第4話「Infighting」

軍神山本
第4話「Infighting」


1936年 2月26日 午前0時
大日本帝國 帝都東京
市ヶ谷 帝國軍統合戦略指揮本部

 1936年(昭和11)二月二十六日早朝、東京一帯は前夜から降り続いた雪がさらに激しさを増し寒さも一段と強くなっていた。
 突然、軍靴と銃声の轟きが市民の眠りを破った。
 朝5時を期して、歩兵第一連隊・第三連隊・近衛歩兵第三連隊など1400名にのぼる陸軍部隊が反乱決起したのである。橋本欣五郎中佐らが『国家革新』を叫んだ3月事件以来、5・15事件のように少数の青年将校によるテロは続出していたが、これほど大規模な反乱はこれが初めてであり、日本近代史上にも例のないことであった……。

「諸君」

 統合戦略指揮本部本部長山本二十一海軍大将は前に居並んでいる海軍陸戦隊、近衛独立装甲団の兵員達に向けて言った。

「我々の予測通り、叛乱軍部隊は決起するようだ。これよりおよそ四時間後、彼らは国会議事堂、内大臣私邸、教育総監私邸、侍従長官邸、蔵相私邸、警視庁、朝日新聞社などを襲撃、帝都東京を占拠し、この日本を真崎、荒木をはじめとする馬鹿どもの国家とするための行動に出る」

 すでに歴史を知っている近衛独立装甲団の兵員達からは驚きの声が出ないが、海軍陸戦隊の兵員達からは驚きの声が漏れ出た。

「諸君等は国会議事堂、皇居門前、警視庁、朝日新聞社前、そしてこの統合戦略指揮本部前に展開し、叛乱部隊を迎え撃ってもらう。既に皇居には閣僚等が全て避難を完了しておる。しかし、叛乱部隊をここで徹底的に潰さねば、帝國に未来はない」

 誰もが居住まいを正した。

「皇軍相食むの事態を防げなかったのは心苦しいが、事ここに至っては、叛乱部隊を殲滅するより他に、帝國を戦争の惨禍から守る手立てはない。各員はそれを充分認識し、『敵』を迎え撃って欲しい」

 少しのざわめきが漏れ出る。山本本部長は、決起部隊を明確に『敵』と表現したからだ。

「叛乱諸部隊を殲滅後、我々は今回の叛乱の首謀者、関係者の一斉検挙を行なう。また、彼等は陛下も御臨席になる公開軍事法廷において裁かれる。手加減はならぬ。同じ日本人とはいえ、彼等はこの国を、君達や私の祖国を、戦争の惨禍へ無理矢理に突き落とそうとしているに他ならないのだから」

 自然に兵員達は本部長に向けて敬礼を行なった。顔を苦渋に顰めて話す本部長の言葉は、彼自身がこの事態を最も苦々しく思っている事を示していた。
 山本は、彼らに向けて最高の敬礼を行なった。

「君達に、最高の武運を祈る。そして、叛乱部隊に無理矢理参加させられてしまった兵員達に、冥福の祈りを。解散!」

 山本の一喝と共に、海軍陸戦隊は装甲兵員輸送車に、近衛独立装甲団は五式歩兵戦闘車、十式戦車に乗車を開始した。
 日露戦争以来、日本に最も長い一日が到来しようとしていた。




午前4時
帝都東京 歩兵第一連隊兵営

 ここには今日行なわれる昭和維新を断行するべく集まった決起部隊、その中心である青年将校達が集結していた。
 すこし詳しく名前を述べるならば、歩兵第一連隊からは(歩一旅団副官)香田大尉、栗原、丹生中尉、池田、林少尉が参加。歩兵第三連隊から安藤、野中大尉(野中五郎の兄)、更には近衛歩兵第三連隊、砲兵工学校、豊橋教導隊、所沢航空隊、野戦重砲第七連隊に所属する将校たちが集結していた。
 この時、斬殺すべき軍人を表にしたりしたが、その中には林銑十郎大将をはじめ、石原莞爾や武藤章の名前が連なっていたという。

 午前2〜4時までに歩兵第一連隊、歩兵第二連隊、歩兵第三連隊は非常呼集により下士官・兵は完全武装で整列した。
 彼らは大雪の降る営庭で、指揮将校の訓辞を受け、実弾を渡される。
 目的は昭和維新断行あるのみ。
 また下士官以上の同志の標識として、三銭郵便切手を各自随意の場所に添付することを定め、1日分の食料を持ち出発した。
 出発に際し、総指揮官に納まった栗原中尉は以下のように訓示した。

「我々は、昭和維新を断行するためにここに集結した!聞け!今、総理官邸などで惰眠をむさぼっている輩が何をしたか!……国民大衆が今どれだけ苦しんだか、少し前のお前達の家庭を顧みればわかるだろう。天皇陛下はこんな国民の惨状を決してお望みではない。陛下を取り巻く特権階級の連中が国民の本当の姿を見せまいとしているのだ。合言葉は『尊皇討奸』だ!」

 栗原は壇上に立ち、兵士達にそう鼓舞した。

「賢くも陛下の御明察により統合戦略指揮本部が成立し、本部が確立した日本改造計画によってお前達の家庭は全ての国民が望むところである、平穏を取り戻そうとしている。しかし!しかし、いま彼らを放っておけば、またもやお前達の家庭はあの惨禍の中に戻されるのだ!」

 栗原の目は夜の暗さにもわかるほど爛々と輝いていた。兵士達はそれを、忠君愛国の念に燃えていると取った事だろう。しかし、実際は何の事はない。狂っているだけだ。

「彼奴らを討たねば、本部が為そうとしている日本改造計画は完遂しない!それにより陸軍を変え、海軍を変え、日本を変えるのだ!これこそが本部が為そうとしていた『日本改造計画』、その真の骨子である!」

 叛乱部隊の言としては、戦本を持ち上げすぎているように思えるが、この場合、栗原は真崎らの甘言に篭絡されていた、と見るべきだろう。戦本の為した日本改造計画は完璧であり、それに傷は見つからなかった。それを苦々しく思った真崎達は、それを逆用する事で陸軍、引いては日本をこの手に握ろうとしていたのだった。
 日本改造計画を『完全に』断行するためには、現在の内閣閣僚のような、『資本主義の走狗』達を叩き潰さねばならない。
 もちろん、維新の過程で『戦本を改革し、更に強靭に』の名目の下、解体する。そして日本の権力全てを自分たちが天皇の名の下に掌握する。これが骨子であったと見るべきだろう。

 さて、ほぼ同時刻、他の叛乱参加部隊の兵営においても同じ様な演説が為され、帝都近郊の近衛連隊の兵舎からは、八九式中戦車、九五式軽戦車までもが持ち出された。
 目指すは一路、皇居、国会議事堂、そして首相官邸。
 皇居を占拠し、天皇陛下の身柄を確保し、国会議事堂を占拠して『資本主義の走狗』達の暗躍を止めさせ、首相官邸を襲う事で、その首魁を討つ。
 問題は、戦本が派遣した部隊と諸目的における反抗のみだった。




午前6時
統合戦略指揮本部
臨時戒厳司令部


「海軍との連絡はついたか?」

片手に朝食のホットドッグを持った馬渕は、司令部とされている戦本会議室に入るなり、既に指揮を取っていた佐藤少将にそう聞いた。

「既に第一艦隊と連絡が取れました。紀伊半島沖で演習を行っていた戦艦長門以下四〇隻、既に東京湾に向けて移動を開始したと」
「司令長官は……確か近藤閣下だったな」
「はい。近藤信竹海軍中将です」

 馬渕は会議室の机に広げられている東京の地図を眺めた。既に其処はまるで兵棋演習の場と化しているかのような状況だった。

「部隊の展開状況は?」

「既に国会議事堂、皇居門前には配置完了です。それから隠密偵察部隊から連絡。近衛歩兵第三連隊所属の八九式戦車二十両が動いたとの事。また、重機関銃、軽機関銃の類も根こそぎ持ち出したようです」

「……防御拠点を縮小したのは正解だったな。湯河原に行かれている牧野大臣の方は?」

「申し訳ありません。状況不明瞭です。叛乱部隊は午前三時に到達していたようです。史実通り、皆川巡査が死亡したとの報告はありましたが……」

「大臣の安否はわからず、か」

「申し訳ありません」

「叛乱軍の方は?」

「全員射殺したとの報告が」

「ならば良い」

 馬渕はホットドッグを飲みこむと、それを紅茶で胃に流し込んだ。

「よし、以降は君に全てを任せる。私は少し出てくる」

「どこへ?」

「皇居において軍事参議官会議が行なわれる。知っているだろう?陸軍大臣告示などと言うふざけた文章を。それに契機に、陛下も御臨席の上での対策会議だ。五式を四台、十式を一両借りる」

「わかりました」

 其処に、一人の兵士がかけこんできた。軍服が迷彩服である事から、独立装甲団の兵士である事がわかる。

「各部隊、叛乱軍部隊との交戦開始!」

 馬渕はため息を吐いた。

「始まったな」




午前5時半
帝都東京 首相官邸

「攻撃開始!」

 首相官邸門前に展開している十式戦車三両、五式歩兵戦闘車六両を見た決起の首謀者の一人、栗原安秀中尉は命令を下した。彼の目には、自ら率いる八九、九五式戦車と十式戦車を見比べて、明らかに違う戦闘能力を判断できないほどに狂熱が含まれていた。

「叛乱部隊に告ぐ、投降せよ、投降せよ」

 既にシートを外して戦闘態勢に移行した十式戦車の中から、指揮官が呼びかけたが、彼らはそれを無視していた。
 首相官邸を攻撃したのは三個歩兵小隊、一個機関銃小隊およそ三〇〇名で、装備する武器は以下の通りである。重機関銃:7、軽機関銃:4、小銃:100以上、拳銃:20挺、発煙筒:30、防毒面:約150。また、これに八九式戦車三両、九五式戦車四両が加わっていた。
 これに対し首相官邸を守備する近衛独立装甲団臨編第二隊は上に示した装備と、短機関銃二十、自動小銃三〇を装備した八二名からなっていた。
 数だけを見るならば叛乱部隊の方が上だが、何と言っても戦車、歩兵戦闘車の存在が大きかった。
 八九式の短砲身五七粍砲、九五式の短砲身三七粍砲ではとても十式や五式の前面装甲を射抜く事など出来なかった。何故ならば、十式戦車は傾斜装甲を勘案しても、一二〇粍に及ぶ前面装甲を有していたし、五式も四〇粍に達していたからだ。
 これに対し、八九式戦車は一七粍、九五式に至っては十二粍しか前面装甲を持っていない。
 叛乱部隊の戦車は五式に装備されている三〇粍機関砲はおろか、十式戦車の十二・七粍同軸機関銃にさえ前面装甲を貫通され、瞬く間に戦闘能力を喪失した。
 こうなると、もう戦闘の趨勢は明らかだった。
 十式戦車が五式の機関砲の援護を受けて前進する。もちろん機関銃を乱射して。五式の三〇粍機関砲弾に直撃した兵士の体が四散する。十二・七粍同軸機関銃により、胴体を真っ二つに切り裂かれる。そして、背後にいる歩兵の援護射撃。

「くうううっ!国賊めらがあああああっ!」

 栗原中尉は退却を決意した。第二隊はそれに対し追撃を行なわなかった。全ては、彼らを劇的な場所で包囲殲滅するためだった。
 時に午前六時一四分。四五分ほどにわたる戦闘は、守備隊に負傷三名のみ、叛乱部隊に死者五〇名、負傷者約一〇〇名、戦車七両炎上の損害を出して終結した。




午前6時半
帝都東京 市ヶ谷
統合戦略指揮本部 臨時戒厳司令部

「首相官邸での戦闘結果です」

 海自時代からの部下から提出された報告書に、佐藤純海軍少将はさっと目を通した。

「圧倒的、だな。まぁ、わかっていた事ではあるが。他には?」

「斎藤内相、渡辺国防相、鈴木侍従長、高橋蔵相の邸宅を襲撃した部隊は、目標の存在を確認せずして撤退した模様」

「報告!」

 一人の将校が慌しくかけこんできた。

「陸軍参謀本部、旧陸軍省門前において敵と戦闘状態に突入しました!」

「趨勢は?」

「我が軍有利!」

 佐藤は口元に笑みを浮かべた。

「各新聞社への待避勧告は済んでいるか?」

「待避勧告は出しましたが、連中、どうやらこれを特ダネの機会と勘違いしているようですな」

 佐藤は嘆息した。馬鹿が。特ダネと自分の命、どちらが大切なのだ。

「まぁ、一応の忠告はしたわけだ。どうなろうと知った事か」

 佐藤は壁にかけられた、叛乱部隊の行動表の前に歩み寄った。これは、もちろんの事彼らの持ちこんだ二・二六事件に関する詳細な情報によって作成されたものである。

「次は警視庁襲撃か……ここには部隊を配置していないからな、奴等、ここを拠点に帝都を占拠するだろう。敵が集合してくれるのは、圧倒的戦力を持つ我々にとっては喜ばしい事だな。ベトナムの悲劇をここでやるわけにもいかんし」

 警視庁を襲撃した部隊の指揮官は野中四郎大尉ら4人で、歩三第七中隊・第三中隊及び第十中隊は、26日午前2時ごろ非常呼集がかけられ、配備された機関銃隊の一部を含め、下士官・兵500名とともに、4時30分ごろに営庭を出発し5時ごろ警視庁に到着した。同庁司法省側および、桜田門側道路数カ所に機銃陣地が作られ、同庁の出入り口を封鎖し、要地に歩哨をたてて、監視した。また、電話交換室内にも兵を配置して外部との連絡を遮断。警備にあたっていた特別警備隊に機銃を向けて威嚇。常磐稔少尉は野中四郎大尉とともに、警視庁特別警備隊長らに蹶起の趣意を告げ、警察権の発動を停止させた。
 そしてここに、他の拠点にて目標を達成できなかった、あるいは撃退された部隊が集結した。ある意味、皇居を人質に取った形である。
 叛乱の第一ターンは、こうして終わったのだった。




午前10時
帝都東京 千代田区
皇居

「軍事参議官会議の開催ですと?はん、何を馬鹿なことをいっているのですか?やつらの行ったことはまぎれも無く帝國への謀反。それ以外にどう解釈のしようがあるのですか?」

 馬渕の第一声は辛辣な言葉に始まっていた。相手は急遽皇居に参内した真崎甚三郎、荒木貞夫陸軍大将である。馬渕の言葉は厳密な法解釈の観点からいっても正しいものだ。それにはまず、軍事参議官と言う役職を説明せねばならない。
 軍事参議院(会議)は天皇の諮問機関であり、それを構成する軍事参議官は現役の大将・中将が任命され、また別に毎年改変される軍の動員計画によって軍務が定められている。
 つまり平時はそれぞれの役職(師団長等)に就いている。
 そして天皇からの諮問があれば軍事参議官会議を開き、天皇に奉答する。
 ちなみに会議の幹事は軍務局長が務めることとなっている。
 軍事参議官の権限は天皇の諮問に答えるのみである、したがって彼らが独自に事態の収拾を図るのはおかしい。この権限については昭和5年のロンドン軍縮会議の際に問題となったこともある。
 しかしこれに関しては天皇陛下が決断された。軍事参議院会議は午後二時召集され、指揮系統の面から『戒厳軍司令』として馬渕も参加することになった。
 午後2時、軍事参議官全員(朝香宮・東久邇宮両皇族も軍事参議官として参加)と杉山参謀次長、本庄侍従武官長、香椎東京警備司令官兼東部防衛司令官、山下軍事調査部長、村上軍事課長らは皇居東溜の間で非公式の軍事参議官会議(軍事参議院)が開かれた。
 ちなみに当時の軍事参議官の名を列挙すると荒木貞夫、真崎甚三郎、林銑十郎、阿部信行、西義一、植田謙吉、寺内寿一である。もちろん、馬渕の、そして陛下ご自身の強い意向もあり、天皇陛下御臨席の下開催された。
 会議冒頭、馬渕は

「軍事参議官の干渉は避け、戦本による処断」

 云々を申し入れると、荒木大将らは

「もとより軍事参議官において戦本の職務遂行を妨害する意志はない。ただ軍の長老として道徳上、この重大時を座視するに忍びず奉公するものだ」

 という趣旨を答えた。まぁ、趣旨自体に問題はない。
 さて、会議が始まると、軍事参議院を無駄なものとしてしか思っていない馬渕に対し、荒木はこう言いはなった。

「軍事参議官一同が死をもって事態を収拾するから、お前達は原隊に帰れ。後国運の進展に努力するを得んとの主旨で説得し、これに応じないときは勅命を拝し、これでも応じないときは討伐する、これでよいではないか」

 次に真崎が口を開いた。

「今現在最も憂慮せざるを得ないものは、左翼団体がこれに乗じて暴動を起こさないかどうか、という点にある。左翼団体の警戒に全力を注ぐを要す。これがため維新部隊(叛乱軍)をその警備に充つるごとくを取扱うを可とす」

 と意見した。つまり左翼警戒を名目に叛乱軍の占拠行動を正当化しようとしたのである。
 馬渕は天皇陛下のほうを向いた。既に、二・二六事件に関する詳細な推移と、それに伴って帝國が向えた事態。そして特に、史実においてこの後に起こった『陸軍大臣公示』と言う怪文書についての書籍を秘密裏に先月、渡している。
 天皇陛下は拳を握ったまま眉間にしわを寄せていた。真崎と荒木を中心とする軍事参議官達はそれに気付かない。気付かないばかりか、天皇陛下を前にして、ついに懸案の怪文書、『陸軍大臣告示』の文章を練ろうとしていた。もちろん、この世界では陸軍大臣は既に国防大臣に統合されているから、『国防大臣内示』となる。
 さて、それでは懸案の陸軍大臣内示だが、これについての史実の流れを見てみよう。

 史実では会議の流れが『左翼団体鎮圧、叛乱軍容認』となり、参議官の鎮撫、原隊復帰を第一とする立場から「陸軍大臣告示」の原文となった「申合書」が作成された。
 まず山下少将が一筆書き、それに植田大将がところどころに修正・挿入をした。ここでの疑問点はなぜ山下少将が原案の作成をしたのかということと、会議の前に既に「申合書」は山下か他の誰かによって作られていたのではないかということである。この問題の解決こそが事件の真の黒幕を明らかにするものであるが、依然として謎のままで今日に至っている。後の軍法会議でも問題究明が行われなかった。
そして荒木大将が

「軍事参議官は全部こういうことだから兵隊をすぐ帰すようにお前青年将校の方へ持っていってくれ」

と言った。が、ここで

「これは筋が違う。権限がない軍事参議官がやってはおかしいではないか」

というもっともな意見が出た。そこで、

「陸軍大臣も同席していることだし、『陸軍大臣告示』という形でやってはどうか」という意見が出て当時の陸軍大臣川島大将が

「それでは陸軍大臣告示ということでよろしいのですね」と問うと全員うなずき、波紋を呼ぶ文章がここにできた。

陸軍大臣告示
(二月二六日午後三時三十分、東京警備司令部)
一 蹶起の趣旨に就いては天聴に達せられあり
二 諸子の行動は国体明徴の至情に基くものと認む
三 国体の真姿徴現の現況(弊風も含む)に就いては恐懼に堪えず
四 各軍事参議官も一致して右の趣旨に依り邁進することを申し合わせたり
五 之以外は一つに大御心にまつ

 ここで、荒木大将の戦後の談話で重要なことが述べられているので記しておく。

「軍事参議官一同の意向を文章にしてこれを叛乱軍に示して鎮撫せんとしたのである。ところが朝香宮、東久邇宮の両大将もまた軍事参議官であってこの会議にも列席しておられたから軍事参議官一同の意向として発表することは皇室に累を及ぼす虞があるという意見も出たので同席の陸軍大臣川島義之大将の承諾を得て……」

 となっている。
 するとこの一連の軍事参議官の行動は単なる権限の問題ではない。天皇の意志に反しているばかりか、天皇に累が及ぶおそれさえある。
 さて後に問題となる箇所は、第一項の「天聴に達せられあり」と、第二項の「行動」という部分である。最初、申合書には「天聴に達し」となってたが、例の植田大将がそこに「あり」という文字を追加した。これにより、まったく意味が違ってくることに気が付く。
「達し」:天皇に完全に申し上げてある。
「達しあり」:ともかく申し上げてはあるが、その後のことはわからない。
 この違いは大きい、なにより天皇が絶対な存在であった当時を考えて欲しい。
 次の「行動」という文字の問題は、後に「真意」という文字にいつのまにか変わっていて、それが今日の正文とされていることである。「行動」→「真意」の変化には重大な意味を持ち、大問題となったのは言うまでもない。
「行動」:行動を認めることは今まで彼らが統帥を乱し、重臣を襲撃した事柄までも認めることになる。
「真意」:行動は別として(許す許さないを問わず)彼らの「本当の気持ち、精神」は認めるいう、漠然とした抽象的なものになり、あとでなんとでもその解釈は変更できる。

 だとすると、一体どこで「行動」が「真意」に変えられたのか、この間違いはどうして起こったのかが問題となる。実際、叛乱軍に示されたのは「行動」の文字である。
 また、叛乱軍にとって告示は陸軍の首脳に皇族も加わって宮中で作製されたということは下士官・兵はもちろん、将校に天皇の親裁を予想させるのに十分であった。
 この「告示」をめぐって軍首脳と叛乱軍との溝が広がり、叛乱軍に不信感を抱かせ、後の奉勅命令を懐疑する原因となったのは否定できない。
 まさしく日本的であるこの一件は、事件の収拾をより困難にしてしまった。

 さて、以上が史実における『陸軍大臣内示』の流れであるが、もちろんこれについての詳細を馬渕と、馬渕から詳細な解説を行なった書籍を受け取っていた天皇陛下は御存知であった。だからこそ、軍事参議院に出席したのである。

「陛下の御採決を」

 真崎と荒木をはじめとする軍事参議官達は、やっと天皇陛下の方を振り向いた――――そして、絶句した。

「貴官らは、朕の意思を無視して叛乱軍を迎えようとする亡国の輩か」

 人間、怒り心頭に達すると、奇妙に冷静な心持になるというが、まさにこのときの陛下こそ、この状態であった。

「馬渕、もうよい。貴官に全てまかせる。叛乱軍を断固鎮圧せよ。気にする必要は無い。すぐに勅命を発す」

「はっ」

「陛下!それは!」

 叫んだのは香椎東京警備司令官兼東部防衛司令官だった。しかし、もちろん陛下もこの男の傍観のおかげで事態が亡国へと歩んで行く事を知っておられた。

「亡国の輩が口を開くかっ!」

 まさに一喝だった。

「東條!」

 陛下は叫ばれた。隣室に待機していた東條英機侍従武官が何事かと飛び込んでくる。

「この者達を捕らえよ、この者達は、叛乱軍に同調し、この日本帝國を亡国へ導こうとする輩にほかならぬ!」

「……はっ」

 東條は一礼した。

「真崎、荒木大将閣下、それに軍事参議官他の方々、お立ち願えますか」

「東條!……陛下!」

「貴官らの逮捕は陛下の命令である。陛下の命はこれ勅令。勅令に反する輩が逆賊である事は周知の事実である」

 東條は冷酷に言い放った。東條英機はよく誤解される人物だが、天皇陛下に対する忠誠だけは疑いがない。この事だけは確かである。

「……くっ」

真崎、荒木をはじめとする軍事参議官達は従容として皇居警備の兵士たちに連行されて行った。 




 午後四時、戦本に戻った馬渕中将は、手に一つの書簡を持っていた。
 勅命が発せられたのである。
2008年02月08日(金) 23:54:22 Modified by prussia




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