Ready to War3

 一九四〇年 十月四日
 大日本帝國 赤坂 北地ビルヂング
 北地商会本社 社長室


「どうぞおかけください」
 会長室とプレートが掲げられる室内、馬渕は現在、北地商会を訪れている。勿論、今回の訪問はあの戦車試験で判明した、あまりに日本の現状に適合しすぎていたKT−3型中戦車が原因だった。戦本で試算した結果、あの戦車に対して戦本が手を加えるべき場所は、殆ど存在していなかったからだ。現在、実車を納入された戦本は生産計画よりも実車の調査に追われている。
「ありがとう」
 馬渕は秘書らしき女性に言った。三十代だろうか、落ち着いた雰囲気に和服が良く似合っている。いささか窮屈すぎるくらいに着付けが確りしているのが気になる所だった。馬渕は旧家の出身だ。女性、男性用を問わず、和服に対する知識はそれなりにもっている。
「お待たせしました」
 女性が会釈し、馬渕もそちらに顔を向けた。目をむく。見知った顔だった。
「北地商会最高経営責任者、蒲生鐡哉です」
「君か、蒲生一等海尉」
 微笑を返した北地商会のCEOは馬渕の前に座った。
「お久しぶりです、馬渕一佐……いえ、大将閣下」
 二人は笑いあう。勿論二人共に海の洗礼を受けた『軍人』だった。笑い合うと言っても哄笑する訳ではない。ただ単に口元の表情を歪めるに留めただけだった。
「もう合計して11年前になる、君がF−5……当時はYF−5だったか。その評価試験のときの事故で行方不明となった時を思い出す。あの事故で、『こちら』に?」
 蒲生最高経営責任者――――海上自衛隊一等海尉蒲生鐡哉は頷いた。
「はい。こちらに来た瞬間は本当に驚きました。何せ、海上に激突した、と思った瞬間、気を失い……気がついたらここへ、というわけです」
 馬渕は頷いた。二人は海上自衛隊空母機動部隊発足、その計画立案当時からの友人だった。無論山本も知っている。馬渕は空母機動部隊編制、山本は『現代』機動部隊戦術、そして蒲生は戦術艦載航空機運用と、それぞれの部門の旗頭だった。それだけに新鋭艦上戦闘攻撃機YF−5の試験の際の蒲生の事故は衝撃だった。YF−5はそのため再調査、再設計が行われ、それは必然として機動部隊建設計画に支障を及ぼしたからだ。
「なるほど」
 馬渕は頷いた。
「しかし妙だな。たとえInfomationを知っているとはいえ、よくも財閥の責任者などになれたものだ。しかも、全くの0から設立したというならば納得もいく。調べさせてもらった限り、内務省の書類ではこの財閥、社長は那珂川達雄となっていた。それに、蒲生鐡哉という名前は……」
 馬渕は未来に関する情報をそっけなく英語で言った。こういえば、部外者にはわからなくとも、関係者ならば、何を意味しているかはおのずと取れる。
「デコイ、ですね。懐かしい言葉ですが。実際の経営はこちら……」
 蒲生は脇に立っていた女性を示した。
「会長、北畠蝶子さんが行っています。それから、今の私の名前は北畠鐡哉です」
「……なるほど」
 馬渕は頷いた。未来の情報云々に関してはこちらの女性も知っているということになる。追跡調査の継続を仕事に付け加える。
「そして、君の知識にそって経営を続けてきた訳だな。重工業への参入も見越しての事か」
「はい」
 馬渕は立ち上がった。窓に近寄り、赤坂の町並みを見下ろす。
「頼みがある。勿論、断れない」
 断れないといったのは、断った瞬間に戦本が北地商会滅亡に向けて動き出す、その意味を含めてある。今の段階において、どのような不安定要素の存在も許せるものではない。
「来訪を聞いた時、そう思いました。馬渕さん、戦本の存在を知った時から、各社に九七式を配った時から、あの一式はあなたに対するメッセージだったんですよ」
 馬渕はそんな事はわかっているといいたげに手を振った。
「君がいるということは、北畠重工はそれなりのものだという事になる。聞かせてくれないか、どの程度までやれるのか」
「現在我がグループはドイツのハインケル、BMW、CPDと提携しています。発動機部門が主力です。今回御渡しした戦車も見たでしょう?」
 馬渕は頷いた。
「ディーゼル=エンジン以外は全て廃物利用といっていいな」
「ええ」
 蒲生は臆面も無く頷いた。
「でも、それなりです。あなたが重工業各社に要求項目を提示した時、ピンときました。あなたはソ連戦車を誉めていた」
「実際」
 馬渕は言った。
「あの戦車は砲と砲塔形状以外、基本形式はT-54そっくりだったな。戦後のソ連戦車すべての元となった、戦車としての完成型、T-54の前身、T-44に」
「採用されますか」
「どうして他の車体を採用できる?それぐらいの事はわかっているだろう?」
 蒲生は頷く。
「で、どこまでやれる」
「現在、発動機部門はハインケルHe280の調査を進めています。明日中にも実用噴進式発動機……Kj01型の図面をお送りしようと思っていたところです」
 馬渕は薄く笑った。
「性能試算は」
「メッサーの262と機体が同タイプに積んだ場合、航続で大きな差をつけることに成功しました。ま、アシの長さは日本の武器ですから」
 そして馬渕は蒲生が言わなかった事も理解した。明日にも大量生産に移れますよ、馬渕さん。
「ターボ・ファンの生産は」
 自衛隊機使用のジェットエンジンだった。
「現在ではおそらく年30基。これ以上は優先資源配分を受けないと」
「いいだろう」
 馬渕は振り返った。
「蒲生CEO、頼めるかな」
「ええ、馬渕大将閣下」
 馬渕にとっての懸案は解決した。これで、独立機動群は復活する。

 そう、現在、独立機動群は艦艇は活動可能な状況に置かれているが、航空機の方ははっきり言って死滅状況にあった。装備の大半をレシプロ機に搭載可能なように回収を行わせるかの会議ももたれていた。全て、自衛隊機の内、ターボ・プロップエンジン装備機以外が使用しているターボ・ファンエンジンの消耗のためだった。それが、この会談で解決する。独立機動群は、完全な状態で開戦出来るのだ。



 一九四〇年 12月1日
 神奈川県 海軍追浜演習場
 空軍主力戦闘機選定会


 レシプロ・エンジンの聞きなれた音が飛行場に響く。良く描写されるような地面を整地しただけの滑走路ではなく、アスファルトが敷設された飛行場は冬とは言えど、陽光をたっぷりと浴びて少しばかり暖かい。そんな陽光の下、山本と馬渕は並んでパイプ椅子に腰掛けていた。3ヶ月ぶりに東京に出てきた山本を馬渕が引っ張り出したのだった。
「確かにF−5が稼動可能になるのはありがたい」
 山本は言った。山本が東京に出てきた理由はそれだった。F−5などのターボ・ファン・ジェットエンジン使用機が使用可能になるのであれば、バランス12・8を見直す必要が出てくる。
「全て、俺たちよりも3年早く蒲生が来ていたからだ、といえるだろうな。まぁ、それだけではないようだが」
 馬渕は答える。
「奴のKAか?」
 山本は聞いた。昨日、北地商会との会談と言う形で接待―――その実は再会を祝う祝宴―――を受けていた。そのとき、北畠夫妻とは顔をあわせている。
「尋常ではないな」
 馬渕は答えた。
「あれは人を殺した事がある。勿論蒲生もだ」
「何でわかる」
 山本が聞いた。聞いていて余り快い話題ではない。
「目を見ればわかる。貴様も内心気付いているのではないか?少なくとも、この世界に着てから、俺も貴様も戦場以外で人殺しをやるという稀有な経験をさせてもらったことだしな」
 要はそれほど軍部旧体制派のやりようは形振り構っていなかったという事だ。
「……何があったんだろうな」
 山本は茫洋な顔つきになった。物思いにふけるとき、この男はいつもこうだ。ある意味惚けていると受け止められ、学生時代はずいぶんと教官から睨まれた。
「聞くだけ野暮だが、調べた所色々と出てくる」
「それで?」
 どうして調べたのか、等とは聞かない。今の時点では、気をつけるに越した事は無い。肉親といえども信用を置くべきでもない。
「追跡調査の結果、奴は当初秘書課の配属だった。非公認の会長である北畠女史の、な。コレを考えると、入社以前から二人が知り合っていたことがわかる。更に進めると……」
 山本が耳を寄せた。他人に聞かせる話題でもなかった。
「入社の2ヶ月前、北畠家の屋敷は全焼している。その際、北畠女史の母親、執事、取引先の社長が死亡。屋敷から逃れたのが女史、その妹、そして――――」
「蒲生」
 山本の言葉に馬渕は頷いた。
「屋敷で何があったのかはともかく、そういう事になっている」
「で?」
 山本は聞いた。
「蒲生は経営に関する書類事務で屋敷に言ったそうだ。まぁ、アルバイトだな。だが、そこで何かがあった。それだけは確実だ。だが、強いて聞くことでもない」
「まぁ、そうだ。だが……」
 馬渕は口元に人差し指を当てた。
「更に」
 言葉を続ける。
「火事の2ヶ月前、北地商会の先々代の社長、女史の父親である清邦氏が死亡している。死因は外地での事故で受けた火傷。……何も無かったと考える方が如何にかしている」
 馬渕は言った。
「まぁ、監視の必要はある。しかし、急を要する問題でもない」
「其処までわかっていて……」
 馬渕は断ずるように言った。
「奴も日本人だ。最後の一線は守ると信じたいな」
 山本は溜息を吐いた。それと共に脇に近づく人影を見る。
「閣下」
 空軍参謀総長、大西大将だった。空軍は創設間もない。人員も海軍と陸軍から出た航空関係者で構成されているため、全体的に年齢が若いのだ。故に、大西大将の様に、海軍に残ったままならば少将でしかない様な軍人が大将を勤めている。
「なんだ、大西君」
 山本が答えた。この場での最上級者は山本だ。彼が答えねば話が進まない。
「今回の評価試験、参加機の書類です」
 ああ、ありがとうと答えながら山本は受け取った。今回の試験は空軍の次期主力戦闘機、戦術爆撃機、戦略爆撃機の採用試験だ。現在、日本軍はそれぞれ『鍾馗』、九九式陸攻、一式陸攻を当てているが(勿論この段階で『鍾馗』、一式陸攻に関しては配備中である)、早晩戦力不足になるだろうと判断していた。『鍾馗』ではサンダーボルト、ムスタングに勝てない。足の長さでもライトニングに負ける。それに、今回は三式艦戦として採用を予定している機体の先行試作機の試験も行われる。
「それで、各社、どんな戦闘機を提示してきた」
 大西は頷いた。
「書類段階での審査は既に終わっています。爆撃機系でパスしたのはやはり三菱、それに中島ですね。空技廠は生産性で落とされましたし、立川、川崎は輸出型の生産に力を回していますから」
 生産設備で劣る立川、川崎は現在、東南アジア、中国大陸向けの輸出型航空機(要するに1世代前の機体)の生産に力を尽くし、利潤で開発・生産設備の充実を図る。戦本の指導だった。
「とはいえ、各社が力を入れているのはやはり、三式戦でしょう。各社それぞれ案を提示していますから」
 大西の発言は状況を要約していた。日本帝國における技術の発展は主に発動機部門で著しく躍進している。となれば、大量受注が見込める戦闘機―――戦闘爆撃機の開発に力を入れるのはある意味当たり前といえる。
「で、三式主力戦闘機の案はどんなものが提示されているのかな?」
 馬渕が口を挟んだ。
「今回の試験では三菱、中島、川西、川崎、立川が。愛知の方は『彗星』の生産で手一杯ですし、おそらくその発展形を三式艦攻で出してくるでしょう。空技廠の方は技術に走りすぎですね。まぁ、自分の所を批判するのは気が引けるんですが」
 馬渕と山本は口元を歪めた。空技廠は新技術の開発には優れているが、それをどのようにして用いるかというある種の経済観念が必要な分野ではトンと疎い。利潤追求を考えなくていいお役所だから、と言い換えることが出来るのかもしれない。
「一応、各社の案を先程の順でYF(試作戦闘機)−1〜5としました。詳細についてはコレを」
 大西は書類を手渡した。馬渕は書類を見た後で、一覧の横に書き込みをしてゆく。勿論、史実における各型の機体設計が使われた機体を示している。この場合のコードも前回示した戦車の場合と同じだが、今回、ナンバーに関しては提出順にされている。

 MYF−1型 三菱 局地戦闘機「雷電」
 NYF−2型 中島 四式戦闘機「疾風」
 KnYF−3型 川西 局地戦闘機「紫電改」
 KsYF−4型 川崎 三式戦闘機「飛燕」
 TYF−5型 立川 キ−94試作高高度防空戦闘機

 無論、原型機と思われるだけで、性能に関しては向上していると思われる。
「各型ともに600km台後半以上か、良好だな」 
 山本が唸った。確かに、一番遅いのは川崎案の650km/hで、最高速は立川案の698km/hだ。発動機開発に関する日本の躍進振りがわかるというものだろう。川崎案は液冷のためだろうか。日本の発動機の躍進はほぼ全体的に空冷エンジンで為されている。それに、空冷エンジンといえども、4案共に過給タービン使用機だから、速度的な差はな余り見受けられない。それどころか、技術的問題から敬遠されてきた液冷の方が遅いという現象まで起こしている。
「可哀相に」
 馬渕は言った。
「川崎案は発動機の改良次第、という所か。とはいえ……」
 そうだった。液冷発動機の進展を待つ暇も無く、航空機エンジンはジェットへと移行するだろう。時代の仇花のような存在だ。
「戦闘爆撃機にも運用可能なものとしてはやはり第2案、第5案でしょう」
 大西は言った。馬渕の発言は聞かない事にしている。試験前から何々は採用されません、等といえるわけも無い。
「NYF−2は最高速678km/h、出力は北畠のKr-05の2900馬力、ペイロードは2トン。航続能力も増槽付で2200km」
 ひゅう、山本は感心したように口笛を吹く。2トンといえば、一時代前の爆撃機に匹敵する。
「立川案は?」
 馬渕が聞いた。
「野心的な案ですな。TYF−5は中島案のNYF−2よりも一回り大きい。しかし、速度は北畠のKr-05lで3400HPでカヴァー、航続能力は増槽で同程度、ペイロードは1tですが、中島案が20mm機関砲で固めてあるのに対し、こちらは大威力の37mmです」
 Kr-05lとは基本的にはKr-05と同じだが、エンジンの全長が長く、そのため気筒数が多く設定され、そのため馬力の向上が為されている派生型だ。馬渕は立川案を詳細に眺め始めた。機体の大きさが気になるが、陸上での運用が前提だから、問題となるのはむしろ生産性と輸送だろうと判断した。悩むところだろう。戦闘機本来に傾いているのが立川案なら、オールマイティにこなせるのが中島案というべきだ。
「悩むな、これは」
 馬渕は言った。山本も大西も頷く。
「三菱案、川西案もいいところを突いていますが……」
 ふむ、とばかりに誰もが息をついた。実機試験が開始される合図が響く。
「まぁ、後は実機試験だな。空戦での運動性、加速性などを見てみないことにはわからん。それに整備員から、稼動状況に最も持って行きやすい機体はどれかも聞かねばならん」
 山本は言った。大西も馬渕も頷く。彼らの頭上で、新しい猛禽たちが自分たちの誰が太陽の帝國に相応しいのか、戦いを始めようとしていた。


 一九四一年一月四日
 大日本帝國 東京 赤坂迎賓館


 新年三箇日が終わったこの日、赤坂の迎賓館は多数の人間を迎えていた。勿論迎賓館は国家としての客を迎える施設であるから、団体客という表現よりも使節団といった表現が適当だろう。この日、東京はタイ王国の慶賀使節団を迎えるという外交、その色で包まれていた。
 東南アジアにおける英泰間の対立が日に日に高まってゆく中で使節団を迎えることは、タイ王国が対英の為に日本の援助を必要としている、ということを如実に示す。それを立証するかのように、チャーチルは昨年12月、タイ王国と日本の接近に釘をさすような発言を行った。
「タイ平原の安全は東南アジアにおける平和と同義である」
 というのが発言の骨子だが、言い換えれば日本に対し、タイと距離をおけといっているに等しい。勿論アメリカ政府もコレに同調している。共和党との議会対決で太平洋に努力を傾注する事を議会段階ではまだ為しえていないアメリカに取り、東南アジアに日本の影響力が行使されるのはなんとしても避けたい所だった。
 さて、タイ王国の使節団が今回来日した目的は、勿論慶賀使節を派遣する事で日本との結びつきを強めてゆきたいというタイ政府、王室の思惑もあるが、それよりも重要視されていたのは、軍事援助(というか兵器購入)の依頼だった。
「我々としては、既に続々と揃いつつある陸上、航空戦力に加え、海上戦力においても親愛なる日本帝國の援助を戴きたい」
 使節団長、ラト・チャクル外務大臣は迎賓館の一室、日本帝國首脳との会談で最初にそう言った。面倒な外交儀礼を無視する形での発言だった。
 それほどタイの受けている外交的・軍事的・政治的な欧州勢力の締め付けは強かったのか。戦本本部長として出席している馬渕は席上、そう思った。脇には元帥筆頭・歓迎武官団長として山本が座っている。ただ、山本の方は面倒な交渉事は全て馬渕に一任する、といわんばかりに腕を組み、瞑目している。
「そちらの要求を聞きたい」
 馬渕はそう発言した。外務大臣の東郷重則も頷く。タイの主張云々はさておいて、相手側の要求するところを聞いておかねばならない。
「既に30年代初頭から、我がタイ王国は海軍建設に邁進して参りました。その事は日本側も承知されていると思います」
 チャクルはそう前置きした。
「海防戦艦『トンブリ』、『スリ・アユデア』を初めとした建艦、サタヒップ軍港の拡充、我々は日中満との貿易で得た外貨全てをそれに投入してきた、そういっても過言ではありません」
 つまり、日本側を充分に儲けさせた、と言いたい訳だな。馬渕はそう直感した。確かに、現在タイ王国王室海軍が保有している艦隊―――とはいっても海防戦艦2隻と駆逐艦と潜水艦数隻にしか過ぎない―――の殆ど全てが日本の建造によるものだ。はっきりいって、日本側は儲けさせてもらった。
「そこで」
 チャクルは語気を強めた。
「この仕上げとして、我々は更に、戦艦1隻、巡洋艦4隻、空母1隻を初めとする大規模な建造を発注したい」
 日本側がざわついた。無理もない、昨年末に米英首脳が揃ってタイ平原の安定―――つまりタイ王国の軍事的無力―――が平和だとの発言を行っている。ここでタイの海軍備拡充に手を貸せば、米英との外交距離は更に離れる。
「戦艦と空母は困る」
 東郷が発言した。
「タイ側は、日本が置かれた立場を理解していない。我々は、東南アジアに介入して戦争を起こすわけにはいかない。そんな事を、国民も陛下も望んではおられない」
 馬渕は内心頷く。と同時に副官の小沢少佐を呼ぶと国防省へ走らせた。建艦状況の情報を文書にして用意する必要があった。
「とはいえ、イギリスの増強は我々にとって、目前の脅威なのです」
 チャクルは言う。確かに頷ける問題でもあった。北海における大敗北はイギリスに総力戦を決意させた。ならば、重要な物資産出地域であり地歩でもあるビルマとマレーの防備体制構築は急務だ。実際、インド兵中心とはいえビルマには英第十一軍、マレーには第五軍が展開し、その後方、セイロン島トリンコマリー軍港には戦艦5隻(プリンス・オヴ・ウェールズ、レパルス、クィーン=エリザベス、ヴァリアント、レゾリューション)を主力とする東洋艦隊が配備されている。幾ら北海で戦艦5隻を沈められ、4隻に損害を与えられても、さすがイギリス、大海軍国家であった。更に、現在も本国ではキング・ジョージ五世級の残り3隻の建造が進んでいる。
「だからこそ、我々には戦艦が必要であり、空母が必要なのです」
 ともかく、日本側はタイ側の主張を検討する必要があると答え、タイ側の主張を聞く形でその日の会談は終了した。


 同日 夜
 東京 市ヶ谷
 戦本 本部長執務室


 戦本にもどった馬渕は待ち構えていた小沢から建艦状況の報告を受けていた。
「タイ、それに昨年初めからの中華民国、満州国からの打診ですが、現在、大型船舶の建造ははっきり言って難しいのではないか、そう考えます」
 小沢は第一声、そう言った。
「大神工廠では『大和』級の補修・整備が行われていますし、他の船渠も油槽船、輸送船などの建造で工廠能力の一杯一杯という感じです。特に、水雷群整備計画が発動していますから、それに影響を及ぼしかねません」
 小沢が言った水雷群整備計画とは、それまで連合艦隊の主力を為してきた5000t級軽巡洋艦、特型駆逐艦の代替として(勿論既存艦艇は改修の上、海上護衛総隊隷下へと移される)合計60隻以上もの大増産計画を指す。軽巡洋艦は『大淀』級8隻で、既に舞鶴、浦塩、旅順などで昨年より起工している。大淀級は一時代前ならば重巡洋艦といっても良いクラスで、軽巡洋艦としての最上級をやや縮小した感じだ。新設された艦種、防空巡洋艦として計画されたのが『阿賀野』級。7000tクラスの船体に多数の両用砲を装備している。このクラスは6隻が起工されている。
 駆逐艦の方では艦隊型駆逐艦として『陽炎』級、防空駆逐艦として『秋月』級が既に全艦起工されている。両方とも3000tクラスの船体を使用した大型駆逐艦だ。最後にくるのが軽空母『大坂』型で、商船の船体構造を利用した日本初の専用対潜護衛空母だった。
 確かに、このような計画が現在進められ、また既存艦艇の補修・整備も考えた場合、タイ側からの要求は日本の政治状況に影響を与えるだけでなく、建艦計画の方面にも波及しかねないものだ。
「予算の方はどうだ」
「第一独立機動群むけの予算でかなり難しい状況です。大蔵省の方は軍事費の増大に懸念を示しています」
 馬渕は頭を抱えたくなった。資源も無い、金も無い。現在の状況では要求側の要求をのむような場合になった時、それに対応できない。とはいえ、要求をにべも無く断れば要求側と日本の外交問題にもなる。
「民間造船渠への依頼……問題外か」
 確かに、現在国有(つまり軍用船専用)の船渠は仕えない、とするならば民間船渠だが、情報漏れの恐れもある。特にタイ向けの船舶には注意を払わねばならない。
「小型船舶はともかく、重巡以上の大型となると……それに、現在、海軍と陸軍で同時に主要兵器の更新が始まったため、鉄鉱石の不足も考えられます。流石に民需用に手をつけるわけにも行きませんし」
「中華民国などからの鉄鉱石輸入は」
「順調です。しかし、あちらの方でも内戦からの復興が進んでいます。鉄は本当に採掘次第です」
 馬渕は深く椅子に寄りかかった。
「建艦しても良いが、鉄鉱石と代金を先に納入でもしてくれんものかな」
 小沢が前につんのめる。まさか、そういうわけにも行かないだろう。
「それは流石に……」
「だろうなぁ」
 第一独立機動群の航空戦力再生、水雷群整備計画、戦時に必要となるだろう護衛総隊向け艦艇の建造、そして既存艦艇の補修・整備。10年がかりでやってきて、それなりの結果を見込め、戦争中でも艦艇の建造が平時と変らぬ―――いや、それ以上の速さで進むだろうと思えるとはいえ、どうにもものたらなさを感じてしまう。この点、アメリカが本当に羨ましくなってくる。
「国債発行だけでは足りんな。軍債を発行する時が来たかもしれんな」
 馬渕はボソッと呟いた。
「仕方ないかと。ですが、あまりやりたくありません」
 小沢は言った。そう、これまで日本帝國は国債以外の債券を発行する事無く予算を組んできた。債券を発行すれば利回りが効くし、何より債券でえられた収入で輸出品を国家が建造する訳だから、それなりの回収も見込める。しかし、借金に変りはない。
「大蔵省に打診してくれ。それから、この際だから建艦能力をフル回転させる意味で中華民国、満州国にも艦艇の代行建造を打診する必要があるだろう。ああ、タイが要求した艦艇は見切り発車で建造して構わん。おそらく、そうせざるをえないだろうからな」
 モノは多く売らねば利益も増えぬ。商売の原則。国家が商売とは、いやはや。国家を神聖なものとして捉えたがる者達が聞いたならば、どんな事を思うだろう。
 馬渕は溜息を吐きながら懐のパイプを探った。刻み煙草を出そうと引き出しの中の缶を出すが、あいにく煙草は入っていなかった。切らしていたらしい。


 状況―――1941・Asia

 一月下旬に日本と中華民国・満州国の間で取り交わされた協定、いわゆる海軍建設代行協定は日本の造船界にとって、更なる福音といえる出来事だった。満州国は自国沿岸海域―――といっても黄海だけだが―――を警備するのに必要な小規模艦隊を必要としていたし、中華民国も広大な中国大陸、その沿岸部の全てを持って成り立っている(共産中国とは内陸部での戦闘)ため、海軍は早急に建設する必要があったからだ。
 一九四一年一月二十一日に締結された第一次協約では満州国へ8隻(全て駆逐艦)、中華民国へ三十二隻(海防戦艦4隻、巡洋艦4隻、駆逐艦16隻、水雷艇8隻)の建造・輸出が取り交わされ、二月下旬に起工される予定で運んだ。建艦技術と工業能力の著しい進展を見せている日本政府はこれら艦船の建造を両国からの優先資源供給協定との交換(つまりバーター取引)で一年以内の全艦建造を約し、日本は世界が戦争と恐慌の残滓に喘ぐ中、ただ1国だけ平和と繁栄を享受した(そして勿論、対立関係にある国家の嫉妬も)。
 このような状況で、中華民国向け第2協定という名前の下、タイ王国向け艦船8隻(戦艦1隻、空母1隻、巡洋艦4隻、駆逐艦2隻)の建造が水面下で進められる。さすがに戦艦は無理だろうと判断されたが、空母以下は一年以内の建造終了が約された。この驚異的な建艦能力は、10年間、馬渕と山本、つまり戦本が日本帝國の工業力充実に力を傾注してきた事の証だろう(空母は日本海軍の分類で言えば軽空母だった)。
 更には保管艦としてモスボール状態に置かれていた第一次世界大戦時の二等駆逐艦(海防艦に分類され、海上護衛総隊隷下だった)が緊急輸出という形で輸出された。20年も前の駆逐艦には流石にイギリスも文句をいうことも無くタイへの、そして中華民国、満州国への納入が進んだ。

 これに対し、4月1日、アメリカ大統領フランクリン・ルーズヴェルトは日本の艦艇輸出を極東アジアの紛争を招きかねないと主張、これに反対する旨を発表する。イギリスもこれに追随しようとするが、日本に好意的な現地旧勢力(つまり、ビルマのタキン党、インドの国民議会)を鑑み、追求の声明を出したものの、その強みは薄かった。この点、段々と米英間の距離感は深まってゆく。
 4月15日、戦本は次期主力中戦車―――一式中戦車として北畠案の採用を決定。連合陸戦師団、近衛教導師団、第一戦車師団、第七戦車師団への配備に向けた生産を命令した。これに伴い、装備更新と共に保管状態に置かれる九七式戦車は数が纏り次第、中国向け輸出品とされる。
 4月28日、空軍次期主力戦闘機選定で立川案TYF-5を主力戦闘機、中島案NYF-2を主力戦闘爆撃機として採用する旨を戦本・空軍参謀本部は決定した。これにより実用機トライアルが進められることとなっている。
 あけて5月、ドイツ=アフリカ派遣軍DAAが行動を開始、キレナイカの中枢都市、トブルク近郊で対峙していた両軍は本格的交戦を開始した。この戦いにドイツ=アフリカ装甲軍団は新鋭戦車四号戦車J型を投入、イギリス・植民地軍に大勝利を収めた。これによりイギリスはアメリカに更なる援助(今度は陸軍軍備)を要求するようになり、それは必然的に太平洋における日米間の対立をあおる事となる。
 5月21日、タイ王国王室海軍に第一陣として駆逐艦『峯風』―――タイでの名前は『チャル』―――を初めとする8隻が納入された。これに対し、英米は連署で抗議を行う。特にイギリスのチャーチル首相は協定発効のときとは裏腹に激烈な調子で非難を行った。

 そして6月、アメリカは日本への通告に在米日本資産の凍結を匂わせる発言を行った。同時に英蘭は東南アジア地域植民地からの日本への資源輸出を禁止する措置を取った。英国はともかく、オランダがこの挙に出たのは王室亡命先の英国の感情を考慮しての事だろう。ビルマと面するタイ王国の軍備拡張を支援する日本―――タイの軍事力強化は必然的にビルマへの増援につながり、それはアフリカでドイツ軍に対する戦力を低下させる―――は英国に取り、潜在的敵国とでも呼ぶべき存在だからだ。
 無論日本政府はこれに抗議、米国側も議会がこれに反発、議会は大統領が日本政府と協議の場を持つことで暫定的にこれを承諾した。
 結果、日米は外交交渉をワシントンで行う事となり、全権大使として野村吉三郎予備役海軍中将が派遣された。米国側は日本への措置に対し強攻策を取る民主党と宥和策(というよりは傍観)を取ろうとする共和党の間で揺れ動く。日本側はルーズヴェルトが最初からこの交渉を潰す事を画策し、日本を追い込もうとしていると感じ取る。どう見てもこの交渉は、予定された結末への、外交という名前の道程でしかなかったのである。

 それは、まさしく戦争への展望だった。



 一九四一年 7月12日
 アメリカ合衆国 ワシントンDC
 日本全権使節団宿舎


 室内を丹念に調べ回っている男たちはベッドの下、コンセントの裏側など、あらゆる場所を探し回り、目的のものを捜し求める。彼らの挙動はどう見ても官僚のそれではなかった。官僚とは国家運営専門家を指す。そして国家運営と所謂家捜しの間にはその意味においてならばともかく、行動において共通性はない。そのはずだった。
「あったぞ」
 1人の男がコンセントの裏側を示しながら言った。
「こちらもだ」
 天井裏を探っていた男だった。
 それらを脇目で見ていた使節団長、野村吉三郎は溜息を吐いた。
「まさか、使節団宿舎にこんなものを仕掛けているとはな」
「大使、ことは国家間問題です。まぁ、これぐらいは当たり前でしょう」
 野村が覚えている限り、坂本という名前の陸軍将校はそういってのけた。陸軍将校とは言っても現在は背広姿、軍人というものは背広を着ていても所作でそれとわかりそうなものだが、この男に関してはそう言った、ある種の存在感というものが明らかにかけている。おそらく、黙り込み、部屋の脇にでもいれば気付かないだろう。そんな感じを受ける。
「坂本君」
 少佐とは絶対に呼ばないでほしい、そのように言われている。野村は言った。
「もしかして、だが」
「ええ、大使」
 坂本は頷いた。
「彼らは20年ぐらい前からこんな手を使っています。伝声管、盗聴器、暗号解読などなど、あらゆる手段を使っての盗聴。勿論、外交交渉において相手の妥協点を知っておく事が何を意味するのか、外交にお詳しい海軍出身の閣下にはおわかりかと存じます」
 坂本は言い、野村は頷いた。口を開く。
「しかし、これで」
 坂本は首を振った。
「いえ、終りではありません。これから職員の方々には外出から帰って来たらば即、入念な身体検査を受けていただきます」
 野村が眉を上げた。言わんとしている事がわからないほど年を取ったつもりもないし、ありていに言えば坂本の言葉は直截に過ぎた。
「つまり、何時に無く厳重に」
「今までがだれ過ぎていただけです」
 坂本はいい、野村は頷いた。


 翌日
 アメリカ合衆国 ワシントンDC
 ホワイトハウス


「閣下」
 大統領補佐官が車椅子の男に呼びかけた。
「日本側の様子はどうだね」
 合衆国第三十三代大統領、フランクリン=デラノ=ルーズヴェルトは答えた。ハバナ産葉巻を口に咥え、紫煙を吹かしている。
「現在宿舎で明日からの階段、その資料収集と整理に時間をかけているようです。しかし、今までとは違い、盗聴器その他が効きません。まぁ、彼らもそれなりに外交というものをわかってきた、ということではないでしょうか」
 ルーズヴェルトは苦笑した。
「まぁ、何時までも続くとは思ってもいなかったが」
 車椅子の取っ手を持っていた看護婦に頷き、向きを変えさせる。
「とはいえ、我々としても日本との会談に臨まねばならん訳だからな」
 補佐官は頷いた。
「我々の要求としてはどうしたものだろう?」
「まずはやはり、日本から自由フランスの承認を取り付けることでしょう」
 補佐官は言った。日本側はイギリスに亡命したシャルル=ド=ゴール将軍の自由フランスではなく、ペタン将軍のヴィシー・フランスを正統なフランス政府として認可している。
「それからでないと、我々のインドシナに対する要求に入れません」
「そして日本側が断れば」
 補佐官は頷く。
「ええ。この要求は会談の前提事項です。ここが紛糾すれば」
「我々は更なる要求を追加出来るという訳だ。それこそ、日本の軍部が大騒ぎとなり、こちらに戦争を仕掛けなければ立ち行かないと思うほどに」
「それには、まず」
 補佐官は言った。
「彼らがアメリカにどれほど依存しているか、思い知らさねばなりません」

 即日、アメリカは交渉妥結までの期間、日本への鉄鋼・石油の輸出を停止する旨を発表した。



 一九四一年 7月15日
 日本帝國 横須賀
 海軍横須賀工廠


「気をつけてください!」
 海軍横須賀工廠の船渠、一隻の戦艦が起工され、現在、進水に向けての最終チェックが進められている船台を視察している将官に案内役の造船士官が声をかけた。
「わかった」
 頷いたのは山本だった。帝都に顔を見せた山本を馬渕が発見、面倒な仕事の一つを任せたという訳だった。山本の後ろには浅黒い顔立ちの将校たちが続いている。どう見ても日本人ではない。
「アドミラル・ヤマモト」
 将校の1人が声をかけた。肩章は大佐を示している。
「なんですか、ラッタル大佐」
 山本は答えた。士官はタイ王国の王室海軍の士官だった。
「日本の工業技術は素晴らしいですな、発注から半年も経たずにこれだけの船舶を進水させようというんですから」
 これだけの船舶、ねぇ。山本は内心で溜息を吐いた。排水量35000t、改装した金剛級と同等だろうか、まぁ、これぐらいのサイズであるならば進水まで半年というのはある意味早いといえるだろう。実際の建造が打診直後に始まっており、書類上では半年、実際上は9ヶ月という建造期間は戦艦と言う艦種を考えると異常だな。とはいえ、船渠が船渠だからな。
 山本が現在視察しているのは戦時に巡洋艦(特に被害が大きいと判断される軽巡洋艦)を量産するために戦本が横須賀に設置した40000t級乾ドックの一つだった。8000〜10000t級巡洋艦を二台同時に建造できる事を主眼において建設されたドックは、現在、タイ王国王室海軍に輸出する予定の戦艦を建造するために使われている。
 戦本が日本帝國における問題として考えたのは、まず何よりも土木作業機械全般―――勿論其処にはクレーンなども含まれる―――が概して少ないという事だった。そのため、戦本ではこれらの強化がまず最初の最優先課題として扱われた。旧式戦車の車台やら、戦車工廠を使っての生産は順調で、更にこれらの作業機械の能力向上にも向けられている。このドックでもうすぐ進水を迎えようとしているこの戦艦が、進水まであと少しなどという急ピッチで建造できたのも、これらの技術向上が大きい。
 土木作業機械の能力向上、そして総台数の増加は、必然として作業を高速化する。
 更に、この戦艦の建造においては臨時のクレーンを建設するなど、徹底した作業高速化が図られている。勿論この措置は永続的なもので、何よりもまず船体を進水させる事が主眼だ。進水させてしまえば、あとは岸壁に係留しての艤装作業が待っているだけだからだ(とはいえ、これに時間がかかるのだが)。
 日本帝國がタイ向けに建造しているのは金剛級をベースにした巡洋戦艦である。
 何故か。簡単だ。砲さえ据えてしまえば良い。装甲に関してはとりあえず30cm砲弾に耐えられるように。ああ、副砲その他も改装で取り外された奴を使ってしまえ。
 結果、廃品利用で一隻戦艦をでっち上げてしまおう、というのがこの戦艦の建造主眼となった。まぁ、相手はタイだ。東南アジアの状況を考えた場合、戦艦砲戦なんぞ起こりえない。せいぜい巡洋艦が相手だろう。だったら戦艦よりは巡洋戦艦の方が建造しやすいし、小さくてすむ。というのが現状認識だった。
 また、兵装もこれに倣っている。主砲は扶桑・伊勢級の改装で取り外された35.6cm砲だ(扶桑・伊勢級は空いたスペースに高角砲・機銃などの対空兵装を装備した。結果、両級は35.6cm砲10門の戦艦となった)し、副砲は最上級の航空巡洋艦化改装で取り外された14cm砲、高角砲も特型駆逐艦の海上護衛総隊への移籍・改装で取り外された旧式の7.6cmだし、機銃も同じく25mm機関砲だ。
 結果、改装で炙れた兵装の塊と言うべき戦艦が出来上がる予定となった(そして勿論他の兵装も輸出用に建造している艦艇に移設される)。しかし、戦本では旧式の方が資料もあるし、使用上のデータもある。タイ海軍がこれを早期に実戦力として使えるのではないか、と言った。少なくとも嘘はついていない。
 新造戦艦ではあるが、輸出用である故にこのような戦艦が完成する。
 山本は内心で苦笑せざるを得ない。タイの方々には絶対口外することは出来んな、と思っている。なにしろ、彼らにとっては自国海軍が始めて持つ戦艦だからだ。
「これで、イギリスもやすやすと我が国に手は出せんでしょう」
 ラッタル大佐が興奮と共に言う。山本は内心の苦笑を噴出しかけ、慌てて横を向いた。こいつら、史実と同じくシンガポールに東洋艦隊が前進する事態になったらどうするつもりだ、と思っている。と同時に、改めて思う。
 開戦。
 山本は思う。それが近い、と。今年中の開戦は無いだろう。戦本から使節団に送り込んだ坂本少佐からの報告では、使節団は少なくとも来年6月までは交渉を引き延ばすことを目的とする、という報告を受けた。アメリカが日本への鉄鋼・石油輸出の禁止を打ち出したのは外交というものを考えるならば異常もいいところ、歴史どおりに開戦となるはずだが、今回は中国と満州国、それにタイとヴェトナムがこちら側だ。鉄鋼・石油についての問題はない。となれば、在米日本資産の凍結――――そして没収を行うだろう。
 山本は憚りを、といって船渠から出た。喫煙所を見つけるとそこに据えられたソファに座り、煙草を取り出す。
 おそらく馬渕の奴は在米日本資産の没収を持って開戦への最終ラインとするつもりだろう。共和党系の新聞社への接触を命じていたから、それに間違いは無い。おそらくそれは来年だ。アフリカのドイツ軍は史実のように独ソ戦が起こっておらず、マルタ島が陥落しているため補給が容易だ。アレクサンドリアまでは進撃を続けられるだろう。中東に関してはイラクを主軸だな。其処まで行った所でイギリスはアメリカをせっつき、アメリカは日本をせっつく。そのタイムリミットは駐独大使館が伝える所では遅くとも来年8月。
 さてさて、どうなることやら。山本は溜息を吐き、煙草を吸った。
2008年02月09日(土) 13:15:37 Modified by prussia




スマートフォン版で見る