成立から連邦加盟
サーバー公開翌日の令和3年(2021年)10月18日 壱峻島として町が発足し、同日中に国家としての壱岐軍閥も建国された。19日には壱岐軍閥へ加入した札幌市長not氏へ国家所有権を委譲。
しかし20日に起きた町消滅の件で国や町が消えてしまい札幌は再建されることなく完全消滅。これにより壱岐軍閥も再度建国されることはなく壱峻島は単なる町として存在していたが
22日に
青函連邦共和国=
蝦夷大帝国間の同盟締結の際コマンド分野での仲介を行った折で
青函連邦共和国へ加盟。(23日に環日本海連邦国へ国号変更)
その後の26日には壱峻島代表が環日本海連邦国の副代表に任命された。またマラッカをはじめ各地に海外領土を獲得していった。
八洲連合発足
壱岐軍閥が南九州に位置する
シシガミの森に環日との同盟を打診、締結。この時期に盟主とする広域軍事同盟である
四島連合が創設され、同陣営に壱岐軍閥代表が
環日副代表として参加。
津軽危機
以前から青森を巡り函館と領有問題のあった東北帝国が11月4日埼玉帝国へ編入予定であることが公表された。しかし、東北帝国が最後の国家事業として函館への宣戦布告を計画しているという情報を環日が入手。この情報はまず国内で周知、八洲連合全体に共有され陣営全体に動員が下った。動員に先んじ壱岐軍閥は函館に臨時司令部を建設。(現函館武器庫)司令部へ壱岐軍閥が所有していた各種銃器、弾薬、戦略物資の搬入を行った。この司令部に
シエラレオネからのポーションなど各地から物質が集積され戦争へ備えた。開戦寸前となったものの、
埼玉帝国の仲裁や環日本海連邦国、東北帝国間での代表間の会議の結果翌5日暮れには函館への侵攻計画の撤回が宣言され動員も解除された。
国際連合
(編集中)
測量事業
マップが見えない状態が長期化していたため、壱岐軍閥は地図作成を開始。日本地図を完成させ函館での地図販売を開始した。この測量事業は八洲連合全体での事業に発展し、日本周辺の朝鮮半島や中国沿岸地域なども含む大規模な測量事業となった。
移転計画
首府としていた壱峻は面積が小さく将来的には移転が計画されていた。当初は対馬が予定地とされ、壱峻=対馬=釜山の一帯を勢力圏とする構想があった。それに伴い対馬を領有。しかし、マップが見えない期間が続き朝鮮半島南部の領有は行われていなかった。この期間、壱峻島での開発が限界を迎え既に生産拠点としての基盤が整っていたマラッカ植民地での開発が続き、同時に対馬の開発も始まったものの対馬も少しの開発で手狭になる可能性が出てきていた。10月中旬、kingdomへのプラグイン移行が発表された。この時期環日内では北海道東部がアスガルド崩壊後空白地となっており敵対的な新勢力が根いた場合、環日の首都である函館が前線になる恐れがあり、この問題を回避すべく道東への入植が推奨されていた。対馬開発の有限性や環日の安全保証など鑑み国後を領有し、国後を起点に道東を開発する計画が持ち上がった。townyで領有した後、国後でkingdomでの壱岐軍閥を建国したものの、当初キングダムでの領有には莫大なリソースが必要であり国後、壱岐、マラッカ全ての領有は不可能であった。最終的には国後を放棄し、マラッカ植民地への首府移転を決定。マラッカへの移転工事を完了した11月28日壱岐軍閥はマラッカへ移転した。
12月戦争
11月22日の関東大戦で
おせせ帝国が
埼玉帝国に勝利。以後おせせ帝国が
八洲連合に対し軍事的挑発を仕掛けるようになった。おせせ帝国による
四国襲撃や
九州泰平国民殺害など起き壱岐軍閥も援軍を派遣していたが、12月4日には八洲連合加盟国である
RR.Kingdomに対し宣戦布告。瞬く間に占領、
RR.Kingdomを属国化。翌5日には函館を襲撃し津軽大橋の一部を占拠、函館へのシージキャノンを設置した。この状況を踏まえ、陣営全体の防衛を効果的に行う為に函館を首都とする八洲連合国の建国が決まり、大日本帝国を主軸とするおせせ帝国への反攻作戦も計画された。しかし、いざ実行直前にプラグインメンテナンスが入り延期となった。また、この時期に
豪レモン思想国もおせせ帝国にからの襲撃を受けている。メンテナンス明けの8日
大日本帝国はおせせ帝国への攻撃を開始した。その後再びのプラグインメンテナンスが入り12月25日までの戦争禁止が発生され、おせせ帝国との戦闘は一次沈静化した。しかし、この時期以降八洲連合内では
SPFや
大日本帝国、
シエラレオネ、アメリカ、など解散が相次いだ。また壱岐軍閥も解散こそしなかったものの、活動は少なくなっていった。
12月5日の函館襲撃
継続戦争
(編集中)
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