Japan Schlag2
一九四〇年 四月二日
ドイツ第三帝國 ヴィルヘルムスハーフェン
ヴィルヘルムスハーフェンとはドイツ海軍の大規模港湾であり、その位置を詳しく言う縄場、キール運河を出てすぐ、ハンブルクの北西にあることが地図で確認できる。ここからは、戦艦四隻、駆逐艦一〇隻を持ってナルヴィク占領を企図する山本戦隊が出港を向えようとしていた。
その首脳陣は以下の様に構成されている。
艦隊司令長官：山本二十一海軍大将・元帥
戦艦戦隊司令：ギュンター・フォン＝リュッチェンス中将
駆逐戦隊司令：フリードリヒ・ボンテ代将
旗艦艦長：エルンスト・リンデマン大佐
潜水参謀：ヴォルフガング・リュース中佐
ここで潜水参謀が何故乗っているか……この点については後述する事としよう。
ともかく、彼らは第三山岳師団二〇〇〇名を積載し、一路ナルヴィクへと移動を開始した。第一目標は上陸、そして飛行場の確保。山本が立てた作戦には、ドイツ空軍の協力が不可欠だったからだ。この点、煽てるだけですむヘルマン＝ゲーリング国家元帥は、本当に扱いやすい男であった。
山本が行なったドイツ空軍への作戦協力要請は、空母保有をその悲願としている向きもある海軍に対し、彼が優位に立つ一つの方策でもあったのだろう。無論、この要請に関してドイツ海軍の首脳は良い顔をしなかった。グラーフ＝ツェッペリンが完成間近で、続く二番艦フォン＝リヒトホーフェンの進水も間近と言うこの時に、ゲーリングに借りは作りたくなかったのだろう。
しかし山本にはそんな事を気にする理由がなかった。彼が行なうべきはイギリス海軍の戦力漸減であり、それが出来うるならば、別に後は野となれ山となれ、という心境だったに違いない。
「我々が対する敵、その第一陣はイギリス海軍ホイットワース提督に率いられたホイットワース戦隊である。その概要は巡洋戦艦リナウン、戦艦ウォースパイト、他駆逐艦一四である」
旗艦『ビスマルク』の艦橋で司令部要員に向けて山本はそう言い放った。
「本作戦の骨子はスウェーデンからの鉄鉱石輸入を一年の全期間にわたって円滑にドイツ本国へともたらすため、ノルウェー沿岸の制海権を手中にする事である。既に潜水艦隊がノルウェー沖三〇海里から四〇海里の地点に哨戒線を張っている。戦艦部隊の目的はこのホイットワース戦隊の殲滅。駆逐艦隊の目的はナルヴィクの迅速な占領である。無論、占領が終了次第駆逐艦隊は戦艦部隊の指揮下に入る」
山本は質問を促すように全員を見まわした。
駆逐艦隊を指揮するボンテ代将が手を上げた。山本は頷く。
「敵がそれ以上の戦力を投入する可能性は？」
「今のところない。というよりも、敵がこれ以上の戦力を投入する必要性がないからだ。このホイットワース戦隊の目的はノルウェー領海内における機雷敷設であり、我々との交戦を目的にしたものではないからだ。故に、第一陣であるホイットワース戦隊を殲滅した後、それが問題になると思われる……誰も北極海などに来たがらないのだろう」
山本の冗談は厳粛なドイツ海軍の軍人達には受け入れられないようであった。しかし、一面では正しいとも言える。無論、言葉そのものではなく、言葉に含まれた意味にある。ノルウェーを完全にドイツ軍が掌握した場合、下手にノルウェーに手を出そうとした場合、ドイツ空軍の集中攻撃を浴びる事になるからだ。
「他に質問は？」
戦艦部隊指揮官のギュンター・リュッチェンス中将が手を上げた。
「敵の第二陣―――あると想定してですが―――はどれくらいの規模になると思われますか？」
「敵の第二陣に対しての心配はあまり必要ない。何故ならば、陸軍は五月にもフランス侵攻作戦を開始するからだ。フランス侵攻作戦に対応するため、海軍部隊もそれにあわせた行動を取る他ない。また、現在南大西洋で活動している装甲艦リュッツオウの捜索に、本国艦隊が増援を出しているとの諜報結果がもたらされた。故に、本国艦隊は本国海域の安全確保の為に戦艦をプールしておく必要がある。第二陣があると仮定した場合、多くとも三隻が限度だろう。我々もホイットワース戦隊との交戦で損害を受けるかもしれないが、その頃には空軍が展開している。弾着観測も出来れば、敵艦隊の頭数を減らす事も出来る。あまり心配する必要はない」
山本は質問は終わったなとばかりに周囲を見た。どの提督の顔にも、少なくとも自分よりも年下でありながら元帥となったこの男の戦争眼にたいして、畏怖、または言いがたい感情を抱いているように見られた。
「さて、それでは諸君」
山本は言った。
「出かけるとしよう」
デンマーク・ノルウェー侵攻作戦『ヴェーゼル演習』に参加するドイツ海軍各部隊は、この後五日間に渡って続々とヴィルヘルムスハーフェン、またはキール軍港から出港し、作戦開始を待つ事となる。
作戦開始は、四月八日であった。
一九四〇年 四月八日
ノルウェー王国 オスロ＝フィヨルド
ノルウェー、そしてスウェーデンとデンマークには、海防戦艦と言う特殊な艦種が存在する。海防艦、もしくは戦艦ならばすぐにわかる読者でも、海防戦艦とは如何なるものなのか、判然としないのではないだろうか。
海防戦艦とは上に上げた三ヶ国の現実的(少なくとも、彼らはそう思っていた)必要から導き出された、彼らのための戦艦である。
普通戦艦と言うと、どう言うものを想像するだろうか。
万里の波涛を疾駆し、敵をその主砲で撃沈、または大破へと追いこみ、決戦に勝利する。
これが、一般的な戦艦という物に対する印象だと思う。しかし、これが上に上げた三ヶ国では少々違った。例えば、戦艦を持っている国を考えてみて欲しい。現在この世界で戦艦を持っている国を列挙するならば、イギリス、日本、アメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、そして、第一次世界大戦時のものだが、ソ連、トルコ、アルゼンチン、ブラジル、チリだ。
この諸国に共通するものとは何か？
そう、どの国家も、少なくとも太洋に面している国家なのである。
しかし、考えてみて欲しい。戦艦に共通する事柄を。強力な砲威力、長大な航続力、そして、重厚な防御力。他にも間接損害防御能力(いわゆるダメージ・コントロールと言われる奴だ)などがあるが、概ね上の三つが戦艦として必要なものであるように思える。ノルウェー、そしてデンマーク、スウェーデンには、そのうち、長大な航続力が必要なかったのだった。当たり前と言えば当たり前である。デンマークはバルト海のど真ん中、スウェーデンはバルト海の奥深く、そしてノルウェーは北海に面しているとはいえ、別に北海に乗り出すような必要性はない。
しかし、海に面している以上、ある程度の海軍を持たねばならない。
以上のような状況から作られた艦艇が、海防戦艦と呼ばれるものである。別に万里の波涛に乗り出す必要はないから、沿岸を航行できればそれでいい。航続能力も居住能力も必要ない。であるから、あの戦艦の巨体を成すうちの、ほとんどが取り除かれた。海防戦艦に必要なのは、排水量からは過大とも思える武装と、侵攻してくる敵に対し、祖国の『楯』となれるような防御力だった。故に、上の三カ国は、海防戦艦と言うある意味珍妙な艦を持つに至ったのである。
さて、ノルウェーの首都オスロを望むオスロ＝フィヨルドに鎮座し、自らの巨体(彼らにとっての)をもって首都の楯たらんとしていたのが、上にあげた『ノルゲ』である。
ノルウェー侵攻作戦で最も重要なファクターとして、そして最も早く攻撃が開始されたのがここ、首都オスロであった。これには二つの理由がある。まず、ここは南北に長い国土を持つノルウェー、その軍隊の中心でもあること。軍隊を苦もなく潰すには、頭を叩けば良いのは湾岸戦争でアメリカ軍がやった手であり常套手段。今更その軍事的常識の度合いなど、ここでクドクドと述べる必要もない。
次の理由は、ノルウェーの都市で、ここが一番が昼と夜のバランスが取れているからであった。ドイツ軍は、全ての指揮を受け持つ日本、その指導により、全部隊に払暁の奇襲攻撃を開始するように命令していたのであった。
首都攻撃は予定通り払暁と共に開始された。ドイツのバルト海沿岸に存在する空軍基地から、Ju88、He111などの双発爆撃機、それを護衛するBf109F、Fw190Aなどの戦爆連合が攻撃を開始したのだった。彼らの第一目標は、言うまでもなくオスロ上空の制空権確保とその前に存在するオスロ＝フィヨルド、そこにある海軍艦艇、機雷の除去だった。
すでに国防軍諜報部のＢ部隊――――カナリス子飼いの――――の諜報によって機雷の位置などは確認されていた。Ju88を改造したガンシップ―――機体下面に十二・七粍機銃を八門搭載した型―――が海上を掃射して行く。次々と海面から水柱が発生した。
奇襲を受けた形のノルウェー軍は、攻撃に対して何ら行動をとる事が出来なかった。全くの奇襲―――宣戦布告なしの―――であったからである。機雷の除去が終わると同時に、Ｕボートがオスロ＝フィヨルドに潜入を開始した。無論、攻撃目標は戦爆連合の攻撃を回避した―――または満身創痍になって湾に浮かんでいる艦隊である。
日本海軍の指示によって、北海の色である濃紺に染め上げられたＵボートたちは、ただでさえソナーなどの装備を持っていないノルウェー海軍を圧倒した。と言うよりも、比較自体が無意味なのかもしれない。その最初の標的となったのは、ノルウェー海軍最大の艦艇、海防戦艦『ノルゲ』だった。既に同級艦の『エイズボルト』はJu88の急降下爆撃によって主砲天蓋を貫通、弾薬庫に引火し、その姿を波間に消していた。
ノルゲは海防戦艦である。戦艦と書くと、全長が二〇〇メートル以上もあって、速度は速くて……などなど色々考えるが、海防戦艦は違う。海防戦艦は、言うなれば、夕張型軽巡洋艦(つまりは排水量四〇〇〇トン未満)の船体に、速度と航続能力、居住性を極限まで犠牲にすることによって重巡並の主砲を据え付けた船だった。いわゆる浮き砲台のようなものなのだ。
そして、ノルウェーにこのタイプの海防戦艦は四隻ある。しかし、そのうち二隻はそれぞれトロンヘイムとナルヴィクに、そして、ここに配置されていたうちの一隻は既に沈められてしまった。さらに、元々の役割が浮き砲台であり、第一次世界大戦時に造られた事から、航空機に対する装備が存在しなかったのだった。
それはともかく、既にオスロ＝フィヨルドはＵボートの狩場と化していた。駆逐艦は真っ先に沈められ、Ｕボートの敵はいない。狩るだけ狩り、そしてそれが終わると、その後ろからは占領を行なう兵を乗せた輸送船が、なんの護衛も無しに海を進んできた。
同日 ０８０２
ノルウェー王国 ナルヴィク沖
ドイツ軍のノルウェー侵攻作戦における、イギリス軍とドイツ軍の初の交戦は、ナルヴィク沖にて開始された。ここに配置されていたのは、日本海軍から譲渡された海大型潜水艦六隻であった。もちろん、乗っているのはドイツ人だ。ここにこの海大型が進出しているのは、その航続距離が大きい事と、何よりも搭載できる魚雷の本数、そして日本から譲渡された潜水艦のうち、電測などの兵装を交換できた最初のグループであったからだ。
北洋の波涛を進むイギリス艦隊を最初に発見したのは旧伊−３であった。現在の艦名はＵ−１００３。
もちろん日本海軍の潜水艦は長大な航続能力と魚雷の搭載数が多いが、水中を移動する時に発生させる雑音が大きく、こういった定置監視ぐらいしか利用価値は無いとドイツ海軍側では思っていた。しかし、ここに酸素魚雷と言うファクターが来ると話は違ってくる。酸素魚雷はいうまでも無く今までの魚雷の射程を革命的に延ばすだけでなく、弾頭に搭載する弾薬の量と魚雷速度までも増大させていたからだった。つまり、今までは危険なまでに近くまで足を忍ばせながら近づかなければいけなかったのが、その必要が無くなった、という事になる。
ソナーによって得られた敵艦との距離は敵艦隊との距離はおよそ十二海里。酸素魚雷ならば充分な射程圏内である。艦長を務めるフラー大尉はすぐさま魚雷発射準備を命令、艦首を蠢かせ、敵艦隊の未来位置へと魚雷を発射した。
舷側に高高と上がった水柱を、誰もが呆然とした面持ちで眺めていた。巡洋戦艦リナウン、駆逐艦ハーディーの……そして旗艦であるウォースパイトの舷側に、いきなり轟音が上がったからだった。戦艦ウォースパイトに座乗していたホイットワースは衝撃と共に座席から投げ出され、リノリウムの効いた床に激しく打ちつけられた。
「触雷か！？」
そうホイットワースがいったのも無理はないだろう。彼らはこの海域のドイツの鉄鉱石輸入を妨害するための機雷、その敷設のために派遣されてきたのであったからだ。敷設途中の機雷が漂流し、船体に激突・爆発したと受け取ったのも無理は無い。
しかし、それは艦長が出す言葉としては不用意に過ぎた。指揮官の言葉を命令と受け取った士官が高声電話をとり、機雷を艦に装備されている機関銃で掃射し始めたからだ。そしてそれは、ＡＳＤＩＣ(アスディック＝ソナーの事)を装備した駆逐艦の聴音を阻害する事となったからだった。Ｕボートの艦長がその絶好のチャンスを間違えるはずが無い。彼はすぐさま通常魚雷の装填(もちろん酸素魚雷だ)を命じ、第二射を発射したからだった。
轟音がホイットワース船体を揺るがした。外周で機雷を敷設していた軽巡洋艦が雷撃されたのだった。そしてそれに続き、巡洋戦艦リナウンの舷側で一つ、重巡洋艦ヨークの舷側でも一つの水柱を上げた。
さすがに戦艦と名がつくだけあって、リナウンは実用弾頭部五〇〇キログラムの潜水艦用酸素魚雷の雷撃に耐えた。しかし、植民地警備を主眼に設計された重巡洋艦ヨークと、軽巡洋艦はそれに耐える事が出来なかった。重巡ヨークは薄い装甲を貫くように発生した爆発によってその船体が予測していた二倍の量の海水が浸水を開始した。そしてそれは船体の復元性を瞬く間に越え――――右舷に横転、沈没した。軽巡の方は更に悲劇的だった。装甲が全くと言って良いほど施されていない喫水線部分に五〇〇キロ爆弾が命中した計算になるからだった。その爆圧は即座に軽巡の竜骨を叩き折り―――――船体を真っ二つにして轟沈させた。
ここにいたってやっと英海軍も触雷ではなく潜水艦による雷撃だと言う事に気がついた。しかし、潜水艦による雷撃ならば少なくとも雷跡があるはず――――しかし、それが無かった。解説するまでもない。酸素魚雷はその名の通り、推進用に空気ではなく純度の高い酸素を使用している。空気ならば、そこに多量に含まれている窒素の働きにより雷跡が発生するが、酸素魚雷の方は全くと言って良いほど雷跡を生じない。触雷とホイットワースが勘違いしたのも―――――そして、各艦の士官たちが勘違いしたのも無理はなかった。
ここにいたり、彼らはついにドイツ軍のノルウェー侵攻が開始されたことを知った。潜水艦による雷撃によって任務に重大な支障を生じた事をスカパ＝フローの本国艦隊司令部に連絡したのだった。本国艦隊司令長官フォーブス元帥は命令した。『可能な限りドイツ軍の行動を遅滞せしめよ。増援を送る』。ホイットワースは、傷ついた戦艦を率いてノルウェー最大の港湾都市、ナルヴィクへと向わねばならなくなったのである。
五時間後 一三〇一時
ノルウェー王国北部 ナルヴィク
ナルヴィクに駐留するノルウェー軍は圧倒されていた。沖合いに浮かぶ戦艦の砲撃により、備え付けられた海岸堡が次々と潰されて行ったのだった。戦艦は海岸堡の破壊を確認すると砲撃を中止し、奇怪な行動を開始し始めた。その頃既に海岸からは駆逐艦から上陸を開始した第三山岳師団二〇〇〇名がナルヴィク市内各所を攻撃、次々と重要拠点を攻略していった。特に最も早く確保された飛行場には、秘密裏にフィンランドを経由してＪｕ８８、Ｈｅ１１１、Ｆｗ１９０などの空軍航空隊が迅速に進出していた。無論、完全装備を整えて。
沖合いを哨戒していたＵ−１３２からイギリス艦隊発見の報告がもたらされたのは、空軍が展開を終了したまさにその時だった。戦艦に座乗する山元二十一海軍元帥はすぐさま隷下の四戦艦をフィヨルドの奥へと移動、隠蔽した。
「敵艦みゆ！」
「全艦砲雷撃戦用意！」
ホイットワースは戦務参謀に叫ぶと双眼鏡を持って敵艦隊の状況を確認した。すべて駆逐艦。ふん、流石にこんな遠くまで戦艦は持ってこんか。
しかし必要はないな。駆逐艦だけならば、俺の戦隊でも充分に相手が出来る。
ホイットワースは隷下の駆逐艦部隊に前衛を命じ、ナルヴィクが存在するオスト＝フィヨルドへの突入を命じた。もちろん、フィヨルドの内部では戦艦の巨体は方向転換に多大な労力を有するからだ。まずは速度を落さねばならない。速度を出したままだと旋回半径が大きくなり―――――悪い場合、座礁してしまう。
彼の判断は間違っていない。この判断に限っては。しかし、彼の内心を一つの欲望がこの時、支配した。
それは、戦艦の主砲射撃による、敵艦の撃沈だった。
イギリスが経験した戦艦、その主砲砲撃による戦果は、第一次世界大戦以来ない。その時ホイットワースはまだ士官候補生に過ぎず、何時かは戦艦の砲戦をこの手で指揮してみたいと言う夢を持った若者でしかなかった。
その夢が、間近にある。
しかも、相手は駆逐艦だけ。幾ら狭いフィヨルドの中へ突入すると言っても、撃沈――――いや、損害を受ける事すらないだろう。
であるならば。
であるならば。
俺の夢を、この手で実現しても良いではないか。相手が駆逐艦である事が残念でならないが、この手で戦艦の砲撃を行なうと言う俺の夢には、代えられない。
ホイットワースはそこまで考えると、次の瞬間、命令を下した。
「全艦、オスト＝フィヨルドへ突入！」
彼は、それが自分を死へと追い遣る命令である事を理解していなかった。
「攻撃開始！」
戦闘を進むホイットワース戦隊の旗艦、ウォースパイトが発砲を開始した。続いて後ろについていたリナウンも砲撃を開始する。それはドイツ駆逐艦部隊の先頭を進むＺ１型駆逐艦ヴィルヘルム＝ハイドカンプに集中した。駆逐艦が水柱で見えなくなるほどの猛烈な射撃。水柱が消え去った時には、戦艦の主砲弾によって発生した衝撃波により、横転してしまったハイドカンプの姿。
ホイットワースは口を歪めた。敵の駆逐艦の数からして、ここにいる駆逐艦全てを潰せば、ドイツの水上部隊に大きな打撃を与える事が出来る。
「ＲＤＦはどうだ！？」
「フィヨルドに電波が反射、使い物になりません！」
ふん、まぁいい。駆逐艦だけならば、光学射撃でも充分……
そこまでホイットワースが考えた時、轟音が前衛を務めていた駆逐艦、ベドウィンを襲った。さっきのハイドカンプと同じ様な状況に、ベドウィンは陥っていた。
「なんだ！？」
ホイットワースは叫んだ。電測員の方を見るが、フィヨルド特有の切り立った崖のため、電波が反射して目標を捕らえられないという。
駆逐艦ベドウィンを葬った砲撃の犯人は戦艦ビスマルクだった。二十一は、戦艦部隊をナルヴィク市街北東のフィヨルドに隠蔽する事により、彼らをフィヨルドの奥へと誘引したのだった。
「全艦砲撃準備、反航砲戦準備！」
「ヤー」
艦長のリンデマンは二十一の言葉にニヤリと口元に笑みを浮かべて答えた。なんて人だ。糞、やはりこの人は凄い。フィヨルド内部での方向転換は速度を極限に落す必要がある。そうでなければ、座礁してしまうからだ。それを反航砲戦に持ち込む――――つまり、トミーの野郎は方向転換が無理なフィヨルドの奥へ、そして、我等は方向転換可能な外洋へ。つまりは、袋のねずみ。もし相手が方向転換を成し遂げても、我々はフィヨルドの出口で待機していればいい。何故ならば、それはフィヨルドに蓋をすると言う格好になる――――艦隊砲戦の理想形、『Ｔ字』だ。そして、今までこの理想形、『Ｔ字』を成し遂げた提督は一人だけ―――――アドミラル＝トーゴー。
それに、もうすぐ空軍も動き出すだろうから………ホイットワース戦隊に逃げ場はない。奴等は、魔女の大釜に飛びこんだ哀れな蛙なのさ。
リンデマンの予測は正しかった。
反航砲戦を開始したドイツ戦艦四隻とイギリス戦艦二隻は相対速度四〇ノットで交差。そして、すれ違い、離れた。
「面舵９０度！」
山本は戦艦部隊がフィヨルドの狭隘部にさしかかった所で命令した。
「面舵９０！」
ドイツ戦艦部隊はフィヨルドに蓋をする行動を開始した。ぎりぎりまでフィヨルドに近づいて行なわれた面舵は、座礁するかもしれない恐怖を数分の間、戦艦に乗る全てのものに味あわせながら進行した。
そしてそれが終わった時――――ナルヴィクの存在するオスト＝フィヨルドはドイツ戦艦によって蓋をされた。
ホイットワースはあきらめる事無くフィヨルド北奥へと進み、そこで取舵１８０度を命令した。しかし、この点、山本は抜かりがなかった。
戦艦が方向転換を行なえる場所は、このオスト＝フィヨルドにはさして多くない。
山本が戦艦部隊を隠蔽した時は、まるで車の車庫入れのように後進しながら、ナルヴィク北のフィヨルドに身を潜めたのだ。であるから、できるだけ高速を発揮しながら反転を行なえる場所自ずとは限定される。ホイットワースが反転を行なったのは、ナルヴィク市街の北にあるオスト＝フィヨルドの奥の部分である。
山本は、ホイットワース戦艦部隊が何よりも生き残るために、反転し、Ｔ字をとられたと言う不利を無視しても、ドイツ戦艦による『蓋』をこじ開けて、外洋へと逃れようとする事―――ネルソン・タッチの再演を予測していた。そして、その位置がこの、フィヨルドの奥の広まった部分である事も。故に彼の二の手は―――――ホイットワースが反転運動を行なっている海域を射程に捉えたＵボートだった。
その数、三隻。水中に静止し、身を潜め、静かに『その時』を待っていた部隊だった。
彼らはソナーで反転を確認すると同じに雷撃を開始した。その数、魚雷一八本。すぐさま第二射が行なわれ、その数はすぐに三六に増えた。その三六の『青白き殺人者』をホイットワースのウォースパイトが耐えたのは、ひとえにイギリス海軍のジョンブル魂故だった。駆逐艦が、戦艦を救う為にその身を投げ出したのだった。
しかし、それでも三六本と言う数は多すぎた。駆逐艦の身を呈したバリアーを抜けた魚雷が、それに守られたリナウンとウォースパイトに殺到したからだった。
高々と北欧の寒空に、三本の水柱が立った。その二つはリナウンに、そして残り一つがウォースパイトに命中していた。リナウンは耐えられなかった。『青白き殺人者』――――酸素魚雷が二本命中したと言う事は、水線下に一トン爆弾が命中したと言うに等しい。そしてリナウン級は、第一次世界大戦字の海軍卿フィッシャー提督の推進した『バルト海侵攻作戦』用の巡洋戦艦であった。喫水は浅く、装甲防御は極めて貧弱――――もちろん、水密区画も充分なものではない――――であった。区画を次々と突破して浸水が発生。大きく右舷に傾き、そして大爆発と共に横転、沈没した。傾斜のため揚弾機から主砲弾が転げ落ち、それが主砲弾火薬庫に引火、大爆発を生じさせたのだった。
しかし、ウォースパイトは耐えた。流石に第一次世界大戦最強の高速戦艦クイーン＝エリザベス級だった。いや、まるで屈辱に燃えるホイットワースの感情が乗り移ったかのようだった。
しかし、彼の感情もそこまでだった。右舷に命中した魚雷によって、フラー大尉のＵ−１００３から受けた破壊の跡が大きく歪み、浸水量を増大させたのだった。しかし、なんとか左舷に緊急注水する事により、艦の平行は保たれた。しかし、速度は既に10ノットまでに低下していた。
そして、10ノットまで落ち込んだ旧式戦艦を撃沈する事など、二十一率いるドイツ艦隊にとっては簡単な事だった。ウォースパイトはビスマルクの主砲天蓋に最後の主砲弾を打ちこみ――――そしてそれが強靭なクルップ鋼に跳ね返された瞬間、ビスマルクとティルピッツの主砲斉射を浴び、轟沈した。
ここに戦史に第一次ナルヴィク沖海戦と呼ばれた海戦は終結した。ドイツ側は戦艦一小破、駆逐艦二隻撃沈、一隻大破であり、イギリス海軍は戦艦二隻、重巡、軽巡各一隻、駆逐艦十二隻の全滅と言う形を持って終了した(増援として派遣されたグローリアスはホイットワース戦隊の全滅と共に退却した)。
しかし、戦闘はこれで終わったわけではない。
ドイツ軍のノルウェー侵攻を知ったイギリス軍は直ちに連合軍最高司令部(参加国はイギリス、フランス、ポーランド)に連絡。ノルウェー奪還のための遠征軍を編成した。その数、四万二千名であった。そしてもちろん、これを護衛する海軍が、そこには存在したのだから。
イギリス海軍がノルウェー奪回作戦『モーリス』作戦を発動した。これは特にドイツの内海となっているバルト海攻撃をも狙った作戦であり、イギリス大陸派遣軍(ＢＥＦ)から部隊が編成された。その内訳は歩兵師団二個、約三万名を中心としている、これを輸送船八隻に分乗させ、これを護衛する護衛隊、そしてノルウェー北部に展開するドイツ海軍を撃破するためにその前に攻撃隊が出撃する事となっていた。
その内訳は地中海艦隊から派遣された(今だイタリアが参戦していないため)クイーン・エリザベス級戦艦マレーヤ、バーラム。ロイヤル＝ソヴリン級戦艦ロイヤル＝ソヴリン、ロイヤル＝オーク、リヴェンジ。ネルソン級戦艦ネルソンの戦艦六隻である。これは本国艦隊の保有する戦艦のほぼ四分の三にあたり、これがもし失われたりすれば、本国艦隊は現在建造中のキング＝ジョージＶ世級戦艦の完成を待たない限り、本格的な海上攻勢を取れ無いと言う事になる。
しかし、ノルウェーの奪回――――ドイツの内海、バルト海への攻撃を強く押す海軍大臣ウィンストン＝チャーチルの強い要求に、本国艦隊司令長官のフォーブス元帥もついに折れた。それに、世界最強のグランド＝フリートが、ドイツ海軍相手にフリート・イン・ビーイングを取ると言うわけにもいかない。それは、連合国軍全軍の士気にも関る。つまり、連合国の現実的政治的要求から、モーリス作戦はその日の目を見たのである。
であるからには、その輸送船八隻はなんとしてもナルヴィクへと上陸をさせねばならない。
イギリス海軍本国艦隊は言うまでもなく駆逐艦の不足に悩んでいた。既にＵボートの跳梁はイタリア、日本からの潜水艦輸入によって悲劇的にその被害を加速させていた。それは、既に現在の輸送物資が食料を中心としている事からもわかる。彼らは、戦略物資を輸入するだけの余裕すらなかったのだった。イギリス商船団は、急速にその規模を減じていた。
それゆえ、今回の上陸部隊を積載した輸送船団の護衛には細心の注意が払われた。
まず、護衛隊として空母二隻が随伴する。これは一九一七年に巡洋戦艦から空母へと改装された空母カレイジアスとグローリアスで、それぞれ航空機48機を搭載して護衛にあたる。搭載しているのは戦闘機と爆撃機が半々で、敵艦隊への攻撃よりも、潜水艦を発見、攻撃する任務、そして、敵航空隊の迎撃、直掩任務がその主を成しているのは明らかだった。この他にも重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦は本国艦隊がまさに『誰も死ぬな』といわんばかりに多数の戦力を投入した形となった。
対するドイツ海軍は既にアプヴェーア(国防軍諜報部)Ｂ部隊からイギリス本国艦隊のノルウェー逆上陸作戦の発動を知っていた。すでにドイツ海軍のルフトクルーザー(空中巡洋艦)が北海上空で国防軍総司令部(ＯＫＷ)の直接指揮下で動いており、それはＢ部隊によって管理され、敵の通信傍受などの任務を行なっていた。
ナルヴィクに展開を終了していた山本隊は既にノルウェーの首都オスロを占領し、バルト海での任務が必要無くなった艦隊を増援として受け取っていた。この時点でナルヴィクに展開していたドイツ軍部隊は以下の通りである。
海軍部隊
戦艦四隻(ビスマルク、ティルピッツ、シャルンホルスト、グナイゼナウ)
重巡洋艦二隻(ブリュッヒャー、プリンツ・オイゲン)
軽巡洋艦二隻(ライプチヒ、ニュルンベルク)
駆逐艦一〇隻(『Ｚ１』型全艦)
潜水艦三〇隻(�撮歎�)
陸軍部隊
第三山岳師団二〇〇〇名
空軍部隊
第十二航空師団
戦闘機四八機
爆撃機九六機
偵察機二四機
である。ドイツ軍はイギリス海軍本国艦隊の、まさに総力を賭けた反抗に、これらの部隊で立ち向かわねばならなかった。
山本はまず潜水艦部隊を哨戒に任務を限定――命令あるまで偵察に従事させた。潜水艦三〇隻はナルヴィク沖に展開し、イギリス本国艦隊の捜索に従事した。次に戦艦部隊はナルヴィク北方四〇海里の地点に移動、待機した。敵は戦果を、それも一刻も早い戦果を待っている。それは、第１次世界大戦の経験から陸上では決して攻勢に出る事は出来ない、いや、彼等が攻撃を行わないからである。
であるならば、海上において反撃を行い、ドイツ海軍に大勝し、これに勝利せねばならない。そうでなければ、潜水艦によって干されようとしているイギリス国民が叛乱を起こしかねないからだ。山本はすでに史書を通じてイギリス海軍の作戦を知っている。彼らはまず、橋頭堡としてナルヴィク沖のハルスタードに上陸を開始する。ここに三万名を上陸させて待機、そしてナルヴィク市を戦艦部隊の砲撃によって制圧した後、悠々と市街を制圧する。同時にトロンヘイムに対して攻撃を開始、ここを占領する計画だ。
既に山本はこれに対する完璧な迎撃計画を立てていた。無理も無い。敵の作戦を完璧に把握していれば、自ずと効果的な反撃作戦が頭のなかで出来あがる。別段、不思議な事では無い。山本の作戦の骨子は、ノルウェーを囮にしてイギリス海軍の戦力漸減を狙う事にある。と言う事はつまり、是が非でも奴等を上陸させねばならなかった。潜水艦部隊に侵攻船団の攻撃を控えさせたのもそれが理由だ。
奴等が餌に食いついた瞬間、こちらの罠が絞まる。屋根に梯子をかけ、泥棒を上に追い詰めてから梯子を放す。孫子の兵法、それも基本的な一つだ。
敵は孤立したトロンヘイム、ナルヴィク占領部隊を救出するために、なんとしても、何度でも攻撃をしかけてくるだろう。もちろん脱出する場所は海上しかないから、商船を使っての撤退。それを、潜水艦や戦艦、航空機で片っ端から沈めてしまえば良い。
輸送船を護衛するための駆逐艦、巡洋艦。こちらには戦艦があるから、それに対抗するための戦艦。そして奴等が上陸させようとしているのは、トロンヘイムに一万二千名、ナルヴィク沖のハルスタードに三万名。撤退するのにも一苦労と言ったところだ。
イギリス海軍は、いままさに山本の罠にどっぷりとその身を浸そうとしていた。
ドイツ第三帝國 ヴィルヘルムスハーフェン
ヴィルヘルムスハーフェンとはドイツ海軍の大規模港湾であり、その位置を詳しく言う縄場、キール運河を出てすぐ、ハンブルクの北西にあることが地図で確認できる。ここからは、戦艦四隻、駆逐艦一〇隻を持ってナルヴィク占領を企図する山本戦隊が出港を向えようとしていた。
その首脳陣は以下の様に構成されている。
艦隊司令長官：山本二十一海軍大将・元帥
戦艦戦隊司令：ギュンター・フォン＝リュッチェンス中将
駆逐戦隊司令：フリードリヒ・ボンテ代将
旗艦艦長：エルンスト・リンデマン大佐
潜水参謀：ヴォルフガング・リュース中佐
ここで潜水参謀が何故乗っているか……この点については後述する事としよう。
ともかく、彼らは第三山岳師団二〇〇〇名を積載し、一路ナルヴィクへと移動を開始した。第一目標は上陸、そして飛行場の確保。山本が立てた作戦には、ドイツ空軍の協力が不可欠だったからだ。この点、煽てるだけですむヘルマン＝ゲーリング国家元帥は、本当に扱いやすい男であった。
山本が行なったドイツ空軍への作戦協力要請は、空母保有をその悲願としている向きもある海軍に対し、彼が優位に立つ一つの方策でもあったのだろう。無論、この要請に関してドイツ海軍の首脳は良い顔をしなかった。グラーフ＝ツェッペリンが完成間近で、続く二番艦フォン＝リヒトホーフェンの進水も間近と言うこの時に、ゲーリングに借りは作りたくなかったのだろう。
しかし山本にはそんな事を気にする理由がなかった。彼が行なうべきはイギリス海軍の戦力漸減であり、それが出来うるならば、別に後は野となれ山となれ、という心境だったに違いない。
「我々が対する敵、その第一陣はイギリス海軍ホイットワース提督に率いられたホイットワース戦隊である。その概要は巡洋戦艦リナウン、戦艦ウォースパイト、他駆逐艦一四である」
旗艦『ビスマルク』の艦橋で司令部要員に向けて山本はそう言い放った。
「本作戦の骨子はスウェーデンからの鉄鉱石輸入を一年の全期間にわたって円滑にドイツ本国へともたらすため、ノルウェー沿岸の制海権を手中にする事である。既に潜水艦隊がノルウェー沖三〇海里から四〇海里の地点に哨戒線を張っている。戦艦部隊の目的はこのホイットワース戦隊の殲滅。駆逐艦隊の目的はナルヴィクの迅速な占領である。無論、占領が終了次第駆逐艦隊は戦艦部隊の指揮下に入る」
山本は質問を促すように全員を見まわした。
駆逐艦隊を指揮するボンテ代将が手を上げた。山本は頷く。
「敵がそれ以上の戦力を投入する可能性は？」
「今のところない。というよりも、敵がこれ以上の戦力を投入する必要性がないからだ。このホイットワース戦隊の目的はノルウェー領海内における機雷敷設であり、我々との交戦を目的にしたものではないからだ。故に、第一陣であるホイットワース戦隊を殲滅した後、それが問題になると思われる……誰も北極海などに来たがらないのだろう」
山本の冗談は厳粛なドイツ海軍の軍人達には受け入れられないようであった。しかし、一面では正しいとも言える。無論、言葉そのものではなく、言葉に含まれた意味にある。ノルウェーを完全にドイツ軍が掌握した場合、下手にノルウェーに手を出そうとした場合、ドイツ空軍の集中攻撃を浴びる事になるからだ。
「他に質問は？」
戦艦部隊指揮官のギュンター・リュッチェンス中将が手を上げた。
「敵の第二陣―――あると想定してですが―――はどれくらいの規模になると思われますか？」
「敵の第二陣に対しての心配はあまり必要ない。何故ならば、陸軍は五月にもフランス侵攻作戦を開始するからだ。フランス侵攻作戦に対応するため、海軍部隊もそれにあわせた行動を取る他ない。また、現在南大西洋で活動している装甲艦リュッツオウの捜索に、本国艦隊が増援を出しているとの諜報結果がもたらされた。故に、本国艦隊は本国海域の安全確保の為に戦艦をプールしておく必要がある。第二陣があると仮定した場合、多くとも三隻が限度だろう。我々もホイットワース戦隊との交戦で損害を受けるかもしれないが、その頃には空軍が展開している。弾着観測も出来れば、敵艦隊の頭数を減らす事も出来る。あまり心配する必要はない」
山本は質問は終わったなとばかりに周囲を見た。どの提督の顔にも、少なくとも自分よりも年下でありながら元帥となったこの男の戦争眼にたいして、畏怖、または言いがたい感情を抱いているように見られた。
「さて、それでは諸君」
山本は言った。
「出かけるとしよう」
デンマーク・ノルウェー侵攻作戦『ヴェーゼル演習』に参加するドイツ海軍各部隊は、この後五日間に渡って続々とヴィルヘルムスハーフェン、またはキール軍港から出港し、作戦開始を待つ事となる。
作戦開始は、四月八日であった。
一九四〇年 四月八日
ノルウェー王国 オスロ＝フィヨルド
ノルウェー、そしてスウェーデンとデンマークには、海防戦艦と言う特殊な艦種が存在する。海防艦、もしくは戦艦ならばすぐにわかる読者でも、海防戦艦とは如何なるものなのか、判然としないのではないだろうか。
海防戦艦とは上に上げた三ヶ国の現実的(少なくとも、彼らはそう思っていた)必要から導き出された、彼らのための戦艦である。
普通戦艦と言うと、どう言うものを想像するだろうか。
万里の波涛を疾駆し、敵をその主砲で撃沈、または大破へと追いこみ、決戦に勝利する。
これが、一般的な戦艦という物に対する印象だと思う。しかし、これが上に上げた三ヶ国では少々違った。例えば、戦艦を持っている国を考えてみて欲しい。現在この世界で戦艦を持っている国を列挙するならば、イギリス、日本、アメリカ、ドイツ、イタリア、フランス、そして、第一次世界大戦時のものだが、ソ連、トルコ、アルゼンチン、ブラジル、チリだ。
この諸国に共通するものとは何か？
そう、どの国家も、少なくとも太洋に面している国家なのである。
しかし、考えてみて欲しい。戦艦に共通する事柄を。強力な砲威力、長大な航続力、そして、重厚な防御力。他にも間接損害防御能力(いわゆるダメージ・コントロールと言われる奴だ)などがあるが、概ね上の三つが戦艦として必要なものであるように思える。ノルウェー、そしてデンマーク、スウェーデンには、そのうち、長大な航続力が必要なかったのだった。当たり前と言えば当たり前である。デンマークはバルト海のど真ん中、スウェーデンはバルト海の奥深く、そしてノルウェーは北海に面しているとはいえ、別に北海に乗り出すような必要性はない。
しかし、海に面している以上、ある程度の海軍を持たねばならない。
以上のような状況から作られた艦艇が、海防戦艦と呼ばれるものである。別に万里の波涛に乗り出す必要はないから、沿岸を航行できればそれでいい。航続能力も居住能力も必要ない。であるから、あの戦艦の巨体を成すうちの、ほとんどが取り除かれた。海防戦艦に必要なのは、排水量からは過大とも思える武装と、侵攻してくる敵に対し、祖国の『楯』となれるような防御力だった。故に、上の三カ国は、海防戦艦と言うある意味珍妙な艦を持つに至ったのである。
さて、ノルウェーの首都オスロを望むオスロ＝フィヨルドに鎮座し、自らの巨体(彼らにとっての)をもって首都の楯たらんとしていたのが、上にあげた『ノルゲ』である。
ノルウェー侵攻作戦で最も重要なファクターとして、そして最も早く攻撃が開始されたのがここ、首都オスロであった。これには二つの理由がある。まず、ここは南北に長い国土を持つノルウェー、その軍隊の中心でもあること。軍隊を苦もなく潰すには、頭を叩けば良いのは湾岸戦争でアメリカ軍がやった手であり常套手段。今更その軍事的常識の度合いなど、ここでクドクドと述べる必要もない。
次の理由は、ノルウェーの都市で、ここが一番が昼と夜のバランスが取れているからであった。ドイツ軍は、全ての指揮を受け持つ日本、その指導により、全部隊に払暁の奇襲攻撃を開始するように命令していたのであった。
首都攻撃は予定通り払暁と共に開始された。ドイツのバルト海沿岸に存在する空軍基地から、Ju88、He111などの双発爆撃機、それを護衛するBf109F、Fw190Aなどの戦爆連合が攻撃を開始したのだった。彼らの第一目標は、言うまでもなくオスロ上空の制空権確保とその前に存在するオスロ＝フィヨルド、そこにある海軍艦艇、機雷の除去だった。
すでに国防軍諜報部のＢ部隊――――カナリス子飼いの――――の諜報によって機雷の位置などは確認されていた。Ju88を改造したガンシップ―――機体下面に十二・七粍機銃を八門搭載した型―――が海上を掃射して行く。次々と海面から水柱が発生した。
奇襲を受けた形のノルウェー軍は、攻撃に対して何ら行動をとる事が出来なかった。全くの奇襲―――宣戦布告なしの―――であったからである。機雷の除去が終わると同時に、Ｕボートがオスロ＝フィヨルドに潜入を開始した。無論、攻撃目標は戦爆連合の攻撃を回避した―――または満身創痍になって湾に浮かんでいる艦隊である。
日本海軍の指示によって、北海の色である濃紺に染め上げられたＵボートたちは、ただでさえソナーなどの装備を持っていないノルウェー海軍を圧倒した。と言うよりも、比較自体が無意味なのかもしれない。その最初の標的となったのは、ノルウェー海軍最大の艦艇、海防戦艦『ノルゲ』だった。既に同級艦の『エイズボルト』はJu88の急降下爆撃によって主砲天蓋を貫通、弾薬庫に引火し、その姿を波間に消していた。
ノルゲは海防戦艦である。戦艦と書くと、全長が二〇〇メートル以上もあって、速度は速くて……などなど色々考えるが、海防戦艦は違う。海防戦艦は、言うなれば、夕張型軽巡洋艦(つまりは排水量四〇〇〇トン未満)の船体に、速度と航続能力、居住性を極限まで犠牲にすることによって重巡並の主砲を据え付けた船だった。いわゆる浮き砲台のようなものなのだ。
そして、ノルウェーにこのタイプの海防戦艦は四隻ある。しかし、そのうち二隻はそれぞれトロンヘイムとナルヴィクに、そして、ここに配置されていたうちの一隻は既に沈められてしまった。さらに、元々の役割が浮き砲台であり、第一次世界大戦時に造られた事から、航空機に対する装備が存在しなかったのだった。
それはともかく、既にオスロ＝フィヨルドはＵボートの狩場と化していた。駆逐艦は真っ先に沈められ、Ｕボートの敵はいない。狩るだけ狩り、そしてそれが終わると、その後ろからは占領を行なう兵を乗せた輸送船が、なんの護衛も無しに海を進んできた。
同日 ０８０２
ノルウェー王国 ナルヴィク沖
ドイツ軍のノルウェー侵攻作戦における、イギリス軍とドイツ軍の初の交戦は、ナルヴィク沖にて開始された。ここに配置されていたのは、日本海軍から譲渡された海大型潜水艦六隻であった。もちろん、乗っているのはドイツ人だ。ここにこの海大型が進出しているのは、その航続距離が大きい事と、何よりも搭載できる魚雷の本数、そして日本から譲渡された潜水艦のうち、電測などの兵装を交換できた最初のグループであったからだ。
北洋の波涛を進むイギリス艦隊を最初に発見したのは旧伊−３であった。現在の艦名はＵ−１００３。
もちろん日本海軍の潜水艦は長大な航続能力と魚雷の搭載数が多いが、水中を移動する時に発生させる雑音が大きく、こういった定置監視ぐらいしか利用価値は無いとドイツ海軍側では思っていた。しかし、ここに酸素魚雷と言うファクターが来ると話は違ってくる。酸素魚雷はいうまでも無く今までの魚雷の射程を革命的に延ばすだけでなく、弾頭に搭載する弾薬の量と魚雷速度までも増大させていたからだった。つまり、今までは危険なまでに近くまで足を忍ばせながら近づかなければいけなかったのが、その必要が無くなった、という事になる。
ソナーによって得られた敵艦との距離は敵艦隊との距離はおよそ十二海里。酸素魚雷ならば充分な射程圏内である。艦長を務めるフラー大尉はすぐさま魚雷発射準備を命令、艦首を蠢かせ、敵艦隊の未来位置へと魚雷を発射した。
舷側に高高と上がった水柱を、誰もが呆然とした面持ちで眺めていた。巡洋戦艦リナウン、駆逐艦ハーディーの……そして旗艦であるウォースパイトの舷側に、いきなり轟音が上がったからだった。戦艦ウォースパイトに座乗していたホイットワースは衝撃と共に座席から投げ出され、リノリウムの効いた床に激しく打ちつけられた。
「触雷か！？」
そうホイットワースがいったのも無理はないだろう。彼らはこの海域のドイツの鉄鉱石輸入を妨害するための機雷、その敷設のために派遣されてきたのであったからだ。敷設途中の機雷が漂流し、船体に激突・爆発したと受け取ったのも無理は無い。
しかし、それは艦長が出す言葉としては不用意に過ぎた。指揮官の言葉を命令と受け取った士官が高声電話をとり、機雷を艦に装備されている機関銃で掃射し始めたからだ。そしてそれは、ＡＳＤＩＣ(アスディック＝ソナーの事)を装備した駆逐艦の聴音を阻害する事となったからだった。Ｕボートの艦長がその絶好のチャンスを間違えるはずが無い。彼はすぐさま通常魚雷の装填(もちろん酸素魚雷だ)を命じ、第二射を発射したからだった。
轟音がホイットワース船体を揺るがした。外周で機雷を敷設していた軽巡洋艦が雷撃されたのだった。そしてそれに続き、巡洋戦艦リナウンの舷側で一つ、重巡洋艦ヨークの舷側でも一つの水柱を上げた。
さすがに戦艦と名がつくだけあって、リナウンは実用弾頭部五〇〇キログラムの潜水艦用酸素魚雷の雷撃に耐えた。しかし、植民地警備を主眼に設計された重巡洋艦ヨークと、軽巡洋艦はそれに耐える事が出来なかった。重巡ヨークは薄い装甲を貫くように発生した爆発によってその船体が予測していた二倍の量の海水が浸水を開始した。そしてそれは船体の復元性を瞬く間に越え――――右舷に横転、沈没した。軽巡の方は更に悲劇的だった。装甲が全くと言って良いほど施されていない喫水線部分に五〇〇キロ爆弾が命中した計算になるからだった。その爆圧は即座に軽巡の竜骨を叩き折り―――――船体を真っ二つにして轟沈させた。
ここにいたってやっと英海軍も触雷ではなく潜水艦による雷撃だと言う事に気がついた。しかし、潜水艦による雷撃ならば少なくとも雷跡があるはず――――しかし、それが無かった。解説するまでもない。酸素魚雷はその名の通り、推進用に空気ではなく純度の高い酸素を使用している。空気ならば、そこに多量に含まれている窒素の働きにより雷跡が発生するが、酸素魚雷の方は全くと言って良いほど雷跡を生じない。触雷とホイットワースが勘違いしたのも―――――そして、各艦の士官たちが勘違いしたのも無理はなかった。
ここにいたり、彼らはついにドイツ軍のノルウェー侵攻が開始されたことを知った。潜水艦による雷撃によって任務に重大な支障を生じた事をスカパ＝フローの本国艦隊司令部に連絡したのだった。本国艦隊司令長官フォーブス元帥は命令した。『可能な限りドイツ軍の行動を遅滞せしめよ。増援を送る』。ホイットワースは、傷ついた戦艦を率いてノルウェー最大の港湾都市、ナルヴィクへと向わねばならなくなったのである。
五時間後 一三〇一時
ノルウェー王国北部 ナルヴィク
ナルヴィクに駐留するノルウェー軍は圧倒されていた。沖合いに浮かぶ戦艦の砲撃により、備え付けられた海岸堡が次々と潰されて行ったのだった。戦艦は海岸堡の破壊を確認すると砲撃を中止し、奇怪な行動を開始し始めた。その頃既に海岸からは駆逐艦から上陸を開始した第三山岳師団二〇〇〇名がナルヴィク市内各所を攻撃、次々と重要拠点を攻略していった。特に最も早く確保された飛行場には、秘密裏にフィンランドを経由してＪｕ８８、Ｈｅ１１１、Ｆｗ１９０などの空軍航空隊が迅速に進出していた。無論、完全装備を整えて。
沖合いを哨戒していたＵ−１３２からイギリス艦隊発見の報告がもたらされたのは、空軍が展開を終了したまさにその時だった。戦艦に座乗する山元二十一海軍元帥はすぐさま隷下の四戦艦をフィヨルドの奥へと移動、隠蔽した。
「敵艦みゆ！」
「全艦砲雷撃戦用意！」
ホイットワースは戦務参謀に叫ぶと双眼鏡を持って敵艦隊の状況を確認した。すべて駆逐艦。ふん、流石にこんな遠くまで戦艦は持ってこんか。
ホイットワース戦隊は潜水艦による雷撃の結果、その数を戦艦一、巡洋戦艦一、駆逐艦十二までに減らしている。ここに来るまでに受け取ったフォーブス元帥からの通信によると、派遣された増援は空母グローリアス。
しかし必要はないな。駆逐艦だけならば、俺の戦隊でも充分に相手が出来る。
ホイットワースは隷下の駆逐艦部隊に前衛を命じ、ナルヴィクが存在するオスト＝フィヨルドへの突入を命じた。もちろん、フィヨルドの内部では戦艦の巨体は方向転換に多大な労力を有するからだ。まずは速度を落さねばならない。速度を出したままだと旋回半径が大きくなり―――――悪い場合、座礁してしまう。
彼の判断は間違っていない。この判断に限っては。しかし、彼の内心を一つの欲望がこの時、支配した。
それは、戦艦の主砲射撃による、敵艦の撃沈だった。
イギリスが経験した戦艦、その主砲砲撃による戦果は、第一次世界大戦以来ない。その時ホイットワースはまだ士官候補生に過ぎず、何時かは戦艦の砲戦をこの手で指揮してみたいと言う夢を持った若者でしかなかった。
その夢が、間近にある。
しかも、相手は駆逐艦だけ。幾ら狭いフィヨルドの中へ突入すると言っても、撃沈――――いや、損害を受ける事すらないだろう。
であるならば。
であるならば。
俺の夢を、この手で実現しても良いではないか。相手が駆逐艦である事が残念でならないが、この手で戦艦の砲撃を行なうと言う俺の夢には、代えられない。
ホイットワースはそこまで考えると、次の瞬間、命令を下した。
「全艦、オスト＝フィヨルドへ突入！」
彼は、それが自分を死へと追い遣る命令である事を理解していなかった。
「攻撃開始！」
戦闘を進むホイットワース戦隊の旗艦、ウォースパイトが発砲を開始した。続いて後ろについていたリナウンも砲撃を開始する。それはドイツ駆逐艦部隊の先頭を進むＺ１型駆逐艦ヴィルヘルム＝ハイドカンプに集中した。駆逐艦が水柱で見えなくなるほどの猛烈な射撃。水柱が消え去った時には、戦艦の主砲弾によって発生した衝撃波により、横転してしまったハイドカンプの姿。
ホイットワースは口を歪めた。敵の駆逐艦の数からして、ここにいる駆逐艦全てを潰せば、ドイツの水上部隊に大きな打撃を与える事が出来る。
「ＲＤＦはどうだ！？」
「フィヨルドに電波が反射、使い物になりません！」
ふん、まぁいい。駆逐艦だけならば、光学射撃でも充分……
そこまでホイットワースが考えた時、轟音が前衛を務めていた駆逐艦、ベドウィンを襲った。さっきのハイドカンプと同じ様な状況に、ベドウィンは陥っていた。
「なんだ！？」
ホイットワースは叫んだ。電測員の方を見るが、フィヨルド特有の切り立った崖のため、電波が反射して目標を捕らえられないという。
駆逐艦ベドウィンを葬った砲撃の犯人は戦艦ビスマルクだった。二十一は、戦艦部隊をナルヴィク市街北東のフィヨルドに隠蔽する事により、彼らをフィヨルドの奥へと誘引したのだった。
「全艦砲撃準備、反航砲戦準備！」
「ヤー」
艦長のリンデマンは二十一の言葉にニヤリと口元に笑みを浮かべて答えた。なんて人だ。糞、やはりこの人は凄い。フィヨルド内部での方向転換は速度を極限に落す必要がある。そうでなければ、座礁してしまうからだ。それを反航砲戦に持ち込む――――つまり、トミーの野郎は方向転換が無理なフィヨルドの奥へ、そして、我等は方向転換可能な外洋へ。つまりは、袋のねずみ。もし相手が方向転換を成し遂げても、我々はフィヨルドの出口で待機していればいい。何故ならば、それはフィヨルドに蓋をすると言う格好になる――――艦隊砲戦の理想形、『Ｔ字』だ。そして、今までこの理想形、『Ｔ字』を成し遂げた提督は一人だけ―――――アドミラル＝トーゴー。
それに、もうすぐ空軍も動き出すだろうから………ホイットワース戦隊に逃げ場はない。奴等は、魔女の大釜に飛びこんだ哀れな蛙なのさ。
リンデマンの予測は正しかった。
反航砲戦を開始したドイツ戦艦四隻とイギリス戦艦二隻は相対速度四〇ノットで交差。そして、すれ違い、離れた。
「面舵９０度！」
山本は戦艦部隊がフィヨルドの狭隘部にさしかかった所で命令した。
「面舵９０！」
ドイツ戦艦部隊はフィヨルドに蓋をする行動を開始した。ぎりぎりまでフィヨルドに近づいて行なわれた面舵は、座礁するかもしれない恐怖を数分の間、戦艦に乗る全てのものに味あわせながら進行した。
そしてそれが終わった時――――ナルヴィクの存在するオスト＝フィヨルドはドイツ戦艦によって蓋をされた。
ホイットワースはあきらめる事無くフィヨルド北奥へと進み、そこで取舵１８０度を命令した。しかし、この点、山本は抜かりがなかった。
戦艦が方向転換を行なえる場所は、このオスト＝フィヨルドにはさして多くない。
山本が戦艦部隊を隠蔽した時は、まるで車の車庫入れのように後進しながら、ナルヴィク北のフィヨルドに身を潜めたのだ。であるから、できるだけ高速を発揮しながら反転を行なえる場所自ずとは限定される。ホイットワースが反転を行なったのは、ナルヴィク市街の北にあるオスト＝フィヨルドの奥の部分である。
山本は、ホイットワース戦艦部隊が何よりも生き残るために、反転し、Ｔ字をとられたと言う不利を無視しても、ドイツ戦艦による『蓋』をこじ開けて、外洋へと逃れようとする事―――ネルソン・タッチの再演を予測していた。そして、その位置がこの、フィヨルドの奥の広まった部分である事も。故に彼の二の手は―――――ホイットワースが反転運動を行なっている海域を射程に捉えたＵボートだった。
その数、三隻。水中に静止し、身を潜め、静かに『その時』を待っていた部隊だった。
彼らはソナーで反転を確認すると同じに雷撃を開始した。その数、魚雷一八本。すぐさま第二射が行なわれ、その数はすぐに三六に増えた。その三六の『青白き殺人者』をホイットワースのウォースパイトが耐えたのは、ひとえにイギリス海軍のジョンブル魂故だった。駆逐艦が、戦艦を救う為にその身を投げ出したのだった。
しかし、それでも三六本と言う数は多すぎた。駆逐艦の身を呈したバリアーを抜けた魚雷が、それに守られたリナウンとウォースパイトに殺到したからだった。
高々と北欧の寒空に、三本の水柱が立った。その二つはリナウンに、そして残り一つがウォースパイトに命中していた。リナウンは耐えられなかった。『青白き殺人者』――――酸素魚雷が二本命中したと言う事は、水線下に一トン爆弾が命中したと言うに等しい。そしてリナウン級は、第一次世界大戦字の海軍卿フィッシャー提督の推進した『バルト海侵攻作戦』用の巡洋戦艦であった。喫水は浅く、装甲防御は極めて貧弱――――もちろん、水密区画も充分なものではない――――であった。区画を次々と突破して浸水が発生。大きく右舷に傾き、そして大爆発と共に横転、沈没した。傾斜のため揚弾機から主砲弾が転げ落ち、それが主砲弾火薬庫に引火、大爆発を生じさせたのだった。
しかし、ウォースパイトは耐えた。流石に第一次世界大戦最強の高速戦艦クイーン＝エリザベス級だった。いや、まるで屈辱に燃えるホイットワースの感情が乗り移ったかのようだった。
しかし、彼の感情もそこまでだった。右舷に命中した魚雷によって、フラー大尉のＵ−１００３から受けた破壊の跡が大きく歪み、浸水量を増大させたのだった。しかし、なんとか左舷に緊急注水する事により、艦の平行は保たれた。しかし、速度は既に10ノットまでに低下していた。
そして、10ノットまで落ち込んだ旧式戦艦を撃沈する事など、二十一率いるドイツ艦隊にとっては簡単な事だった。ウォースパイトはビスマルクの主砲天蓋に最後の主砲弾を打ちこみ――――そしてそれが強靭なクルップ鋼に跳ね返された瞬間、ビスマルクとティルピッツの主砲斉射を浴び、轟沈した。
ここに戦史に第一次ナルヴィク沖海戦と呼ばれた海戦は終結した。ドイツ側は戦艦一小破、駆逐艦二隻撃沈、一隻大破であり、イギリス海軍は戦艦二隻、重巡、軽巡各一隻、駆逐艦十二隻の全滅と言う形を持って終了した(増援として派遣されたグローリアスはホイットワース戦隊の全滅と共に退却した)。
しかし、戦闘はこれで終わったわけではない。
ドイツ軍のノルウェー侵攻を知ったイギリス軍は直ちに連合軍最高司令部(参加国はイギリス、フランス、ポーランド)に連絡。ノルウェー奪還のための遠征軍を編成した。その数、四万二千名であった。そしてもちろん、これを護衛する海軍が、そこには存在したのだから。
イギリス海軍がノルウェー奪回作戦『モーリス』作戦を発動した。これは特にドイツの内海となっているバルト海攻撃をも狙った作戦であり、イギリス大陸派遣軍(ＢＥＦ)から部隊が編成された。その内訳は歩兵師団二個、約三万名を中心としている、これを輸送船八隻に分乗させ、これを護衛する護衛隊、そしてノルウェー北部に展開するドイツ海軍を撃破するためにその前に攻撃隊が出撃する事となっていた。
その内訳は地中海艦隊から派遣された(今だイタリアが参戦していないため)クイーン・エリザベス級戦艦マレーヤ、バーラム。ロイヤル＝ソヴリン級戦艦ロイヤル＝ソヴリン、ロイヤル＝オーク、リヴェンジ。ネルソン級戦艦ネルソンの戦艦六隻である。これは本国艦隊の保有する戦艦のほぼ四分の三にあたり、これがもし失われたりすれば、本国艦隊は現在建造中のキング＝ジョージＶ世級戦艦の完成を待たない限り、本格的な海上攻勢を取れ無いと言う事になる。
しかし、ノルウェーの奪回――――ドイツの内海、バルト海への攻撃を強く押す海軍大臣ウィンストン＝チャーチルの強い要求に、本国艦隊司令長官のフォーブス元帥もついに折れた。それに、世界最強のグランド＝フリートが、ドイツ海軍相手にフリート・イン・ビーイングを取ると言うわけにもいかない。それは、連合国軍全軍の士気にも関る。つまり、連合国の現実的政治的要求から、モーリス作戦はその日の目を見たのである。
であるからには、その輸送船八隻はなんとしてもナルヴィクへと上陸をさせねばならない。
イギリス海軍本国艦隊は言うまでもなく駆逐艦の不足に悩んでいた。既にＵボートの跳梁はイタリア、日本からの潜水艦輸入によって悲劇的にその被害を加速させていた。それは、既に現在の輸送物資が食料を中心としている事からもわかる。彼らは、戦略物資を輸入するだけの余裕すらなかったのだった。イギリス商船団は、急速にその規模を減じていた。
それゆえ、今回の上陸部隊を積載した輸送船団の護衛には細心の注意が払われた。
まず、護衛隊として空母二隻が随伴する。これは一九一七年に巡洋戦艦から空母へと改装された空母カレイジアスとグローリアスで、それぞれ航空機48機を搭載して護衛にあたる。搭載しているのは戦闘機と爆撃機が半々で、敵艦隊への攻撃よりも、潜水艦を発見、攻撃する任務、そして、敵航空隊の迎撃、直掩任務がその主を成しているのは明らかだった。この他にも重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦は本国艦隊がまさに『誰も死ぬな』といわんばかりに多数の戦力を投入した形となった。
対するドイツ海軍は既にアプヴェーア(国防軍諜報部)Ｂ部隊からイギリス本国艦隊のノルウェー逆上陸作戦の発動を知っていた。すでにドイツ海軍のルフトクルーザー(空中巡洋艦)が北海上空で国防軍総司令部(ＯＫＷ)の直接指揮下で動いており、それはＢ部隊によって管理され、敵の通信傍受などの任務を行なっていた。
ナルヴィクに展開を終了していた山本隊は既にノルウェーの首都オスロを占領し、バルト海での任務が必要無くなった艦隊を増援として受け取っていた。この時点でナルヴィクに展開していたドイツ軍部隊は以下の通りである。
海軍部隊
戦艦四隻(ビスマルク、ティルピッツ、シャルンホルスト、グナイゼナウ)
重巡洋艦二隻(ブリュッヒャー、プリンツ・オイゲン)
軽巡洋艦二隻(ライプチヒ、ニュルンベルク)
駆逐艦一〇隻(『Ｚ１』型全艦)
潜水艦三〇隻(�撮歎�)
陸軍部隊
第三山岳師団二〇〇〇名
空軍部隊
第十二航空師団
戦闘機四八機
爆撃機九六機
偵察機二四機
である。ドイツ軍はイギリス海軍本国艦隊の、まさに総力を賭けた反抗に、これらの部隊で立ち向かわねばならなかった。
山本はまず潜水艦部隊を哨戒に任務を限定――命令あるまで偵察に従事させた。潜水艦三〇隻はナルヴィク沖に展開し、イギリス本国艦隊の捜索に従事した。次に戦艦部隊はナルヴィク北方四〇海里の地点に移動、待機した。敵は戦果を、それも一刻も早い戦果を待っている。それは、第１次世界大戦の経験から陸上では決して攻勢に出る事は出来ない、いや、彼等が攻撃を行わないからである。
であるならば、海上において反撃を行い、ドイツ海軍に大勝し、これに勝利せねばならない。そうでなければ、潜水艦によって干されようとしているイギリス国民が叛乱を起こしかねないからだ。山本はすでに史書を通じてイギリス海軍の作戦を知っている。彼らはまず、橋頭堡としてナルヴィク沖のハルスタードに上陸を開始する。ここに三万名を上陸させて待機、そしてナルヴィク市を戦艦部隊の砲撃によって制圧した後、悠々と市街を制圧する。同時にトロンヘイムに対して攻撃を開始、ここを占領する計画だ。
既に山本はこれに対する完璧な迎撃計画を立てていた。無理も無い。敵の作戦を完璧に把握していれば、自ずと効果的な反撃作戦が頭のなかで出来あがる。別段、不思議な事では無い。山本の作戦の骨子は、ノルウェーを囮にしてイギリス海軍の戦力漸減を狙う事にある。と言う事はつまり、是が非でも奴等を上陸させねばならなかった。潜水艦部隊に侵攻船団の攻撃を控えさせたのもそれが理由だ。
奴等が餌に食いついた瞬間、こちらの罠が絞まる。屋根に梯子をかけ、泥棒を上に追い詰めてから梯子を放す。孫子の兵法、それも基本的な一つだ。
敵は孤立したトロンヘイム、ナルヴィク占領部隊を救出するために、なんとしても、何度でも攻撃をしかけてくるだろう。もちろん脱出する場所は海上しかないから、商船を使っての撤退。それを、潜水艦や戦艦、航空機で片っ端から沈めてしまえば良い。
輸送船を護衛するための駆逐艦、巡洋艦。こちらには戦艦があるから、それに対抗するための戦艦。そして奴等が上陸させようとしているのは、トロンヘイムに一万二千名、ナルヴィク沖のハルスタードに三万名。撤退するのにも一苦労と言ったところだ。
イギリス海軍は、いままさに山本の罠にどっぷりとその身を浸そうとしていた。
2008年02月07日(木) 01:45:08 Modified by prussia