Ready to War5


 一九四一年 十一月十一日
 日本帝國 東京 東京駅
 5番線ホーム


「お久しぶりです、馬渕大将閣下」
 片言の日本語。無理もない。それをいった人間は日本人ではなかった。黒髪に黒い瞳。ただ、肌の色、存在感が絶対的に日本人とは違う。それはそうだろう。この男はドイツ人だからだ。
「ようこそ、タンネンベルク少佐。もっとも、昇進されたようだが」
 馬渕は数年ぶりになる旧知の男に言った。日独連絡会議のために日本入りしたドイツ軍軍事顧問団、その出迎えのためだ。とはいっても、ここにはタンネンベルク『少将』を初めとした数人の将校しかいない。顧問団の大部分は満州国で既に活動にはいっている。
「我々から供給できる物資は今回、あまり存在しません。ソ連の了解を得た南方資源……ゴム・キニーネなどの受け取りが主ですね。ああ、勿論いただけるものは頂いて参るつもりですが」
 馬渕は表情を変えずに言った。
「その代わり、技術及び各種軍事技術に関する情報、そういうわけかね」
 タンネンベルクは頷いた。
「実際の所、国内では戦勝続きで国民の不満が逸れているものの、軍及び軍需企業、そして党を巻き込んだ対立の構図が出来上がりつつあります。今回の本当の主題はそれの是正にあります」
 馬渕は頷き、出よう、と言って改札を出た。東京駅の改札前には出迎えのハイヤーが駐車していた。勿論、彼らの送迎のためだ。小沢大尉が頷き、扉を開ける。馬渕はタンネンベルクと共に後部座席に、小沢は助手席に乗り込んだ。
「実際、どうなのかね。あの太っちょの国家元帥は」
 馬渕はハイヤーが走り出すと言った。タンネンベルクは質問を誤解しなかった。
「名誉を保証する、という条件付でならば扱いやすい御人です。親しく手紙を交換していれば中々見目の良い御仁ですし。それに、我々が中毒の治療を世話したところ、柔軟性からすれば前よりも段違いになった、というところでしょうか。どうも、空軍と海軍連と仲が悪いのは、軍内部における海軍の位置の悪さにあると思われます。海軍にも前大戦のやむにやまれぬ事情があり、また世評もFreet In Beingでよくありません。それに総統はKriegsmarineよりもImperial Navyを重視しています。これについてはヤマモト閣下とキムラ閣下にも責任がありますよ。軍事顧問団の大半が教練関係にまわされて、意識改革が急速化しています」
「海軍と陸軍はどうなのだ?」
 ハイヤーの運転手から、道が混雑しているから回り道をしてもどるという言葉を聞きながら馬渕は言った。
「バルト海、北海ノルウェー沿岸部の安全は空軍と海軍によって確保されています。大型艦の建造が『改グラーフ・ツェッペリン』―――正式名称『フライヘル・フォン・リヒトホーフェン』級2隻、『フライヘル・フォン・リヒトホーフェン』及び『ヘルマン・ゲーリング』と、『H42』―――正式名称『フリードリヒ・デァ・グロッセ』に限定されたのが大きいですね。資材の大半をUボートと駆逐艦に回せています」
「戦艦を一隻に?」
「2番艦の建造は資源備蓄次第、明年の軍需諮問会議の結果によります。艦名は『デァ・フリートランデル』です」
 フリードリヒ大王にヴァレンシュタインか。シラーの戯曲でもあるまいに。馬渕は苦笑しかけた。
「要する資源は?」
「軍需省のおかげで人造石油の生産が軌道に乗っています。また、海域の安全確保で鉄鉱石の流入も好調です。陸軍も現在、20個装甲師団体制に移行中ですが、アフリカ以外に戦線を持っていないので、更新は順調です。また、四号戦車J型のイタリア・フランスにおける生産が開始されました。フランス生産分はドイツに輸送され、イタリア軍はこれによって順次、ドイツ製に切り替わる予定です。歩兵師団の自動車化改編作業も順調であり、また陸軍の動員が一部解除された事、軍需相シュペーア閣下の下に軍需生産が一元化されたこともあって、工業生産はかなり伸びを見せています。ザウケル氏などはいい顔をされませんでしたが」
「なるほど。それで、空軍の方は?」
「今回の中心課題はそれです」
 タンネンベルクは言った。馬渕の瞳を覗き込むように。
「国家元帥閣下―――正確にはエアハルト・ミルヒ閣下などですが―――と取引が成功し、フォッケ・ウルフとドルニエが海軍機生産を担当する事になりました。現在、両社はそちらから提供された九九式艦爆『コメート』のライセンス生産に移っています。『コメート』で一時を凌ぎ、その間に海軍向け機体の製作に取り掛かるとの事。『コメート』の一部は空軍も使用するようです。海軍航空隊発足は総統の認可を得、現在、バルト海で戦闘訓練中です」
「となると、空軍機はメッサーシュミット、ユンカース、ハインケルかね?」
 馬渕はドイツの航空機会社を思い浮かべて言った。
「メッサーシュミット、ユンカースについてはその通りですが……エルンスト・ハインケル博士は流石に拙過ぎました。党を必要以上に嫌いすぎたのです。空軍機選定からも排除され、実際の所、新型機の開発を取り止めざるを得ません。おそらく、現在空軍に供給しているHe111の後継機によって排除されるでしょう。ユンカースのJu88シリーズが既に後継機のJu188でダイムラーの新型エンジンを採用し、採用される運びですから。He177は開発中止命令を『出しました』し、補助機関連もブローム・ウント・フォスやヘンシェル、アラド製が強くなっています」
 馬渕は言葉に隠された響きを誤解しなかった。
「つまり、何を言いたいのかな」
「閣下、私は既にSD長官ヴァルター・シェレンベルクから貴国がハインケル社に興味を持っている事を知らされています。ヴィリー・メッサーシュミット博士はハインケルからジェット戦闘機を奪い取るつもりです。おそらく、それは避け得ないでしょう。戦間期、ハインケルは現空軍関係者を嫌いましたから。あそこは完全に国防軍的なのです」
 タンネンベルクは警護のサイドカーを見やりながら言った。いや、それ以前に東京の街中を走る車両の多さを数えているかのようだ。無理もない。ここ十年、急速なモータリゼーションが日本では進んでいる。全て、中国という経済植民地のおかげだった。
「閣下。我々からのお願いというのは、ハインケル社の日本、もしくは満州国への移転をお願いしたいのです。既に博士からの了解は取ってあります。おそらく、結局は何処かの財閥の航空機部門として生命を永らえる事になると思いますが」
「誇り高いハインケルが良く承知したね」
 タンネンベルクは車の天井を指差した。勿論、指しているのは天井ではない。
「空への希求」
 タンネンベルクは言った。
「航空機開発者にはそれが必要不可欠です。そのためには、どのようなものも厭わない。『ライト・スタッフ』的でありますが」
 馬渕は鼻で笑った。話を切り出してくれ、か。ここまで言葉を選ばれてはな。嘆息する。幾ら彼でも、戦後航空宇宙開発史を描いた有名な映画を知らぬ訳ではない。ならば、エルンスト・ハインケルの役どころはフォン・ブラウンと言う事か。ならば誰がアイゼンハワーたるのか。
「君たちは一体何者なのかね。ナチスとも、ヴェーアマハト(国防軍)とも違うようだが」
 馬渕は話を切り出した。小沢の背中がぴくりと動き、左腕が微かな動きを見せた。用心しすぎ、というわけではないが。馬渕は息を吐く。彼は小沢が拳銃を抜いた事を確信していた。
「おそらく、閣下と同じかと。我々の言葉でいえばブンデスヴェーア(連邦軍)になりますか」
 タンネンベルクは言った。馬渕は眉を動かした。小沢の首が微かに動く。シート越しに狙いをつけたか。
「どういうことだろうね」
 馬渕はとぼけてみせた。タンネンベルクは小沢に何事かを話す。曰く、銃をむける必要は、おそらくないですよ。タンネンベルクは振り返った。
「我々が信用できない。当然です。拳銃を突きつけられても文句は言えない。当然です。しかし、これならばご納得できるでしょう。私の両親はシュバインフルトに住んでいました。いえ、今は住んでいます」
「……カーチス・ルメイ。いや、ヘンリー・アーノルドか」
「そしてミレニアム・ボマー作戦です。貴方にしてみればトウキョウ大空襲と言えばいいかもしれませんが」
 馬渕は頷いた。
「我々の組織は既に知っているのだろう?君らの方をお聞かせ願いたいな。信用していただけるのであれば」
「参加者は今のところ、私、バイエルライン大佐、シェレンベルクSS少将、ハンス・オスター少将、シュペーア閣下、そして……」
「ラインハルト・ハイドリヒ」
 タンネンベルクは頷いた。馬渕とて伊達にドイツに旅行しにいった訳ではない。アルゲマイネ親衛隊の根幹であるRSHAの動きには注意を払っている。そして、国防軍少佐であったタンネンベルクをまるでSS大将のように扱う親衛隊員を見ている。
「もっとも、ハイドリヒ氏は逆行者ではありません。味方に引き込むことにためらいもありましたが、実際の所、ナチスは大恐慌のおかげで行き場が無くなった者たちの集まりなのです。そこには当然ながら有能・無能が混在する。レイシズムもその欠陥の一つですが、人間、余裕が出来れば他人にも寛容になるものです」
「だから、未来を知っていることで彼に知識と余裕を与えた。自らの運命も教えた」
「シェレンベルクの発案ですが」
 これは、RSHAの主導権がハイドリヒにではなくシェレンベルクにある事を意味する言葉として馬渕は捉えた。ハイドリヒはどう出る?いや、結局の所彼も組織の一員。であるならば、利用できる者は利用するか。馬渕はこれを機会に出来うる限り踏み込んでおく必要を感じた。
「規模は?」
「総統は既に取り込みました。子飼いの軍人として私とバイエルラインがいますし、実務家としてシュペーア閣下が、保安責任者としてハイドリヒ氏が、諜報のそれとしてシェレンベルクがいます。実際の所、総統は国防軍に発言権を持つため我々を必要とし、我々は国防軍側との折衝を運びやすくする役割です。人間、要は扱い方次第。その人間が最も能力を発揮できる状況を提示する事が重要です。その点、『前』は総統に重圧を掛けすぎました。ドイツ人の尺度で測ってはならないのです、あの人は。……オーストリア人ですので」
「実行戦力は」
「ブランデンブルク部隊、及び総統護衛連隊は既に。組織上、総統最高副官である私の指揮下にあります。責任者はクルト・マイヤー大佐、及びオットー・スコルツェニィ中佐です」
「丸眼鏡のはげ男と首相気取りの秘書官は?」
「丸眼鏡は総統次第で如何にでもなります。秘書官はテレックス・タイピストとのゴシップで既に」
「B部隊を押さえているのであればカナリス閣下はどうしている?」
「それはオスター少将が。閣下ならばご存知でしょう?オスター閣下が元の歴史でどのような立場にいたのかぐらいは……どうでしょう?」
 タンネンベルクはまるでセールスマンのように自己の状況をあからさまに語った。ふ、こちらが赤心をおかれるとはな。
「ヴァルキューレ計画など虫が良すぎるように思ったがな。それで、大戦後の構想は?」
「EUを目標にしております。ために、ヴィシー・フランスと戦後、現在占領下にある北フランスの返還する旨の協定が来月発効します。ポーランドも同じく」
「ドイツの領土としては?」
「ヴェルサイユ以前に。これが最低ラインです。別に国歌にあるようにマース川からメーメル川、などとは申しません」
 マース川は元ベルギー領だ。これは、ベネルクス三国の復活を言っている。
「……いいだろう。君たちとの同盟を受け入れよう」
「独ソ開戦後の連絡については?」
「実際の所、北極海を飛行艇で、などとも考えたが、現行の技術では無理がある。常時北極海に潜輸を貼り付ける必要があるからな。そこまでの余裕はまだない。実際、君たちは開戦をどれぐらいだと考えている」
「来年、敗戦の日です」
「冬まで半年、か。クレムリン狙いかね?」
「既に南ロシアのコサックには接触を続けています。バルト三国にも。日本は既にご承知のはずでは?」
 沿海州にユダヤ人を続々と受け入れているのですから。そういっていた。日本が沿海州をユダヤ人の共和国化する方針を既に見抜いている、そう言っている。実際、日本は対ソ参戦を迎えた際、合衆国のユダヤ人を味方につけるため、内々で動いている。ナホトカを首都とし、浦塩は日本側領土という形でだ。
「了解した」
 タンネンベルクは一礼し、言った。
「他の協議に関しては明日以降、バイエルラインも交えて」
「いいだろう。こちらも山本を呼んでおこう」


 軍神山本
 第二十七話:『会談』

 一九四一年 十一月十二日
 日本帝國 東京 市ヶ谷 戦本
 戦本第七会議室


「それでは、これから日独高級武官連絡会議をはじめたいと思います」
 厳かに言ったのは現在は陸軍に所属している(事になっている)沢本中将だった。彼もまた未来からやってきた自衛官の一人だった。未来での配置は揚陸艦に搭載されている独立第一戦闘団司令。現在はそれを拡充した近衛教導軍団司令(師団規模)である。
 会議は市ヶ谷の戦本、その第七会議室で始められた。会議の前に充分に背後関係が洗われたものと未来組が合同して防諜作業に当たった。また、戦本は第七会議室を中心とした厳戒態勢を敷いている。
「まず、会議出席者の面通しから。小沢大尉、各官姓名を読み上げてくれ。また、読上げられた各官に置かれては一礼願いたい」
 小沢は一礼して立ち上がり、名簿を片手にまず、ドイツ側の士官たちに顔を向けた。口を開く。流暢なドイツ語が発せられた。
「まず、日本側から。戦本本部長、馬渕慎司海軍大将」
 馬渕は立ち上がり一礼した。視線がタンネンベルクと絡む。次に横に並ぶ顔ぶれを見る。どれもこれも写真で御目にかかった顔ばかりだ。
「次に席順どおりに、山本二十一海軍元帥、堀悌吉戦本海軍部長、沢本荘一近衛教導軍団長、永田鉄山戦本陸軍部長、大西滝次郎戦本空軍部長、並びに後列に並んでいるのは戦本所属幕僚であります」
 小沢の目配せにドイツ側の参謀が名簿を片手に近寄ってきた。おそらく、日本語での正確な発音が期しがたいのだろう。無理も無い。日本は彼らにとって10年来の同盟国だが、奈何せん陸軍が2等とみなされてきた。ために日本語を解する士官が少ない。タンネンベルクはそれでも流暢に話すほうだが、彼がここで口を挟むのは慣例上拙い。
 小沢は参謀と何事かを話すと首を立てに振った。馬渕に発音上の問題で代行して述べる旨を伝える。
「次にドイツ軍事顧問団。顧問団団長、総統最高副官アントン・フォン=タンネンベルク少将」
 タンネンベルクは立ち上がり、一礼した。優雅な貴族的振る舞い。堀、永田、大西の各部長はフォンの一言が貴族を意味する事を知っている。日本では華族を意味するこの言葉に何かを感じているのだろう。もっとも、プロイセン貴族―――ユンカー―――が結局の所土豪のそれでしかない事を知っている山本と馬渕は白け顔だ。いや、感心さえしている。貴族という肩書を上手く使っている、と。
「軍事顧問団装甲兵科戦務担当、ヘルマン・フライヘア・フォン=オッペルン=ブロウニコスキー大佐」
 馬渕の眉が上がる。とはいっても、ここにいる者たちからすれば紹介の必要のない顔だった。ロサンゼルス、及びベルリン・オリンピックで日本の西男爵と馬術障害で金メダルを争ったからだ。馬渕が眉を上げたのは、オッペルン=ブロウニコスキー家が生粋の貴族だからだ。続く顔ぶれとあわせてみる事で、この顧問団が貴族・非貴族のバランスが良く取れた編成である事に思い至る。これも一つの外交的
手法。そういうわけか。
 オッペルン=ブロウニコスキー男爵家は元来がポーランド貴族であり、プロイセン王家に側近として長く仕えてきた血筋でもある。ユンカーごときなり上がりとは少々違う色合いを持っている。いや、バランスを取ったと考えるべきか。
「軍事顧問団歩兵科戦務担当、クラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク大佐」
 こちらも貴族。ただし、シュタウフェンベルク伯爵家は中部ドイツの名門貴族だ。なにせ、先祖がナポレオンを破ったライプチヒの会戦で連隊長を務めてもいる。これでライン貴族がいればドイツ貴族の四タイプ、全てが揃うのだがな。そこまで期待するのは業腹か。
「軍事顧問団情報担当、ラインハルト・ゲーレン中佐、軍事顧問団、装甲教導団司令、ヴィリィ・ラングカイト准将……」
 小沢少佐の紹介は続く。馬渕は紹介を耳に留める必要を感じず、今回ドイツから派遣されてきた人員の名簿に目を通す。今回は軍事顧問団だけではなく、官僚へのアドヴァイザーなど、軍事、行政機構全般に渡る日独の人材交流が狙いだからだ。特に、行政派遣団は2年の長期滞在が見込まれている。
 名簿に目を通し始めた時、馬渕の目が細められた。


「中々の顔ぶれ、だな」
 休憩時間、馬渕はタンネンベルクを喫煙所に呼び出し、開口一番そう言った。
「はは、実戦派と呼ばれている方を集めたつもりです」
 照れたように頭を掻くタンネンベルク。なるほど、腹芸の心得もあると。
「それは私を過小評価しすぎではないか?」
 馬渕は冷淡に言った。
「……どういうことでしょうか?」
 初めて表情が変る。
「簡単な事だ」
 馬渕はパイプに火を着けた。ツバメ印の徳用マッチを煙缶に放る。
「同時に来訪した親善団、おそらく、独ソ開戦を控えた現在では帰すつもりはないのだろう?」
「だから、どういうことかと……」
「SPD(ドイツ社会民主党)、FDP(自由民主党)、CDU(キリスト教民主同盟)」
 タンネンベルクの眉が跳ね上がる。
「クルト・シューマッハー、エルンスト・ロイター、テオドール・ホイス、ルードヴィヒ・エアハルト」
 タンネンベルクは観念したとでもいいたげに頷いた。先を促す。
「中心となっているのはクルト・シューマッハー。戦後西ドイツ政治の大立者。アデナウアーを入れていないのは彼が名前が売れすぎているからか?他の者も随分『五十年代以降』に見る顔だな。おそらく、アデナウアー以外の者たちのナチ政権下での死を恐れているのだろう?彼らが生き残ったのは僥倖もいいところだ。活動の中心がライン川沿岸という事で、ナチの中心であるブランデンブルク、及びバイエルンからは離れている。軍事顧問団に関しては尉官クラスで来ている顔ぶれに任せる気だな。あえて独ソ戦、及び戦後冷戦の立役者で占めたのは、戦本の目を逸らす為、というところか。特にシューマッハーは強制収容所で循環器を酷く患い、助け出された時には右手切断を余儀なくされた。彼の早すぎる死はドイツの損失だった」
「やはり……あなたは怖い人だ。実際、本国でも少しばかり風当たりが強いのは確かです。党の要人の間ではポスト・ヒトラーは常に興味の中心であります。……正直に言いましょう。我々に取り、所詮、ナチス体制はこの戦争を乗り切るための方便でしかない」
「やはり、本来の狙いは『この戦争に勝利し、尚且つ戦後の西ドイツ的ドイツを生成する事』か」
「自分の生き方は最後の瞬間まで自分で決めたい、そう想っておりますので」
「日本が直接攻撃を受けないという補償は無いのだがな」
「我が国と違い、日本が直接攻撃を受けるようになれば戦争は終りでしょう」
「確かに。島国の哀しい所だな」
「総力戦を進めるには国を無理やりにでも一つにしなければならない。彼らは有能である事は確かですが、それでも、今回の総力戦にとっては邪魔なのです」
「総力戦は国家体制を破綻に追い込む。結局、アメリカのような化け物国家でもない限り、総力戦を行った国家は全て、政体の急激な変革を求められる、そういう事になるな」
「ええ。イギリスはインドからすべての富を吸い上げ、そしてまた、マーシャル・プランの恩恵によって辛うじて体制を維持する事が出来ました。しかし、それでも、それまでの保守党政権から、労働党を政権に入れざるを得なくなった。最終的には政権交代。あのような国にとっては、これもまた、革命的な社会変革といえるでしょう」
「つまり、君たちはナチスの次をも見据えている。そして、それには西ドイツ型連邦国家が最適と判断した。彼らを日本へ渡らせたのは、身の安全を保障するとともに、海外で活躍したという箔をつけさせるため。いかな分国連合ドイツといえども、海外で活躍するという事は分国に共通して尊敬を勝ち得る一つの方法とも言える」
「ええ、我がドイツは分邦体制が長く続き、そして第二帝国まで生き残った国家においては、小規模ながらナショナリズムににた――――それこそ、シュターツリスムとでも呼ぶべき概念の発生を見ています。それは、ベルリン中央政府に対抗しようとした、フォン・カールのバイエルン独立構想でも言えるでしょう」
「……ああ、あのミュンヘン一揆を利用したあれか。ノスケが力で叩き潰した」
「ええ。あの時代、あの状況でバイエルンがヴァイマール共和国から独立する事は、バイエルンの責任をヴァイマールにお仕着せ、逃げようとする行為に他ならない。グスタフ・ノスケ、及びそれを命令したエーベルト、ゼークトは正しい判断をしたのでしょう。しかし、ここで問題になるのは、今ナチス体制によって押さえ込まれているそれが、戦後、必ず奮起するという事です。これをノスケと同じ方法で押さえる事は不可能でしょう。戦後西ドイツは、赤いドイツとソ連の脅威でそれを何とか生しえた。しかし、今度の歴史においてそれが発生する確率は少ない。勿論、我々の動きが上手くいったとしての話ですが。ならば」
「緩やかな連邦体制で弛緩を図る。無論、ヨーロッパ連邦構想を軸にすると」
「モデル・ケースとして、という題目が出来るでしょうし」
「そして欧州連邦では連邦の経験があるドイツが舵取りを握る。客観的判断力―――外から見たドイツを知る彼らを中心とすることで。上手い手だな。あくまで。机上の論にしては」
「それを実行に移すのが我々の努力です」

 一九四一年 同月同日
 アメリカ合衆国 ワシントン特別区
 国務省 長官執務室

「特命大使、このような文書を手渡さざるを得ない事を私は残念に思います」
 国務長官、コーデル・ハルは前置きを一切省いてそう言った。室内には野村とハルの二人しかいない。
「朝一番の呼び出しで困惑しております、国務長官。昨日も遅くまで突き詰めましたが、合意には中々至らぬものですな」
 野村は眠たげな声でそれに答えた。
「残念です」
 ハルは野村の言葉に答えようとはしなかった。台本を棒読みするかのような口調で机の上の文書と野村の顔とに視線を送る。
「……何か、起きたのでしょうか?」
「グルー大使とは親しいのでしたな?」
 野村は頷いた。
「私も彼とは親しかった。彼の送ってくる日本に対するある種の憧憬ともいえる感情が篭った手紙は、私にとって日本への興味を抱かせる原因ともなった。上院議員のマクガーレン……ああ、彼は共和党だが、私的には親しくさせてもらっている……もそうだ」
「それが、どうしたのでしょうか?」
 ハルは溜息をついた。
「実際の所、私は戦争に乗り気ではない。下院院内総務のトルーマンもそうだ」
 野村の眉が動く。いま、確かにハルは戦争と口にした。
「しかし、ホプキンスやノックスは目を輝かせている。艦隊ではキンメルやキングだな。スチムソンは声高に反対を唱えているし、マーシャルは戦備に不安があると言っている」
「……閣下、これは……」
 ハルは手を振った。野村は黙る。頼むから話させてくれとでも言わんばかりの態度だった。
「だから、私は強行に迫った。君に。あの案を飲め、と。飲んでくれれば、いま少しの時間が稼げた。しかし、もう無理なのだよ。中間選挙が迫っている。大統領は三選をお望みだ」
 野村は息を飲み、そしてそれを溜息として吐いた。無理か、やはり。アメリカ大統領は二選が限界のはず。それを三選を望むという事は―――――
「私の私案ということになっている。表向きは。ただし、君たちには最後通告であり、アメリカ政府としてはこれを私案として逃げ道を確保する。そういうことだ」
 ハルは呼び鈴を鳴らした。隣室で待機していた補佐官、及び日本大使館員らが入室する。
「ここに、合衆国国務長官コーデル・ハルは日本帝國特命全権大使野村吉三郎に覚書を手交する。これに対する迅速な回答を合衆国は希望する。ただし、爾後の交渉に関してはこの覚書が基礎的な案として認知されている事を前提に合衆国側は審議する事になる」
 ハルの瞳は普段と変らなかった。職務に忠実な、いや、国家に忠実である事を誇りとするアメリカ人気質がそこにはある。それが、例え間違っていると彼が感じていたとしても。国民が選出した大統領の決定を合衆国は重視する。それが、それが―――――

 それが、たとえ合衆国史上最悪の独裁者であろうとも。

「一、合衆国政府は極東における日本権益の状況を1930年の段階にまで遡って再構築する事を提案する。二、現在世界戦争を起しつつあるヴァイマール・ドイツ共和国、及びイタリア王国との同盟関係に関しては1939年の防共協定の段階まで後退する事。三、現在、中華民国及び満州国と称する地域に派兵している全日本軍の撤退。四、ヴィシー・フランスを名乗るドイツ傀儡政権から委託されているインドシナ統治権をフランス共和国に返還する。五、現在同盟関係に基づいてドイツ、及びイタリアに派遣されている軍事顧問団の早期帰還。六、同盟関係に基づくドイツ、イタリアとの軍事的業務関係の完全撤廃……」
 野村は暗澹たる面持ちで言葉を聞いていた。独裁者の時代。日本を発つ前、戦本本部長の馬渕大将から聞かされていた言葉だった。それを聞いた時、スターリン、ムッソリーニ、そしてヒトラーの顔が浮かんだ。無理もない、と正直感じたことも確かだ。しかし、最も日本にとって恐るべき独裁者は、海を隔てた隣国の最高権力者だった。
「最後に、この覚書に対する明確な回答が合衆国政府に手交され、及びそれに基づく審議の再開まで、暫定的ながら、合衆国に存在する全日本資産の凍結、及び日本との経済活動、人事交流の停止を執り行う。合衆国国務長官、コーデル・ハル。一九四一年十一月十二日。尚、付随事項の実行は本日を持って開始される」
 ハルは読み終えたそれを野村へ手渡した。
「確かに受け取りました、長官」
 野村は決然と言った。どこが覚書だ、と思っている。完全な最後通告ではないか。
「一言、宜しいか」
 続けて野村がそう言うと、ハルは頷いた。
「奴隷としての生か、個人としての死か。貴方の先程の言葉は、我々に奴隷を求めていました」
 ハルは表情を変えない。
「けれども、思い出して戴きたい。奴隷としての生を世界で最初に疎んじ、誇りを求めたのが何処の国か。他人を奴隷として取り扱う事の愚かしさに国を割ってまで答えを求めたのは何処の国か。あなた方は、かつてあなた方を奴隷として扱った人たちと同じ事をしようとしている。それだけは……それだけは、心に留め置くよう、願いたい」
 野村はそう言うと、落ち着いた動作で立ち上がり、コートと帽子を受け取ると部屋を出た。

 野村が去った後、ハルは再び補佐官を下がらせると一時間の間、誰も近づけるなと命じた。それが例え合衆国大統領であろうとも。脇にある窓から外を見上げる。曇った空。見上げた視線に白いものが混じる。

 雪だ。ああ、そういえば、雪は白かったのだな。
 しばしその思いに身を任せ、心を楽にする。しかしそれをすぐに恥じた。楽。楽だと?
 
 首を振り、目を閉じると瞼をもむ。楽になる資格などあろう筈もない。私の名前で引き金が引かれたのだから。例え、それが私の意志でなかったとしても。ああ。私は何を考えている。誰の意思であろうとも、名前が記載されているものの責任ではないか。でなければ、あの男―――看護婦といちゃつくよりも精神科の医者にかかったほうが良いような―――がこんな手段を使うわけがあるまいに。

 目をあけたそこに飛び込んできた暖炉の火が、彼にはとてつもなく禍々しいものに思えてならなかった。



 一九四一年十一月十二日。アメリカ合衆国から日本帝國へハル=ノートが手交された。かつてのそれよりも若干早いそれは、必然として日米の動きを加速させる。けれど今はまだ、たった十数人のみが知っているだけの話だった。

 一九四一年 十一月十三日早朝
 日本帝國 東京 市ヶ谷
 戦本 本部長執務室


「それで」
 苛ついた声で馬渕は先を促した。外務省からの緊急連絡を自宅で受け取ると、そのまま連絡を持って来た下士官の乗るサイドカー付きオートバイで戦本に飛び込んだのだ。また、前日には真珠湾問題の連合艦隊・国防省合同会合に出席し、もどったばかり―――風呂から出たばかりのところだった。
「はっ、合衆国政府は覚書という形で大使に手交されたようですが、書面形式及び実務上、最後通告に近いというのが外務省の印象です」
「何故だ」
 馬渕は言った。
「早い」
「中間選挙の日程は確かに迫っておりますが、もう少し遅れるものと考えておりました。また、計画ではコードN-08にあわせての出師準備を前提としておりましたので、関係各方面には混乱が」
 いつも馬渕の脇にいる小沢ではなく、別の将校が馬渕に報告を行っている。小沢は先程、かねてからの手筈を整えるために国鉄へ向かっていた。
「とりあえず全軍に第二種警戒待機を命令だ。それ以上は……」
「閣下!」
 新たに入室する参謀、陸軍課の瀬島少佐だった。
「ドイツ軍事顧問団団長、フォン=タンネンベルク少将が面会を願っております」
 馬渕は眉を顰める。
「一人か」
「いえ、駐日ドイツ大使館の武官も一緒です」
 小さい舌打ち。
「タンネンベルクだけ案内してくれ」
 すぐに入室する。どうやらタンネンベルクの方も報告と同時に戦本へと来ていたらしい。
「馬渕大将」
 タンネンベルクが口を開く前に馬渕は言った。
「混乱している、こちら側は。一体何がアメリカにあれを出させた?」
「本国から至急報です」
 タンネンベルクは懐から電文を記したメモを取り出す。
「ん?」
「トルコが参戦しました。及び、中東戦域攻略作戦『アレクサンドル』が開始されたとのことです。既に昨日からDAA及びトルコ軍がパレスチナへ進撃を開始。本日、東部地中海戦域担当の空軍第五航空艦隊が英軍と交戦を開始したと」
 馬渕は溜息を吐いた。
「戦力は」
「DAAは新たに本国から第三十二自動車化歩兵師団、第四十四自動車化歩兵師団及び第十九装甲擲弾兵師団を増派されたとのこと。これによりDAAは三個軍団編制になります。また、第五航空艦隊も臨時に増派を受けているとのことです」
「イギリスがせっついた……いや、中東が落ちれば陸軍は完全に印度に封じ込められる事になる、か。それに現地の反英勢力との関連も。チャンドラ・ボースをまだ握っている事だしな。なるほど、確かに参戦を考えるにはいい按配になる。糞」
 馬渕は毒づき、額に手を当てる。脇に控えていた将校を見る。
「隠岐泊地に展開している第一艦隊及び第一機動艦隊を択捉へ。柱島泊地の第二艦隊を佐世保へ前進配備。他の艦隊も順次出師準備を完了するよう伝達せよ。陸軍は第一種予備役の召集を開始。ただし、予備士官服務過程を履修していない大学生はそこから除く。同時に南部方面軍及び太平洋方面軍の司令部人事を開始せよ。隷下諸部隊に関しては追って発令する」
「はっ」
 将校は頷くと退室した。馬渕は溜息を一つ吐くと改めてタンネンベルクの方を向き、彼がたったままなのを目にとめてソファを勧めた。
「如何も……申し訳ありません」
「君の所は感知していないのだな?『アレクサンドル』作戦に関しては」
 タンネンベルクは頷く。
「OKWで反対意見が根強かった事は事実です。少なくとも我々がドイツを出る前までは。中東に関してはペルシャにおける英ソの勢力圏に問題が絡みます。それに、ユダヤ人問題にも」
「トルコの参戦に関しては」
「参戦の準備のために軍事顧問団が大量に入国していた事は事実です。しかし、装備に関しても様々な問題がありますし、かえって中立の緩衝地帯、もしくは対ソ戦時の参戦を考えていたはずです」
 ということは、タンネンベルクの方は完全にドイツ国内の動きを掌握していない事になる。いや、むしろあのような独裁国家で全てを掌握できるのは独裁者以外の何者でもない、か。権力関係に関する報告は受けたかな。馬渕はそこまで考えを進めると口を開いた。
「率直に言って、この考えは何処から来ている」
「おそらく……いえ、なんとも」
「推測でいい」
「第十九装甲擲弾兵師団師団長はエルウィン・ロンメル中将です。中将はかねがね、ユーフラテスまでの前進を念頭に置くべきだと」
 つまり、攻撃の爾後承認、と。いい気分だろうな、ロンメルは。これだから功名心旺盛な将軍というのは扱いに困る。いや、それはドイツでも日本でも同じか。しかし、トルコまで含めた作戦の開始となると政治的な問題とも絡む。それでは、タンネンベルク派(勿論便宜的な名称だ)以外にも、第三帝國には有力な派閥があるということになる。一昨日の説明ではヒムラーのことをどうこういっていたが、それは話半分に聞くべきかも知れない。
「……了解した。これ以上は同盟国の将官といえども介入を許せない。申し訳ないが大使館での待機をお願いする」
 タンネンベルクは頷くと退室する。馬渕は退室を横目で見ながら電話をとった。
「交換台、亜庭の山本元帥を呼び出せ。それから、呉鎮守府と空軍、陸軍参謀本部との回線を準備しておけ」
「了解しました……亜庭、つながります」
 電話口にでた山本は一気呵成に口を開いた。
「馬渕か!?一体どうなっている!?こちらにも既に即時待機の命令がきているぞ」
「ハル・ノートが出た。既に全軍に第二種警戒待機を命令した。陸軍には第一種予備役の動員を、海軍には藤田と小沢の艦隊を択捉に向かわせるよう命令した」
 そこまで言うと状況がに見込めたのであろう、山本の語気がおさまり、代って懸念を含んだ口調が出てくる。
「……連合艦隊の私案どおりか?」
「この状況では致し方ない。コードN-08はもはや無理に近い。開戦日はどうせそれぐらいになるだろうが、それまでの経過がな。かなり厳しくなる。予定とは全然違う経過になりつつある。全く、好きな時に戦争が出来る国家ほど恨めしいものはないな」
「それに関しては同意する。状況に関しては了解した。こちらは亜庭で即時待機を継続する、出師準備の発令は?」
「すぐに出す。やってくれ。頼む」
 馬渕は電話を切るともう一度交換台を呼び出す。
「交換台、今度は呉鎮の山本大将を呼び出せ」
「……つながりました」
 繋がると同時に落ち着いた声が響く。ここのところが違うのかな、などと馬渕は思ってしまうほど、二人の山本提督は対照的であった。
「山本です、閣下」
「長官、既に命令は通達されていると想うが、藤田と小沢の艦隊を択捉へ派遣する。このような状況下にあっては一番作戦として完成している君のところの案をとらざるを得ない。油槽船等の補助船舶の都合を急いでつける。また、小沢の所には祥鳳と瑞鳳を臨時に組み込む」
「第十一航空戦隊を、ですか?しかし、駆逐艦が足りません。連合艦隊予備は来年の……」
「それは護衛総隊から都合する。とりあえず祥鳳には零戦、瑞鳳にはあれを積み込むように」
「あれですと?兵員の都合は?」
「横須賀の連合陸戦師団第二大隊を都合するつもりだ。今、うちの小沢が必要人数分の輸送を確保に国鉄に向かった」
「他の艦隊については?」
「近藤の第二艦隊を佐世保。それ以外は動員及び出師準備の完了。今の所はそれだ」
「了解しました」
「よろしく頼む」
 馬渕は電話を置くと執務室の外に出、警護の兵を呼ぶ。
「君、皇居へ向かう準備を。三時間後で良いから公用車を門前に待機させてくれ」
「了解であります!」
「それから将校待機室に空員がいれば全員よこすように伝えてくれ」
「判りました、佐川兵長、参ります!」
 馬渕は執務室にもどると幾許かの時間顎を撫で続けた後、電話を手に取った。
「交換台、空軍作戦本部を呼び出せ」
「……つながりました」
「作戦部、大西です」
「大西君、満州国派遣の大陸航空群から第四航空師団を引き抜いて総予備に指定する。それと、南方航空群の司令部人事発令、及び太平洋航空群に本土予備の第七師団を」
「了解しました。しかし、国民党と共産党の……」
「判っている。東郷外相にすぐにでも南京に飛んでもらう。一時的な和平だ。ソ連の方には松岡さんをやらせる」
「共産党の動きを封じると」
「毛沢東の動きはつかんでいる。第四を呼び戻す代わりに、国共講和前の一撃で延安を潰す。これには近衛軍からも部隊を派遣する」
「毛沢東のみを狙った一撃ですか」
「後ろでぞろぞろ動かれるのは拙い。少なくとも年内に。だから来年まで大陸の陸軍は大きくは動かさん」
「判りました」
 馬渕は電話を一回置くとすぐ取り上げた。交換手に手早く要件を告げる。
「交換台、陸軍参謀本部の永田大将を」
「……つながりました」
「永田さん、陸軍のほうは如何ですか?」
 会話が柔らかいものになっているのは相手が永田鉄山からだろうか。どうも、馬渕には軍事騒乱で暗殺、又は閑職へ追い込まれた穏健派の軍人に対しては丁寧に対応する癖がある。
「先程第一次予備役動員の知らせを受け取りました。既に課は動いています。……大陸の件ですか?」
「はい。大陸で国共両党の動きに拘束されるわけには行きません。毛沢東狙いで延安を潰します。もし開戦するとした場合、本年度の陸軍の主攻戦域は半島戦域に限ります。本土からはだいぶ動かす事になりますが、大陸からは動かしません」
「了解しました。とりあえず常備師団で編成を完了したものから半島に送ります。南方軍の人事は先ほど発令しましたので、おそらく来月までには司令部人事、及び展開が可能でしょう。海空軍による支援を願います」
「それは既に。おそらく南方作戦は第二艦隊を基幹とした海軍部隊、及び新編の南方航空群が支援に当たります。具体的な戦力配備に関しては後ほど」
「判りました。日程は?」
「明日にでも将官級の会議を設定します。計画とはスケジュールが異なりましたので、日程の帳尻合わせも含めて。また、これから参内します」
「判りました、準備に関してはお任せください」
「頼みます」
 馬渕は電話を置くと溜息を吐く。しかし一、二回肩を回すと入室してきた数人の将校に命令を与え、自分は一時間ほど仮眠を取るといって隣室のソファに横になった。ああ、そういえばドイツ国内の政治状況も聞いておかないと。糞、畜生。始まりやがった。

 ―――――――目覚めも、夢見も最悪であった、と後に彼は述懐している。
2008年02月09日(土) 13:17:24 Modified by prussia




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