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【定義】

江戸時代の学僧永平寺50世・玄透即中禅師の、古規復古に関する手紙や法語を集成したもの。寛政8年(1796)に刊行された、全1巻。

【内容】

本書は、江戸時代に古規復古運動を推進した一人である、永平寺50世・玄透即中禅師が抱いていた祖規復興の意旨について、侍者の貞順尼が編集し上梓したものである。収録されたのは以下の通りの七篇である。

・「重刊永平清規序」
・「与某長老書」
・「上官衙書」
・「永平寺再建僧堂告諭文」
・「経行弁」
・「木魚弁」
・「嘆宗弊詞」

それぞれの内容だが、まず「重刊永平清規序」は、寛政6年(1794)に著した文章で、『永平清規』が世に知られていないのを嘆き、旧版を校訂して、傍点などを正して、冠註を施すなどして刊行した寛政版に記されたものである。

「与某長老書」は、江戸吉祥寺?の学寮主が、古清規を常に講じて、行じていることを讃えながら、そのような同志が側にいないことを嘆き、多くの叢林では、明や清という時代の新しい清規にばかり頼って、古清規が見失われていることを批判したものである。

「上官衙書」は、寛政7年に著されたもので、祠部台に提出した奏上文である。内容としては、清規は本来百丈禅師が定めたものを理想とし、それを祖述した『禅苑清規』を尊びながら、曹洞宗では『永平清規』を基本にすべきであると主張している。また、最近では明や清という時代の新しい清規が流行していることを批判して、その古規を復興するために、官命によって革めるべきだとしたものである。

「経行弁」では、宗門見性悟道を重んじ、緩歩で行うべき経行を忘れた者がいることを批判しながら、古来の方法・宗風に従うべきだとしている。

「木魚弁」では、木魚について、当時日本に伝来していた明の時代のものを木魚というべきではなく、叢林の礼楽を正す目的で書かれたものである。

「嘆宗弊詞」では、宗門人が明の清規にばかり頼り、『永平清規』を忘却したことを慨嘆して作られた八首の詞が収められている。

どれもが、批判が明確で、古規復古運動の後期活動の趣旨を知るために、有効な資料である。現在では、『続曹洞宗全書』「清規」巻にて、そのテキストを見ることができる。

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