容するにはどうしても満州国というよりは関東軍を動かさなければならなかった。
『陸軍大臣』も『勉強会』の古参のメンバーだ。そして、帝国陸軍の動向に影響力を与えることができる唯一の人物でもある。
 ただ、山本にとって不安なことは少々、というよりはかなり不安なことは『陸軍大臣』は毀誉褒貶に激しい人物であり、何を考えているのか分からないところがあることだった。
 戦争の天才と呼ばれることもあるが、果たして彼が本当に天才なのかは『勉強会』のメンバーでも意見の分かれるところだった。
 山本としては、満州国という1つの国家を殆どたった一人で作り上げてしまった点についてはその才覚や手腕について賞賛を送りたいが、それ以外やその後のことを考えると首を傾げたくなる。少なくとも日中戦争のおきた大部分の原因は彼にあるからだ。
 彼を狂人や変人と呼ぶのは『文部大臣』で、ついで『外務大臣』がそれに続く、『軍需大臣』も概ね同様の意見だった。その反対が『総理大臣』と『科学大臣』だった。なんとなく、それぞれの性格やものの考え方がよく分かるような気がした。『情報大臣』は中立である。山本は意見を保留している。本当につかみどころのない人間なのだ。
 しかし、彼が陸軍においてかなり上手く立ち回っていることについては、安心していいと山本は考えていた。
 史実において、『陸軍大臣』は東条英機と対立し、満州に左遷されてしまう。最後には予備役に編入されてしまうが、今のところ東條とは対立することなく、陸軍参謀長の次長として大きな権限を確保している。それどころか積極的に東條と協調し、後の首相になる東條の好感を得ようと努力しているようにさえ見えるのだ。史実において無派閥だった彼は今や、統制派のブレーンとして重用されるまでになっている。
『陸軍大臣』の行動は全く『勉強会』の方針に合致したものだが、史実における彼の行動を知っている山本にとっては薄気味悪いものとさえ感じられた。
 それでも、それが『勉強会』の方針と合致しているならば、止める必要はない。山本はそう考えている。いつか彼が『勉強会』と対立する日が来るかもしれないが、山本にも考えはある。





「我々のやろうとしていることは、ひょっとすると何かも無意味なのかもしれない」
 深夜まで続いた『勉強会』の議論も、締めなければならない時間が来た。
 幹事として締めの挨拶を頼まれた山本は急にそんなことを呟いた。
 長く苦しい議論が終って、疲労と充実感を感じていたメンバーはその薄ら寒い呟きにぎょっとした。
「だが、私は何もかも知っていて、それでいて何もしないなんていうことはどうしてもできない。ダメだ。それだけはできない」
「山本さん。大丈夫ですよ。我々は努力に努力を重ねてきました。それにまだ戦争になると決まったわけじゃない」
『総理大臣』は心にも思っていない戦争回避を口にした。
「そうだな」
「そうです。それに何もかも無意味なんてことはありませんよ。例えそうであったとしても、残るものは必ずあります。私が知っている戦後の日本は何かも無くなったはずの焼け野原から始まったんですから」
 そうだそうだとばかりに『軍需大臣』と『科学大臣』が相槌をうった。
 戦後に花開き、世界の最高峰まで上り詰めた彼らの自動車メーカーも何もかもなくなったはずの焼け野原から始まったのだ。
 山本は目を細めた。彼らの眩しいばかりの若さと精神力に目が眩みそうだったからだ。
 山本は戦後を知らなかった。敗戦を迎える前に戦死したからだ。敗戦の諸相も全て『勉強会』のメンバーから伝え聞いたものに過ぎなかった。
 だから、そうであるが故に、次は最後まで戦い抜こうと思った。例え、その結果が全く努力を裏切るものであったしても、今度は最後まで見届けたいと思った。
 山本は自分が戦死したとは考えていなかった。自分がブーゲンビル島で死んだのは、戦死ではなくただの逃げだったではないかと疑っていた。敗戦という現実から目を背け、安易な死に逃げたのではないか。今はそう思えるのだ。制空権の怪しくなっていたブーゲンビル島に僅かな護衛だけ視察に出たのは、考えてみれば婉曲な自殺願望の発露ともいえなくもなかった。護衛の増勢を部下から進言されたとき、それを断った自分にそうした願望が全くないと問われたら、山本は答えに窮する。
 しかし、神はそんな山本の逃避を許さず、もう一度やり直すチャンスを与えた。或いはそれは地獄へ落ちることよりも辛い試練なのかもしれなかった。
 適うことなら、彼らが生きた戦後の日本を見てみたいと山本は思った。
 それはきっと適わぬ夢だろうけれど、このような若者が生きて活躍した時代を見ることができたのなら、それはきっととても素晴らしいことに違いなかった。
 

 
2007年10月10日(水) 18:32:50 Modified by misakimiyukilove




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