最終更新:ID:71rICvfmmQ 2012年12月02日(日) 22:47:28履歴
ゴホゴホとせき込む少女の部屋の扉が遠慮がちに打たれた。
「あっ、ゴホッ、開いて、ます」
蝶番が不快な音を奏で、扉が開く。
「起こしたか?」
そこには心配そうに少女を見つめる少年の姿があった。
「ううん、起きてたから……」
「そうか、なら良かった。熱は大丈夫……なら学校は休まないか」
「はは、それもそう、だね……」
短いやり取りだったが、少年は一つ気がついた。
「返答すら辛いなら無理して喋らなくていいぞ、弥生。首を動かしてくれれば、意思表示には充分だ」
「ううん、京介に悪いから……」
「気は遣わなくていいんだが。……まあ、好きにしろ」
“好きにしろ”という京介の言葉は意思表示の方法に掛かっているのは弥生にも分かった。
だが、弥生は意図的に誤解し、甘えてみることにした。
「ありがと。じゃあお言葉に甘えて。……まずは体温計って」
「そういう意味じゃ……いいか」
京介の大きな掌が弥生の額に当てられる。自身の体温よりの冷たく、気持ちが良かった。
「まだ、熱いな」
「いや、そうじゃなくて……額合わせで……」
その言葉に京介がせき込んだ。
「……私の風邪がうつった?大丈夫?」
「へ、変なことを言うからだ。……恥ずかしいだろうが」
「誰もいないのに?」
京介はその言葉に観念したらしい。
「……仕方ないな。誰にも言うなよ」
「うん!」
京介の顔が弥生の顔に近づく。恋人の顔が間近に来て弥生はドキドキした。
そして、額が合わさる。留まったのは僅かな時間ですぐに額は離れた。
「た、体温上がったぞ?早く寝た方が良いんじゃないか?」
「……ところで、今日は何で来たの?」
弥生は会話を逸らした。
「なんでって、単純にプリント類を持ってくるついでに見舞いに来ただけだ。……心配とかはしてないからな、勘違いするなや」
「……そう、なんだ」
聞いておきながら弥生は少しへこんだ。
「そうだ、今日は学校でどんなことがあった?」
そして二人が話し込み、数時間が経った。弥生の部屋にまたもノックが響いた。
「……どうぞ」
言葉が終わるかも怪しいタイミングで扉が開いた。
「晩御飯よ、弥生」
女性が差し出された丼には湯気が立ち上る御粥が入っていた。
「ありがと、ママ……」
「じゃ、私は邪魔だからこれで。京介君、よろしくね」
そう言って母は去った。
「取り合えず、喰えよ。待ってるから」
「……食べさせてくれる?」
「……分かった」
渋い顔ながらも、京介は了承した。匙を粥に突っ込み、一口ほど掬い、弥生の口元に運んできた。
「ホラ」
「……あーん、ってして」
「……あーん」
京介は真っ赤になっていたが、弥生は気にしなかった。
「……ふーふーも」
京介は心底自分の発言を悔やんだ。
そして食べ終わったところでまたも母が現れ、今度は林檎を置いていった。
無意味に兎型になっている、無駄に手の込んだ一品だった。
京介は一片を幼児に刺し、弥生の口元に運んだ。
「はい、あーん」
振り切れたのか、もはや真顔になっていた。
「お願い、あるんだけど良い?」
「駄目と言っても聞かないだろ、仕方ないから聞いてやるよ」
「口写し」
「く、口写しだと……」
京介は頭を抱えたが、遂に楊子を口元に運び、楊子から林檎を抜き取った。
震えながらも、林檎が弥生に迫る。近づいたところで弥生は思い切り口を開けて突進した。
……が、京介が僅かに身を引いたため、林檎を食べるだけに終わった。
「……どうして、下がったの?」
「今回は林檎を食べさせるだけのハズだぞ」
「……分かった」
この言葉に京介は安堵した。この後の展開も知らずに。
食後。宿題を解いてた二人だったが、弥生が口を開く。
「……そろそろお風呂入ろうかな」
「そうか」
「……なんで帰り仕度をしてるの?」
「いや、それは当ぜ……」
京介の言葉が止まる。
「ああ、風呂まで運んでけって?」
「……その後、背中流してくれたらもっと嬉しいな」
京介が奇声を発し、床でのたうち回った。
「なあ、運ぶのは兎も角、背中は美月さんに頼んでくれないか?流石に……」
「……この年でママに背中流して貰うの、恥ずかしいもん。それに、お風呂入らないと汚いし……」
遠回しに“京介が流してくれなきゃ入らない”と弥生は主張。
潔癖の気がある京介は折れた。
当然の如くお姫様だっこで運ばれ、服まで脱がせて貰った弥生は上機嫌で湯船に浸かっていた。一方で京介は固く目を閉じている。
「……そろそろ体、洗おうかな」
その言葉に京介が目を開く。
「……分かった」
顔を逸らしながらも、どうにか持ち上げて弥生を運んだ。
「……前は自分でやれよ」
「……京介が洗いたいなら良いのに」
京介の手が弥生の背中に触れる。
「……ひゃんッ」
「へ、変な声出すな、わりと本気で!」
「……ご、ゴメン」
改めて背中に手が触れる。「んっ……」
声は抑えたものの、逆にそれがいやらしく、京介の精神をガリガリと削った。
そして風呂上がり。服を着せて弥生を運んだところでガックリと京介は膝を付いた。
「……私、そんなに重かった?」
傷ついたような声音に京介は即座に否定した。
「いやいや、それはない。それはない」
そしてしみじみと呟く。
「そうじゃないんだ……」
憔悴しきったその顔に弥生は心配になった。
「……介護疲れ?」
「当たらずも遠からず、だな」
「……じゃあ、お願いは次で最後にする」
ふう、と京介が息を吐く。
「そうしてくれると助かる。……で、内容は?」
「添い寝」
最後の最後で登場した大技に京介は拒否を即断した。
「いや、無理だろ」
角が立たないよう、誤魔化しも忘れない。
「俺は良くても、親や美月さんが……」
何の前振りもなく扉が開く。
「私は構いませんよ。家の方のOKみたいです。それでは」
突然現れ、去っていく美月。
「……ママ、盗み聞きしてた?」
美月の動きが止まった。
「あーそういえば今日は弥生が御粥だったからおかず作ってなかったけパパが帰ってくる前に作らなきゃ」
そう言い残し、改めて美月は去った。
「……確実に聞いてたな」
「……うん」
「……話を戻すけど、添い寝してくれる?」
「……毒を食らわば皿まで。これで最後だぞ、追加変更は一切なしだ」
「……うん、ありがと」
弥生は端により、布団をめくる。そこにパジャマ姿……入浴中、美月が調達した……の京介が横になり、布団が京介にもかけられた。
そして、京介に弥生が抱き付く……と京介は踏んでたが、弥生は端に寄って背を向けたまま。
「……そんなに端だと寒くないか?」
「……私がくっ付いて京介が風邪ひいたらヤダもん」
最後の最後で気遣い。弥生には京介の呆れる気配が背中越しでも分かった。
「あれだけやって今更うつすのが怖い?どの口が言ってんだ」
「……ごめんなさい」
「うつるんならもううつったろうよ」
暗い中で弥生は罪悪感を感じた。自分が甘えて風邪をうつすことを恐れるなら、なるべく早く帰って貰うべきだったのでは?
「だから」
京介はそこで口ごもる。
「……今更怖がるなよ。もう、手遅れだろうし、遠慮するな」
「……抱き付いていい?」
「……勝手にしろ」
その言葉に弥生は反転、京介の胸元に顔を埋めた。
「……ありがと、京介」
そして、弥生は程なくして眠りについた。
「……大好き」
寝言で弥生は呟いた。
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