2chの「軍人や傭兵でエロ」のまとめwikiです

■第2章 ―― 任務

 深夜の図書館は暗く、静かだった。
 私たちは閲覧室の薄暗い明かりの下でベンチに腰掛けて、話し合っていた。周囲には大量の書籍が散乱している。
 特に決まった話題があったわけではない。急いで討議するべき論題があったわけでもない。ただ、明日になれば私は留学のためカイロへと旅立つ。それだけが普段との違いだ。
 喋っているうちに、彼の言葉にだんだん熱が入ってきた。彼のいつもの癖だ。
彼はいささか自分自身の言葉に酔ってしまう傾向があって、それはそれで(彼の恵まれた容姿とあいまって)聴衆を魅了するものだが、学術的な精度に欠けるきらいがある。私はわざと背もたれに深く腰掛け、興味がないようなそぶりを見せることにする。
 彼の熱弁は勢いを増し、そして大胆な推論を導き出すと同時に彼の手が私の膝に乗った。これも彼の癖だ。彼は自分がやや不道徳なことをしていることにすぐ気がついて、苦笑まじりにその手を引こうとする。が、私はすばやく彼の手に自分の手を重ねた。
「――イズミ」
「あなたと結婚できないことは理解してる。あなたにふさわしい家柄の女性が、
生まれる前から決められているんだから。だから、第二婦人の可能性もありえない。
 あなたの家の富があれば第二婦人を持つことだってできるでしょうけど、それは相手の家のメンツにかかわる問題になる。
 愛人という選択肢は、さすがの私の両親でも許さない、と思う。
 もしかしたら両親は苦笑いして許してくれるかもしれないけど、姉は絶対に許してくれない」
「イズミ」
「この問題には、解がないわ。数学の問題みたいだけど、解なしが正解」
「イズミ――」
「意外と難しいのね、人間って。幾何学的合理性を追えば、私にはこの留学を機会にあなたのことを諦める以外の選択肢があり得ない。それなのに、そうじゃない何かが、『諦めてはいけない』って言ってる。代案もないのに。
『恋こそは政治学における永遠のテーマ』と教授は仰ったけれど、その通りかもしれない」
「そこが難しいんでなかったら、世に文学は不要になるね」
「文学は嫌いだった。登場人物の行動にあまりにも一貫性が欠けているし、心理学的な分析理論にもそぐわない言動が多すぎるから。でもそうね、もっと研究しなくちゃいけない。本当にそう思うわ」
 我ながら無様だなと思いつつ、私はこの1週間くらいずっと練ってきた台詞の、最後の部分を吐いてみる。膝の上の彼の手が、軽く緊張するのを感じる。
「――もっと、研究するかい?」
「喜んで。経験主義も、嫌いじゃありません」
 彼の顔が近づいてくる。私は目を閉じるべきかどうかやや悩んだが、彼の唇がわたしの唇を覆うと、彼が先に目を閉じた。生暖かい彼の舌が、私の口の中に入ってくる。他人の唾液を口内に入れているというのに、不快感はなかった。それが面白くて、侵入してきた彼の舌を、自分の舌で舐めてみる。彼は軽く鼻で笑うと、いっそう派手に私の口のなかを舌でまさぐり始めた。
 うーん、何かおかしなことをしたのだろうか。

 やがて、彼が私の唇から離れる。
「ご感想はいかがです、博士」
「悩んでる」
「と、言うと?」
「人間関係が心理に及ぼす影響を論ずるべきか、それとも今のが初めてのキスであることを告白すべきか」
「ファーストキスだったとは」
「あなたが普段おつきあいされている美しい女性がたに比較して、抜本的に経験面でのインプットが不足しておりますので?」
「研究意欲が高いようで何より」
 そういうと、彼はもう一度私の唇を奪った。体が密着する。ちょっと重い。
硬いベンチのせいで、背中とお尻が少し痛む。
 彼の右手が、私の着ているサマーセーターの上から、胸をまさぐり始めた。
私は今度こそ目を閉じて、彼の手の動きに意識を集中する。乳房および乳頭への刺激が性的興奮を喚起するという話は知っているが、正直言って特に何も感じない。ありていに言えば「くすぐったい」「やや痛い」という表現が最も正確だろうか。

 やがて、彼は右手をサマーセーターの裾から中に滑り込ませると、キャミソールの下に手を這わせた。腹筋の上あたりを撫で回す手が、次第に乳房に近づいてくる。さすがにちょっと恥ずかしくて、顔が赤らむ。
 そうするうちに彼の無骨な手が、私の胸をじかに愛撫しはじめた――愛撫という行為のはずだ、これは。乳首を軽くつままれたり、あまり発育がよろしくない脂肪の塊をふにふにと揉まれたりしているのがわかる。ううん、やはり性的な興奮が立ち上がってくる感覚はない。いやそもそも、それがどのような感覚なのかを知らないのだから、検証しようもないのだが。
 困惑しているうち、彼は再び唇を離した。胸をやわらかく揉んでいた手も離すと、両手でセーターの裾をつかむ。勢いよく、するりとセーターを脱がされる。実に見事な手際だ。他人の服を脱がすというレアな行為を、ここまで効率化できるとは。いや、彼にとってはレアな行為でないから最適化されているのかもしれないが。

 彼は私のセーターをベンチの上に広げると、その上に私の体を横たえさせた。キャミソールがゆっくりとめくりあげられ、双の乳房があらわになる。彼の目に、私はどのように映っているのだろうか? ただの我侭な小娘? 十中八・九、そういうところだろう。でも、ほんの僅かでもいいから、女としての魅力を感じてくれていれば――
 そこまで思って、自分の心の動きに驚く。おやおや、これが性的興奮というものが顕在化しはじめた兆候なのだろうか?
 またしても検証不能な問題に構っているうち、気がつくとスカートも脱がされていた。彼の手がショーツにかかる。ちょっと、息を呑む。心臓がドキドキしているのがわかる。私は深呼吸してから、軽く頷いてみせた。
 じっくりと、じっくりと、少しずつショーツが脱がされていく。両親と姉弟以外には(彼らについては生活慣習的に不可避だ)見せたことのない部分があらわにされる。胸の高鳴りが抑えきれず、私は深呼吸を繰り返した。
 そしてついに、ショーツがすべて剥ぎ取られた。首の辺りにわだかまったキャミソールを除けば、まったくもって生まれたままの姿というやつだ。ああ、そういえば昨日の夜シャワーを浴びたっきりだけれど、私の体は臭ったりしていないだろうか。急に不安が鎌首をもたげさせた。かといっていまさら対策もしようがないので、「仕方ない」のラベルを貼っておくことにする。

 彼がそそくさと服を脱ぐ。最後に弟の入浴を手伝って以来、極めて久しぶりに男性器官の実物を拝む。生理学的にはあれは腸管の延長であるという記述を読んだことがある、ような気がする。グロテスクといえばグロテスクだが、自分の器官だって写実的に描けば十分グロテスクだろう。
 彼の大きな体が、私の上にのしかかってくる。体温の暖かさが、自然に緊張をやわらげてくれる。彼の脈もまた、明らかに平常より速いペースで打っている。
 彼の唇が、私の耳たぶを咥えた。舌がちろりと耳を舐めていく。くすぐったい。やがてその口は私の喉に降りていき、胸のふくらみをたどり、たっぷりと時間をかけて乳首を吸い、腹部から臍に降り、そしてついに私の女性自身へとたどり着いた。
 ざらりとした感触が、未知の領域に刺激を与えていく。くすぐったさとはちょっと違う感覚がある。だが「気持ちがいい」ものかと聞かれると、それともまた違う。
「変な感じ」と言うとやけに文学的だが、そうとしか表現しようがない。
 彼の舌は私の割れ目を執拗に這い回ったあと、隠されていた肉芽を掘り起こす。そういう器官があることは知っていたが、触ったことはなかった。軽い痛みのようなものを感じたが、すぐにまたそれとは異なる違和感を感じる。
 相当な時間をかけて、彼は私の肉芽や裂け目周辺を舌で愛撫し続けた。ときおり、おそらくこれが性的な快感なのだろうと推測される刺激を感じるが、全体としては戸惑いのほうが大きい。

 10分以上、そうしていたのだろうか? 彼は私の秘所から口を離すと、もういちど体の上のほうへと舌で愛撫しながら戻っていく。でも今回は、クリトリスに対して指で小刻みに刺激が与え続けられている。そうされながら乳首をきゅっと吸われると、「ひゃふっ」とかいう、我ながら妙としか言いようのない声が漏れた。ああ、これがセックスの快楽というものなのだろうか。彼が満足げな笑みを浮かべていることから類推するに、たぶんそういうことなのだろう。

 彼は舌の先で私の乳首を転がしながら、なおも肉芽をさすり続けた。私はしゃっくりをするように、断続的にえも知れぬ刺激に体を震わせる。この刺激に身を任せればよいのだろうけれど、どうも不安が先にたつ。
 それに――その、なんというか、声がどうにも恥ずかしい。さっきから意識して声を殺そうとしているのだが、どうしても「あふっ」とか「ひっ」とかいう声が漏れてしまう。悔しいわ恥ずかしいわで、両手で口を押さえてみることにした。
 が、そのとき彼は私の耳元に口を寄せると、ぼそりと一言囁く。
「イズミ、綺麗だ。本当に、綺麗だよ」
 両の手を使って乳房とクリトリスを愛撫しながら、彼は何度も「綺麗だ」を繰り返す。まったくもって客観性を欠いた見解だが、その言葉を私はなぜだか信じた。そして一度信じてしまうと、今度は自分の内側で沸きあがってくる未知の感覚への依存心が高まっていく。なるほどこれが性的興奮のプロセスなのだろう。客観性はまるでお呼びではないというわけだ。

 そう理解すると、いっそう自分がコントロールできなくなってきた。とにかく声を殺したくて、親指の付け根を噛んで耐えようとする。と、彼の手がわたしの両手を口から引き剥がした。思わず抗議の呻きが漏れるが、その呻きごと、彼の唇がわたしの口を覆う。私は必死に彼の口を吸い、両手で彼の背中を抱きかかえた。絶え間なく与えられる甘い刺激を前に、理性がいっぱいいっぱいになっていく。
 そうするうち、ふと彼が体を起こした。私は大きく喘ぎ、自分を取り戻そうとする。ああ、そうだ、手順で行けば、たぶんいよいよ、だ。
 彼の手が私の手をとり、彼の器官を握らせた。熱い。それに、かなり大きい。
こんなものが体内に入ってくるのだ――本当にそんなことが可能なのだろうか?
 彼は脱ぎ捨てた上着から財布を取り出すと、そこからコンドームを手に取った。常備しているというのはどういう心得なのか。それとも、今日は最初からそのつもりだったということか。
「イズミ――カイロで僕以外の経験をするのもいいと思うけれど、避妊は絶対に忘れずにね。これがコンドーム。知ってるね?」
 私はあいまいに頷く。
「ほら、ちょっと体を起こして。ここを開けて――そう。それで、こっちが上。そうだ」
 薄いゴムのチューブを、彼の器官に装着していく。意外と難しい。もっとするりと入るものだと思っていたのだが、しかしそんなにスカスカ入るものだったら、いざ本体を挿入となったときに体の中で外れてしまいかねない。ふむ。なんのかんので、セックスにも合理性が支配する領域はある。

 ゴムを装着し終えると、彼はもう一度私を押し倒した。さあ、いよいよ本番だ。
 この国――いや、この文化圏では、女にとって未通であるということの意味は大きい。田舎では花嫁の処女検査をするところだって残っているし、ある程度以上の格式を備えた家であれば乙女でない花嫁などタテマエとしては存在し得ない。
 でも、そんなことは私にとっては小さなことだ。結婚制度なんてただの慣習に過ぎない。生物学的な遺伝子の保存という点においては、幸い私にはそれを代行してくれる姉と弟がいる。私がその義務を履行しなくても、共同体に対して損害を生じさせる可能性は低い。

 カッと、秘所に裂けるような痛みが走った。痛い。痛いなんて言葉では表現できないくらい、痛い。下唇を噛んで、痛みをこらえる。彼の背中に回した手に、ぐっと力が入った。額に汗が浮かぶ。
 全身が真っ二つに裂けそうな痛みが続く。痛い。とにかく痛い。喉元まで内臓が押し上げられていくような違和感と、腹部に詰め込まれた臓器の配置がぐしゃぐしゃになりそうな異物感に襲われる。
 そこにまた、ぐいと激しい、引き裂くような痛み。頭が朦朧とし、両足がひきつる。痛い。全身から冷や汗が吹き出す。彼の背中を強く抱く。痛い。痛い。こんなことは言いたくないけど、無理。もう無理。やめて、お願い、痛い。痛い。痛い。
 もう絶対にダメだと思うような衝撃が下腹部に走って、私はついに悲鳴をあげる。でもその一撃で、私の内側は彼によってすべて満たされていた。私は荒い息をつきながら、痛みと圧迫感をこらえる。話には聞いていたが、ここまでとは。
 いやしかし、歴史的に言えばこの最初の痛みに耐えられなくて、未通のまま離婚したというケースもあるのだから、私はまだ幸運だったのだろう。

 ……ああ、そうだ。少なくとも私は、自分が恋した相手に処女を捧げたのだ。幾何学的観点に立てば何の意味もなさない行為であるにしても、情緒的な満足感はある。
 私はもう一度、彼の体をぎゅっと抱きしめてみる――と、茫洋とした幸福感が立ち上がってきた。

 うん、これは悪くない。

 なるほど人間は言葉という非常に不完全なコミュニケーション手段しか持っていないと思っていたが、性交渉というのは言葉よりも伝達率が高いように思える。複雑な思索には向かないが、彼が私のことを見ていて、私が彼のことを思っている、そのことはほぼ誤解なく伝わっている。

 そしてそのとき、ゆっくりと彼が前後に動き始めた。真新しい痛みが全身を貫く。大丈夫、我慢できる。今という時間を、彼と共有しているという確信は、何にも代えがたい。私は痛みに眉を顰めながらも、彼と一緒になってゆるゆると動いた――

 そのとき、飛行機がまもなく着陸態勢に入るというアナウンスが聞こえ、目が覚める。なんともはや、懐かしい夢だ。あれはカイロ大学に留学する前夜だから、私が14歳で、イリーヤが21歳の頃か。
 まったく、艶かしい記憶というよりは、若気の至りそのものだ。あのあと結局イリーヤと私はその段階で思いつく限りの体位を試しながら6度ほどセックスをして、そこで夜が明けなければ7回目にも突入していただろう。
 若さ、だ。まさに。

 ハント大尉の提案を受諾した後、いろいろと面倒な手続きや調書取り、訓練と旅行に手術があって、ようやく故郷に帰ってきたときには6ヶ月が経過していた。半年ぶりの故郷は、夕焼けに煙る埃っぽい空気と、交錯するクラクションの音で私を出迎える。ツンと鼻の奥が痛くなるような暑さが、無性に懐かしく感じた。
 空港ではハント大尉が待っていた。
「ようこそ、カタギリ少尉。情報軍はあなたを歓迎します」
 私たちは握手を交わすと、路駐してあったハマーに乗り込む。
「どうも、落ち着きませんね」
「身分? 立場? 階級? 仕事?」
「全部」
「すぐに慣れます。しかしまあ、すっかり日系に見える」
「そんなに印象が変わりました?」
「十分に。これでTシャツにジーンズ姿になって、でかいカメラにブランドもののボストンバッグでも持ってれば、明日の朝までには身代金目当てに誘拐されてるでしょう。日本語は?」
「読むのはほぼ問題なく。日常会話はブロークンでよければ。例の案件で何か進展は?」
「ほとんどゼロです。基地に着き次第、報告しますよ」
「基地に着く前に、ふたつお願いが」
「何でしょう」
「敬語をやめてください、大尉。私はあなたの部下です」
「おっと、そうだった。で、もうひとつは?」
「タバコを吸っても? 機内禁煙、構内禁煙で死にそうです」
 ハント大尉はダッシュボードの上にでかでかと書かれた「車内禁煙」の赤文字を指差した。私はしぶしぶタバコとライターをバッグに戻す。まったく、軍用車のなかまで禁煙だなんて。一応は平時のくせに、爆発物でも積んでるというのだろうかこの車は。

 情報軍の基地に着くと、巡回する兵士たちが次々に敬礼を送ってよこす。私はうっかりそれに頭を下げてしまい、大尉に笑われる。どうにも慣れない。
 会議室に通されると、3人の男女が待っていた。大尉の姿を認めると、立ち上がって敬礼する。
「うわ、びっくりした。部屋を間違えたかと思ったぞ」
「そりゃ大尉、最初くらいは、ビシっと」
「俺はドッキリまでは要求してないぜ。まあいい、紹介しよう。こちら、カタギリ少尉。いきなりだが君らの上官だ」
「よろしくお願いします、少尉殿」
 私はめんくらって立ち尽くしていた。いや、ダメだ、どうしたってこれには慣れられない。
「といっても促成栽培尉官どのなので、そのつもりで。最初はお茶汲みからでも。おっつけ慣れてくれるだろ。とりあえず、情報分析を担当してもらう。
 少尉、彼らを紹介しよう。こっちの大男が、アイク一等軍曹。爆破と運転のスペシャリスト。
 となりのひょろっとしたのが、ニール特技官。コンピューター・ギークだ。
 それから彼女がターニャ一等兵。階級は低いが、見ての通り『諸般の事情』が絡んでる。接近戦のエキスパートで、入隊の経緯は少尉と一緒だから、何か困ったことがあったら相談するといい。
 言うまでもないが、彼らは特殊部隊の訓練にパスしてるし、実戦経験も豊富だ。ターニャ一等兵に至っては特殊部隊記章を2つも持ってる。護衛が必要なときは迷わず声をかけるように。
 で、カタギリ少尉は君らと違って首から上の価値を買われて入隊しているので、そのあたりはわきまえるように。必要ならば、死んでも守れ。どうせ君らは殺しても死なん」
「イエス・サー」
「さ、少尉、適当に座って。役者が揃ったところで、半年塩漬けにされてきた案件に取り掛かるぞ」
 私は促されるままに、手近な椅子に腰掛けた。部下たち――ああ、なんという違和感――も一斉に腰を下ろす。ハント大尉は、ホチキス止めした数枚の書類を全員の手元に配った。
「1436号事件」と書かれたその書類には、重要機密の判子が押されている。安い機密書類もあったものだ。
「事件自体は、類型的な自爆テロだ。問題は、事件の背後にこの男が関与していると推測される点と、1439号事件との関連性にある。3枚目を見てくれ」
 私は資料の3ページ目をめくった。そこには写真がプリントアウトしてあって――その写真を見た途端、眩暈がするのを感じた。テーブルの下できつく拳を握り、必死で平常心を保とうとする。
「イリーヤ・ダヴィドフ、29歳。関与したと推定される爆弾テロは31件、札付きのテロリストだ。元国立大学の学生で、プロフェッサー・マクシムの秘蔵っ子と言われている。次のページを」
 震える手で、次のページをめくる。
「自爆したカレン・キリチェンコの部屋から発見された手紙のコピーと、その翻訳だ。手紙自体はよく見るアジビラの類だが、サインにイリューシャと書かれている。イリーヤのニックネームだ。筆跡鑑定の結果、これはイリーヤの書いた手紙であると断定された」
 手の震えが止まらない。禁煙だろうがなんだろうが知ったことか。私はバッグからタバコとライターを取り出し、懸命に火をつけようとするが、そもライターが点火できない。怪訝そうな顔をしたターニャが、彼女のライターに火を灯してくれた。感謝する余裕もなく、すがるようにタバコに火をつけ、紫煙を深く吸い込む。
「さて、これだけならばイリーヤの余罪に1件追加されるだけだが、事情はもう少し違う。10ページを」
 いつのまにかターニャが隣に座って、私の資料を整えてくれていた。自分でも、顔が真っ青になっているのが分かる。
「1439号事件、イズミ博士の拉致暴行事件だが、この際、突入の2時間前に、現場にセダンが1台到着している。
 暗視装置とサーモグラフィで監視していた特殊部隊の隊員にインタビューしたところ、セダンから降りた人物は、イリーヤの特徴と一致した」
 そっと、手からタバコがとりあげられた。半分以上が灰になっている。ターニャは携帯用の灰皿を取り出し、吸殻をしまいこんだ。
「残念ながら、イリーヤと思われる人物は突入の30分前に現場を去っている。特殊部隊を指揮していたギリアム少佐は、車両の追跡を断念、突入の準備に専念した。やむをえない判断だ。その場で狙撃してくれていれば話しは早かったんだが、それは非難すべき点ではない。
 1439号事件は実に謎の多い事件だが、ある一点で1436号事件とリンクしている。自爆したカレンと、イズミ博士の間に、深い交友関係があったという点だ。彼女たちは住居をシェアしており、生活環境は完全に密着していた。また、イズミ博士とイリーヤは、戦前、恋愛関係にあったことも確認されている」

「つまり二つの事件には、イリーヤの野郎のプライベートが関係していた可能性がある、と?」。
ニール特技官が口を挟む。
「そういうことになる。どんなテロリストにも、必ずプライベートはある。そして常にそれは彼らの弱点だ。我々の任務は、この二つの事件を糸口に、イリーヤを丸裸にし、裏で彼の糸を引いている連中を明るみに出すことだ」
「なんとも気宇壮大ですね」。アイク軍曹が巨体に似合わぬ、囁くような声で呟く。
「でももう6ヶ月も前だよね。糸口、ねえ。カレンは死んで、イズミ博士はテロ幇助の疑いでグアンタナモに収監中だっけ。いったい、それで――」
 ターニャがブロークンな英語で愚痴を漏らしたが、そこではっとした顔になり、私をまじまじと見る。
「いいか、ここから先は特級の機密だ。カタギリ少尉は、イズミ博士と同一人物だ。糸口は、俺たちの手の中にある」
「囮にするの? そんなの、いくらなんでもひどい。こんなのひどすぎる」
「いいや、カタギリ少尉は、自分の意思でここに来た。それに、囮にはしない。彼女は、ただの糸口なんかじゃない。とびっきりの秘密兵器だ。
 この事件には、あまりにも謎が多すぎる。俺たちは、それを解きほぐさなくてはいけない。それではじめて、イリーヤに接近できる。一本釣りができるなんて思っちゃいないさ」
「秘密兵器は結構。カタギリ少尉、大丈夫? うちの隊長は、人使いは荒いし、デリカシーはないし、給料は安いし、人間として最低の野郎だから。
 忘れちゃだめだよ、いまあたしらがいる軍隊には、本当にイヤなことなら、イヤと言う権利くらいはあるんだから。どうせやることになったとしても、イヤならイヤとだけは言うべきだわ」
 私は深呼吸して資料を閉じると、なんとかターニャに微笑んでみせた。
「大丈夫。ありがとう、ターニャ。ちょっと動揺しましたけど、もう、大丈夫。それより――パーツは増えたけれど、どうも関係が弱いですね。偶然の一言で片付けられる程度の関係性を超えない」
「そうですか? 男Xがいて、女Aがいて、二人は恋人。もうひとり女Bがいて、女ABは親友。それで女Bは、どうやら男Xと深い関係にある。
 自分には、十分な関係性が感じられますが」。
 アイク軍曹がぼそぼそと訴える。
「少尉、偶然と言いたい気持ちはわかるけど、これはちょっと」
「僕も二人に同意します。自爆テロの背後には、多くの場合、個人的な関係があるものです。それが偽りの関係であるのもまた事実ですが」
 私は首を横に振った。
「その仮説は、マクシム師の主張である『自爆は聖なる任務』によって躓きます。マクシム師が率いる過激派にとって、娼婦は穢れた存在であり、掃討対象なのです。
 ローマ教皇が共産党員を枢機卿に任命する可能性が皆無であるように、マクシム師の一派が娼婦に聖戦への参加を許すことはあり得ません。
 よって、カレンは爆弾を手に入れることすら困難です」
「む、むむ……ではなぜ、そしてどうやって彼女は自爆テロを?」
「不明です。イリューシャ――失礼、イリーヤが師の教えに逆らって彼女に爆弾を用意したのか、それともまったく別の過激派組織が関与しているのか。なんとも、不明なパラメータが多すぎます。
 ともあれ現段階で『なぜ』を調べるのは無駄です。確固とした現実から考察を始めなくては。カレンは、爆弾を爆発させ得た。つまり彼女は爆薬と起爆装置を手に入れることに成功した。これが暫定的な事実です。
 従って、可能性は皆無とされていますが、カレンが自爆テロの犯人ではないケースの再検証を行う必要があります。ここが私たちのスタートラインです。
 その上で、使用された爆薬の種類、また現場の写真から爆発のパターンを割り出し、何が使われたのかを正確に把握しなくては。既にそのデータが揃っているのでしたら、それを検証すべきです」
 皆、黙り込んだ。ハント大尉は得意げにニヤニヤしている。

「――なるほど、この人の首から上には金貨が詰まってるね。カタギリ少尉、あなたのことを尊敬するよ。小娘が何しにきたんだと思ったけど、とんでもない。
 でもね、少尉。少尉のスタートラインは、そこじゃないよ」
「……と、いうと?」
「大尉、カタギリ少尉の部屋って、とりあえずあたしと同室でよかったよね? あたしは少尉の荷物を運ぶから。爆弾がどうこういうのは、大尉とアイクでやってよ。カレンの身辺調査と検死報告分析はニールが。あたしは荷物運びと基地の案内。少尉はシャワーを浴びて、飯を食って、荷解きしてから、一眠りして時差ぼけ解消。
 いい分担じゃない?」

 私以外の全員がターニャの提案に賛成したため、民主主義的手続きに則って
私は一度荷物を部屋に置き、身支度をすることになった。
 正直、食事が喉を通るとは思えなかったが、薦めに促されてシャワールームで汗を流すと、なんとなく空腹を感じ始めた。食堂で野菜を中心にしたメニューをもらい、ターニャと二人で食事をする。彼女はがっつりとした肉料理だった。見ているだけでお腹が一杯になりそうだ。
「少尉、ダメだよ食べなきゃ。この仕事、体力勝負なんだから」
 サラダを半分食べたところでタバコに切り替えた私に、ターニャがお説教する。私は首を振って、サラダのボウルを彼女の前に押しやった。
「残すくらいなら、あたしが食べるけどさ」
 あっという間にボウルが空になる。
「それでぶっちゃけ、まだ彼のことが好きなの?」
 三杯目のシチューにとりかかっていたターニャが、唐突に聞いてきた。
「――わかりません」
「敬語はよして。あ、でもあたしは難しい言い回しはできないから、これで勘弁。国の言葉で喋っていいならもうちょっと頑張れるけど、ここではマズイからね。で、わからない、ねえ。大変だ」
「嫌いかと聞かれたら、たぶん、嫌いじゃない。好きかと聞かれると、もっと困る。そんな感じ」
「難しいねえ。でも、少尉に乱暴したメンツの一人なんじゃないの? それでも許しちゃうわけ?」
「仮に性別と立場が逆だったとしたら、私も同じことをしたと思う。部下の前でスカして見せるわけにはいかないし、臆病者と思われてもいけないから」
「だから許せる?」
「――わからない。カレンのこともそう。わからない。カレンとイリューシャが愛し合っていたのかもしれないなんて、想像すらしたことがなかった。
 嫉妬は、多分、感じていると思う。でも、なんだか――もやもやする」
「学者先生は難しいねえ。あたしならそんな男とは金輪際縁切りだし、浮気されたんなら一発ひっぱたかないと気がすまない」
「私はカレンを叩けないもの」
「じゃあ、イリーヤの首に縄かけて引っ張ってこよう。一発殴ればすっきりするって。経験上、間違いないよ」
「そうね――そうかもしれない」
「単純に生きるってのも悪くないよ、少尉? あたしはそのほうが好き」
 私は黙って頷き、タバコを吹かした。

 食事が終わると、部屋に案内された。ターニャはお先と言うが否や彼女のベッドで眠ってしまったが、私はどうにも眠気を感じなかったので、ハント大尉の携帯電話を鳴らしてみて、今何をしているのか聞くことにする。彼らはオペレーションルームで資料の検索と検討をしているらしい。私は足音を忍ばせて部屋を出ると、彼らの仕事場に向かった。
 オペレーションルームは透明なアクリルの壁でいくつものブースに区切られていて、彼らはそのうちの一つに陣取って大量の資料と格闘していた。ブースの壁をノックすると、二人がちらりと私を見る。大尉は無言で椅子を滑らせてくれたが、アイク軍曹はすぐにモニタへと視線を戻した。大きな身体を猫背にして、巨大な手で敏捷にキーボードを叩く姿は、どことなくユーモラスだ。

「どうです?」。とりとめのない質問をしてみる。
「調査中」。とりとめのない返事をされる。意地悪。

「大尉、それはいくらなんでも意地が悪いです」
「じゃ、アイク、君が現状報告を」
「面倒です」
「それみろ」
 言葉とは裏腹に、アイク軍曹は椅子ごと振り返ると、私にプリントアウトの束を手渡した。なんだ、親切じゃない。パラパラと内容を確認してみる。
 爆発物関係の専門用語ばかりでさっぱり理解できない。前言撤回。私は無言でプリントアウトを軍曹の隣に置く。
「コーヒーが欲しいな、アイク」
「そうですね、隊長」
 私は肩をすくめて、コーヒーサーバに向かう。3人分のコーヒーをトレイに乗せてブースに戻ると、2人は席を立ってスチロールカップを手に取った。
「お客様、コーヒーをお持ちしました」
「俺は砂糖とミルク派なんだけど」
「チップが見当たりませんけど?」
「ブラックでいいことにする」
 しばらく、無言でコーヒーを飲んだ。やがてアイク軍曹が口を開く。
「爆発物の種類はC4、いわゆるプラスチック爆弾で間違いありません。軍用です。手に入れようと思えば手に入らないわけではありませんが、爆発の規模と被害から逆算すると、ちょっと量が多い。相当な資金的余裕がなければ自前での購入は難しいですね」
「爆破シミュレーションを何本か走らせてみたが、旧式の戦車や装甲車なら吹き飛ばせるくらいの量だな。もしかすると、即席の対戦車地雷をバラして作ったのかもしれない。隣の国と戦争してた時代には、そういうのを作ってたと聞く。
 なんにせよ素人には手が届かないシロモノだ」
「つまり、可能性は3つですね。カレンの背後に支援者がいたか、カレンは一定の訓練を受けていたか、その両方か。僅かな例外として、偶然入手したという可能性」
「カレンの身元と検死結果の再調査はニールが進めているが、奴にしては随分と難航中だ。少し時間がかかりそうだな」
「彼女、戸籍上は存在していない人間でしたから、身元の調査は不可能に近いと思います」
「なんてこった。職場で聞き込みをするしかないか」
「彼女と一番親しかった人間はイズミ博士という以上の結果はあまり望めないかも」
「やってみなけりゃわからん。いや、それより先にニールの仕事を手伝いに行こう。アイク、続きを頼む。カタギリ少尉は俺と一緒に来てくれ」

 ニールは、彼の部屋で大量のPCに埋もれていた。階級から言えば二人部屋のはずなのだが、特例は常にあるということだろう。ハント大尉はニールの耳からオーディオテクニカのロゴが入ったヘッドフォンを剥ぎ取り、「どうだ?」と声をかける。
「調査中です、大尉」
 これって彼ら定番のコントなのだろうか。
「お前、またブースを覗いてたな。基地内のクラッキングは禁止だとあれほど」
「大尉がボイスチャット回線を開けたまま仕事してただけです」
「おっと、それは失敬。で、どうだ?」
「少尉の仰るとおりですね。何度もチェックしましたが、やはりこの国の古い戸籍データには、カレン・キリチェンコは存在しません。死んではじめて、戸籍ができた。やりきれない話です」
「ということは、公式報告書にあったカレン・キリチェンコという名前は」
「偽名かも。どうです、少尉?」
「調書にも書いてあると思いますが、私はカレンという名前しか知りません」
「ということで、この報告書はまったくもって紙の束です」
「キリチェンコなんて名前がでてきたソースの記録は?」
「ありません。なにしろ『戸籍どおりのデータ』ですから。この国の役人は、身元不明の死体に適当な氏名をつけて書類仕事を終わらせることが多いですが、多分これもそういうことかと」
「クソ、手抜きしやがって」
「もっとも、いくつか興味深いことも分かりました。
まず、カレンの出身地とされているカイナール村なんですが」
「カイナール村?」
 思わず聞き返してしまう。初耳だ。

「ああ、これはイズミ博士の調書ではなく、職場での聞き取り調査によるデータです。
 で、そのカイナール村なんですが、2年くらい前、村をあげての結婚式をやってるところを連合軍の戦闘機が誤爆して、村民の約半数が死んでます。あのあたりはそもそも武装勢力の実効支配地域ですが、結婚式につきものの祝砲を対空砲火と勘違いしたらしいです」
「なんてこった」
「本当に興味深いのはそこじゃないんです。
 その村では、彼女の推定生まれ年の10年ほど前に『カレン』という名前の女性が宗教裁判所によって処刑されています。それでなのか、カイナール村では女の子に『カレン』という名前をつけないようにしているようですね。戸籍上のデータを見る限り、子供の数は多いですが、カレンはゼロです。名前としちゃ、ありふれてるんですがね」
「裁判のデータはあるか?」
「宗教裁判所は電子データを持ってません、大尉。宗教裁判の件は、この国の新聞をクロールして見つけた情報です」
 私は記憶の糸を手繰った。宗教裁判は我が国の司法制度における悪弊のひとつではある(と私は思っている)が、死刑判決が出たケースはそれほど多くない。
 カイナール村の、カレン。宗教裁判。たぶん、あの判決だ。まさかこんなところで結びつくとは思ってもみなかったけれど。
「北部宗教裁判所、判決第1086号。カイナール村のカレン・バリシニコワ被告を姦淫および聖典侮辱罪により死刑に処す。被告は姦淫の罪を犯したにも関わらず強姦の被害者を詐称した。自らの主張が受け入れられないと知るや裁判長に対しベールを投げつけ、これをもって聖典侮辱罪により死刑が宣告された」
「なんだそれは」
「判例です」
「そりゃわかってる――まさか、覚えてた、のか?」
「ええ。もっとも、実際に起こったのは、その村の実力者が自分の孫娘の一人であるカレン・バリシニコワを強姦し、そこを使用人に目撃されたので、彼女を姦淫の罪で訴えたという事件です。彼女が自分を誘惑したのであると」
「それはひどい。なぜそんな無茶が通ったんです?」
「この国は法治国家だからですよ。当時のあらゆる規範は、彼女が有罪であることを示しました。多分、現在でも」
「そんな。そんなの、法が間違ってますよ! そんなのどうかしてる!」
「悪法も法なり、です。そんなに簡単な問題ではありません。そもそも――」
「ストップ、そこでストップだ、少尉。俺らは法学のゼミに参加してるんじゃない。
 ニール、カレン・バリシニコワを調べろ。国際犯罪データベースへのアクセス権を申請しておく。活動的な人権団体は、なにかしら逮捕歴を持ってるからな。運がよければ、調書にバリシニコワの件について記述があるかもしれない。
 で、ほかにも何か見つけたか?」
「――はい。検死報告を吟味しましたが、やはりカレンが犯人であると断定できます。焼け残った骨が前後から大圧力を受けていますから、身体の前後に爆薬を隠し持っていたものと。
 それから、彼女の残留物からは、釘がほとんど発見されませんでした。これも決め手のひとつです」
「釘?」
「彼女は、身体に巻きつけたC4の表面に大量の錆釘を刺していたんですよ。
それが爆発で吹き飛んで、簡易型の対人地雷になった。死傷者があそこまで増えたのはこれが原因です。
 ただ、これにも興味深い類似点があります。この3年で起こった、自爆テロを含む爆弾テロのデータをひっくり返してみたんですが、C4に釘を打ち込んで使ったケースは、24件しかありません。そういう小細工をする連中は、最近じゃもっと確実に殺傷力の出るもの、ギザギザの金属片とか高硬度の針金とかをねじこんでるもので。釘ってのは、今となっちゃあ時代遅れな方法なんです。
 それで、釘を使った24件のケースのうち、自爆テロは8件。うち3件が、カイナール村出身者およびその縁戚による事件です。ちなみに錆釘爆弾テロ16件のうち、5件にイリーヤが関わってます」
「わかった。よくやった。よくやったついでに、やはりカレン・バリシニコワ事件を最優先で調べてくれ。自爆したカレンよりそっちが先だ。それが終わったら、イリーヤの親族関係をもう一度徹底的に洗え。治安維持軍の公式資料なんぞ参考にするなよ。
 そこまで終わったら、カレンの元職場にインタビューに行くことを許可する」
「アイ・サー。ああ、あの、少尉」
 私は飛び交う情報の速度にやや圧倒されていたが、ニールの声にふと我に帰った。
「先ほどは、すみません。悪法も法なり。その通りです」
 少し、笑ってしまう。
「悪法も法なり。でも、カエサルのものはカエサルに、神のものは神にとも言います。法は、カエサルだけが定めるものではありません」
「神の法にも従えと?」
「神は私たちの内側におられます」
「つまり?」
「それが政治というものです」
「うへえ。僕はやっぱりコンピューターのほうが好きです」
 彼は苦笑いすると、またヘッドフォンをかけなおし、ディスプレイに集中しなおした。マシンガンを撃つようなタイプ音がし始める。私たちは、そっと彼の部屋を出た。

 大尉は夜食を求めて食堂に向かった。私も一緒に来るように命令されたので、
仕方なくついていく。チーズがごっそりと挟まったサンドイッチをぱくつきながら、ハント大尉は漠然とした問いを投げかけてきた。
「どう思う、少尉」
「考えています」
「そのネタはもう時代遅れだ」
「何の根拠もないですが、ある程度まで合理的な説明があります」
「聞かせてくれ」
「仮説1。もし、カレン――いえ、少女Xにします。少女Xが、判例1086の原告に強姦された被害者だとしたら」
「カレン・バリシニコワは殺されたのでは?」
「重度のペドフィリアは、嗜好というよりも病気です。適切な治療がなければ何度でも再発します。裁判沙汰にしたことで一時的に鳴りを潜めたかもしれませんが、原告がそれ以降も同じ犯罪を犯している可能性は高いと言えます」
「なるほど。そして原告は、二度目の失敗はしなかった」
「しなかったのではなく、失敗しないシステムが用意されていたのかも。
 いずれにせよ、被害者である少女Xは、村での居場所を失ったと感じたでしょう。急迫時における戦闘訓練を共有するような小さな村でのことですから、何をどう隠そうがあっという間に噂は村中に広がる。少女Xの未来は、少女X本人にも分かる形で絶たれました」
「絶望した彼女は街へと逃げ出したが、結局は自分の身体を売る以外に生きる術を持ち得なかった」
「その少女Xが、カレンと名乗る。蓋然性はあります」
「待ってくれ。カレンは、戸籍に登録されていない人間だった。なのに、村の機密ともいえる戦闘技術は伝えられていたことになる。『失敗しないシステム』というのは、つまり少女Xは人身売買で買われてきたスケープゴートということだろう? それでは辻褄が」
「合います。少女Xは村民にとって商品としてやってきた異邦人ではなく、ゲマインシャフトの一員として認められる存在だったということです」
「それで、失敗しないシステム――クソったれ。こいつは世界ランカー級のクソッタレだ。カイナール村の調査に行こう。半分はまだ生きてるんだ」
「カイナール村は随分前から武装勢力寄りなんでしょう? 連合軍の制服を着た人たちに協力などしないかと。
 それに、これは仮説というよりは、物語の創作に近いですよ。それで調査だなんて、ダメモトにもほどがあります」
「制服なんて着せるわけないだろ。さて、少尉、ダメモトなフィールドワークなどいかがですか? 今ならもれなく助手を1名つけますよ」
「大尉は何をするんです」
「俺は、結婚式への誤爆が、本当に誤爆なのか、裏を取る。戦場にようこそ、博士」

(第3章「偶然」に続く)

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